第126話 交際
「クロ君、もういいの?」
一足先に店を退出したフランシス。
ジュリエットは彼が出て行った扉が閉じるのを背後に確認しながら、俺の対面に腰を下ろした。
「ああ。
せっかく誘ってくれたのに時間を取らせてすまないな」
「ううん、私の方こそ内容を伝えずに連れてきてごめんね」
「いや、いいさ。
とりあえずあいつとの話も終わったし、この店を楽しもうぜ」
「そうだね!
えっと、メニューは……」
「こちらをどうぞ」
二人でメニュー表を探していると、やや上の方から声がかかった。
気がつくとテーブルの横にマスターが居て、重厚なメニュー表を手渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、改めてご挨拶をさせてください。
御二方、本日はようこそお越しくださいました。
私はこの店のマスターをしておりますグライと申します、以後お見知り置きを」
そう言ってグライは俺たち二人に名刺を手渡してくれた。
「あ、これはご丁寧にどうも……」
「ありがとうございます」
「すでにお代はフランシス様より頂いております。
お好みのものをご注文いただければ幸いです。
メニュー表の後半には夕食の品も載せておりますので、そちら是非……」
グライはそれだけ説明すると、俺たちの時間を邪魔しないようにするためか、すぐにカウンターへ戻っていった。
「スペデイレの野郎……!」
「え、なんで怒ってるの!?」
ジュリエットが当惑しているが、俺は憤っていた。
やつが気の利いた小洒落たことをしてくれたおかげで、俺がカッコつけられなくなったからだ。
女の子と外出するなら男の俺が全部支払う気持ちで出てきたのに、それが台無しだ。
あの野郎、許さん!
「……冗談だよ。
また会った時に礼を言わないとな」
「そうだね。
色々気を遣ってくれてありがたいね」
これでもう一度やつに会う口実を作られてしまった。
ここまでがやつの策略か?
ふざけやがって!
そこからはメニュー表を眺めながら悩みに悩んだ。
そして俺たちは、
「このセットを二つお願いします」
ケーキとドリンクのセットを頼むことに。
ドリンクは、ジュリエットが紅茶で俺がコーヒーだ。
地球とは世界が違うだけあってどちらも全く異なる味わいだが、楽しみ方はそう変わらない。
香りも味も、余すことなく享受することができる。
「迷ったねぇ。
全部のメニューを制覇するには、かなりの回数通うことになりそうだよ」
「通うのかよ!
って、俺もそんな気分だけどな」
そしてスペデイレの気遣いを無為なものにしないように、夕食すらここで終える計画を立てた。
まだ陽も落ちない夕方のため、夕食には早すぎる。
だからここで長時間滞在して全てを楽しもうという算段だ。
すまんなスペデイレ。
お前の想定以上に楽しんでやるぜ。
そんなことを考えていると、ジュリエットが姿勢を正しているのが見えた。
どうした?
「クロ君、まずはお礼を言わせてください。
腕試しの前は、と言うかその前から色々お世話になってたから無事試験に挑めました。
結果はどうであれ、私がちゃんと今も学園通えてるのはクロ君のお陰。
それが言いたかったんだ。
あと、試験後は泣き喚いて迷惑かけたよね。
それはごめんなさい」
ああ、そういうことね。
「なんだよ改まって。
同じクラスメイトで仲間なんだし、別に感謝することないさ。
それを俺に返そうとかも考えなくていい。
本当に感謝してるなら、誰か困ってるやつがいた時にジュリエットが同じことをしてやればいい」
「そう……だね。
それってとっても良い考え!
やっぱりクロ君は大人だね!」
「当たり前のことをしてるだけだ。
でもまぁ、ジュリエットの役に立てたなら良かったよ」
今の俺ってめっちゃ良いやつっぽいな。
まぁ実際、誰かに何かを返すのって難しいしな。
感謝をニ者間でやるくらいなら、他の誰かも巻き込んで感謝を繋げればいい。
俺はそう思って行動している。
「うん、ありがとう。
これはさ、言わないと気が済まなかったから言わせてもらったの。
これは私の本心だから、私がそう思ってるってことは分かっておいて!」
「ああ、受け取っておく」
「ありがと!
