第160話 補完
「あいつら、どこ行った!?」
マルグリットがデイビスとネフィリ──クロとソフィアラを見失っている頃、二人は校舎棟の屋上にいた。
「校舎が残っていてよかったわね」
「そうですね。ただ、お嬢が急に動き出すからビビりましたよ。あのまま居ても危ないだけだし、タイミングが良かったと言えばよかったですけど」
「騒ぎに乗じるのは常識よ」
二人は自分たちで起こした混乱を利用して、ダヴスとの接触を図ろうとしていた。
5年ぶりに訪れた学園は様変わりしていたが、建物の場所や構造は大きく変化していなかった。だからこそ二人は難なくこの場に辿り着具ことができたわけだ。
クロは屋上の縁から身を乗り出し、何かを探している。
「どう?」
「ありました。これをこうして、こうして……」
以前クロが大量のマナを注いで使用不可に追い込んだ4つの魔法陣だが、今では再使用可能に色を取り戻している。クロはそこに迷うことなくマナを注ぎ込む。すると、4箇所を終えた瞬間に黒いゲートが姿を現した。
「クロ、これで合ってるの?」
「そうですね、以前見たのと全く一緒です。さっさと入って向こうからダヴスに閉じてもらいましょう」
「クロ、手」
「はい、どうぞ」
二人は自然に手を繋ぐと、迷うことなくゲートへ飛び込んだ。
視界は一瞬暗転し、次の瞬間には岩肌ばかりの地下空間が二人の見る世界だった。そしてすぐに目の前の異物に気がつく。
「待たせすぎダ」
「げっ!」
「……びっくりしたわ。この人がそうなの?」
いきなり目の前に誰かが立っていたら驚きもするだろう。
クロも内心では心臓がバクバクだ。こっそり夜に家に帰ったら親が玄関で立っていた時くらいの嫌な衝撃が彼を襲っている。
「え、ええ……この人?が多分ダヴスで間違いなさそうですね……。ってか、怪しすぎんだろ!」
ダヴスは常に外套を顔からすっぽり隠しているために、そこから出る細く青白い手足しか見えない。だからクロはダヴスの顔を知らず、曖昧な表現で彼を紹介した。そもそもダヴスが男か女かどうかもクロは判断できない。ただ、ずっと待たせていたということであれば彼で間違い無いだろう。
「その前に言うことがあるのでハ?」
「……」
「クロ、何かしたの?」
「……す、すいませんした!変なの送り込んですんません!」
クロは誠心誠意謝罪した。なにせゴミ箱代わりに地下空間を利用して、魔人化した学生をポイと捨てたのだから。
「いいだろウ。謝罪したということで水に流してやル」
「ありがとうございます……!それで、えっと……何を待たせてました?」
クロはダヴスに随分と助けられたし、敬語になるのも仕方のないことだろう。
これ以上彼を怒らせないよう、クロは本題に戻る。
「その前に、貴様ら元の姿に戻レ」
「それは失礼したわ」
「なにゆえ?」
「必要だからダ」
クロとソフィアラは変装を解き、本来の姿をダヴスに見せた。
「ごめんなさい、挨拶がまだだったわ。私はソフィアラ=デラ=ヒースコート。あなたのことはダヴスさんとお呼びしても?」
「吾はダヴス=シソーラス。好きに呼んで構わなイ。ヒースコート、貴様はハジメ=クロカワの連れにしては礼儀正しく、感動すら覚えル。それに比べて……」
「すんません、すんません!」
「まぁ良イ。吾が貴様ら──特にクロカワ、貴様を待っていたのは、吾もそろそろ外に出る必要性が生まれてきたからダ」
「え、出れるんすか?」
「貴様の力──『防陣』を駆使すれば、ナ。ここからは長い話になル」
ひとまず、とダヴスは前置詞を挟む。すると──。
「え!?」
「移動、したのかしら?」
次の瞬間、三人は白い空間にいた。そこは、膨大な書物を内蔵した本棚が無数に天高く立ち並び、また彼らの周囲へ同心円状に乱立している。
「座レ」
ダヴスがそう言うと、そこには机と三つの椅子が現れていた。
「どうやってるんだ?」
