第153話 王国
とある夜──。
「ッ……!?」
青山コウタは悍ましい何かを感じ取って立ち上がった。
「アオ、どうした?」
赤井ダイチと白石メグミが怪訝そうに彼を見ている。
彼らは未だに世間を騒がせている教団及びそれに続く暴徒、そして魔人について対策を講じている最中だった。
そこに突然のアオの行動。
話を中断するには十分すぎる、違和感ある動きだった。
「またなの?」
「うん、そうみたい」
「最近多いよな。いつもだと大したことない魔人の発生だったりするけど、今回のは何か違うのか?」
「今回のは多分……今までの比じゃない」
「教団の脅威も去っていないのに……って、まさか教団関連の予兆?」
アオはいつからか『Sniff』のスキルが発現していた。
王国勇者三人の内で最も魔法に精通し、そして成長の中でアオは誰よりも周囲の変化を鋭敏に感じ取るようになっていた。
その結果生まれたのがこのスキル。
「違う、と思う。だって危険信号を発してる先が王都の中にあるんだから」
「「……!」」
「場所の目星は?」
「ヒースコート邸だと思う。危険信号を発している方向にあって、なおかつある程度の地位がある貴族の邸宅はあそこしかないから」
「クロが姿を消したのもあそこだし、エリザがずっと警戒してるのもあの貴族だから間違いないんじゃない?」
「そうだな。アオのそれが外れた試しはないわけだし、これは口実を得られたと思っていいだろうな」
「そこのあなた、急ぎエリザを呼んできてちょうだい。すぐに動ける人材を用意して、とも伝えてちょうだい」
シロは室内に控えていた使用人に声を掛け、行動を急ぐ。
アオのスキルはこれまでに100%の精度で危険を予測してきた。
そして今回も例に漏れず危険信号を確と捉えている。
しかしそれが効果的なのは、相手がチンタラとしている場合に限る。
使用人が出ていったのを確認して、三人が装備を整えようと動き出した時。
ズズ──。
「何……?」
「これは二人も感じる?」
「すまんが俺も肌でビシビシと感じているぞ、この嫌な波動を……ッ!」
迸るマナの波動。
それは脈打つように断続的に世界へ拡散され、それが通り過ぎるたびに受け取った人間に不気味な胸騒ぎを起こさせる。
「み、みなさん、お気づきですか!?」
衣類が乱れたまま慌てた様子でエリザが飛び込んできた。
「ああ、気がついてるぞ!」
「いえ、そうではなく!」
エリザが指差した先、窓の外には驚くべき光景が広がっていた。
エリザを含めた四人が窓辺に駆け寄ると、天高く吹き上がる赤黒い奔流がそこにはあった。
あまりにも毒々しいマナの放出は地上数千メートルまで及び、そこからスプリンクラーのように世界へ拡散を始めている。
その源泉はアオの指摘した通り、ヒースコート邸に違いはない。
「そろそろだとは思いましたが、まさか今日、この国で始まってしまうとは……!」
「何が始まったというんだ!?」
「アカ、冷静に考えて。その存在を知らずとも、これは私にだって分かるわ。それとアオのスキルだけど、意味もなく発現したとは思わなかったけど、たぶんこれを予期したものだったんじゃないかしら」
「そうだね……」
「あそこに居るのは恐らく……今代の魔王でしょう……」
「はあ!?なんで国の内側から……!地面に埋まってたとでも言うのか!?」
「分かりません!分かりませんが、早急に対応しなくては!」
歯噛みしながら悔しげに言うエリザに、追い討ちをかけるように事態が進行し始める。
一瞬、王都内で輝きが見えた。
「え──?」
直後、窓ガラスが粉々に吹き飛んだ。
衝撃の後に襲い来る爆裂音。
ガラス片を受け、何かが爆ぜた衝撃により壁に叩きつけられるエリザ。
シロたち三人は咄嗟の判断でなんとか対応できたが、問題はエリザの方。
叩きつけられた衝撃で彼女は昏倒し、ガラス片をモロに受けて皮膚の至る所が無惨に切り裂かれている。
「シロ、大変だよ!治癒魔法を!」
「分かってる!でも……!」
窓の外の光景に後ろ髪を轢かれるようにシロはエリザの元へ動き、それによってアカとアオの目に顕になった実情。
