第154話 陥落
「トンプソン様……」
「君は勇者連中を処理し給え」
「御意に」
ズァ──。
トンプソンと呼ばれたシルクハットの男。
彼の両腕が急速に膨れ上がった。
その片方はロドリゲスの前方へ至り、エリザの光剣を指先で器用にキャッチしている。
またもう片方は手掌を大きく広げ、それぞれ指の間で四本全てのアイゼンの光剣を捕まえていた。
「ロード、フォースド レヴィーズ」
トンプソンはキャッチした光剣を、倍する速度で使用者それぞれに送り返した。
アイゼンとエリザはそれぞれ盾を出現させて防御へ回る。
トンプソンは必殺の奇襲を難なく防御して見せたところで、続けて魔法を発動。
側には物言わぬ二体の魔人が出現していた。
それらが目を閉じながら頭を垂れているところを見ると、恭順しているという姿勢が見てとれる。
「では、処理して参ります」
一方のロドリゲスはトンプソンによる防御の裏で合掌の姿勢。
彼の両手掌には同系統の魔法陣が彫られており、合掌を解く過程でそこに禍々しい小太刀が出現している。
本来魔法を使用できない彼が可能なのはマナの放出のみ。
魔導具の利用と刻印魔法のみが彼の魔法的攻撃手段。
なおかつロドリゲスは適正属性を持たないため、生活系と特殊系、そして闇属性しか使えないということになる。
今回の刻印は闇属性の魔剣召喚。
「リーサルマジック、ロード」
トンプソンが下僕の頭部を掴みながら発したのは犠牲魔法の起動符。
同時に魔人が粒子となって掻き消えた。
一気呵成に責められた中で未だに攻撃姿勢を取っているのは勇者二人。
というより、この時点で攻撃準備が完了したのが彼ら二人ということ。
シロとアオから同時に魔法が放たれた。
「フォトン スプラッシュ!」
「サルフュリック アシッド!」
空間を彩る無数の光弾と、トンプソンらを丸呑みにせんとする酸の雨。
それらが回避不能なほどの密度で彼らを覆い潰そうとしていた。
その時、ロドリゲスの姿が消えた。
小太刀の魔剣に付与された効果は瞬足、そして──。
視界を覆い尽くすような攻撃を仕掛けてしまったがために、この時シロとアオはロドリゲスの姿を見失っていた。
その瞬間に行われた、ロドリゲスによる高速移動。
魔剣の効果が最大限に発揮できるタイミングが訪れてしまった。
彼の動きを捉えられていたのはトンプソン、そしてなんとかアイゼンも動きを目で追うことができていた。
だが、それに対処するのはトンプソンでさえ難しい。
ロドリゲスは一度玉座の間入り口付近の壁際まで移動した。
この時点ですでにシロ、アオ、そしてエリザの背後を取れており、ロドリゲスはそこから難なく三人を切りつけた。
「ぎゃッ……!?」
「な──!?」
「え、ぎ……!」
一太刀目で勇者の背後に居座るエリザが傷ついた。
その声に反応するより早くロドリゲスが駆け抜け、ほぼ同時に勇者二人に手傷を負わせた。
と同時に、二本の赤い線条がエリザに刻まれていた。
「何、を──」
とシロが言いかけた時、トンプソンの本命が火を吹いた。
「カースド プレィグ」
勇者二人の攻撃がトンプソンに触れるより早く、全てを吹き飛ばす闇の波動が全てを貫いた。
波動による余波によって、トンプソンに迫っていた攻撃は使用者たちに迫る逆波として襲い掛かった。
またトンプソンの魔法自体も玉座の間を蹂躙し、そこに存在する全ての生命に対して魔法防御を無視した疫害の呪いを掛けた。
ロドリゲスはそれを読んでか一時的に玉座の間から撤退している。
「あ゛ああッ……!」
「うぐ……ぐ……」
「シロ様、アオ様……」
悲鳴が聞こえる。
それはシロとアオの二人から。
彼らは跳ね返された自分たちの攻撃から身を挺してエリザを守っていた。
攻撃性の高い魔法だけあってそれを返された場合の備えはあるが、エリザに関しては別だ。
まともに受ければ重症は免れないだろう。
キィィン──ッ。
トンプソンに迫る光属性の王国騎士。
その巨体から繰り出される大剣はやはり、トンプソンによって容易に止められている。
トンプソンは徐に空いている方の手を騎士に向け、そこから黒い魔弾が射出された。
「なん──という威力……!」