「ここは吾の精神世界。好きに想像することが可能ダ」
「いつの間に取り込まれたのかしら?」
「元々吾は……いや、これは追々話すとしよウ。まずは腰掛けて茶でも飲メ」
するとやはりティーポットとコップが机上に用意されていて、ダヴスが雑に茶を注ぐ。
「精神世界なら意味ないんじゃね?」
「人間は雰囲気を大事にすると聞いタ。あくまでこれからの長い話をさせる要素でしかないが、しっかり味覚は再現されていル。菓子など必要なものがあれば言うが良イ」
「なるほど、魔導書の中みたいなもんか」
「その認識で間違いは無イ。ここから話は長く、貴様らの特訓もつけねばならなイ。時間がいくら合っても足りないことから、精神世界を利用すル。なに、ここでいくら過ごそうと、現実では刹那の時間経過ダ」
クロは理解していることから、これはソフィアラに対する説明だろう。
「特訓と言ったかしら?」
「これから学園を破壊するにあたり、貴様らの魔法力は貧弱すぎル。そのための特訓ダ」
「なに言ってんだ……!?」
「貴様こそ何を言っていル?そのために学園大結界を破壊してここに来たのだろウ?」
「あれは偶然っていうか、なんというか……」
「偶然で全属性の混合魔法を作ろうとは思わんがナ。……まぁ良い」
兎に角、と挟んでダヴスは続ける。
「吾がここを出るために必要な過程の一つ──結界破壊は貴様らが成しタ。学園の破壊云々は別にしても、貴様らには吾の思惑に従ってもらウ。そのための知識も時間も、ここには掃いて捨てるほどあル」
そう言ってダヴスが大仰に手を振るうと、本棚からするりと一冊の本が抜け落ちて彼の手元に舞い降りた。
「それは?」
「5年前のあの日──学園で生じた全ての事象が記載してあル。目を通セ」
クロとソフィアラはゴクリと唾を飲み込むと、手渡された余りにも分厚い本を捲った。
「学園内部に結界魔法の出現を確認。学園結界は破壊され、一時機能停止に陥る。続いて内部への多数の人間の転移が生じ、外部から同様に──……って、俺たちが知りたいのはこんなシステム的なことじゃなくて」
「全てを知りたいのではないのカ?」
「こんなもん、全事象を事細かに描写されたら目的の情報を前に日が暮れちまうぞ」
「では太陽を頭上に設置し続けておいてやろウ」
「そういう意味じゃねーよ!」
クロはキレて本をダヴスに投げつけたが、最も簡単にキャッチされてしまう。
やはり人間では無いのか、ダヴスには情緒というものが汲み取れないらしい。
「聞きたいことを質問するから答えてくれ。それでいいだろ?」
「情報は力なのだがナ。そう急くのは人間の悪いところダ」
「ダヴスさんは人間ではないの?」
「先程言いかけた話の続きだナ。まずは吾のことを知ってもらうとしよウ」
ダヴスは元々、大量の情報を管理するための概念として生み出された。その頃の彼は“シソーラス“という辞典体系であり自我はなく、ただ莫大な情報を保管するだけの存在だった。しかし情報集合体としての位置付けでは情報を効率よく運用することが難しく、情報を外部出力する手段として自我を与えられた。そこがダヴスの興りであり、彼の精神体を具現した時期でもある。
「なんか発生順序が奇妙だな。精神が先で、その後に肉体がついてくるのか……」
「貴様ら人間も吾からすれば奇妙なものダ。先に器としての肉体が形成され、自我が生じるのはそこから3.4年ほど経過した後だというのだからナ。自我が芽生えるまでの肉体は一体誰のものダ?まぁ、このような生命の神秘も気になるところだが、話を続けル」
シソーラス構想当初、それは単に便利な図書館という程度の運用方式だった。それが次第に効率化され、ダヴスという自我を用いて情報の取り出しを容易にし、ついには彼に肉体を与えるに至った。つまりこれが移動式情報端末たるダヴスの完成であり、これによって彼自らで情報を蒐集することが可能になった。また研究者は、一々遠隔地にあるシソーラスまで足を運ばずとも情報を得られるようになったため、一気に研究効率が上がったという話だ。
