第120話 余裕
忙しさからか、時間的にも内容的にも満足したものが書けませんね。
「ほ、本当に……私なんかが……?」
「ええ、良いのですよ。
あなたは今、悩んでおられる。
そんなあなたにこそ、これは相応しい」
周囲から教祖と呼ばれている男性が、朗らかに返事を投げかける。
すると徐に、怪しく微かにマナを放出する一冊の本を取り出した。
そして形式ばった動きで、目の前の少女にそれを授けた。
薄暗い空間で、少女は多くの教徒に囲まれながら恭しく受け取る。
震える両手を誤魔化すように、少女はそれを胸元に抱き込んだ。
ギュッと抱きしめた一冊──巷では魔導書と称されているそれは少女に安心感を与えてくれる。
怪しくも充溢するマナは少女を抱擁する母のようであり、厳しく叱責する父のようでもある。
魔導書は特に教団において大変な重要な意味を持ってくる。
単に魔導書としての役割があるだけではなく、教団での立ち位置すら担保するシロモノなのだ。
それが分かっているからこそ、少女は歓喜のままに流涙し、膝から崩れ落ちた。
周囲の教徒から向けられる羨望や嫉妬の視線は、現在の少女にはもはや関係のないものだ。
少女は今や彼らとは一線を画す存在となっている。
教徒の誰しもが流涎ものの魔導書を得て、少女は自身の幸運を改めて確認する。
また散々教団における魔導書の価値を聞かされただけあって、恐ろしさすら感じる。
その選考基準は不明だ。
しかし、教団に属してから時期の浅い彼女が魔導書を与えられるにはそれなりの理由があったのだろう。
だから一々それ以上のことは口にせず、黙って教祖の次の言葉を待つ。
「ですが、それはあくまで心の支えとしてお持ちいただきたいのです」
そうなのだ。
魔導書を使用するものという認識が一般的だが、教団ではそれを使用しないことが美徳として語られている。
ここでまず魔導書としての用途だが、内に秘められた強力な魔法を得ることが最も有名だろう。
魔導書自体が詳しく原理を解明されたものではないこともあって、魔法を得られるという効果以外多くは知られていない。
魔導書を開いた者がその多くを語らないということも関係している。
そこに様々な憶測が加わり、それらの情報が魔導書の実態を隠してしまっているのだ。
だからこそ、未知なる物質である魔導書は人々の興味を掻き立てる。
教団に属する人間もそれは同じで、目の前で実際にそれを手にした少女に対する興味は絶えない。
だが、詮索することは御法度だ。
魔導書は教団の秘奥。
詮索することは教団を害する行為として判断されかねない。
知りすぎた人間の末路は想像に難くないだろう。
だからといって謎深き教団から逃げ出す人間が多いかといえば、そうではない。
教団は魔王崇拝教と銘打ってはいるが、その実態は弱者の心の拠り所だ。
教団の名称は物騒極まりないものでも、弱者救済を謳う教義は容易に人を集められる。
特に世界情勢が危うく精神の安定を得られない人々は、簡単に心の支えを求めるものだ。
人は水と同様に低い場所へ流れるもの。
自然と人は集まっていく。
そうやって教団は更なる規模拡大を続ける。
「教団の願いは、皆様に心穏やかに生活していただくこと。
たとえ人間が魔人に屈することになっても、皆様の生活を安全に確保できるその日まで、私が活動を辞めることはありません。
時期が来れば、皆様各々方に魔導書を授けられる機会も訪れるでしょう。
来たる日に向けて、弱き者の拠り所たる教団を発展させていきましょう」
教祖の締めの言葉をもって今回の集会はお開きとなった。
教徒たちは各自それぞれの持ち場へと散開していく。
彼らが集まったのは、魔導書を自分たちにも授けられるんじゃないかという期待も一部にはある。
授与は教祖の独断と偏見により行われるため、何かしらのおこぼれを得ようとする教徒もいないわけではない。
しかし純粋にその栄誉を受けた人間を祝福する部分が大きい。
魔導書を授けられる人間が増えることは単純に教団としても良いことだ。
