第142話 悪化
光が明けると視界に映る世界が一変していた。暗さはあるが、ここは結界内の暗さではない。むしろ平常な夜の暗さと言える。
「ここは!?」
「えっと、学園じゃない?あの建物って校舎棟でしょ」
「あー……そう言われてみると、確かにそうですね」
ソフィアラの指差した建物は、クロのよく知るそれだった。
普段目にしているはずの校舎を認識できなかったのは、見え方が違ったからだ。それこそクロたちが今いるこの場所は、学園生活の中で一度も訪れたことのない場所だった。そこから見える景色など拝んだことがなかったのだから、校舎を見間違えるのも当然だろう。
広大な学園の敷地の中にある、北の森林エリア。そこに差し掛かるあたりにクロとソフィアラは放り出されていた。
「戻ってこれたのか……。は、ぁ〜……」
唐突にドッと疲労が押し寄せ、クロは地面に座り込む。
今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、クロの全身から力が抜けてしまっていた。
クロが意識をしていないだけで、体内に蓄積されたストレスは相当なものだ。肉体は安らぎを得るべくストレスを吐き出し、クロに脱力を促していた。
現実の時間でいえば一週間以上の長期、クロはひり付くような殺し合いに興じていたのだ。だからこそ、こうなるのも仕方のないことだった。むしろ気を失わなかっただけ幸運というもの。
その様子を心配して、ソフィアラがクロの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「え、あ、はい……え?」
「本当に大丈夫……?」
「あー……なんか急に疲れちゃって。すいません」
「無理はしないでね」
「ええ。ご心配なく。ちょっと力が抜けただけのようですので」
クロは努めて笑顔を向ける。ややぎこちない表情はクロの無理を証明するには十分であろう。
「一瞬安心できた気がしたんですけど、やっぱり何も解決していないですね。まだまだやることも多いし、休んでちゃいられないです。とにかくまずはジュリエットを探さないと……!」
両膝に手を置きながら無理やりに立ち上がる様子はどうにも違和感がある。
特に右腕の動きが悪いようだ。
「治ったはずの怪我だけど、障害が残ってたりしない?」
「ああ、これですか。しばらく右手が無い状態が続いてたので、身体のバランスが悪い気がしますね。でも大丈夫です。麻痺とかは無いので」
「それは良かったわ。……それにしても何か学園の様子が変だわ。妙に騒がしくない?」
「そう言われれば、そうですね。今何時ごろか分かります?」
「深夜だとは思うけれど、正確な時間までは分からないわね」
「今日ってそんな騒ぎになるような催しってありましたっけ?というか今日って何曜日です?」
「結界の中で時間感覚がぶつ切りね。私が結界入りしたのが土曜日だから、少なくともそれ以降になるけれ……ど?」
ソフィアラの語気がおかしくなったのは、急な振動を自らの腕に感じたから。
それはクロも同様のようで、二人して互いの腕に目をやる。
「……え!?って、そうか。戻ってこれたんだもんな。腕輪が震えるのは当然──」
「待って。違うわ」
「──って、え?何が違うんですか?」
「私たちはたった今戻ってきた。私はいつ戻るかなんて誰にも伝えていないのよ」
ソフィアラの表情が固い。急に神妙な顔をしてどうしたのだろうか、というのがクロの正直な感想だ。
「俺たちの帰りを待って定期的にこの魔導具にマナを送ってるんですよ、きっと」
疲労もあるためか、クロは何の気なしにそんな言葉を発した。しかしソフィアラの表情は変わらない。
キョロキョロと周囲を確認し始めたソフィアラにどう声をかけるべきか迷っていると、彼女はハッと何かに気がついたようにクロを見つめた。
「こちらからの連絡もなしに気がつくわけなんてないじゃない。クロ、しっかり頭を働かせなさい」
耐えることなく振動を発する腕輪をソフィアラが見せつけてきたことで、クロの思考が徐々に鮮明になり始めた。
冷や汗がクロの頬を伝う。
「ッ!?」
ふと騒音が増した気がした。いや、それは決して気のせいなどではなく確実に増している。
周囲の木々の揺れが目に見えて大きくなってきた。
つまり、近づいてきているのだ。
ここにきてようやく、クロの聴覚も騒音を聞き分けられるほどに緊張を取り戻した。
聞こえてきたのは鬨の声であり、悲鳴であり、断末魔であった。
「クロ、急がないとまずいわ」
現実に対するクロの認識が追いついた時、視界の端に真っ赤な魔法を捉えた。
夜空を照らす一条の熱線。とても攻撃とは呼べないようなそれは、ある種の存在証明のようにも感じられる。
本来なら誰が放ったのかも分からない魔法だが、クロには心当たりがあった。何度もその身に受けたそれをクロが見紛うことはない。
「チャルック……!」
クロを何度も追い詰めた敵も学園に召喚されてしまっているらしい。しかしチャルックに対する怒りは置いておくべきだ。今はそれどころではない。仲間に対する心配がジュリエットに対するそれを凌駕し、クロは魔導具の示す先に向けて足を走らせる。クロは《爆身》に必要な強化魔法を掛けながら走行を続け、ソフィアラもそれに続く。
