第123話 墓所
しばしの休暇を挟んで、再び学園の日常が戻ってきた。
中間考査の結果は未だ発表されていないが、皆一喜一憂しながら日々を過ごしている。
全体的には試験明けということでお気楽ムードである一方、今後の学園生活に不安を感じる者も多い。
その者たちの不安感がどう生活に現れているかと言うと、講義に対する姿勢が試験前より遥かに前向きになっていたり、必死さが伺えるところだろう。
その一連の流れの中に、ジュリは居ない。
俺はいつも彼女の居た席を眺める。
休み時間のクラスメイトの喧騒の中、そこだけが浮き彫りになったようにポッカリと席が空いている。
「はぁ……」
俺は周りに気づかれない程度に溜息を漏らした。
正直、気分は憂鬱だ。
あれ以来、俺たち五人の関係も何だかギクシャクしてしまっている。
以前のように五人揃って行動する気になれないのだ。
だから休暇明けは、皆それぞれ別々のグループとして行動し始めた。
このことに関して、周囲の者も俺たちの間に何かあったのだろうと疑惑を巡らしている。
「喧嘩でもしたの?」
そういう質問に対して、俺は歯切れの悪い返事を返すしかない。
クラスメイトだけでなくセアドからも質問があったが、ジュリの家庭の事情としか説明ができなかった。
詳しくは俺たちではわからない、と。
ソフィアラ、オリビア、アル、そしてガルドと行動を別にして感じたのは、俺は友達が少ないということだった。
俺は彼らに囲まれていたが、彼らは彼らで外部に友人関係を着実に形成していた。
彼らが離れたことで俺に訪れたのは、空虚な孤独感と疎外感。
別段誰かから疎まれているわけでもないのに、休み時間に一人座って溜息をついているのは何故なんだろうか。
俺は無意識に構ってくれアピールでもしちゃってるのか?
気持ち悪い。
「クロくん、ちょっといい……かな?」
そんな俺を気遣ってか、時々ジュリエットが話しかけてくれる。
周囲に気を遣わせてる時点で浮いてるんだよな。
「あ、ああ……。
何か急ぎの用事か?」
「え、えっと、急ぎってわけでもないんだけど……」
普通の会話すらままならない。
わざわざ急ぎかどうか聞いて遠ざけようとしている時点で、俺は相当性格が悪い。
「「……」」
そして当然、訪れる沈黙。
「ごめんね、クロくんが疲れてる時に声かけちゃって。
また元気そうな時にお願いするね!」
ジュリエットはそう言って、そそくさと俺から離れて教室を出て行く。
「はぁ……何やってんだよ……」
それを眺めて、俺はまた溜息を漏らすのだ。
▽
「クロカワァアアア、弛んでいるぞ!」
「ぐふッ!」
アルメイダルから檄が飛ぶ。
試験が空けて始まったのは、近接戦闘訓練の授業。
単なる殴り合い学ぶだけというわけではなく、敵に近接を許した時の立ち回りや武器の扱い、基本的な身のこなしなど様々な場面を想定した動きを学ぶことができる。
入試時に説明があったように、近接格闘訓練はアルメイダルが教員もとい教官として授業を執り行っている。
彼は軍人上がりということで初っ端から厳しいが、学生満足度は非常に高いのだそうだ。
言ってもそれは、最後まで乗り切った者の感想だろう。
現在厳しい訓練を強いられている俺たちには、そのような達観した考えは浮かんでこない。
早く終わってくれ、そんな感情の方が強いのだ。
とはいえ、いきなり格闘術を学ぶわけではない。
動けるようになるためには、その下地が必要だ。
それを形成するためには、
「まずはランニングで体力作りだ」
当然こうなるわけだな。
「ひぃ……ひぃ……!」
広大な校庭を一体何周走ったのだろうか。
身体が欲する水分と両下肢の疲労が限界を訴えている。
すでにリタイアしてへばっているものも数名。
それでもこの体罰にも近い訓練は終わらない。
今日は一日中この授業だけってんだから、絶望がみんなにのし掛かるのも仕方がない。
アルメイダルは俺たちを観察するだけではなく、それを俺たちと同じランニングをこなしながらやってるんだから恐ろしいよな。
ちょっとでもサボってるような仕草を見せたら、高速で迫ってきて背後から魔法による攻撃を受ける。
「普通に誰がどう見ても体罰なんだよなぁ……」
「何か言ったかね?」
ボソッと呟いた言葉に対して、並走しながら俺の顔を覗き込んで問うてくるアルメイダル。
怖いのでやめてもらっていいですか……?
