第117話 暗雲
「シャドウ ウィップ」
リバーの影から四本の影鞭が這い出してきた。
それらは手よりも手らしく木々を掴み、脚よりも脚らしい力強さで地面を蹴る。
これによりリバーの機動力は段違いに上昇した。
外付けの手足としても機能する影鞭によってリバーの手足はそっくりそのままフリーになって魔法や武器を使えるのだから、これほど有利なことはない。
こうなってしまうと、ゲイルの攻めは必然的に封じられることになる。
「くそッ!」
ゲイルは背後から降り注ぐ影の魔弾を回避しながら距離を取るように努めているが、そう上手くはいかないものだ。
あちらこちらにへばりついた魔弾の痕跡からもリバーの腕が生えてきたり攻撃が飛んでくる。
影鞭を柔軟に運用できるリバーは手足が倍の数あると考えて良いだろう。
つまり自分からの接近は大変困難な状況だ。
とはいえ、ゲイルの近接戦闘能力が低いわけではない。
問題なのは相性だ。
彼とリバーの相性を悪くしている要因は、リーチと手数の差だろう。
加えて空間干渉が機能していないこともあって、ゲイルは当初の考えから方針を変更した。
戦うことに意味を見出さないこと。
「攻めて来なければ私を殺せませんよ?」
これにはリバーも目敏く気がついたようで、ゲイルへ煽るように言葉を浴びせてくる。
「黙ってろ」
ゲイルは後方の攻撃に注意しながらも、頭に叩き込んでいた教員の警備ルートを思い出していた。
少なくともここで図書館に駆け込む選択肢はない。
下手したら袋小路に追い詰められて終わりだ。
居合わせた学生を人質に取っても意味はなさそうなので、この考えは即座に破棄。
であれば、向かうべき場所は一つ。
ゲイルはそのまま転がるように林を飛び出す。
図書館から校舎棟に至る渡り廊下までやってきたが、やはり人影はない。
多くの学生は自室に篭っているか、もしくは一年生の試験の見物だろう。
学園を出ている学生も多く居ると聞く。
このような状況では他者を巻き込んでの戦いは難しいが、うまく教員の場所までリバーを誘導することができれば形成逆転のチャンスはまだある。
リバーが魔王崇拝教の関係者だという話には疑いがない。
だから当然、ゲイルにとってリバーは抹殺対象に含まれる。
しかしなにも自分自身でそれを成さなければならないという信念がゲイルにあるわけではない。
自分たち以外の誰かが手を下したとしても構わないのだ。
一方、リバーもゲイルの動きから彼の考えを半ば読み取っていた。
闇属性の力量では圧倒的にリバー優位の状況なため、まともな方法でリバーが負けることはまずあり得ない。
もしそんな状況があるとすれば、第三者の介入などだ。
それが分かっていて、はいそうですかとゲイルの思惑を許容するリバーではない。
「それを許しはしませんがね……アドバンスド マジック、ロード」
根源名の詠唱とともに現れたのは、ゲイルが何度も目にした黒い魔法陣。
これまでと趣が異なるのは、魔法陣に詰められた術式の複雑さ。
内容まで読み取ることはできないが、流石のゲイルにも不安が過ぎる。
「何をするつもりだ……?」
唐突な上級魔法の発動準備にゲイルは内心慌てる。
が、それも一瞬。
中級以下の魔法ならまだしも、上級魔法はこの状況で使うべきものとは到底思えない。
そう判断しから、ゲイルは警戒を低くこれを観察することにした。
これまでは手数とリーチで押されるのが面倒だっただけで、そうでないのであればリスクは低くなるというもの。
単発の魔法や時間の掛かる魔法であればむしろありがたい。
上級魔法で高速発動を期待したものなら威力と効果は低くならざるを得ないし、その逆も然り。
ここに至って高威力の魔法を使おうと考えるのは愚かすぎる。
ゲイルに攻めて来させるための布石なんじゃないのか、とさえ考えてしまうほどだ。
どんな条件で魔法が発動されるのか、またどの程度の規模なのか。
そんなことを予想していると、徐に影鞭の一つがリバーの影の中に潜り込んだ。
この光景は何度か見たもの。
リバーが影の中に様々な物資を仕込んでいることはゲイルにとって周知の事実だ。
武器然り薬品然り、手ぶらを装えるのが影魔法の利点。
それはゲイルも重々承知で、自身も多用しているからこそ警戒を怠ることができない。
「何を──」
──取り出すつもりだ。
ゲイルはそう言葉にしようとしたが、影の中から引き摺り出されたものを見て一瞬思考が止まった。
取り出されたシルエットは、まさしく人間のもの。
そしてすぐに、それが人間の死体だと言うことが分かる。
なぜなら、影の中に生物を抱えておくことはできないからだ。
いや、できないと言うのは語弊がある。
実際は影の中に生物を沈めると窒息して死亡してしまうので、それは困難だということ。
つまり人間のシルエットが影から出てきた時点で、それは命のない人形なのだ。
更にここで、ゲイルはリバーがニヤリと嗤う様を見た。
なぜ嗤える?