それは、炎に包まれた王都の姿だった。
それにしても視界が広い。
いつも窓から見えている景色が一変している。
それもそのはず、王都を囲んでいたはずの城壁が全周に失われているのだ。
炎禍により煌々と照らされた結果、城壁の消失が明らかとなった。
「──で、あれ……え……?」
「なに、が……?」
三人がパニックになる中、王都全域が突如黒く輝いた。
それは魔法発動の兆候。
各所で黒い柱が立ち上がり、上空から確認すればそれらが規則的なつながりを持って配置されていることが見て取れただろう。
たとえそれが確認できなかったとしても、王都全域を含めた大規模な魔法が発動されるであろうことは誰の目にも明らかだった。
「アカ、あれ……」
アオが力無く指差した上空には、王都と同サイズの黒紫色の大気の歪みが確認できる。
それは無秩序に震え、今にも何かを生み出しそうな挙動を示した。
ドプ──。
誰もが見守る中で堰を切ったように降り注ぐ何か。
遠目には確認できずとも、数十秒と待たずに接近するそれらを見れば正体にはすぐに近づける。
それは人間の畏怖の対象である魔人。
大小様々な異形の魔人が雨のように降り注ぎ、多くは激しく地上へと叩きつけらえた。
いくつか宙を舞っている存在も散見できるが、その悉くは落下の衝撃で爆散し、体液を撒き散らし、建造物を破壊し、人々に恐怖を与えている。
「シロ、エリザの様子は!?」
「たった今治癒魔法を掛けているけど命に別状はないわ!ところでこの衝撃は何?二人とも、外の様子を教えて!」
「魔人、だよ……」
「えっと、何……?」
「だから無数の魔人が降って来てるんだっ──」
そんなアオの叫びを掻き消すように、室内が揺れた。
見れば、一体の魔人が窓を破壊して侵入してきている。
相当高所から落とされた影響かその肉体は至る所が拉ているが、這うようにして四人の元へ向かってきている。
恐ら低級の魔人なのだろうが、本能的に近くの人間を襲うように動いていると見える。
魔人は核を壊されなければ死なない。
だとすれば、上空のあれがある限り同様の現象が。
「こん──のッ!」
すぐさまアカが間に入り、炎を乗せた拳で魔人の胸部を貫いた。
魔人はそれを受けて断末魔を上げ、力無く震えるとドロリとその肉体を液状変性させて死亡した。
「ロード、フルストレングス!まずい、王都全域が魔人の雨に襲われてる!この王城も例外じゃない!シロ、行くぞ!」
「エリザを置いていくつもり!?」
「そんなことは言ってない!意識が無いならひとまず安全なところへ避難させないと!王の無事も確認しなきゃならん!」
「そ、そうね……まずは安全確保よね。どうかしてたわ。ここにいたって安全なことなんてないんだから」
「治癒は完了したか?」
「概ね大丈夫なはずよ!」
「──アクアスパイラル!」
シロとアカの背後でアオの魔法が響いた。
「どんどん入ってきてる!ここはボクに任せて二人は先に行って!」
「分かったわ」
「シロ、エリザはお前が抱えてくれ。俺は先行して安全を確保する!」
アカが廊下に出ると、すでにそこは慌ただしく動き回る人間でいっぱいだった。
当然のように数体の魔人が入り込んで来ている。
「ロード、メルティング フォース」
アカの手が赤熱し始めた。
先に動き出していたアカの姿が掻き消えた。
かと思いきや、すでに彼の身体は一体の魔人の目前へ。
アカはそのまま魔人の頭上から真下へ腕を振るった。
彼の触れた魔人の頭部から下腹部まで、それらは軒並み煙を上げながら溶解した。
アカの攻撃の過程で破壊された魔核の結末をもって、魔人の生命に終止符が打たれた。
「次ィ!」
視界内にいた数体の魔人。
それらはアカの手によって見事に駆除されていった。
だが、全員が全員無事だったと言うわけではない。
魔法的技能や護身術に疎い人間から魔人の犠牲になり、少なくない数の遺体が転がっている。
この狭い範囲だけでこれなのだ。
モロに魔人の襲来を受けた城下町の人間にはこれ以上の災禍が訪れていることだろう。
シロはそんなことに思いを馳せるが、まず守るべきは自分たちの命。
次にエリザや王の命だ。
