体の重みと、心の重み
俺はベッドに飛び込み、完全に伸びていた。
「ダメだ……一歩も動けない……」
真琴はスタスタ歩いて、お風呂に入る準備をしている。
「なあ真琴……そんなに細いのに、どこに入るんだ……?」
「ソバなんて、どれだけでも食べられる」
ケロッとした表情で真琴は言う。
「そんなはず無いウプ……」
口を開くとソバが出てきそうだ。
そもそも神崎くんが、あっさり食べ終えたのが一番の問題だ。
「神崎くんめ……笑顔でごちそうさまでした……が許されるのか?」
「言えるのも強みだよね。一馬は言えないから、そうなるんだ」
「そんなこと言ったって……うぷ……」
本気で気持ち悪い。
俺が半泣きしながらソバを食べていたら湊元先輩が耳元で
「ソバを食べたら食べただけ~寿命が延びるぞコンチクショー」
って変な歌を歌ってた。今になってそれが耳から離れない。
コンチクショー……コンチクチョー……。
「アーロン、久しぶりだ」
真琴が俺の椅子に座って、食堂で渡された紙を見ながら言う。
「審査の時以来、踊ってないわ」
五月のGWに、親や関係者を招いて、一年生の歓迎会がある。
メインは二年生のダンスや歌だが、アーバン所属の一年生全員で、アーロン ザ ムーン という有名なダンスソングを踊ることになっている。
「一般の生徒と、アーバンの生徒が一緒だから、もっとギスギスしてるのかと思ったけど、そんなこと無いんだな」
俺は寝転んだまま言った。
「寮長とか面倒な事を、率先してアーバンの人間がやってるからじゃないか?」
真琴は椅子をキィキィ言わせながら言う。
確かに、それはあるかも知れない。
寮のテンションを決めているのは、蒲田先輩と湊元先輩のように見えた。
「じゃあ、先にシャワー借りるわ」
真琴がパジャマとなにやらガッチリした【何か】を持ってユニットバスに向かう。
「おう」
俺はベッドに転がったまま、手を振った。
ガッチリした【何か】。
……コルセットみたいな、ものだろうか。
昼間に見た真琴の服の中を思い出す。
分厚くて、ジッパーがついていて。
傷って……大丈夫なのかよ。
俺はチラリとユニットバスの方を見る。
ザアア……とシャワーの音が聞こえ始める。
真琴がプールで泳いでいた時の事を思い出す。
綺麗な体してたけど、傷が残ったのかな……。
俺はトレーニングをすればするほど、筋肉がついてしまって、真琴みたいに細く居られない。
最近は筋トレにはまって、やたら体がでかくなってきて、少し悲しい。
アーバンは少年をモチーフにしてる所があって、あまりガッチリした体型の人は居ない。
ダンスは上手くなりたいけど、ガッチリするのは、あまり嬉しくないな。
……傷って、真琴、プールはどうするんだろ。
俺は考えていると眠くなって、そのまま眠ってしまった。
物音で目を覚ますと、もう窓の外は明るくて、ユニットバスの扉が開いている。
中に真琴が立っていて、何か薬を飲んでいる。
「毎日薬を飲む必要がある」
そういえば、言ってたな……。
俺はぼんやりとした頭で、それを思い出していた。
ユニットバスから真琴が出てくる。
俺は寝転がったまま、手をふった。
「おはよ……」
「おはよう。初日からそのままじゃ、さすがにヤバいよ」
俺をみた真琴が、ため息をつく。
確かに。
俺は昨日の服装のまま眠ってしまっていた。
布団は掛けてあるから……きっと真琴だろう。
「布団、ありがと」
俺はモソリと起きた。