「ッ……今度は何だ!?」
一筋の魔法が天高く撃ち出された。それに呼応するように、学園の各所から様々な属性の魔法が次々と立ち昇る。
「チャルックって人の魔法を真似ているのかしら。自分はここにいるぞ、って言っているようね。もしかしたら何かの合図かも」
「少なくとも、良い信号ではなさそうですね……っと、そうだった」
ここでクロは思い出したように振動し続ける腕輪へマナを込めた。一瞬振動が止まったが、そこから再び激しく振動が繰り返される。腕輪は振動していることが正常な状態なのかと勘違いするくらいの暴れ具合を示した。クロは当然のようにそうしたのだが、受け取った面々にしたらそれは異常信号でしかなく、混沌とするのは自然な流れだ。
「そうよね、伝え忘れていたわ」
ソフィアラも腕輪にマナを込めたことで、ようやく学園内に仲間五人の生存が確認された。しかし今はそれを喜んでいる暇はなく、それぞれ危機的状況から脱することが目下の最優先事項である。
そんなことで一喜一憂していたからか、クロは不意の攻撃に反応できなかった。
「ッぐ……!?」
ソフィアラには目の前のクロが足をもつれさせたように見えた。走行中だったこともあって、激しく身を打ち付けて転がるクロ。
どうしたのかと不思議に思った時、ソフィアラの耳に風を切る音が届いた気がした。
考えるより早くソフィアラが横手に身を投げ出すと、何度か地面を叩く衝撃が響いた。そのうち一発はソフィアラの足を捉えている。
「ん゛ッ……!ロード、スプラッシュ」
冷静に状況を分析しつつ、ソフィアラは水の粒子をクロと自身の周囲に展開し始めた。
痛みはあるが、反応が間に合ったということで傷は浅い。だからこそ思考は損なわれず、行動に差し支えることはなかった。
今のところ追撃は来ないようだが、どこから先ほどの攻撃が降り注ぐかは不明だ。
防御を敷きながらソフィアラがふと攻撃のあった場所を確認すると、地面には黒い楔が三本穿たれていた。夜の闇に溶け込ませた攻撃は、それから数瞬ののちに完全に消えてしまった。ソフィアラはそれを闇属性の攻撃だろうと推測する。
「クッソ……せっかく健康になったばかりだってのによォ!」
「クロ、ちょっと黙って」
肩に刺さった暗器を引き抜きながらクロが喚いている。それに対してソフィアラはちょっとだけキレてしまった。敵がいるにも関わらずクロ声は大きすぎる。
そこからクロは怒りを糧になんとか身を起こし、謝罪を口にしながらソフィアラの側に身を寄せる。
「闇に乗じるとか許さねぇ!ロード、マイナーヒール……。お嬢様、ちょっと集中するんで防御はお願いします。ロード、ウルトラサウンド」
「傷は……って、大丈夫なのね。任せておいて。ロード、ダイヤモンドダスト」
クロが冷静さを取り戻したのなら、ソフィアラはいちいち口を挟むつもりはない。しかし彼女の傷に気がつかないとはどういうことなのだろうか。
ソフィアラはクロに頼りすぎなのもいけないなと考え直し、もし彼女一人だった場合にどう対応するかを考えながら防御の層を厚くしていく。ついでに先日会得した魔法も重ねる。
「少なくとも前方に敵はいません。多分もう姿をくらませてますね。どこからかまだ俺たちを狙っている可能性は大いにありますが……」
「索敵範囲はどれくらい?」
「方向を限定すれば50メートルくらいですが、全方位に意識を向けたらその半分程度しか精度は出ません。って、お嬢様、怪我してません!?」
「擦り傷よ。今は敵の攻撃に集中して」
「いえ、一応回復魔法掛けときます。気付けなくてすいません……」
しゅんとした様子でソフィアラに回復魔法を掛けるクロ。どうやらこれで本当に理性は正常に戻ったようだ。
「敵がはっきりしないなら、とりあえずここを離れましょう。多分だけど、後ろからも誰か来てそうじゃない?」
「そう……ですね。結構な数が迫ってると思います。今思い出したんですけど、これってリバーの言ってた襲撃ってやつなんじゃないですかね?それだと学園がおかしな雰囲気になってることも頷けます」
「そうね。その前提で動きましょ。襲撃っていうくらいなんだから、相当数の人間が入り込んでくることは容易に想像できるわ。どうやってそれを成功させるかは別にして、今は混戦に巻き込まれないことが先決よ」
「りょ、了解です」
今度は防御を厚くしているために、二人は半ば強引に逃避先を目指す。
「ここから一番近い建物は図書館ですね。あそこだと隠れる場所も多そうですし、安置を作って作戦を練ろうと思います。ガルドたちがいるのもその先ですから。それでいいですね?」
「問題ないわ。夜目が効かない中でこんな広場に居るなんて自殺行為だもの」
「……あ」
「どうしたの?」
「ロード、ナイトアイ。すいません、忘れてま──しつこいッての!」
クロは裏拳で徐に宙を殴りつけた。そこにちょうどぶつかるようにして飛来してきた黒い楔が触れ、粉々に砕け散った。夜目が効くようになったクロに先程と同じ攻撃は通じない。地面に足が着地するたびに発せられているウルトラサウンドの効果もあり、速度に特化した攻撃でもなければクロにダメージは見込めないだろう。