……それでさ、さっき二人で話してたのってジュリアーナさんのこと?」
ジュリエットが声を顰めた。
「まぁ……そうだな。
気になるか?」
「う、うん。
でもジュリアーナさん個人のことじゃなくて、クロ君たちがバラバラになってることの方が気になる、かな」
こう思われるのも無理はないか。
「そんなに有名なのか」
「最近クロ君も浮かない顔してるし、何かあったのは誰でも気がつくよ。
そんな感じだから、クロ君の気分転換になればいいと思って連れ出したのが本当のところ」
ジュリエットが俺を連れ出したのはそういう意図があったのか。
周りに気を遣われるほどって、相当分かりやすかったんだな。
「まぁジュリエットがここまでしてくれた手前、隠し事は無しにするか。
……ジュリのことは、あれは家庭の事情ってやつだな。
詳しくは言えないけど、フレアマイナ家にはフレアマイナ家のルールがあってな。
俺も結構粘ったつもりだったんだが、結局ジュリは学園に通う価値がないと家庭内で判断されたんだよ。
そこで色々揉めて、結果的にみんな思うところがあったから今は距離を置いてるって感じだ。
だから別に仲が悪くなったわけでもない。
今までは一緒に居過ぎたからこれくらいの距離間に慣れないだけで、むしろ今の状態が普通なのかもしれんな」
掻い摘んで説明するとこんな感じだ。
「そうだったんだ……。
言いにくいことを聞いてごめんね。
でも、離れ離れの方が普通なんてことは無いと思うよ。
私の目から見てクロ君たちは理想的なグループだったし、私も混ざりたかったくらい。
クロ君たちがそうなっちゃったことでAクラスは今は非日常みたいな状態になってるから、私としては元通りになって欲しいかな」
「クラス全体に気を遣わせてるってのは知らなかったな。
俺としても流石に元通りになりたいんだが、喧嘩してるわけでもないから戻り方が分からなくてな」
「そっかぁ。
喧嘩じゃないなら難しいね。
男の子の喧嘩だったら、殴り合って後で握手すればいいだけなのにね」
「ま、まぁ、それもそれで間違っては無いと思うけど、色々端折りすぎだな」
実際はその間に様々なドラマがあって、最終的に仲直りって気がする。
「そんなに甘くはないかぁ。
でもさ、それってジュリアーナさんが戻ってきたら解決するんじゃないの?」
「たしかに一番の解決法はそれだな。
だけど、ジュリの家庭は一筋縄じゃいかないんだよ」
ジュリが自発的に学園に戻ることは難しいだろう、
やるとしたら、フレアマイナ家に乗り込んでジュリを返せって言うのか?
その時は絶対にクレイアーナが出てきて、今度こそ戦闘は必至だろうな。
「公爵家だし、それもそうなのかもね。
じゃあ、クロ君が力をつけて正面からお姫様みたいに助け出せばいいんだよ」
「……そんな無茶な──」
「ジュリアーナさんはそうして欲しいと思ってるはずだよ」
ジュリエットの言葉で、俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。
それは、彼女の真剣な視線が俺を射抜いていたから。
なぜ、できるのにそうしないんだ?
