消えても消えないモノたち
「うわ、すごい量のラインだよ。わわー、通知すごーい」
真琴は鳴り続けるスマホの通知に笑って、ついに電源を切った。
「俺のほうにも来てる。あ、社長だぞ」
俺はメールを開いた。
浅井社長、俺のメールアドレスなんて知ってるんだ。
「何? 何だって?」
真琴が俺のスマホを覗き込む。
「【今から車を送るから、それに乗れ】って」
「え、僕がどこにいるか知ってるの?」
「外泊届けに書いただろ」
寮は外泊するために届けが必要だ。
「夏休みは二日でお終いか。でも楽しかったから、いいか」
真琴はゴロリと畳に転がった。
俺も隣に転がる。
湿った風が吹き抜ける。
お母さんが買ってきた週刊誌転がっている。
真琴はそれをペラペラめくった。
「病院についてきてたなんて、知らなかったなあー……」
真琴が性転換病で女の子だという報道につけられた写真は、真琴が病院に入る所だった。
「定期検診に行って、なぜそれと性転換病が繋がるんだ」
「場所が悪いね。ここ、研究機関なんだよね、小早川製薬の」
「ああ……」
「治験で結構通ってたからね。小早川製薬がメインで作ってるのは、Gender-keep、だし」
「ジェシー君も派手にやられてるな」
俺は隣のページを見る。
そこには女の子と駅でキスするジェシー君と、男の子と手を繋いで歩くジェシー君が載っていた。
「バイなのか……危なかった」
真琴は頷きながら言う。
「いや、真琴、女の子だし」
「大変だったんだよ、北海道……」
真琴が週刊誌を遠ざけて転がる。
「え、何かされたのか?」
俺はズイと真琴に近づく。
「え、いや……アイスクリーム食べたりするのは、一馬と最初にしたかったなー、なんて」
真琴は唇を尖らせる。
ああ、このまま、このまま時が止まればいい。
この先にある問題の山に、立ち向かいたくない。
このままここで二人で眠っていたい。
俺は本気で思う。
「車来たわよ」
お母さんが現実と共に部屋に入ってきた。
「はい、じゃあ、行きます。残念です、もう一泊したかった」
真琴は冷静に言う。
正直俺のほうが、落ち着かない。
「また来ればいいじゃない。落ち着いたら来たら?」
お母さんは、誰より落ち着いていた。
近所の子供に、また来なさいというテンションで、普通に言った。
「……あは、あはは。そうですね、ええ、そうですね」
真琴は口を押さえて、あは、あは……と笑った。
お母さんは、本当に肝が据わってる。
俺も、しっかりしないと。
お母さんが俺の背中をトンと押す。
「行ってきなさい」
その手に押されて部屋を出た。
階段を下りていくと、入り口すぐに黒い大きな車が止まっていた。
自動でドアが開く。
俺も真琴も、それに乗り込む。
車は龍蘭に向けて動き出した。
「いつかこうなると、ずっと思ってたけど、思ったより平気だな」
真琴は背もたれにもたれた。
「俺はガチガチに緊張している」
「なんで一馬が!」
真琴が笑う。
その笑顔は嘘偽りない、いつもの真琴だ。
俺は暗い車内で、真琴の手に向けて、自分の手を動かす。
真琴がまだ隣にいる実感が欲しかった。
さがしたぬくもりの先、真琴の手の上に、俺の手を置く。
「……本当だ、震えてる」
俺の手は、小さく震えていた。
真琴が手首を返して、俺と指を絡める。
「一馬が居てくれると、心の奥底から信じられるから、きっと僕は大丈夫なんだ。だから……」
真琴は俺の方を見て微笑んだ。
「となりで震えてて?」
俺は苦笑する。
こんな緊急事態で、何でそんなに余裕なんだ。
肩の力が少し抜けた。
車は龍蘭でも、俺たちが入った事が無い、事務所メインの建物に入っていく。
セキュリティーが何個もあり、ガードマンも多く立っている。
