第115話 氷結
試験日の朝は早い。
朝イチで筆記試験が始まり、それが終わり次第実技試験──腕試しが複数箇所で開催される。
昼休みを待たずして腕試しという運びだ。
演習場の他に屋外ステージ二箇所で試験が行われ、フェスにでもやってきたような感覚で観客は各々見たい戦いを消費していく。
「やっぱりお嬢様の相手は手強いな……」
現在は腕試しも半ばに差し掛かった頃。
俺とジュリは屋外の会場にやってきている。
オリビアはガルドと、アルはルー先輩とともに行動しており、彼らと俺らは別行動だ。
俺の目に映るのは機敏な動きで駆けるソフィアラと、それを追い立てる魔法の数々。
ソフィアラの腕試しが始まって以降、彼女が不利な一方的な戦いが続いている。
「お相手は“氷の女王”と呼ばれている方ですからね。
無理もないかと」
氷の女王、ねぇ……。
なんとも物騒な名称だ。
「そういう二つ名持ちって、何かしらの功績を挙げてる人たちなのか?」
「そうでもないかと。
ロックダウン先輩の“厳岩”などは完全にその風貌からやってきているようですし、案外考えなしにつけられているのかもしれませんね」
「そんなもんか。
ルー先輩も俺の抱いた印象通り“狂犬”だしな」
誰にでも噛み付くルー先輩は安直にそう呼ばれている。
氷ってことは氷結系魔法が得意だからなのか、それとも冷徹な性格だからなのか。
「逃げてばかりじゃダメだよね?
ソフィアラちゃんさぁ、まともに戦えないんならすぐに諦めるべきだと思うんだけど?」
その口調からは厳しそうな印象を受けるな。
ソフィアラの相手──ゾナ=エスト=スリュムは嗤いながら絶え間なく氷柱を降らせ続けている。
これに対してソフィアラは機動力を活かして回避に専念し、氷の防御も駆使して対処するだけで精一杯の様子だ。
氷柱の降る密度はゾナに近づくほど高く、それがソフィアラの接近を妨げている。
氷柱は優に一メートルを超える大きさで、真っ直ぐ落下するとそのままタイルを砕いて足場を悪くしていく。
それだけでなく氷柱は物理的な障壁としても作用しているため、ソフィアラの攻撃すら通りづらいのが見て取れる。
戦闘区域全域に耐えず降り続ける氷柱と、対処に苦慮するソフィアラ。
空中も地面も、あらゆる空間がゾナの思惑通りに掌握されつつある。
「ロード!」
そんな中、ソフィアラが隙を見て自らの攻撃指定区域に手を翳す。
「それは愚策だよね?」
が、即座に動きを撤回して回避に回っていく。
「こっちの頭上に氷柱が降らないところを狙ったと思うんだけどさ、空間干渉能力では完全にソフィアラちゃんは負けてるわけ。
それなのに干渉しようとするのって無意味じゃない?
そんなことも分かんないの?」
「色々試しているんです」
短く、苛立ちを表に出さないようにソフィアラは返答する。
「ふーん」
それを聞いて、ゾナは相変わらず小馬鹿にしたような様子だ。
ソフィアラはゾナの頭上への干渉を狙ったのも、氷柱の落下がゾナの頭上には行われていないからだ。
たしかにゾナを中心に直径一メートルほどの範囲は氷柱の被害を受けていない。
しかし空間支配権は完全にゾナ側にあるようで、先程のソフィアラの魔法は発動に至らなかった。
「仕方ないわね」
だからソフィアラも遠隔攻撃は諦めて接近戦を仕掛けるように駆け出した。
「うん、分かる分かる。
馬鹿みたいに接近したくなるよね? ね?」
防御をやや捨てたように、最短距離を詰める動きでソフィアラはステップを踏んでいる。
ソフィアラは防御手段として球場の氷膜を体周囲に展開しているものの、回避を最小限にしていることによって今や氷柱の接触をある程度は許容しなければならない状況だ。
そして氷柱の触れた先からソフィアラの氷膜が削れ、割れる。
ソフィアラが氷膜を薄く形成するメリットは、高速で修復しやすいことと、少ないリソースで身体全体を覆うことができることだ。
それでも全ての攻撃を捌くことは難しく、氷膜修復の間に合わなかった部分から皮膚が傷つくのは避けられない。
「ロード……」
痛みに耐えて、そう唱える。
それに合わせてソフィアラの両手掌に水球が出現し、次第に渦を巻き始める。
これまでのやり取りから、ゾナがその場から動けないと予想した。
あの氷柱の物量は、彼女の行動すら阻害している。
ゾナ自身の周囲を安全区域に設定しているのが良い証拠だろう、と。
「肉を切らせてって感じかな?