勝ちを確信できる状況か?
浮かび上がった疑問に対する答えは、すぐに降ってきた。
「リーサライズ:ホロウ スペース」
「なん、だと!?」
驚いたのは発動の速さ。
低位力の上級魔法だとしても、あまりに発動が早すぎる。
詠唱から魔法名呼称までがあまりにも短い間の出来事だったので、ゲイルは驚きを隠せなかった。
しかし驚愕の有無などは関係なく、問答無用で事象は巻き起こる。
まずは“リーサライズ”という単語に合わせて死体が即座に粒子へと変換された。
それらは魔法陣に流れ込み、魔法陣は触媒を得たことで条件を無視して発動可能段階へ至る。
するとどうだ。
リバーの影が全方位へ引き伸ばされ、恐るべき勢いで辺り一帯を手中に入れていくではないか。
影は指定された範囲まで広がると今度は上下方向へ立ち上がり、最終的にはドーム状に全てを内包していった。
そして。
目に見える景色が変貌を遂げた。
「これで逃げることは叶いません」
ゲイルが迷い込んだ空間は、自身も何もかもが白黒の世界。
白黒の濃淡だけで示された視界には、異常性を感じずにはいられない。
サイケデリックに歪んだ空間の壁面は、酩酊したような感覚さえ引き起こさせる。
「どうだかな……」
そうは言ったが、逃げられないということを疑う理由はない。
リバーが逃げられないというのならそうなのだろう。
人間の死体を使った魔法発動形態などゲイルは知らないが、まともなものではないことは少なくとも明らかだ。
「それではゆっくりとあなたのことを調べていきましょうか。
どうして我々に敵対するのか、何が目的なのか」
「……」
ゲイルはこれから予定されている自らの腕試しのことなど、どうでもいいことだ。
この状況を打破しなければ、生き残ることさえ難しいのだから。
▽
「君はすごいな。
正直そんなナイフだけでここまで対応してくるとは思いもしなかったぞ?」
ヴァイク=ウィンスレッドは身の丈ほどの戦斧を肩に担ぎながら、目の前の少女に賞賛の言葉を投げかける。
「どーも、どーも。
でも先輩、こんないたいけな少女相手に張り切り過ぎでは?」
息一つ乱れていないヴァイクとは対照的に、ネイルは息荒く肩を上下させている。
「そう言うなよ。
君の動きが良くなるほど、こちらも力が入るというものだろ?」
「その攻撃食らったらこっちは一撃なんですけどー」
「頭蓋がかち割れでもしない限り、学園側がなんとかしてくれるはずだぞ。
だから君は安心して攻めてくると良い」
何を馬鹿なことを、とネイルは思う。
それができていたら苦労はしていない。
「んー、参ったなぁ。
それがただの斧なら良かったんですけどねー」
散々食らったから分かるが、ヴァイクの用いる戦斧には振動系の魔法陣が組み込まれていようだ。
魔法陣のサイズこそ大きくはないので起こる現象の規模は小さいものの、遠隔攻撃を弾いたり様々な用途で攻撃と併用可能なシロモノでもある。
実際にこれと打ち合ったネイルは、一度だけ二本のナイフを用いて攻撃を受け止めることに成功した。
しかし武器同士が触れた瞬間に伝わってきた激しい振動がネイルの両手から武器を取りこぼさせ、危うく切り捨てられるところだったのだ。
武装強化と併せて武器そのものの強靭さや鋭さを増加させるためにも、武器に身体強化魔法を伝播させることは必須。
たったこれだけで武器が破壊されづらくなるのだから、やらない手はない。
だがヴァイクの斧はそれだけで攻略できるものではない。
振り回された斧の風圧だけでも、体重の軽いネイルは容易に浮かされてしまう。