「いえ、何も!」
「それだけ元気に返事ができるなら、まだまだ終わるわけにはいかないな!」
「げぇ!?」
驚きで思わず汚い声が漏れる。
「君たちは精一杯私が強くしてやるから安心していいぞ、がっはっは!
おいスヴェン、そのみっともない走りは何だァ!?」
アルメイダルは次の標的を見つけて超速で駆け出した。
その際の大量の砂埃で、俺の全身は更に汚れを増すことになる。
「ゴホッゴホッ……!
はぁ、はぁ、あのオッサン元気すぎんだろ……」
ひたすら文句を言いながらもランニングは続く。
アルメイダルに対する不満でも吐いてなければやってられないのが現状だ。
一旦はリタイアした連中もしばらくすれば渦中に戻される。
いくら疲れを見せてもアルメイダルは終わらせてくれない。
日差しは暑く、地面を蹴るたびに跳ねる砂粒さえも鬱陶しい。
そうやって続けていると何も考えられないステージに突入してきた。
ただ黙々と足を動かすだけの作業に思考すらままならなくなってきたあたりで、アルメイダルの声が響いた。
「よし、では魔法の使用を許可する!
因みに次の合図があるまでは、使用する魔法は一つだけだ。
しかしランニングという行為自体は続けたまえ!」
弱々しくその声に耳を傾けて、足りない思考で内容を反芻する。
「魔法を使う……?」
使ったところでどうなるんだ?
結局身体強化して早く走れたところで、終わりがないのだから疲労はするだろう。
疲労回復の魔法?
そんなものは知らないね。
まぁ、使ってもいいというのなら考えはないけど使ってみるか。
「ロード……ミストシャワー……」
本能的に身体が欲するものを出現させる。
「あぁ……!」
すると、著しい清涼感が俺に襲いかかる。
ついでにできる限りの水分を体内に摂取していると、
「クロカワァ!」
またアルメイダルが騒いでいる。
「え、なんすか!?」
あのオッサン、絶対俺のこと好きだろ。
「最初に説明しただろう!
使って良いのは身体強化魔法だけだ」
「あー……忘れてた」
走りすぎてアホになってたみたいだ。
それにしても、身体強化して何が変わるって言うんだ?
「はぁ、はぁ……ロード、ブレッシング」
その他、スピードアップなど細かな強化魔法を散りばめる。
ストーンスキンはアルメイダルの体罰を防ぐために使っておくか。
「……ん?」
相変わらず両足は重いのだが、一歩ごとの踏み込みが強く、少ない力で距離を稼ぐことができている。
そして着地時の身体に掛かる負担も心なしか減っている。
なるほど、こういう効果は普段だと気づかないものだよな。
「やほ、クロカワくん!」
「ん、ラウラ、か……ッ!」
俺がゼーゼー言いながら走ってるのに、ラウラはまだまだ余力を見せながら俺に並走してきた。
この元気女子め。
俺が「ホヒュッ、ホヒュッ」と気味悪い音を出しながら走っているのに対し、ラウラは「ハッ、ハッ」と短く呼吸が整っている。
俺は身体の使い方が悪いのか?
ラウラは一歩一歩の走行距離が長く、恐らく脚を強化して走っているのが見て取れる。
確か、風属性だったよな。
「最近ずっと一人だよねぇ?
ラウラ探偵は、君たち六人にやっぱり何か良くないことが起こったと睨んでいるんですよ」
ラウラはそう言って両手を筒にして目に当てがい、双眼鏡のようなジェスチャーで俺に問いかける。
走りながら、喋れてかつ巫山戯る余裕があるのは素直にすごいわ。
「ジュリの家のことは……分からん。
俺たちだって急な話だったしな」
的なことを、俺は荒げた呼吸のままに口に出した。
「本当かなぁ?
ま、言いにくいこともあるだろうから、これ以上は聞かないでおくね!
