第149話 混戦
直前まで鳴り響いていた騒音が途端に止んだ。
なおかつ吹き荒んでいた魔法の余波も鳴りを潜めている。
何かが起こり、そして終結したのだろう。
この時クロはラウラの言葉を頼りに、やっとのことで目的地を見据えていた。
クロは勢いのまま一目散にその宿舎の屋上へ至り、そして眼下を見渡した。
意図的に隠匿されたそこは比較的広い範囲だが、クロはナイトアイを介して一目に状況を看破できる。
「クソ、遅かった……ッ」
クロが脳で知覚した景色は、惨状と説明するには十分な情報を備えていた。
倒れ伏す数名にクロは見覚えがある。
どうやら微かに体動を認めることから、彼らが死んではいないということは確認できた。
またそれを嘲笑うように立つ者共にもクロは見覚えがあった。
「……!」
クロの影の中から反応があり、ネイルが身を乗り出した。
ネイルが反応して動き出した相手とはつまり、件の魔人に違いない。
「ネイル出るな!」
「邪魔しないで」
クロはネイルの頭部を押さえ込んで影の中からへ再度沈める。
ネイルの語気には普段見られないような力強さがある。
クロと同じ景色を共有し、その中でネイルの感情を揺さぶる存在を発見したのだ。
これは感情が揺り動かされた結果だろう。
それでもここで仕掛けるメリットは薄いと判断したクロは、なんとかネイルを制する動きにシフトしていた。
「あれがそうなのか!?」
「そう。だから私の拘束を解きなさい」
「奇襲だったとしても正面から魔人を相手にするのは無理だ!もっと別の方法を考えろ!」
「都合の良い作戦などあるはずがない」
「だが、お前が動いたら何もかもが台無しになる。お前が冷静にならない限りは影から出さないからな」
「……それならあなたも早く作戦を提示して」
影に沈ませた術者の特権により、出し入れの可否はある程度術者に寄せられている。
もちろんネイルが魔法なりを使用すれば話は別だが、ここは彼女の理性が優っているようだ。
とにかく、今はクロの状況判断に従ってネイルも不利を悟って行動を控えてくれたようだ。
ソフィアラとアル、そしてフランシス──倒れ伏している人間はクロの知り合いだ。
だからといって彼らの助けに入ったとしても即座に全員を救出することは難しいことから、まずは作戦を立てることが優先された。
「分かった。だが……、ん?」
現状見える限りの敵戦力には魔人ディスクリート、そして憎きチャルックがいる。
これだけでも面倒なのに、そこにスヴェンとジュリエットが加わっている。
ここでようやくクロの思考が状況整理を開始する。
「なんでスヴェンとジュリエットがここにいるんだ?あそこに終結してる連中が偶然居合わせたのではないのか……?」
クロはネイルの怪訝そうな視線に気づかないままブツブツと思ったことを口にする。
まずジュリエットが無事だったことには正直クロもホッとしている。
しかしチャルックにしなだれ掛かっている姿を見れば、彼女がすでに敵の手に落ちている可能性が高い。
あれだけ酷い目に遭わされたのに、ジュリエットの心境にどのような変化があったのだろうか。
それとも従わされているだけなのか。
現状では答えは出ない。
「トナライと、あともう一人の子供の名前は忘れたけど……あいつらの手に落ちたはずのジュリエットがチャルックの手元にいる時点で、チャルックはハナからトナライの仲間だったわけだよな……。そんでもってグレゴリオの発言。あいつはソフィアラを上司に渡したと言っていた」
ここでスヴェンの立ち位置がようやく見えてくる。
なにやらディスクリートも含めて言葉を交わしているようだが、スヴェンの彼に対する所作は目上の者に対するそれに見える。
「グレゴリオの上司とは恐らくスヴェンかディスクリートのわけで、そいつに対してスヴェンはより低い立場ってことは……そいつとチャルック、そんでスヴェンが全員教団に所属している……ってことか」
「何を呟いている?」
「あそこにいる全員が教団所属ってことが分かったんだ」
「それが何だと言うの」
「教団の目的地にディスクリートがいて、そこに集まることのできる人間──それはつまり教団の中枢ってことだ。分かるか?うまくいけばここで教団を大きく崩すことができるかもしれないってことだぞ。これはお前にとっても良いニュースじゃないか?」
