伸びる影は遠ざかる
「お父さん!」
「真琴、体調はどうだ?」
今日は歓迎会当日。
今年も真琴のお父さんが見に来ている。
去年も高そうなスーツだったけど、今年もビシッと決まっている。
それに比べて俺の親父は……
「去年より人が多くないか? すごいな龍蘭、儲かりまくりだな」
「親父、ジャージで来るのはどうかな」
「これは外出用の高級ジャージだぞ?」
「ジャージはジャージだろ」
俺は親父を睨む。
「これでも靴は変えたんだよ? 裸足にサンダルで来ようとしたのを梨々花が止めたの」
「偉いな、本気で感謝する」
俺は真顔で言った。
ジャージにサンダルって近所のコンビニ扱いじゃないか。
「扇子どう?」
お母さんが手を扇子に見立ててヒラヒラと動かす。
「良い感じ」
俺は答えながら、ポケットから扇子を出した。
実は今年の二年生のダンスに扇子を取り入れた。
先生から「アイデアはないか?」と聞かれたので、扇子、と答えてみた。
扇子は前から面白いアイテムだと思っていた。
表と裏があって、畳むことも開くことも出来る。
タイミングを合わせて一気に動けば、素晴らしい絵になるのではないか。
それは大正解だったらしく、二年生50人が一斉に扇子を裏返すと、絵的に見事だった。
もちろん一瞬でもタイミングを間違えると悲惨なことになるし、タイミングを外した犯人がすぐに分かる。
なにしろ片方が赤色で、片方が黒だ。
「シビアなダンスね。楽しみにしてる」
お母さんも俺たちと同じ扇子を取り出してパタパタと扇いだ。
扇子を発注したのはお母さんだ。
オリジナルの扇子業者を知らないかと聞かれてお母さんに聞いたら一時間で返信が来た。
仕事が出来る人の返事はマジで早い。
少しデザイン違いを個人で売る契約まで取り付けてきた。
来年も正月に旨い肉が食べられそうだ。
「見てて。がんばるから」
俺は扇子をしまってハチマキをキツく縛った。
長さ50cm以上あるハチマキが風で揺れた。
服装こそ普通だが、今年はハチマキにこだわった。
ダンスと共に舞う紐が、静と動を表すのではないかと提案してみた。
それを面白がってくれた振り付け師とトップの真琴が、完璧なソロダンスを生み出した。
演出上、真琴だけハチマキの色が違う。
見事な純白、どこまでも続く白い潔白の世界だ。
「一馬、お父さんが挨拶したいって」
真琴が白いハチマキをヒラヒラさせながら来た。
「お世話になってるようで。ありがとうございます」
真琴のお父さんは礼儀正しく頭を下げた。
「こちらこそ」
前に会った時より、なんだか緊張する。
前会ったときは、ただの同室だったけど、今は少し……だいぶ違う。
俺は頭を深く下げた。
遅れて黒いハチマキが落ちてくる。
「扇子もハチマキも一馬くんのアイデアなんだって? 楽しみにしてるよ!」
その声に俺は顔をあげた。
「真琴のダンスは最高です、楽しみにしててください」
真っ正面にある真琴のお父さんの表情がクシャリと崩れる。
高そうなスーツを着ている大人の男がこんな子供のような表情を……ああ、でもどこか真琴に似てるな……と思う。
「一馬くんのおかげだ、本当にありがとう」
真っ直ぐに感謝を伝えられて、俺は少しドキリとしてしまう。
大人になった真琴に会ったような……いや、真琴は女の子なんだから、もっと可愛いおばさんになるのかな。
おばさんの真琴。
それも見たいすら、俺は思う。
「あらー、真琴くんのお父様! この前は素晴らしいものを、わざわざすいませんでした」
お母さんが近寄ってきて言う。
え? 素晴らしいもの?