悪くはないんだけど、その考えへ至るには時期尚早だよね?
だって──」
ゾナが、ぐいと前に出た。
「……!?」
「──私がこの場を動けないっていう確証はないんだよ?」
動いてしまえば、氷柱はゾナにも平等に降り注ぐことになる。
それをものともせず進み出たゾナを見て、ソフィアラは驚きから一瞬身体が硬直してしまった。
密度が濃く氷柱の降り注ぐ空間において、二人が肉薄した。
「アイシクル──」
少し遅れたが、そこから急ぎ魔法を発動させようとするソフィアラ。
「想定が甘いよね、ほんっとーに」
呆れるような声。
ゾナは前に出た時点で拳を振りかぶっていた。
最初から攻撃を仕掛けていたゾナに対して、ソフィアラは反応が遅れている。
その一瞬の遅れが、ソフィアラに優位性獲得を許さない。
更にここに来て追撃のように異常事態が舞い起こる。
氷柱は当然ソフィアラを傷つけるのだが、ゾナに触れたそれが異なる動きを示した。
大質量でもってゾナにぶつかるはずの氷柱が、ずるりと彼女の体表面を滑ったのだ。
まるでゼリーのように。
その中で、彼女の腕に触れた氷柱のいくつかが離れずに固定された。
それはつまり、ゾナの攻撃力が大幅に増したことを意味する。
重みが増し、速度に乗せたそれはソフィアラに魔法発動を許さなかった。
氷膜が割れ、
「ぐ……ッ!」
腕さえもへし折られたソフィアラの表情が、苦悶に歪んだ。
▽
「まぁそうだよね……」
腕試しを前にして、すでに絶望しているジュリエット。
それは何故か。
──時は少し遡る。
それは筆記試験終了直後。
筆記試験は全学生同室で行われるため、水属性数十名がひとところに集まっている。
「はぁ、疲れたぁ……」
ジュリエットは盛大な嘆息のもと机に突っ伏した。
なにもそんな状態なのはジュリエットだけではない。
各所で絶望した様子の学生がいて、俯いたり天を仰いだり様々だ。
それとは対照に「数問しか間違わなかった」だとか、「あそこの答えはアレだよね」みたいな会話も聞こえる。
ジュリエットもそういう会話は極力聞きたくないので、耳を塞いで俯き続ける。
できればこの空間をいち早く抜け出したいのだが、試験終了後すぐ腕試しの予定表が開示されるということでそうもいかない。
そして数分も待たないうちに教員が到着し、それが張り出された。
「あっ……」
各々場所と時間を把握して予定表の前から捌けていくなかで、ジュリエットは自分と同じ時間帯にソフィアラの名前を見つけた。
試験時間は最長で四十五分、そして十五分のインターバルを挟むことで進行していく。
つまり一試合につき一時間かかるわけで、一つの会場でチンタラやってる暇はないのだ。
だから会場が複数に分けられている。
試験はきっかり設定された時間表通りに行われる。
同じ時間帯ということは、
「クロくんはソフィアラちゃんのところにいくはずだから、見てもらえないかぁ……」
そういうことだ。
がっくりと肩を落とすジュリエットの視線は、試験室を後にするソフィアラに向けられている。
そこには、ある種の黒い感情が渦巻いていた。
「あ、ジュリエットさん、僕と同じ会場だね」
声をかけられ、ジュリエットはハッとする。
「え、あ、うん……。
そうだね、スヴェンくん……」
「……?