それを喜べない人間は教団にはいない。
教団に──ひいては全人類のためになると信じることが、彼らの行動原理。
だからといって強引な勧誘が行われているわけではない。
そういう部分が、教団を謎めいた集団のままにさせている。
教団を危険視する風潮は、未だこの世界には広がっていない。
一部の人間だけが教団の違和感に気づいてはいるが、その概要が分からないのだから違和感は違和感のままなのだ。
教団への認識は、少人数から構成されたオカルト集団という程度だろう。
その中で彼らは知られることなく蠢動を続けている。
教団の本当の目的は何なのか、外部からは──内部からも把握は困難だ。
「まさか、このような場面に出くわすとは思いもしませんでしたね」
それでも教団を探る人間もいる。
マリア=イングリスは、大事そうに何かを抱えて足早に進む少女の背中を、遠くから眺めながら呟く。
彼女は黒いローブを身に纏い、教団員として潜伏していたところだったのだ。
そんな折、魔導書の授与が行われるという話を聞いて教団の支部に潜り込んだ。
「成果らしい成果は久しぶりですね」
それが行われた集会にまで参加は叶わなかったものの、足掛かりは得られた。
教祖はいつの間にか教団の支部にやってきて、そして同様に消えていったようで足取りは追えなかった。
彼自身を捉えることができればマリアの調査も一気に進むというものだが、現実はそんなに甘い話ではない。
彼は神出鬼没で、常にボディガードらしき人間に護衛され、移動も魔法を用いた特殊なものだ。
しかしあの少女を辿れば、教団の中枢に至れる可能性はある。
「さて……」
降り頻る雨の中、少女は背後から浴びせられるマリアの悍ましい視線には気づかない。
彼女の意識は胸に抱えた魔導書の一点に注がれているからだ。
望んでいた調査対象だが、それを得てもマリアに喜びや満足感はない。
彼女にあるのは、個人的な使命感のみ。
マリアはしばらく少女の背中を視線で追うと、徐に歩き出した。
その歩みの向く先は、当然その少女へ。
「あの娘……出自、交友関係、家族関係、生活習慣、ありとあらゆるものを調査していくとしましょう」
マリアの一歩は力強く、水溜りを踏んで泥水が跳ねた。
ろくに手入れもされていない路地裏は砂埃や汚泥の温床だ。
教団の支部はそんな場所にこそあって、存在を隠蔽している。
泥水はマリアのブーツやロングスカートの裾を汚し、一歩また一歩と進むごとに汚れの範囲は拡大していく。
マリアはそれを気にも留めない。
それはまるで──
▽
ドサリ──
最後まで膝を屈さず耐えていたガルドだが、やがて力なく後方へ倒れ伏した。
仰向けで転がる人間は、これで四人。
「ウゥッ……!
ハァ……ハァ……」
その誰もが青い顔で、息荒く胸部を上下させているのだ。
その四人とはもちろん、ジュリ、アル、オリビア、そしてガルドだ。
「おいおい、みんな無茶すんなって。
いきなりこれを繰り返したところで一足飛びに効果が出るわけじゃないんだから」
俺は草臥れた四人を眺めながら嘆息する。
隣で俺の補助をするソフィアラもやれやれといった様子で肩を竦めている。
「みんな私の時ほど派手じゃないけど、多分それはクロが手加減してるからよね?」
ソフィアラの発言に、四人はギョッとした表情を作る。
「えっと……お嬢様、根に持ってます?」
「そんなことはないわ」
ほんとかなぁ?
「まぁ、過度にマナを注入しておかしなことになっても仕方ないですからね。
カナンさんの説明に当てはめると、変化というのはじっくりと時間をかけて行われるものだろうし、変質は慢性的なマナ暴露によるってことだ。
急性症状を生じさせても良い事はない……ですよね、カナンさん?」
俺は説明を四人に投げかけつつ、背後のカナンにも確認をとってみる。
「そうですね。
時間を掛ければよろしいかと。
全属性への適応など滅多にない機会ですから」
カナンは地面に座り、壁にもたれかかって本を読んでいる。
なんか片手間に返事をしているようにも見えるが、説明は的確だ。
