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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

双銀の悪魔祓い

割と好きな世界が脳内にできあがったので、それを書き起こしてみました。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

『ああ、神様。どうか我々をお救いください』


『おお、神よ。どうか我らの願いを聞き届け給え』


 手を握り合わせ、目を閉じ、思いを馳せる。

 中には数珠のようなものをジャラジャラと擦り合わせたり、祭壇に清酒を捧げたりする者もいる。

 そして人間は、実際に見たこともない『神』と呼ばれる存在(もの)に一縷の命運を託す。


『悪魔の仕業だ! 災いが起きるぞ!』


『悪魔だわ! 悪魔に取り憑かれているのよ!』


 表情を歪ませ、逃げまどい、十字架に祈る。

 昔から(しつけ)のために『悪い子にしていると悪魔がくるぞ』と子どもを脅す親も多い。

 そして人間は、気味の悪いことや都合の悪いことをすべて『悪魔』のせいにして遠ざける。


 だが彼らは気づいていない。

 これほどまでに異なった扱いを受ける『神』と『悪魔』が、もともとは同じ存在であるということに。




  ◇




 昼過ぎになって、ようやく雲の隙間から春の太陽が顔を出す。

 温かな日差しに誘われるように、小さな鳥の群れがどこかから一斉に飛び立っていった。

 三角屋根の建物がずらりと並んだ赤土色の街並みは、どこか時の流れがゆっくりであるような趣を感じさせる。

 道路はどこも綺麗に舗装されていて、田舎町にしてはそれなりに発展している方だ。


 ボウッ、と短い汽笛の音がする。

 数年前に鉄道が敷かれ、蒸気機関車が通るようになってからというもの、この街は目覚ましい早さで経済を発展させた。

 その背景には、雪解けが始まった山の向こうにある大都市から、多くの物資や人材が集まるようになったことが大きく関係している。


 そんなのどかな街で、紙袋いっぱいの荷物を抱えて歩く少女が一人。

 彼女の名はロザリー。歳は十六になったところだ。

 艶やかな紺色の髪をおさげにした彼女は、地味な町娘風の普段着を身に纏っている。

 重い荷物に腕をぷるぷると震わせるロザリーはたった今、やっとの思いで登り坂の天辺に辿り着いたところだ。


 しかしその安堵も束の間。達成感と共に「ふぅ」と息をついたロザリーは、足元の段差に躓いてバランスを崩してしまった。


「わわわッ!?」


 右へ左へとよろめきながら必死に体勢を立て直す。

 なんとか転ばずには済んだものの、その際に紙袋から林檎が数個零れ落ち、坂を転がっていってしまった。


「あっ、いけない!」


 ロザリーは荷物をその場に下ろし、慌てて林檎を追う。

 しかしこの坂はかなりの急勾配で、転がっていく林檎との距離は離れていく一方だ。


 そのとき、坂を横切ろうとする一人の少年の姿が見えた。

 歳はロザリーよりも少し歳上くらいだろうか。外側にはねた銀色の髪が肩まである少年は、伸びた前髪で右目が隠れていた。左目は透き通るような薄い青色で、顔立ちはよく整っているように見える。

 彼は坂の上から転がってくる林檎に気づいたのか、眉間にしわが寄った釣り目でロザリーの方を見た。


「すみません! 拾ってください!」


 坂を駆け下りながら、息も絶え絶えのロザリーが叫ぶ。

 しかし少年は、その場に立ち止まったまま足元を転がっていく林檎を見事に見送った。


「ええっ!?」


 ロザリーが思わず驚愕の声をあげる。

 そして少年は何も見なかったとでもいった風に、再び坂を横切って歩き出したのだった。


「ちょっと、嘘でしょう……?」


 なんて人がいるのだろう、とロザリーは落胆した。

 助けを求める者を目の前に、ここまであからさまに無視をするという人間性が信じられない。

 苛立ちを感じずにはいられなかったロザリーだが、それよりも今は転がっていく林檎を追わなくてはと、再び両足に力を込める。


 すると、今度は別の人影が坂道の下に姿を現した。

 先程の少年と同じ、銀髪の少女。歳は十歳かそこらだろうか。俊敏な身のこなしの幼い少女は、一切無駄のない動きで坂道を跳ねまわるように駆ける。

 そして転がっていく林檎を一つ一つ拾い集めていった少女は、あっという間にロザリーの前までやってきて、小さな手のひらいっぱいの林檎を差し出した。


「はい、どうぞ!」


「あ、ありがとう……」


 ロザリーが息を切らしながら礼を述べると、銀の少女は犬歯をちらつかせて可愛らしくにっこりと笑った。

 愛嬌のある大きな瞳は左右で色が違う。右目は先の少年と同じ青色だが、左目は秋の夕陽を彷彿とさせる鮮やかな金色だ。


「どういたしましてー! ……あっ、兄様(あにさま)! 待って、置いてかないでよーッ!」


 銀の少女は思い出したように、先の少年が去っていった方へ駆け出した。

 髪の色から薄々思っていた通り、やはり今の二人は兄妹であるらしい。

 しかし、見た目に反して性格はまるで違うなと、ロザリーはそのようなことを考えながら銀の少女の背中を見送った。








「もう、いくらなんでもひどいよ兄様(あにさま)