「つまらないものですが、お正月にお世話になったそうで」
「何言ってるんですかー、真琴さんが来て下さって、本当に楽しく正月を迎えられました」
真琴のお父さんと、俺のお母さんが談笑している。
なんだかよく分からないけど、これはこれで幸せな景色だと俺は思った。
みんな仲良し、みんな良い。
軽い音楽が聞こえて、集合を知らせる。
本番が始まる。
二年生の舞台は、真琴のダンスから始まる。
静かな音から始まる舞台。
水面に落ちる水音と共に、真琴が出てくる。
純白の獅子のような毛皮をかぶり、体を完全に隠した状態で舞台の中心に向かう。
正月にお母さんに鍛えられたすり足は、体を全く上下させない。
暗くされた舞台に、真っ直ぐに下ろされたスポットライトが白い獅子だけを包む。
徐々に大きくなる音に合わせて、真琴が体を上体を反らしていく。
そして体を包んでいた白い毛皮を引っ張ると、それは体を包む布になる。
真琴は白い布を頭からかぶっている。
呼吸さえしていないような静止と静寂に、真琴が扇子を開く音だけが響く。
真っ白な衣装に、真っ黒な扇子が広がる。
扇子を持つ腕は、伸ばされたまま、微動だにしない。
舞台の上から、1枚の桜の花びらが落ちてくる。
ひら、ひら、と頼りなく。
それでも正確に真琴の目の前に。
もちろんピンクの紙だが、舞台演出さんにより、濃淡のある紙を使っている。
ゆっくりと落ちて、真琴の目の前に落ちた。
同時に真琴が高く跳ぶ。
真琴を包んでいた布は、多くの紐に変わる。
実は編み込まれた布で、手を離すと一気に広がる素材で作られている。
着地と共に無数の桜の花びらが舞い落ちてきて、空気を切り裂くような爆音が鳴る。
それは動物の雄叫びのような、地鳴りのような大きさで。
同時に真琴が踊り始める。
無限に落ちてくる花びらと共に、真琴の真っ白なハチマキが舞う。
それは風のように、季節のないホールの中に季節を知らせるように。
真琴が踊るたびに、長いハチマキが舞う。
真琴のハチマキは俺たちより、はるかに長い1m50cm。でもそれは一度も床に付かない。
そういう振り付けに、真琴が決めた。
真琴のハチマキだけ、先に少し重りがついているのだ。
その動きは新体操のリボンにも似ている。
体に、腕に、指先に、リボンを巻き付けながら、真琴はダンスを続けた。
暗闇に真琴の白いハチマキと、ピンクの花びらが舞う。
頭から取って、高く投げられたハチマキが地についた時。
俺たちが飛び出すタイミングだ。
センターは潤だ。
誰よりも大きく、格好良く踊る。
優馬はやりすぎだと言っていたけど、俺はありだと思う。
だってセンターなんだし!
リズムに合わせて扇子を動かす。
一瞬でも間違えてはならない。
一糸乱れぬ動きのために、俺たちは一ヶ月練習してきた。
一番前で真琴だけが真っ白な衣装で踊り続ける。
真琴だけ、俺たちとは違うダンスになっている。
真琴が陽なら、俺たちのダンスは影。
どっちが欠けてもなりたたないダンス。
俺たちもハチマキを投げ捨てて、その場に跪く。
50枚のハチマキが舞う中心に真琴が立っている。
その姿は女神に跪く民衆か。
薄く微笑む真琴は、それくらい美しく、気高かった。
そして鳴り響く拍手は止まることを知らぬように響き渡る。
「あー、気持ち良かった。最高に気持ち良かったよ」
舞台裏で、真琴はひとり、ニコニコと高いテンションで言った。
その周辺には他50人の生徒が転がっている。
「神さま……」
「神々しい……御利益ください……」
「神様、疲れました……」
転がったアーバンの生徒たちがずりずりと寄ってくる。
「なんだよ、気持ち悪いな」
真琴は笑いながらあしらう。
俺は座ってペットボトルの水を飲みながら、録画された映像を見る。
扇子の表、裏が動くタイミングをチェックしたり、最近はカメラの切り替えのタイミングも気になる。
うん、今年舞台監督になった萩本さんも良い仕事してるなあ。
頷きながら録画を見る。
「どっかの監督みたい」
横に立った真琴が言う。
「ガタイの良い監督だなあ」
転がったままの潤が言う。
「監督ー、ハチマキのアイデアのせいで疲れましたー」
疲れましたー、疲れましたーと声が上がるが完全に無視だ。
演者が一定のクオリティーがあると、演出という仕事は本当に面白いな。
俺は再び録画データを見はじめた。
なにより、俺が脳内に描いたよりも、真琴の姿は美しい。
いつも真琴だけは、俺の想像をこえてくる。
最近はそれが快感になってきた。
ああ、きっと城ノ内さんも、だから真琴に振り付けをしたがるのだろう。
「一年のアーロン始まるぞ」
その声に俺たちは舞台裏を出る。
アーロン・ザ・チェアは、アーバンの中では基本中の基本のダンスだ。
基本のダンスが入っていて、それでいてアレンジが無限にできる曲で、人によってはチェア=椅子を持ち込んで踊ることもある。
幅のある曲だが、一年生が踊る時は、基本のダンスだと聞いていた。
でもジェシー君が言うには、今年は違う、って?