命の値段は等価値ではない。
王と市井の命なら、当然前者が優先される。
それは担うべき役割や抱えている資産、そして保有している魔法などの情報に起因する。
「アカ、王は!?」
「待ってろ。ロード、インフラレッド サイト」
アカの両目が赤い光を帯びる。
そのままぐるっと見渡すと、目的の人物が壁越しに発見された。
「玉座だな。王の自室よりもどこよりも、魔法的な備えならあそこが一番だってことだな」
「了解よ。急ぎましょう」
エリザを抱え、二人はアイゼン王の元へ。
傷を負った者もちらほら見られるが、今は構っていられない。
「んな!?」
襲撃はなお続いていることを示すように、二人の目の前の窓が吹き飛んだ。
随分と小柄な肉体に、不釣り合いな翼。
飛行型の魔人が王城に転がり込んできている。
自由落下で王都を侵す魔人とは違い、自らの意志で乗り込んできた魔人。
流暢に言語を解している様子からも、明らかに下級魔人ではない。
「ケヒヒ、奪ウナラココ以上ノ──ヒキャッ!」
先制攻撃を仕掛けたはずのアカ。
その手は溶解能力を宿しているはずだが、翼魔人は器用にそれを両手で受け止めている。
火属性の炎熱効果であらゆるものを焼き切るだけでなく、同系統の魔法支配権を奪うことすら可能な掌握系統の強化魔法。
それをもってしても翼魔人の手は焼けないばかりか、指を絡めてガッチリとアカの両手が固定されている。
アカは翼魔人を引き剥がすべく即座に足技を繰り出そうとしたが、何故か両脚が空を蹴った。
「コイツ……離──ッ……!」
同時にアカの両脇で爆散する風圧。
気づけばアカは超速で窓の外へ引っ張り出されてしまっている。
翼魔人の一呼吸の翼撃でアカの身体は宙を舞い、そのまま高速で天高く上空へ。
必殺の強化魔法も、脚を使った攻撃も、凄まじい引力で真上に引っ張り上げられているために翼魔人へは届かない。
そればかりか顔面に受ける風圧によって魔法詠唱すらままならない状態だ。
ふと両手が離れた。
「最期ハミンチガオ似合イ、ダ!ケヒヒ!」
悍ましい笑顔を最後に、翼魔人はアカを地上へ突き放した。
すでにここは上空数百メートル。
縋るようなアカの手も空を切り、降り注ぐ魔人の群れに加わって真っ直ぐに地上へ。
「んな……!?ロ、ロー、ド!」
アカはグルグルと全身を回転させられており、目まぐるしく視界が変化し続ける。
そんな時間も良くて数秒だろう。
判断を誤ればこのまま大地に赤いシミを作ることになる。
「赤井ダイチが大地に……ふふ、あほくせぇ!バーニングフレア!」
自分で考えておきながら、そのあまりのつまらなさに笑いが漏れ、アカの思考が正常にまで引き戻された。
三半規管は正常に機能していないが、重力の向かう先だけはなんとか理解できる。
アカは両手を地面に向けると、火炎放射の如く手のひらから魔法を噴出した。
落下の勢いが減じられるも、地面は直近。
アカは減速も虚しく、激しく全身を打ち付けた。
「……ぁ、が……ッ!」
強化魔法の効果で即死は免れたが、それでもダメージは甚大。
しかし、なんとか動ける。
それより問題は、シロたちと引き離されてしまったこと。
急いで戻らなければならない。
あのような魔人が複数いるのならば、無事でいられる人間は少なくなってしまう。
それにしても、落下したこの場所は見覚えがある。
何度か通った食堂のある場所だが、見事に破壊し尽くされてしまっている。
そしてここは王都の外壁にほど近く、王城へ戻るためには相当な時間が掛かってしまうだろう。
「く、そ……あの魔人、め……」
アカは倒れ込んだ姿勢のまま腰のポーチから回復丸を乱雑に取り出すと、勢いのまま喉に流し込んだ。
非常事態用に備えていた回復剤だが、これがポーションだったなら砕けて服用することはできなかったに違いない。
アカが周囲を確認すると、どこもかしこも惨劇の余韻が見てとれた。
壊されてしまった外壁はその大きさを約半分の高さまで減じてしまっているが、多くの国民は未だ王都の外へは逃げ出せていないようだ。
「あれ、勇者じゃん。こんなところで何してるわけ?」
「……は?」