一応は魔法の先輩でもあるカナンが監視してくれているという体で、俺たちのマナ共有の下準備が行われている。
そんなカナンは左手で小説を持ちつつ、右手をクルクルと回している。
右手の動きは室内の換気を行うためのもので、カナンが発動させている風魔法が室内の汚れた空気を屋外へ押し出し、新鮮な空気を室内に取り込んでいるのだ。
その様は、もはや意識してやっているようには見えず、ごく自然な動きで適切な効果を発揮している。
ぱっと見はそんな感じは受けないのだが、俺たち魔法の素人が気づけないような動きってのは大概高度なことをやっているんだよな。
あ、汚れた空気ってのは、四人のマナ共有による副作用から生じるものだ。
吐き出されたモノ自体はクリアの魔法で綺麗にできるのだが、臭いまでは如何ともし難い。
そこでカナンが空気清浄機の役割を果たしているということだ。
「もう今日はやめとくか?」
俺が声をかけると、ガルドとアルがモゾモゾと身体を起こし始めた。
「いや、まだ出来そうだ……」
「そうは言ってもなぁ」
俺としては友達がゲロを吐く姿はもう見たくないんだが。
マナ共有をやってから思ったが、これって食後にやるようなことじゃないよな。
夕食が台無しだ。
せっかく作ってくれたウェルコフらに申し訳ない。
まぁジュリも吐き散らかしていたので、そこはもう気のするまい。
「続けたいなら続ければよろしいかと。
若さも元気も、それがあるうちに使われたほうが賢明ですよ」
またも淡々とカナンが呟くように言う。
彼女の視線は本に固定されたままだ。
そしてパラリとページの捲れる音も聞こえる。
左手だけで本をどうやって捲ってるのか気になっていたが、どうやら彼女が現在操作している風を用いて行なっているらしい。
そりゃこれだけ色んなことを動かずに出来たら怠惰にもなるわな。
「カナンさんもああ言ってるし、お前らがやる気なら付き合うか。
俺としては大した労力じゃないしな」
「それは助かる。
オレは何としても強くならねばならん。
この間の腕試しで痛感したからな。
それで言えば、オレはぜひカナン殿と手合わせしたい」
「何言ってんだ?」
本当にガルドは何を言ってるんだ。
それにカナン殿ってなんだ。
バトルジャンキーにジョブチェンジしたのか?
「そうですよ、何を物騒なことを仰るのですか」
めんどくさそうなカナンの声が聞こえる。
俺とかガルドは平民なんだし、別にそんな畏まって話さなくてもいいのにな。
「先ほどからの魔法の操作……カナン殿は相当な風属性使いと見える。
手合わせは難しいにしても、是非オレに教えを説いていただけないだろうか」
「手合わせは、軽くであれば構いません。
あまり汗をかきたくないものですから」
やっぱりカナンはガルドを見ずに返事をする。
ガルドも先輩にコテンパンにやられてたしな。
躓いたことで悩みが増えたのも頷ける。
そこに彼と同じ風属性で、おそらく強力な使い手のカナンを目にしたんだ。
反応するのは当然だと言えるな。
「感謝します」
「では始めましょうか。
なるべく早く終わらせて読書をしたいですからね」
カナンは視線は文面に向けながら、スクリと立ち上がった。
「読書したいなら自室に戻れば良いのでは……?」
あ。
俺は思わず疑問を口にしてしまった。
するとカナンからジトっとした視線が飛んでくる。
なんか、すいません。
「戻れば仕事を与えられます。
そのためここになるべく長い間留まらなければならないのです」
……さいですか。
「じゃあガルドとカナンさんは何かしらやるとして、こっちはこっちでマナ共有を続けるか?」
「休憩がてらガルドのやつを見るんだよ……」
ゼェゼェ言いながら話すなら、そこに寝てろよな。
「そ、そうですわね……」
「うちは全然いけるけどなー。
なんか回復してきたぜ!」
「無茶すんな、足ガックガクじゃねぇか。
まぁ、先輩の魔法を見てみようぜ。
卒業生ってことは、結構やるはずだろ?」
「ガルドがやる気になってるのなんて珍しいしな!