どうしたの、元気ないね」
「う、ううん、そんなことないよ!?
ちょっと筆記試験が難しかっただけ」
「僕も筆記はダメダメだったかな。
でも凹んでても仕方ないし、お昼ご飯にしようよ?」
「あ、うん」
ジュリエットの視線は、未だにソフィアラの出て行った扉に向けられている。
本当なら、自分も彼らと同じ場所に立っていたかった。
しかしジュリエットには高い志も、卒業まで漕ぎ着けるだけの自信もない。
ある種、彼女の目的は学園に入学した時点で達せられていた。
だからこれ以上意識を高く保ってやっていける人間が羨ましかった。
自分がその場所にいないのは、ひとえに努力不足だ。
ジュリエットはそう考えていた。
ここまで頑張ってきて、それでも努力が足りないという勘違いが、彼女の自信を喪失させていた。
実際はそうでもないのだが、クロたちの頑張りは彼女に相対的な劣等感を植え付けた。
こと中間考査に至り、こういった思考に囚われてしまう学生は少なくない。
自分と他人を比較して、絶望してしまうのだ。
その対比すべき人間の能力が高いほど、それは如実に現れる。
「はぁ、なに考えているんだろ……」
まだ中間考査の本番は終わっていないのだ。
ジュリエットは両手で頬を叩き、気合を入れ直す。
そしてズヴェンに連れ立って試験会場を後にした。
──そして場面は冒頭へ。
試合開始時間になったので、ジュリエットは会場へ入る。
試合会場が複数設置されているとはいえ、観客の数はそれなりに多い。
クラスメイトも多数応援に来てくれている。
しかしその中にクロの姿はない。
ちなみに、ジュリエットの直前に戦ったDクラスの同級生は負けた。
それも大した実力を発揮することもなく、相手の先輩を退屈させるだけさせて降参したのだ。
ジュリエットにはそれが自身の未来に見えて恐ろしかった。
それでも、魔法の面倒を見てくれて応援してくれたクロの期待を裏切る訳にはいかない。
「クロくん、私頑張るよ」
だからジュリエットは自身にそう言い聞かせて、試験に挑む。
ソフィアラと時を同じくして、彼女の戦いが始まった。
▽
骨の砕ける嫌な音が、外から観戦している俺たちの元にまで届いた。
「お嬢様!」
俺は思わず叫んだ。
この光景は、入試の時を彷彿とさせる。
あの時はすぐに立ち上がったが、今回はそうではない。
蹲った状態から立ち上がろうとしているが、それがうまくいかないのか痙攣しながら動けずにいる。
左腕を使おうとしないってことは、使い物にならないことは確実だろう。
「なんで試験が中止されないんだ!?」
「クロさん、落ち着いてくださいまし。
ゾナ先輩も攻撃をやめていますし、まだ終わらせる気はないのでしょう」
見れば確かに、氷柱の落下は行われていない。
しかし無数に空中に設置されたそれらは、いつでも試合を再開できるという風にも取れる。
「そ、そうだよな……。
お嬢様が傷ついたのを見て、つい熱くなっちまった」
俺たちの見ているの前で、ようやくソフィアラが立ち上がった。
左肩を大きく下方に傾けながら、ぶらりと垂れ下がった彼女の左腕は醜く紫色に腫れ上がっている。
「今ので理解できたよね?」
「そう、ですね……」
ソフィアラは息荒くそう答える。
「一応、理解できたことを聞いて良いかな?」
「先輩が動かない前提で、ハァ……動いて、いました……ッ」
「それでそれで?」
「だから先輩をその場所から動かせば……魔法を解除させられると、思ったんです」
「んー、それはどういう理由?」
「動かないことが制約なのかと思って、いました……。
あとは空間干渉中は他の魔法、を使えないと聞きました」
声を出すことすら腕に響くのか、ソフィアラの語気は弱い。
「あー、昨日アマラさんの言ってた話かな?
