過去があるから、今がある
小早川製薬が、問い合わせしたからといって、即レスがあるような小さな会社じゃないと知っていた。
だから俺は気長に待つことにした。
それに個人のプライバシーの話だ。
なんの返信もなくて、当たり前だ。
正直メールを書いただけで、何かスッキリしていた。
何の進展もないのに。
「ついにきたな」
GWに入り、歓迎会の日だ。
俺たちも衣装に着替えて、外に出た。
来賓の人や、両親たち、芸能事務所関係の人たちまで、沢山学園に来ていた。
龍蘭高校には、かなり大きなホールがあり、そこでコンサートに近いことが行える。
アーバンの卒業コンサートも、ここで行い、それは普通にチケットが販売される。
舞台装置や演出など、コンサートの関わりたい人間も沢山いて、そのために龍蘭に来る生徒も居る。
歓迎会も、二年生と三年生のコンサート部の人たちが考えて、セットを作っている。
衣装の龍蘭の生徒が作っていて、本当に総合芸術な学校だなあと思う。
それを見に来る関係者も多く、就職のアピールの場にもなっている。
俺たちの衣装は……
「紫だな」
「もう、赤といってもいい」
ラメラメのロングコートに、フワフワの毛がついたマフラー。
これが顔にささって痒いんだけど!
真琴と潤は似合ってるけど……俺は筋肉が結構あるせいで、野生にいた生物を着飾った感じ……なんだろう……。
「ぎゃはははは!! ゴリラの女装っぽい!!」
パシャパシャとスマホで写真を撮る音がして振向くと、杏奈と梨々花が写真を撮っていた。
その後ろで両親が口を一文字に結んでピクピクしている。
「わー……市ノ瀬くんは、すごく似合うねー……」
杏奈が真琴を見て、指を組んで目を潤ませる。
何度でもいう。俺もアーバンだぞ?
「真琴さん、ステキ……一緒に写真いいですか?」
「もちろん」
真琴と梨々花は楽屋で何度もあったことがあり、仲がいい。
主に俺を小馬鹿にする方向で。
俺もムキになって入ろうとすると、杏奈に引きずり出された。
「なんだよ!」
「麗しくない」
そういう杏奈は、所属する東京バトミックスのユニフォームを着ている。
「杏奈たちも何かするのか?」
「サッカー部で、フリーキック対決があるの。相手はガチのプロだよ?」
「おお、楽しそうだな」
俺も何度か杏奈の試合を見に行ったが、女子サッカーは体力の無さをパスでつないでいくから、見ていて面白い。
「一馬も頑張ってね」
杏奈がVサインをする。
「見とけよ」
俺もダブルピースで返した。
見るとお母さんが微笑んでいる。
「元気そうね」
なんかお母さんの顔を見るのは久しぶりで、ほんの少し泣きそうになる。
家を離れて一ヶ月しか経ってないのに。
「太った?」
お母さんは笑う。
「筋肉かな」
俺はふわふわのマフラーをどかして腕を見せた。
龍蘭には専用のトレーニングルームがあり、自由に使える。
俺は休み時間に通い、腹筋していた。
腹筋楽しい。
筋肉は裏切らない。
「いいじゃない、格好いいわ。……元気でやってる? 勉強は? レッスンは? 楽しめてる? 寮は?」
お母さんは俺を質問攻めにする。
まるで俺がいつも真琴をしているように。
「大丈夫だよ、元気でやってる」
俺は涙を飲み込んで言う。
あんなに出たかった家だけど、出たら出たで、ほんの少しセンチメタルだ。
ホールの外で最終練習をしていると、後ろから声をかけられた。
「こんにちわ」
聞いたことのない、高くて美しい声。
振向くと、全く知らない女の人がいた。
年齢は40台中盤? いや、前半?
髪の毛はロングヘアで、くるくるに巻かれていて、まつげが不自然に長い。
それに真っ赤な口紅……そしてこの匂い! 香水?
花と石鹸とおばあちゃんの家を匂いを足して割ったような……複雑すぎて言葉もない。
そしてピンヒールの高さ、なんだ、劇団四季のライオンキングに出てるキリンみたいだぞ。
こう何かツターンツターン砂漠を歩きそうだぞ。
「お母さん」
真琴が言う。
えーーーー、俺は心の中で叫ぶ。
この人が真琴のお母さん?!