そりゃ腕試しであれだけやられてたら、必死にもなるよな!」
「あんまり滅多なことを言ってやんなって。
ところでジュリ、カナンさんってどんな魔法使いなんだ?」
ずっと一緒にいたはずだし、ジュリは何かしら知ってるはずだよな。
「……実は、あまり私も知らないのですわ。
魔法教育は家庭教師の先生方にお願いしていましたし、いつもカナンは本ばかり読んでいるもので、会話もそれほど多くなかったですからね。
卒業生だと知ったのも、つい最近なのですわ」
「ほー。
でも結構長い間一緒にいるんだろ?」
「カナンがやってきたのは四年ほど前なので、そこまで長くは接していませんわね」
「そんなもんなのか。
ちなみに、カナンさんって何歳?」
「確か二十四ですわね」
ちょっとだけ年上なのか。
お姉さんって、なんか良いな。
「ってことは、卒業後すぐにここに来たって感じか」
「そうなりますね。
それにしても驚きですわ。
カナンがあれほど言葉を発するのは、私も今日初めて知りましたのよ」
「じゃあ、今から更にカナンさんの知らない面を見れるってことだな。
卒業生の実力ってやつを見せてもらおうじゃないか」
「ええ、楽しみですわね」
ガルドのアップが終わったようで、彼はカナンに向き直る。
カナンは本を読んだまま立ち尽くしていただけだったが、少しだけ視線をガルドに向けた。
そして言葉を発する。
「まず終了条件を定めましょうか。
わたくしはこれから一つの魔法を使用します。
ガルド様はご自身の魔法を駆使してそれを攻略してください。
指一本でもわたくしに触れることができたらガルド様の勝ち……これでいきますね」
「そんなこと──」
簡単じゃないか、と言おうとしたガルドは思わず言葉を飲み込んだ。
カナンが今まで見せたことのない眼光でガルドを射抜いていたから。
ガルドはごくりと唾を飲む。
カナンの変化は外野から見ている俺たちにも明らかだった。
なんか雰囲気が変わったな。
「では参りますね。
アドバンスド マジック、ロード──」
▽
起動符からすぐ、凄まじい勢いでカナンからマナが放出された。
俺たちの身体を突き抜けるマナが、その速度を実感させる。
衝撃波の如く拡散されたそれは、一瞬で室内を充溢させた。
横目に映るソフィアラは、目を見開いて驚いている様子だ。
マナの動きが見えるって話だったから、特別な見え方をしてるのかもな。
あとで聞いてみよう。
「タービュランス」
俺たちは、その魔法から何かしら大きな影響が空間内に出ることを想像した。
ガルドも魔法名を聞いて神妙な顔をしている。
彼は身を硬くし、警戒する姿がありありと確認できた。
アドバンスドマジック……つまり上級魔法が発動されたのだ。
警戒をしてもしすぎと言うことはないだろう。
上級魔法の多くを内包する根源名──それがアドバンスドマジック。
そう言えば、アドバンスドマジックを実際に自分の耳で聞くのは初めてだな。
先にデュアルマジックを聞いてしまっているから順番が無茶苦茶だ。
普通に生活してたらデュアルマジックなんて一年生で聞くことないんだし、これだけでも俺が真っ当に生きてないのが分かるな。
セアドも上級魔法と敵対したら逃げろって言ってたしな。
そんな魔法を即座に発動させる条件は何だ?
制約は?
というか、制約云々については俺も実際に使ったことがないから分からないんだよな。
それにしても何かが起こる気配はないし、目に見えて何かが起こっている様子もない。
「発動……したのか?」
しかしそれ以降動きを見せないカナンを見て、ガルドは疑問を呟きつつ数秒遅れて動き出した。
ガルドのメイン戦法は接近戦。
絡め手で戦わないところを見ると、遠距離が苦手なのか。
それとも接近戦に強い拘りがあるのか。
「ロード、ハリケーン……」
ガルドは魔法を準備しつつ、カナンに迫る。
すでに彼女はガルドを見ちゃいない。
ペラリと勝手に捲れる本のページは、魔法の操作を手元に集中させているからだろうか。
ガルドの腕に風が纏わりつく。
あれはガルドお得意のハリケーンナックルだな。
入学当初見た時よりも、風の密度も形成速度も上がっている。
「ナックル……ッ!?」
力強い発言と同時に、ガルドの両腕に鋭い風の刃が複数形成された。
かと思えば、それらが内側から消し飛ばされたように見えた。
パンという弾けるような高い音が響く。
なんだ……?
ガルドの両腕が後方に投げ出されている。
そしてそのあおりを受けて前進しようとしていた肉体も仰け反るように後方へ。
ガルドは驚きに包まれながらも、憎々しげな視線をカナンの方へ。
俺は何が何だか分からなかったが、ガルド本人は巻き起こされた事象を理解しているのだろう。
「この──」
ガルドは何かを発そうとした。
しかし、ここでの彼の発言は許されなかった。
言い切る前に激しい風がガルドの身体を跳ね飛ばし、
「がはッ!」
彼の身体は壁面に叩きつけられた。
「何が起こってるんだ……?」
「私もカナンの魔法を見るのは初めてですから、よくは分かりません。
それほど強力な魔法には思えませんでしたが、効果の程は見ての通りですわね」