入試の相手であれば楽だった。
彼らは魔法に重きを置いて学園の門戸を叩いており、防御力は大したことがなかったからだ。
結果的に、魔法主体の連中は簡単に引き裂くことができた。
一方、目の前のヴァイクのような戦士系の肉体の場合は話が別だ。
物理的な意味でも、技術的な意味でも刃が通りにくい。
さて、どうするべきか。
試合前ネイルはゲイルに生意気なことを言っていたが、ここに至ってどう振る舞うべきか迷っていた。
負けるだけなら簡単だ。
特段勝ちたいという欲求もない。
この外面の良いキャラを演じるのも疲れるので、早々に終わらせたいというのが正直なところ。
だがそんなマイナス感情の一方で、ネイルは自らの実力を図るという点でこの腕試しは有用だとも感じてしまっていた。
彼女は魔王崇拝教を潰そうと画策しているが、学生に恨みがあるから学園に入学したわけではない。
不用心な学生を簡単に殺害しやすいという観点では理に適った入学だった。
それでも敵の数を減らすには非効率過ぎるし、学生の殺害はほんの過程に過ぎないのだ。
本当の目的は、学生から教徒の流れを洗って教団の元凶へ至ること。
だから学生を殺した程度で一喜一憂していてはならない。
なぜならネイルたちの殺人は就寝中を狙ったリスクの低いものばかりで、決して効率的でも効果的でもないからだ。
とはいえ次の段階へ進む手段もないわけではない。
それは、殺人鬼の知名度が上がっていることを利用して敵を誘き寄せるというもの。
こういった多くの人間が観戦する場で殺人鬼を仄めかすような言動を行えば、確実に誰かが食いついてくるだろう。
しかし、いかんせん知名度はあっても露出が足りない。
学園が殺人鬼特定に至れていないのが良い例だ。
重要なのはネイル自身が殺人鬼だと特定されることではなく、その可能性があると警戒されること。
常識的な人間であれば、心配事があったらその調査を行うはずだ。
こちらのことを嗅ぎ回る敵の動きを察知できれば、誤った情報で泳がせ、第三者との衝突などを狙うことで逆に情報を奪うことすら可能だ。
そういった意味でも、ネイルはどう動くべきか決めあぐねているというわけだ。
「来ないならこちらから動かせてもらう!」
ヴァイクはネイルの様を攻めあぐねている故のものだと判断した。
ネイルに気を遣って動いたと見える。
ブン──
振り下ろされた戦斧はタイルを砕き深々と突き刺さった。
ネイルは防御する選択肢を頭に浮かべたが、上段からの攻撃を受けきれるだけの技術はない。
なので防御は考えず、転がるようにしてサイドに回避した。
線の攻撃はネイルでも対処しやすい。
というより、ネイルが対処できるレベルでの攻撃を繰り出しているだけだろう。
しかしここでの問題は──
「ッ──!」
──大質量と振動による衝撃波。
砕けたタイルの破片がネイルの頬を傷つける。
「女子相手に大人気ないですよ先輩!」
「女の肩書きでこちらの油断を誘いたいなら、乳の一つでも晒してみろ」
「先輩……自分がどれだけ変態な発言してるか分かってます?」
ネイルは呆れるように言葉を吐きながら衝撃の範囲外へ退避する。
「冗談の通じないやつだ……な!」
ヴァイクは武器を手放しながらネイルに向けて踏み込んだ。
その一歩はネイルの数歩分の距離を瞬時に詰めている。
「武器……を?」
ネイルはヴァイクが武器を捨てたと思った。
いや、確実にそう見えた。
語尾が疑問系になったのは、ネイルの見た事象が異なるものに変化していたから。
「武器がどうした?」