「初日だってのに、9時に寝られちゃ暇で仕方ないよ」
真琴はもう制服を着ている。
「ごめん……てか、今何時?」
「6時半。7時には朝ご飯行こうぜ」
「了解」
俺は布団から出てシャワーを浴びた。
この寮にはユニットバスしか無いけど、徒歩3分の第一寮には銭湯レベルの風呂があると聞いた。
大きな風呂に入りたくなったら、行こう。
食堂で軽く朝ご飯を食べて、学校へ向かう。
その距離、徒歩5分。
「懐かしいなあ、俺、小学校も徒歩5分の距離だったんだ」
中学校はその隣にあって、徒歩10分になった。
それだけで遠く感じたのを思い出す。
「僕は小中と、ずっと上り坂で、キツかったなあ」
真琴の家。長く続く上り坂。一人でみた表札が無い家を思い出す。
「……実はさあ、俺、真琴の家まで行ったんだ」
「え? いつ?」
真琴は目をまんまるにして言った。
「真琴と連絡が取れなくなってから。事務所の人に聞いたんだ。心配になって」
「そうなんだ、見た? おんぼろ平屋」
ははっと真琴は笑った。
「あれヤバいな」
「ヤバいだろ。でも縁側があって、近所の野良猫が遊びにきてさ、楽しかったんだ」
「たしかに平屋は便利だよな。俺の団地は五階立てなのに当然階段オンリーで、超キツイ」
「龍蘭来られて良かったな」
真琴がしみじみと言う。
「超思う……」
俺も目を閉じて頷いた。
なんたって、もう学校に到着だ。
この学校は学科で教室がある建物が違う。
俺たちは【プロパティー・クラス】英語のProperty、特殊、特徴……といった言葉を使ったクラスだ。
歌手や役者、プロスポーツ選手など、高校生で昼間に仕事をしている人が所属していて、単位制。
特徴は土日にも授業があり、ネット電話や、動画視聴での単位も認められている事。
アーバン所属は、全員このクラスだ。
他には【育成】(進学を目的にした一般クラス)のクラスがあり、基本的に普通の生徒が通っているが、校舎が違う。
俺たちのプロパティー・クラスの校舎には、入り口にセキュリティーがあり、それは第二寮と同じものだ。
教室に入ると、俺は目眩がした。
生徒が全員、眩しすぎる!!
まず頭身が長い、身長が高い、足が長い!
机に腰掛けてるのに、余裕がある! 俺は机に座ることさえ不可能だぞ。
談笑してるのは、アーバン所属の人間が多いように見える。
アーバンはコンサートやレッスンで何度も顔を合わせてるから、初対面じゃないんだよな。
俺も何人か知ってる顔がある。
チラチラと手を振る人……神崎くんだ。
全く。神崎くんのせいで俺は腹一杯で初日から倒れたんだ。
あとで一言言ってやる。
「かーずーま!」
名前を呼ばれて振向くと、幼馴染みの南 杏奈が居た。
「……お前、本当にここ入ったのかよ」
「遠征多くて、ここしか無理なんだよー」
杏奈は女子サッカーの選手だ。
毎回レギュラーで、日本代表の試合も一度だけ呼ばれた、将来有望? な選手らしい。
「一馬が居て、嬉しいよーー、何かみんなキラキラしてて落ち着かない」
杏奈は俺の肩を掴んでガタガタ揺らす。
「俺はキラキラしてねーのかよーー」
揺らされたまま叫ぶ。
スッと真琴が前に出る。
「はじめまして。僕、市ノ瀬真琴といいます。一馬と同じ部屋です」
杏奈がポイと俺から手を離す。
「同じアーバンの事務所の? 一馬から話は聞いてます。わー……やっぱり、キラキラしてるー……芸能人のオーラ……」
おーい、だから俺も同じアーバン所属だぞーー?
