第119話 招待
激烈に忙しくて投稿できない毎日。
「実家と言ったものの、急な来客は想定していなかったようでして……。
ですので、本日はこちらでおくつろぎいただきますわ」
「いやいや、招いてもらえるだけでもありがたいって。
なるほど、こんな感じなんだな」
ジュリに案内されてやってきたのは、大豪邸とまではいかないが邸宅と呼ぶには大きすぎる、そんな住居だった。
これをどう表現するか難しいが、ひとまず屋敷ということにしておこう。
この屋敷は高い塀に覆われて、しっかり門まで設置されており、ここは馬車が一台通るには十分な大きさを備えている。
グルリと噴水を回るようにロータリーがあり、おそらくこれは馬車用のものなのだろう。
左右対称の建物は二階建てで、門の外から見ただけでも八部屋分の窓が設置されている。
内部の構造までは分からないが、その倍の数の部屋数があってもおかしくはないだろう。
これは娘一人に与える大きさのシロモノか?
まったく、金持ちという奴はこれだから困る。
「ささ、こちらへどうぞ」
大きな門から少し離れた場所には、通用門代わりの扉が設置されている。
ジュリがその取っ手に触れてマナを流し込むと、解錠される音とともに扉が開かれた。
俺たちはジュリに案内されるままに内部へ進む。
「……?」
扉を越える際、何かぬるりとした謎の違和感を感じた。
「クロさん、今のは結界に触れた感覚ですわ。
じきに慣れますので、あまりお気になさらず」
俺が怪訝な顔をしているとジュリはそれを見ていたようで、すかさず説明を入れてくれる。
行く先々で感じていた違和感はこれだったんだなと、ここでようやく得心がいった。
この世界に来た当初に感じたものとはまた違う、慣れない違和感を全身に感じながら、舗装された石畳を進む。
辺りはもう陽も落ちて暗闇に包まれているが、高価そうな魔光灯が道を明るく照らしてくれる。
みんな緊張しているのか、言葉数も少なめだ。
いくら友人とはいえ、学園を出れば階級という壁が俺たちの前に立ち塞がるからな。
その中でもオリビアだけはあまり気にもかけていないようだが。
一応俺はソフィアラの家にいたから豪邸での生活は目にしているが、ガルドあたりは人生初の経験じゃないのか?
それと、ここにやってくるまでに高級そうな身なりの人間を多く散見している。
ジュリの邸宅のあるここは、いわゆる貴族街というやつだ。
俺たちは制服だからあまり気にもかけなかったが、私服で歩くには少々勇気が必要な場所だった。
制服って身分を証明するために結構重要なものだったんだな。
そんなことを考えながらジュリに付き従って歩くと、エントランスが近づいてきた。
そのままジュリが取手に手を掛けるまでもなく、エントランスの扉が自動的に開かれる。
そして投げかけられる男性の声。
「ジュリアーナお嬢様、おかえりなさいませ。
ご友人の皆様もようこそお越しくださいました。
オリビア様はお久しぶりでございます。
わたくし、こちらで執事を務めさせていただいております、ウェルコフ=モーガンと申します。
以後、お見知り置きを」
ウェルコフと名乗る壮年男性はピチッとしたスーツを見に纏い、非常に洗練された動きで俺たちを迎え入れた。
ウェルコフの背後には、二人の女性が同じように恭しく礼をしている。
彼女らはメイドか何かだろうな。
オリビアはウェルコフの発言に対し、目配せで返した。
そう言えばフレアマイナ家はライトロード教会と懇意にしてるって話だったし、オリビアがこっちに来てるってのも不思議な話じゃない。
幼馴染とかそんな感じかね?
「急な話でごめんなさいね、ウェルコフさん。
数日間ですが、お世話になりますわ」
「いえいえ、お世話など……。
もとよりこちらはジュリアーナお嬢様のもの。
ご自由にお寛ぎください」
「そうね、そうさせてもらうわ」
「ここで立ち話というのもなんでしょうから、皆様こちらへどうぞ」
調度品や家具の物珍しさに目移りしながら、広い屋内を進んでいく。
そうやって俺たちはウェルコフに案内されて、リビングにやってきた。
やはりというか当然というか、そこには高級そうなソファーや机が並べられている。
リビングの奥にはバーカウンターも取り付けられたダイナーのような空間があって、あそこで食事を取るのだろうか。
部屋の準備にまだ少し時間がかかるということなので、それぞれ荷物をウェルコフに預け、リビングでしばらく過ごすことになった。
急に帰ってくるって話になったんだし、準備ができてないのも当然だな。
ジュリの部屋は常に清掃が行き届いているらしく、俺たちの部屋とは異なりすぐに使えるようだ。
家主が俺たちをほったらかしにするのはいけないということで、ジュリも一緒にソファーで寛いでいる。
しかし、なんというか落ち着かない。
高級なソファーに全身を預けることさえ躊躇される。
こんなところで庶民の感じが出てしまうのはジュリに申し訳ないが、他人の家ってやっぱり緊張するなぁ。
「ジュリ、この屋敷は普段どういう用途なんだ?」
話の流れを作る意味でも、一つ発言してみる。
「幼少期から、ほとんどここで過ごしていますわね」
……え?