確かに空間干渉中に他の魔法は使いにくいけど、使えない人がいないわけじゃないよ?
甘い想定で動いたら今のソフィアラちゃんみたいに手傷を負うわけ。
意味分かる?」
「はい……」
「あと私の使ってる魔法だけどさ。
指定範囲内でリソース回収してブン回るタイプだから、中断とか期待したらダメだよ?
マリア先生も似たような魔法使ってたでしょ?」
「ではどうすれ……いえ、聞き流してください」
「うんうん、自分で考えなきゃ意味がないよね?
ソフィアラちゃんがあまりにも愚かだったら試合を終わらせてるところだったかな。
一応聞くけど、続きをするってことで良いんだよね?」
「ええ、お願いします」
「いいね、やっぱり。
若い子はそうじゃなきゃいけないよね?
苦しんで苦しんで、苦しまなきゃ」
全身を震わせ戦う意思を見せるソフィアラへ、嘲るような嗤いを投げかけるゾナであった。
そして戦いは続けられる。
「ソフィさん、大丈夫でしょうか……?」
「心配だな……。
できればすぐにでも中止して欲しいところだ。
それにしても、どうしてこうも女の人が多いんだ?」
どこに行っても目立つのは女の人な気がする。
「この学園に、ということでしょうか?」
「ああ、そうだ。
ルー先輩といい、オルエ?先輩といい、そこのゾナ先輩といい、そういう人を見てると男より女の人の方が強いって思っちまうよな」
「アマラ先輩やロックダウン先輩がいますわよ?
しかしまぁ、そう思われるのも無理はありませんわね。
学園は過半数が女性ですからね」
「上級生も女の人が多いのか。
何故なんだ?」
俺はここにきて素朴な疑問を投げかける。
時折とびきり美人な先輩とかがいてテンションが上がるから、女の人が多いのは大歓迎なんだけどな。
「魔法はとても繊細なものでして、そういったものの扱いは女性の方が長けているのですわ。
その代わりと言ってはなんですが、男性は身体強化なども織り交ぜて幅広い戦い方ができますので、一概に女性が強いというわけではありませんね」
「魔法だけだとやっぱり女の人が強いのか。
そういう説明を聞くと納得だな。
でもそれだと、近接で戦おうとするお嬢様は間違ってるんじゃないのか?」
「遠隔攻撃も相変わらず遮られていますし、空間干渉では勝てませんからね」
「エクスとかオリビアの試合を見てきたけど、干渉力で負けたらもう勝ち目はないのか?」
そういうことなら、下級生は上級生に絶対に勝てないってことになってしまう。
アマラ先輩が勝てたのは、空間干渉力で他の追随を許さなかったからではないだろうか。
「そこに対する抜け道があるとしたら、空間干渉を読み切って……あ」
「どうした?」
「そもそも空間干渉で戦おうと考えることが間違いだったのですわ」
「干渉力の綱引きじゃそうそう先輩には勝てないしな」
そうなれば、必然的に少ない手段で攻略法を模索することになる。
「先輩を負かすことが試験の本質ではありません。
ここは実力を見せる場なのです。
相手の魔法を見極めることも、必要な素質。
その中で自分の持ちうる手段をどう活かそうとするか、おそらくこの試験は見ているのですわ」
なるほどな。
「そう言われれば、確かにそうか。
俺の場合はセアド先生を打ち負かすつもりでやってたから間違ってたんだな」
「クロさんの場合はそれで良かったのですわ。