 ようやく追いついた兄に対し、妹が小言を漏らす。

 しかし兄は後ろを歩く妹に一瞥もくれることなくぶっきらぼうに口を開いた。


「別にお前は迷子になっても、すぐ追いつけるだろうが」


「ボクを置いてったことじゃなくて! さっきのりんご、拾ってあげればよかったのに」


 妹の言葉を鬱陶しいと突き放すように、兄は歩みを速めた。

 しかし妹は涼しい顔で、なんなく彼のペースに合わせて着いてくる。


「俺は林檎拾いなんかをしに来たんじゃねえ。お前もわかってんだろ、俺には探さなきゃなんねぇもんがあるってことは」


「だーかーらーッ! さっきの子なんだってば! 『匂い』がするのはッ!」


 苛立ちを隠そうともしない兄の悪態に、妹がそう反論する。

 その言葉がどういう意味か把握した兄はピタリと足を止め、大きな溜め息をついた。


「……それを早く言え、ボケ」


「ええーっ! 一人で勝手に行っちゃったの兄様じゃん!」


 兄はくるりと方向転換すると妹を追い越し、来た道を戻り始めた。

 かなり理不尽なことを言われたはずなのだが、妹はそれを気にしていないどころか、随分楽しげな軽い足取りで彼の後に続いていった。








 坂の上まで戻ってきたロザリーは、銀の少女に返してもらった林檎を再び紙袋に詰める。

 ぱんぱんに膨らんだ紙袋を両手で抱え直し、彼女が家路につこうと足を踏み出した、そのときだった。


「――おい」


 なんだかとても機嫌が悪そうな声に呼び止められた気がしたロザリー。

 それと同時にとんでもない威圧感を背後に感じる。

 紙袋を抱えたままでロザリーが振り返ると、そこには先程の銀髪の少年が仏頂面で立っていた。


「……ええと、私ですか?」


「他に誰がいるってんだ」


 ロザリーは自分以外が呼び止められた可能性に賭けて尋ねてみたが、無駄だった。

 見渡せばこの坂の頂上には、彼の他に自分しかいない。

 先程の林檎のことといい、雰囲気の悪い口調といい、できれば彼とは関わりたくないのだけれど、とロザリーは肝を冷やした。


「何かご用ですか……?」


「ああ。アンタに話があってな」


 常に眉間にしわをよせ、威嚇するような鋭い眼光で睨みつけるように少年は語る。

 彼は長い前髪のせいで左目しか見えていないというのに、その眼力にロザリーは冷や汗をかいて後退ってしまった。


「ちょっとちょっと兄様(あにさま)! そんな顔でにらんだら怖いよーっ!」


 どこかからか元気な声がした。

 ロザリーがあちこち視線を彷徨わせて声の主を探していると、少年の後ろから先程林檎を拾ってくれた少女がひょっこりと顔を出した。

 金と青の異色眼(オッドアイ)が神秘的な少女の笑顔を見て、ロザリーは少しだけだが場の空気が和んだように感じた。


「ごめんね。兄様は誰にでもこんな感じだから、あんまり気にしないでね」


「は、はぁ……」


 ロザリーは目の前の兄妹の性格の違いに翻弄されずにはいられなかった。

 刺すように凍てつく視線で睨む兄と、無邪気で可愛らしい笑顔を振りまく妹。

 寒暖差が激しすぎて頭痛がしそうだ。


「ボクたちは君に聞きたいことがあるんだ。あ、ボクの名前はラル。兄様の名前はジルだよ。よろしく!」


「おい。なに勝手に名前教えてんだ?」


 銀色の少年――ジルと紹介された兄は、睨みつける視線をロザリーから妹――ラルへと移した。

 その威圧感に鳥肌が立つのを感じたロザリーだったが、ラルはまったく悪びれる様子もなく飄々としていた。


「え? だって、名前がわからないとお友だちになれないでしょ?」


「俺はそんなことのために戻ってきたんじゃねぇよ、タコ」


「タコじゃないもーん!」


「うるせぇ、黙れ」


 兄妹のやり取りを見ていると、ロザリーはなんだか調子が狂ってきた。

 兄のジルはこれでもかというほど暴言を吐き散らしているというのに、妹のラルはそれに怒るどころか、むしろ嬉しそうだ。

 その光景はまさに異様としか言いようがない。二人は仲がいいのか悪いのか、さっぱりわからなかった。


 兄妹はしばらく、ロザリーがいることを忘れているかのように小言を言い合っていた。

 このままこっそり逃げれば気づかれないのではないか、とも思ったロザリーだったが、それを見計らったかのようにジルは「話を戻すぞ」と彼女の方を向いた。


「単刀直入に言う。アンタは今、『悪魔』に取り憑れてるんだが、自覚はあるか?」


「……はい?」


 ロザリーは、ジルが言っていることが理解できなかった。

 口も悪く目つきも悪い。挙句の果てには頭もおかしいのかと、彼女は開いた口がふさがらなかった。


「一体何のことですか? 『悪魔』? すいません、ちょっと意味が……」


「取り憑かれてんのはもうわかってんだ。最近アンタの周りで一つや二つ、何か変わったことが起きてるはずなんだよ。さっさと答えろ」


 ロザリーは自分の眉がぴくりと動くのを感じた。

 初対面の相手に対してこの態度。このジルという少年は信じられないほど常識がないらしい。

 さすがに何か言い返そうとロザリーが凄むと、ジルの隣に立つラルが「あのね、兄様」と割って入ってきた。


「この街にいる『悪魔』は、別にこの子に取り憑いてるわけじゃないみたいだよ。この子の近くにいるのは間違いないみたいだけど」


「あ? んだそりゃ。さっきお前がコイツだって言ったんじゃねえか」


「『匂い』がするって言っただけだよ! 取り憑いてるなんて言ってないもーん」


 ジルは大きく舌打ちしてラルを睨んだ。

 ラルはというと「兄様のはやとちりー!」と小馬鹿にするような態度を取っているが、正直ロザリーからすれば彼の機嫌をこれ以上損ねるようなことはしないで欲しかった。


「何だっていいんだよ。要はアンタの周りで何かが起きてんなら、そこに連れてけって話だ」


「あの、いきなり現れて何なんですかあなたは。自分の素性も明かさずにさっきから失礼なことばかり言って」


 ロザリーはようやくジルに物申すことができた。

 睨み返してくる青色の目に脚が震えるが、ここで引き下がるもんかと唇を結ぶ。


「あ、そうだよね! まずはボクたちが誰なのか教えてあげないとあやしいよね。そうだよそうだよ!」


 睨み合いの間に割って入ってきたラルは、一人で何かに納得して笑いかけてきた。

 一体彼女は何が愉快でこの空気の中笑っているのだろうか。随分楽しそうなのがなんだか腑に落ちないロザリーであった。


「ボクたちは『悪魔祓い』。人や物に取り憑いた悪魔をやっつける、正義の味方なんだよっ!」


「『悪魔祓い』……?」


 ロザリーはラルが明かした素性について、にわかには信じがたいという印象を抱いた。

 悪魔祓いという名前自体は知っているが、それは小説などに登場する架空の役職(もの)であるはずだ。

 実在するわけがないとロザリーは思ったが、兄のジルに言われるよりは、妹のラルにそう言われた方が信憑性があるように感じられた。


「そういう言い方やめろ。正義の味方だなんて虫唾が走る」


 ジルはラルが口にする一言一言すべてに小言を返す。

 ここまで口が悪いとむしろ才能であるような気もしてくるなと、ロザリーは半ば呆れながらジルを見た。


「もし君のまわりで悪魔がわるさをしてるなら、ボクたちがなんとかしてあげる! だから教えてくれない?」


「悪魔……変わったこと……」


「心当たりがあるんだろ」


 ジルの問いに、ロザリーの肩がびくりと反応する。

 図星だ。ラルの言葉を聞いて、ロザリーには一つ思い当たる節があった。

 しかし、こんな不愛想で性根の腐ったような少年を信用して話していいものなのか、どうしても躊躇ってしまう。

 それと同時に、異なる色の瞳を燦々と輝かせて自分を見つめる少女の言葉に嘘はなさそうだとも思う。


「おねがい。ボクたちを信じて?」


 上目遣いで見上げてくるラルの一押しで、ロザリーは心を決めた。こんなに可愛らしい女の子に迫られてしまっては、断る理由はない。

 それにロザリーは、身の回りで起きている不可解な現象に悩まされていることも事実だ。それがもし本当に解決するというのなら、もちろんそうしたい。


「……連れて行けばいいのね? なら、私のお母さんのお店に行くから、ついて来て」


「やった! ありがとーっ!!」


 もうどうにでもなれと半ば投げやりになりながら、ロザリーは兄妹に同行を許した。

 小躍りして喜ぶ妹のラルに対し、兄のジルは仏頂面のまま溜め息をついていた。本当に愛想がない。


「あ、そうだ。君、名前は?」


 二人を先導して歩き出すと、背後をついてくるラルが再び口を開いた。

 そういえば兄妹の名前は聞いたものの、自分はまだ名乗っていなかった。


「私はロザリー。よろしくね、ラルちゃん」


「うん! よろしくロザリー!」


 にっこり笑って犬歯を見せるラルは本当に愛嬌があって可愛らしい。

 後ろをついて歩く兄のジルには一切挨拶することなく、ロザリーは悩みの種となっている母の店へと足を向けた。




  ◇




 三人がやってきたのは、整備された街並みの中で少し浮いて見える、古風な玩具店だった。

 店内には操り人形やらぬいぐるみやら積み木やら、あらゆるおもちゃが陳列されている。

 しかし客は一人もおらず、灯りもついていない店内は昼間であるというのに薄暗かった。


「ここに悪魔がいんのか」


「さあ、知りませんよ。でも、私の身の回りで何か奇怪な現象が起きている場所と言ったら、まず間違いなくここです」


 商品のおもちゃをつまらなそうに眺めて歩くジルに、ロザリーはぶっきらぼうに返答した。

 ラルは山のように並んだおもちゃに興奮しているのか、あちらこちらへ忙しなく駆け回っては「すごい!」とか「かわいい!」とか叫んでいる。

 その姿は歳相応で可愛らしいといえばそうなのだが、何をしに来たのか忘れてはいないだろうかと心配にもなった。


「そもそも、あなたたちが『悪魔祓い』だってこともまだ信用したわけじゃありませんからね」


「なんだよ、信用したから連れてきたんじゃねぇのか?」


「それが本当かどうか証明してもらうために連れてきたんです。だいたい『悪魔』って何なんですか、胡散臭い」


「はぁ……。ひょっとして『悪魔』を知らねぇのかアンタ。やっぱ田舎者(いなかもん)田舎者(いなかもん)だな」


 大きな溜め息と共にジルがまた悪態をつく。

 人を怒らせたら間違いなく世界一だろうな、とロザリーは思った。

 会ったばかりの相手に対してここまで不躾な態度を取れる神経がまるでわからない。むしろ、わかりたくなどないが。


「いいぜ、特別に教えてやるよ。『悪魔』が一体何なのか――」


 ジルはそう言って、店の壁にどんと背中をもたれた。

 そのまま腕を組んで俯いたジルに、ロザリーは少し離れた位置から聞く耳を立てた。


「――と、その前に質問だ。アンタは『神』を信じるか?」


「……はい?」


 自分を指差してきたジルの問いに、ロザリーは拍子抜けした声をあげた。


「そんなの、当たり前じゃないですか。『神』を信じて祈りを捧げれば救われる。今どき無宗教なんて人の方が珍しいですよ」


「ふん、だろうな。じゃなきゃ『悪魔』になんか憑かれるわけがねえ」


 最初からそう答えると知っていた風なジルの態度が癪に障る。

 悪魔が憑いているのは、正確には自分ではないのにと、ロザリーは心の中でそう言い返しておいた。

 というのも、すべてラルの受け売りなのだけれど。そして当の本人はまだ店内を駆け回っているけれど。


「『神』と『悪魔』ってのは、もともとは同じ存在(もん)だ。未練を残してこの世にとどまった死者の魂。それが生者の信仰を受けて人間の望みを叶える存在が『神』――アンタが有難がってへこへこしてるヤツだ」


 頭の血管が千切れるようにも思えたロザリーだったが、ぐっと堪える。

 正体の何たるかを知らなかったとはいえ、相手が信仰している『神』をこれほどまでに侮辱するなんて、正直信じられない。

 しかし、今ここで癇癪を起こしても何の解決にもならない。

 この少年とまともに会話するためには、何を言われようともこちらが我慢して聞くしかないのだ。


「それじゃあ『悪魔』は? もともと『神』と同じって、どういうことです?」


 深呼吸して怒りを落ち着け、ロザリーは説明の続きを求めた。

 それを見てジルは意外そうな顔をしたが、ふんと鼻で笑うと再び口を開いた。


「信仰を得て生者の望みを叶えた『神』の大部分は自然消滅する。異国じゃあ『成仏』なんて言い方もするらしいな。自分の未練と似たような願いを叶えることで満足したら消えるんだよ、普通は。だが、稀にそうじゃないヤツがいる――」