サラッと爆弾発言をした気がしたけど、どういうことなのだろうか。
「えっと、ここに家族と一緒にってことか?」
「……?
いえ、家族は実家の方で過ごしていますわ。
あちらには兄も姉もいますし、多くの方が出入りしますので、あまり両親も私の相手ができなかったのでしょうね。
その代わりに、兄妹の中で私だけがこのような住居をいただいて生活させていただいておりますわ」
うーん、これはどうなんだろうな。
ネグレクトってやつなのか?
でもジュリの話し振りを聞く感じ、マイナスの印象を受けないんだよな。
本人が気にしてないなら、それはそれでいいのか?
分からねぇな。
これが日本なら、福祉事務所とか児童相談所に連絡する案件だとも思うんだけどなぁ。
「生活って……何年も一人なのか?」
「ええ。
しかし執事のウェルコフさんや、メイドのカナンとレイナールがいましたので寂しくはありませんでしたよ?
それに家庭教師の先生方も結構な頻度でやってきていましたし、ね」
まぁ、他人の家庭のことに触れるのはご法度だな。
肉体的虐待でもなければ、俺が勝手に口出しするのはおかしな話だ。
「それでも……一人というのは寂しいものだろう?」
いつになくガルドが珍しい発言をしている。
ガルドも一人の期間があったのか?
「ガルド、どうしたんだ?」
アルもガルドの発言に違和感を感じたのか?
いや、アルに限ってそれはないか。
「特に感傷的な何かがあるわけではないさ。
ただ、ジュリのそんな状況を見越してオリビアが遊びに来てたんだと想像すると、なんだかほっこりしてな」
ああ。そういうことね。
「なッ……何を言い出すんだよ!?」
ひどく慌てた様子を見せ始めたオリビア。
おい、顔が真っ赤だぞ。
図星だったっぽいな。
いやぁ、これは面白い。
面白いというのは、funnyじゃなくてinterestingの方で。
「オリビア、そうなのか?」
「アルは黙るんだよ!」
純粋なアルの疑問は、更にオリビアの気恥ずかしさを助長させる。
「オリビアさん、そうでしたのね……」
ジュリもなんだか目がうるうるしてるし、変な空気になってきたな。
俺は面白くていいんだけど。
隣に座っているソフィアラを見ると、知っていましたというようにクスリと笑みをこぼしている。
「お嬢様、オリビアがそんな感じだって分かってたんです?」
「そうね、オリビアは優しいわ。
それを表に出さないだけで、ね。
できればバレたくなかったと思うんだけど、いずれこうなったわよ」
「なるほどなぁ。
オリビアの口の悪さは、恥かしさの裏返しってことか」
彼女が実はいいやつだってのは俺も薄々気が付いていた。
俺がアルの模擬戦で倒れた時、ベッドサイドでのオリビアの発言は優しさを感じるものだったしな。
「そこのアホ二人も黙ってるんだよ!」
今度は怒りの矛先がこっちに向いてきた。
でもオリビアの内面が分かると、彼女の暴言にも腹は立たないというもの。
いまだに顔は真っ赤で、恥ずかしさに怒りが合わさって茹で蛸のような色調を呈してしまうほどだ。
「まぁ落ち着けよオリビア。
とりあえず俺からも言わせてもらうけど」
「な、なんなんだよ……?」
「お前は、やっぱいいやつだわ」
「かああああああ!」
恥ずかしさが限界を越えたのか、奇声をあげて俺に飛びかかってきた。
そして小さい手で俺の首を掴んでブンブンと頭部を揺らしてくる。
そんなことをされても彼女に対する怒りの感情はない。
今は暴れさせておいてやろう。
あとで気恥ずかしくなって引きこもられる前にな。
「おいクロ、そのニマニマした顔をやめるんだよ!」
俺は仏のような心でオリビアの怒りを受け止める。
そんな小さな手で締められても……って、あれ?