そう言われているような気がして、俺は言葉に詰まった。
微妙な無言の時間が流れる。
「お待たせしました」
その沈黙を壊してくれたのはグライ。
「あ、あり、ありがとうございますッ」
声が上擦る。
グライは俺の様子には反応を示さず、慣れた手つきで丁寧にケーキの皿とカップを並べる。
そして紅茶とコーヒーを注ぎ、最後には二つのポットを置いてカウンターへと戻っていった。
「じゃ、じゃあ、早速食べよっか!」
「そ、そうだな」
ジュリエットも動揺しているようだ。
お互いそれを隠すように、慌てるようにしてケーキを頬張る。
「うまい」「おいしい」
二人して美味に目を見開き、視線が合った。
そこから一瞬の空白があり、
「「ぷっ……あはは」」
笑いが漏れた。
こんな美味なデザートを前にして、何を下らない感傷に浸っているのだろう。
そう考えて、思わず俺は吹き出した。
凝り固まった空気が途端に弛緩する。
「何やってるんだろうね、私たち」
「馬鹿みたいだな。
今日は楽しむためにこんな遠くまで来たんだ、しっかり楽しまないとな」
「そうだよね!」
そこからは会話も食の手も留まることなく流れていった。
楽しい時間なのは間違いない。
俺が無垢な一般市民なら、喜んで浸っていたい幸せな瞬間だ。
これは、俺が世界のゴタゴタに巻き込まれなかった場合の世界線。
俺は今、二つの未来のちょうど中間に立っている。
ジュリエット側の普通の人生を選ぶか、それとも闘争に身を置く異常な人生を選ぶか。
これまでは後者の考えしかなかった。
それが、別の選択肢を見たことで今になって考えが揺らぐ。
「さっき私は、ジュリアーナさんが助けて欲しいと思ってるって言ったけどさ」
「ん?」
唐突に話の内容が変わった。
「あれは私だったらそうして欲しいって思ったからなんだ。
だってジュリアーナさんってクロ君のこと好きでしょ?」
「え、そ、それは……そうなのか……?」
そうだぜ、とは言いづらい。
しかし今もジュリはそう思ってくれているんだろうか。
「うん、そうだよ。
じゃなきゃ、あんなに恋した女の子の顔はしないよ」
「恋した女の子の顔?」
童貞の俺には、ジュリエットの言ってることが到底理解できない。
「やっぱり男の子には分からないかぁ……。
でもそういうのってね、女の子からしたらすぐに分かっちゃうんだよ。
アルちゃんとか他の子はちょっと分からないけど、ジュリアーナさんは確実に恋してた!
それだけは断言できます!
貴方様お慕いしてます、的な感じでクロ君を常に見てたよ」
「……まぁ、ジュリエットが言うならそうなんだろうな」
「嬉しくないの?」
「嬉しくないわけないだろ」
「だよね。良かった」
「何が良かったんだ?」
「ううん、何でもないよ」
「……?」
「と、ところで話は変わるんだけど!」
「な、なんだよ」
ジュリエットは何があったかは知らないが、話の内容をぶった切って次の話題へ。
「ラウラちゃんから聞いたんだけど……」
ああ、これは。
まさか本当に言うのか?
これに対して俺は何と答えるのだろう。
今この楽しい時間を今後も享受したいのなら、YESと言うのだろうか。
それとも中途半端な感情のまま別の選択肢を?
「クロ君も、入ってたんだね……?」
「……へ?」
思ってたのと違う。
まさか、そういう話じゃなかったとは。
勘違いしていたことに対して羞恥心が沸き上がる。
なにこれ恥っず!
「え、え、えっと、どういう意味だ?」
「どうしたの顔が赤いよ?
私が言ってるのは──」
急にジュリエットの顔が近くなる。
羞恥心塗れている時に可愛い顔が近づくと、更に顔が熱くなるじゃないか。
「──教団に、ってこと」
小声で囁くように放たれた言葉に、俺は一瞬理解が及ばなかった。
しかしすぐにそれも理解できて、羞恥心が掻き消える。
俺は途端に真顔になるのを必死に抑えて、笑顔を取り繕って聞き返す。
「そう……だったのか」
「うん、だから一緒だね!」
ジュリエットの笑顔が眩しい。
何も疑う事すらない純粋なそれは、逆に言えば何色にでも染まるということ。
この様子から判断するに、ジュリエットは教団内部のことを多くは知らない末端だろうか。
ラウラあたりに誘われたか?
その名前が出ているあたり、そうなのだろう。
問題は、ジュリエットがどのような経緯で教団に属したか。
まさか、俺の名前を使って取り込まれたか?