「――それが……『悪魔』……?」


 言葉を継いだロザリーに、ジルはパチンと指を鳴らして彼女を指差した。どうやら正解らしい。


「人間ってのは自分勝手な生き(もん)だ。都合のいいときだけ神頼みして、望みが叶ったらそのあとは知らんぷり。そうして信仰を失った『神』は、人や物に取り憑いては怪奇現象を引き起こすようになる。それが『悪魔』の正体だ」


 流れるようにすらすらと告げられる言葉は、ロザリーにとって意外なほど信憑性があるように感じられた。

 こんないけ好かない少年の言うことなど信じたくはないのだが、聞けば聞くほど納得してしまう自分が少し歯痒くも思えたロザリーだった。


「『悪魔』に成り果てた魂は、信仰の代わりに嫌悪や恐怖といった負の感情を誘うことで生者に存在を認知されようとする。そんな哀れな魂を祓うのが、『悪魔祓い』である俺の役割ってことだ。わかったか無知な田舎者(いなかもん)


「……はい、大体わかりました」


 ジルという少年は、本当に飽きもせず相手を小馬鹿にし続けてくる。

 もう何を言われても気にするまい、とロザリーは腹をくくった。


「そんで? 玩具店(ここ)で何が起きたんだ?」


 変わらず壁にもたれたままで、ジルが急かすようにそう述べた。

 それに対してロザリーは、苦い過去を思い起こしながら、恐る恐る口を開いた。


「……お客さんが、消えるんです」


「へえ」


 自分から聞いておいて、大して興味もなさそうにジルが短い返事をした。


「半年ほど前です。女手一つで私を育ててくれた母が大きな病気で寝込んでしまって。だから私はあなたの言った通り神に祈りを捧げました。どうか母の命をお救いくださいと――」


 ジルの話が本当ならば、あのとき神頼みをしたせいで悪魔が生まれ、今この店に取り憑いているということになる。

 すぐに信じるのは難しいが、ここで不可解な現象が立て続けに起きているのも事実であるため、今は彼に話を聞いてもらう他ない気がしたロザリーだった。


「――祈りが通じたのか、母の病気は奇跡的によくなりました。そしてこの玩具店(おみせ)での仕事にも無事復帰して……。ですが先月あたりから、ここを訪れたお客さんの一部が行方不明になり始めたんです」


 ロザリーはそこで一度話を切り、ジルの方を見る。

 ジルは明後日の方を向いてはいたが話は聞いているらしく、右手を差し出して続きを求めてきた。


「それからみんなこの玩具店(おみせ)を気味悪がって、やってくるお客さんはだんだん減っていきました。今ではすっかり無人(このとおり)です。行方不明になったのは全部で八人。その中には私の母も含まれています。せっかく病気が治ったのに、どうして……」


「病気が治ってもう用済みだって、アンタが信仰をやめたからだ。その悪魔は人を攫ってアンタの不安を煽ることで存在を保とうとしてるんだ。俺から言わせりゃ自業自得だな」


「そんな! 用済みだなんて、私はそんなつもりは――!」


「――アンタがどういうつもりかなんて関係ねぇんだよ。信仰を失った神は悪魔へと堕ちた。そしてその原因を作ったのはアンタだ。その事実は変わらねえ」


 ロザリーの言葉を遮ったジルの声色は、これまでにも増して威圧感ががあった。

 怒っているようだといえば彼は常にそうなのだが、このときのジルはまるで悪魔を擁護するかのように、ロザリーのことを全面的に非難していた。


 自分のせいじゃない。違うと信じたい。

 しかし、ジルの話はあまりにも辻褄が合い過ぎていて、否定するための糸口を見つけられない。

 何も言い返せないロザリーは、震える手を胸の前で握り合わせて立ち尽くすことしかできなかった。


「……どうすれば、いいんですか」


 しばらく沈黙した後、ロザリーはか細い声でジルに問うた。


「どうすれば、いなくなった人たちを悪魔から返してもらうことができるんです? あなたはその方法を知っているんでしょう?」


「……まあ、な」


 ジルはもたれていた壁から離れ、ロザリーの方へと歩み寄った。

 先程までの威圧感は消えている。しかし、青く鋭い左目と真っ直ぐ視線がぶつかると、ロザリーは背中に冷や汗が流れるのを感じた。


「――全部」


「……えっ?」


 ジルがふと呟いたことが何を意味するのかわからず、ロザリーは思わず聞き返した。

 それに対してジルは、なんて物分かりの悪い、とでも言いたそうに溜め息をついた。


「条件に決まってんだろ。報酬は今この店にある売上金全部。それで悪魔を祓ってやるって言ってんだ」


「そんなに!? もちろん、助けてもらえるのならお礼はしますけど……。いくらなんでもそれはやり過ぎなんじゃ……?」


「食事と寝泊まりも報酬に含めてもらおうか。俺がこんなちんけな店のはした金で動くなんて普通ありえねぇし、まあそれが妥当だな」


「しかも上がり込む気満々ですか!? 冗談じゃありませんよ!」


「おいおい、消えた八人のマヌケの命とどっちが大事だ?」


「……ッ!」


 呆れかえってまた溜め息をつくジルの言葉に、ロザリーは思わず押し黙った。

 そう、この性悪男を相手にムキになっていたが、悪魔によって既に何人も攫われているのだ。

 被害者たちを助け出すには、素性も未だによくわからないこの少年に頼るしか道はない。


「ま、悪魔のことも悪魔祓いのことも、田舎者(いなかもん)がすぐ信じられることじゃねぇか。いいぜ、今回は特別に後払いでも。俺がこんなにサービスするなんて、こりゃあ明日は嵐だな」


「……わかりました」


 背を向けて歩き出したジルへ、ロザリーは悔しそうにそう答えた。


「あなたが本当に悪魔を祓って、いなくなった人たちを連れ戻してくれたのなら、私はあなたの望むものをなんでも報酬に差し出しましょう」


「言ったな? その言葉忘れるなよ」


「その代わり――」


 自分を指差して不敵な笑みを浮かべるジルに、ロザリーはさらに言葉を続けた。


「――その代わり……どうか母を、助けてください……」


 ロザリーの頬を涙が伝った。

 それは消えた母を思ってのものか、これから悪魔と対峙する恐怖からくるものか、はたまたこのような質の悪い少年に頭を下げなければならない悔しさからなのかは、わからない。


 頭を垂れ、滴る雫が床を濡らす。

 それを見下ろすジルは何も答えず、ただロザリーを憐れむようにふん、と鼻を鳴らした。




  ◇




 日が沈んだ夕食時。

 玩具店の隣の家屋からは、温かなスープの匂いが漂っている。


 悪魔祓いの兄妹は契約成立後、玩具店を隅から隅まで徹底的に観察し続けていた。

 兄のジルは陳列されたおもちゃを一つ一つ手に取ってみたり、陳列棚の裏側を覗いてみたり、挙句の果てには梯子を持ち出して天井のシャンデリアまで入念に調べていた。

 妹のラルはジルとは違い、ただひたすら気になるおもちゃを手にとっては「兄様(あにさま)! これ面白い動きをするよ!」「兄様! これすごく変な音が鳴る!」と無邪気な笑顔を振りまいていた。

 そのたびにジルは「ああ」とか「そうか」とか簡単な返事を返して作業に没頭していたが、妹のラルに対してあまり悪態をつかないジルの様子はなんだか新鮮にも思えた。彼なら「ガキかお前は。話しかけんな」くらい言いそうなのに、と。


 一通り店を調べ終わる頃には夕陽が傾き始めていた。

 そこで三人は場所を移し、玩具店の隣にあるロザリーの自宅で夕食を取ることにしたのだ。


「へえ、意外とちゃんともてなしてくれんだな。俺のこと信用してないくせに」


「『相手が誰であれ、客人には精一杯尽くすこと』。小さい頃から教わってきた、母の言いつけですので」


 苛立ちをみせるロザリーは、夕食のスープを取り分けて兄妹に差し出した。

 本当ならこんな男を家に上げて夕食を振舞うことなどしたくはない。

 実は彼らは悪魔払いでもなんでもなく、ただそれっぽいことを言ってタダ飯にありつこうとしているだけの詐欺師かもしれないのだ。本当に悪魔を祓ってくれるまでは、全面的に信用することなどできない。