案外力が強いな。
「うっ!」
急に的確の俺の両側の頸動脈に指が突き刺さる。
まさかこいつ、解剖学的構造を熟知してやがるのか……?
そんな俺の思考をかき消すように、脳の虚血が急速に進行する。
そこから誰の声も届いちゃいない。
なんだかみんなが騒ぎ立てていたようだが、俺の意識は急速に失われたのでよく分からない。
▽
何回この展開があるのやら。
誰が運んだのかは知らないが、やけに柔らかいベッドに俺は寝かされていた。
窓の外からは月明かりが差し込んでいる。
まだ朝になっているわけではなさそうだ。
怪我したわけでもないし気怠さもないので、そのまま俺はむくりと身体を起こした。
ベッドはダブルほどの大きさで、室内はそれを含めても十分なスペースを確保している。
机や椅子はやはり高級感があるし、壁にかけられている絵画も安物ではないだろう。
ただの一室だけで俺の実家以上の価値がありそうだ。
そんなことを考えながら俺は自分の荷物に手を掛け、中から普段着を引っ張り出した。
このまま制服でいるのもシワになってダメだしな。
荷物も一緒に運び込んでくれたらしい。
ガルドあたりが俺を運んだのかね。
俺は思考もそのままにパッと着替えを済ませると、ドアノブを捻って部屋を出た。
「お目覚めですか、クロカワ様」
「ん?」
声のした方に視線を向けると、一度目にした顔がこちらを向いている。
たしか、メイドのカナンかレイナールのどちらかだよな。
その声は低く、事務的に俺への対応をしているようにも伺える。
でもまぁ、初対面でこんな印象を持つのは失礼か。
そんな彼女は、部屋の前に設置された小さな椅子に腰掛けて小説らしき本を読んでいるところだった。
椅子の隣には花瓶を設置するための小さな丸机が共に設置されている。
俺の出現を見て彼女は、次の言葉を紡ぐ前にハァと息を吐いた。
なに、その態度?
そのまま本を机に置くとスッと立ち上がり、恭しく礼をしてくる。
別に俺なんか階級的には庶民と変わらないんだし、そんな態度で接してくれなくてもいいんだけどな。
それよりも、読書を邪魔しやがって的な態度が気になるんだが!
「わたくし、メイドのカナンと申します。
ご夕食の準備が出来上がる頃合いでしたので、そろそろお声かけを差し上げようとお待ちしておりました」
夕食ってことは、そんなに時間は経ってないのか。
「そ、そうですか」
そう言う割には、しっかり読書してたっぽいけど。
まさかこの人、俺を呼びに行くって言ってここで本読んでサボってたんじゃ?
「では、ご案内致しますね」
そう言って歩き出したので、俺も後ろに引っ付いて進む。
歩きながら各所に視線を向けると、ここはどうやら二階のようだ。
似たような部屋が階段を挟んで両側にそれぞれ四つで、計八部屋あるようだ。
二部屋ずつが向かい合う感じだな。
とはいえ、一人で住むには少々部屋の数が多すぎるな。
メイド二人と執事含めて四人で生活するにしても、それでも過剰だと思う。
誰かが常にやってくるような生活をしていたとも思えないし……って、家庭教師もそこに含まれるのか?
ジュリの親はこの屋敷で彼女の生活を完結させたいようにも思える。
なんだろう、俺は急にジュリの生い立ちが気になってしまっている。
どうしちゃったんだろうな。
「クロ、起きたんだな!」
アルの声が俺の意識をハッとさせる。
他の面々も俺の到着を見て安心したような表情だ。
オリビアだけはフンとそっぽを向いてるが、まぁいいだろう。
今はそっとしておいてやろう。
そんな彼女たちは、食器を運んだり食事の準備の真っ最中だ。
「すまんな、すぐ手伝うわ。
何すればいい?」
「じゃあ飲み物の準備頼んだー」
「オッケー」
準備の最中チラッとカナンを見ると、何事もなかったようにしれっと作業に向かっている。
……まぁいいか。
その後、ウェルコフから手伝わせて申し訳ないなどの謝罪を受けながら卓上に食の彩りを添えていった。
みんなで食べるんだし、準備もみんなでやったほうが楽しいしな。
それに、準備が滞っているのはカナンの責任もあるだろう。
俺の中でカナンはサボり魔決定だ。
彼女にそうさせる原因を作った俺は、人一倍の働きを見せるのであった。
▽
「こりゃうまい!」
最終的に食卓に並んだのは、肉から海鮮から様々な野菜まで、無秩序な皿の数々だった。
「皆様の嗜好がどのようなものか測りかねましたもので……」
ウェルコフはそう言って、あらん限りの食材を今回の食事に突っ込んだらしい。
彼は料理もそうだが、ジュリの身の回りのことから屋敷のことまで、あらゆる物事をコーディネートしているとのことだった。
まさしくエリート執事というやつだな。
それから俺たちは時折ジュリの屋敷の使用人たちの話も交えながら、やいのやいの言いながら贅沢な食事を頬張った。
ウェルコフはいそいそと給仕や追加料理の用意をしているなかで、カナンとレイナールはちゃっかり端の方で食事にありついていた。
「ウェルコフさんって、あれでいいのか?」
俺は二人のメイドを指しながらジュリに尋ねる。
仕様人の中の階級付は不明だが、メイドは執事よりも下に位置するのではないか?