さも何もなかったかのような態度を取るヴァイクの右手には、しっかりと武器が握られている。
そしてこの瞬間にはすでにヴェイクがネイルの目前だ。
彼がが両手で戦斧を右後方に構えたので、今度は横薙ぎに振われるものだとネイルは想定した。
だから彼が武器を振るわずにもう一歩そのまま踏み込んできたことに対処できなかった。
「かはッ」
ヴァイクの左肘がネイルの鳩尾に突き刺さり、ネイルの呼吸が一瞬止まる。
ついでに身体も軽く浮かせられている。
ネイルが身動きのできない滞空時間。
そこに対して、今度こそ彼女を両断可能な戦斧の一閃が振るわれようとしている。
一瞬の判断ミスが致命的な結果を生むことを、身に染みて学ばされたネイル。
苦悶に染まるネイルの表情の中に、自身の未熟さを痛感させられた笑みが生まれる。
その笑みをヴァイクは好意的に拾い上げた。
「死ぬなよ?」
ここに至っても笑っていられるネイルを見て、ヴァイクは手加減なしで攻撃を完遂することを決めた。
「死ぬわけ──」
次の瞬間には、戦斧が弧を描いて風を切っていた。
誰もがネイルが血飛沫を上げる瞬間を想像する。
「──ないじゃん!」
しかし想像は現実とはならなかった。
間一髪で回避していたのだ。
ネイルはまず懐からスローイングナイフ取り出した。
すぐさまそれを頭上の最頂点に掲げ、魔眼の力で上空へ引き上げた。
あとはそこを支点として、懸垂の要領で身体を引き上げた。
ついでに膝を胸に抱え込むように曲げることで、ようやく戦斧の一閃はネイルに触れないという結果を生じさせた。
使うつもりのない力を晒してしまったが、ネイルはこのことに対する後悔はない。
だが使ってしまったのなら、これ以降出し惜しみはなしだ。
そしてこの男を殺す。
ネイルは初めて憎しみ以外の殺意を抱いた。
そんな感情はつゆ知らず、ヴァイクは次の行動に出た。
先程の攻撃で決められなかったからといって、攻撃の手を休めるつもりはない。
回避されたのなら、当たるまで続けるだけのこと。
ヴァイクは、戦斧を振るったことによって生じた遠心力で身体が持っていかれるのを防ぐため、一旦それを手放した。
回転しながら勢いよく飛んでいく戦斧。
「今のは詠唱手段以外の魔法だな」
それと並行して思考も怠らない。
ヴァイクは即座に武器を手元に戻した。
これは武器への刻印魔法と肉体への刻印魔法の併用によるものだ。
彼の右手の甲にある刻印が、同じ刻印を持つ物質との相対的位置を予め記憶している。
彼の場合であれば、右手掌の真上に戦斧の持ち手が来るような位置だ。
そうすることで、彼が右手にマナを込めると武器が記憶された相対位置──手元に戻る仕組みとなっている。
彼が武器の相対的位置を掌の上に設定したのは、手首を回内・回外させることでいくらでも武器の位置を変えることができるからだ。
手掌を下にすれば戦斧は刃を彼の左側に、手掌を上にすれば右側に位置させることになる。
ネイルもここまで見れば、ある程度はその仕組みに推測が立つものだ。
ヴァイクの追撃を避けながら、ネイルは所持しているスローイングナイフ四本を一度に放り投げる。
そのうち二本はヴァイクを狙ったものだが、他二本は彼を逸れるような軌道を描いている。
ヴァイクは斧を正面に構えてその二本を打ち払い、地面に転がす。
残り二本の軌道だけ覚えて、ネイルを視界に捉え続ける。
ここでネイルは徐に腰の短剣を引き抜いた。
本命はコレだと思わせるが彼女の狙いだし、現にヴァイクもそう判断している。