「どうでもいい。早く解決策を提示して」
「そうだな。とりあえず、今回の襲撃に関してわかっている範囲で説明をする」
「手短に」
チャルックとジュリエット、またこの場には居ない十本指の能力など、クロが見聞きして得た情報を可能な限りネイルに叩き込んだ。
そうこうしている間にも、教団連中の話が纏まっていく様子が外部からでも見て取れる。
「このまま敵が増えたら機会を逸する」
「そりゃそうだけ、ど……」
敵があれだけとは限らない。
チャルックがこの場にいる以上、他の十本指がやってくる可能性は大いにある。
その可能性が拭いきれないからこそ、ネイルに情報を渡しているわけだが。
手をこまねいていては教団の動きを許すことに繋がり、更に悲劇が繰り返されることとなる。
などと考えている時に、ディスクリートが動いた。
男は自然な足取りでアルとフランシスに近づいている。
それを見て、クロは妙な胸騒ぎを覚える。
「あいつは何をするつもりだ……?」
「ハジメ=クロカワ、もう待てないはず。作戦を提示する」
「どうするんだ……?」
「奇襲から敵の足元を荒らしつつ、目標を影魔法で回収。たぶんこれが最善」
「やっぱ小細工は無理そうか。それならその作戦で行く。ディスクリートはどうする?」
「ディスクリートは二の次。契約の履行が優先」
どういう風の吹き回しだろうか。
ネイルの顔つきが変わっている。
ディスクリートの動きを見て彼女も何かを察知したのだろう。
案外ネイルは情に厚い人間なのかもしれない、とクロは思う。
「お前……そうか、礼を言う」
「勝手に良い解釈をするな。私はただ奴らの好きにさせたくないだけ。それに、まだ何も終わっていない」
「……そうだな。じゃあ俺も可能な限りこの場を引っ掻き回す。サポートは任せた」
「了解」
ネイルは同意を示し、頭を影に沈めた。
クロの狙いは怪しい動きを見せる男……ではなく、無防備な姿を晒すスヴェン。
今更彼が本当に敵かどうかなど吟味している時間はない。
状況証拠から彼を敵と断定し、先制攻撃で仕留める。
これまで散々学園で好き放題やってきたのだから、その報いは受けさせるべきだろう。
とはいえ、元友人に対して少なからず情が存在する。
先程のラウラの場合も同様に、クロは敵が改心するという可能性を諦め切れてはいなかった。
だから行動や思考に隙を生じ、決定的なタイミングで間違いを犯す。
ただ、ジュリエットに関しては未だにどの立場なのか疑問が残る。
スヴェンやチャルックに操られているだけなのか、それとも完全に敵側に傾倒してしまったのか。
彼女とクロとの恋人関係も曖昧ながら継続されているはずだが、彼女だけは立場が謎だ。
そういうわけで、クロの標的はスヴェン。
急いだ結果の偶然の産物ではあるが、ディスクリートが離れたこのタイミングこそ至高なのだ。
「お前たちはここで処理する。ロード──」
クロはネイルに聞こえない程度に言葉を発し、《爆身》を起動。
その他可能な限りの魔法を纏わせて、真なる敵の元へ。
ふと見れば、スヴェンがソフィアラに掴みかかっている。
許せない。
これ以上ソフィアラを傷つけられるわけにはいかないという思いのもと、クロは突貫を敢行する。
▽
「なんか来てやがるな」
アルとフランシスが戦闘不能に追い込まれた直後、ディスクリートがふとそんなことを言った。
たった今チャルックとスヴェンの功によって敵は討伐され、積極的に教団に対して楯突ける人間はいなくなったと言えよう。
まず情報もなしにこの場に居合わせること自体が難しく、これ以上敵の増援はないものだとディスクリートは考えていた。
にもかかわらず、こちらに向けてまっすぐに迫ってくる人間がいるようだ。
「確かに、何やら来ていますね」
ディスクリート同様、スヴェンも何かを察知していた。
「なンだテメェもか」
「一応ここはボクの結界内ですから。ディスクリート様ほどの精度はありませんが」
「そンなら、しばらく泳がせるか。俺のやることは決まってンだろ?」
「はい。ディスクリート様には旧施設封印解除のための最後の締めを行なっていただきます。すでに中央以外の陣は起動済みですので」
「テメェらでどうにかならなかったのか?」
「ボクたちのマナ総量ではどうにも」