「わあーっ! おいしそー! ロザリーはお料理得意なの?」


「うーん。得意ってほどでもないけど、それなりにね」


 スープを見て色の違う両目を輝かせたラル。

 なぜこんなにも愛らしい少女がこんな兄と共にいるのか、その理由がまるでわからない。

 この子の将来を考えるなら、性格の悪い兄と一緒にはいない方がいいのに。この子までひねくれてしまったらどうしてくれるのか。


「あー。確かに『それなり』だな。特別美味くはねぇけど、まあ腹を満たすくらいなら問題ねぇだろ」


「はいはい、お粗末さまでしたーッ!!」


 ご馳走になっておきながらこの言いよう。どこまで顔の皮が厚いのかめくってやりたい。

 兄のジルとは対照的に、ラルはロザリーの方が恥ずかしくなるほど「美味しい! 美味しい!」と連呼していた。









「――おかわりーっ!」


「す、すごいね、ラルちゃん……」


 ロザリーはラルの皿に次のスープを注ぎながら、頬が引きつるのを感じていた。

 今注いでいる分で十杯目。ジルとロザリーは既に食べ終えたというのに、ラルは未だ腹が満たされないらしい。


「これで最後。ごめんね、もうなくなっちゃったから」


「えー。もうおしまいなの?」


 空になった鍋を見せるロザリーに、ラルはとても残念そうな表情を浮かべた。

 多めに作ったつもりだったのだが、まさかこれほどの早さでなくなってしまうとは思っていなかった。

 そのほとんどはラルが飲み干してしまったわけだけれど、あんな小さな身体のどこにスープが消えたのか不思議で仕方ない。


「でも、おいしかったからいいよー! ごちそうさま!」


「あはは……お粗末さま……」


 空になったスープ皿にスプーンを置きながら、ラルはまたパッと笑顔を咲かせた。

 この兄妹は本当に何者なのだろう。ロザリーはまた頭痛がしてきそうな気がした。


「で? 俺はどこの部屋で寝りゃあいいんだ」


「……今はいないので、母のベッドを使ってください。死ぬほど嫌ですけど」


「そりゃあ寝心地がよさそうだ」


 屈辱以外の何物でもない、とロザリーは唇を噛み締めた。

 いくら母を助けるためとはいえ、行方不明である母の部屋にジルを泊めるなど考えたくはない。

 すべて終わったら寝具を丸洗いしてやると、ロザリーは胸の奥で固く固く誓ったのだった。


「くれぐれもあちこち触ったりしないでくださいね。そこは『母の部屋』なんですから」


「心配すんな。年増の部屋ではしゃぐ趣味はねぇよ」


「~~~ッ!!」


 食器の後片付けをするロザリーの手の中で、スプーンが一本おしゃかになった。

 今ならスプーン曲げの大道芸人にでもなれるかもしれない。









「わーいベッド! すごいよ兄様(あにさま)! ふかふか!」


 食事を終えた兄妹は、ロザリーの母親の部屋へとやってきた。

 ラルは綺麗に整えられたシングルベッドに飛び込むと、嬉しそうにはしゃいでジルの顔を見上げた。


「何してんだ、さっさと降りろ。ベッドに寝んのは俺だけ。お前は床に決まってんだろうが」


「えーっ! いいじゃん! 床冷たいよ! ボクもお布団でぬくぬくしたいよーッ!」


「黙れ、却下だ」


 そんな口論を繰り広げるジルは眉間にしわをよせ、いかにも鬱陶しそうだ。

 しかしラルは相変わらず、そんなジルの悪態ににこにこ笑って答え続けていた。




  ◇




 翌日、陽が昇ってしばらくすると、兄妹はロザリーの家を出て街を歩き出した。

 タダ飯食らいが逃げるつもりかもしれないとロザリーも同行することにしたのだが、二人は特にそれを気にする様子はなかった。


「どこに行くんですか?」


 街を見渡しながら歩くジルに、ロザリーが問う。

 すると彼は振り向きもせず、彼女に背を向けたまま答えた。


「情報収集に決まってんだろ。悪魔ってのは自分の願いにどこまでも純粋で単純だからな。きっと連れ去っている連中にも、単純な共通点があるはずだ」


「ああ、それなら私も一つ知ってますよ。行方不明になっているのは、全員女性なんです」


 ロザリーの返答にジルが立ち止まり、振り向く。

 昨日より少しだけ和らいでいた威圧感が蘇った彼の顔は、悪魔祓いというより悪魔そのものだ。


「……そういうことは早く言え」


「だって、聞かれませんでしたし!」


 舌打ちをしたジルは、再びロザリーに背を向けて歩き出した。

 彼の言い分は本当に理不尽極まりない。その上さらに機嫌を悪くするのだから、付き合わされるロザリーからしてみればたまったものではなかった。


 それから三人は、情報収集のため被害者の家族や友人への接触を試みることにした。

 ロザリーの案内でやってきたのは、大通りの隅にある小さな一軒家だ。


「ごめんください」


 戸をノックし、呼びかけるロザリー。

 すると中からは、三十代ほどの細身の男性が出迎えてくれた。


「ああ、ロザリーちゃんか」


「こんにちは、マットさん。いつもお世話になってます」


 その男性――マットは目の下に大きなくまを作っていて、ひどくやつれている様子だ。

 その理由はロザリーには容易に想像がついた。


「やっぱり、まだ戻ってきませんか、奥様は」


「……ああ。毎晩捜し歩いてはいるんだがな」


 マットは大きな溜め息をついてそう答えた。

 彼の妻は、立て続けに行方不明になった女性の中で最初の被害者だ。

 マット夫妻はおしどり夫婦で有名だったため、旦那に愛想を尽かした妻が出て行ったという線は考えにくい。


「まったく、許せねえよ。連続誘拐犯がどこのどいつか知らねえが、一発殴ってやらなきゃ気が済まねえ」


「うーん。多分おじさんにはなぐれないと思うよ?」


 不意に聞こえた子どもの声に、マットが目を丸くした。

 するとロザリーの後ろにいたラルがひょっこりと顔を出した。


「ありゃ? ロザリーちゃん、妹なんていたっけか?」


「ああ、違います。この子は今うちに泊めてるお客さんで……」


 ラルはロザリーが情報収集する様子を面白がってついてきたらしい。

 ちなみにジルは通りの向かいで待たされている。彼が首を突っ込んでくるとろくなことにならないからだ。


「あのねおじさん。おじさんの言う誘拐犯って、実は『悪魔』なんだよ。だから『悪魔祓い』のボクたちじゃないと祓えないんだ」


「は……? 『悪魔』?」


「ええと、私から説明しますね」


 ロザリーは昨日ジルから聞いたことを簡単に話した。

 自分の母親の病気を治すために神頼みをしたこと、そのせいで生まれた悪魔が次から次へと人攫いを繰り返していること、そしてその悪魔を祓えるかもしれない銀の兄妹のこと――