そこからネイルは短剣を握ったまま真っ直ぐにヴァイクへ詰めた。
「狙いは何だ?」
ヴァイクは疑問を口に出すことで思考を明瞭化させる。
ネイルの動きは考えなしの吶喊にも見えなくもないが、どうにもヤケクソの行動には見えない。
だとすれば、この攻撃には意味がある。
「例えば振りかぶる攻撃と同時に……」
ヒュン──
「後方から攻撃する、とかだな」
ヴァイクは背後に聞こえた風を切る音を耳ざとく捉えていた。
そのままそれを目視せず右手を背中に回した。
金属のぶつかり合う音から、ネイルの思惑を失敗に至らせたと彼は確信する。
実際に戦斧の刃の側面が正確にスローイングナイフの軌道に入り込んでおり、ネイルの策が一つ潰えている。
とはいえ、まだ終わりではない。
ネイルの本命のナイフがもう目の前だ。
ヴァイクは右手での作業に並行して、左手でネイルの手首を掴みに掛かっていた。
振りかぶられる前にその攻撃に割り込むことで、致命的な一撃は回避できる。
しかしこのタイミングでネイルの二つ目の策が起動した。
今度はネイルの背後から二本のスローイングナイフがヴァイク目掛けて一直線に射出されていたのだ。
この二本は、一番最初にヴァイクが弾いたものに相違ないだろう。
ネイルの両脇を掠める形で飛び込んできたそれらを見て、ヴァイクは一旦左手での動きを断念して再度防御へ。
武器を捨てて右手を身体の前に持ってくると、ネイルの短剣とスローイングナイフを阻める位置に戦斧を出現させた。
同時に聞こえる金属音は三つ。
これでヴァイクは合計七回の攻撃を無傷で凌いだことになる。
「チッ……」
後方へ飛び退さって距離を取るネイルの口から、思わず舌打ちが漏れた。
どれか一つでも当たると思っていたところに全てを対処されては、この男の評価を上げざるを得ない。
「それ、ズルくないですか?」
ここでもやはり息を荒くしているのはネイルだけだ。
「なにがズルなものか。
物体を自在に動かすことのできる君こそ卑怯だと言っていいな。
だが、準備を怠ったな?
投擲武器に魔法陣の刻印がなかったことから、今の芸当は君自身の能力だと露見してしまったぞ?」
そこまで看破するのかと、ネイルは素直に感心する。
「それは私が未熟だったってことですかねぇ。
それにしても先輩はすごいですね。
全部やられるとは思わなかったですよ?」
「これでもギリギリだぞ?
なかなか危ないところだったよ。
俺が力任せの斧使いだったら君の企みは成功していたかもしれないが、あいにく俺は頭脳派だ」
「なにをそんな嘘を」とでも言われそうな肉体を持って、ヴァイクは自身を頭脳派だと言い張っている。
「それは見ていて分かりますよ。
空間把握能力が高くなければ、あそこまで正確に斧を出現させることはできないはずですからねー。
さすがは先輩、すごいっす」
「それは素直に受け取っておこう。
……さて、お互い挨拶代わりの能力紹介も終わったが、続けるか?」
「そりゃあ、もちろんですよ」
お互いが笑顔なのは、戦いを心底楽しんでいるからなのだろう。
誰の目にもそう映る戦いだった。
▽
「垂れて千切れて落ちればいいんだよ」
「根に持ってんなー」
オリビアは憎々しげな視線をアルに浴びせながら、ソフィアラの背後に隠れるように進んでいる。
「オリビアさん、そろそろ機嫌を治されては……?」
「持つ者は持たざる者の気持ちは分かりっこないんだよ」
「オリビア、落ち着いて。
私たちはまだ成長できるわ」
「ソフィのそれは、下手すれば戦争に発展しかねない発言なんだよ?」
「どうして……?