クロさんは色々な手段を持ち合わせておりますので、それらを試すうち必然的に手札を曝け出すことになりますから。
しかし多くの方はそうもいきません。
限られた手段の中での思考・工夫を強いられていますのね」
「試験の意図がわからなくても、そこに至れるように設計されているわけか。
見るからにお嬢様は中々に厳しい状況だけど、ここから何かしらの工夫が見られるといいな。
そういや昨日、ルー先輩は準備段階に試験の重きが置かれてるとも言ってたけど、どうなんだろうな」
「試験前まで評価されると私たち一年生には厳しいですね。
私の場合は試合中の評価の方が高いと思いますわ」
「まぁ、総合的な評価ってことだな。
頑張ってる様を正しく評価してくれてることを祈るばかりだ」
「そうですわね」
漸くというか今更というか、ソフィアラの被弾が少なくなってきた。
「そうそう、見るのって大事だよね?」
氷柱の応酬は変わることなく続いている。
ここにきてもやはりソフィアラの攻撃できる瞬間は少なく、思考の大部分はいかに回避するかといった方向にシフトした。
今のソフィアラは観察することに注力している。
その甲斐あってか、削られた体力を効率的に運用する術をこの瞬間に体得している。
左腕が折られていることを考えれば、飛躍的に動きが洗練され始めていると言って良いだろう。
これまでのソフィアラは、細かく機敏に動き回って相手を翻弄することをこそ第一に考えてきた。
ある意味、相手の意表を突くという意味では効果的かもしれない。
しかしそれは所詮、格下相手にしか通用しないもの。
弱い者イジメしかできないと、ルーにクロが言われていたことだ。
これからは頭を使った戦い方が大事になってくる。
「なんか嫌な先輩とも思ったけど、ちゃんと考えてやってるんだな。
勘違いしてたわ」
「先輩方はみな役者、ということですね。
私たちの力量を考えての魔法コントロールなど、恐れ入りますわ」
ゾナはソフィアラを傷つけたが、言って仕舞えばそれだけだ。
いつでもトドメを刺せるのにそうしないのは決してナメているというわけではなく、ソフィアラに期待しているからなのだろう。
きちんと試験を考察すれば、それが一年生の成長を促す仕組みだということがわかる。
あとは諦めずに食らいつけるかどうか。
「ロード、ウォータースフィア」
逃げ回るソフィアラの姿は相変わらず。
だがそこに余裕が生まれていることは、これまでと大きく異なっている。
まずは水球がソフィアラの頭上に出現し、帯のように変形しながら彼女の身体に纏い付いた。
ソフィアラは続けて魔法を唱える。
「ロード……」
「流動的な攻撃で氷柱を掻い潜ってくる感じ?
んー、まだちょっと分かんないかな」
これを見て攻撃を増すでもなく減らすわけでもなく、ゾナは楽しげに観察を続けている。
「ダイヤモンド ダスト」
ソフィアラは身体の前で両手をボールを抱えるような形に構えると、そこに白い球体を作り出した。
球体の中では細かい粒子が激しく渦巻いている。
その格好のまま動き回るソフィアラだが、その双眸はしっかりとゾナを捉えている。
「お、やる気かな?」
「昨日友達が話していたのをこっそり聞いたんです」
「ん?」
ソフィアラは唐突に語り始める。
「雷というのは案外私たちの近くにあったんです。
先輩は知っていましたか?」
「ここで天候操作でもやろうっていうのかな?