「――そういうわけで、被害者に何か共通点がないか調べているんです。それがわかれば、攫われた人たちを悪魔から取り返せるかもしれないので」


「なるほど、『悪魔』かあ。そんじゃあ、やっぱりあの玩具店(おみせ)のせいで人が消えてたわけじゃなかったんだな」


 街の人々が悪い噂を立てて玩具店を敬遠する中、マットだけはロザリーによくしてくれた。

 店のせいじゃない。どこかに隠れている悪党が誘拐を繰り返しているんだと、彼はずっと信じていた。

 母親と二人で店を畳もうかと話し合ったときも、彼のおかげで立ち直ることができた。

 せめてもの恩返しとして、攫われた彼の妻を見つけ出してあげたいというのもロザリーの思いの一つだ。


「共通点かあ。俺が知ってるのは、やっぱ全員女性ってことくらいだなあ」


「そうですか……」


 そのくらいの噂は街中に広まっている。マットのもとで新しい情報を得ることは難しそうだ。

 そんなことを考えていると、家の奥から赤子の泣き声が聞こえてきた。

 するとマットは、家の中を見たりロザリーの方を見たりと慌ただしくなった。


「悪いな、うちの子が腹減っちまったみたいで。何かわかったらまた教えてくれ」


「わかりました。ありがとうございます」


 空腹で父親を呼ぶ声を追って、マットは家の中へと戻って行った。

 子育てが大変な時期に母親が行方不明とは、本当に同情してしまう。

 しかしマットは『悪魔』という突拍子もない話を切り出しても、割とあっさりと信じてくれた。

 ジルが説明していたのではこうはいかなかっただろう。待たせておいて正解だった。




  ◇




「共通点、と言われてもなあ」


 ロザリーとラルが次に訪れたのは、四人目の被害者の家。

 出迎えてくれた被害者の夫は四十代半ばほどだが、やはり姿を消した妻を思ってか白髪が多く、歳よりも老けて見える気がする。


「悪いが特に思い当たらないな。だいたい『悪魔』なんて本当にいるのか?」


「さあ……。私にもわからないんですが、他に手がかりもなくて……」


「ホントにいるんだってばーッ! ボクの話が信じられないのーッ!?」


 ロザリーの隣にいるラルが地団駄を踏んで主張する。

 別に彼女の言うことを疑うつもりはないのだが、実際に悪魔というものの姿を見ないことにはやはり実感が湧かないのも事実だ。


「どうしたの、父さん。お客さん?」


 ふと、ロザリーの背後から爽やかな声がした。

 振り返ると、そこにはすらりと背の高い好青年が鞄を肩にかけて立っていた。


「おお、帰ったか。ほら、この子は例の玩具屋の娘だよ。行方不明になった母さんのことを聞きに来たらしいんだ」


「ああ、あの玩具屋の」


 ロザリーとラルは、青年にも事情を話して意見を聞いてみた。

 しかし彼も被害女性たちとはあまり接点がないらしく、詳しいことはわからないと答えていた。


「あまり役に立てなくて申し訳ないね」


「いいえ。ありがとうございました」


 二件続けて収穫なし。まだ調査は始まったばかりだというのに、ロザリーは早くも弱気になりつつあった。

 ところがラルはそうは思っていないらしく、待たせているジルのもとへ戻りながらニヤニヤと得意げな笑みを浮かべていた。


「ねえねえロザリー、兄様(あにさま)。ボクわかっちゃったかも!」


「あ? 何がだ」


 待ちぼうけを食らっていたジルはまた随分と機嫌が悪そうだ。

 しかしラルはそんなことなどまったく気にせず、ジルの周りをくるくる回りながら「知りたい? 知りたい?」とからかっている。


「いいからさっさと話せ。何がわかったんだ」


「さらわれた人たちの共通点、だよーッ!」


「ラルちゃん、本当!?」


「ふふーん!」


 まだ二件しかまわっていないのに、とロザリーは驚いた。

 幼い少女でありながら、意外にも頭が切れるのかもしれないと期待が高まる。

 散々もったいぶっている様子のラルは、ジルに何度も急かされてからようやく口を開いた。


「しかたないなあ、教えてあげよう! 悪魔がねらってるのはズバリ!」


「ズバリ……?」


 人差し指を立て、天高く突き上げながら鼻を鳴らすラルは犬歯をちらりと見せて得意げにウインクした。

 といっても、彼女の身長ではせいぜいロザリーの顔のあたりまでしか手を掲げられないのだが。

 そしてすうっと息を吸ったラルは、ロザリーを勢いよく指差してこう答えた。




「ズバリ、『おかあさん』なんだよッ!!」




 ……一瞬意味が、わからなかった。




  ◇




 ラルの言い分を聞くと、つまりはこういうことらしい。

 一件目も二件目も被害者は女性であり、それと同時に子を持つ母親だった。

 だから悪魔は、『母親』という肩書を持つ女性を意図的に攫っているのではないかと、そう考えたのだ。


 確かに今のところは矛盾していない上、攫われたロザリーの母親にもこの仮説は当てはまる。しかし、それを裏付けるには他の被害者についての情報を集める必要がある。

 今しがた訪れた二件がたまたまそうであった可能性を否定しなければ、ラルの言い分を証明できないのだ。


 今後の方針が定まった三人は、情報収集を続行した。

 三件目、四件目と訪問を繰り返す。

 するとロザリーは、もしかするとラルの言い分が正しいのかもしれないと次第に思うようになっていった。

 三件目に訪ねた被害者の家族は、街でも有名な大所帯だった。七人兄弟だというこの家は仮説に矛盾していない。

 四件目に訪ねたのは、もう数週間にわたって留守になっている家。ここでは行方がわからない被害女性が一人暮らしをしていたそうだが、その女性には遠くの街で働く息子がいるらしい。

 五件目の家は随分若い青年が住んでいた。彼の妻は妊婦であったらしく、お腹の子どももろとも姿をくらましたのだという。


 その後、ロザリーの母親を除く七人の被害女性の家族や友人をすべて訪ねてみたが、ラルの読み通り行方不明になっているのはすべて子持ちの母親だった。

 その事実が判明すると、ラルは「すごーい! 当たってたよ兄様(あにさま)!」と喜んでいたが、適当に言ったのかよとジルに怒られていた。


 実際、適当な思い付きでも答えに辿り着くことができたのだから、ラルの目の付け所とひらめきは素直に賞賛に値する。

 調査をしている間に日も傾いたため、三人は一旦玩具店に戻り、今後の方針を話し合うことにした。




  ◇




「――つまり整理すると、悪魔はこの店にやってきた『母親』だけを意図的に攫ってるってことだな。だから俺たちには手を出してこないんだ。三人中二人が女ではあるがガキだし、俺はそもそも男だしな」


 久々に彼と話すと胃に悪い。

 もう少し物腰を柔らかく話せないのだろうか。


「悪魔の狙いはわかりました。でも、これから私たちはどうすればいいんでしょう……?」


「決まってんだろ。悪魔をおびき出して接触する。それ以外に祓う方法なんかねぇからな」


「おびき出すと言われても……」


 そんなことができるのだろうか、とロザリーは思った。

 悪魔をおびき出すために一番手っ取り早いのは、誰かの『母親』にこの店まで来てもらうことだ。

 しかし、攫われるリスクを承知で囮になって欲しいだなんて、そんな危険なことを頼める相手などいるはずがない。


「ロザリーが『おかあさん』になればいいんじゃない? そうすれば悪魔がロザリーをねらって出てくるかも!」


「ラルちゃん!? 一体何を!?」


 ラルのあまりにも非常識な発言に耳を疑うロザリー。



 まさか、悪魔の囮になるために子どもを産めって言うの!?

 私、今まで恋人なんていたこともないのに。

 というか、産むにしてもどれだけ時間がかかると思ってるの!?



 ロザリーは真っ赤な顔を千切れそうなほど振ってラルの意見を拒否した。

 先程はラルの思いもよらない視点が功を奏したのは事実だが、こればかりはさすがに飲めない。


 頬を膨らませて「ちぇーっ」と残念そうなラル。しかしふむふむと何か考え込んでいる様子のジルの姿に、ロザリーは悪寒が走るのを感じた。


「いや、その手でいくぞ」


「はぁッ!!??」


 言っている意味が理解できない。この男は正気なのだろうか。

 不気味な笑みを浮かべるジルの横で、ラルは「やったー! またボクのおかげーッ!」とはしゃいでいるが冗談ではない。


「まま、まままま待ってください。他に方法があるはずです。は、話し合いましょう? ね?」


 日も沈んで薄暗い玩具店。後退るロザリーにゆっくりとジルが迫っていく。

 普段は仏頂面のくせに、今のジルは妙に楽しそうに見えるのは何故だろうか。

 ロザリーの背中に壁が当たる。もう逃げ場はない。


「思えばここにいる悪魔はアンタのせいで生まれたんだしな? アンタ自身がその責任を取るのが筋ってもんだ。違うか?」


「ちょっと、何する気……? やめて、来ないで……!」


「安心しろ。すぐに終わる」


 心臓がバクバクと激しく鼓動しているのに、全身から血の気が引いていく。

 冷や汗が額から頬を伝って流れ、顎から床に落ちる。

 目の前の少年に対する恐怖が精神を支配し、吐き気や眩暈まで襲ってきた。



 やだ、やだ、やだ……!

 こんなところで……やめてよ……!

 私はまだ、好きな人とキスもしたことないのに……!