私にそんなんつもりはないわ」
「私がゼロから一にするのと、ソフィたちが一から二以上にするのはワケが違うんだよ!」
ここまでせっかくソフィアラと同盟を組んできたのに、オリビアは唐突に牙を剥いた。
「ご、ごめんなさい、悪かったわ……」
あまりの気迫にソフィアラも怯える。
これにはジュリも呆れ顔、アルは馬鹿なことを言っているなと言う表情だ。
「何をそんなにコンプレックスにしてるんだよ。
重いだけだから肩も凝るし、そんなにあっても良いことないぞ?」
「持つ者の苦労は、持たざる者の羨望なんだよ。
そうやって遠回しに煽ってくるんじゃないよ!」
「オリビアさん、人の往来で恥ずかしいですわよ」
そんな馬鹿なことを言い合いながらもかなりの時間を色々な店舗巡りに使ったので、もう陽が落ち始めている頃合いだ。
各々それなりの量の買い物をしたし、両手も荷物で塞がっている。
「みんなもう行きたい場所はないよな?」
アルが問う。
これはお腹が減ったからもう帰ろうという意思の裏返しだ。
恐らくまだ目的地があると言えばそこに向かうことになるのだろうが、アルの起源が悪くなることは避けられないだろう。
それが分かってか分からずか、
「十分楽しめたわ。
たまにはこういうのも悪くはないわね」
ソフィアラが適切なアンサーをアルに返す。
「ソフィさんが色々興味を持って動いてくださって、こちらも大いに楽しませていただきましたわ」
楽しんだとは、ソフィアラの着せ替えごっこの話だろうか。
「みんなが楽しめたのなら企画した甲斐があったんだよ」
恥ずかしいのか、顔を逸らしながらオリビアが言う。
何を隠そう、企画の発案者は彼女だった。
ジュリの凹み具合を見兼ねて……と言うより呆れて、今回の催しに動いたわけだ。
その甲斐あって、ジュリの体内から負の感情は抜けている。
「ありがとうございますね、オリビアさん」
「う、うるさいんだよ……」
「なにを照れてんだよ!」
揶揄うように、アルがオリビアの肩に手を回してそのまま抱きしめた。
「ゔっ!
首が絞まる……!」
「赤くなってやがる、可愛い奴め!」
「う、うっさい!
ベタベタするんじゃないんだよ!
あとついでに胸を押しつけてくるんじゃない!」
「周りの方々に迷惑ですから落ち着いてくださいまし。
イチャイチャされるのは学園に戻ってからでもできますので」
「その変な認識を改めるんだよ!」
ひたすらキレ続けるオリビアとアルの絡みを見ると、随分と親密になったものだとジュリは思う。
しかしこうやって笑っていられるのもいつまでか分からない。
彼女らには重い責務が課せらているのだ。
だからこそ、楽しめる今を全力で。
希望と絶望が紙一重で寄りかかる薄氷の上を歩ような気持ち悪さを、今は忘れよう。
ジュリは楽しそうな三人を見ながら、密かにそう誓うのだ。
「ひとまず、今日はもう遅いですし戻りましょう。
まだ休暇も続くわけですから、全部の体力を今日だけで使い切るのは勿体ないですわ。
私の実家にも皆さんを招待したいですし」
「お、いいなそれ。
それならクロとガルドも呼ばないとな」
荷物も多いし、今からどこか夕食の摂れる店に入れるような時間もないということで、四人はこのまま学園への帰路に着く。
帰り道の些細な会話すら楽しく思える。
そんな幸せな四人の目に、彼女らとは対照的な雰囲気を纏った人物の姿が映った。
「お?」
「アル、どうしたの?」
まず気が付いたのはアル。
アルの視線を追うと、大通りを挟んで向こう側の歩道を俯いたまま暗い表情で歩くジュリエットの姿があった。
緊張した様子で何かを両手で抱えているのも確認できた。
「おーい、ジュリエット!」
ところ構わず大声を出せるのはアルの育ちの問題だろうか。
しかし今回に限ってはそれがありがたくも思えた。
まだまだ喧騒の残る大通りで、それはジュリエットの気を引くために最適な行動のはずだった。
“はずだった”というのは、これが功を奏さなかったからだ。
「こんだけ離れてたら気づかなくても無理はないな。