「さて、お手並み拝見だな」
潤は三階の関係者席に座りながら言った。
このホールは龍蘭最大で、三階まで入ると二万人収容の、巨大ホールだ。
去年一万人の入場者で、過去最大と言われたけど、今年は一万五千人を越えたらしい。
毎年膨れあがり、去年は関係者席が二階にあったのに、今年は三階だ。
「遠いな」
首にタオルをかけた優馬も言う。
「本当にお客さんの数が多いなあ」
真琴も俺の隣に座った。
「多いなあって、さっきあの花道の中心で踊ってただろ」
俺は半分笑いながら言う。
「そうなんだけど。踊ってるときは別人なのかな。僕が僕を見てる。すごく冷静に。だから周りは見えてないんだよね」
それってすごい才能なんじゃないか。
俺が言おうとすると、ホールが完全に暗転したので、黙った。
ダン……と大きな音が鳴り始める。
「変えてるね」
真琴が小さな声で呟く。
俺も無言で頷く。
アーロンの曲はこうじゃない。
曲もリミックスされてるのか?
舞台ではなく、花道の真ん中にスポットライトが落ちる。
そこに真っ赤な衣装を着たジェシー君が立っている。
ここまで完全にソロ扱いなんて、四月に入学したばかりの一年生に、ありえない対応だ。
ゆっくり上げた腕を完全に静止させる。
上からヒラヒラとリボンが下りてくる。
それをジェシー君が掴む。
するとホールの照明が一気に変わる。
ジェシー君が一気にバク転し始める。
花道は細く、長い。
なにより速度がはやい!
その速度でいくと、舞台に完全にぶつかるような速さでバク転して、空中で高く一回転。
一気に何事もなかったかのように止まった。
音楽が消えているのに、靴がキュッとも鳴らない。
まるで体重を感じない。
そしてまっすぐ糸で操られたように、止まり、操り人形のように動き出す。
「この動き……城ノ内さんだ」
俺の隣で真っ直ぐに舞台を見ていた真琴が呟く。
え? 一年生のアーロンを、城ノ内さんが振り付けしたっていうのか?
本当に糸で操られているかのように踊るジェシー君の髪の毛は、当然金髪で、それがまた怖さを感じさせる。
表情もいつものジェシー君とは違い、完全に無表情で、釣られたピエロのようだ。
やがて糸で引っ張られるように赤い服が脱がされて、真っ黒な衣装に包まれたジェシー君になる。
完全に静寂を、爆音が破る。
そして他の一年生も出てきて、一緒にダンスを始めた。
ここからは完全にいつも通りのアーロンだ。
でも、やはりジェシー君のダンスが一番目立つ。
目立つと言っても、他の一年生とは全く違う。
そうだ、あのダンスは……
「僕と同じタイプだね、彼は」
真琴は小さな声で言う。
そうだ、真琴と同じ、全く主張がない、お手本通りの美しさ。
体のブレや、静止など、まだまだ甘い点は多いけれど、他の生徒とは違う。
間違いなく真琴タイプだ。
「意外だね。もっと格好つけてくるかと思ったのに」
優馬が言う。
本当に、あれほど押しが強くて我が物顔なのに、真琴と同じタイプだなんて。
それにダンスを始めて二年とはとても思えない堂々としたダンスで、誰よりも上手い。
真琴をずっとみてきた俺にも、それは分かる。
真琴は、動かない。
ずっと舞台を見つめている。
二年生にも負けない大きな拍手に包まれて、一年生のアーロンは終わった。
歓迎会が終わり、俺と真琴はダンスレッスン室でストレッチを始めた。
真琴はあんなにダンスが上手いのに、俺より体が硬い。
「うー……、一馬は筋肉詰まってるのに、どうしてそんなに体が柔らかいの?」
真琴は体を倒しながら言う。
「柔らかい筋肉の付け方があるんだ」
「僕も結構がんばってるんだけどなあ……」
真琴は上半身を倒そうとするが、あまり届かない。
反動をつけて倒そうとするのを、俺は止めた。
「やめろ、無理にやるな」
「うーん……痛い」
「柔らかさだけが必要なんじゃない。バランスが何より大事だ」
俺は足を180度開脚する。
なぜか足先が上に上がる。
「なにそれ?! バレエダンサーみたいだよ」
「昔バレエの先生にもスカウトされたが、昔から体が大きくてな」
「うん……王子キャラじゃないね……群舞でも……目立つね……」
真琴は目を細めていう。
「だから丁重にお断りしたが、たまにレッスンを受けてたぞ? ほら、シェネ」
俺は立ち上がってポーズを取る。
「ヤバいくらい完璧なんだけど。そしてゴメン、本当に面白い……」
真琴は床に転がって笑い始める。
俺は体操歴が長いのもあり、バレエも少しかじっている。
「シェネからの……ピルエット。黒鳥なら、ちょっと出来るぞ?」
「待って一馬、それ番組でやりなよ!」
真琴が踊る俺を見て言う。
そうか、これも使えそうか?