 ついに目の前まで迫ったジルは、ロザリーの手首をがっちりと掴んだ。

 それを引き金に、ロザリーは今まで出したこともないような大声で、目の前の少年をこう呼んだ。




「――この、悪魔ーーーーーッ!!!!!」




  ◇




 数分後。ロザリーは腹が大きく膨れ、見紛うことなき妊婦の姿になっていた。

 おさげにしていた髪を解き、紺色の髪を背中へ流しただけで、随分大人びた雰囲気に早変わりだ。


「うーん。全然俺の好みじゃねぇけど、まぁいいだろ。相手は悪魔だし」


「……あなたの好みの女になんて、絶対になるもんですか」


「そりゃ助かる。ぜひそうしてくれ」


 真っ赤な顔でぷるぷると震えながら、辛うじてジルに物申すロザリー。

 今彼女の服の下には、ジルが売り場から適当に引っ掴んだ大きめのぬいぐるみが詰められている。

 乱暴を働かれるのかと勘違いして悲鳴まで上げた自分が恥ずかしい。いっそ自分も悪魔に攫われて消えてしまいたいロザリーなのであった。


「というか、お腹にぬいぐるみを詰めただけで、本当に悪魔をおびき出せるんですか? 正直バレバレだと思うんですけど」


「言ったろ。悪魔ってのは自分の願いにどこまでも純粋で単純なんだ。外見さえ取り繕えば、案外簡単に食いついたりするもんなんだよ」


 あまり納得はできないものの、ロザリーはしばらくそのまま店内で待機することにした。

 外はすっかり暗くなり、本来なら夕食の支度を始めている頃合いだ。

 しかし、静かな店内で待っても待っても、一向に悪魔らしきものは姿を見せなかった。


「……やっぱり、ダメなんじゃないですか?」


「かもな」


 呑気に欠伸をするジルの緊張感のなさが鼻につく。

 ラルは待ちくたびれてしまったのか、会計机に突っ伏してすやすやと寝息を立てている。

 いよいよ悪魔が現れるのかと全身を強張らせて待っていたロザリーは、時間を返して欲しいものだ呆れかえった。


「これ以上待つのは馬鹿らしいですよ。今日はもうおしまいにして、別の方法を考えましょう」


「まぁ待て落ち着けって」


「なんですか」


 小指で自分の耳をほじっているジルに、ロザリーは苛立ちを含めた視線を向けた。

 ジルは耳から抜いた指に息をフッと吹くと、ロザリーを睨み返して口を開いた。


「まだ何か条件が足りないのかもな。被害者は店の中にいるときにいきなり消えたのか?」


「……いいえ。皆さん普通に帰って行かれましたけど……」


「んじゃ、消えたのは店を出た後か」


 ジルは少しの間考え込んでから、すっかり呆れてしまったロザリーに提案を持ち掛けた。


「……よし。帰ろう」


 ジルはようやくロザリーの意見を汲んでくれた。

 このときばかりはロザリーもそれ見たことか、と少しばかり優越感を覚えた。


「やっとわかってくれましたか。遅いですよ。こんな時間からじゃ大したお夕飯は作れませんからね」


「ただし、そのままの格好で、だ」


 服の下に仕込んだぬいぐるみを取り出そうとするロザリーに、ジルはそう述べた。


「はい? どうしてですか。お店の外でまで妊婦の振りをする意味なんてないでしょう?」


「いいから従え。つべこべ言うな」


 反論しても無駄か、とロザリーは溜め息をついた。

 彼女は仕方なく、彼の言う通り服の下にぬいぐるみを仕込んだまま店の出口へ向かった。

 ジルは眠っているラルを起こしに行ったのか、店の奥へと向かっていく。

 無駄な時間を過ごしてしまった、とロザリーは浮かない表情のまま、大きな腹部を抱えて店の外の石段を下りた。








 ――と、そのときだった。

 最後の段に足を置いた瞬間、目の前の風景がぐにゃりと歪み、ロザリーは妙な浮遊感に襲われた。


「わッ!? なに!?」


 平衡感覚が乱され、天と地の区別がつかなくなった。

 息が詰まり、渦を巻いた視界に吸い込まれるような感覚が全身にまとわりついた。

 そして、まさかとロザリーが勘付いた時には、彼女は既に元の感覚を取り戻し、真っ暗な空間の中に一人佇んでいた。


 何も見えない。人の気配もしない。

 どこまでも広がっているようにすら感じられる闇の中、ロザリーはどうしようもない不安感に脚が震え出すのを止められなかった。



 まさか、本当に悪魔が……?

 私、連れ去られてしまったの……?