「人間は貧弱で情けねぇな。まぁいい、ひとまず様子を見るか。敵が甘ちゃんなら雑に隙でも見せてりゃ仕掛けてくンだろ」
「そういうものですか」
「敵が一人ってことは単なる雑魚でもなさそうだがな。必要なら手を貸すぞ?」
「一人であればボクらだけでどうにかなるでしょう」
「場所に目星はついてンのか?」
「右後方のあたりですかね。ボクの魔法は動きを停止している場合にはあまり機能しないですが、動きがあれば分かります」
「その辺にいるわな。そンなら任せるわ。俺はその間に餓鬼を回収して本国に送っておく」
「了解しました。……チャルック、まだまだ働いてもらいますよ」
「さっきみたく殺すなって命令なら面倒じゃんよ。手加減とか頭使うことは苦手っしょ」
「仕事以外の時間は何をしても構わないんだから言われた通りにやってください。ジュリエットも好きにできるんだから我慢できるでしょ?」
「え〜……」
スヴェンはチャルックを無視しつつ徒歩で離れるディスクリートに視線を向けながら、意識だけは後方へ。
敵が攻めてくるのなら誰を狙うのだろうか。
単にこちらを伺っているだけなら放置しても良いのだが、スヴェンの勘はそれが敵だということを強く訴えている。
こういう場合の直感は信じた方が良い、というのがディスクリートの持論だ。
スヴェンもそれに従ってこれからの行動を規定する。
「触媒としてはアルベルタさんでも良かったけど、ディスクリート様が回収するなら諦めないといけないね。とにかくソフィアラさんは魔国領に送られる心配は無くなったわけだ。安心して苦しむことなく消費してあげるよ」
唯一意識のある足元のソフィアラに向けてスヴェンは声を掛ける。
ソフィアラはこの場面において唯一怪我も少なく意識を保っていられている人間だ。
それは、教団にとって彼女の命に使用目的があるから。
例えば人間を魔法の触媒として使用する場合、健康な者とそうでない者とで言えば前者の方に価値がある。
「意味が分からないわね」
「ソフィアラさんはこれから死ぬっていうのに怖がらないんだね」
「まだそうだと決まっていないわ」
「誰かが助けに来るとでも?」
「そこまで能天気じゃないわ。けれどスヴェン君、何でも上手くいくと思わない方がいいわ」
「それは警告のつもり?それとも負け惜しみかな?本当は怖いんでしょ?泣き叫んだらどうだい?ママー、ママー、って」
「母は鬼籍に入ってるわ」
「そうかい、それはご愁傷様。そしたら誰かが助けに来てくれることをそこで祈ってるといいよ。ま、来たとしてもボクらを、特に僕をどうにかするなんてできないわけだけど。そこの馬鹿な二人みたいにね」
「それじゃあ祈っているわ。あなたが絶望する未来をね」
「減らず口が過ぎるね。もっと殴られたいわけ?」
「だから好きにしなさい。今のあなたは虎の威を借る狐で、そうやって他者を下に見ることでしか自分を維持できないんだから」
「そうかい、そうかい。酷い目に遭わなきゃ分からないようだね。とはいえ君をどうにかするわけにはいかないから、他の人に犠牲になってもらうよ」
「誰がいるというの」
「ほら、いるじゃないか」
スヴェンは足元で虫の息の男を足蹴に転がして仰向けにさせる。
未だヒューヒューと頻呼吸を繰り返しており、出血量などからそう長くはなさそうに見える。
「酷いことをしないであげて」
「何を言うんだい、ソフィアラさんがボクに酷いことをさせるんだよ?決してボクの意志じゃない。それにさ、こいつは殺人鬼なんて呼ばれて教団員を狩ってたんだ。だからそれに対するケジメをつけさせるだけだよ」
スヴェンがそう言って取り出したのは、禍々しいマナを放つ紅い魔石。
ソフィアラは生理的忌避感を覚えるそれに肌が泡立つ。
「なに、それ……」
「まぁ見てなって。こいつは以前ボクの仲間が狩り損ねた殺人鬼。よくよく見れば同級生のゲイル=リヒト君じゃないか。そう言えばクロもこいつに襲われてたみたいだしさ、ソフィアラさん的にはこいつがここでどうなったところでなにも思わないだろう?むしろ自分が傷つく代役になってくれるんだから、感謝してあげるーみたいな?」
「それなら私を傷つければいい話よ」
「駄目駄目。今更そんなことを言っても無駄さ。君はこいつがどうにかなっていく様を見ながら自分の言動を悔いるがいいさ」