「いいなあ、一馬といると、本当に暇しないよ」
「ただの筋肉と体操好きだ」
俺は動きを止めて言った。
「ねえ、今度また、さ、一馬の家行って、一緒に出掛けない?」
真琴は窓際に立って言う。
「おう、いいぞ。どこにいく?」
俺は気楽に言う。
真琴となら、行きたい場所は沢山ある。
「一馬が決めてよ。僕も、ちょっと、良い格好して、いい?」
良い格好……まさか……。
「デート……的な……」
俺が言うと真琴が目を反らしながら言う。
「デート的、な?」
目を反らしたが、口元が緩んでいて、俺は姿に飛びつきそうになる。
そして一気に正月に手を繋いだ時の事を思い出す。
真琴が俺の方を向く。
「今回のダンスも一馬のアイデアが沢山入ってて、すごく楽しかった。一馬、演出のほうに才能あるよ! 見直しちゃった」
そう言って真琴はニッコリ微笑んだ。
「見直したのは、俺のほうだ。本当にダンス良かったよ」
「良かった、嬉しい」
小さく八重歯が見えて、俺は我慢できなくなる。
一歩前に出る。
「真琴だから、真琴が踊るなら、こうだろうって、浮かんだんだ」
「そうか、センターで良かった」
真琴、俺は……
手を伸ばした瞬間に、ダンスレッスン室のドアが開いた。
「真琴先輩、見つけた!!」
またジェシーか!
もう君をつけてやらないぞ!!
「ジェシー君」
真琴の反応は、俺が思うより素直だった。
「どうでしたか。アーロン。感想を聞きたかったんですけど、取材さんに囲まれてしまって」
「僕もそうだったよ」
真琴は俺の前から一歩離れた。
俺の目の前にいた、真琴が影を残して、消える。
「あの人たち、何でも聞くよね」
「俺の金髪、そんなに珍しいですかね、アメリカには金髪しかいませんが」
「あはは、ここは日本だし、アーバンに金髪はジェシー君しか居ないよ」
「写真も何枚撮れば気が済むんでしょうか」
「撮るのが仕事だから、我慢して。センターだろ」
なんだよ真琴だって、撮影されるのがイヤで、あんなに色々あったのに……!
話し始めた二人を、俺は窓際で一人で見る。
俺の隣には、真琴の影しか無い。
ジェシー君が、スッと真琴に向かって手を伸ばす。
「真琴先輩、改めてお願いします。俺と一緒にアーロン踊って貰えませんか?」
ジェシー君が言う。
「いいよ。踊ろう」
真琴は即答して、その手を握った。
「やったーーーー!」
ジェシー君が叫ぶ。
真琴が俺のほうを振向く。
「ねえ一馬、この部屋ってアーロンかけられる?」
「あ…………ああ」
俺はかろうじて答える。
そして音楽ブースに入って、ダンスレッスン室にアーロンをかける。
真琴が俺に両手でオッケーマークを作って見せる。
夕日が差し込むダンスレッスン室で、二人がアーロンを踊り出す。
二人はお互いを一瞬見て、同時に動き出す。
二人の体格はよく似ている。
だからこそ、完全にシンクロしている。
でも真琴が華やかさと正確さでは、完全に上だ。
ジェシー君は、真琴についていく形で、でも独自の美しさを持っている。
それをみた真琴が、更に華やかさを増す。
二人は似ていて、全く違うんだ。
ジェシー君は光。
真琴は実は、影。
でも影が強いからこそ、光が増す。
ああ、浅井社長も、城ノ内さんも、これを見込んで、ジェシー君を入れたんだ。
俺は確信した。
そしてナンバーワンを取った二人は、LINKSのツアーと取材旅行のために、北海道に旅立った。
俺に長い影と、美しいダンスと、二人で出掛ける約束を残して。