ソフィアラの方にも同様の攻撃が飛んできていたが、彼女が周囲に浮遊させている氷盾がそれを見事に防いでいる。そして砕けた盾は少しの時間を置いて同じ場所に再展開される。
「はぁ……まだ諦めてないっぽいですけど、敵は大したことなさそうですね。強化魔法を超えて俺にダメージを与えられてませんし。とりあえず炙り出しますか。出ないなら出ないで構いませんから。ロード!」
果たしてクロは大丈夫なのだろうかと、ソフィアラは心配が勝つ。決して敵が恐ろしくなというわけではないが、目下の不安要素はクロの精神状態である。ここはもう結界の外で、現実だということをクロが理解できているかが甚だ疑問なのだ。
クロは結界という長期の極限状態に曝されて、恐らく倫理観が壊れてしまっている。しかしそれは咎められるべきものなのだろうか。ソフィアラ自身もここ最近の活動で倫理観がやや崩れて来てしまっているが、アヴェンドロトの話で言えば環境に適応しているという考えができなくもない。
それにしても、アヴェンドロトはどこへ行ってしまったのだろうか。光が明けた時にはすでに彼の姿がなかったことから、彼だけが別の場所に召喚されたのかもしれない。もしくは、仕事を終えたということで撤退したという可能性もある。そんなことなら──。
「感謝を伝えておけばよかったわね」
「……お嬢様、どうしました?」
「いいえ、気にしないで。敵の居場所は林の中ね?」
「動き回ってはいそうですけどね。じゃあ、いきます」
クロは手元に二発の火球を出現させている。傍目には弱そうな魔法だが、これはクロが得意としている圧縮の効果によるもの。
ソフィアラの目には、クロの魔法が見た目以上のマナを集約させていることを知覚できている。アヴェンドロトの魔法を受けた影響もあってか、どうやらソフィアラの眼が“視る“ことに特化されつつあるらしい。
「ファイアボール!」
クロは両の人差し指の先から火球を撃ち出した。その際に伴われるバンッという掛け声が何なのかはソフィアラには分からないが、クロ曰くこのイメージが最も綺麗に飛ぶようだ。
彼女が想像した以上に火球は真っ直ぐの軌道を描いて林の中へ。直後、元の大きさからは考えられない豪炎が木々を焼いた。その直径は5メートルほどであるが、直撃すれば大ダメージは免れない。拡散の衝撃で根っこから剥がされるものもあり、クロの攻撃が相当な威力だということは容易に想像できる。
「どんどん行きます」
今度は左右の手で交互に魔法を撃ち出すことで断続的な魔法使用を可能にする。ソフィアラの盾の隙間から360度無作為に放出されていく。
ここまで来れば、もはや軽い戦略兵器だ。
クロは自身のことを極端に低く見積もっているが、そのマナ総量であったり魔法の応用性は周囲が真似できない特殊技能だ。とりわけ攻撃能力に乏しいソフィアラには、流涎ものの技能である。
木々が延焼していく。少なくとも見える範囲の木々は激しく炎を上げているので、そこを越えてくる者がいればすぐに目に付くほどには光源を得られている。また、炎は敵の侵入を阻む壁としての機能も果たしているため、クロの攻撃は攻防併せ持つ素晴らしい判断だったと言える。
「ここまで派手にやれば、敵は迂闊には攻撃してこないはずです。今のうちに動きましょう」
「そう、ね」
そこから敵の追撃はやってこなかった。一連のやり取りで倒せたとも考えにくいが、的に厄介な相手だという印象を植え付けられたのかもしれない。しかしこれで全ての危機が去るわけでもなく、むしろ標的にされる可能性を上げたとも考えられる。
やはりクロは何も考えていない。ソフィアラはそう結論付けた。
▽
クロとソフィアラは図書館の屋上に陣取っていた。そこで二人は疲れた顔を見せ合っていた。
「どうします……?」
「どう、と言われてもね。見張られてる限りは動けないわ」
「ですよねー。魔法が使えないことにはどうしようもないですからね……」
時間は少し遡る──。
二人が避難しようと図書館に接近していた頃、校舎棟の方面からこちらに近づく集団があった。彼らの足取りはひどく落ち着いたものであり、具に彼らの異常性を感じ取ったクロは方針を変更した。
「お嬢様。ヤバそうな連中が来てるんで、ひとまず逃げ道確保する意味で屋上に身を隠します。中に入って追い詰められたら面倒ですからね」
クロが彼らに気が付けたのは、ナイトアイが効力を発揮していたからだ。
ソフィアラはクロの助言を受けて図書館の側壁に足場を形成しながら屋上へ登る。行動が早かったからか、二人はバレずに身を隠すことができた。先に気づけたのは運が良かったと言える。
程なくして五名からなる集団が姿を現した。特に装束が揃えられているというわけでもなく、彼らが志を同じくした集団かまでは読み取ることができない。そのうちの一人はクロとソフィアラが共に面識のある人物であった。まるまると太ったピエロなど見紛うはずもなく、それはよく知った顔に他ならない。
