第111話 銀幕
「結局、アマラ先輩の魔法って何だったんだ?」
いくら考えても、彼の魔法は不可解なところが多い。
「移動系の魔法ではないと言っていたから、複数のことを同時に可能とする魔法だろうな」
ガルドが答え、他の面々も頭を悩ませている。
「でも、空間魔法なんだろ?
空間干渉と言いつつ、やってることがそんな大規模なものには見えなかったんだよな。
最後にエクスのマナが掻き消されたのは、空間干渉っぽかったけども」
「私もさっぱりでしたわ。
いずれにしても、アマラ先輩の無属性魔法に対する私の感想は卑怯という一点だけでしたわ」
「それは誰もが抱く感情だな。
考えれば考えるだけ思考は泥沼に嵌っていく。
奴はそういうところも含めて楽しんでいるんだろうよ」
「なんか陰湿だなぁ……」
「何でもかんでもフルオープンにして戦ってばかりじゃ、高い次元には行けないってことさ。
さっきの試合も、奴はあたいの知っていることしかやってなかったしな」
「あれで全部じゃないんですか。
圧倒的強者感がすごい……」
「それでも色々聞いて学べましたわ。
空間成分で劣る場合、基本成分で戦うしかないということだけは分かりましたの。
と言っても、火属性の空間干渉魔法に期待できるものはありませんわね」
「それなら基本成分で攻めりゃ良い。
ハナから相手の土俵で戦う覚悟が必要な場合もある。
エクスも魔法を奪われて肉弾戦に走らざるを得なかった。
つまるところ、どこまで行っても自力の向上が必須なのさ。
そんでもって色んな手段を持ち合わせてこそ、あんなに無様に足掻くこともなくなるんだろうよ」
「なるほど……」
各人がルーの言葉を聞いて感心する。
魔法を奪われるなんてこと考えたこともなかったな。
そうなった場合、真っ先に命を落とすのは俺だろう。
誰よりも肉体能力の向上に重きを置いてこなかったのだから。
小学校から色々な習い事をかじったが、どれも長続きしなかったんだよな。
何か一つでも身につけてりゃ良かったぜ。
「ま、誰も奴の魔法を解明できていないから、あたいらがどれだけ考えても仕方ねーっての。
あたいが確実に理解できてるのも一つだけだしな」
「それは一体……?」
「一度だけ、アマラとオルエ姐さんが組んだ戦いを見たこと見たことがある。
奴とマナを共有して、姐さんが大規模な重力魔法を使っていたんだ。
あれは、姐さんが空間成分を受け取っていたんだろうな」
何だそれ。
地属性で空間干渉魔法まで使えるようになるの?
チートじゃん。
「マナの共有?
というか、組むって何ですか?」
ソフィアラとなら、俺もマナの循環はできるけども。
そういうことなのか?
「三年になったら、パートナーを組んで活動することが多くなる。
そこで行われるのが、相方とマナを共有した演習だ。
同属性であれば個人では成し得ない大規模魔術が可能になったり、異種属性で共有できれば混合魔法も可能と聞く。
ただ、異種属性で組める者は少数だな。
その中で、アマラと組んだのが姐さんってわけだ」
みんなポカンとしている。
そりゃそうだ。
混合魔法ってのも、先日俺もマリアから聞いて知った内容だしな。
「マナの共有なら、私たちずっとやってるわね」
うむ。
ソフィアラが俺に視線を向けてくる。
それを見て興味深そうな面々。
「なんだ、そうなのか?」
「ええ、お嬢様の魔法訓練の過程で半年程前から毎日やってますね」
「誰かに教わったのか?」
「いえ、自己流ですが」
「そいつは……なんというか、すげぇな。
しっかし、よくもまぁそんな危なっかしいことができるもんだ。
マナの相性が悪かったら、下手したら死ぬかんな?」
なんかルー先輩が怖いこと言ってる。
「え……」
「学園では予め個々人のマナを抽出して、それらを使って拒絶しない組み合わせを調べてからペアをマッチングさせるんだ。
いきなり他人のマナっつう異物に触れさせる馬鹿がいるかよ。
それぞれのマナを体外で合流させるのが当たり前なはずなんだがな……」
そして心底呆れている。
俺はそんな恐ろしいことをやっちまってたのか……。
素人の浅知恵って本当にダメなんだな。
今後は慎重に行動しよう。
「ま、まぁ……死ななくて良かったですね、お嬢様……?」
俺は恐る恐るソフィアラを見る。
「生きてるんだからいいじゃない。
それがなかったら私たちはここに居なかったはずだしね」
良かった、怒ってはいないみたいだ。
一応感謝もしてくれてるっぽい。
ソフィアラが非常に寛容で安心した。
じゃあ、この件は良かったってことでいいよな?