でも私服で歩いてるってことは、実家に帰ったのは本当だったんだな!」
「アルさん、楽観的すぎですわよ。
ところでソフィさんとオリビアさんは気づかれましたか?」
ジュリが神妙な表情で問うので、アルも少し気が引き締まる。
「なにか思い詰めた表情だったんだよ」
「そうね、私も同じ感想だわ」
「買い物の帰りじゃないのか?」
それでもやはりアルは少し抜けていた。
「そのような様子ではありませんでしたわ。
なにか悪い予感がしますね……。
どうしましょう、追いますか?」
そう言っている間にも、ジュリエットの姿は人混みに消えてしまいそうだ。
「少し心配だから声をかけてみましょう。
彼女が学園にいないのは私のせいでもあることだから」
「ソフィさんのせいでは……。
とにかく、一度お声かけだけでもしてみましょう」
四人は違和感の正体を明瞭にできぬままジュリエットの姿を視界に捉え続ける。
現在四人が歩いているのは平民街の商業区画。
夕刻だからか、買い出しや外食のための人間でごった返してしまっている。
そんな中で一人の人間をマーキングして追うのは難しく、やはりというかなんというか、ジュリエットの姿を見失ってしまう。
「どこに行かれたのでしょうか……?」
「そんなに遠くには行っていないはずなんだよ」
四人は息を合わせたようにそれぞれの方角を見回す。
目まぐるしく動き回る人混みの中、アルが声を上げた。
「いたぞ、あっちの裏路地に入っていったっぽい!」
「アルさんお手柄ですわ」
そのまま半ば人混みを押しのけるようにして、アルの指示する方向へ足を走らせる。
「ここ?」
「そのはずだぜ!」
オリビアが疑問を呈するのは当然だろう。
なぜなら、夕刻でなくてもずっと薄暗いことが明確な裏路地が口を開いて待っていたからだ。
「入ります……わね?」
ジュリは他のメンバーの同意を得て、恐る恐るそこへ潜り込む。
路地の幅自体は人間三人が並んで歩けるほど。
暗さの原因は、路地の両端の建物から張り出したひさしのせいだ。
あとは上階の窓と窓の間に貼られたロープに干された洗濯物など、様々な要因が光の侵入を遮っている。
ザッ──
突如耳に届いた異質な足音に、四人は足を止める。
「キミたち、なに?」
現れたのは、身長二メートル弱はありそうな線の細い男。
フードを目深に被っていて口元以外は見えないが、どうにもまともそうな人間には見えない。
そしてその唇には皮膚と口腔粘膜を貫通するように銀色のピアスが通されており、そこから垂れた鎖には赤い宝石が取り付けられている。
威圧感を与える声色に、ジュリは怯える。
「ゆ、友人と……この辺りで逸れてしまいまして……」
怯えながらも、声を絞り出す。
震える声と二本の足は恐怖によるもの。
今まで彼女が生活してきた中で接触したことのない悍ましさを、この男から感じてしまっている。
「友人?
なぁ、誰かココ通ったか?」
男が後ろを向いて声を投げると、別の男の声が返ってくる。
「いんや、誰も見ちゃいねぇな」
今度の男は顔こそ隠していないものの、露出したスキンヘッドや身体のあちらこちらに刺青が彫られている。
身長は細身の男ほどではないが、その横幅は彼の二倍はある。
厚い筋肉を各所に感じさせてきて、プレッシャーが凄まじい。
「だとよ?」
「で、では──」
直感的に長居は無用と判断したジュリだったが、言い切る前に巨漢の男の声に阻まれる。
「まぁ待てや。
せっかく来たんだから俺らと遊べよ? な?」
「ひっ……!」
ぐいと近づいた巨漢の男の顔に、ジュリから悲鳴が漏れる。
「なぁ、いいだろ?」
耳元で囁くような舐め回すような声に、ジュリは全身に鳥肌が立つ。
それと同時にそこから一歩も動けなくなった。
男の視線は他の三人にも向けられている。
怯えていたのはジュリだけではない。
初めて触れる明確な悪意に本能から恐怖し、竦み上がる。
「わ、私たち、は、学園に戻らなきゃ、だから……帰るんだよ」
それでも声を上げたのは、身長では一番小さいはずのオリビア。
「学園ん?