粉々に砕け散る光の騎士。
貫通した魔弾はアイゼンへ迫り、すんでのところで出現した光の盾により弾かれた。
盾の一部が大きく欠損している。
魔弾そのものにそれほどのマナが込められているとも考えられなかったが、予想よりも遥かに大きな効力にアイゼンは驚くばかり。
王を守るはずの機能が損なわれ始めたのだろうか。
いや、違う。
劣勢を強いられている以上、それらの機能はむしろ向上するはず。
であれば、これは先ほどトンプソンによって齎された魔法の効果だろう。
「あ゛ぁ……ッ!」
ここで再び悲鳴が上がる。
アイゼンが何が起こったのかと声の先を見れば、継続して全身に生傷を作り続ける勇者及びエリザの姿が。
彼らは見えない何者からの謎の攻撃によって襲撃を受けている。
三人が同時に生傷を作り、なおかつその位置もランダム。
容赦の無い連撃は三人の皮膚を削り、体力を削り、出血量を増やしていく。
血溜まりが広がり、三人は動きを鈍らせていく。
その間もアイゼンによる応酬がトンプソンに向けられるが、その全ては徒労に終わり、アイゼンの表情が苦々しく塗られる。
「そろそろ良かろう」
「畏まりました」
トンプソンの言葉を受けて、ロドリゲスがゆらりと室内へ姿を見せた。
その手には未だに小太刀が握られている。
動きを見せるシロとアオ。
すでに動きを止めたエリザと違い魔法を詠唱する余裕さえ残っているが。
「ロ──ッ……!」
ザシュ──。
ロドリゲスが軽く小太刀を振るうと、それに合わせて三人から血飛沫が飛んだ。
攻撃を受けたことでシロたちの詠唱が中断される。
エリザだけは悲鳴を上げず、身体がピクリと軽く跳ねさせている。
何度立ちあがろうとも、その度にロドリゲスによる斬撃が彼らを苦しめる。
「殺さなくとも?」
「まだまだ彼らには用途がある。動きを封じる程度にしておけ」
「そうですか……」
ロドリゲスが三人、とりわけシロとアオに向ける視線は怒りでもなく嘲りでもない。
そこにあるのは憐憫。
シロたちがそれをどう受け取るかは分からないが、ロドリゲスはこれからも絶望に飲まれていく彼らに対してそのような視線を向けずにはいられない。
ここで殺してしまえば幸せのまま死ねるというものなのに。
しかしそれをトンプソンが許さないというのであれば、ロドリゲスとしてできることはない。
彼ができることは、せめてもの餞として哀れみを送るのみだ。
ザン──。
無慈悲な斬撃が数発。
アオ、そしてシロと、順に意識を失っていった。
ロドリゲスの魔剣は起動後暫くの間、呪いによるダメージを受けない。
それは規定時間以降、その一定期間内に切り付けたものを呪いの対象者とし、斬撃によるダメージを押し付ける。
もちろん時間内の攻撃に成功しなければ使用者にダメージが飛ぶが、そんなヘマをするロドリゲスではない。
使用者の速度を限界を超えて引き上げる代償として魔剣から受けるダメージは本来微々たるものだ。
しかしそこはトンプソンの魔法によってカバーされていた。
トンプソンが使用した犠牲魔法は、効果を受けた者の闇属性耐性を極限まで低下させるもの。
魔剣による呪いが闇属性に属しているということはドクターの過去の経験から判明しており、これによってロドリゲスの魔剣は呪いによるダメージを最大限まで伸ばすことに成功していた。
犠牲魔法使用に際してトンプソンが期待した効果はそれではないのだが、副次的に勇者たちを抑えることに成功しているし、なにより犠牲魔法として使用することで相手の耐性を貫通して効果を与えられるところが大きい。
その結果、勇者とエリザ、そしてアイゼンはモロに魔法を受けることとなった。
もちろんそれはアイゼンの召喚した騎士にも有効だったようで、トンプソンの単なる魔弾は騎士を粉々に粉砕するほどに威力を上げていた。
つまるところ、この場において王国勢がトンプソンに勝てる確率は非常に低く、命が奪われないことは大変な幸運だったと言えよう。
こと命についてのみ、だが。
「これで少しは冷静に話ができるというののではないかね、アイゼン?」
「やはり魔人であったか。エリザもよせと言うに……」
そのエリザはとうに動かない。