「クロ、それってあれのことか?」
アルが割り込んでくる。
「そうだよ。
お前が俺の服をゲロまみれにしたときのやつだ」
「ソフィずるいぞ!
あれ以降も毎日クロとイチャイチャしてたのか?」
おい、イチャイチャってなんだよ。
お前はどこに反応してるんだ。
「アル、ゲロ吐いたのか?」
「はい、吐きました!
そりゃもう盛大に!」
アルの馬鹿、そんなことを大声で言うな。
周囲から変な注目を浴びてしまってるだろうが。
「なるほど。
それならクロカワとソフィアラは相性が良かったってことか」
「……ん?」
ルー先輩はアルがゲロ吐いたって聞いたことで、マナ共有ができたソフィアラはそうじゃないという理解をしたのかもしれん。
ここはきちんと訂正せねば。
「いえ、お嬢様もがっつりゲロ吐いてました!」
キッとソフィアラの眼光が急に鋭くなった。
え、なんで?
「ゲロとか言わないで」
「あ、すんません……」
これ以上怒られたくないので素直に謝る。
ソフィアラもゲロって言ってるけどな。
「ずっと吐きながらやってんのか?」
「最初はそうでしたが、慣れてきたらそんなこともなくなりましたね。
みんなこうやって慣れていくんのでは?」
「そんなわけあるかよ。
お前は相変わらず無茶ばっかやりやがるぜ」
「クロ、早速やるぞ!」
「黙れアル。
お前にここでゲロ吐かれてたまるか」
「ずるいですわ!
そんなことなら私も……」
ジュリもご乱心だな。
基本的にお前には冷静でいてもらいたいところだ。
「ええい、騒ぐな!
試験が終わったらいくらでもやってやるから、おとなしくしてろ」
「約束だぞ!?」
「約束ですわ!」
「あー、はいはい」
なんでこんなにこいつらはやる気なんだ?
エクスの影響か?
「ソフィアラがクロカワのマナを共有してるってのは、つまるところどういう状態だ?」
「えっと、先輩は共有の概要をご存知ないんです?」
ルー先輩はそんな経験ないってことか。
「あたいは授業の内容を知っているだけで、実際にどんなことが行われてるかまでは詳しく知らん。
知ってるのは、一つの魔法陣に対して複数でマナを送り込むとかその程度の知識だ」
「というか、あれ……ん?」
今更だけど、なんか話が噛み合ってない気がする。
「どうしたクロカワ」
「違和感があったまま話が進んでたんで、もう少し先輩の知ってるマナ共有について教えてもらって良いですか?」
「ま、今の説明じゃ不足してたな。
術者が二人いた場合それぞれが接続部分に対してマナを送り込むことで、そこでマナが混ぜ合わされる。
最初は手を繋いだりして、その結合部でマナの反応を起こさせるって話だな。
その際に他人のマナに触れて拒絶反応が起こると、体調を崩したりするってわけだ」
うん、やっぱり噛み合ってねぇわ。
「な、るほど……なるほど?
いや、全然なるほどじゃないな。
ですよね、お嬢様?」
「そうね。
私たちの場合は、互いの全部のマナを循環させてるもの」
「はぁ?
お前らのやってることは、危ないとかで収まるもんじゃねぇぞ。
頭狂ってんのか?」
気狂いを見るようなルー先輩の視線が俺とソフィアラの間を行き来する。
「でも、実際にできちゃいましたし……」
「じゃあなにか?