動きを追っていると、クロの予想通りどうやら彼らの狙いは図書館にあるらしい。
その後、五人のうち二人を外に残して図書館内に入っていくところまでが確認できた。
「あいつ何やってんだ……」
「あれはリバーの仲間?」
「どうなんでしょう。そこまでは流石に判断できなかったですね。……というかリバーが学園にいるなら、今回の騒動は教団の襲撃ってことになるんですかね?」
「そうなるのかしらね。そう考えるのが一番自然だけれど……追うのは危険よ?」
「分かってます。下手な行動は慎みますよ」
クロは残った二名の観察に移った。光属性の反射鏡を用いれば、相手に見つかることなく観察が可能になる。
彼らの意識が別の方向に行けばクロはすぐにでもここを発つつもりだったが、そうはいかない。
問題はここからだった。
図書館は学園の中でもやや孤立して位置しているために、これに続く建物の類はない。
クロたちがここから移動するには、一度地面に降り立つ必要があった。それを阻むのが例の二人で、一人は三メートルほどの巨漢であり、何かの職種のものであろう紺の制服を身に纏っている。もう一人はすらっとした長身の女性で、黒のドレスワンピース姿である。しかしどちらも到底まともな人種には見えないのはなぜだろうか。
彼らは周囲の敵を警戒してか、図書館から適度な距離で以って巡回を続けている。これではなかなか移動が難しい。クロ一人であればそれも可能だろうが、こちらにはソフィアラがいる。クロが人ひとりを抱えて移動するには、彼らの行動は隙がなさすぎる。
「明らかに何かを警戒した動きですよね。ここが今回の騒動に関して重要な施設だということは間違いなさそうですね」
「アルたちのことが気になるから一刻も早く移動したいところだけれど」
「ここに登ったのは失敗でしたかね……。逆に行動を制限されてしまってますし」
陸の孤島とはまさにこのこと。
女の方がやけに図書館屋上を気にかけているということもあって、現在のクロたちは迂闊には動き出すことができない。
「ここは少し様子を見た方が良さそうね。もし動くとしても、どこもかしこも色々と厄介そうだから迷いどころよね」
「と、言うと?」
「さっきの示し合わせたような攻撃があったでしょ?あの辺りに軒並み結界魔法らしきものが展開されているのよね。つまり、今は陣取り合戦ということ」
「結界って、展開したもの勝ちみたいなところがありますよね?」
「そうね。あの全てが敵によるものだったら非常に面倒だということよ。でもそのあたりは先生方だったり上級生たちが何とかしてくれることを祈るばかりね。ただ、ここも安全とは言えない訳だけれどね」
最終的にクロたちは様子見をするという選択をしたが、その判断が状況をさらに悪化させることとなる。
時間をかけるほどにクロたちの思惑を無視して状況は進行し続けている。それが分かっていながらも、無為に時間だけが経過していく。
巨漢と長身の女が徐に動きを止めた。クロがその意図を測り兼ねていると、魔法の波動がクロとソフィアラの全身を通り抜けた。波動が図書館の中から発せられたことまでは理解が及んだが、その思考は意味のないものだ。
まず展開中のクロの反射鏡が砕け散った。それに驚いている暇も無く、続けて強化魔法も含めた全ての魔法が効果を失った。
「やっちまった……」
「……裏目ね。これでますます動けなくなったわ」
「どうします……?」
「どう、と言われてもね。あれが見張ってる限りは動けないわ」
「まぁでも、逆に考えればここが重要施設だという証明にもなりますよね。それを為すのが味方であれ、敵であれ」
「リバーがいるけれど、これが味方かどうかで変わってくるわね」
「もともと味方かどうかが怪しいですからね……。リバーはお嬢様の命が第一みたいな動きをしてくれますけど、一応は所属は教団っぽいですし。敵か味方かと言えば、敵に近いと思いますよ」
「じゃあその判断で動きましょ。ところで、クロは魔法を使える?」
「んーと……防陣は機能してますね。その他は──」
クロは回復魔法、強化魔法、そして攻撃魔法と続けていく。
回復魔法について即時回復効果は発揮されたものの、持続的な効果は打ち消された。一方、強化魔法と攻撃魔法は発動した先から効果が失われている。
「おそらく、防陣下の強化魔法は機能しそうです。それ以外の方法は全て意味ない気がします」
「そう……」
「結界の範囲は分かります?俺は全然見えないので、自分が結界の中にいるってことくらいしか理解できないんですよね」
「半径で言うと三十メートル程かしら。何とかできそうな距離でもなさそうだけど、クロのナイトアイも機能してないでしょ?」
「防陣下でナイトアイを使うので、瞬間的には何とかなるかと。あとはあの二人の様子を……」
クロが屋上から落っこちないように少し顔を出して下を覗き込んだ。
先程のままであれば長身の女が居るはずだが──。
「えっ?居ない……?」
──そこには誰も居なかった。
「誰ぞ探しておるのか?」
ゾッとクロの背筋が冷えた。