ところでクロカワくんは、どんな強化魔法使ってる?」
「走ることに関して言うと、スピードアップとブレッシング──光属性がメインだな。
その他は色々使ってはいるけど、正直効果は感じないな」
「ありゃ、てっきり風属性も使ってると思ってた」
「風属性だとテイルウィンドも使ってるぞ。
ラウラは風属性だからもちろん使ってるよな?」
テイルウィンドは背後に追い風を発生させる初歩的な魔法。
これによって多少の推進力を得られているが、実感は薄い。
「そりゃあもちろん。
あとクロカワくんは効果をあんまり感じてないって言うけど、今も相当早いからね?」
「そう、なのか?」
空気を欲して痛む胸を押さえて走っているし、太腿も上がってないから速いとも思えないんだよな。
でも確かに、俺とラウラはさっきから何人も抜き去っている。
「あたしだって今の速度は結構負担が多いんだから」
「そうは見えんけどな」
「それはなるべく身体の負担が少なくなるように魔法を使ってるからね。
ウェイトコントロールとか使うといい感じだよ。
あまり軽くしすぎると前に進むためのパワーすら落ちちゃうけどね」
「ああ、なるほど確かにそうだ。
完全に失念してたぜ!
ラウラはやっぱりウェイトコントロールが得意だもんな。
教えてくれて助かる」
俺はこれをあえて強調して伝えてみた。
「ちょっと、あれはもういいでしょ!
蒸し返さないでよ!」
ラウラの顔に羞恥と焦りが見える。
俺がこう言ったのには訳がある。
あれは学年毎の健康診断の時の話だ。
ラウラは翌日に健康診断を控えているのにもかかわらず、授業での失敗から暴飲暴食に走ってしまった。
普段から運動を心掛け、食事に気を遣い、健康的な生活を送っている彼女には珍しい暴挙だった。
普段から彼女の体型が維持されているのは、そうなるような食事量で済ませているからだ。
今回そこに収まる食事量を大幅に超えてしまったことで、下腹がポッコリと出てしまったのだ。
見ただけで分かる体重の増加。
体型維持をしていたことが裏目に出た形だ。
多少お腹が出ていたところで俺は気にならないんだけど、ラウラはそうじゃなかったらしい。
健康診断は学生の体調を管理する目的で実施されるため、体重や体格を変える魔法の使用は許されていない。
それは、痩せを目的として代謝を活発化させる魔法が行き過ぎた結果、命を失った学生が過去に存在したからだ。
しかしラウラにとって自身に起こっている現象は尋常ならざる問題だったようで、そのような規約など彼女には関係のない話だった。
そして普段使わないウェイトコントロールを直前に仕込んで健康診断に挑んだわけなのだが……。
「体重一桁!?」
体重計にはあり得ない数値が記録されていた。
「あ、あはは……」
その瞬間のラウラ見る周囲の目はとても痛ましいものだったらしい。
ランゼが素っ頓狂な大声を出してしまったせいで、ラウラの失敗は女学生たちの衆目に晒された。
……問題はそれだけでは終わらない。
健康診断を終えて、アルがそのことを大声で俺に聞かせてきたのだ。
大笑いして話すアルの声は、男女含めてクラス全員の耳に届いた。
せっかくラウラが直前で女学生たちに口止めをしたのに、アルは完全にそれを忘れ去っていたようだ。
その後、顔を真っ赤にしてプルプル震えて、泣きそうな顔でクラスを飛び出したラウラの姿をよく覚えている。
それを見てアルが何を言ったかというと、
「クロ、このことは内緒だからな!」
これだ。
後の祭りとはこのこと。
一応反省したのか、しばらくアルはラウラの言いなりに動いていた。
「失敗は誰にでもあるから気にすんな!」
「もう、そんなことばっかり言ってると女の子に嫌われるからね!」
「すまんすまん。
とりあえず使ってみるか……ロード、ウェイトコントロール!
……お、軽いな」
体重を半分程度にしてみたところ、思ったより身体の軽さが実感できる。
なんというか、疲れが溜まっているほど強化魔法の効果が身に染みて分かる。
この訓練って、そういうこと?
「でしょでしょ?」
「でもラウラの魔法ってそれだけじゃないよな?」
体重を軽くしてるという割には、
「あれ、分かっちゃう?
分かっちゃうかぁ、分かっちゃうよねぇ……?」
「なんだよ教えてくれよ、意地悪すんなよ」
「でもさっき馬鹿にされたからなぁ……」
うぜぇ!
「だからごめんって!
頼むから教えてくれ……!
今ラウラと喋りながら走るのも辛いんだよ」
強化魔法を重ねたとはいえ、すでに溜まっている疲労という負債を返し切るには至らない。
「そこまで言うならしょうがないなぁ。
これはね、エアリアルステップの応用だよ」
俺が練習してない魔法が来たな。
これはガルドが多用してるし、機動力としては十分だ。
とはいえ今までの平面移動とは違い、Z軸の要素が加わるからめっちゃ頭を使うんだよな。
「使ってないから応用って言われても分からん!」
「じゃあ学の無いクロカワくんに、あたしが懇切丁寧に教えてあげましょう」
ラウラが調子に乗り始めた。
「やっぱいいです」
まったく、調子のいいこって。
「そう言っても教えちゃう!