「真琴、お父さん見なかった?」
「……見てないけど」
「そうか、じゃあ別の場所かな」
真琴のお母さんは、ホールに入って行った。
……え? 一ヶ月ぶりの再会なのに、もう終了?
「なんかあっさりしたお母さんだね……」
俺は後ろ姿を見ながら言った。
「あの人はお父さんにしか興味ないから」
「えー? 結婚して数十年だろ、すごいなソレ。ラブラブ夫婦じゃん」
「ああ、うちは愛人だから、結婚してない」
「話が重ーーーい」
俺は柔軟しながら潰れた。
「あはは、だろ? だから全然話してないんだ、誰にも」
誰にも。
でも俺には話してくれた。
そんなことが嬉しい。
真琴は本当に徹底した秘密主義者だ。
「結婚してないから、ずっと好きでいられるのかね」
俺は肘を地面に付けたままいう。
「好きとかじゃないね、あれは。もう執着だ。お父さんがいないと金銭的にも終わるから」
「へー……」
愛人ってことは、生活費とか貰ってる感じなのかな。
学校を休んでみる昼ドラにしか愛人なんて出てこないし、俺が知ってる愛人はドレスを着て本妻に水をかけてるイメージ。
出ていきなさい! 的な。
……古いな。
「元気そうだ」
真琴の後ろに、ダンディーな男の人が立っている。
「お父さん!」
振向いた真琴の表情が一気に明るくなる。
さっきのお母さんの時とは大違いだ。
「来てくれたんだ」
真琴は立ち上がる。
「もちろんだよ。もう楽しみで、宮部も連れてきたよ」
真琴のお父さんの後ろには、女の人が立っている。年齢は30台? 長い髪の毛を一つに縛り上げているが、赤いふちの眼鏡がよく似合っている。
「宮部さん!」
真琴が抱きつく。
おお、こんなに感情を表す真琴は、あんまり見たことがないぞ。
「大丈夫でしたか、真琴さん」
宮部さんが言う。
「元気だよ、大丈夫」
真琴はしがみついたまま言う。
俺は床に正座したまま、見学した。
「紹介します。同じ部屋の高東一馬。事務所も同じで、ずっと仲良しなんだ」
真琴が言うので、俺は慌てて立ち上がった。
「よろしくお願いします」
真琴のお父さんはスッと俺に近づいて、俺の手を両手で包んだ。
その手は分厚くてゴツゴツしてて大きくて、温かい。
手を握るだけで、この人が【ちゃんとした人】だと分かる。
「真琴をよろしくお願いします」
「はい」
俺は頷いた。
「早速悪いけど、お母さんが探してたよ」
真琴が後ろから言う。
俺の目の前にいる真琴のお父さんの表情が一気にくもる。
くもると言うか、ゆがんだ。
その表情変化が子供みたいで、俺は思わず笑う。
「笑い事じゃないんだよ? あーそっかー、居るのかー」
60もすぎた格好いい大人の男が、しょんぼりとした表情になる。
「お父さん目当てに決まってるだろ」
「仕方ないなあ……」
真琴のお父さんと宮部さんは、真琴に手をふりながらホールに消えていった。
真琴もニコニコの笑顔で見送る。
「……珍しいじゃん、真琴が誰かに抱きつくの、はじめて見たよ」
「腹違いのお姉ちゃんなんだ。すごく好き」
おお、本当に昼ドラっぽいぞ!