「ここでは誰も気にしませんわ。
そんなことを気にしていても堅苦しいだけですからね。
料理以外のところは彼女らが負担しているので、適材適所可能な人間が仕事を全うすればいいんですのよ」
「そんなもんか」
俺はジュリの言葉に納得して、メイド二人を見ながら汗水垂らして料理を振る舞うウェルコフを内心で労う。
ジュリが上流階級ながらスペデイレのように高慢ちきじゃないのは、そういった貴族の習わしから隔絶された生活を送ってきたからなのだろう。
だから学園内でも浮くことなく皆と接することができるし、俺たちとも仲良くできている。
俺はここまで色んな人間と接してきたが、貴族の堅苦しい生活ってのはあんまり経験していないんだよな。
俺の想像する貴族は、互いの自慢話を押し付けあったり、口舌でマウントを取り合ったり、そんな感じだ。
決して良いイメージは湧いてこない。
ソフィアラのところだって、もっと色んな貴族と交流があってもおかしくないと思うんだが、長らく住み込んでてもそんな場面は見なかった。
ロドリゲスは友達が少ないのかもな。
まぁ、こんなのはどうでもいいな。
今は友人たちとの交流を楽しもう。
「そうでしたわ、クロさん」
唐突にジュリが声量を増して俺の方を見た。
「ん?」
皆の視線がジュリに集まる。
「先日ルー先輩が仰っていたことを思い出しましたの。
ソフィさんとクロさんのマナ共有についてお教えいただけませんか?」
「先輩が危ないのなんだのいってたやつだよね?」
オリビアの視線はアルへ。
「一回やったけど、気持ち悪いったらなかったなー。
それを何度もできるって、ソフィもなかなか狂ってると思うぞ」
口の周りを汚して食事を頬張るアルの様は、まさしく子供のそれだ。
「アル、ひどいわ」
そのひどいってのは、アルの言葉と顔の状態にダブルで掛かってそうだ。
「まぁ何度かやってたらお嬢様も慣れてきたし、吐くことも無くなってきた感じだな」
またゲロとかいったら怒られそうだったし食事中だと言うこともあるので、それは控えた。
「それで、ソフィは別の属性を扱えるのか?