「自分の足で情報を集める端末。それがダヴス、あんたってことか」
「人間のガワを被っているが、本来の使命は今も昔も変わらず、情報を集めることダ。しかし問題が生じタ」
「問題?」
「5年前の騒動により、ここの──いや、吾の管理体系に障害が入っタ。王城との接続は断たれ、管理者たるカイザー=フリア=ゴールドハウトが絶命。これにより吾は宙空に浮かぶ存在となった訳だが、それでもここから動けないという縛りは生きているため、使命を失ったまま現在まで放置されているというわけダ」
「え、学園長亡くなったの……?まじか……」
またも知っている人間が失われていることに、クロは暗い気持ちになる。
「ダヴスさんは管理者がいないと駄目な存在ということかしら?」
「いかにモ。管理者の意向に従って動くことが吾の使命。貴様ら風に言えば、生きる目的とも言えるそれを失ったということダ」
「それはとっても辛いわね」
「辛い、カ。なるほど、これはそういった感情なのだろうナ」
「ダヴスさんは管理者を失ったわけだけど、それだけじゃ自由になれないのはどういう理由かしら?」
「吾が抱える数多の門外不出の情報が主な理由だナ。そのため吾には様々な縛りが設けられていル。しかしそれは王城と学園、そしてそれらの中間地点たるこの場所──地下研究区画が連綿と接続されていることが前提ダ。現在は管理者の不在と連続性の断絶が中途半端に差し込まれ、吾の存在を不安定なものとしていル。このままでは情報の喪失が危惧され、その対処方法として吾は制約からの逸脱を望んでいル」
情報の保全を最優先に考えるダヴスは、その手段として不安定な管理下から自由な存在への昇華を期待している。しかしそれは彼個人では成し得ない事象であり、外から掛けられた鍵を内側から開けようというようなものだ。
「あんたの状態を元通りにすることは難しいのか?」
「ゴールドハウトが魔導印として所持していた管理キーだが、彼の死と同時に喪失してしまっタ。管理者となるためには、王城から学園までの接続の回復、及びこの地を治める権利を得なければならなイ。それは現実的ではない条件ダ。その条件に最も近しい者は現在学園を牛耳っているレオパルド=バルマ=インドラジットだが、悪き目的に吾の情報を利用されることは避けたイ。だからこそ、吾はここから脱しなければならなイ」
「スヴェンの親父、だっけか。クラベナさんの話にも出てきたけど、アヴェンドロトにはやられてなかったんだな」
「アヴェンドロト……久しく聞かぬ名前だが、なるほどナ」
「知ってるのか?」
「旧知というほどでもないが、互いに認識があル。俄然外の世界に興味が湧くというものダ」
機械的に話すダヴスにしては、少し感情の篭る発言だった。それを聞いてソフィアラは言う。
「ダヴスさんがここから出たいのって、使命というより願望によるものじゃないかしら。多分だけど、使命から一瞬でも解放されたことによってダヴスさんの人間的な部分が刺激されたのよ。私はそんなあなたのお手伝いがしたいわ」
「吾を人間と認識するのは貴様くらいなものダ。しかしその奇特さは少し心地よいものがあるナ」
「まぁ、あんたの状況は理解した。その過程で俺たちが強くなれるって言うんなら、俺もお嬢と同じ気持ちだ」
「それもこれも、まずは貴様らの知識を満たした後に行うとしよウ。……何を知りたい?」
ここでようやく、クロとソフィアラは5年間のブランクを埋める作業に入る。学園を襲った事件の顛末と、リバーにより九死に一生を得た二人の知らない学園の変遷を。
「まずはアルベルタ、ガルド、オリビア……この三人の動向を教えてくれ」
「吾の知る範囲は学園に限った話だが、まずアルベルタ=バルマ=グランドノットについテ」