「それで、渡してくれる気にはなったかね?」
「貴様はいつもワシの邪魔ばかり……。ヴィクトリアだけでなくこの国も奪うと言うのか」
「国とは言っていない。国の基盤たる術式、人民からマナを搾取する方法を開示しろと言っているだけだ。そうすれば全てを救ってやれる」
「救うとは大きく出たな。魔人お得意の二枚舌か?貴様はヴィクトリアを守るという約束さえも守れなかった愚者だ。そのような者に……人類の敵に渡すようなものは存在しない」
「私は約束を守っているさ。君が知らぬだけで、な。それに私は人類の敵にはならぬさ。我々の軍勢で唯一私が、人類への慈愛で溢れているのだから」
「その方法がこの地獄か?」
「この程度が地獄とは、おかしなことを。君は貧民街を見ているだろう?全ての人類が等しくあのレベルまで堕ちればこそ地獄というものだ。君のような為政者がいては真の平等は訪れん。人類は全員地獄を味わって初めて平等という概念を理解できるのだよ」
「結局は貴様個人の願望に過ぎんな。そのような感傷に我々人類を巻き込むな」
「どうせ滅ぶのなら私が有効活用するだけのこと。そのための足がかりとして、実験場として王国は利用させてもらう。だからその場所を離れるがいい。そこは、玉座は君には過ぎた居場所だ」
「退くつもりが無い、と言えば?」
「その場合、君は民衆を救えなかった愚か者として未来永劫に奉られるだろうな。愚者の偶像も時には必要だ」
「殺せ」
「ふん、つまらんな。君への興味は今ここで消え失せたよ。君が吐かぬというのなら、国を支配したのちにゆっくりと探させてもらおう。そして後の処理はロドリゲス……君に任せよう」
トンプソンが退がり、ロドリゲスが前に出る。
「実に醜いな、お前は」
「一介の貴族如きが何用だ?ワシの父に与えられた爵位に不満でもあるのか?」
「……私を見ても何も思わないのか?」
「何を思ってやればいいというのだ?そもそも、貴様に恨まれるような謂れはないのだが」
「では、フィルリアという名前に覚えはないか?」
「誰のことだ?」
アイゼンの顔は本当に何も知らないという様子だ。
それがロドリゲスにとってはあまりにも悲しく、そして腹立たしい。
「お前にとってはその程度か、フィルリア──私の妻の命は……」
「貴様の妻とやらが誰かは知らんが、関わりのない人間のことをワシにあれこれ言われても困るな」
「……クズめ。そうやって切り捨てるんだな、そこの勇者という暴力装置のことも」
「何……?」
「勇者が手に負えないほど増長した場合、彼らが自滅するように術式が組み込まれている。魔王さえ処理して仕舞えば彼らは用済みだが、自らで呼び出しておいてこれは随分と身勝手じゃないか?」
「貴様、それをどこで──」
「嘘……」
ロドリゲスによって意識を失っていたはずの三人。
その中で最も早く意識を回復したシロが会話を耳にしてしまっていた。
「これはロドリゲス、君の落ち度だ。案外君が一番酷いのかもしれんぞ」
トンプソンがやれやれと言った様子で肩を竦めている。
そしてトンプソンからシロへの追撃が飛ぶ。
「勇者諸君の自己犠牲は大変に素晴らしいが、他者に強いられたそれは如何なものなのか」
絶望に塗られたシロの表情は、王国が魔人トンプソンの手に落ちることを憂いたものに見えなくもなかった。
▽
「それが四年半も前のことですか……」
「あんさんらが何も知らないことに違和感しか感じねぇですが、その事件を皮切りに世界はおかしくなり始めたんです」
魔王という個体は未だに確認されていないようだが、状況からしてそれは間違いないらしい。
それは王国の中に発生し、黒いマナを世界中に振り撒いたという。
世界に満ちるマナは濃度を増し、そして人間にとって害のあるものとなった。
「結界内の魔法使用であれば問題ない、と?」
「さて、それはどうなんですかねぇ。影響が皆無と言えるほど、コレらの知識は深くねぇんで。とにかく、結果外で積極的に魔法を使用する人間は最近めっきり減りましたな。しかしこの事実が知れ渡る前は、どこもかしこも大変で大変で」
魔王復活が囁かれた頃、世界中に黒い樹木が生え始めた。