エアリアルステップは空中に足場を形成するんだけど、走りながらそれをやるんだよー。
でもここが難しいんだけど、足場は平面じゃなくて圧縮する袋のイメージで作り出すんだよねぇ。
あとは踏みしめた瞬間に膨らむように設定すればこの通り!
ぴょんぴょん跳ねれるんだよね」
まだ跳ねれる元気があんのかよ。
体力底なしだな。
その後もひたすら並走してくるラウラのおしゃべりに付き合いながらランニングを続けた。
確かにラウラは身体の動かし方を心得ているだけあって、その様を見ているだけでも結構勉強になる。
「よし、一旦集まってくれ!」
アルメイダルのこの言葉をどれだけ待ち侘びたことか。
皆、これを聞いてボロボロに疲れ果てた身体を地面に転がした。
「早く来い!」
無茶言うな。
後半なんて、ストイックに黙々と走り続けられたのは一部の人間だけだ。
それ以外は周りを気にすることすらできずに、足を引き摺るような感じだったしな。
「諸君、ここまでご苦労だった。
しかしこれで、こちらの意図するところを理解してもらえたと思う」
このハゲは何を言ってやがる。
ほらみろ、みんなポカンとしてるじゃねーか。
「はぁ……あれだけ時間を与えたのに飲み込みが悪いな。
では先ほどまでの運動の意味を説明するぞ?
諸君らは先日の中間考査でもそうだが、最高のコンディションに整えて試験に臨んだと思う。
そうしなければ落第を免れないから、そうなるのも仕方がない。
しかしだな、戦いというものは常に自分優位の環境や準備が整った状況で開始されるわけではない。
諸君らは試験を基準に物事を考えすぎだから、いざというときには後手に回る……当然の結果だろう。
だからこそ身体を疲労させ、最悪のコンディションでの思考や活動を強いたのだ。
ではこの説明を聞いて、各々思うところを述べていってもらおうか」
あー、これは俺の嫌いなタイプの質問形式だ。
俺というか、日本人って皆これが嫌いだろ?
こういうのって海外のスタイルだよな。
前に出て自ら意見を述べるってのは、緊張するし思考もまとまらない。
なんて言おうかななんて考えながら、みんなの意見に耳を傾ける。
「──ではクロカワ、次は君の番だ」
とうとう俺におお鉢が回って来た。
「えっと、確かに疲れてたら思考も鈍りますし、今日やったことの意味も理解できます。
ですが、最初からそう言ってもらえてたらここまで時間を掛けずとも良かったのではないですか?」
「いや駄目だ。
それでは楽をしようとする者が出てきてしまう。
現に君は不正をして楽をしまったわけだからな。
もし思考が正常に働く程度の余力を残していれば、あのような失敗はあるまい?
君は身をもってこの訓練の意図するところを実践したわけだ。
どうだね、これで理解できただろう」
「まぁ言わんとしてることは分かりますけど……。
あと、強化魔法をあのタイミングで使用したのはどういう理由ですか?」
「それは全員の意見を聞いてからと考えていたが、ここで説明しよう。
諸君らは実際に疲労状態での魔法仕様の困難さを体感してもらえてはずだ。
苦しい呼吸の中の詠唱や、強化魔法で肉体を無理矢理に動かすことの大変さなど、これらは万全のコンディションで物事に挑んだ場合では経験できないものだ。
最悪の状況下で最低限のパフォーマンスを発揮できるようにするのが、この訓練の最大目標だ。
これからも厳しい訓練は続いていくぞ。
回を追うごとに内容も激化していくことをあらかじめ伝えておくから、そのための基礎的な身体能力の向上を欠かさぬようにな。
……では、次はオリビアにも意見を──」
▽
「はぁ〜……」
俺は盛大に深いため息を吐き出しながらベッドに突っ伏した。
あの後もひたすらに同じような肉体酷使を続けさせられ、授業の終わり頃には誰一人無駄口すら叩けなくなっていた。
あまりの俺たちのお通夜状態にアルメイダルも呆れを通り越して心配が勝ち、早めに授業を切り上げてくれた。
それからクリアの魔法でパパッと身を清めて現在に至るわけだ。
「あぁ……もう嫌だ……」
多分俺以外のクラスメイトも同様の状況だろうな。
流石のラウラも辟易としていたしな。
「なんのやる気もねー……。
これが週に二回とかじゃなくてよかった……」
心の底からそう思う。
毎回こうならないためにも、日々の運動は必要不可欠だな。
さて何から始めるか……。
──コンコン……。
「……ん?」
俺の部屋の扉をノックする音が聞こえ、俺はベッドから顔だけをそちらに向ける。
「空いてるからどうぞー」
疲れ果てて掠れた声しか出なかったけど、それを耳聡く聞いて誰かが部屋に入ってきた。
「クロ、お邪魔するわね」
「あ、お嬢様、どうしたんです……?」
最近唯一まともに話ができるのはソフィアラだけだな。
「ついてきてほしい場所があるから、準備してくれるかしら?」
「それは構いませんが……。
ところでお嬢様は疲れてないんです?」
「ひどく疲れてるわ。
信じられない授業内容だったわね……」
微妙に傾く彼女の身体がそれを如実に表現している。
「今それはいいの。
学園の外に出るからそのつもりでね」
「学園の外?