背後から届いた声に怖気を抱きつつ目を遣ると、確かについさっきまで下に居たはずの女性がそこに居た。肩ほどまでのウルフカットの髪は左右で白と黒の完全なツートンカラーに分けられ、なにやら獰猛な印象を受ける。瞳も髪と同様に左右で白黒で、何かのこだわりがあってそうしているのか生得的なものかまでは窺い知れない。
そんな女性は片方の手でソフィアラの白い首をそっと締め付けながらクロを嘲るように見ている。女のもう片方の手はソフィアラの両腕を後ろ手で縛り付けているようだ。
「おい……その子を離せ……!」
「クロ、ゔッ……!」
「命令できる立場か?分を弁えよ。……娘、口を開くことは許可しておらぬ。次話せば首をへし折るぞ?そこな小僧も同様じゃ」
「「……!」」
女性はソフィアラの首を弄びながら二人の様子を眺めて猟奇的に嗤う。
「理解が及んだのなら降りてくるがよい」
次の瞬間、フッと女性とソフィアラの姿が掻き消えた。
クロが階下を見ると、そこにはすでに二人の姿がある。そしてその隣には巨漢の姿もあった。
逃げられない。いや、ハナからクロたちの存在はバレていたのだろう。
クロの中にすぐに行動していればという気持ちが募るが、もはや後の祭り。
ソフィアラを人質に取られて動けないことを見せつけてしまったがために、彼女の人質としての価値を認めてしまったも同然。
「くそ、失敗した……」
先手を打たれたためにクロは女性の指示に従わざるを得ず、失意の中で地表に降り立った。
「逃げてもよかったのじゃぞ?ま、賢明な判断だの」
クロは怒りの視線だけを女性に向けつつ、言葉は発しなかった。先程の指示がまだ生きていた場合、それはソフィアラの死に直結するからだ。
女性はクロの様子にさも残念そうな表情を浮かべながら、ソフィアラを巨漢に預けて歩き出した。クロもそれに続く。
それにしても、近くで見た巨漢の重圧が凄まじい。彼は能面を貼り付けたような表情であり、その所作も機械的なものに感じられる。そんな彼に片手で握られてしまったソフィアラは、すでに死んだような目をしていた。それもそうだろう。おもちゃのように扱われるソフィアラからすれば、いつ握りつぶされてもおかしくはないのだから。
歩みの中でクロは脈打つ心臓を必死に押さえつけながら脱出の糸口を探す。このまま黙って付いていったところで、安全に解放される保証などない。であれば、少ない情報の中で使えそうなものを把握しておくべきだろう。
クロが今最も懸念すべき事項は、魔法を無効化している人間もしくは魔導具の存在だろう。魔法さえ使えればできることは格段に増える。次点で考えるべきはリバーの有用性だろうか。彼が味方かどうかで話は大きく変わってくる。
「ロウリエッタ様、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。深く陳謝致します」
思考を巡らせるクロを迎え入れたのは、やはりというかなんというかリバーであった。
リバーの態度から、彼がロウリエッタと呼ばれる女性よりも格下の存在ということが分かる。これによってリバーを活用する線は失われてしまったに等しい。上司が存在している空間でリバーが下手な行動に移るとは考えにくいからだ。少なくとも、リバー以外の面々は彼と思惑を異にしている存在であることは間違いない。
クロは別の逃げ道を模索するため、全ての人間の所作を観察する。
「そなたが殺すなと言うから連れてきたが、無価値な人間なら即座に殺すぞ?」
「どちらも私の手足として学園内で活動してくれていたので、どうかご容赦を。特に男の方はこれからの動きに大きく関わってきますので、全てが終わるまでは命の保障をお願いします」
「ふーん、この小童供がのう……」
ロウリエッタの視線は訝しげだ。リバーの言葉の真意を図りかねているのだろう。
「やぁやぁ、ロウリエッタさん。どうかしましたか?」
そんな彼女に声をかける存在が現れた。
また新たな存在か、とクロは辟易とする。ただでさえ人間観察に忙しいのに、その対象が増えるのは面倒でしかない。
ぴょんぴょんと跳ねるように上階から降り立ったのは、小柄な青年。少年と言っても差し支えない童顔はどこからも悪意を感じない。むしろ庇護欲をくすぐられるような感覚さえ湧き上がるようだ。茶色の癖っ毛にクリッとした瞳、そこにオーバーオールという服装からはとても敵だという印象を覚えないのだ。しかし彼らは教団に属するであろう敵、そこは間違いないだろう。
「ニコラス、そちらの調査は終わったのか?」
「上階は概ねって感じですね。僕の担当場所は大した成果がなかったので降りてきちゃいました。あと、なんだか揉め事の匂いがしたので。でもまだロドヴィゴさんが残ってくれてますので、決してサボっているわけではありませんよ?」
「叱責は控えてやろう、感謝するがよい」
「ありがたき幸せ。ところで、現在の状況をお聞きしても?」
「リバーの連れてきた小童供が使えるという話じゃが、どうにも信用できぬ。そなたならどうする?」
「んー、好きにさせたらいいと思いますよ?見た感じ大したことなさそうですし、グレゴリオさんがその娘を人質に取ってたら下手な行動は避けるでしょう。何の目的でその子たちを連れてきたか分かりませんけど、色々やらせた上で無能ならリバーさんごと処分すればいいわけですし。結果だけ見てあげては?」
