Gender-keep
「失礼します」
保健室のドアの前で声をかける。
「はい、高東くんね」
ドアが開いて保険医さんが顔を出す。
眼鏡に刈り上げられた髪の毛。
保険医さんは男性だ。
なんとなく珍しい。
「こっちに寝かせて」
ベッドを指示される。
俺は真琴をベッドに寝かせた。
「熱、はかって」
保険医さんに体温計を渡される。
俺はそれを受け取ったが、真琴の服はTシャツだ。
体温計、上から入れられるか?
下から……?
「僕に触れるな」
そう言った真琴を思い出す。
真琴は、服の下を気にしている。
勝手に触らないほうが、良い気がする。
「……あの、おでこ触ると熱くないので、熱はないかな、と」
「そう? じゃあ大丈夫かな」
保険医さんはカーテンの向こうで言う。
「クラスは……プロパティーか。アーバン?」
「はい、一年生です」
俺は真琴をみたまま言う。
真琴は動かない。
「疲れが出たのかね」
シャッとカーテンが開いて、何かマシンを持った保険医さんが居る。
マシンを真琴の指に巻いて、何か計測している。
「……細い指だな、この子。男の子……だよね?」
保険医さんが言う。
「何言ってるんですか、アーバンは男子専門ですよ」
俺は笑う。
「そうだよな」
保険医さんはじーーっと真琴を見る。
ピピッと音がして、マシンに表示が出る。
「熱もなし、呼吸も血圧も正常。でも脈拍がすごいな」
その時、真琴がす……と目を開いた。
「真琴」
俺は真琴の視界に入るために立ち上がった。
「……一馬……僕は……」
「バク転したあと、倒れたんだよ。昨日みたいに頭をぶつけた?」
「何、昨日も頭ぶったの? ダメだよ、頭をぶつけたら保健室来ないと」
スッ……と保険医さんが伸ばした手を、真琴はスッと止めた。
「……大丈夫です」
「頭はね、何時間も経ってから異常が出ることがあるよ、そのせいじゃないの? 踊ってて倒れたのも」
保険医さんが真面目な顔で言う。
「……違います。理由は、なんとなく分かってます。大丈夫です」
真琴がうつむいたまま言う。
理由が、なんとなく分かっている?
脳裏にTシャツの下のモノを思い出す。
やっぱりアレが苦しいんじゃ……?
「少し横になってて良いですか。それで治ります」
「いいけど。気持ち悪くなったりしたら、すぐに言ってね」
保険医さんはベッドの空間から出て行った。
真琴はふー……と息を吐いて目を閉じた。
「……大丈夫かよ」
俺はベッドに頬杖を付く。
「ごめん。大丈夫だよ」
そういう顔色は青白くて、俺は心配で仕方ない。
「……病気が、関係あるのか?」
「そうだね、そうだと思う。やっぱり、アクセル全開で踊れないのかもな」
踊れない。
俺はその言葉に思考が止まる。
「……何言ってるんだよ、真琴」
真琴が踊れない?
そんなの龍蘭での楽しみは半分以下だ。
「真琴と踊れないなんて、つまんねーよ……」
「僕だってそうだけど……前とは違うんだ」
「なんだよそれ……」
俺は言葉を失う。
そんなのありかよ。
「なあ、聞かせてくれよ、どんな病気なんだよ、踊れなくなるような?」
「……言えない」
真琴は目を閉じた。
もう何も聞くな。
そう聞こえた。
30分ほど横になると真琴の顔色は元も戻り、一緒に教室に戻った。
でも俺は真琴がまた倒れるんじゃないかと、ずっと落ち着かなかった。
あげく背中にイヤな汗をたっぷりかいてしまった。
「俺、飯の前に先にシャワーあびていい?」
俺はタオルとパンツとTシャツを持って、ユニットバスに入った。
トイレ横の入れ物に、どんどん服を投げ込む。
練習で着た服に、制服のワイシャツ。洗い物がたまっていく。
もう洗濯しないとなあ。これだけは本当に面倒だ。
洗面所の鏡の下。
何かが置いたままになっている。
なんてこれ……?
手に取ると分かった。
真琴が毎日2回飲んでいる薬だ。
……【小早川製薬】……?
その瞬間ドアが開いて、真琴が入ってきた。
「ごめん、薬置きっぱなしだった!」
真琴は俺が手に持っていた薬を奪った。
「……見た?」
真琴は俺を真っ直ぐに見ていう。
「小早川製薬? 聞いたことない会社だな」
俺は素直に言った。
「……まあな」
真琴は出て行った。
製薬会社の名前なんて全く詳しくないけど、真琴がいつも倒れるのにあの薬は関係しているのだろうか。
俺は気になって、シャワーを浴びたあとにベッドに転がり、スマホで検索してみた。
小早川製薬、と。
ずらずらと情報が出てくる。
小早川製薬は、比較的新しい製薬会社で、アメリカの特許薬を日本で使用するために設立された。
社長は小早川奏。
写真を見ると50才くらいの女の人……?
ショートカットで、キレイな女の人だなあ。
名前を調べると情報が出てきて、性転換病者で、既婚、子供あり。
「性転換病?!」
なんだそりゃ。
俺はそれをクリックする。
思春期の少年がなる奇病。
「なんだそりゃー……」
真琴がシャワーを浴びていて、水音が響く部屋の中で俺は呟いた。
どんな薬を作ってるんだ?
興味本位で見ると、基本的に1種類の薬しかないようだった。
その名前……
【Gender-keep】
直訳すると、性を……保つ?
俺はスマホの電源を落とした。
手が震えている。
そのままベッドのカーテンを閉めた。
ガタンとユニットバスの扉が開く音がする。
俺は布団をガバッとかぶる。
暑い。クソ暑い。
でも暑いじゃなくて、俺の脳みそがオーバーヒートして、熱いんだ。
「……あれ、一馬、布団? 眠いの?」
真琴の声がする。
「あ、ああ、食事まで、ちょっと寝るわ」
俺はなんとか答えた。
「初日だから疲れたな、僕も眠いよ」
真琴がドライヤーをかける音が響く。
俺は布団を頭までかぶって、スマホの画面を見つめた。
調べないほうが良かった。
俺はきっと、知らない方がいいことを、知った。
もうやめよう。
俺は履歴を消したが、小早川製薬の名前は頭にこびりついて離れない。
浮気を疑ってスマホをみた新妻の気持ちだ。
止めときゃ良かったーー!
不必要な想像ばかり俺の頭を駆け巡る。
性を……保つ?
真琴は、性を保つ必要がある状態ってことか?
何だよそれ!
意味が分からない。