先に目的地だけ聞いても?」
「お墓よ」
「……え?」
鼓動が、早くなった。
「ここよ」
俺たちは郊外にある墓所に訪れた。
そこそこ距離があったこともあり、すでに夕陽の差した墓所には妙な不安を感じずにはいられない。
「ここって……」
誰の、と言う前にそこに刻まれている文字が俺の目に入った。
“ウェルコフ=モーガン”
「私たちがジュリと離れた次の日に亡くなられたそうよ。
元々何かご病気を抱えていたみたいね」
そんな気はしていた。
「そう、ですか……」
ウェルコフと話した時間はそれほど長くない。
だからそんな人間が亡くなったところで、特別に涙が湧くこともない。
だけど……。
『ジュリアーナお嬢様をよろしくお願いします』
その約束を反故にしてしまったことに対するもどかしさは湧いてくる。
これがやるせないって感情なんだろうか。
「……?」
俺が下唇を噛んで墓石を見つめているのがソフィアラには不思議に映ったのだろう。
流石に覗き込むようなことはしてこなかったものの、彼女が俺の様子に不安を覚えていることが伝わってきた。
「……すいません、もう大丈夫です」
「そう、それならいいの。
亡くなられる前にクロによろしくって言ってたようだから、それだけ伝えておくわね」
「え、あ、はい……」
「陽も落ちそうだから、献花してご冥福をお祈りしたら戻りましょう」
「わかり、ました……」
俺は購入してきた花を墓に添え、両手を合わせて祈る。
ここで心の中で言うべきは謝罪か?
それとも感謝か?
しばらくして顔を上げると、ソフィアラはまだ目を閉じて祈っている。
その祈りは胸の前で片方の拳にもう片方の手掌を重ね、顔もやや斜め上方を向いている。
俺のやってきた日本流とは大きな違いだ。
そこに鬱屈とした悲しみはない。
ぜひ向こうの世界でも幸せにと、そういう思いを感じ取れる。
そしてソフィアラはそのままの姿勢でゆっくりと瞼だけを開き、
「お達者で……」
最後にそう締めくくった。
これを見ただけで俺は涙が溢れそうになり、それを誤魔化すように少しソフィアラの前を歩くのだった。
そこからは言葉を交わさずに墓所を出た。
途中、ガルドとカナンが連れ立って歩いているのを見かけた。
こちらが一方的に気づいているだけだったが、ここで俺はようやくあることに思い至った。
「ウェルコフさんのことはガルドから聞いたんですね」
「そうね、今朝教えてくれたわ」
俺には直接言いづらかったのか、それとも気を遣われてるのか。
「ガルドはカナンさんから聞いたってことですかね?」
「恐らくはね。
今朝も少し話しただけだったけど、あれ以来たまに会っていると言うわ」
「そうですか」
お互い別の場所を眺めながら、言葉だけを投げかけ合う。
しかしそこに不快感はなく、長く連れ添った夫婦のような関係性を感じずにはいられない。
やっぱりソフィアラといると落ち着くな。
「私たち、最近何かギクシャクしてるわ。
どうしてかしら……?」
それは当然の疑問。
パズルのピース全てが不揃いになったような違和感。
「……それは俺が余計なことをしたから、ですかね?」
俺がそれらの形を少しずつ変えてしまったのかもしれない:
「それは違うと思うの。
あの時はどうしようも無い流れがあったわ。
そうなるように仕組まれてたって考えざるを得ないくらいにはね」
俺が黙っていれば良かっただけね気もするけどな。
「別に気を遣わなくても……。
俺が子供じみた正義感で啖呵を切ったのは確かですし」
「私がクロに対して別段気を遣ったことなんてないわ。