「ちなみに腹違いの姉兄弟妹は、10人以上居る」
「テレビクルーさん、ここでーす! ここに大家族がいまーす!」
俺はふざけて叫ぶ。
「家族? いや、全員腹違いだから」
「アカーン、話が重たいでーーす!」
「その中でも最弱なのは、俺のお母さんだ。本当にお父さんの融資だけで生きてる」
真琴はポツリと言う。
「だから僕は、どうしても職をつけたい。何かでずっと生きていける人間になりたい。……女は弱い」
俯いたまま言い切る真琴。
「女は弱いから嫌いだ」
真っ直ぐに動かない瞳に、違和感さえ感じる。
「……俺の周りの女は違うけどなあ」
俺はポツリと言って、再び柔軟を始めた。
視界の奥に、杏奈が見える。
杏奈はボールをひたすらリフティングしている。
頭から肩から胸から足から頭へ。
「杏奈を見ろよ、あいつ小学校の時からサッカーやってて、たぶん一生サッカーで生きていくぞ。弱くねーだろ」
真琴も俺の視線を追って、杏奈を見る。
「てか、すごくない? ボールがくるくると」
「小学校の時から、ずーーっとやってる。学校通うとき、ずっと蹴ってた。俺は1,000回以上ボールをぶつけられている」
「色々とすごいな」
「俺のお母さんもな。あれで合気道の有段者だ」
「マジか」
「すげーー強いぞ。ついでに日舞の師範でもある。弟子は20人以上」
「勝てる気がしない」
「だから親父はずっとギターを弾いてる」
「あはは」
「女だから弱いんじゃない。真琴のお母さんが弱いだけだろ」
「……そうかもな」
「弱いって意味じゃ、俺もコンサートを前に緊張してるから。男だけど弱いだろ」
「まあ、僕だって緊張してるよ」
「そういう意味じゃ、誰だって弱い」
さっきから緊張して、少し胃が痛い。
胃も筋トレで鍛えられればいいのに。
筋肉ムキムキの胃。
想像すると可愛いな。
「……そうだな。ほんと、そうだ」
真琴は立ち上がった。
「おーーーい、杏奈さーーん!」
そしてリフティングしてる杏奈を呼んだ。
「え? 何? 私?」
杏奈はリフティングをドリブルに変えて近づいて来た。
「僕と写真を撮りませんか?」
「え? 突然何? ユニフォームだけど、いいの? スポンサーは雛あられの松本だけど、いいの?」
「今、撮りたい気持ちなんです」
真琴が微笑む。
「ホント? 皆がこっち睨んでる~、でも嬉しい~」
杏奈は短い髪の毛を手でなでつけた。
「何一つ変わってねーぞ」
俺は思わず突っ込む。
「うるさい鉄棒筋肉」
真琴と杏奈は楽しそうに写真を撮っていた。
俺は真琴のことがほんの少し知れて、満足だった。
コンサートが始まった。
ホールの観客は、今での入場記録を塗り替えて1万人。
学校で無料で行われるコンサートでは、異例の人数だ。
蒔田先輩は、当然紫色の衣装を着てワイヤーで空を舞い、作詞作曲湊元先輩の歌は濃すぎて泣けた。
二年生のダンスは一糸乱れず美しくて、サッカー部のPK対決で杏奈はゴールを決めた。
「おおおお! すごい!!」
それをみた真琴は出番直前なのに大興奮で、真琴と杏奈というラインがあるのか?! と俺は少しワクワクした。
杏奈に彼氏が居たという話は聞いたことがないけど、真琴が相手なら最高だろうなあ。
一番売れ線は潤だけど、潤はすでにファンクラブが出来てるからなあ。
……あれ、俺、お見合いババアみたいになってる?
杏奈ちゃんには真琴くんがオススメですよー、ほんと良い人でー、後は若い人だけでどうぞー。
……俺も若いぞ。
妄想に自分でつっこみを入れる。
コンサートは入り口でうちわが渡されている。
それはすべてBluetoothで制御されていて、曲や状況にあわせて色を変える。
昼過ぎから始まったコンサートは夕暮れを向かえて、うちわの光が美しい。
スマホ連動もしていて、アーバン限定で人気投票もあった。
こういった企画はすべて龍蘭の部員200人を越えるコンサート部が仕切っていて、アイデアを試す場所になっているのだろう。
ミニゲームや、スマホでの書き込みが舞台上のスクリーンに流れるなど、斬新な企画が多くて面白かった。
俺たちもダンスも、今できる全ての力を注いだ。
「上手にやらないと、倒れるわけにいかないから」
狡く笑っていた真琴は、どっからどうみてもアクセル全開で踊り、完全に潤を喰っていた。
もう俺はそれが嬉しくて。
真琴が俺の隣で、全力で踊ってる。
飛んで横を見たら、真琴も俺を見ていて、一緒に笑った。
龍蘭に入って一番きもちいい瞬間だった。
踊り終わり、裏にはけたときに、真琴は苦しそうに胸を押さえていたが、なんとか踊りきった。
俺たちは床に座り込んだ。
俺たちだけじゃない、他の一年生すべて、床に座り込んでいた。
みんな肩で息をしている。
「……ヤバ、倒れたら運んで」
真琴が俺の肩に頭を乗せてくる。
「俺も倒れたら運んで」
俺も真琴の頭に、頭を乗せた。
「死ぬーー」
俺たちの膝の上に潤が乗ってくる。
「重てえええ……邪魔じゃー……」
「もう無理ーー」
俺たちは全力で疲れて、でも本当に最高だった。