その辺りも聞いていくべきだろう。
ラウラの父が教団の中枢に近いこともあって、ラウラから情報を引き出すのは難しい。
俺はまだ信用を得るには足りていないからだ。
「どうしたの?」
「ああ、いや、何でもない。
こんな近くに同じ志を持った人間がいるとは思えなかったからな」
「そっか、喜んでくれて何よりだよ。
それでね……あっ……!」
ジュリエットがブルリと震えた。
……何だ?
「ん?」
「ううん、ちょっと尿意が……」
「女子が尿意とか言うなよ……。
早く行ってこい」
「そ、そうするね!」
小走りにお手洗いに向かうジュリエットを見ると、相当溜まってたのかね。
……こんなことを考える今の俺って、相当キモいな。
自己嫌悪だわ。
「ふぅ……」
これは別に変な意味のある溜息ではない。
妙な緊張感から一瞬でも解放されたことによるものだ。
……さて、俺はどう動くべきだ?
ジュリエットを使って教団を探るか?
ラウラから攻めるのが厳しそうな現在、それが賢明だろう。
こんな考えが浮かんでくる時点で、やはり俺はこちら側の人間だ。
ジュリエットの手を取って幸せを得ようなんて──
カタン。
そう考える俺の背後で、誰かが席につく音が聞こえた。
先程までは近くに誰もいなかったから少し騒いでも気にする人間はいなかったけど、気を遣わないといけないな。
「そのままの姿勢で口元を他人に見られないように居てください」
「……ッ!」
声だけで分かる。
これはマリアのものだ。
なぜここに……!?
マリアが絡むと嫌な予感しかしないし、ロクなことがない。
「ジュリエット=セルロ=ジャクソンが教団に属しました。
これはご存知でしたか?」
「え……そ、それはさっき知りました」
俺は斜め下を向いて口元を手で隠し、声だけを背後に届ける。
「それは結構。
では早速本題ですが……彼女は先日教団から魔導書を得ました。
私は彼女の周辺を探りますので、あなたはこのことに留意して彼女との生活を楽しんでください」
なんか含みのある嫌な言い方だな。
「楽しんで、って……。
それに、そんなことを急に言われましても……。
まさか、俺にジュリエットを探れ、と?」
「そういった目的で彼女に近づいたのでは?」
あんたと一緒にするんじゃない。
ここに来るまで、俺は純粋に平和な時間を楽しもうとしていたんだ。
「いやまぁ、今ではそういう考えも一部にはありますけど、今日は単にジュリエットの誘いに乗っただけですよ。
ジュリエットが教団にいることを知ったのは、その産物でしかないです」
「そうですか。
私の言う通りに動けとは言いませんが、魔導書の現物が確認できた以上見過ごすことはできません。
そこに関してはあなたも同意を示しているはず」
確かに、ヴィクターの指令を全うすることに異論はない。
しかし……。
「確認できたのなら、マリア先生がどうにかできなかったんですか?」
やれるのなら、あんたがやればいい。
「できることならそうしています。
ですが、魔導書を得てからの彼女には監視の目があまりにも多すぎる。
これは異常事態以外の何物でもないのです。
今もこうやって一般客を装う以外に私が近づく隙はありません。
現時点で私の存在は教団に漏洩していないとは思いますが、無茶なことはできません。
彼女と私の関係性を鑑みると、接触は敵に違和感を感じさせるには十分でしょうから。
しかしあなたなら、学生同士の関係ということで違和感なく近づけるはずです。
……どうですか、現状を理解できましたか?」
「はい、一応は……」
「ではもう一つ、お伝えしておくことがあります。
私の発言を聞いた後、そちらを見ないようにしてください。
トイレ付近の男女……彼らがあなたたち二人を監視しています」
「……!」
そう言われてみれば、確かに居る。
俺はなるべくそちらを見ないように心がけるが、気になって仕方がない。
「確認できましたね?