「やめて!」
「はは、やめなーい!」
スヴェンが嗤いながら紅い魔石をゲイルの胸元あたりにブッ刺した。
ゲイルの身が一度ブルリと跳ねたかと思うと、その口元から呻き声が漏れ始めた。
「ァっ……あァ゛……ッあ……ぁア゛ェアあ……っ」
徐々に全身の痙攣を強め、ゲイルの声は獣のような叫び声に変わっていく。
「なにを……なんてことを……」
ゲイルの身体が一際強く跳ねた。
かと思うと、そこから人間の限界を超えた後弓反張の様相を長時間呈し始めたではないか。
そして突然糸が切れたようにぐったりと動かなくなった。
「あーあ、ソフィアラさんがボクをイラつかせなかったらこうはならなかったのに。いやー、残念残念」
スヴェンがソフィアラの襟元を掴んで煽るように言う。
ソフィアラはスヴェンの視線を逸らす形で後ろ手の魔導具に目を遣った。
そこには黒い光が淡く灯っており、その光が右後方を指していることがわかる。
右後方──先ほどからスヴェンたちが警戒している方角と同じだ。
きっとそこにクロはいる。
そう信じられるからこそ、ソフィアラは挫けることなく目の前の惨劇に耐えられる。
しかしどこまで人を馬鹿にして虚仮にすれば気が済むのだろう。
できることならここで殺してしまいたい。
そんな思いがソフィアラの内心に渦巻き始める。
ヒュン──。
そんな時、緊張した空気の中に水を差すような鋭い風切り音がソフィアラの耳に届いた。
「スヴェン、お嬢様から汚ねぇ手を離せ!!!」
「遅いよクロ」
スヴェンはクロの出現を見ても焦ることなく、素早く腕を振るい何かを放った。
直後、閃光と炸裂音が彼らの中心で弾けた。
カッ──。
突然生じた衝撃に、ソフィアラは煽りを受けて地面に転がってしまう。
何が起きたのかとそちらに目を遣ると、クロも衝撃に吹き飛ばされている最中だった。
クロはそのまま空中でバランスを整えると、器用に回転して着地。
そこはちょうどスヴェンやチャルック、そしてディスクリートの真ん中に当たる場所。
「ッ……!」
クロはまず背後のディスクリートを確認。
そして次にチャルック。
まずクロを襲ったのは、今では見慣れた熱線。
「お前、久しぶりっしょ!」
開幕の一撃はチャルックから。
彼の攻撃を回避しながら屈むようにして確認した背後では、ディスクリートは手を出さないとばかりに腕を組んでいる。
「上等だ。その慢心を砕いてやる」
目下、敵はチャルックとスヴェンへ変更された。
次々と襲い来る熱線。
そして炸裂する何か。
「何……だ!?」
突如クロは目の前に現れた、赤黒いモヤ。
それは触手のようなうねりを纏い、まっすぐにクロへ近づいてきた。
チャルックの熱線よりも何よりも、そのモヤに根源的な恐れを感じた。
「や、ッば──」
危機感から即座に『防陣』が起動。
熱線が降り注ぐが、それよりも危険なシロモノを前に熱線は一時無視。
クロは宙を掻くように、振り払うようにしてモヤを遠ざける。
「はは、無駄だよクロ。それに触れたら終わ──」
スヴェンから煽るような声が投げ掛けられるが、そんなものは今のクロには届かない。
クロの指がモヤに触れたが、それは煙のように揺らめくだけで『防陣』の抹消対象には成り得なかった。
「「──何!?」」
驚きの声を漏らしたのは勝ちを確信していたスヴェン。
クロはむしろ何の影響も受けなかったことに驚いていた。
モヤは何事もなかったように霧散していた。
先に思考が回復したクロは急いで体勢を立て直すと、そのままスヴェンをメインターゲットに据えた。
「な……くそッ!」
スヴェンは当初の目論見が外れ、焦りながら続け様にクロへ紅い破片を放っている。
だが、その全てがクロの周囲で弾けてモヤを生み出し、クロに触れ、そして消失する。
「何だか分からねぇけど、俺強くね!?」
「慢心」
「ッ……!」
すぐさま足元からツッコミが届き、クロを冷静にさせる。
敵には聞かれない程度の二人の会話。
「ソフィアラの側まで詰めて」
「それでどうする?」
「女を回収するから、そのまま反転してそこから離れて」
「……了解」
クロは強く地面を踏み、身を屈めた。
熱線を回避する意味合いもあるが、狙いは《爆身》の準備。
今度こそ確実にスヴェンを屠るべくスヴェンを狙いの中心に捉えて全力を放出する。
そうスヴェンに意識させる。