事務所棟とは書いてあったけど、ここまでとは……。
俺は寮長になって見た地図を思い出す。
運転手さんがドアを開けて、俺と真琴は中に向かう。
学校と同じような装飾だけど、もっと豪華な造りだ。
でも飾られた賞状や映画のポスターで、ここが事務所だと分かる。
「お連れしました」
運転手さんがドアの前で言う。
「入って」
中から浅井社長の声がする。
開かれたドアの中に、真琴が進む。
俺も入る。
中には浅井社長と城ノ内さんが座っていた。
俺の横で真琴がすう……と息を吸って、大きく吐き出す。
「今回は、ご迷惑をおかけしました」
「心底驚いたわ。座って?」
俺と真琴は社長の机の目の前にある椅子に座った。
「高東くんが一緒ってことは、高東くんは全て知ってるのね?」
「はい。入学してすぐに気が付かれました」
「そう……」
社長は今日もピンクのスーツ姿だ。
手を組んで目を閉じた。
「いつ……発病したの?」
「中三の秋です。突然倒れて、次の朝には、こうなってました」
真琴は胸元の服を引っ張る。
はあ……と社長が大きくため息を吐く。
「あの連絡が取れなくなった時ね……練習に来なくなって……」
「そうです」
そういえば、真琴が浅井社長が家に来たと言っていた。
「真琴くん……真琴さんには、本当に期待してたから、心配になって行ったんだけど……そんな事に。もう体調は良いの?」
「写真とられた場所は研究機関なんです。新薬を使い始めてから、かなり楽になりました」
「性転換? ……そんなことがありえるの……?」
社長は目を閉じた。
社長室に重い沈黙が広がる。
横に居る城ノ内さんが口を開いた。
「もったいない。こんなことにならなかったら、女性ダンサーとして生きる道もあったのに。真琴ほどのダンサーが、もったいない」
吐き捨てるように言う。
俺の横で真琴がグッと俯く。
「僕は、アーバンが好きで、龍蘭に入って、どうしても一馬と一緒に踊りたかったんです。でも今考えると……浅はかでした。本当にすいません」
真琴は大きく頭を下げた。
「こうなった以上、デビューはなし、龍蘭も辞めてもらうしか無いわね」
社長は目を開いて言った。
「分かってます。当たり前だと思います」
「本当に残念だわ……」
社長がうなだれた。
真琴が辞める? 俺も何かが言いたくて口を開くが、完全に部外者だ。
頭を下げて掌を固く握る。
守るなんて言って、結局何も出来なかった。
「浅井と同じだな」
城ノ内さんが口を開く。
「え……?」
俺は顔を上げた。
まさか、浅井社長が性転換病……?
「浅井も、デビュー直前に事故にあって、デビューできなくなったんだ」
浅井社長は目を閉じたまま、口を開いた。
「昔のことよ」
「俺は今でも、あの夜のことを思い出すよ。デビューが決まって、直後の事故を」
「やめて」
浅井社長が言う。
事故のことなんて知らなかった。
公式には知らされてないと思う。
俺たちが知っているのは、浅井さんは社長で、城ノ内さんと小松さんがデビューしたということだけ。
「浅井は俺よりもっとすごいダンサーだった。事故がなかったら、一緒にデビューしてたのにな」
「そんなこと無いわよ……」
「運命は残酷だな。抗えない」
再び社長室が沈黙に包まれる。
はあ……と浅井社長が大きくため息をつく。
「真琴さんのことは……本当に残念だわ。アーバンには、置けない。今更、女子寮に入れないでしょう?」
「辞めるつもりです。本当にご迷惑をおかけして、すいませんでした」
真琴は改めて、深く頭を下げた。
俺と真琴は部屋を出る。
広い廊下は冷たくて、広い。
真琴が龍蘭を、アーバンを、辞める。
ここから居なくなる。
俺は突然のことに理解が出来なくて、ふらふらと歩く。
前を歩く真琴が、居なくなる?