今や彼らの標的はあなたにも及んでいることでしょう。
ですので、下手な行動は慎むようにしてください。
取り入るのなら、最後まで気を抜かぬよう……」
ああ、そうか。
マリアは俺が教団側に取り入ろうとしていることを知らないんだった。
「えっと、そんな先生に朗報なんですが、すでに俺は教団側の人間に接触を持っています。
今のところ分かっているのは、ラウラ=バルマ=ユピテルが教団員であることと、その彼女の父が教団中枢に近いということ。
ご存知でしたか……?」
ラウラがジュリエットを勧誘したという確認は取れていないから、分かっているのはその程度だ。
「それは私の知らぬ情報でした。
ジュリエット周囲の人間関係を洗っている最中で名前自体は上がっていましたが、これから調べようとしていた内容なので助かります」
俺の場合は自ら切り込んだ形で教団に接触してるし、情報の質が高いのはリスクを取ったおかげだろう。
マリアのように慎重に行動していては時間がかかるのも頷けるな。
「それで──」
そこから続けかけた時、ジュリエットが戻ってくるのが視界に入った。
情報誌を手に寛いでいるようにしか見えない男は、自然な風を装ってジュリエットを一瞬だけ観察している。
いや、ごく自然な動きにしか見えない。
あまりにも自然すぎて、マリアが嘘を言っているんじゃないかと疑うほどだ。
しかしマリアがここに現れている以上、恐らく事実なのだろう。
「クロ君、お待たせ」
ジュリエットが戻ったので、意識は完全に目の前の彼女に向ける。
「おう、お帰り。
えっと……さっきまで何を話してたっけ?」
「私たちが一緒のところに居るって話だよ?」
ジュリエットが再度俺に顔を近づけて、小声で話す。
俺の後ろに客がいることを気にしての行動だろう。
教団のイメージがあまり良くない以上、大っぴらに喋れる話題でもないからな。
「ああ、そうだったな。
ジュリエットはどういう経緯で入ったんだ?」
「うーんと、試験で落ち込んでる時に居場所が欲しくて……。
それでよくよく聞いてみたら周りの人も入ってて、そのまま今って感じかなぁ」
なんか判断に困る言い回しだな。
「みんな?」
「うん。
ラウラちゃんとか、クロ君とか!
クロ君はいつから入ってたの?」
ってことは、ラウラに誘われてって解釈でいいのか?
「ラウラからは聞いてないのか?」
「クロ君が教団に入ってたってことを聞いただけかから、内容までは知らないんだよね。
ついでに言うと、教団が何をしてるのかも知らないって言う……」
やはり末端か。
しかし、魔導書を得た経緯は気になる。
魔導書ってのはごく一部の人間にしか与えられないシロモノなんだろ?
では何故ジュリエットがそれを持ち得ている?
「俺は──」
先日ラウラに説明したような内容をジュリエットに説明した。
このあとも暫く教団に関する会話があったが、特段楽しい話題でもなかったので長くは続かなかった。
ジュリエットと話してみて分かったのは、この子は教団については何も知らないということ。
これじゃ引き出せる情報はなさそうだし、魔導書のことを聞き出すにも時間が掛かるな。
結局この店の中で教団について話せたのはこの時だけで、あとは普通の学生が話すような内容で盛り上がった。
今はクラスの中で誰と誰がいい感じだとか、好きな食べ物の話だとか。
そう言えば、俺が六人グループで行動してる時ってこういった話が出ることはあまりなかったな。
上昇志向というかなんというか、悪く言えば堅苦しい空気があったようにも今更ながら思う。
みんなそれを楽しんでくれていたのなら問題ないのだが、俺のやることに合わせてた感は否めないな。
「あとさ、アルメイダル先生の授業ってどうにかならないかなぁ?
求められる課題が多すぎてツラいんだけど……」
「みんな自主学習に必死だしな。
先生の意図としては授業ごとに一つ課題を見つけろ、だっけ?