 音すら何も聞こえない。

 視力と聴力が何の役にも立たなくなったロザリーは、今だけはジルの悪態やラルの笑顔が恋しくなった。

 悪魔に攫われたかもしれないというこの状況で一人きりだなんて、あまりの恐怖におかしくなってしまいそうだ。


 しばらく立ち尽くしていると、暗闇にだんだん目が慣れてきた。

 見渡すと、そこら中に身の丈ほどの大きな木箱が積まれているのがわかった。

 そして少し歩くと、今度は木箱以外のものも発見することができた。


「これは……『箒』……?」


 ロザリーが手を触れたその物体は、掃除に使うための『箒』であるらしかった。

 しかし、ただの箒であるというわけでもなさそうだ。というのも、その箒らしき物は、ロザリーの身長の三倍近い大きさだった。

 次第に慣れた目であたりをもう一度見渡す。するとようやくロザリーは、自分の置かれている状況を確かめることができた。


 どういうわけか彼女は今、物置小屋の中にいるようだ。

 それも普通の物置小屋ではない。あたり一面に置かれている様々な物が尋常ではない大きさなのである。

 お伽噺に出てくるような、巨人の世界に迷い込んだとでもいうのだろうか。それとも、ロザリー自身の身体が縮んでしまったのだろうか。

 真相はまるでわからないが、これが悪魔の仕業であるらしいことは、彼女自身も薄々勘付いていた。


 そのとき、背後で何かが蠢くような音がした。

 慌てて振り返り、「誰?」と声をかける。しかし、その声に返答する者は誰もいない。


 冷や汗が流れ、脚が震える。

 音がした方向からゆっくりと離れるようにロザリーが後退ると、背中がドンと壁に当たったのを感じた。




『……おカ、アさ……ン……』




 すぐ後ろの壁から声が聞こえた。

 さっと血の気が引いていくのを感じながら、ロザリーがぎこちない動きでゆっくりと振り向く。


 そして彼女は気づいてしまった。

 今ぶつかったのは壁ではなく――


『オ……カあサ、ン……』


「……いやあああああーーーッ!!!!」


 慌てて駆け出し、『それ』から距離を取る。

 その拍子に腹に詰めていたぬいぐるみを落とし、それに躓いてロザリーは転んでしまった。


 慌てて視線を持ち上げ、背後を見る。

 そこには赤黒く光る眼でこちらを見ている、巨大な人形の姿があった。


 『それ』の頭部は木彫り人形のものでありながら、胴体は布製のぬいぐるみであるように見える。

 全身は糸で吊るされているのか地面から少し浮いていて、力のない四肢はだらりと垂れ下がっていた。


 この世のものとは思えない、あまりにもおぞましい姿の異型。

 ロザリーが『それ』を『悪魔』だと確信するには十分すぎるほどのものが、そこにはあったのだ。


 悪魔の頭が、カタカタと不気味な音を立てて下へ傾く。

 その視線の先にあるのは、ロザリーが今しがた落としてしまったぬいぐるみだった。


『……オか、アさ、ン……?』


 ぬいぐるみを見ていた悪魔が、視線を持ち上げてロザリーを見据える。

 その瞬間、悪魔はぎくしゃくとした動きで頭部を左右に回しながら、悲鳴にも似た甲高い声を物置小屋に響かせた。


 耳を塞ぎたくなるような気味の悪い声なのに、恐怖が先行してしまって身体がまったく動かない。

 そんなロザリーを前に、悪魔はカチカチと音を鳴らしながら口の部分を開け閉めしたり、力を込めた四肢で床を必死に掻き毟ったりしている。


 産まれて初めて悪魔を見たはずのロザリーにもわかってしまった。

 『あれ』は今、怒っているんだ、と。


 それもそのはず。この悪魔は『母親』を攫うことが目的だったのだ。

 それをわかっていて、ロザリーは妊婦の振りをしてここへやってきたのだから、騙された悪魔が怒り狂うのは当然だ。


 大きく口を開けた悪魔が、悲鳴と共にロザリーへ飛びかかってきた。

 恐怖で腰が抜けてしまったロザリーは、声をあげることすらできぬままに悪魔の突進を正面から受けた。








 ――と、思った。


 ところがその直前、ロザリーは右側からぶつかってきた何かに飛ばされて埃だらけの床を転がった。


「なにボケっとしてんだ! 死にてぇのか!!」


 ハッと我に返ったロザリーの隣にいたのは、一緒に床を転がって埃まみれになったジルだった。


「……ぇと、どうして……一体何が……?」


 気が動転してしまい、ロザリーは何が何だかわからなくなっていた。

 目の前にいる悪魔は『母親』だけを狙って連れ去るはず。妊婦の振りをしていた自分が攫われることはあっても、ジルが攫われる理由などないはずなのに、と。


「それはね、ボクが頑張ったからだよーッ!」


 恐怖に支配された不気味な空間に、まったく似合わない陽気な声が響く。

 声のした方へロザリーが視線を向けると、そこには右手のピースサインをこちらに向けたラルの姿があった。


「悪魔が作った道をたどって追いかけるくらい、ボクにとっては楽勝楽勝! どう? すごいでしょ?」


 いつもの調子なら「すごいね!」と褒めてやりたいところだ。

 しかし今のロザリーにそんな余裕はない。

 そうこうしている間に、体勢を立て直した悪魔が再び彼女めがけて突進を仕掛けてくるのが見えたのだ。


 避けられない、とロザリーは確信した。

 足腰に力が入らず動けないだけでなく、先程助けてくれたジルも片膝をついていて万全の体勢ではない。今度こそ終わりだ。


 そのとき、ジルは腰から短いナイフを抜いた。

 それを逆手に握ったジルは、自分の左手のひらを素早く切りつけると、そのまま血の滴る手を勢いよく地面に叩きつけた。


 すると、ジルを中心に青白い閃光が広がり、彼とロザリーを包んだ。

 ドーム状の形に落ち着いた閃光は半透明な壁となり、突っ込んできた悪魔の身体を弾いてみせた。


「……こ、れは……?」


「『結界』だ。この中にいる限り、悪魔(コイツ)は俺たちには手を出せない。だから大人しくしてろ」


 ジルに安全を保証され、ロザリーはひとまず息をつくことができた。

 しかしその安堵も束の間。ロザリーはあることに気づいて声をあげた。


「待って! まだラルちゃんが外に!!」


 悪魔は再び体勢を整えると、『結界』の中にいるジルとロザリーには触れられないとわかったのか、身体をラルの方へ向けていた。

 小さな身体で立ち尽くしたラルは、カタカタと不気味な音を鳴らす巨大な悪魔を見上げて呆然としている。


「大変! 早く助けないと!」


「いや、アイツは放っておいていい」


「……え?」


 こんなときまで何を言っているのだろう、とロザリーは耳を疑った。

 それと同時に、恐怖で青ざめていた顔が、怒りで沸々と熱を持つ。

 ジルはラルに対して常に冷たい態度を取っていることは知っているが、命の危機に晒されている彼女のことを見捨てるなんて、と。


「ふざけないで! 自分の妹でしょう!? 兄として恥ずかしくないの!?」


 ロザリーが声を張り上げると、ジルは眉をピクリと動かして彼女を睨みつけた。


「うるせぇな、耳が痛ぇから喚くな。こっちの事情も知らねぇくせに」


「ええ、知りませんよ! 平気で妹を見殺しにできる事情なんて、知りたくもありま――」


「――大丈夫だよ、ロザリー」


 ジルの肩を掴んで喚き散らすロザリーに、ラルは穏やかに語りかけた。

 その声にロザリーが振り向くと、彼女は目の前の光景に言葉を失った。


 睨み合っているように動かない悪魔。

 その目の前に立っているのは銀髪と異色眼(オッドアイ)が特徴の少女。

 しかし、ラルの姿は今までとは明らかに違う。

 彼女の頭上にはいつの間にか尖った獣の耳が二つ現れ、腰からは銀の尻尾が垂れ下がっていた。


 そして次の瞬間、ラルを中心に突風が渦巻いた。

 思わず目を伏せたロザリーは、風が止むと同時に再び顔を上げる。

 すると、今の今までラルが立っていた場所には、ジルやロザリーよりもはるかに大きな白銀の狼の姿があった。


「ラル……ちゃん……?」


 理解が追いつかず、ただそう呟くことしかできない。

 ただ、こちらを見つめる異色眼(オッドアイ)のおかげで、その狼がラル本人であるらしいことだけは辛うじて予想することができたロザリーだった。


『えへへ。びっくりした?』


 不意に、頭の中に直接響いてくるような声がした。

 音として耳で感じ取ったものではない声に、ロザリーは一瞬あたりを見回して声の主を探してしまった。

 しかしそれはすべて徒労――その明るい雰囲気、緊張感のない陽気な声色。

 その声はどう考えても間違いなく、目の前にいる巨大な狼――ラルからのもので間違いなかった。


「これでわかったろ。アイツは人間じゃねえ。そこの人形(デク)と同じ、『悪魔』なんだよ」


 ロザリーはもう、本当の意味で思考が停止してしまったように感じた。

 小説でしか読んだことのなかった奇々怪々が、まさに目の前で起こっている。

 これが夢なのか現実なのかすら、考える余裕は完全になくなってしまっていた。


 少しの静寂を先に破ったのは、人形型の悪魔のほうだった。

 悪魔は悲鳴にも似た雄叫びをあげると、四肢で地面を蹴って銀狼(ラル)に飛びかかった。

 ラルはその攻撃をひとっ跳びで躱し、狭い物置小屋の中に響き渡る大きな遠吠えをしてみせた。


 その遠吠えに対抗するように、悪魔も悲鳴を上げてラルを睨む。

 口をカチカチと鳴らしながら震え始めた悪魔は、ぬいぐるみでできている胴体の部分から新たな腕を両側に二本ずつ増やした。

 布地を突き破り、綿を舞い上げながら現れた新たな腕は、人形の姿にはまったく似つかわしくなかった。やせこけた骨と皮だけの灰色の腕は、まるでミイラのそれを想像させる。


 しかし、ラルは少しも怯む様子を見せず、今度は自分から悪魔へと飛びかかっていった。

 ところがラルの牙は虚しく空を切る。

 ラルの目の前から姿を消した悪魔は、天井から吊り下がる糸にぶら下がって宙を漂っていた。まるで操り人形だ。


 今度は上空から悪魔が攻撃を仕掛けてくる。

 胴体よりも長く伸びた灰色の腕を突き刺すように、何度も何度もラルめがけて四本の腕が襲い来る。

 ラルはそれを的確に躱しながら徐々に悪魔との距離を詰め、そして高く跳躍して悪魔に噛みつき、振り子のように揺れた。

 やがて重みに耐えられなくなった糸がプツンと音を立てて切れ、悪魔は地面に叩きつけられた。

 ラルはその直前で悪魔から離れ、華麗に着地を決めて次の攻撃の姿勢に移っている。


 そして、ラルは後ろ足を力一杯蹴り出し、加速した。

 埃を舞い上げながら悪魔との間合いを一瞬で詰めたラルは、地面に転がっている悪魔の腕の一本に噛みついた。


 脳を揺らすような悪魔の甲高い悲鳴に思わず耳を塞ぐロザリー。

 その隣のジルは顔色一つ変えることなく、血だらけの左手を地面に押し当てたまま『結界』を維持していた。


 ラルは前足で悪魔の胴体を押さえつけながら、その腕を一本噛みちぎった。

 悪魔の傷口からは血ではなく、ふわりと舞い上がる綿と共にどす黒い煙のようなものが勢いよく噴き出した。

 これ以上取られてなるものかと、悪魔は残りの腕でラルの首や前脚に死に物狂いで掴みかかる。

 しかし、上にのしかかったラルが有利なのは間違いなく、次第に消耗しているのか悪魔の動きは徐々に鈍くなっていった。


 牙が腕を食いちぎり、爪が胴体の綿を抉る。

 悪魔がすべての腕を失う頃には、あたりに大量の布切れや綿が散乱し、甲高い悲鳴が響くこともなくなっていた。


「――そこまでだ」


 勝負あり、と判断したジルが口を開いた。

 するとラルは耳をぴくりと反応させ、食らいついていた悪魔から一歩離れた。


「あの、血が……」


 左手を地面から持ち上げ、結界を解いたジルにロザリーが声をかける。

 しかしジルは「平気だ」と一言答えると、懐から包帯を取り出して左手に巻きながら、動かなくなった悪魔の方へ歩き出した。


『どうする兄様(あにさま)? 食べちゃっていいかな』


「まあ待て。それを決めんのは、コイツの望みをちゃんと聞いてからだ」


 ジルの返答を聞くと、ラルの身体は再び渦巻くような風に包まれた。

 風が止むと、ジルの隣には元の少女の姿に戻ったラルが立っていた。

 ぶるぶると震わすその頭上にはまだ銀色の耳が残っている。おまけに尻尾もそのままで、場に似つかわしくない可愛らしい姿にロザリーは一瞬目を奪われたのだった。


 綿の残骸の中、雑に転がった悪魔の頭はカタカタと口を鳴らしている。

 胴体と繋がっていた首の部分や半開きの口からは、黒い煙のようなものがもやもやと立ち昇っている。

 悪魔は時折掠れるような声で『ぉ……ア、さ……』と母を呼ぼうとしているようだった。この悪魔の母親は、この場にはいないというのに。


 すると、ラルはぴょんぴょんと軽い足取りで悪魔の頭の前にやってきて屈んだ。

 そして目を閉じた彼女は、悪魔の頭部から立ち昇る黒いものの匂いを嗅ぐように鼻を寄せた。


「……何をしてるんですか?」


 ジルの後ろに隠れるように恐る恐る近づいてきたロザリーは、ラルを見下ろしながらそう問うた。


「この悪魔と精神を『共鳴』させてるんだ。『(すす)』は悪魔が溜め込んだ感情の澱み。人間が取り込もうもんなら心を狂わされちまうが、悪魔同士ならそれを読み解くことができる」


 ジルは悪魔との『共鳴』を試みるラルから視線を離すことなく、ロザリーにそう答えた。

 どうやら悪魔の中から立ち昇る黒い煙は『煤』と呼ばれる危険なものであるらしい。


 するとそのとき、膝を抱えて屈んでいるラルが鼻をすする音が聞こえた。

 やがてラルはしゃっくりを繰り返すようになり、最後には大粒の涙を流し始めた。


「ラルちゃん……? 大丈夫?」


「平気だからいちいち口を出すな。この悪魔の感情をコイツが読み取ってるだけだ。『共鳴』ってのはそういうもんなんだよ」


 舌打ちしたジルがそう反論する。

 そうは言っても、目の前で小さな女の子が泣き出したのに気にならない方がおかしいじゃないか、とロザリーは心の中で言い返しておいた。


「……さびしかったんだよ、この子」


 袖で目元を拭いながら、ラルが鼻声でそう述べた。


「この悪魔、もともとは小さな男の子の魂だったんだ。お父さんはいないみたい。でも、お母さんのことは大好きだったんだね……」


 どうやらラルは、悪魔と成り果てた魂の生前の記憶を読み解いているらしい。

 何度も鼻をすすり、涙を拭きながら語り続けるラルの声に、ジルは無言のまま耳を傾けていた。


「この子はお母さんに褒めて欲しくて、いろんなことをがんばったんだ。けど、何をしてもお母さんは怒ってばかり。お母さんを怒らせると、この子はお庭にある物置小屋に入れられちゃったんだって。毎日毎日、暑くても寒くても」


 ラルの言葉に、ロザリーの胸がちくりと痛む。

 だからこの悪魔はロザリーを『ここ』へ連れてきたのだ。辛い記憶と共に深く深く心に刻みつけられた、忘れることなどできないこの場所へ。


「一日中入れられることもよくあったけど、夜にはいつも出してもらえてたんだ。でも、お母さんが知らない男の人を家によく連れてくるようになってからは、何日も出してもらえないことが増えてったみたい」