だからそんな他人みたいなこと言わないで」
「すいません……」
ソフィアラは感情の起伏が乏しいだけで、言うことはしっかり言うんだよな。
それを知る人間はそう居ない。
だからそうじゃない俺は結構恵まれているというか、なんか得した気分だ。
「でもクロは変わったわね。
初めて会った時はもっとこう……そうね、愚かだったわ」
「そのワードチョイスなんとかしてくださいよ……」
「今はなんというか、少し積極性が出た感じかしら」
その積極性のせいで問題ばかり起こしてるけどな。
それもこれもティール(仮)のせいだ、そうに違いない。
「あまり良い変化とは言えないですけどね」
「良い変化だと思うわ。
じゃなきゃ今こうやって居られることもなかったかもしれないしね。
別に嫌な人間に成り下がったわけでもないんだし、気にすることないわ」
「そうなんですかねぇ……?」
そうやって下らない会話を続けながらもそのひと時を堪能していると、人集りが見えてきた。
「何かしら」
墓所に向かう時には無かったものだな。
近づいたけど、ここからじゃ見えない。
ピョンピョン跳ねて何とか覗くと、警吏の人間が野次馬を制しながら何かを騒いでいるようだ。
こう人が多いとここを抜けるに抜けられん。
「うーん、見えないなぁ。
お嬢様、肩車するんで覗いてもらって良いですか?」
もちろん俺が下な。
「馬鹿言わないで」
……だよな。
「あのーすいません、何かあったんですか?」
とりあえず目の前に居たおばちゃんに事情を聞いてみた。
「殺しよ、殺し!
最近多いみたいだし物騒よねぇ。
おばさんもさっき聞いたんだけどね、また白い悪魔の仕業だって話よ」
「白い悪魔?」
なんじゃそりゃ。
「ここ数日で新聞を賑わせてる殺人鬼じゃない!
もしかして知らないわけ!?
もしそうなら、用心しておいたほうがいいわよ。
なんでも、魔法に優れた人間ばかり狙うって噂だからね。
学園生ってことはそこそこ魔法ができると思われそうだし、学園の外に出るなら制服を脱いだ方が賢明よ。
あと、白い悪魔の出没地域は定まってないそうなのよ。
おばさんはこのあたりに住んでるんだけど、そんな恐ろしいのが彷徨いてるなんて怖いわよねぇ……。
そうそう、旦那もおばさんも魔法がからっきしだからいいんだけど、息子は最近ちょっと魔法が得意になって来たって浮かれてるのよ。
あまり下手なことを口にさせないように言っておかなくちゃならないわね。
あとあと、ご近所さんから聞いたんだけど──」
やっぱりおばちゃんという生き物は喋ること喋ること。
女性はどのような生活を送ったらおばちゃんにジョブチェンジしてしまうんだろうか。
どうでもいい話は聞き流しながら、必要な情報だけを頭に入れる。
どうやらここで殺されたのは、軍所属の将校らしい。
軍ってことは身体能力であれ魔法であれ、鍛えられているはずだ。
それを殺しうるんだから、たとえ奇襲といえども相当な実力なのだろう。
そして肝心の白い悪魔なる殺人鬼だが、あえて人の目につく場所で殺しを行なっているようだ。
その度に姿が目撃されるも忽然と姿を消すので、多くに認知されるようになった今でも逮捕には至らない。
姿形は二メートルを超えるヒョロ長い身体で、病的に青白い肌の色をしているらしい。
髪の毛から眉毛から全てが失われた不気味な姿と聞いて俺が真っ先に思い浮かべたのは、どこぞの魔法世界に居る“名前を言ってはならないあの人”だった。
あと悪魔とか言ってるけど、それって魔人って同じじゃねーの?