アルベルタはディスクリートによって学園外へ連れ去られたらしく、詳しい行き先は不明だという。ただ、彼の発言から行き先は魔国領ということは判明しており、そのどこかにいるらしい。しかしこれに関しては5年前から情報が更新されていない。
魔国領は広い。最後に人間が訪れたのも数百年前ということで、その実態は謎に満ちている。
「……フランシスも一緒だったよな?」
「いかにも、フランシス=フリア=スペデイレも時を同じくして学園から姿を消していル。行き先は同じだろウ」
「そうか……。じゃあ、ガルドはどうだ?」
「ガルド=ノサラは個人で学園を出ていル。彼も行き先は不明ダ」
「オリビアに関しては一応俺らも聞いてるんだけど、アマラ先輩とオルエ先輩と三人で学園を出たってことで合ってるか?」
「彼らであれば、学園を襲った広範囲雷撃の前に脱出していることから最も生存確率が高イ。彼らの会話の中で行き先に言及したものはなかったナ」
「そう、か。ひとまず良かったよ……」
「今のところ、少なくとも誰かが死んだということはなくて安心かしら。あとはそうね……マリア先生とランゼ先生、セアド先生の動向も知りたいところね」
「貴様ら、『Disguise』を使用していただろウ。それだけでその者らの生存は分かるはずだガ?」
「どういうことかしら?」
「なんだ、知らんのカ。そのスキルは対象が生者である場合にしか機能しなイ」
「ってことは……マリア先生とセアド先生は生存してるのか。まぁ、貧民街じゃ誰も教えちゃくれないしな」
「貴様ら何も知らんのだナ……。貧民街で何を学んでいたのダ?」
呆れた声がダヴスから漏れる。
「ダヴスさんは貧民街のことをご存知?」
「それらの知識も吾の中にあル。あれは吾が自我を持つ以前から存在しているから不明な点も多いがナ。ただし、過去の勇者が失意の中で生み出した蠱毒だということは事実として存在していル」
「失意って……」
「貴様らも良く知る、召喚に伴う弊害に起因した事象によるものダ」
「まったく、ロクでもないな。……それで、先生らに関してはどうなんだ?」
「マリア=イングリスとセアド=クラフトマンは騒動の最中に学園から忽然と姿を消していル。ランゼ=ハオマだけは学園の旧研究区画に幽閉されているようダ。だが、そこは吾でも情報を得ることができない区画に設定されていることから、幽閉されたという事実しか吾は知らン」
ダヴスでも足取りを追えないということはどういうことかと気になるクロとソフィアラ。
「あんたは学園を全て把握しているんじゃないのか?」
「以前の吾であればそれも可能だっタ。しかし現在の吾は力無き情報集積体であるし、新規に設置された構造には影響力を及ぼすことはできなイ。5年の時間経過で学園内部は様変わりしていル。だから吾が介入できる部分は少なイ」
「じゃあ、学園で行われてる魔人実験については知らないってことか?」
「研究の詳細までは不明ダ。何らかの結果として魔人やそれに類した存在が生み出されるのは確かだが、その過程を知ることは現在に至ってもできていなイ」
どうやらダヴスは万能の存在ではないようだ。彼を彼たらしめている条件──それはつまり学園が以前の学園として機能していることなのだろう。しかし、現在に於いて様々に趣を変えている学園は彼を存在させられる機構を失っており、それによって彼の保有する情報が逸失しようとしている。
クロは思う。確かに情報の喪失は問題だが、そんなものを抱えたダヴスを地上に解き放って良いものだろうか。情報は力であり、誰もが欲するものだ。彼の解放は、ともすればそのまま大きな争いに繋がるという懸念もある。情報は使う者次第で毒にも薬にもなるが、毒となった時の代償があまりに大きいのではないだろうか。
「なるほど、そこに関しては俺たちでどうにかしないといけないわけか」