「なるほどな。だいたいわかった」


 くだらない、とでも言いたそうに息をついたジルがそう言った。

 彼もそうだが、この悪魔の生前に何があったのか、ここまで聞けばロザリーにも想像がついた。


 この悪魔(こども)は母親から虐待を受けていたのだ。

 男に遊ばれて逃げられたのか、夫と離縁したのか定かではないが、この子は母親に望まれて生まれてきたとは言えなかったのだろう。


 息子として愛されたくても、自分を毛嫌いする母親はその子を物置小屋に閉じ込め続けた。

 そこで何日も放置された子どもは、やがて夏の暑さにやられたか、冬の寒さに凍えたか、それとも飢えて衰弱したか、何らかの理由で――


「……酷すぎる……」


 ロザリーはズキズキと痛む胸を抑えながら、そう呟くことしかできなかった。


「だから『母親』ばかり攫ってたってわけだ。死んで神から悪魔に堕ちてもなお、親子として愛し合うことをやり直そうとして、な」


 しかし、いくら『母親』を連れ去り続けても悪魔の心は満たされなかった。

 被害者たちは『誰かの母親』ではあっても『自分の母親』ではない。

 ましてやこのおぞましい姿の悪魔の思いを理解できる母親(もの)など、いなかったのだろう。


兄様(あにさま)、どうする?」


 涙目のままラルがジルを見上げる。

 ジルは面倒くさいとでも言いたそうに頭を雑に掻いてみせた。


「コイツの母親を見つけて会わせてやれば、あるいは満足して消えるかもしれねぇが……。そんなの無理だしな。やっぱり食っていいぞ」


「ちょっと待ってください!」


 判断を下したジルの言葉に、ロザリーは思わず割り込んだ。

 ジルはそんなロザリーを、今までで一番の苛立ちを含んだ視線で睨んだ。


「ラルちゃんが食べれば……この子は救われるんですか?」


「んなわけねぇだろ、望みも叶ってねぇのに。食われた相手に取り込まれて強制的に消える。そんだけだ」


「そんなのあんまりです!」


 ロザリーは目に涙を溜めてジルの前に立った。

 ジルは表情を歪めて大きな舌打ちをしたが、ロザリーは一歩も引こうとしない。


「私はこの子を救ってあげたいです。生きていたときも散々苦しい思いをしていたのに、死んでからも願いを叶えられずに消えるなんて……。可哀そうじゃありませんか……」


 そう言ってロザリーは、ジルに背を向けて足元に転がる悪魔の頭に視線を落とした。

 未だに『煤』は漏れ出続けている。人間が触れるのはどう考えても危険だ。


「少しだけ時間を下さい。もしダメだったときは、あなたの好きにしていいですから」


 ジルはロザリーの背中の睨みながら考え込んでいた。『悪魔』のこともつい昨日知ったばかりの素人に何ができるのだ、と。

 息を吸い、「断る」と言いかけたジル。しかし彼は、後ろから服を引っ張る小さな手を感じて押し黙ってしまった。

 振り返ると、そこには目を腫らしたままジルの顔を見上げるラルの姿があった。

 色の違う二つの瞳に訴えられたジルは大きな舌打ちをすると、工具箱らしき大きな壁にもたれてどっかりと座り込んだ。


「勝手にしろ」


 そう言ってジルはそっぽを向いた。

 てくてくと歩み寄ったラルは彼の隣に腰を下ろす。

 そんな二人の方を一切振り向くことなく、ロザリーはそっと膝を折ると悪魔の頭部へと手を伸ばした。


「……ありがとう。そして、ごめんなさい」


 ゆっくりと悪魔の頭部に手を触れると、『(すす)』に当たった指に一瞬ちくりと痛みが走り、肌が黒く染まった。

 それでもロザリーは手を引き戻そうとはせず、固い木彫りの頭の上を滑らせるように手を動かした。


「君なんでしょう? 私のお母さんの病気を治してくれたのは。それなのに私、君が頑張ってくれたことなんて何にも気づいてあげられなくて……。だから、ごめんなさい」


 ロザリーはただ、悪魔の頭を撫でながら感謝を述べたり、謝罪したりし続けた。

 『神』となった魂は、生前の未練と似た願いを叶えるために現れるとジルが言っていた。きっとこの魂は、ロザリーが母を思う気持ちに反応して願いを叶えたのだ。

 それなのに、母親の病気が治って信仰をやめたことで、ロザリーはこの子を『神』から『悪魔』にしてしまった。

 その責任を感じていると同時に、自分の願いを叶えてくれた『神』であるこの子の願いを、今度は自分が叶えてあげたいと思ったのだ。


「寂しかったんだね……。お母さんって感じの歳じゃないけど、私で許してくれる?」


 既に『煤』で真っ黒になった手で、ロザリーは悪魔の頭を撫で続けた。

 先程まで威嚇するように口をカチカチ鳴らしていた悪魔は、口を半開きにしたまま大人しくなっていた。


「ねえ、君ならわかるでしょう? 君が攫った人たちは、みんな誰かの大切な『お母さん』なの。私たちも君と同じ。『お母さん』のことが大好きなの。だからお願い。どうかみんなの『お母さん』を……返して……」


 いつの間にか、ロザリーの目からは大粒の涙が零れ始めていた。

 そしてもらい泣きをするように、悪魔の目からも一滴の涙が伝って地面に落ちた。


 そのときだった。悪魔の涙が落ちた位置から、黒い花びらが舞い上がるように地面が崩れ始めた。

 何が起きたかわからず、ロザリーは地面の下の真っ白な空間へと投げ出される。

 彼女の背後からは「まさか! 嘘だろ!?」とジルの声。しかしそれを気にかける余裕はロザリーにはなかった。


 悲鳴を上げながら落ちていくロザリー。

 しかしそんな彼女の耳に、幼い男の子の声で何かが聞こえたような気がした。




『ゴ、メ……んネ……あリ……ガ、と』




  ◇




 ハッと気がつくと、ロザリーは陽が落ちた街の中に立っていた。

 石段を最後まで降りきった位置。服の下には落としてきてしまったはずのぬいぐるみが詰まっている。

 あの物置小屋に連れ去られたときの状況をそのままに、ロザリーは玩具店の前に立っていたのだ。


「あれ? 何が……。夢?」


 悪魔と接触した記憶は確かに残っている。

 しかしロザリーは、それがすべて幻か何かだったような、あやふやな感覚に首を傾げた。


 手が『(すす)』で黒く汚染された痕跡は跡形もなく消え去っている。

 状況が把握できず、ジルとラルに何か聞いてみようと店を振り返ったロザリーだったが、店内の様子を見て息をのんだ。


「うそ……ッ!!」


 腹に詰めていたぬいぐるみをその場に転がし、ロザリーは店の戸を勢いよく開け放った。

 ドアベルの音がカランコロンと響く店内には、その音に驚いてロザリーの方に視線を向ける女性たちが立っている。

 そしてその中には、ロザリーがずっと探し続けていた者の姿もあった。


「ロザリー……?」


「お母……さん……ッ!!」


 溢れ出す涙を堪えることができず、ロザリーは駆け寄った勢いそのまま母の胸に顔を埋めた。


「お母さん……よかった。よかったよぅ……!」


「ちょっと、ロザリー!? どうしたの? 何があったの?」


「ちゃんと話す……あとでちゃんと全部話すから……。今は、このままでいさせて……」


 店内に現れたのは、行方不明になっていた八人の被害女性たちだった。

 悪魔があのあとどうなったのかはわからないが、どうやらロザリーの思いは幼い『神』へきちんと届いたようだった。




  ◇




 ほどなくして、ロザリーはその場にいる被害女性たちにすべてを話した。

 彼女らは、連れ去られていた間のことや人形の悪魔のことは何も覚えていないらしい。

 忘れているのならそのほうがいいかもしれないなと、ロザリーはより詳細な事情を話すことは控えておいた。皆が忘れても、私自身があの()のことを覚えていればそれでいいはずだ、と。


 事情を知った女性たちはそれぞれ自分の家路についた。

 これから各家庭で感動の再会劇が始まるのだろうと思うと、なんだか胸が温かくなる。


 ふとそのとき、ロザリーは銀色の兄妹の姿が見えないことを思い出した。

 約束通り報酬を渡さないといけないのに、と周囲を見渡していると、彼女はポケットの中に何か違和感を感じた。


 手を入れて取り出してみると、それはくしゃくしゃに丸められた一枚の小さな紙だった。

 こんなものを持っていた覚えはないのだけれど、と不審に思いながら紙を広げてみる。

 するとそこには、ひどく拙い字で短い文が書き殴られていた。




『ごはんおいしかたー。ありがど』




 思わず笑みがこぼれる。

 ああ、これはラルちゃんだな、とロザリーは確信した。

 いつの間にポケットにこんなものを仕込んだのかわからないが、どうやらあの兄妹は昨晩の夕食だけを報酬とすることに決めたらしい。


「最後に一言、お礼くらい言いたかったのにな」


 ロザリーはくしゃくしゃの紙切れを丁寧に折りたたみ、胸に当てた。

 届くかどうかはわからないが、それでも祈らずにはいられないのだ。


 母の命を救って欲しいという願いを叶えてくれた『神様』に――

 姿を消した母を連れ戻す手伝いをしてくれた『悪魔祓い』に――

 そして自分の間違った信仰(いきかた)を正してくれた『銀の兄妹』に――




 ――ありがとう、と。





読了ありがとうございました!


この世界観は自分の中でも気に入っているので、いつか長編にできたらいいな、なんてことを考えて実は細かな裏設定まで練ってあります。

今回は読み切りという形ですのでその部分には触れませんでしたが、もし続きを書くことがあったならば、兄妹の過去や背負うものについても語っていけたらいいなと思っています。


ぜひ続きが読みたい!と思っていただけるようなことがありましたら、感想等をぜひぜひお聞かせください。

頂いたお声次第では、春以降に長編化することも検討したいと思っています。


お付き合いくださり、本当に感謝いたします。

以上、わさび仙人でしたー!

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