「……それもそうじゃな。ではリバー、そなたの進言を認める。今回の作戦が終わるまでは好きにするがよい」
「恐れ入ります」
「ニコラスは持ち場にお戻り」
「了解しました」
ニコラスが上階に戻るのを待って、ロウリエッタはクロに視線を移した。
「では小僧、リバーの指示に従って動くのじゃ。解っているとは思うが、そなたが拒否すれば娘は殺すし、失敗しても殺す。妾も同行するから必死に働け」
「……」
「ではこちらへ。入口はすでに発見しておりますので……」
ロウリエッタに顎で指示され、クロはリバーの後を追う。背後にはロウリエッタを伴って。
引き離されることが分かってクロは視線をソフィアラに向けると、彼女は心配そうな面持ちだ。しかしどうしようもない。
ついに本棚に隠れてソフィアラの姿が見えなくなったところでクロは覚悟を決めた。首根っこを掴まれている状態から脱するために、ひとまずは状況に流されるしかないのだ。
まずリバーが足を止めたのは、図書館一階の最奥にある何の変哲もない本棚の前。そこでいくつかの本を撤去すると、小さな魔法陣が複数出現した。
「私の手だけでは足りませんので、クロさんもお手伝いをお願いします。魔法使用不可とはいえ、マナを込めるだけなら可能ですので」
「ああ……」
リバーの指示を受けて、両手と片脚を魔法陣に触れさせた。魔法陣は合計で六箇所。それぞれ三箇所をリバーとクロで分け合い、同時にマナを込める。
ガコンという音とともに本棚が押戸の要領でスライドし、そこには下層へ至る階段が出現した。
「ではこちらへ」
ここから進むということは、ソフィアラから更に引き離されるということ。
クロは不安を胸に足を踏み出した。
石の階段は螺旋状に真っ直ぐ下へ向かっており、光源が無いために不気味さが際立つ。
この時、唐突に背後から光が押し寄せた。
驚くクロをよそに光球がふわふわと頭上を通り抜け、リバーの前方でピタリと動きを止めた。それはリバーの動きに合わせて常に一定の距離を漂っている。
「ロウリエッタ様、ご配慮痛み入ります」
リバーは声だけを背後に投げかけつつ、歩みを進める速度だけは変えない。
魔法使用不可にも関わらず魔法が使えるロウリエッタ。まず一つ情報を得られた。ソフィアラが攫われた時点でそれを目の当たりにしていたが、確証は無かった。ロウリエッタは光属性。これをまず心に留める。
リバーは何か情報を与えようとしているのか?クロは意図の読めないリバーの言動に注意しつつ彼に続く。
降段に関して時間としては十分にも満たなかったが、緊張感に溢れた降段を終えると今度はだだっ広い地下空間に出ることができた。階段の中とは違ってここは壁の各所に魔光灯が設置されており、それによって一部ではあるが空間の全貌が見て取れる。
クロは手すりから下を覗き込んだ。
ここは天然の鍾乳洞に作られた空間であり、すっぽりと巨大な吹き抜けが遥か下層まで続く。鍾乳洞の外壁を取り囲むように円形に足場が形成されていて、それが何層も上から下まで連なっている。地下の一番深くは暗くてよく見えない。落ちればひとたまりもないだろう。
ザーッという音が耳につく。加えて大量の湿気を含んだ空気がクロの肌を叩く。これは壁面から大量の水が噴出していることにより生じているもので、滝のようなそれらは各所に散見できる。
壁面には横穴も多数見受けられるので、人が隠れるにしても何かを隠すにしてもうってつけの大空間である。迷子になれば一人で戻るには苦労しそうである。果たして、ここで何を探すのだろうか。その答えはすぐに得られた。
「おそらくこの何処かに禁書庫があるはずです」
「禁書庫?」
思わず口を開いてしまって焦るクロだったが、ロウリエッタからの沙汰は無い。許されたようだ。
しかし、書庫と呼べるようなものが存在していることには違和感が大きすぎるこの空間。どう攻めるのだろう。
「伝え聞いた話なので情報の精度は不明ですが、現在では失われた知識やそれに類する魔導書、その他魔法触媒なども存在しているようです。あとは、王宮と繋がっているという噂も。腕試しの際、皇帝がどこから現れていたか不思議ではなかったですか?それも含めて、今回の調査で色々と明らかになるでしょう」
「……リバー、話はそのあたりに調査を続けよ。まさか、扉を開くだけが小僧の役割では無かろう?」
「ええ、ご心配なく。ではこちらへ」
ここから三人が手分けして調べるということもなく、やはりリバーを先頭にした陣形は崩れない。
壁伝いに進むと、まず一つ目の扉が見つかった。それはどう見ても木製の扉にも関わらず、押しても引いてもピクリともしない。それどころか、ロウリエッタの放った魔弾でさえも全て弾かれ無効にするという謎仕様。その際、ロウリエッタに魔法詠唱は無かった。
「さ、クロさん出番ですよ」
「俺に何をしろって言うんだ……?」
「ほら、いつもやっているじゃないですか。クロさんは魔法的な施錠であるなら、その特異体質で以って触れればたちまちに開いてみせるではありませんか」