「そうダ。しかしながら、すでに小さいながら成功を挙げている魔人化実験そのものを貴様らだけで白紙に戻すことは難しい」
「じゃあどうするんだ?」
「すでに完成されている魔人化の術式を奪取し、反転する術式を組み上げる。それを可能にするだけの知識は吾の中にあるからナ」
「それなら、なおさらあんたを解放しなくちゃならないな」
と言いつつ、クロはまだあまり乗り気ではない。ただ、ダヴスの能力を魔人化抑制に使えるのなら、使わない手はない。それはクロたちがやるべき課題の一つとして挙げていた項目だからであり、その一つを誰かに託せるのであればクロたちの負担も減るからだ。
「あア。そのためにはまず、貴様らが学園の中枢へ至れるだけの能力を身に付けなければならなイ。吾を解放するための条件もそこに含まれているからナ」
「具体的にはどうするのかしら?」
「貴様らをここで鍛えた後、学園長たるレオパルド=バルマ=インドラジットを殺害してもらウ。その過程で魔人化の術式を獲得し、吾に齎せば良イ。あとハ──」
「まだあるのか!?」
どこへ至ろうと、やはりクロたちに課せられる使命は増えていく。だからと言ってどれか一つでも蔑ろにして仕舞えば世界の崩壊は加速するため、できることから熟していくしかないのだ。
「当然ダ。学園の中核を成す吾を切り離す条件はあまりにも多イ。ただしこれは後回しにしても構わない要件ダ」
「一応聞いておく」
「魔人化を食い止める、ないしは人間へ戻す術式の完成のために、吾の手足となる人間が必要ダ。知識があるとはいえ、吾がそれを十全に使えるわけではないからナ」
「そうなのか。それで、誰か目星がついてるのか?」
「絶対に外せない人間がいル。それは……セアド=クラフトマンとムラサキ=シズナミ、この二名ダ」
▽
クロたちが帝都に到着する数ヶ月前──。
「ヨウ、雌型ノ魔人ナンテ珍シイジャネェカヨ。今カラ俺タチト良イコトシネェカ?」
帝国における日没後。それは魔人が跋扈する、人間にとっては危険極まりない時間帯であり、人間時間からは隔絶された異常空間である。
魔人たちが夜間に何をしているかと言えば、特に何もしていない。なぜなら帝都が魔人たちの安息の地であるからだ。というのも、帝都の魔人には戦争などの面倒な事象に関わらなくても良いという特権があ流体。ただし、その代わりに人間を襲ってはならないという縛りもある。
帝都に蔓延る魔人は、元々人間だった者が多い。彼らは、将来的に魔人が人間との戦いに勝利すると確信しているため、その時まで帝都でのんびりと暮らそうというわけだ。世界が魔人のものとなれば、そこからは世界中で羽を広げれば良いという風潮が帝都には蔓延している。そして外部からやってくる魔人も、ほとんどがその風潮に当てれらた者なのだ。
「興味ありません。他を当たりなさい」
「チェッ、ツレネェナァ!」
「ギャハハ、振ラレテヤガル!」
「黙ッテロ!」
魔人の集団は去っていく雌型の魔人の尻を眺めながら、惜しいものを逃したという視線を隠さない。
「アンナ上玉ハ滅多ニ居ネェゾ?オ前ラハ犯シテヤリタクネェノカ!?」
「イズレハ子供デモ作リタイガナ。ダガ、長命種トナッタ今デハ、ソウ急グコトデモナイ」
「ソンナニ溜マッテルナラ、人間ノ女デモ犯セバイイダロ」
「ヤダヨ、殺サレチマウ」
「ソレナラ帝都カラ出テ、適当ナ人間デモ襲ウンダナ」
魔人たちは、日々こうやって怠惰を極めている。とりわけ人間から魔人となった彼らは大幅に寿命が延伸しており、時間感覚が大きくバグっている。
やりたいことばかりできる人生というのは誰もが憧れるものだが、実際は暇な時間の方が多く、それはその者を駄目にしていく。そうやって、帝都には自堕落な魔人が溢れつつあるというわけだ。