「ていうかボロボロすぎじゃん。まじでウケるんだけど」
派手に手を叩きながら馬鹿にしたような笑いが届く。
こんな状況にあって、それでもアカに軽く声をかけてくる者がいる。
その声は成熟した女性のものではなく、口調にも若さを覚える。
「誰だお前は……?」
「あたし?あたしはラーナ」
「ラーナ……?」
アカとは全く面識のない──アカよりやや年下な印象のパンクな少女を見上げながら観察する。
ラーナは無造作に金髪ロングヘアーを靡かせ、白いシャツに黒のホットパンツを履き、黒のショートブーツでキメている。
そして耳から鼻から目元からピアスが開いている。
正直アカが関わり合いにはなりたくないタイプだが、どうにも様子が変だ。
あちらこちらから悲鳴や戦闘音が鳴り響く阿鼻叫喚の環境下で、こんなにも平然としていられる人間はいるだろうか。
ましてやラーナは見たところ同年代から未成年。
「おいラーナ、ここは危険だ。安全な場所に逃げたほうがいい」
「どして?」
「あれが見えないのか!?あんな不気味なもんから魔人が降ってきてんだから不安にならないほうがおかしいってもんだ」
「あー」
二人して頭上の黒紫色の何かを見上げると、未だそこからは魔人が吐き出されており、それが王都各所で絶えず続く爆撃として機能している。
あれは恐らく遠隔地と繋がるゲート。
それも国家レベルの大規模術式によって作り上げられた高等魔法だろう。
あれが存在している限り悲劇が続くというのなら、術式の核となるものや存在を早急に破壊せねばならない。
しかしアカは仲間の元、ひいては王族の元に馳せ参じなければならない。
だからこそ、ここで油を売っている時間は皆無だ。
「ま、あの程度雑魚じゃん。勇者なのにそんなの気にしてんの?ウケるー」
「雑魚……?あれが──うわっ!?」
アカの発言とほぼ同時。
降り注いだ何かによって付近の家屋が崩壊した。
崩壊の煽りを受けて木片や石片がアカたちを襲う。
「ユ、勇者、勇者……勇者ッッッ」
それは首だけを高速でアカに向けた。
家屋跡の残骸からずぐりと身をもたげたのは丸々と太った巨大な魔人。
起き上がっていないその姿勢でもすでにアカの身長を超えている。
またこれも先程アカを襲った魔人と同様に人間に近いフォルムをしている。
魔人は人間に近しいほど理性が増し、危険性が激増する。
つまりこいつは。
「ぐ……ッ!」
ラーナのすぐ側を黒い肉塊が走り抜けた。
「デブのくせに早っや。動きキモ過ぎてウケるんだけど」
魔人は一瞬だけ腕を地面に叩きつけると、そこからほとんど予備動作もなしにアカへ突撃を開始していたのだ。
突然目前にまで迫った魔人に、アカは防御へ回す時間しか残らなかった。
短い時間の中でアカは両腕をクロスしながら少し跳ね、身体を丸くして衝撃を殺す。
直後、魔人は軌道を変えずにアカのいた場所を過ぎ去り、アカはスーパーボールのように地面や壁面にバウンドしてしまう。
十数メートル離れた家屋に突っ込んで動きを止めた魔人に対して、アカは満身創痍で地面に転がっていた。
勇者という肩書きを背負っているにも関わらず、なんとも不甲斐ない結果だ。
みすみすダメージを負ってしまったこともさることながら、ラーナを無視して防御に徹したのもアカとしては耐えられないほどの恥辱だ。
それはまさにお前は弱いと言われているようなもので、無様な結果しか残せない自分自身をアカは呪った。
これまでの生活で魔人に遅れを取ることはなかったが、それは仲間がいたからだ。
自分一人だけではこうも脆弱なのかとアカは恥じ入るばかり。
「ラーナ、逃げろ……こいつは強い……!」
「てかさぁ、何やってんのお前。流石にそれはウケないんだけど」
コツ、コツ、とラーナのブーツが石畳を叩く。
ラーナの口調には苛立ちが含まれている。
その足取りはアカの側では留まらず、再び攻撃姿勢に入ろうとする魔人の軌道上へ。
「オ前、ナニモノッ……邪魔、邪魔スル、ナラ……」
「は?邪魔はそっちじゃん。人間は適度に間引けって言われてるのに調子に乗って殺し回るわけ?」
「ラーナ、何言って……?」