オレとしてはそこが気になるところだな。
腕試しをやって分かったことだが、単属性でできることは限られている。
オレが風属性を使いこなせていないと言うこともあるが、それでも複数の属性を扱えることで切り抜けられる状況もあると思うんだ」
「一つの属性を極めた方が強そうだけどなー」
ガルドの思いに対し、アルは能天気に軽口を叩いている。
「地属性は属性的に優れていますので、そこを極めた方が良いと思いますわね。
現に、ルー先輩やロックダウン先輩はその属性だけであのような地位を築いておられるわけですし。
まぁ考え方は人それぞれですわね」
「うむ、地属性はズルい」
「それならクロも使えるだろ?」
「手段として持ってるだけで、使いこなせるわけじゃないな。
実際に使ってる地属性魔法なんて、バレットとストーンスキンくらいなもんだしな。
でも確かに、攻撃面で言えばストーンバレットとかなんだよな。
結構お世話になってる属性ってのはあるな」
「そういえばオリビアさんも使ってましたわね」
ふと思い出したようにジュリが言うと、オリビアは目を逸らした。
「な、内緒なんだよ」
オリビアが途端に口ごもる。
「知られたくないこともあるわな。
とりあえず話を戻すと、マナ共有をしたことで新たな属性に目覚めるとは言い切れない。
実際、お嬢様は水属以外使ってないわけだしな」
「でもそれって、試していないだけなんでしょう?」
「そりゃそうだな。
お嬢様、ですよね?」
「まだ試したことはないわね。
あとで試してみようかしら」
昨日今日ルー先輩に言われたことだしな。
「んじゃご飯が終わったら勉強だな」
「それはいいな。
オレもできることがあれば協力しよう」
それからも宴は楽しさを維持したまま続けられていった。
何より、高級な食材をふんだんに使用した料理の数々は、それだけで俺たちを笑顔にした。
学園の食事も美味しいのだが、学園の外に出て食事ができるというスパイスが大きかった。
学園内は、一応他人に気を遣う環境だからな。
気心知れた友人たちと特別な空間にいられるってことがどれだけ幸せなのかが分かったな。
食事を終えると、ウェルコフたちが片付けをしてくれるというのでそれに甘んじる。
席を後にする傍ら、カナンの不満そうな顔を俺は見逃さなかった。
彼女がどんな性格なのか、あとで聞いてみるとするか。
「では、こちらへ」
ジュリがそう言って案内したのは、地下の多目的ルームのような場所。
「ここは何に使うんだ?」
「トレーニングで使うことが主ですわね。
格闘術の家庭教師の先生をお招きしている場合は、ここで授業を行うことが多かったですわ」
当然の疑問をぶつけると、やはりという内容の返答だった。
贅沢だよなぁ。
貴族が平民より優れているのは、教育に金を掛けられるからだよな。
上の階級に行くほど、そこに注ぎ込める時間も金も多い。
学園に入る前にほとんど決着がついてるようなもんじゃねぇか。
自分で勉強できることなんて限られているしな。
俺が必死になって図書館に通い詰めても、知らない知識は多かった。
入学試験レベルでは特殊な知識を求められることはないが、問題は入学してからだ。
それでも腕試しで心が折れている学生が多いってんだから、学園のレベルの高さが窺えるよな。
「んじゃ、まずは見てもらうか。
お嬢様、いいですね?」
俺はソフィアラの同意を得て、両手を握る。
そしてお互い目を閉じて、やりなれたルーチンを行う。
いつも通り右手からマナを流し、ソフィアラの身体全体を通して俺の左手へと還流させていく。
ふと、ここで思いついたことがある。
これまでは、あまりソフィアラのマナまで意識を向けたことはなかった。
しかしどうだろう。
ソフィアラから返ってくるマナは違和感のないものだ。
違和感がないとは、俺が流したマナがほぼそのまま返ってきているということ。
なぜそんなことがあり得る?
思い返してみろ。
ヒースコート邸で初めてソフィアラとマナを交わした時のことを。
あの時ソフィアラのマナは少量とはいえ、彼女のそれは彼女のもの以外なにものでもなかった。
それが俺に流れ込んできたわけで、それを受容したからには何かしらの変調が俺の身体に起こっていたはず。
だが、そんなことは一切起こらなかった。
それは俺のマナが全てを受け入れるからか?
いや、それは違うだろう。
マナのイメージは液体。
他人のマナを受け入れる器は、マナ回路と呼ばれるものにこそあるはずだ。
今思いつく仮定は、俺のマナ回路が特殊だということ。
俺は全ての属性を受け入れるマナ回路が備わっており、そこから溢れ出したマナは他人のマナ回路を変質させる。
お互いのマナを触れさせる行為は、マナではなくマナ回路への影響によるものか。
マナ回路──マナの入れ物の性質が変われば、その中身たるマナが変質することは想像に難くない。
マナ回路自体は実体のない概念だが、実際にそこに存在している。
実態がない分、多方面から影響を受けやすいということではないだろうか。
そう考えれば、すでに器が変質してしまっているソフィアラは全ての属性を受け入れる準備が整っている。
もう少し考察を加えて、あとで実践してみるべきだな。
ひとまず一通りのマナ還流を終えられたので、どちらともなく手を離した。