それらの出現当初は大した調査などは為されず、地面から黒い何かが生えてきている程度の印象だったらしい。
というのも魔王の出現や王国陥落、そして教団の台頭など、世界には問題視されるべき事件が多過ぎた。
それに初めて気がついたのは、片田舎の小さな集落。
集落には教会すらなく、もちろん結界の類なども存在しない。
ある時、村の若者の様子がおかしくなった。
彼はどうしても近くの森が気になって仕方がなく、仕事をほっぽり出しては森に通い、夜中に起き出しては森に侵入を繰り返していたらしい。
彼の向かう先は、森の中にいつの間にか生えていた一本の黒い樹木。
彼は脱走の度に家族や集落の大人に連れ戻されるわけだが、しまいには錠付きの小屋に収容されるまでになった。
そうやって彼の動きを制限していると、発狂したかと思えば急に黙り込んだり、過度な発汗が見られたり全身を掻きむしったり、どうにも尋常ならざる様子になることが多くなった。
それを見かねた家族が一度彼を解放したところ、ついに彼は戻らなくなった。
彼の失踪に対して捜索が行われたが、行く先は分かっていたため大した苦労もなく彼は発見された。
ところが彼は黒い樹木に抱きつくような形でピクリともせず、愛する我が子を抱きしめるように樹木を抱擁し続けていた。
大人数人掛かりで彼を引き剥がそうとするも効果がなく、その日はすでに遅かったということもあって一旦彼を残して集落に戻ることになった。
その翌日住民が彼の様子を見に現場へ向かうと、すでに彼の姿はなかった。
というより彼は樹木と一体化しており、彼のシルエットと思しきものを残すだけとなっていた。
彼の肉体も真っ黒く変色し、肌の感触も木々のそれだったらしい。
幸運なことにその日は集落に帝国からの行商が訪れてくる日であり、その異常事態は行商を通してすぐさま帝国に伝えられたというわけだ。
「あんさんらも見たでしょう、外のやけに盛り上がった黒い木々を。本来の黒い樹木は枝を伸ばす程度のものなんですが、その盛り上がりは全て人間から出来上がってやがるんです。マナを放出するのも木々の人間部分からなんで、気持ち悪いったらないですな」
魔国領に潜入したことのある人物曰く、黒い木々は珍しくもないものだったらしいが、少なくとも人間界で見かけたことはなかっという。
しかし魔王復活を機にそれらが増えてきたことで因果関係が確立され、噂程度だった黒い木々の話も信憑性を持ち始めた。
そこから犠牲者を出しつつも研究が進められ、現在では黒い樹木は魔獣以上に危険な存在に昇華されてしまったというわけだ。
「結界の外でマナを吸いすぎる……というか、魔法を使ってマナを取り込むと、その彼のように狂ってしまうということですか」
「その通りですな。なので魔獣退治のハンターなどがめっきりと減少して、外は更に人間の生きづらい世界になっちまったって話です」
「なるほど。では、領域が出来始めたのはどういった経緯です?」
「それはですね──」
黒い木々──クロたち的に黒樹は、都市などの大きな単位の中には存在しないことが分かってきた。
そして都会という単位以外でも、教会の設置されている村や集落でさえ黒樹が生えてくるということもなかった。
以上のことから、黒樹は結界及び光属性の影響下では育たないのではないかという推測が立てられた。
実際に行われた調査でも、黒樹の付近で結界を作動させた場合、ある一定以上の強度でもってすれば黒樹の成長を阻害することさえ可能だったという。
しかしそれにしては黒樹の植生範囲があまりにも幅広く、全てに対処することは困難。
ということで、個人では対応しきれないのなら集まれば良いのではないかという話になる。
個人で結界魔法を起動できる人間は希少。
それに対する教育が遅れて始まっているとはいえ、世界の内側で脈動を続ける黒樹は待ってはくれない。
初めは、個人の結界を同属性が補助する形で結界の強化維持が為された。
その後は簡易であれ結界を展開できる魔導具の大量生産が行われ、次第にその精度は増していった。
今では結界魔法を使える人間がいなくても、マナを継続的に注入していれば展開できるような魔導具が主流となり使用され続けている。