「一馬くんとは、長い付き合いなんですか?」
真琴が聞く。
「長いも何も、生まれた病院から、日にちまで一緒だから」
そうなのだ。
俺と杏奈は同じ浜の山病院で、20××年、1月10日、同じ日に生まれたのだ。
産院で仲良くなった俺のお母さんと、杏奈のお母さんは、俺たちを姉弟のように育てた。
だからアルバムを見ると俺と杏奈が蒙古斑丸出しで写ってる写真まである。
杏奈に負けそうになったら、あの写真を出す。
俺の鉄板だ。
「生まれた日まで一緒なんて……運命ですね」
真琴は言う。
「もうそれね、生まれてから5万回くらい言われた。飽きた」
杏奈は両肩を上げて心底げんなりした表情で言う。
正直同感だ。
付き合いが長すぎて、幼馴染みというより姉弟で、杏奈と妹の梨々花は仲が良い。
俺がアーバンに受かった時は、二人で膝叩いて笑ってた。
「一馬がアイドルって!!」
「違うよ、杏奈お姉ちゃん、鉄棒アイドルだよ」
「きゃはははは!」
もうほっといてくれ……。
チャイムが鳴って、俺たちは机に貼られた名前を探して、席についた。
プロパティー・コースの授業の半分は、普通の現国や数学だけど、多くは【選択】という時間になる。
サッカー選手の杏奈は、基礎体力のためにランニングだったり、俺たちはダンスだったり、音楽だったり。
今日はさっそく【選択】の授業があり、俺たちは歓迎会で踊るアーロンの練習をした。
ダンスのコーチも有名な人で、やはり龍蘭はひと味違う。
コーチが手本を見せて、俺たちも軽く踊り始める。
さっき一度コーチが踊っただけなのに、真琴はもう覚えたようで、鼻歌混じりに体を動かす。
「……やっぱり真琴は別格だわ」
俺は思わず座り込んで見学した。
「練習、どれくらい休んでたの?」
「倒れたのが10月だから……半年くらい? よっと!」
真琴が審査の時のように片手で体を支える。
「衰えねーなー……」
「本当に真琴くん、すごいね」
声に振向くと、神崎くんが微笑んでいた。
「神崎くんよ~~、俺昨日、どう考えても食べ過ぎたんだけど~~」
まだ文句を言って無かった。
「だったら、一馬くんも断ればいいのに。これだから日本育ちは」
「なんだよ、どこ育ちだよ」
「半分以上アメリカかな」
「育っても生まれは日本だろ。俺なんて泉北団地の三号棟育ちだっつーの」
「なんだそれ」
神崎くんはキョトンとした表情で俺を見た。
「あはは、僕も平屋育ちだ」
真琴は笑いながら柔軟を始めた。
「なー、俺たち貧乏だもんなー」
俺も真琴の横で柔軟を始める。
「まあ、このクラスにいて、金持ち貧乏で語るのは面白くない。そう思わない?」
真琴が胸を床にペタリと付けて言う。
「確かに。芸能コース、だもんな」
俺も肘を床に付ける。
俺の体では、ここが限界だ。
「じゃあ、通します」
コーチが言って、音楽が流れる。
この曲は最初からハードテンポでダンスが始まる。
俺は真琴の後ろで踊る。
正直、真琴の動きを参考にしながら、コツを掴みたかったからだ。
ターンのタイミング、腕をあげるタイミング。
合わせて踊るだけで、自分が上達したように感じる。
テンポが更にあがり、汗が噴き出す。
でもここが気持ちいいんだ。
ジャンプから着地して、そのままバク転して前を見ると
真琴が倒れていた。
「市ノ瀬くん?!」
コーチが駆け寄る。
真琴?!
床に転がった真琴の顔は、青白くて、頬に触れると……冷たい?!
「真琴? 大丈夫か?」
「ストップ!」
コーチの声で音楽が止まる。
俺は真っ黒でサラサラな真琴の髪の毛を退かして、オデコに触れる。
熱はない。
昨日もソバを沢山食べていたし、夜も朝も普通だった。
「高東くん同室だよね、保健室、お願いしていい?」
コーチに言われて、俺は頷いた。
そして真琴の肩の下と膝の下に腕を入れて、持ち上げた。
……軽い。
嘘だろ。
嘘みたいに軽い。
俺は動揺していた。
何度も真琴とダンスをして、お互いを上に乗せたことがあるけど、こんなに軽かったか?
それに前にも増して、柔らかくないか……?
「高東くん、大丈夫? ひとりで運べる?」
コーチに聞かれて、俺は無言で頷いて、立ち上がり、教室を出た。
こんなに軽いなんて、他の誰かに知られたら、ダメな気がする。