ここばかりはめっちゃ息が合ってんだよな。
「とまぁ、こんな感じだ。
何か見えるものはあったか?」
俺が四人を見ると、ここまで固唾を飲んで見守っていたのか、ようやく思い出したように息荒く呼吸を繰り返している。
そんなに必死になって見なくてもいいんだがなぁ。
「クロさんがマナを放出するところは分かりましたが、詳しい動きまでは……」
「うちも手を繋いでるだけにしか見えなかったなー」
ってことは、こっそり練習することもできるってことだよな。
ゲロを吐く期間だけ我慢してもらえば、各自で練習ができるってことだ。
よくよく考えれば、マナ回路を変質させるのは吐くほどの負担ってことか。
それはだいぶ可哀想なことをソフィアラにしてしまったな。
それにアルへの嫌がらせでマナを入れたのは反省だ。
命に関わることをやってるって感覚がなかった。
思いつきであれこれやりすぎるのもダメってことだな。
「でもソフィはマナの流れが見えるって言ってなかったっけ?」
オリビアの言葉を受けて、ソフィアラが頷く。
「目を閉じていた方が鮮明に感じられるわ。
水属性というのもあるのかも知れないけれど、マナの動きが水の流れのように感じられるわね。
例えば他人のマナを遠隔から覗くことで、どういった感情を抱いているのかも少しわかるかしら」
何それ、すっご。
つまり相手の動きを読めるとか、そんな用途にも活用できるってことだよな。
俺の知らない事実がここに。
ビビるわ。
「ソフィって器用になんでも出来るんだな!」
「そうでもないわ。
もともと使えるマナの総量も少なかったからね」
「そうなのか?」
元からソフィアラが優秀だと判断していたガルドの顔に疑問符が浮かんでいる。
「ええ。
クロが家にやってきてから色々試したおかげで、人並みに魔法が使えるようになったの。
だからクロには感謝してるわ」
クスリと微笑を溢しながら、ソフィアラは俺を一瞥した。
すぐにみんなの方に向き直ったためじっくりとは見えなかったが、思わずドキリとさせられる仕草だった。
ダメだ、一緒に居れば居るほど彼女に引き込まれそうな俺がいる。
「俺が初めて会った時は、バレット系の魔法数発でマナが枯渇するくらいだったから、結構増えた方だと思うな」
「ということは、今の一連の作業でMPも大幅に増加させられるということなんだな?」
「ガルド、それは判断が早計だ。
まだ何もかも確証があってやってるわけじゃないから、お嬢様に適応できたこの方法がみんなにも当てはまるとは考えづらい」
「そうなのか」
ガルドは俺の返事を聞いて残念そうだ。
「ルー先輩にも言われた通り、これはかなり危険な方法だと思う。
これまでの経験から俺の考察を話すと、他人のマナが体内に侵入した場合、マナを内包するマナ回路が変質すると思われるんだ」
「変質?」
小首を傾げているアルが、なんだか可愛い。
「そう。
例えば俺が全ての属性を使えるのは、マナ回路が全属性に対応したものだから。
入れ物がそうなのだから、その中身たるマナは全ての属性の可能性を得るって考察だ」
「オレはマナ自体が特殊な性質を持っていると考えていたんだが、違うのか」
「いや、わからん。
これはあくまで俺の見解だ。
だけどそう考えると納得がいくことも多い。
この間ルー先輩が言ってたけど、マナは特定の要素が溶け込む液体だって話だ。
つまりマナ自体に特殊な性質はなく、マナに性質を与えるのは外的要因──マナ回路ってわけだ」
「なるほど、そう言われると納得するな。
ひとまずそれは理解できたが、ソフィのMPを増したのはどういう芸当だ?」
「ああ、それについての回答がまだだったな。
それは単純に、お嬢様の回路に俺の大量のマナを流し込んで内側から拡張したってだけだ。
しかし偶然うまくいっただけで、これも誰にでも適応できるかは不明だな。
当初のお嬢様は、とりわけMPが少なかった。
だからこそ効果が大きかったってのもあるかもな」
みんな俺の説明を熱心に聞いている。
うまくいけば、大幅な戦力拡大が見込めるのだ。
MPが増えれば、それだけ継戦時間が延長されるし、大規模な魔法も遠慮なく発動できるってことだ。
とりあえず俺の話は理解してもらえたようなので、次の段階へ進む。
「これから色々試そうと思うんだが、その前に一つだけ解決しておくか。
お嬢様、今からウィンドバレットの魔法陣を描くので、それを覚えて発動できるか試してもらえますか?」
「わかったわ」
俺はポーチからマジックインクの入った瓶を取り出し、指を浸すと空中に魔法陣を描き切った。
属性が違ってもバレット系の基本的な魔法陣は水属性とは大きく異ならないので、数分と掛からずソフィアラは記憶できたようだ。
「やってみるわ、ロード……」
俺たちはソフィアラの足元に緑色の魔法陣が展開される様を想像した。
だが、そう現実は甘くなかった。
「無理か……」
「そのようですわね」
「何か根本から間違えていそうなんだよ」
「まぁ、いきなり成功するとは思ってなかったけど、これはこれで残念だな」
「少し期待しすぎていたかもな」
ソフィアラも分かっていたのか、ふぅと軽く息をついた。
「魔法が発動される気配もなかったわ」
「何が違うんだろうな。
だって、マナを共有してパートナーを組んで混合魔法を使ったりするんだろ?