お前らのマナは完全に溶け合ってるってことか?」
「恐らくそうなりますね」
溶け合ってるって、なんかエロいな。
「正気とは思えねぇな。
それならソフィアラはクロカワみたく複数属性が使える可能性が出てくるな」
「え、そうなんですか!?」
「だってそうだろ。
マナというものの認識は、特定の要素が溶け込むことのできる液体だ。
ソフィアラのマナであれば、水属性を構成する要素以外は本来弾かれる……だから水属性なんだ。
そこに複数の要素を受容しうるクロカワのマナが混じれば、ソフィアラのマナは変質し複数属性を使える状態になっていても不思議ではない」
「マジですか?」
「普通ならそんなものは自然と体外へ排斥されるはずだが、半年もやってんならソフィアラのマナが全部クロカワのものに置き換えられているか、もしくは混在している状態。
いずれにしても、お前ら二人は変態だ」
「なんて言い草!」
俺がソフィアラを変態にしてしまったのか……卑猥だな。
「変態はクロだけよ」
「そ、そうですね……」
ひどいよ皆。
『ようやく演習場の整備も終わったな!
ではお待ちかねの第二戦、選手の入場だァアアアア!』
騒ぐのもこのくらいにしよう。
さてオリビアは試験期間で何を得たのやら、見ものだな。
▽
『二戦目は、ライトロード教会の巫女が参戦ンンン!
オリビアァァァーーーーアアア、ライトロォォーーゥゥーーーード!
変なことを言うと教会に消されそうなので、この試合は下手な発言は控えさせていただきます!』
各所から黄色い声が上がる。
「はぁ……これだから目立つのはイヤなんだよ」
時折公の場に出ることがあるオリビアは、その珍しさからかアイドルのような扱いを受けている。
だからこそ普段はクロやアルなどの奇人を従えることで他人の接触を避けている。
ちなみに奇人呼ばわりされてることをクロ本人は知らない。
『対するは、同じくライトロード教会所属のこの人!
戦場では殺戮天使とも恐れられ、学園では聖母の通称でお馴染み……マリア、イングリィィィィス!』
これまたオリビアの時とは違った歓声が上がる。
マリアも一部ではファンを抱えているようだ。
「それではオリビアさん、よろしくお願いしますね」
「よろしく頼むんだよ」
『さぁ見せてくれ!
教会の威信ってやつをよぉおおおお!』
相変わらずテンションの高い実況は無視して、オリビアは構える。
「私に手加減は必要ないから、全力でやってくれても構わないんだよ」
「それでは試験になりませんが?」
「私がそんなすぐに負けるって言うの?」
「ええ、そう言ったつもりです。
ところで、彼からは何も聞いていませんか?」
「彼……?」
「いえ、今のは忘れていただいて結構です」
マリアは数日前のクロとのやりとりを思い出す。
彼はあの夜のことを仲間に伝えてはいないのだろう。
それは仲間の心労を慮ってか、まだ彼の中で処理しきれていないのかもしれない。
はたまた全てを打ち明けず、心にしまったままにすると決めたのか。
それも選択肢としては正解かもしれない。
同じものを背負わせたくないのなら、初めから仲間など必要ないのだから。
果たして、目の前の娘はクロの仲間たり得るのか。
そんなことを考えながら、オリビアの動きを伺う。
「来ないの?」
あまりにもマリアが動かないことに、オリビアは違和感を感じて口を開いた。
「始めると言うのならいつでもどうぞ。
感じているとは思いますが、私はすでにマナを拡散させています。
これを用いて空間干渉を行いますので、オリビアさんはそれが行えない前提で動くとよろしいかと」
「ああ、さっきの試合で言ってた内容ね。
力量差がある場合、強い方が勝つ。
つまり今の私ではマリアの空間干渉を打開できないってことなんだよ」
「ええ、その理解があれば十分です。
しかしそれが分かっているのなら、なんとしても阻止するよう動くべきでした。
オリビアさんは既に勝ちの目を一つ失ったことになりますね」
「考えなしに突っ込めばよかったってこと?」
「思考の高速化は必須です。
あらゆる可能性を即座に想定できないのなら、思考停止で動いた方が有利なことも多くあります。
自分の持ちうる手段を次々に消されていくのを黙って見ているくらいなら、可能な限り手段を行使した方が賢明ですよね。
現に、これから私の使用する魔法は発動までに制約があります。
これはそうではありませんが、相手に魔法を完成させた時点で負け──学園外で言うところの死──が確定する魔法も存在します。
私は先程の試合のように一つ一つ懇切丁寧に説明して差し上げる気はさらさらありませんよ。
今ここで私の話に耳を傾けていることが、どれだけ危険なことか分かりませんか?」
「ッ……!」
「アドバンスドマジック ロード──」
『これは辛辣ゥウウウ!