足元の風を爆散させ、一瞬でスヴェンとの距離を詰めたクロ。
「獲った!!!」
というのは実はハッタリ。
スヴェンはクロの突貫を読んでいたようで、器用にクロの軌道から外れると即座にソフィアラの首根っこを掴みにかかった。
ソフィアラの人質としての価値を最大限に発揮させようと動いたわけだ。
しかしスヴェンの手が空を切った。
「……え?」
「きゃっ!?」
クロは進行方向へ右足を突き出している。
クロはそのまま逆噴射の要領で足元の空気を爆ぜさせてから突貫の勢いを減じ、そして見事に《爆身》を停止させた。
しかしスヴェンが気の抜けた声を発したのはクロのそれに対してではなく、ソフィアラの身体が何かに引き摺られるように理解できない挙動を示していたから。
よく目を凝らせば、暗闇の中にあってそれでもくっきりとした黒い影がソフィアラを掴み、物凄い勢いで彼女を振り回していたのが確認できただろう。
それはクロの影の中から発動されたネイルの影魔法。
敵が驚きに支配されて思考を止めているそのタイミングでクロは再度足元の空気を爆散。
スヴェンやチャルックが気づいた時には、クロは彼らから遠ざかる方角へ空中移動に移行しており、なぜかソフィアラもそちらの方向へ放り投げられていた。
「クロ、ちょこざいな真似をッッ!」
しかしすでに後の祭り。
人質だったはずのソフィアラは宙を舞っている。
ソフィアラはクロの頭上を超えて背後に落下したかと思うと、そのまま地面に姿を消した。
「どういうことだ!?」
「一生そこで動揺してろ!ロード!」
「チャルック、クロをここで確実に殺してください!」
▽
「ここは?」
「ハジメ=クロカワの影の中』
「そう。あなたが助けてくれたのね」
「そういう流れになっただけ。まだ何も終わってない」
「でも、ありがとう。えっと……」
「ネイル=リヒト」
「ネイルさんね。……リヒト?」
「何?」
「あなたの弟ってゲイル=リヒトよね?」
「それが何だと言うの?」
「いえ……」
「隠し事は無し。さっさと言って」
「えっとね……さっき──」
今度はこちらの番だと言わんばかりに、クロは手元にありったけの数の岩弾生成を開始。
両手をそれぞれスヴェンとチャルックに向ける。
そして。
ゾ……ァ──。
突如大きな影が覆いかぶさったような、そんな不気味な感覚にクロは苛まれた。
いや、実際にそうだった。
大きな何かが月光を遮るように飛び掛かってきている。
クロは即座に両手を声の方へ向けた。
そこには、全身を黒く染めた──まさしく魔人と呼ぶべき存在が迫っていた。
シルエットは若干人間のそれを残してはいるが、歪に盛り上がった肉体の各所からは柱のような棘のような構造物が飛び出していたり。
はたまたおかしな方向から腕が生えていたりと、人間である要素を大きく減じている。
「どこからッ!?」
クロの視界の端では、未だディスクリートが腕を組んでこちらの品定めをしている。
どこから湧いてきたのか分からないが、脅威が増えたのは確か。
しかし、
「間に合わ──」
突然合図もなくクロの影からネイルが飛び出した。
そこは魔人とクロのど真ん中。
「ランサー……ナイトライト」
発動待機状態だったネイルの混合魔法が炸裂する。
ネイルの手元の球体から放出されるのは、無数の白黒の槍。
それは目の前の魔人だけでなく、周囲全ての敵に対しても誘導するように発射されている。
「──んな!?」
攻撃モーションで回避行動に移り切れなかった魔人は当然の如く全身を槍に串刺しにされた。
その他の者への魔法は、ディスクリート、スヴェン、チャルックによって当然のようにいなされる。
その中で大ダメージ必至の魔人だが、槍に貫かれながらも敵意を全開に不気味な叫び声を上げていた。
魔人はそれ以上に全身が引き裂けることもお構いなしに、膂力だけで全身を振るう。
すると、黒い体液をビシャビシャと振り撒きながら傷を治癒させていく魔人の姿がそこにはあった。
「ネイル何してる!」
「これには手を出さないで……!」
ネイルの表情は苦く歪められている。
発言の経緯は不明だが、彼女が見据えるのは目の前の魔人。
「クロ、よく聞いて」
ソフィアラの声はクロの影の中から。
「お嬢様、ご無事ですね!?とにかくそこから出ないでください!」