課題がありすぎて悩んでたけど、一つ一つ崩していけるって考えると悪くはなさそうだけどな」
「私はそんなにポジティブに考えられないよ……」
話が勉学のことへ振られると、ジュリエットは少し顔を曇らせる。
どうにも中間考査以降の授業内容全般について行けていないという実感があるようだ。
「私一人じゃ厳しからさ、クロ君一緒に魔法の練習しない?」
「それは構わないけど、前にも言ったが俺は水属性得意じゃないぞ?」
「得意不得意というより、試行錯誤のためのブレーンが私には必要なんだよね。
その点で言えば、クロ君は頭脳労働要員として素晴らしい働きをしてくれると思うの」
「労働……?」
なんか物騒なことを言われている気がする。
「あはは、うそうそ。
でもこれは切実なお願い。
クロ君となら、私は挫けずにやっていけそうなんだよね」
「ジュリエット……」
ギギ──
俺の背後で椅子が床を擦る音が聞こえた。
ようやく帰るのか。
正直、常に背後から圧を感じるってのは良い気分ではなかった。
だから迂闊な発言もできなかったし、緊張感が半端なかった。
マリアが席を立ち、ブーツが床を叩く音が小さく響く。
だが、その音はマリアだけのものではない。
チラッと背後を見てみると女のシルエットと男のシルエットが。
いつの間に増えた?
それに変装しているのか、マリアの姿も俺の知っているそれではなかった。
結構慎重にやってんだな。
俺は怪しまれぬように視線をジュリエットに戻す。
背後ではマスターと短く言葉を交わすことが耳で確認できる。
流石に会話の内容までは聞こえないが。
つうか、マリア先生も当然のようにこの店を利用できるんだな。
そう考えると、そこまで隠れ家でもないような?
とまぁそんなことは置いといて、こうも頼られちゃ無碍にする訳にもいかないよな。
「とりあえず頑張っていくか」
「うん」
だから俺はいつものように日本人らしく、そう対応した。
それからも暫くは店に滞在して、小腹が減り始めたところで夕飯を注文。
これに対しても舌鼓を打ち、大満足の元に店を後にした。
食事が素晴らしいと会話も弾むものだ。
外に出ると夜風が気持ち良く、食事で軽く火照った身体をいい感じに冷やしてくれる。
これが監視も何もない二人だけの時間だったら、俺はのびのびと動けるんだがなぁ……。
俺たちが店にいる間は例の男女もずっとそこにいたし、今も恐らく何処かから見ているのだろう。
まじでストレス。
今のところ俺には実害がないわけだし、こんなことならマリアに監視されていることを教えてもらいたくなかった。
「「……」」
店内にいる時とは打って変わって、帰寮の道はそれほど会話が出なかった。
俺が色々考えながら歩いているせいかとも思ったが、どうにもそうではないらしい。
ジュリエットは何かを言いかけて止めるという行動をさっきから只管繰り返している。
何かとは、今度こそあれだろう。
でも一回予想を外してるから自信ないな。
というより、自分がモテているという考え自体が間違っていそうではある。
「ク、クロ君……ちょっといいですか……?」
「ん、ああ……」
声を掛けられて立ち止まった場所は、おあつらえ向きにも小さな公園の手前。
まだ人通りもまばらな場所で、俺とジュリエットは完全に動きを止めて顔を見合わせた。
すでにジュリエットの目は涙で潤んでいる。
「あの……あのね……」
そして両手でスカートをぎゅっと握り、下を向いて震えているのも見てとれる。
「「……」」
流石にこんなところで立ち止まっていると好奇の視線を向けてくる者もチラホラいる。
足を止めてまで観察する輩が出てくる前に終わらせてほしい。
俺は誰かに告白した経験なぞこれっぽっちもないが、その緊張感たるや相当なものだろう。
現に俺だって心臓がバクバクだ。
数秒が引き伸ばされて数時間にも感じられる中ようやく話を聞けると思いきや、
「私ね……ぅ……ゔぅ……」
ジュリエットが泣き出してしまった。
「ちゃんと聞いてるから」
「ぅ……うん……あり、がと……」
更に周囲の視線が集まる。
この状況きっつ。
「ジュリエット、こっち来い」
なんだなんだと立ち止まる人さえ出てきたので、俺は無理やりジュリエットの手を引いて公園の中へ。
最初からこうしておけば良かったんだよな。
流石に追いかけてくる輩はいなかったので、そのまま公園内に設置されているベンチへ二人して腰を下ろした。
暫く啜り泣く声を傍に聞きながら、夜空を眺める。
そう言えば、ちゃんと空を見上げたことなんてなかったっけ。
そこには満点の星空が広がっていた。
日本だと排気ガスで汚れ切って星なんて見た記憶ないな。
無理矢理に思考を回し、無言の時間を耐える。
おいおい、そろそろ考えることも無くなってきたから早くしてくれ。
ラウラからも聞いてるし、ジュリエットの気持ちも分かってる。
あとは勇気を出すだけだろ。
「……クロ君」
ようやくか。
まだ鼻声だが、ようやくこちらへ向き直ったジュリエットの目に涙はなかった。
泣き腫らしたせいか鼻頭は赤く、両目も腫れてしまっている。
あーあ、かわいい顔が台無しだ。
「なんだ?」
しかし毅然とした態度が見てとれたので、俺は聞き返す。
するとジュリエットは大きく息を吸い込み、
「私は、あなたのことが好きです」
俺の目を見て、はっきりとそう言った。
「ああ」
「……」
「……」
「え、えっと……それだけ……?」
なんかあったっけ?