オリビア選手、慌てて行動に移ります!』
マリアの魔法は、発動までに一定範囲内を規定量以上のマナで覆い尽くす必要がある。
しかし、必ずしも制約をそう設定する必要はない。
フランシスの使った系統魔法のように魔法名を唱えてからのチャージが制約の場合もあるし、クロを襲った女のように闇夜の中で月光に晒すことが制約の場合もある。
この二つの例のような詠唱後の制約では、その魔法を発動するまでに他の魔法を介在させることが困難だ。
そのため魔法の発動を邪魔されないなど、余程の自信がなければリスクが高い行為。
リスクが増しただけ魔法の効果も増大するため、使う場面などを想定して制約を設定することが重要になってくる。
マリアの場合は、発動を邪魔されるようなら別の魔法に切り替えて対応することも可能なため、そこまでリスクが高くはならない。
オリビアが光剣を生み出しながら迫る。
だが、遅かった。
「──シルバー ガーデン」
長々と話す時間があったおかげで、マリアは難なく魔法を完成させる。
発動と同時に、あちこちへ無数の銀色の粒子が拡散し始めた。
しかしオリビアはそれらを危険性の低いものだという判断のもとで無視。
そのまま光剣が横薙ぎに振るわれる。
マリアは地面を蹴りこれを回避し、軽いステップで後方へ。
着地と同時に、彼女のロングスカートがふわりと舞う。
これによってマリアの艶やかな細く白い下肢が露わになるも、それよりも気になるのが両大腿外側に二本ずつ固定された二十センチほどの柱。
それを勢いよく抜き出すと一瞬でそれらを一本の棍として完成させ、攻撃へ打って出た。
攻撃後は即座にマリアを追うように動いていたオリビア。
棍を手に後退から前進へ切り替えたマリアに対し、オリビアへ焦りが生まれる。
ブゥン──
予想以上の高速で、これまたオリビアよろしく横薙ぎに振われるマリアの棍。
オリビアは回避する予定だったが、速度が速度だっただけにこれを受けざるを得なくなった。
棍の軌道に合わせ、オリビアは光剣を身体の側面に沿えるように置いた。
が、それがマズかった。
棍は振われる軌道の中で無数の粒子を引き連れていた。
粒子は根の先端で凝集し、命中の瞬間に物体を形作る。
それは棍と一体となってメイスの形状となり、激しく光剣ごとオリビアを打ち付ける。
バリンと光剣が砕け、
「ぐッ!」
容赦ない打撃がオリビアに突き刺さる。
オリビアは腰をくの字に曲げながら横一線に吹き飛ばされ、壁に激突していった。
『おおっとォ、これは強烈ゥーーーー!
マリア先生の指導がオリビア選手に染み渡ります!
これは無事でいられるのかァ!?』
実況の声の下、痛みに耐えつつオリビアが立ち上がる。
身体強化は予め掛けた上でやってきているが、マリアの攻撃はそれを貫通するだけの威力があった。
「ロード……セイント アーマー」
白く靄がかった光がオリビアの肉体を覆い、徐々にそれは形状を得始める。
しかしその速度は遅々としたもので、完成には程遠い。
「完成まで時間がかかる聖鎧は、早めに仕込んでおくことをお勧めします。
では防御を固めたということですので始めましょう……武器の世界」
声に合わせて銀粒子が各所で凝集し、マリアの周囲には複数の十字架が出現する。
それらは先端が尖り、短剣のような形状を呈している。
マリアは棍の先端を槍状に変形させ、十字架を浮遊させながらオリビアの元へ駆け出した。
▽
「やっぱ強ぇな、マリア先生」
二人の攻防を眺めながらルーが呟く。
「あれも空間干渉魔法……ですよね?」
「そうだろうな。
今もなお、銀の粒子は増殖し続けてる。
その上で攻撃手段を作りたい放題なんだからイカれてるよな」
オリビアの聖鎧はフルプレートのような装いへと変化し、顔面も手足の先さえも覆うように形作られている。
欠損した場所も、オリビアのマナを吸って自動修復機能が働く。
マリアも聖鎧を信頼してか、容赦なく顔面を貫こうと攻撃を繰り出していた。
オリビアの顔面を狙ったその槍が彼女の兜の部分を大きく削る。
回避から攻撃に転じようとしたオリビアは、背後に見えた形状に気がついて慌てて頭を下げた。
頭上を通り過ぎる凶刃を目で追いながらオリビアは歯噛みする。
棍の先端は槍ではなく、首を狩る鎌の形状へ。
突き出した槍を手元に戻す動作すら攻撃に変わり、なかなかオリビアに攻める機会を与えてはくれない。
加えて、遠隔射撃の如く振り続ける十字架の雨により鎧の欠損充填すらもままならない現状。