「それにさぁ、誰に喧嘩売ってるか分かってんの?口酸っぱく命令されてるってトンプソンから聞いてるんだけど。そこんとこどうなわけ?」
「オ、前……イヤ、貴方──」
パン──。
あまりにも軽い音だった。
魔人が弾けた。
風船が内側から膨らんで裂けるように。
黒い血飛沫を撒き散らしながら、断末魔も上げずに。
辺りに血の雨が降る。
そしてゆっくりと魔人が倒れ込み、その衝撃で地が軽く揺れた。
その直後にはドロリと魔人の肉体が融解している。
「アドバンスドマジック、ロード」
「ラーナ、お前はどっち側だ……?」
痛む身体を押して立ち上がるアカの前に、悠然とマナを拡散するラーナ。
足元には見たこともない色の魔法陣が展開されている。
彼女の眼光は鋭く、アカを獲物として認識している野獣のようだ。
「どっちって?」
「人間側か魔人側か、だ。さっきのはお前の知り合いか?」
「今の見てわかんない?理解力薄くない?今代の勇者ってやっぱ雑魚臭漂い過ぎ。冷めるわー」
「それなら俺はお前を見過ごすことはできないぞ?」
「見過ごさないのはこっち。も少し育ってからの方が味がありそうだけど、転がり込んできたものはしょうがないよね?怒られないよね?」
「誰と喋ってる」
「こっちの話。じゃあ早速……死のっか?」
ラーナの雰囲気が変わる。
「上等だ……!」
「相手の力量も測れないのにやけにやる気じゃん、ウケるぅ。ま、そっちのやりたいようにはやらせないけど!」
「デュアルマジック、ロード!リーサライズ!」
アカはポーチの中から取り出した魔核を握りしめ、赤と黒の魔法陣を同時展開。
犠牲魔法化した混合魔法が詠唱を無視してアカから莫大なマナを吸い上げる。
あとは魔法名を唱えるだけ。
「駄目駄目、遅いって。マインフィールド!」
だが、ラーナがアカに先んじた。
ズン、とアカの周囲に重圧がのし掛かる。
全身を覆っていたリキッドゾルが急にゲル化したような感覚に、アカの警戒心はマックスまで浮上した。
この感覚は空間魔法発動によるもの。
先手を打たれた、そう事実を受け止めながらアカは後悔を始めていた。
ラーナの起動符を軽く聞き逃してしまったばかりか、みすみす彼女の魔法発動を許してしまったからだ。
ここでアカも遅れて魔法を展開──。
「ブリムスタゥン……なに──!?」
──が、何らかの力によって魔法が上から押しつぶされた。
というより、押し負けた。
アカが驚いた顔でラーナを見ると、そこには満面の笑みを湛えた彼女がいるだけだ。
「リアクションだけは良いね。でもその悔しさ、まじわかりみの極みだわー。残念勇者のダイチ=アカイって名前つけてあげる!ウケるでしょ!リアクションの勇者でも良いかもねー」
「……何をした?」
「反応薄っす……。冷めるぅー」
「攻撃はしてこないのか?」
「そんなキモい両手であたしを待ってるやつのとこなんて行くわけないじゃん。殺し合いだったらあたしも嬉々としてやってあげても良いんだけど、最低限の体裁も整ってないやつと真面目にやるのは億劫ってかダルいし」
「目も良いらしいな」
「きんも!こっち見んな汚らわしい」
さて、とアカは考えを巡らす。
なぜラーナが攻撃してこないのかはさておき、少なくともアカが鳥籠に囚われたということは理解できる。
問題はここからどう脱出するか。
魔人サイドの、なおかつ相当上位の立場にいるであろうラーナをここで逃す手はない。
が、しかし。
シロやアオそしてエリザなどの生存を案ずると、ここでやり合ってて良いものかとも疑わしい。
それに、メインの問題は何一つ解決してはいない。
王国に生まれた魔王と、上空から魔人を吐き出す謎のゲート。
それらが処理できないことには、現在起きている問題は解決に至らないだろう。
その中でも幸運だったのは、ラーナがボソッと漏らした情報。
『人間は適度に間引け』
魔人側の狙いは人間の殲滅ではない。
ということは、市民を助けるという目標を少し下位に持っていくことができる。
ここでアカはラーナという名前に覚えがあることに気がついた。
「お前、ラーナ=マインか……!」
「あれま。あたしってば未だに有名人?」