使えるようにならなきゃおかしくないか?」
「それは違いますね、クロ様」
「えっ?」
突如背後から投げかけられた珍入者の言葉に、俺は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「カナン、片付けは終わったんですの?」
ジュリはカナンを横目で確認すると、呆れたような声を漏らした。
「サボりました」
おい、そんなことを堂々と言い放つな。
「そうですか……。
それで、違うとはどういうことですの?」
ジュリの反応を見るに、サボる云々は今に始まった事ではないらしいな。
しかしカナンは暇だからここのやってきたわけでもなさそうだ。
「マナ共有の真髄は、他属性と親和性を増すことにあります。
ひとまず結果だけを先に申し上げますと、マナ共有で他属性の魔法を個人で使えるようになるということはありません」
「ど、どういうことだ?
というか、なんでカナンさんがそんなことを知ってるんだ?」
「カナンは学園の卒業生ですのよ」
「マジか!
でもなんで、卒業生がこん──ここで働いてるんだ?」
こんなところと言いかけて、ここと言い直した。
学園を卒業するほどの人間なら、色々と厚遇の職場を斡旋してもらえるはずだぞ。
「面倒だからという、この一点に尽きます。
ここは誰の目もなく、何をしていても怒られませんから」
そのせいでウェルコフとレイナールが迷惑を被っていることを忘れるなよ。
「ではカナン、マナ共有は何を成すためのものなんですの?」
そう、それが知りたい。
思わぬところに解答が転がっていて、好奇心が刺激される。
「マナ共有とは、他者のマナを受け入れ、大規模魔術を複数人で発動するための手段です。
それを個人で成すのが複数属性持ちということになります。
予め他属性のマナに触れていれば、先ほどクロ様が述べられていた通り、マナ回路は他属性を受け入れられるように変質を起こし得ます。
しかし、その変質は基本的に一度限りのものです。
例えば火属性のジュリアーナ様が水属性のソフィアラ様とマナ共有が可能になった場合、その上から更に他の属性を受け入れる可能性は非常に低くなります。
そもそも、他属性とマナ共有が不可能な方もおられますので、そういった場合は同属性で組み合わせを行う場合もございますね。
ただし同属性と言っても全く同じマナ回路の性質というわけではございませんので、その場合でも慎重にマッチングを行う必要があります。
……ここまではご理解いただけましたか?」
急に饒舌に喋り始めたカナンに対し、俺たちは何も言えずにただただ耳を傾けるしかなかった。
「ええ、分かりますわ。
ではマッチングというのは、どのように行うんですの?」
その状況を把握してか、ジュリが代表して返事をする。
「いずれ学ぶ内容ではございますが、早く知って損ということはありませんね。
……マナ共有の前段階のマッチング──いわゆる親和性試験は、特殊な魔導具を用いてそれぞれのマナに色を付けて混ぜ合わせることで行われます。
色調が綺麗に混ぜ合わされるようなら親和性は高く、水と油のように全く溶けあわない場合の親和性は非常に低いものとなります。
しかしそれはスクリーニングのようなもので、親和性試験の結果が良いものであっても実際に本人同士でマナを触れさせると上手く噛み合わなかったりと、まだまだ研究が必要なものでございます。
ですので先ほどクロ様とソフィアラ様が行われていたことをやってみることが一番手っ取り早いという話もございますね」
「なるほどな。
いずれにしても危険なのは変わらないってことか」
原理は理解できた。
そういう話を聞くと、よし今からやろうかって感じにはなりにくいな。
ここにそんな魔導具はないし、やるとしたら危険な方法。
つまり、直接マナを送り込んで回路を変質させるしかないわけだ。
学園に頼み込んでも、おいそれ魔導具を貸し出してくれるとも思えないしな。
とは言え、それよりも気になることが一つあった。
俺は続ける。
「今のカナンさんの話を俺とお嬢様に当てはめると、お嬢様は全ての属性に親和性を持ってるってことになるよな?」
「そういうことだろう。
マナ共有を試すのであれば、クロ以外に適任はいないということだ。
どうせやってみるなら、全ての属性に親和性を得られる方法を取るべきだとオレは考える」
まぁ、その考えになるのは当然だよな。
あとは危険性がどれほどのものなのかってことだ。
「クロ様は全属性の適応をお持ちということでしたか」
「そう、ですね」
「では、なぜ全属性のマナをもってしても他者の適応属性を変更できないか。
その解説を加えましょう」
なんだろう、このカナンの積極性は。
勉強が好きなのか?