とにかく、そんな奴が巷を騒がせているというのが話題のようだ。
何でこうもまた殺人なんて起こるのかね。
殺人事件はここ数日で八件にものぼる。
えらく勤勉な殺人鬼なこった。
ああ、もちろん俺だって不安だぞ。
だけどそんな非日常がありふれているせいで、何だか感覚が麻痺してきている気がする。
この世界ではさも当然のように行われている殺人事件。
こういう世界と言えばおしまいなんだけど、魔法を地球の拳銃に置き換えればしっくりくるだろうか。
自衛のための手段は、いつしか無闇に他人を傷つける手段に変わる。
日本で生きてきた俺だからこそ不安に感じるだけで、海外の人間からしたらこの世界は違和感のないものなのかもな。
「学園の殺人鬼とは別みたいね」
「姿までバレてるのなら、捕まるのも時間の問題な気がしますね」
こんな会話が平然と行われる世界って、俺からしたら異常だよ。
こう他人事で居られるのは、単に俺がその当事者ではないからだ。
そしてそこに巻き込まれた時に理不尽な現実を呪うのだろう。
おばちゃんにお礼を伝えて、俺たちは人混みを抜けていく。
殺人鬼なんて物騒なものが目の前には現れないでくれと、そう願いながら。
▽
ウェルコフの墓前に佇む男女。
ガルドとカナンの二人だ。
そこには花が添えられており、彼らはクロ及びソフィアラと入れ違う形でこの場所にやってきた。
祈りを捧げ終えてそろそろ戻ろうとした際、ガルドはふと気になることがあったのでカナンに投げかけた。
「これからカナン殿はどうされるんだ?」
「職場も失いましたし、貯金を食い潰しながら楽な仕事でも探しますかね」
ジュリが本家に幽閉されて、加えてジュリの邸宅を管理するウェルコフが亡くなったことで邸宅は売りに出されることが決定し、カナンはそこを追い出された。
当然そこで生活をしていたカナンとレイナールは宿無しとなり、路頭に迷うこととなった。
ところがレイナールはメイドとしては優秀だったため、すぐに働き口は見つかった。
問題はカナンの方だ。
彼女は雇用条件が激甘なものしか興味を持てないために、すでに就職活動には翳りが見えている。
レイナールのようにすぐに働ければ良いが、カナンはそれほど勤勉ではない。
そうやってカナンが日々を浪費するほど、その期間に何をしていたのかと問われた時に困ることになるわけだが。
「ではオレと生活しないか?
その見返りと言ってはなんだが、オレに魔法の手解きをしてほしい」
ガルドの言ってること自体おかしいのだが、本人はそれを自覚していない。
「それはプロポーズなのでしょうか?」
だからカナンがそう取ってしまうのも無理からぬことかもしれない。
とにかくガルドの説明では言葉足らずだ。
「……オレがここでそんなふざけたことを言うわけがないだろう」
ガルドは努めて冷静にカナンの言葉に返答を重ねた。
墓前で愛を囁く──そんなシチュエーションもアリかもしれないと少し考えた自分が馬鹿だったと、カナンは内心反省した。
「それは残念です」
「カナン殿、何か言ったか?」
ボソッと呟くように言ったカナンの言葉は、ガルドには届かなかったようだ。
「いいえ、何も。
ところで、ガルド様はなぜそうも急がれるのです?」
何を生き急ぐことがあるのか?
そのままの意味だろう。
それは先日、ガルドが無力さを痛感したからだ。
ジュリのことに限った話ではなく、何を行なっても彼は物事を悪い方に考えてしまう。
それが彼の中で延々と燻り、焦りと不安をもたらすのだ。
そんな中、思い至ったのはカナンの存在だ。
たしかに学園の中で徐々に力をつけていくのも重要だろう。
しかし、一足飛びに強くなるためには適切な師が必要。
ガルドはそう信じた。
そういう理由で、カナンが抜擢された形だ。
ちょうどカナンが職を失っているというのも大きいかもしれない。
「もう何者の手も煩わせたくないんだ。
オレ一人で如何なる事象も乗り越えられる力が欲しい。
そう思ったら、カナン殿の顔が浮かんだんだ」
よくもまぁ歯の浮きそうな台詞を平然と言ってのけられるものだ。
カナンはそれを聞いて、ガルドの愚直さに興味さえ湧く。
ただそうはもうされましても、ガルド様は現在学園内で生活されているはずでは?