両腕を跳ね上げられ、ガラ空きな腹部に攻撃を喰らったのだ。
ただでは済むまい。
そんなガルドは、背中の痛みを感じさせながらも何とか立ち上がった。
「ロード、エア──」
そこから攻めの一手を見出そうと発動した魔法だったが、ガルドのそれは彼の手掌の上で完成を待たずに掻き消される。
「やはり……。
カナン殿の魔法は空間成分に多くのリソースを割いているはずだ。
それがなぜ基本成分への干渉を……?」
何かを確認するようにブツブツと呟くガルドの発言は拾えなかった。
「不可解、といった面持ちですね」
カナンはその言葉を拾えたのか、ガルドへ言葉を投げかける。
「魔法は発動できるにも関わらず、それが完成に至らない理由が分からない……。
これがカナン殿の魔法の効果なのか?」
「ガルド様勘違いをしておられるご様子。
基本成分や空間成分の話は大変ややこしいところなのでここでは省きますが、風魔法のほとんどは空間成分に属しております。
純粋な基本成分の風魔法の方が珍しいという具合には、風魔法は基本成分が少ない」
「だからオレは空間干渉したカナン殿の魔法に勝てなかったと?」
「結果的に、そうなります。
同属性の戦いは謂わば綱引きのようなもの。
より高度な魔法を操れる者が勝つのが道理。
特に風属性においては基本成分による魔法が少ないこともあって、これが他属性と比べて顕著になっていますね」
ガルドはカナンの言葉に食ってかかるように返答する。
「ではオレはカナン殿に勝てないのか?」
しかしそれは答えを急ぎすぎだ。
少々ガルドは熱くなっているのかもしれないな。
しかし基本成分とか空間成分の話は、しっかり授業を受けたわけでもないし、腕試しの過程で聞いただけなんだよな。
だからその魔法がどっちに属しているとかいうのは分からないし、今のようにガルドがカナンに訂正を受けるのも頷ける。
どうにも魔法の深淵はとても遠い場所にあるようだ。
学園に来てから次々と新たな情報を与えられて、俺たちはそれを実践段階に移すのがなかなか困難な状況。
やはり独学には限界があるな。
実際にジュリの誘いに応じてなかったら、マナ共有然り基本・空間成分然り、知らないことばかりだ。
こんなことは王国の図書館で閲覧できる書籍には見られない内容だった。
知識に対する欲求はある。
それを実践に移したいという願望も。
しかし、実際にそれを行うことに対する困難さという壁が俺たちの前に立ち塞がっている。
セアドとの腕試しで俺は、機転を利かせて何とか乗り切れたというところだ。
だが、いつでもそんな幸運が続くわけはない。
実戦ではない、謂わば演習という場面での成功体験が、本番でも生じるかは些か謎だ。
本番とはつまり、人間に害なす存在と戦うこと。
実戦で成果を出すためには、安定した下地が必要なのだ。
「知らないことが多すぎるな……」
「……?」
俺の呟きにソフィアラは小首を傾げているが、俺はブツブツ言いながらガルドらの成り行きを眺める。
「愚直に突き進むだけでは勝つ見込みはありませんね。
そうなるように、わたくしが仕掛けているのですから」
「そう、だろうな……」
「戦いとは、常に五分の力量で行われるものではありません。
その多くが、開始の合図を待たずに決しているのです。
今後ガルド様は戦いに身を置く生活を望まれるのでしょうが、成果を得て長生きする秘訣は楽をすることに他なりませんよ。
楽をすれば余裕が生まれ、余裕が生まれれば思考の幅は広がります。
それを可ならしめん者が常に勝者として君臨し続けるのです」
言いたいことは分かる。
要は、自分のやりたい放題に事を進められなきゃ死んじまうってことだ。
なるほどそういう考えもあって怠惰な性格が……って、それとこれとは話が別だが、楽できるってのは強みだよな。
俺たちの戦いはいつもギリギリだ。
たまたまギリギリで勝てているだけ。
たまたまそこに命があるだけ。
命を失うタイミングなんて、この世界に来ていくらでもあった。
それはひとえに幸運という一言で片付けられる。
では幸運が尽きたら?
そう、運がなくても生き抜くことのできる下地が必要なのだ。
それが現在のガルドの状況にも言える。
何が起こってるかは想像するしかないが、今や彼はお得意の風魔法を封じられている。
つまり手足を縛られたも同然の状態。
じゃあ幸運に期待するのか?
いや、そんなものには頼れない。
困難な状況になって初めて、人間は無力を痛感するのだ。
そうなった時はもう遅く、死が口を開けて待っているということだ。
そうならないためには、足並み揃えて教えを享受するのではなく、自ら学びにいく姿勢が重要なのではないだろうか。
「オレは、どうすればいい……?」
ガルドは自問する。
考えるのはいつだって、窮地に追い込まれてから。
その実情を俺も払拭しなければならない。
「勝ち続けられる人間はごく少数です。
その少数に含まれるには、思考し、状況を分析することが一番の早道となります。
頭を使えば勝ちに近づける。
これほど楽なことは、ありませんよね?」
本で隠れてカナンの目元しか確認できないが、その言葉には妙な説得力があった。