「え?」
「この場合は、俺も好きだったんだとか、そういう感じのことをクロ君が言う場面じゃないっけ?」
「……そうなのか?」
それがこの世界の常識?
「告白を受けたら、受けた側も相手に対する好意の有無を伝えるのが古来からの習わしで……」
「あー……えっとー……」
やばい、非常識が露呈した。
非常識というよりは常識無し?
いやいや、そんなことを考えてる場合じゃない。
こう言う場合は……そうだ、あれしかない!
「俺の生まれた場所じゃそんな言い伝えはなかったんだ。
だから形式通りに返答できてない、すまん……」
そう、田舎者アピールだ。
俺の教団への所属に際して、このことは説明済みだしな。
都合のいい時だけ世間知らずになる俺、カッコ悪い。
すると俺の発言の後に数瞬の間があり、
「そ、そそそ、そうなんだね!?」
今日一番の素っ頓狂な声がジュルエットから溢れ出た。
なんだと思ってジュリエットを見てみると、顔を真っ赤にして目をパチクリしながら滝のような汗を流している。
分かるぞ、恥ずかしいんだな?
その気持ちは非常に分かる。
何かを間違った瞬間ってのは恥ずかしいもんだ。
でもこのまま行くと発狂されかねないので、この空気を使って流れを引き戻してやる。
「ジュリエットは俺のことが好き、これは間違い無いんだな?」
「そ、そう! そうです!」
恥ずかしさを紛らわせるようにブンブンと顔を上下に振る姿は非常に滑稽だが、仕方なかろう。
「じゃあ……付き合うか」
「……え?」
「嫌なのか?」
「い、嫌じゃないです!
とっても嬉しいです、嬉じいでずぅ……!」
ブワッ、と水滴が迸る。
俺は今日何度目かのジュリエットの顔面崩壊を見た。
「なんだよ、泣くなよな!」
「だって……だっでぇ……」
「まじブサイクなんだけど」
「ひどい、ひどすぎるぅ……!」
ジュリエットは泣いていた。
泣きながら、笑っていた。
俺にはそれが馬鹿らしくて楽しくて、とても新鮮だったんだ。
この時は、世界の危機に対峙しているとはいえ俺にも多少の幸せくらい許してくれるよなと内心でアラマズドに叫んだものだ。
そんでもって、この幸せを維持したまま人生が続いていくことが当然だと疑わなかった。
だが俺は後にこの選択を後悔することになる。
ジュリエットと付き合ったためのそれは起こってしまったのか、付き合わなくてもそれは起こり得たのか。
いくら考えても何が正解かなんて分からないし、全ての正解を引いていたとしても結果は同じだったのかもしれない。
ただ確実に言えるのは、俺の辿り着いた終着点は俺の望んだ場所ではなかったということ。
ここはゲームとは違う現実の世界。
だから選択をやり直すなんてことは、できないんだよな。