「何──」
「上で見たような条件式の施錠であれば条件を満たさない限り開きませんが、魔法的に閉じてしまっている施錠ならクロさんの十八番でしょう。ささ、そこの取手に触れてください」
「──って、ああ、了解した」
クロはリバーの指示、そして意図を理解して彼の発言に同意を示した。
しかしクロに鍵開けの能力は無い。それはリバーも重々承知のはず。可能なのは、防陣を介して魔法を無効化することのみ。だとすれば、リバーの意図はクロの魔法無効化能力を隠したいということだろう。あくまで鍵開けに特化した能力だと錯覚させることが狙い。加えて、後にクロの能力を使う可能性があるということも読み取ることができる。
クロは促されるまま、自然な流れの中で胸元の魔導印にマナを送り込んだ。
防陣は、発動そのものに大したマナを必要としない。必要なのは、起動させるための刺激としてのマナ。最終的マナ消費は、起こり得た事象を打ち消した直後にマナとして徴収される仕組みだ。それに、如何な能力といえどマナ消費を伴わないものは存在しない。
そしてクロが扉の取手に触れた瞬間、これまでには経験したことのない事象が起こった。
「……!?」
クロは違和感を悟られないようにそれを受け入れる。
初めに見たものは、その手で触れた魔法の全容である。それがどのような構成で、どのような規模で、また空間のどこと繋がって機能しているか。言うなれば、パソコンの電子基盤が外部から丸見えになっているようなもの。それが一瞬でクロの頭の中に流れ込んできたのだ。
全てに干渉してしまえばクロのマナが全損することは間違いない。ただ、現時点では魔法無効化が生じていない。この現象が何を意味しているのか。クロにはすぐに分かった。
時が止まったような感覚の中で、クロは脳内に描かれている魔法の流れを遡行する。それらは複雑に絡み合っており、ここではない場所の魔法とも干渉しているようだ。しかし、クロは超感覚で以って目的のものを発見できた。
目の前の扉を固く閉ざす術式。必要なのはそれだけだった。扉が魔法を無効化する過程など関係はない。扉自体が開閉可能という事象さえ得られれば、開かずの扉は魔法無効化処置の施された扉に早変わりする。ただ、それだけのことだ。
クロは壊すべき術式をそっと覆うようにマナを浸透させ、力を込めた。
ガチャ──。
ピクリともしなかった扉から響く異音。
クロが触れた手を軽く回すと、最も簡単に取手が動いた。これまでのことが嘘だったかのように扉はぬるりと開き、開かずの間が口を開いている。
クロのマナ消費は一割にも満たない。その程度の消費で、事は為されてしまった。
「どうでしょう、ロウリエッタ様」
「リバー、そなたの手勢の有用性を認める。疾く中を確認せよ」
「畏まりました」
内心ホッと胸を撫で下ろすクロ。ここで失敗していれば殺されていただろう。殺されていないとしても、魔法使用不可領域での戦闘となればロウリエッタに軍配が上がる。防陣を差し引いた戦闘能力で言えば、クロなど彼女の足元にも及ばないだろう。
そう言えば、結界内で戦闘を繰り広げたチャルックやトナライもロウリエッタと同様の無詠唱魔法を見せつけていた。そんな彼に勝てていないクロが彼女に敵うはずもないのは明白だ。彼らは全て同じ教団で繋がっているのかもしれない。今更になってそのようなことに思い至りながら、リバーが屋内を物色する様子を観察する。
屋内は簡素な木製机や小さな本棚、そして乱雑に散らばった資料がいくつか散見できる。少なくとも、誰かが生活していたというよりは作業していた部屋という印象が大きい。
「厳重な割には大した資料はありませんでしたよ。あったのは、ここの大まかな構造マップと管理人の業務、そして地下大水源にいる魔獣の存在程度のものです」
「詳しく説明せよ」
「畏まりました。ここは地下空間に人工的に設計された、学園の極秘施設といった立ち位置でしょうか。魔法生物の実験場としても機能しており、地上で管理の難しい書籍や遺物なども保管されているようです。それらを全て取り仕切るのが管理者と呼ばれる存在のようです」
「管理者とはあれのことかえ?」
コツ、コツ──。
今クロたちがいる足場の対岸。そこを歩む存在がある。こちらに視線を向けながら、明らかに味方ではない雰囲気を漂わせる黒衣の人物。全身をすっぽりと覆った外套から覗くのは不気味な白い仮面。
「恐らくは……。先程の解錠を察知したと思われます。どうなされますか?」
「そなたたちはここで大人しくしておれ。リバー、小僧を逃したら即座にそなたと人質の娘の首を刎ねるからの?」
「畏まりました」
「デュアルマジック、ロード。さて、葬るとするかのう……コズミック フォース」
ロウリエッタは混合魔法を身に纏い、管理人らしき人物へ向かう。
彼女がそこそこ距離が離れた時点で、クロが口を開いた。
「おい、リバー!どうなってる!?この状況は何だ!」
「おやおや、一気に捲し立てられても困りますねぇ。非常にまずい状況としか説明はできませんよ。まったく、お互い大変なことになってしまいましたねぇ……」