寮に戻ると、一階に皆が居た。
「真琴……マジなの? 本当に辞めるの?」
潤は口元に手を押さえて涙ぐんでいる。
「潤。デビュー目指して頑張れよ」
真琴は潤の肩に手を置いた。
「やたら可愛いと思ったんだ……」
優馬が呟く。
「あら、バレてた?」
真琴は微笑む。
「言わないなんて、淋しいじゃねーか」
湊元先輩はこんな時でもギターを斜めにかけている。
「湊元先輩、映画見てきました。最高でした、剣道。次回作も楽しみにしてます」
「真琴くん……」
蒔田先輩、なんと今日は紫の服を着ていない。
普通のTシャツにGパンだ。
緊急事態なのに、俺はそんなことが気になった。
「蒔田先輩、すいません、デビュー決まったのに……」
「そんな事は関係無い」
蒔田先輩が真琴の手を包む。
「君と踊れて楽しかった、本当に楽しかったよ」
「ありがとうごさいます」
真琴は頭を下げた。
人垣の一番後ろにジェシー君がいる。
「なんだ、女の人だったんですか」
「関係ないんだろ、君は」
真琴はふっと笑った。
「でも、女の子より、男の子のが好きですね、どちらかというと」
「期待にそえなくて、ごめんね」
真琴は両方の掌を広げて、茶化した。
その手をジェシー君が掴む。
「もう一緒に踊れないとか、あり得ないです」
真琴は黙る。
「もう真琴さんのダンスが見られないなんて、あり得ないです」
真琴を囲む人たちは誰も何も言えない。
皆本当にそう思っていた。
俺も含めて、全員が。
寮の部屋に戻る。
真琴は大きな鞄を出して荷物を片付け始めた。
「段ボールある? 寮長」
真琴は俺に向かって言った。
俺は玄関に立ち尽くしたまま動けない。
「一馬」
真琴が近づいてくる。
「イヤだ。真琴が居なくなるなんて、イヤだ」
俺はハッキリと言った。
真琴は俺の頬を両手で包んだ。
その指先はひやりと冷たい。
「とりあえず寮は出るけど、週末には会えるよ。とりあえず本宅帰るかな」
「そうじゃない、そうじゃない……」
俺は真琴の掌を上から包んだ。
小さくて柔らかくて冷たい手。
それを温めるように、俺は包む。
真琴の手。
毎日ここにいた真琴がいなくなる。
それももちろん淋しいけど、何より真琴と踊れない、真琴のダンスが見られないなんて、信じられない。
「これで終わりなのかよ」
「本当に、入学しなければ良かった。ちゃんと女学生としてどこかに入って、ちゃんとダンサー目指せば良かった」
真琴が言う。
違う、そうじゃない。
でも、正しい言葉が見当たらない。
俺たちは、手を握り合ったまま、その場から動けない。
ドンドンドン!
背中のドアが激しくノックされた。
「はい……」
俺は涙目でドアを開く。
そこには大宮先輩と河原先輩……LINKSのメンバーが全員立っていた。
「え……? 大宮先輩……?」
真琴も目の涙を拭きながら、廊下に出た。
三階の通路は、第二寮の生徒で埋まっていた。
廊下の奥まで、すべて生徒が立っている。
「さ、一発はじめようぜ?」
大宮先輩が親指を立てた。
「え?」
真琴も俺も何がなんだか分からない。
二人で顔を見合わせて、ポカンと口を開ける。
大宮先輩は、真琴の手を引いて廊下から連れ出した。
「泣いてる場合じゃねーぞ、クライマックスだ!」
俺の背中を河原先輩が押す。
「さ、行こ!」
河原先輩……というか、LINKSのメンバーに会ったのは俺は初めてだったりするんだけど。
押されるままに寮を出る。
俺たちを寮の生徒たちが囲む。
そして一緒に寮から出て行く。
大宮先輩は真琴の手を引いて、野外ステージに向かった。
龍蘭の玄関近くには、大きな野外ステージがある。
そこは外と龍蘭を繋ぐ広場のような場所で、龍蘭の敷地だが、一般に公開されている場所で、広い公園の扱いになっている。
「あれって……」
ステージの上にはバンドメンバーが見えた。
俺たちが到着すると照明がついて、一気に明るくなった。
「キャーー颯人ーーーー!」
野外ステージの席に、LINKSのファンが溢れている。
「真琴さーーん!!」
「真琴さん、辞めないで!」
「真琴さん!!」
俺は驚いた。
観客席に居るのはLINKSのファンだけ思っていたら、半分以上真琴のファンが押し寄せている。
その数……把握できない。
野外ステージの席はすべて埋まっていて、公園が人で埋まりはじめていた。
ステージ以外が人で囲まれている。
歩道まで人で一杯だ。
「いつの間に……」
俺は舞台に歩きながら言う。
「ブログに書いたんだ。これから真琴の卒業式やるって」
河原先輩がスマホを見せた。
アーバンと、LINKSのブログに、告知が載っていた。
そのアップされた時間……ついさっきなのに!
「真琴、アーロン、踊れるよな」
大宮先輩が真琴を舞台に上に乗せる。
「あ、はい……もちろん」
真琴は舞台の上から観客席を見渡して、なんとなく現状を理解する。
「蒔田、ジェシーも来い!」
一緒に付いてきていた第二寮の集団に向けて、叫ぶ。
「はい!!」
二人が人混みの中から出てきた。
「それから、君も。素敵なラブソングをありがとう」
大宮先輩が俺の方を向く。
「え?! 俺ですか?!」
俺がこのメンバーと一緒に踊れる気がしない。
「僕もいいですか」
気が付くと俺の後ろに潤が立っていた。
「僕も、お願いします」
優馬も立っている。
俺も、僕も、第二寮の皆が声をあげる。
「よし面倒だ、全員あがれ!!」
大宮先輩の号令で、俺たちは舞台に上がった。
野外ステージに大宮先輩の声が響く。
「よっしゃ、真琴の卒業式はじめるぞーーーー!」
大宮先輩がマイクを持って叫ぶ。
完全に歩道まで埋めきった観客から悲鳴が上がる。
よく見ると車道の奥、反対側の歩道まで埋まっている。
時は夕刻。
太陽が落ちてゆく龍蘭の玄関横で、大宮先輩は叫んだ。
「龍蘭のアーバンといえば……アーロン・ザ・チェア。真琴跳べ!」
いつの間にかセンターに立っていた真琴が大きくバク転する。
同時に音楽が鳴り響く。
すげえ生音だ!