「殺人鬼が魔人側とはな……。狂った世界だ」
「ま、なんでも良いけどさっさと勇者っぽいところ見せなよ」
シロ、アオ、無事でいてくれ。
絶望的な状況の中で友人の無事を願えるところが、アカの勇者たる所以だろうか。
アカの反撃が始まる。
▽
「アオ、緊急事態!アカが攫われた!」
「えぇ!?どうしよう……」
アカが魔人の襲撃を受けてすぐ、アオがシロに追いついた。
「それでもアカなら心配ないはず。近接戦でアカに敵うのなんて今まで居なかったじゃない」
「そ、それはそうだね」
「こっちはこっちでやることやりましょう。アオ、索敵と迎撃はお願い。死んでも助けるから全力でぶっ放して」
「りょ、了解」
そこからはある程度順調だった。
アオが全力で魔法を放てるだけあって、よほどの魔人でもなければ処理できる。
アカの攻撃が通じなかった翼魔人は謎だが、位階の高い魔人はそれぞれの特殊能力を開花させると聞く。
アオと同様、スキルを発現させている存在が人間だけではないのは確かだ。
「アイゼン王、無事ですか!?」
玉座に続く扉が開け放たれていた。
そこを守るはずの兵士も数名、息絶えて転がっている。
先程アカは王が玉座に居るとも言っていた。
王が逃げ出していないのなら、この状況は何者かの侵入を許したということになる。
シロとアオが玉座の間に転がり込む。
すると、見知らぬ男性二名が王に詰め寄っているのが見てとれた。
いや、そのうち一人は見覚えがある。
シロが憎々しげにその名を吐く。
「ヒースコート……!」
「君とは初対面のはずだが?」
「ん……シロ様?え、あ!」
ここでエリザが目を覚ました。
タイミングが良いのか悪いのか。
エリザはシロを跳ね除けるように慌てて起き上がり、周囲の状況を確認している。
しかしそれもたった数秒。
即座に状況判断が完了すると、全力の敵意をロドリゲス=デラ=ヒースコートへ向けた。
シロと同様にエリザは彼のことをよく思っておらず、いつ王族に対して謀反を起こすか調べていたところだった。
「随分と手荒い歓迎だな。私はアイゼンと会話を楽しんでいただけだというのに」
低く、威圧感を含んだロドリゲスの声が空気をピリつかせる。
彼の隣に佇むシルクハットの男も何も発さず、アイゼンと同様に静観を続けたままだ。
何か聞かれて困る会話でもしていたのだろうか。
それにしてはアイゼンの顔が緊張に塗られて厳めしい。
「それなら聞きますけど、ヒースコート卿。このような非常事態にどのような御用かしら?お父様に招かれていないのならお帰り願えませんこと?」
「良いのだ、エリザ。ワシのことは構わず、お前たちは民の救助にあたってくれ」
「それはなりません。この状況……ヒースコート卿には、今なお続く現象の首謀者としての嫌疑があります。王族として、そのような邪悪な人物を見逃すことはできますまい」
「道理だな。だが、彼らはワシの招いた友人だ。……これ以上の問答は不要。下がるが良い」
それではなぜアイゼンはそのように緊張した面持ちなのだろうか。
いや、考えるまでもない。
目の前の男ども──とりわけシルクハットの男を警戒しているからだ。
彼らの存在のためアイゼンは、どうしてもエリザたちにはここを立ち去って欲しいらしい。
「そういうことでしたら……畏まりました」
エリザが恭しく頭を下げた。
憎々しげな視線はそのままに、アイゼンの玉座周辺を確認する。
そうすると、まだ確かにある。
破壊されているというわけではない。
エリザや王族にしか見えない魔法陣が、確かに玉座の周囲には張り巡らされている。
それらを用いれば外敵の駆除など容易かろうに、アイゼンはそれをしていない。
攻撃面でも防御面でも、玉座は王国の最終兵器としての備えを持っている。
如何なる敵勢力の進行であっても跳ね除けるだけの力がここにはあるはずだ。
それなのにアイゼンがそれを使用しないのであれば、それ相応の理由があるということ。
たとえばその魔法にエリザたちを巻き込まないように、だったり。
たとえば魔法陣へのマナ供給が絶えていたり、だったり。
今回であれば後者の可能性が非常に高い。