「何を他人事みたいに……!お嬢様の命が掛かってるんだぞ!?ちょっとは必死になったらどうだ!」
「そう言われましても、私にできることはありませんよ。せいぜい殺されないように立ち回ることしか──」
「いいか?このままだと俺たちは使い捨てにされて殺される!お嬢様もそれに続くだろう。俺はこんなところで油を売っている場合じゃないんだ。だから何か策を考えてくれ!」
「そう言われましてもねぇ。私も個人的な活動を咎められて彼らとの活動を余儀なくされている状況ですから、迂闊な真似はできません。それだけはご理解ください」
「……ッ!いいだろう。色々聞きたいことが多すぎるが、恐らくあんたの言動は監視されているんだろ?」
「ご明察!さすがですね。あなたの洞察力には以前から感心してばかりです。お変わりがなくて安心しましたよ」
「おい、無駄な会話をしている場合じゃないんだ。しっかりしてくれ」
「では質問をどうぞ。答えられる範囲でお答えします」
「じゃあ、そうだな……。あいつらは何者だ?なぜあんたと行動してる?」
クロの視線の先では、まさにロウリエッタが管理者と近づきつつある。
早く情報を集めないとまずい。場合によっては管理者が一瞬で消されてしまう可能性もある。
「彼らは、“十本指“と呼ばれる方々です。教祖も一目置く絶対的な力を持つ彼らは、今回の作戦に重要な役割を果たしています。現在学園の各所で陣を張り、狩りに興じていることでしょう」
「狩りって何だ?何を狩ってる」
「邪魔な存在の全てですよ。学生だったり教員だったり、教団が学園を手に入れるための準備──その前処理を行なっているようですね。まぁそれができてしまう方々なので、私程度ではどうにもならないということですよ。その中でも最上位に君臨するロウリエッタ様は得体が知れません。あなたのことですから、ここから何かのアクションを起こそうとお考えだと思います。ですが、やめた方が良いです。あの方が目を光らせている状況で下手な行動をすれば、即座に咎められてお終いです」
「じゃあこのまま従っておけばいいのか?最終的には殺すって言ってるんだぞ?あんたはお嬢様が心配じゃないのか!?」
「ええ、心配ですよ。ヒースコート卿との契約でお嬢様を殺させるわけには参りませんから。ですが、その契約を履行してくれるほどには彼らはこちらと良好な関係とも言えないのですよ」
「……どういうことだ?」
「私は訳あって複数の組織に身を置いています。組織の上層はもともと一つなのですが、私が主に所属する組織のトップと教団を束ねるトップは異なる考えで動いています。ですので、なかなか折り合いが付かないのですよ。私はお嬢様に危害が及ばないことを考えつつ、現在身を置いている組織にも協力しなければならない。そういう状況だとご理解いただければ幸いです」
「訳が分からん……。とにかく、お嬢様の身を案じているということは理解できた。じゃあ次の質問だ。ここまで降りてきたはいいが、未だに魔法無効の空間が機能している。どういうわけだ?」
「ああ、気になりますか。それはですね、魔法無効化を為す魔導具が私の身体に埋め込まれているためですよ。あの方々は特殊な状況によりこの魔導具の影響を受けませんから、やりたい放題できるというわけです。あの管理者もすぐに殺されてしまうでしょうね」
「じゃあ俺はあんたと行動を共にする限り魔法が使えないってことか?」
「そうなりますね」
「上の連中はどうなる?」
「すでにそこまで魔導具の影響は及んでいないでしょう。魔法無効化空間は、ここへ至るまでの邪魔が入らないようにするための手段に過ぎませんでしたから。あの方々にとっては、こんな空間などあってもなくても良いものです。あくまで保険として持ち込まれたわけですが、それがあなたの首を締め付けているというわけですね」
「何を軽く言ってるんだ……。が、まぁいい。次の質問だ。あんたはどうして俺たちを巻き込んだ?」
「図書館に来る過程で見かけてしまいましたからね。放っておけば、お二人はあの方々に見つかって処理されていたでしょう。ですので、その前に私が手を打った次第です。先程開いていただいた扉に関しても、私に解錠する手段がなかったわけではありませんが、あなたが居れば問題は容易に解決できました。こちらの思惑を遂行する手段として利用させていただいたという側面もあります」
「そうか、大体のあんたの事情は分かった。あとは俺だけで何とかする……」
クロはそれ以上何も聞かなかった。
全てのリバーの言動、及びクロとの会話も盗み聞きされている可能性は非常に高い。あまり追求しすぎてリバーの立場を悪くしてしまうのはクロとしても申し訳なかった。
クロはぐっと身を引き締めた。クロは今持ち合わせている手札と、こっそりとリバーから齎される情報、そしてここから見聞きするあらゆる事象。それらを用いてロウリエッタを出し抜かなければならないのだから。
そうクロが意気込みを新たにしている場面で、ちょうどロウリエッタと管理者が接触した。そこに言葉はなく、容赦の無い魔法の応酬が開始された。