後ろから大きな音が響いて、俺は少し感動する。
生音で踊ったことなんて無い。
音で体が震える。
バンドメンバーを見るとLINKSのライブでいつも弾いている人たちだ。
真琴をセンターに、大宮先輩と河原先輩、LINKSのメンバー、蒔田先輩とジェシーくんが踊り出す。
俺は二列目、真琴のすぐ後ろだ。
最近はアーロンを踊っていなかったが、体が覚えてる。
それは龍蘭にいるアーバンの生徒なら、皆そうだ。
俺の横には潤、反対側には優馬。
その後ろには第二寮の皆。
よく観客席を見ると、最前列に杏奈と美波さんが見えた。
ノリノリで手を振っている。
そりゃ女子寮にいるんだもんな、騒ぎを聞きつけたら、一番最初に来られるよな。
すぐ後ろとはいえ、本気の真琴のダンスを近くで見るのは久しぶりだった。
それに大宮先輩、やっぱり上手い!
真琴が動き先で、それを華やかに見せる手助けをしているように見える。
太陽が完全に消えた野外ステージは、熱気と照明で照らされていた。
真琴に合わせて踊る。
それだけが、こんなに嬉しい。
曲が終わって、真琴は床に座り込んだ。
左右にいた大宮先輩と、河原先輩が拍手する。
観客席からも、何も聞こえなくなるほどの拍手が響く。
俺も拍手をする。
何度も、何度も。
「真琴に大きな拍手を!!」
大宮先輩が叫ぶ。
更に大きな拍手が野外ステージを包む。
真琴が丸まったまま、動けない。
トン……と肩を押される。
大宮先輩だ。
俺は、真琴の横に座った。
真琴の肩を掴む。
「龍蘭に入学しないほうが良かったなんて言うなよ。こんなに……こんなに愛されてて」
放心状態だった真琴の表情がクシャクシャに崩れる。
そして目から大粒の涙が流れた。
「真琴がいて、最高に楽しかったぞ」
大宮先輩が言う。
「もう颯人ったら、雑誌みて一秒後にこれ企画したの。早すぎ。でもね、メンバーからも一分後に連絡あったよ?」
河原先輩も横に座る。
「このまま消えるつもり? それを人は勝ち逃げって言うんだよ」
蒔田先輩が言う。
「真琴先輩がいなかったら、僕はここに居ません」
ジェシー君が言う。
真琴の目から涙が流れ続ける。
「さあ、真琴、行ってこい」
舞台の袖に、城ノ内さんが立っていた。
真琴はフラリと立ち上がる。
そして俺の手を掴んで、舞台から走り下りる。
観客の歓声が大きくて、何も聞こえない。
俺たちは事務所棟へ向かった。
「社長、僕はアーバンをやめたくありません」
社長は窓の外を見ていた。
社長室から、野外ステージはよく見える位置にあった。
「メチャクチャな事を言ってるのは、分かってます。でも、どうしてもやめたくない」
社長は動かない。
「僕は諦めたくない、僕は、運命に抗いたい」
社長が振向く。
「ダンサーを諦めたことを、今も後悔してないと言ったら、嘘になる。でも、アーバンには置けない。ここは男子専用の事務所よ。歴史を変えることは出来ない」
「社長……!」
真琴が一歩前に出る。
「【MIBE Dance Competition】知ってるわね」
「え……?」
MIBE Dance Competition……アメリカで一番権威あるダンスコンテストだ。
「優勝しなさい。部門は問いません」
あれはダンスで世界一を競うコンテストで、日本人の優勝者は、50年の歴史で一人も居ないはず。
さすがにそれは……俺は真琴を見る。
「わかりました。優勝します」
真琴は、おかわり頂きますレベル、平然と答えた。
「イロモノになった貴方を、輝かせるたった一つのチャンスは、実力を証明すること」
「優勝します。約束します」
えー……断言できる真琴、強い……。
「アーバンに籍を残したままにします。龍蘭は退学処分とします」
「ありがとうございます」
真琴は頭を下げた。