「分かったわ。ネイルさんがあの魔人を仕留めるみたいだから手を出さないであげて」
「一体何が?」
「話は後にして。まずはあの男を……チャルックを!」
チャルックは未だ遠距離から熱線放出を繰り返している。
クロにとっては現状直接ダメージこそないものの、回避しなければマナ損失は大きい。
「了解で──ッぐぎ!?」
不意にクロの脇腹を鋭い痛みが駆け抜けた。
それはクロがチャルックに意識を向けた瞬間。
完全に意識の外から攻撃が飛んできている。
「ネイルって、テメェまじか!よく生きてやがったなぁ!!!」
クロが痛みに思考を揺さぶられた瞬間に側から聞こえたのはディスクリートの笑い声。
彼はクロを攻撃した次の瞬間にはクロから興味を無くし、ネイルに向けて声を上げている。
インパクトをもろに食らってしまったクロはその場から一直線に壁際まで吹き飛ばされ、それでもなんとかギリギリで風爆をエアバックに衝撃を相殺した。
だが、これでクロの纏っていた風魔法が解かれた。
「くそ!ロード、バースト ステップ」
クロが戦闘から弾き出されたことで、敵の全てのヘイトをネイルが引き受けている。
つまるところ、一対四の窮地だ。
「お嬢様、魔法は使えますか!」
「ごめんなさい、特殊な魔導具で魔法を封じられていて……」
「了解です!それならッ」
クロはディスクリートに開けられた距離を戻すように走りつつ、服の下に仕込んでおいたスクロールを乱暴に取り出した。
今は手が足りない。
何がなんでも味方が欲しい状況だ。
だからこそ、リバーの手を借りる。
しかしここからリバーを呼び出すにあたり、問題がいくつかある。
まずリバーの身体には魔法使用不可に陥らせる魔導具が埋め込まれている。
そして現在の彼は教団という組織に飼われてしまっている。
もしかすると手を貸してくれないかも知れず、場合によっては敵対すらありうる。
それでもクロとリバーの認識として、ソフィアラを守るという一点においては一致しているはずだ。
これは一種の賭けだが、このまま状況が好転する未来は見えない。
「しのごの言ってられる状況じゃない。魔法不可領域だけでも使い道はある」
賭けに参加しなければ勝てる未来を掴み取る可能性さえ得られないのだ。
そうであれば。
クロは一瞬の逡巡の後、ありったけのマナをスクロールに込めた。
次の瞬間、クロの頭上にまるまるとしたシルエットが出現。
クロが走る勢いそのままに、リバーが自由落下して地面を転がる。
が、リバーは奇妙な動きから体勢を立て直してクロに並走し始めた。
「リバー、手伝ってくれ!まずい状況なのは見ればわかる!」
「これはクロさん血相を変えて……おやおや、なるほどなるほど」
「理解できたか?お嬢様は俺の影に匿ってる!これからネイルと仲間を助けたい!あんたはどっちの味方だ!?」
焦る状況だからか、クロは捲し立てるように言葉を投げつける。
「クロさんは私の立場を──」
「全部分かった上で、だ!なんとかできそうか!?」
「そうですねぇ……最悪のシナリオ回避だけは目指しましょう」
「助かる……って、あんた埋め込まれた魔導具はどうした?」
クロは『防陣』未使用にも関わらず自身の魔法が強制的に解除されていないことに今更気がついた。
「ダヴス氏に無理を言って外していただきました」
「え、ロウリエッタには合わなかったのか?」
「帝国のどこかに飛ばしたみたいですよ。都合が良い人ですよねぇ、人かどうかは分かりませんが。ああそう言えば、魔人化した学生が迷い込んできたようでクロさんに苦言を呈してましたよ」
「げっ!」
「まぁ、次は許さん程度の口振りだったので大丈夫では?」
「だといいけど……」
「ではできる限りのことはさせてもらいますかねぇ」
リバーは異常な速度でクロを引き離し、責め立てられるネイルの元へ。
そして高速の一撃をディスクリートの叩き込んだ。
「がァッ!?」
リバーの蹴りを無防備な顔面で受けるディスクリート。
そのままディスクリートは無様にも地面を転がり、怒りを湛えた顔面でリバーを睨みつける。
「おイタが過ぎますねぇ。殺されたいのですか?」
「リバー、テメェ……!なんのつもりだッ!」
様々な人間関係が入り混じる最後の戦場。
混沌とした殺し合いは、リバーを加えて更に複雑さを増すのであった。