「結界魔導具を世界中にばら撒けば、黒い樹木の対応はなんとかなりそうですね」
「いえ、それがそうでもなく。それらの木々と結界が競合する関係上、結界魔導具は消耗が早くなっちまうんですよ。あれはあれで消耗品なんで、長く使用するなら必要最低限の範囲でなおかつ木々の少ない場所がいいってこと話なんですぜ」
「そういえばお嬢も木から何か出てるって言ってましたね」
「私の見えてるものが私だけのものじゃなくて良かったわ」
「フィアさん、あんさんが見えているものをお教えいただいても?」
「サットンさんの言った通りよ。木の人間部分からマナを放出するって言っていたけれど、膨らみから断続的に噴き出す胞子のようなものが見えたからそれも間違いないわね。あとはそうね……その胞子が浮遊できる距離が一定範囲内に限られていたから、あれは木々それぞれが持つ結界みたいなものなんじゃないかしら。私たちはあれを避けるように移動してきたわけだけど、見えないなら不用意に近づいちゃうのも頷けるわね」
「……!」
「胞子を吸い込んだら気が触れてしまうってことですかね?」
「どうなのかしら。それを検証するには危険が多すぎるわ。状況証拠的に間違いなさそうではあるのだけれど」
「フィアさん!」
ドン、とサットンが机を叩いた。
「な、何かしら……?」
ソフィアラが怯えている。
そう危機迫る様子で来られたら、誰でもそうなるだろう。
「あんさんにお願いが!」
「だから、なに……?」
「その目を使って安全な移動ルートを確立していただきたいんです。そうすれば領域ごとの行き来も可能になるってもんで」
領域として各属性ごとの集落を形成して以降、人々は結界の外に出なくなった。
安全地帯と決め込んだ領域の外では黒樹は着々と範囲を広げ、それらが生えた場所では他の植物が一切育たなくなっていった。
動物園に囚われた獣のように人間たちは領域内での生活を余儀なくされ、ゆっくりと乾涸びていく。
それがこの世界の多くの人間に訪れた残酷な運命。
「安全が確保できていないならこうやって引きこもるのも頷けるな。それでお嬢の力が必要って考えもわかる……が、その見返りは?」
「ワカロさんはやけにがめついですな。人類のための願いに対してその反応はないんでは?」
「あいにくとあまり他人を信用できない環境に置かれていたんで。だけど自分達は安全圏から高みの見物で、危険な役目は俺たちに、って考えは理解できませんね。手伝うことにはやぶさかではないですが、リスクに見合った何かを得られなければ俺たちは動きません」
「俺たち?フィアさんも同じ考えで?」
「サットンさんから状況を聞いても、まだそれがそれほど深刻なものには私も思えないわ。大変なのは分かるのだけれど、私たちのくぐり抜けてきたものからすれば、この世界は温いと言わざるを得ないわね」
「……コレらの実情を随分と軽く言ってくれますな」
「馬鹿にしてるつもりはないのだけれど。こうやって生活できる住居があって、三食も摂ることができて、なおかつ空気も自由に吸えるなんて。あなたたちは恵まれているわよ」
「どこで生活していたか分かりませんが、あんさんらはコレらの苦労を知らずにそう言っておられる。真綿で首を徐々に絞められる現状をして、それは地獄以外のなにものでもありません。あんさんらの今の発言、訂正してください。それともなんですか。これ以上の地獄を知っているとでも?」
どうにも喧嘩に発展しそうな状況だ。
お互いがお互いを知らず、憶測だけで話すこの状況はあまりよろしくない。
どちらが上だとか、どちらが下だとか、今はそんなことにこだわっている場合ではない。
しかし二人にとってサットンの話からはそれほど深刻さを感じられないし、行動もせずにただ不動を保っているだけの連中になにを言われても心には響かない。
本当に苦しいのならその必死さを見せるべきだと思うし、そうは見えないのは二人の感性が大きく変化したことに起因するものだろうか。
「さて、どうかしら。でもそうね……一万分の一の生存競争を勝ち抜いた私たちからしたら、まだまだ諦めるには早すぎる状況じゃないかしら?」