愚直に攻めるだけでは、穴だらけにされることが火を見るよりも明らかだ。
鎧のリソース補充のために回避を続けなければならないことも含めると、攻撃に割く時間はそれほど多くはない。
オリビアはステップを踏みつつ、これまで幾度となく飛んで来た十字架を手甲で弾く。
弾かれた十字架は、その場で砕けて銀の粒子へ。
それらはマリアの武器のリソースへ戻るだけだ。
「ロード、フォトンブラスト!」
マリアの遠隔攻撃が一瞬止んだ隙を見て、オリビアは光弾を射出。
「無駄ですね」
しかし光弾の射線状に粒子が集まり、それによって出来上がった盾が光弾の軌道を逸らした。
盾は砕けるが、もちろんマリアに命中することはない。
「チッ……面倒な女なんだよ」
ただ攻撃を受け流されるだけでは、こんなにオリビアも腹を立てていない。
先ほど出現した盾は単なる平面ではなく、紋章のような意匠が施されたものとして出来上がっていた。
弾くだけならそんなものを作り出す必要はない。
十字架だって先端こそ武器のようだが、そこを除けば一般的に使用されているものと遜色ない飾り付けなどが施されている。
極め付けは、オリビアを揶揄うように繰り出される攻撃の数々。
必殺の一撃かと思いきや、オリビアには対処困難だと判断すると途端に手を抜いてくる。
その上でオリビアからの攻撃は徹底的に回避するため、これではオリビアにフラストレーションしか溜まらない。
苛立ちだけが、オリビアの中で燻る。
それはマリアに対しても、自身に対しても。
「あんなのにどうやったら対処できるんだろう?」
ルー先輩の言葉に倣って、俺ならどうするか考えるか。
今は俯瞰して見られているからこそ思考に余裕はあるものの、あの場に立たされたら正常な思考など困難だ。
オリビアも当然そのような状態だと考えられる。
安直なのは『防陣』だけど、マリアに命を削る魔法と言われたため、俺の中でおいそれと使える魔法ではなくなってしまっている。
かといって、防御魔法には疎いしな。
「オリビアは鎧を展開したことで攻撃を捌けてはいるが、結局のところそれだけだな」
確かにそうだ。
オリビアはその場凌ぎの行動しか取れていない。
「防御を活かして相手の懐に飛び込むというところまでは至れていないですわね……」
というよりマリアの手のひらで転がされて、攻撃もままならないのだろう。
このままではジリ貧だ。
流れを変えるワンアクションがなければ、リソース切れでオリビアは負ける。
「あの十字架がズルいんだよなぁ。
遠隔攻撃としても打ち出せるし、盾にもなるし、もちろん近接武器にもなる。
どうすりゃいいんだよ」
「うちなら防御全開でそのままぶつかるな!」
「そんな簡単に言うな。
こちとら防御力がそのまま攻撃力に変換される地属性じゃないんだ」
「クロは地属性使えるじゃん」
「使えるけど、全部の属性が初心者なんだよ。
先輩とかアルみたいにずっと地属性と慣れ親しんできたわけじゃないから、総合力は高くても平均点は低いって感じだ。
俺は相手の意表をつく戦い方しか思いつかん。
相手優位の現場で戦える気はこれっぽっちもしないよな」
「よくわかってんじゃねぇか、クロカワ。
お前はそれぞれの属性の地力が足りねぇよな。
つまり弱いものいじめは得意だが、地力の強いタイプには勝てない。
とりわけ一つの属性を極めた奴とか、攻撃力ブッパの地属性とかだと分が悪いな」
「弱いものいじめって……そりゃそうなんですけど」
「この試験を経て心が折れる奴もいるが、経験を糧に成長する奴も多い。
案外お前みたいなそこそこできる奴が置いてかれるってのは、この学園では少なくない」
「つら……」
「クロは平均的に全ての属性を高めるより、まずは一つメインとなる属性を定めるべきだろう」
「他の属性は一旦無視しとくってこと?」
「いや、そうではない。
メインを定めて、サブの属性はメインを補助できるように必要な部分だけ高めればいいんだ。
それならサブから必要最低限なものだけ抽出して高めればいいわけだからな」
「おぉ、なるほどな。
それは目から鱗だわ!」
「そんなことも気づいてなかったのか?」
はぁ、とルー先輩から呆れのため息が漏れた。
「え、みんな気づいてたの?」
「私はそうやって複数属性を組み合わせているとばかり。
まさか、全属性を完璧にこなそうなどと考えていましたの……?」
「えっ」
みんなの視線が冷たい。
「クロは時々バカだから、そんなことだと思っていたわ」
あ、うん……ソフィアラのフォローはありがたいんだけどな?