そういやそんな制服だな」
「だから、お邪魔しました……。
ほら、みんな行くんだよ……」
掠れる声で話すも、誰も一向に動こうとはしない。
いや、動けない。
「おいおい、そんな寂しいこと言うなよ!
帰るにはまだ早ぇだろ!?」
「ほら早く!」
オリビアが今日一番の大声を出したことで、四人は金縛りが解けたようにもと来た道を走り出した。
「お、おい!」
背後から声が響くが知ったことか。
恐怖で空回りそうな脚をなんとか制御しつつ、光射す通りへ飛び出した。
どうやら追ってはきていないらしい。
しかしまだ安心はできない。
四人は荒い息と激しい鼓動のまま、飲食店の多い方向へ急いだ。
「はぁ……はぁ……」
まだ夏も訪れていないのに、皆の全身はぐっしょりと汗で濡れている。
「ここまできたら多分安心……なんだよ……」
しばらく無言が続いたあと、オリビアが言葉を絞り出した。
「怖かったですわ……」
「う、おぇ……」
学園で様々なトレーニングや戦いなどを経て強くなった気でいたが、四人とも所詮は十代半ばの少女だった。
確かに学園に入ったことで多少は成長していたのかもしれない。
しかし認識が甘かった。
悪意を持った大人のプレッシャーだけで身動きひとつ取れなくなってしまったのだから。
こんなザマで世界を救う云々言っていることが、途端に馬鹿らしくなってしまった。
それほどに自らの存在が矮小に見えたのだ。
楽しいはずの外出が一転、後味の悪いものに変貌した。
「ごめんなさい、動けなくて」
「別に怒ってはいないんだよ。
例えそうだとしても、それは自分に対してだけ」
ソフィアラはいつも側にクロがいることに、慣れ切ってしまっていた。
何か問題があれば彼が助けてくれる。
そんな状態に甘え切っていたことに愕然とした。
実家を出ても、結局は独り立ちしていなかったのだ。
クロがいなければ自分は無力だということに──弱い存在だと言うことに、先程の一件で気付かされてしまった。
ジュリもアルも、精神的には似たような状態だった。
学園では生意気に意識高く生活していても、身体が拒絶するものに対しては心底無力だと。
そう思い知らされた。
これまでの人生で感じたことのなかった、明確な悪意。
四人は人間の恐ろしさを身に染みさせつつも、まだ問題は解決していない。
「とりあえずさっきの男たちのことを考えるのはやめるんだよ。
今はジュリエットがどこに行ったのかってこと。
アル、ほんとにあの路地に入って行ったのを見たの?」
いつまでも考え続けてもしょうがないと、オリビアは問題に焦点を当てる。
「絶対かって言われると、怪しいかもしれない……。
でもあそこに入っていくように見えたんだよな」
「さっきの方々は誰も見ていないと仰ってましたし、見間違いかもしれませんわね」
「ジュリエット一人であんな危ないところに入っていくわけはなさそうだしな。
すまん、うちの見間違いだったかもしれん」
アルは素直に陳謝する。
誰も彼も、力強く発言する元気はない。
「じゃあどうする?
まだジュリエットを探す?
私は元気がなくなったから、彼女には申し訳ないけど今日はもう帰りたいんだよ……」
「そうね。
あのまま実家に帰っていると信じたいわ」
「ではそうしましょうか。
今後あのような行動は控えますわ……」
「そうした方がいいんだよ。
気分は悪いけど、今回は無事だったから授業料としては多分安くついたかな」
「そうね……」
テンション低く、今度こそ確実に帰路についた四人。
危うく事件になりそうになったが、相手は所詮どこにでもいるゴロツキ。
それほど心配になる事態ではなかった。
しかしそう考えても、恐ろしさは消えなかった。
実際に動いているのは未成熟な肉体で、それが女性のものなら尚更だろう。
恐ろしさを感じてしまった心は、なかなか肉体を動かしてはくれなかった。
その結果が、立ち竦むだけの現実だ。
「強がっていたけど、うちも普通にただの女なんだなぁ……」
アルのぼそっと呟いた発言は、しばらくの間彼女らの耳に色濃く残り続けた。