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まずお断りしておくがこれは物語でもなんでもない。強いて言うなら私自身の物語であるかもしれない。
このように否定しておきながら敢えて意味ありげなことを言えば読者がなにかしらを作ってくれる。言わずもがな糊塗である。しかし、困った時には使える手法に違いない。
諸君!自尊心をプライドを捨てよ。我々は苦手なものを極める道理はない。小手先を極めることに重きを置くのだ。
では、本題に入ろう。
と言いたいところだが、我々はなぜ作文が苦手なのかを考えよう。
はじめに思いつくのはスタートラインにも、否運動会の日を忘れていたような初歩的な書きたいものがない。
恥ずかしがることはない。顔を上げたまえ。
書きたいものがなければ、なにも書かなくて良いではないか。それをいっちゃあおしめえよ。そんな至極当然の反駁に似たブーイングが聞こえるから今回は授業などで絶対に書かなければならない状況であると仮定して進めていこう。
では抜本的に紐解こうではないか。
なぜ、書きたいものがないのか?
この問いは間違いなのだ。テーマを提示すれば大半の人は書けてしまうのだ。
「テーマ」
言ってしまえば、核である。心臓である。
感の鋭い人は気づいたかも知らないが言葉にしよう、我々はテーマを見つける力が乏しいのだ。
恥ずかしがることはない。顔を上げたまえ。
誰もテーマを見つけるために日々を過ごしてはいない。だからこそ見つけるのではなく、作り出すのだ。
どうやって?と思う人もいるかもしれない。
ここで懺悔と言う名の告白をしよう。そんな格好つけた言い回しをしなくても告解の一語でいいだろうなどと水をさすような人は自信を持って過ごしてくれ。
少し話が逸れたが、私が言いたいのは気負わずに書き始めることが大事なのであるのだ、とありきたりな文言なのだ。
私がベットに寝転び、何も考えずに20分文字を打ち続けた結果がこれなのだから。
テーマなどは後からやってくる。迷わずに書きはじめてみるのが最善の方法なのだ。