真面目なのか不真面目なのか分からん。
とりあえず話したいやつには話させておくべきだ。
「マナが影響を与えるのは、あくまでマナ回路だけということです。
そしてその逆も然り。
回路が他者のマナで変質するのは、一種の防御反応と思っていただければ良いでしょう。
しかしここで変質を起こしているのは、回路とその中身だけ。
その者の属性を規定する部分ではありません」
「と、言うと?」
「マナ回路はマナ共有という行為にあるように、後天的な要因で変化しうるものです。
生まれ育った環境であったり修練であったり、いくばくかの変化の可能性を秘めている部分になります。
一方、適応属性というものは先天的に決まりきったもので、後天的に変化するものではございません。
ジェネティクス──遺伝子というパッケージに刻まれた要素により規定されているものが、適応属性に繋がっていると言われております。
この分野はわたくしの理解を大きく超えておりますので、聞き齧った知識という前提でお聞きください」
まだまだ話を続けるということなので、邪魔せず耳を傾ける。
「マナおよびマナ回路は、実際に直接目には見えない概念的な要素でございます。
先程ジェネティクスによって適応属性が規定されていると申しましたが、ではジェネティクスは何を構成する要素でしょうか?」
カナンは方針を変えて、急に質問を投げかけてきた。
教えることが好きなのか?
それなら教師とかが向いてそうだけど、サボり癖のあるカナンには難しいか。
「遺伝子は俺たちの身体がどのように成長発育していくかとか、そういった物質的な方向性をプログラミングしてるとかなんとか……」
高校は生物選択だったけど、真面目にやってなかったんだよな。
今更知識の無さが悔やまれるぜ。
それにしても、こっちの世界でも遺伝子とか目には見えないミクロな世界の研究が行われているんだな。
「その通り、お詳しいですね。
目には見えないマナなどの概念とは異なり、実際的な解剖・生理に繋がるのがジェネティクスという要素です。
ジェネティクスに刻まれた適応属性は、全身を構成する細胞一つ一つに宿っている。
つまり全身の肉体が適応属性を規定していると言っても過言ではありません。
全ての細胞を他のものに置き換えることは不可能なため、いくらマナやマナ回路が変質しても、適応属性は変化しない。
これが現在通説となっている適応属性の概念ということになります」
「はぁ……」
俺以外の五人の感想は、気の抜けたような呼吸で返された。
その中でも俺は少し理解できた気がする。
確実なのは、どれだけ努力しても適応属性は変化しようがない。
それこそ全身の遺伝子が書き換えられるレベルの何かを行わなければ。
そう考えると、次は受精卵の時点で研究を行うって話になるんだよな。
これが生命倫理に反するとかでニュルンベルグ綱領だったりヘルシンキ宣言だったりするものがあるんだろうけど、この世界はどうなんだろう。
マッドなサイエンティストは取り組んでそうだよな。
倫理に反した犠牲魔法なんてものがあるくらいだ。
受精卵に加工を施すなんてことは軽く行われているのかもしれない。
……反吐が出るな。
まぁいい、続きを聞こう。
「マナ回路によって規定されているマナの性質は、あくまで下地のようなもの。
そこに添加される属性というスパイスは、肉体というフィルターを通してやってきます。
例えばソフィアラ様がクロ様のマナの影響で全ての属性に親和性を得ても、肉体というフィルターが水属性しか受け入れようとしないわけですから、適応属性は水属性にしかなり得ないということです。
ですが、そのフィルターが他属性を全てシャットアウトするというわけではなく、影響自体は受けてしまうことになります。
マナの性質と属性は切り離された概念として理解していただければ良いでしょう」
カナンは長々と語ったが、言いたいことは最後の一行に集約されている。
マナ回路はどれだけ他属性と仲良くできるかという要素で、肉体はその人間の本質を規定する要素なのだ。
分かるようで分からないが、学園での授業などを通じて知識を得れば理解に近づくだろう。
とりあえず知識を得ることができた。
危険かもしれないが、次は実践に移るとするか。