王城の──特に玉座へのマナ供給は王都住民の肉体から日々こっそりと徴収されている。
そのような機構を備えた魔法陣が遥か昔から存在しており、先の王族がそれを組み込むようにして建国したのが、そもそものエーデルグライト王国の興りである。
また非常事態に於いては強制的に住民からマナを徴収し、それらを必要な機関へ分配するという機構さえも備えている。
そして現在何故それが機能していないか判断できるかというと、まず王都を覆う結界が掻き消えているという一点の揺るがぬ事実があるから。
魔人の襲来であれば何に於いても真っ先に結界の強化維持が優先されるはずで、そこへのマナ供給が滞るのは既に異常事態。
王都で魔人が好き放題に暴れられているのが良い証拠で、これは魔人側に先手を打たれているという証拠でもある。
であれば、それら王国に存在していた魔法陣が機能停止していることは明らかであり、アイゼンが玉座周辺の魔法を使えないという事実にもつながる。
「エリザ、ここでノコノコと引き下がるつもり?」
ここでエリザの行動に違和感を覚えたシロがこっそりと耳打ちしてくる。
「まさかそのようなつもりは。ヒースコートは明らかな私怨でしょうが、彼がここまで大きな事件を起こせるとも考えられません。それを焚きつけた人物がいるはず。隣のシルクハットの男──あれが今回の首謀者に違いありません。ですので、お父様には悪いですがここで引導を渡させていただきます。シロ様、ご協力を」
「……ええ、分かったわ。だけど今はアカが居ないの。どうすれば良い?」
「アカ様はどちらに?」
「魔人の襲撃で連れ去られてしまったわ。でもそんなことで死ぬような鍛え方はしていないから、ここではないどこかで誰かを助けるために動いてくれているはず。だから彼無しでここをどうにかしないといけないわ」
「……エリザ、すぐに去れ。二度は言わんぞ」
そろそろアイゼンも限界らしい。
さて、どう動くべきか。
エリザたちへの違和感によって、この場で敵から動かれるのだけは避けたい。
とはいえ、アイゼンが敵に好き勝手されるのをみすみす見逃してここを去るのも癪というもの。
すでに戦端は開かれている。
それならこちらから仕掛けたところでアイゼンも文句は言うまい。
むしろアイゼンが動きやすくなる口実を作ることにもつながる。
で、あれば。
「私がまずヒースコートに攻撃を仕掛けます。その隙にアオ様は隣の男を攻撃して牽制。シロ様はお父様の脱出にご協力を」
エリザがこっそりと投げた言葉に、シロとアオは目だけで頷く。
「ではお父様、ご友人との楽しいお時間をお過ごしください。私たちはここで失礼を──」
そう言って再度エリザが頭を下げた瞬間、彼女の頭上から精緻で神聖な装いの光の大剣が出現。
それは凄まじい速度で射出され、ヒースコートを襲った。
王城内に於いてのみ発揮される詠唱を持たない王族の魔法──ロイヤルマジック、ディクト・コントラ。
王は自らを守る剣と盾を召喚し、どんな使い手よりも自在に操ることが可能。
最後まで戦うことを強いられる王は、窮地の場面でこそ魔法の真価を引き出すことができる。
こと玉座の間に於いて強敵の侵入を許しているという事実はエリザの魔法に最大限のブースト効果を与え、目の前の敵を確実に死に至らしめる威力を発揮させるに至る。
「──するわけには参りません!」
エリザの攻撃と同時にシロとアオが行動を開始する。
アイゼンも自らの娘の行動を見て諦めたのか、攻撃に加わるような動きを見せていた。
徐にアイゼン周囲に出現する四本の剣。
それらは全てエリザのものよりも大きく、それでいて豪華絢爛な装飾を備えた祭具のような佇まいであった。
直後、武器を得たアイゼンは叫びつつ両手を地面に叩きつけた。
「アドバンスドマジック、ロード──」
アイゼンの武器も宙を舞って敵に迫る。
状況は即座に5対2の王国優位な展開へ。
ロドリゲスら二人は挟撃に持ち込まれた。
「──サモン:ロイヤルガード!」
そこへ更にアイゼンを守護する王国騎士の出現。
エリザの動きから瞬時に場面形成が為され、王国勢による害虫駆除が始まった。