それに金銭の工面などにも苦慮するでしょう」
「……ひとまず拒否されないことに安心した。
オレはことあるごとに絶望を感じないためにも強くなる必要があるんだ。
これはみんなの為でもあるが、それ以上にオレ自身の為でもある。
だからこそカナン殿との出会いは幸運だった。
是非オレに風属性の極意を伝授してほしい」
ガルドの目は真剣そのもの。
少しズレている気もするが、真摯な姿勢には違いない。
「わたくしのどこにそのような大層なものを感じられたのかは分かりませんが、養って頂けるというのであればお言葉に甘えましょうか」
ホテル暮らしも金が掛かって仕方がないと思っていたところに、これは渡りに船だろう。
カナンはガルドからは下心など微塵も感じないことに一抹の不安を覚える。
愚直すぎる人間はどこかで壊れる。
それを正すのも自分の役目かと、カナンは最終的に肯定の意を示した。
「そ、そうか……!」
「わたくしのことはカナンと呼んでいただいて構いません」
「それは流石に畏れ多いが、そう言ってもらえるのであれば従おう。
オレのこともガルドと──」
「実に青い」
不気味な声が二人の鼓膜を揺らす。
「「!?」」
前触れもなく覆い被さってきた影と突如投げかけられた言葉。
二人は身を竦めたのも束の間、その姿を確認するまでもなくその場から飛び退った。
それは人間の防衛本能からやってくる動きだったかもしれない。
そして一旦距離を置いた上でそれをようやく視界に写し、自分たちの判断が誤っていなかったことを実感する。
墓石の上に佇むのは、上裸にガウンを羽織った長身の男。
夕陽を背にして二人を静かに見下ろす視線は、決して同じ人間に向けられるものではない。
彼の露出した肌はやけに青白く、髪も眉もない頭部の落ち窪んだ眼窩がその不気味さを一層際立てている。
「子らよ、何故に強さを求める?」
地獄から響くかのような重苦しい声。
まるで品定めをするような質問に、二人は恐怖を覚える。
「子らよ、強さとは斯くも美しきものか?」
「それにお答えする前に、まずそこから降りていただけますか?」
カナンはこの質問に答えないことで降りかかる最悪の事態を想定している。
しかしそれ以上に、ウェルコフの墓を足蹴にすることに対する不快感が拭えなかった。
「これなる石くれか?」
男は視線を足元に向けるも、興味がないのかすぐに視線を戻した。
「ええ、そこはわたくしたちの知り合いの墓になります。
ですので、あなたが何者であれその行為は許されざるものなのです」
「……墓、か。
この者は幸運にも浄土に召された、ということか。
ふむ……我が行いは、子らの反感を買うと見える」
男は二人の──特にカナンの反応を見て、素直に墓石から地面に降り立った。
それでも、ガルドをゆうに見下ろせるだけの身長はある。
「感謝します。
では問いにお答えしますと、わたくし自身強さというものに憧れなどはありません。
ただ、弱い者が悪だという風潮があるのも事実ですので、他者から軽んじられることを恐れて強さを求めるのは仕方のないことかと」
「子なる女よ、貴様の諦観も悪くはない。
して、子なる男よ、貴様は何故強さを求める?」
男の真意は分からない。
何かを探しているのだろうか。
ガルドはそんな考えを脳裏に過らせつつも、思いの丈を吐き出す。
「オレは何も失いたくないだけだ。
失ってから後悔したくない、その一点に尽きる」
「理想に生かされる奴隷こそ、慶福なる存在に違いあるまいな。
然らば子なる男よ、貴様は現在或いは未来において我を滅する存在たり得るか?」
「……?
発言の意図が理解できないが、いずれはあなたにも届きうるように生きたいとは考えている」
その返答に、男は数秒間沈黙した。
なにかしら思考を巡らせているのだろうが、二人にとっては恐怖の時間でしかない。
「……然すればここで殺すには惜しいか」
「……!」
ガルドは男の中に殺すという選択肢があったことに驚き、同時に死を回避できたということに安堵した。
その途端に、ガルドの身に震えが生じ始めた。
それは安心からくるものではなく、ようやくこの男が圧倒的強者だと認識できた恐怖からくるもの。
カナンも平然と表情は崩していないものの、顔面を覆う汗が彼女の内心を物語っている。
「子らよ、邪魔をした。
子なる男よ、ゆめ先程の発言を忘れるなかれ。
然らば再び相見える時まで……」
男はそう言うと、フッと姿を消した。
魔法の発動も何もない自然な消失に、二人がその事実を受け入れるまでに数秒を要するほど。
「あの方は、一体……」
緊張感から解放され、カナンは息荒く大気を取り込んでいる。
「分からない……。
分からないが、到底まともな人間ではないだろう。
そもそも人間だったのかすら怪しいほどだ……!」
その男は現在巷を賑わす殺人鬼。
問いを投げ、相手を値踏みする。
満足すれば生かし、そうでなければ興味を失い殺す。
これからも彼による凶行は続いてゆく。
現在において唯一、二人が生を許された存在だった。
彼に遭遇して死を回避できる方法が明らかになるのはまだ先のことである。