ソフィアラちゃんがそこまで魔法に長けているとは思えないけど?」
「機序さえ分かれば単純な話でした。
科学という概念らしいですね」
ソフィアラはゾナの周囲を回りながら、痛みを感じさせない語りで魔法の継続を図る。
「カガク云々は知らないんだけど、その球体と水で本当に雷が作れるかは疑問かな」
「雷というのは電気という単位の集まりだそうですよ?」
バチッ──
氷の球体から細い電流の線が走る。
バチバチッ──
それらは時間を追うごとに量を増し、ソフィアラの纏う水に飲み込まれるように消えていく。
「へぇ……!」
ソフィアラへの感心からゾナの口角が上がる。
手元の球体の中で、ソフィアラは只管に細かく細かく氷の粒子を暴れさせていた。
そこは一種の雲の中のような空間を形成しており、粒子同士が擦れるたびに片方の粒子から電子が剥がれ落ち、もう一方の粒子へ。
そうやって発生した電気は当然ソフィアラの身体を痺れさせるが、なんとか耐えて動き続ける。
この魔法が中途半端に終わらないように。
それらが肉体から地面に流れないように、水の中に蓄積させていくのだ。
宙に浮かせるように、かつソフィアラの肌には触れないように維持している大量の水分は、帯電水としての活力を得るに至る。
ソフィアラはある地点でザッと足を止めた。
攻撃モーションを取ったソフィアラの右手には全ての帯電水が凝集し、帯電水球とも呼ぶべき塊が。
ここまで氷柱の動きを観察し続けたソフィアラには、氷柱の合間を縫ってゾナへ至る攻撃ルートが見えている。
状況は作り出せた。
あとやることは一つだ。
必中の確信を持って、ソフィアラはそれを撃ち出した。
▽
「ソフィさん、中々見応えがありましたわね」
「まさか、ぶっつけ本番で魔法を試すとも思ってなかったけどな」
俺とジュリはソフィアラの試合を見終えて帰の途についている。
ゾロゾロと流れる学生の波に乗って、喋りながらゆっくりと進んでいるわけだ。
「試行錯誤が見えるのは良いですわね。
これは私も負けてられませんね」
意気込むジュリを見て、俺もやる気をもらえる。
なんだかんだ試験期間中で少し関わりが薄れた間に、みんなそれぞれ努力の痕跡が見て取れる。
それにしても、ソフィアラが昨日の俺とジュリエットの話を聞いていたとは驚いたな。
加えて、本番でそれをやってみようと思う胆力。
俺なら自信のない選択肢は取れない。
これがみんなと俺の差ってやつなのかね。
ドン──
そんなことを考えていると、人が多いのもあって強めに誰かと接触してしまった。
そちらを向くと、そこには誰もいない。
「ちょっとぉ、気をつけなさいよね!」
するとすぐに足元から女の声が響いた。
どうやら相手を転ばせてしまったらしい。
俺とぶつかった相手は尻餅をついていたために、俺の視界の外に消えてしまっていただけだった。
「あ、すいません!
よそ見しちゃってました!」
謝罪だけは速攻で口をついて出てくる。
今思ったけど、日本人って謝ってばっかりだよな。
海外からは謙虚な人種とも思われるそうだが、それは単に争いを回避しているだけだ。
なんて思考は置いといて。
なるべく相手を不快にさせないように、俺はその女性が立ち上がれるように手を差し出した。
そこには灰色の髪でクリっとした目がとても特徴的な女の子がいた。
額は黒いヘアバンドで覆われ、後ろで小さく束ねられた髪からは元気そうな印象を受ける。
腕章を見ると、どうやら同じ一年生らしい。
「立てます?」
こういう状況になると、敬語になっちゃうのはなんでだろう?
「うん、大丈夫だよ。
こっちこそよそ見しちゃってたよ。
それなのに一方的に叫んじゃってゴメンね?」
上目遣いで来られると思わずドキッとするな。
その女の子は俺の手を借りて立ち上り、スカートの砂を払っている。
えっと、こんな子いたっけなぁ?
ここまでの学園生活の中で、こんな可愛らしい子を見た記憶はない。
何組の子なんだろうか。
「ネイルちゃーん、何してるのさー?」
少し離れた場所から異なる声が飛んできた。
そちらを見ると、ピョコピョコと人混みの中を跳ねている女学生の姿が見える。
ネイルと呼ばれたこの子を探しているのだろう。
……ネイルだと?
「ごめんセリーナ、すぐ行くよー!
じゃ、そういうことで!
ぶつかってごめんね、クロカワくん」
それだけ言い残すと、ネイルは人混みの中に消えていった。
「クロさん、お知り合いですの?」
一瞬思考で動きを止めていた俺に、ジュリが話しかけてきた。
こんなところで立ち止まってたら邪魔だよな。
周りの嫌な視線を半ば無視しつつ、流れに沿って進む。
「あ、いや、初めて見た顔だったな。
そもそもあんな子いたっけ?」
「なにやら見惚れていたご様子ですが?