帝都では人間を襲うことは禁じられている。これは皇帝と新学園との間で定められた決まり事であり、そこへの順守があるからこそ人間と魔人の共存が為されている。しかし魔人にとっては退屈そのもので、いつしか彼らの退屈は暴力と殺人が溢れかえる寸前まできてしまっている。決壊寸前のダムは、何か一つのアクションでもあれば一気にその中身を吐き出しそうだ。
「戻りました」
全身を黒く染めた──魔人としては珍しく人間のフォルムを保った雌型が、特殊な経路を辿ってとある民家へ入った。そこは彼女が普段生活をしている場所であり、彼女のパートナーの研究スペースにも充てられている。
「ああ。その身体の使い勝手に変化無いか?」
帰宅した彼女を迎えるのは、セアド=クラフトマン。彼は現在も帝都に残り、様々な研究を続けていた。しかし彼は学園襲撃以降ほとんど外には姿を出さず、一心不乱に研究を続けている。
「問題ありませんね。人間性を欠くような事態にも見舞われていません」
「人間への復帰は?」
「このように」
ズ──……。
雌型の魔人が胸に手を当てながらそこへマナを込めると、全身を覆っていた黒い魔人部分が末端から失われ始めた。それは撒き散らされた黒いインクが時間を逆走して元に戻るような動きで、ゆっくりと彼女の両胸の間あたりへ収束していく。それによって徐々に彼女の白い肌が顕となり、黒が失われた後には完全に裸体の彼女の姿があった。
「差し障りなく機能しているようだな」
「ええ、そのようですね」
セアドの視線は彼女──マリア=イングリスの胸の間に注がれている。そこには成人男性の拳ほどの大きな傷跡があり、傷の上の胸骨角あたりには魔導印が刻まれている。
セアドの視線は動物的な本能からくるものではなく、研究欲として向けられるものだ。マリアはそれを受けても羞恥心を感じさせない様子のまま、徐に付近の衣服を掴むとシャツとズボンに身体を通した。
「魔人化の前後で変わったことは?」
「特にありません」
「良いだろう。私にはまだやるべきことが山積している。本日の報告は食事の際に聞くとしよう」
「承知しました。食事はすぐに摂られますか?」
「ああ。完成したタイミングで頂こう」
マリアは夜の時間の調査とセアドの食事作成など、日々忙しい。しかしこうやって動けるようになったのもここ一、二年ほどの話だ。それまではこの身体を安定化させるため、様々な地獄のような実験がセアドによって施されていた。その甲斐あって、現在では人間と魔人の両方の姿を取れるようにもなっている。
「この、時間を分ける体制をどうにか壊そうとする動きがあります。どうやら魔人たちは力を持て余しているようです」
「折角魔人になったにも関わらず、魔人化の恩恵を振りかざせないのだから当然だろうな」
「その中で珍しく精神に不調を来していた魔人がいましたので、尋問の後処分してきました。これがその魔核になります」
セアドとマリアは決して楽しげではない会話を弾ませながら食事を摂る。このようにまるで夫婦のような生活をしながらも、今の所は共同生活をしているだけの同僚だ。
二人の興味は専ら帝都の事情に関わるものであり、彼らは独自に世界修繕する方法を模索している。
「見たところ、魔核には特段異常を来している部分は見えんな」
セアドは魔核を手に取りながら、じっくりと観察してそう言った。
「魔人の全ての機能を司る部分が魔核以外にもあるということですか?」
「その可能性は高いだろう。その魔人だが、肉体的な変調は見られなかったか?」
「元々異形化深度が高く、それ以外に目立つ部分は無かったかと」
「それならやはり魔人化した時点で問題がありそうだな。その者は人間からの到達者なのだろう?」
「尋問した限りはそうでした」
「そうか。しかし問題は──」
「人間であった頃の記憶の著しい欠落、ですね。記憶による部分も魔人の精神状態に大きく関わっているかと愚行します」