「お前がいくら努力しても、すぐにオールラウンダーになれるわけねぇだろ。
そうなれたとしても早くても数十年後だ、アホだろ」
つらい。
みんな俺に辛辣すぎやしないかい?
「オレだって複数属性は憧れる。
補助的にこういう魔法があればどれだけ良いか、などよく考えるものだ。
クロは全ての属性でそれを行えば良い。
いいとこどりができるのが、クロの強みだろうに」
「そ、そうっすね……」
なるほどな。
全属性のあらゆる魔法を習得しなければならないと思っていたけど、必要なものに限定して考えたら良かったんだな。
複数の手段を持ち合わせられるというのは確かに魅力だ。
それだけ状況に対応できる可能性が広がるということなのだから。
だけど、窮地に立たされた時にそれを実行できるだけの思考力は残されているか?
それは、否だ。
俺がオリビアの立場なら、彼女より早く音を上げている。
彼女は──ここにいる俺以外の全員は、限られた手段の中で戦っている。
限られているからこそ思考し、創意工夫し、状況を切り抜けていくわけだ。
みんなが手足を縛られて戦っているなかで、俺はぬくぬくと何を考えて生きてきたんだ。
試合が始まる前マリアは、あらゆる可能性を想定できないなら考えるだけ無駄的な発言をしていた。
それもそのはずだ。
オリビアがあの時点で良くなかったのは、持ちうる手段が少ないと自覚していながら攻めを行わなかったこと。
大半の人間は手段が足りない。
俺の場合はどうだ。
彼らに比べれば、属性の組み合わせで無限に近い手段を持ち合わせていると言っても過言ではない。
しかし結局現場で焦ることになるのだから、それは宝の持ち腐れだ。
だとすると、俺のすべきは戦いに赴くまでの想定。
この場合ならこう対処する、こう来られたらこの魔法を使う、というように事前に考えることが重要なのだ。
その想定を深くできることこそが俺の強みだったのだ。
何が起こっても複数属性で対処可能だろうという慢心は捨てて、あらゆる事象を事務的に処理できるほどに自信をつける。
そのためには、戦う前から思考しておかなければならないのだ。
とにかく、俺がやるべきことは決まった。
「思考を回せ、思考を回せ、思考を回せ……」
ぶつぶつと自分に言い聞かせるように試合を眺める俺の姿は、さぞ奇妙に映ったことだろうな。
▽
「はぁ……はぁ……はぁッ!」
息荒く肩を上下させているのはオリビア。
対してマリアは息一つ上がっておらず、汗すらもかいていない。
結局オリビアの攻撃がマリアに届くことはなかった。
無様に逃げ回るばかりで、隙をついた攻撃も悉く無に帰している。
「そろそろマナの枯渇が心配では?」
「はぁ……余計なお世話、なんだよ……」
オリビアは攻撃を受けるたびに鎧の欠損補充にマナが使用され、自らの攻撃によってもマナは消費されるのだ。
それほど大きな魔法を連発できるほどのマナ残量はない。
「そうですか。
では、続けましょう」
浮遊していた全ての十字架が粒子となって霧散する。
「続けるって……そんなに手を抜いたまま?