確かに可愛らしい顔立ちでしたものね」
口調から、なんかジュリの機嫌が悪い感じがする。
「そんなことはないぞ、決して。
うん、そんなはずはない。
確かに可愛かったけど……ってそうじゃなくてだな。
えっと、ネイルって名前に引っかかりを覚えただけだ」
「ネイルという名前を私は存じておりませんわ。
クロさんの名前を呼んでおりましたので、てっきりお知り合いなのかと」
「知り合いではないが、入試の時に見たことはあるんだよな。
危なそうな奴ってことでガルドとも話が一致しててな。
でもさっき話した様子だと、全然そういう雰囲気は感じなかったよな?」
「溌剌とした印象でしたわね。
あの方のどこが危険な感じなので?」
確かにあの顔で危険って印象は沸かないよな。
俺だってネイルって名前と、入試の時の人物が一致しなかったし。
「入試の時はナイフ捌きがすごくてな。
対戦相手を殺さないまでも、一瞬で沈めてたんだ。
それが気になってな。
その時は前髪で完全に表情もなにも見えてなかったんだけど、まさかあんなに……」
「どうしましたの?」
まだ機嫌が悪そうなので、俺は発言を控えた。
これはジュリが対抗心を燃やしてるってことで良いのか?
一体どこにジュリがそうなるトリガーがあったのやら
「いや、まぁ、とりあえず急いで演習場に向かおう。
まだクラスメイトの戦いが残ってるしな」
「クロさん、まだ鼻の下が伸びていますわ」
「う、うるせぇ!」
かわいい子を見ただけで、なぜこうも詰められなければならないのだろうか。
女子はやっぱりわからん。
▽
試験は五つの属性に対して五日間……ではなく、実は六日目が存在する。
それは、属性魔法の使えない学生に対する特別日程だ。
肉体能力と武器だけで戦うことを余儀なくされた者たちも、一定数が学園への入学が認められている。
魔導学園はなにも魔法だけを学ぶ場所ではない。
全く魔法を使えないものは入学が難しいが、属性魔法が使えなくてもそれらに頼らない身体強化魔法だったり特殊系統の魔法だったり、そういった魔法を使いこなすことで戦いに身を置くことは可能だ。
属性魔法の場合と同様に、彼らに対しても剣術や近接戦闘を主とした選択授業が存在しているのだ。
属性魔法を一つでも使える学生は不可侵な領域なため、実態を知るのは当事者の学生たちだけ。
そんな彼らの戦いぶりを見られるのは試験日程くらいしかなく、またその内容も派手なため、多くの学生に好まれるものとなっている。
ネイルは属性魔法を使えないという風に学園側に報告しているため、試験の参加日は試験六日目の本日だ。
「ネイルちゃん、頑張ってね!」
「うん、行ってくるね!」
クラスメイトの応援を受けて、ネイルは指定された通路を進む。
「よくそこまで変われるもんだ」
薄暗い通路内で佇むのは、弟のゲイル。
試験は一時間区切りなので、同じ場所に別の人間と鉢合わせることはまずあり得ない。
それが分かっていて、ゲイルはここに待機していた。
「学園に溶け込むためには必須の技能。
あなたも明るく振る舞うべき」
ネイルの表情には、先ほどクラスメイトと話していた時の印象はまるで無い。
今は表情を動かさず、淡々とした話し方も相まって冷酷な印象を放っている。
「俺の試験はまだ先だが、姉貴はどこまで力を出すんだ?
属性魔法を使えることも隠したままだろ?」
「適当にやるだけよ。
あなたもそこそこにしておきなさい。
変に目をつけられるのも厄介だから」
「ああ、了解。
俺も試験は相手を殺さない程度に遊んでくる。
姉貴もうっかり晒さないようにな」
「気をつける。
じゃあ、あとはお願い」
「ああ、タイミングが合えば何人か始末しておく」
試験で浮かれている学生たちは、裏でこのような会話がなされていることなどつゆほども知らないのだった。