「ただ、そればかりは魔核からは読み取れないのが難儀なところだな。私としては、記憶は後天的な要因の一つとして機能していると考えている。根本の原因はやはり、魔人化術式にありそうだ」
「どの伝手を辿っても術式の入手は困難でしたが」
「そろそろ私たちも本腰を入れて動かなければならないのかもしれんな。しかしその前に、君の身体を万全にしなければならない。万が一にでも君を失うわけにはいかないからな」
「それはなかなかに熱いセリフですね、セアド先生」
マリアがおどけた口調で言う。
彼らは長らく苦楽を共にしてきた仲だが、そこに恋愛感情は存在しない。ただ、それに近しい感情は僅かにだがある。
「そのようなつもりは一切無かったのだがな」
「先生に繋いでいただいた命ですから、好きに利用して構わないのですよ?」
「なにを巫山戯たことを。私は君の有様にこそ興味があり、身体そのものへの興味は然して存在しない」
「それでも僅かにはあるのですね」
「人間としての本能的な部分では確かに存在するが、私の研究意欲が全てを霧散させる。未だ君は私の研究対象なのだから。ただ──」
「……?」
セアドが眺めるマリアの胸の部分、その服の下には彼も把握しきれていない奇跡が成立している。
マリアは学園襲撃時、ニコラスとの戦いに敗れた。その結果ニコラスの魔法によってマリアは心臓を貫かれたわけだが、絶命必至なギリギリの状況でセアドが彼女の元に訪れた。
セアドはマリアの状態が応急処置程度では到底間に合わないと判断して、魔核による対応を行った。しかしそこで利用されたのは教団が配布している魔核ではなく、セアドが独自に開発していた擬似魔核。それを心臓の代替として利用し、加えて特殊な蘇生方法も施行した。それは、マリアに根付いている魔導印を魔核と接続させるというもの。
セアドはマリアが魔法生物を使役しているのを知っていた。『守護霊獣』と呼ばれるそれは教会が生み出した生命体であり、魔導印によって使用者を守護する役目を引き出すことができる。
魔核それだけで人間の心臓を代替させることは到底不可能だった。そこでセアドは守護霊獣の役割に着目し、使用者の生命の危機と救命可能な状況をうまく作り上げたわけだ。状況を与えられた守護霊獣は本能的に使用者を救い、結果として魔核が心臓に、守護霊獣がペースメーカーとして作用した。
マリアが命を長らえたのはセアドによる救命が行われたからだが、とある弊害も存在していた。それは、教会の崩壊。彼女が蘇生したのと時を同じくして、レオパルドとアヴェンドロトの争いが勃発していた。
守護霊獣は教会の守護に利用されるはずだったが、その時すでにそれはマリアの身体に固定されていたため、本来の役割を果たすことができなかった。つまり、セアドの判断が間接的に教会の崩壊を導いたということだ。ただ、それがなくても教会は失われていただろうし、結果論といえば結果論だ。
教会が失われ、コルネオが死亡しても、世界を救うという灯火は失われていない。コルネオの遺志はオリビアが継ぎ、教会の崩壊によって守護霊獣が消失する未来はセアドによって防がれている。とにかく、未来に必要な人材を維持することはできている。
──テーブルがガタンと揺れた。
セアドがマリアの顎をくいと持ち上げ、鋭い眼差しを向けていた。そして言い放つ。
「お前が心から望むというのであれば、断ることは不躾であろうな」
「女の方から言わせるなんて、意地の悪い男ですね」
そこから先に何が起こったかは、推して知るべしといったところだろう。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
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作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。