馬鹿にするのもいい加減にして欲しいんだよ……!」
オリビアは小さい身体を震わせて怒りを露わにしているが、マリアはそれを見ても表情を変えない。
「何に対して怒りを抱えているか分かりませんね。
手加減抜きではそもそも勝負にすらなりませんよ?
私が魔法を発動した時点で、武器はいつでもどこでもあなたに届き得ました。
武器の総数も優に百は生成可能ですし、あなたが人ではなく魔人だった場合は即座に延髄を破壊して終わっています。
魔法一つで、それだけの開きがあるのです」
「それなら最初から本気で叩き潰せばいいんだよ」
「いえいえ、オリビアさんは本質を理解できていませんね。
まさか、私を倒すことを目標にしてはいませんか?
本気の私と戦ってそれで負ければ仕方ないと、そのようにお考えで?
これは試験ですよ、どこまでいっても。
試験という名目上、私はあなたが対処可能なレベルでしか魔法を行使できません。
本気で相手をして欲しいのなら、それ相応の力を示してください。
少なくとも、今のあなたではお話になりません。
よもや、窮地に立たされたら力が湧くなどということを言い出す訳ではありませんよね?」
『おぉっとォ、これは辛辣ゥ!
手厳しい意見だァーーーー!
私がこれを言われたら、泣いて逃げ出してしまいそうです!」
率直な事実を告げられ、オリビアに悔しさが込み上げる。
仲間達とのこれまでの触れ合いの中で、彼らが窮地に際して予想だにしない力を発揮したのをオリビアは目にしてきた。
自分だってそうできる、そうありたいと信じての、今回の試合。
だからこそ、高い目標としてマリアを指名したのだ。
マリアの実績は百も承知だ。
それでも、それくらいの障壁くらい乗り越えられなければクロたちには付いていけないと考えていた。
しかし現実は、彼女の想像した通りにはいかなかった。
手を抜かれ、自らの弱さをこれでもかと言うほどに突きつけられた。
「それでも……」
一矢報いたいという気持ちはある。
私もできるのだというところを、仲間に見せつけたい。
「あまり長引かせるのも悪いですし、次で終わりにしましょうか」
銀の粒子はマリアとオリビアを広範に覆うように拡散し、それぞれの場所で形を成す。
俯いたままのオリビアの姿は、誰の目からも心の折れた人間のそれだ。
項垂れているようにも見えるし、涙を見せまいと顔を隠しているようにも見える。
粒子の作り出す形状は、今までの十字架とはまた違ったものとなる。
「攻撃でも防御でも、お好きな方で最後の力を示してください……鏡の世界」
粒子は長方形の鏡を形成し、それはオリビアがすっぽりと収まるほどの大きさだ。
鏡はゆっくりとだが縦横無尽に二人の周囲を飛び回り、ある種監視するような傾きで二人を映している。
そんな状況にあっても、オリビアの様子は変わらない。
「期待外れでしたかね、残念です。
ロード、フォトン ディスパース」
大小不同の無数の光球がマリアの手の平の上に出現する。
表情には変化がないものの落胆した様子のマリアは、光球を勢いよく打ち出した。
それらは各所の鏡のを目掛けた軌道をとり、鏡の表面で複数回反射。
軌道の読めない乱反射を繰り返すも、動き回る鏡は精密機械のように光球を捉え、角度を変えて次なる鏡へそれを送り出す。
数としては三十ほどの光球が暴れ回っており、それら全てを目で追うことは困難だ。
なおかつ反射をするごとに光球は速さを増し続け、そして──
「あぁ、もういいや……」
オリビアは顔を上げ、自身に向けて殺到する光球を見た。
聖鎧を纏っているとはいえ、速度を乗せた光球の威力全てを受け切れるほどの耐久値はない。
だから腰のポーチに仕込んでいた魔石の一つに手を触れて、
「『天啓』」
そう、呟いた。
マリアの目には、オリビアが何かを行う様子は見て取れなかった。
現実を受け入れて諦めたのだろうというのが、マリアの認識。
観客の誰もが息を呑むなか。
激しくタイルを砕く衝撃音が響き渡るとともに、オリビアの身もそこに飲み込まれていった。