未来以外、見ない
「今日は水曜日か……寮でおにぎり作ってこようかな」
真琴はスマホをいじりながら言った。
「晩ご飯も取っておこうか? 何がいい?」
俺は教科書を片付けながら言う。
「フライ系がいいなあ。温めて美味しいから」
「一馬はお母さんだね」
潤が俺たちが話していた席に来る。
「毎週ご飯準備してるもんね。あ、今日僕、延々ときんぴら作るけど、持っていく?」
後ろに立った優馬が言う。
「え……この前番組で切った野菜、そのために……?」
真琴が苦笑しながら言う。
「冷凍したんだよ。人参もゴボウも。今日炒めるよ、15分」
「番組名は、炒めの優馬か?」
俺は茶化す。
「きんぴらの優馬だよ」
優馬は自信満々に言う。
「もらう、もらうよ、そのきんぴら」
真琴は優馬に向かって手を差し出す。
「塩味と醤油味つくるから、両方持って行くね」
「楽しみにしてる!!」
真琴は優馬はガッチリと握手した。
その視界、ぬっと手が伸びて、机に上に置かれた真琴のスマホが掴まれた。
「真琴先輩のスマホって、赤なんですね」
そこにはジェシー君が立っていた。
「おおっと、どうしたの?」
真琴はその手からスマホを奪って驚く。
「移動教室です。廊下から真琴先輩が見えたので」
ジェシー君はにっこりと微笑んだ。
「やだ可愛いー、金髪だー」
窓際に立っていた女の子たちがざわめく。
「ジェシー、勝手に入るな! すいません本当に!!」
廊下から岡田くんが叫んでいる。
「俺のスマホも同じのにします。まだ買って無くて! では!」
bye! とまた右手の指二本を揺らしてジェシー君は教室を出て行った。
窓際に立っていた女の子たちにウインクしながら。
ジェシー君が移動すると、教室の中から軽い悲鳴が上がる。
「王子様役ならすぐに出来そうだな」
潤が言う。
「オーラで蒔田先輩に勝てないね」
真琴が断言する。
「蒔田先輩、練習で会ってるのか?」
先輩達は第三寮に移動してしまい、正直俺は寂しかった。
騒がしい湊元先輩も、紫色の蒔田先輩も、居た時は疎ましく感じたけれど、居ないと寂しいものだ。
「蒔田先輩は城ノ内さんのレッスン時だけ会うよ。今日も楽しみだー!」
超ハードで帰ってきたら即倒れるようなハードな練習を楽しみと言えるなんて、カッコイイと俺は思ってしまう。
「よし、カメラ回ります!」
「よろしくお願いします」
なぜなら、俺は先日から始まった腕相撲100本勝負の最中なんだけど、正直かなりキツい。
20人までなら笑顔でこなせるけど、やはり30人越えると俺の腕もピクピクしてくる。
なにより机についている肘が痛い。
これを楽しいとは、やはり言えない。
だから無表情でもくもくと倒していくのだが、演出さん曰く、それが面白いらしい。
もう良く分からないから、何でもいい……。
「おおっーっと、今日も19人を軽々と倒した一馬横綱の、本日最後の敵は、一年生一番人気の松村ジェシー君だ!」
「よろしくお願いします」
「お、おお。よろしく」
一年生も出るのか。
そうだよな、顔を売るのが仕事なんだから、一年生も積極的に出すべきだよな。
手を組むと、ジェシー君が小さな声で言った。
「俺、絶対人気投票で一位取って、真琴先輩と北海道行きます」
「えっ?!」
俺は顔を上げた。
そういえば、夏にLINKSと北海道に行くのは1.2.3年のトップ一人。
一年生は人気投票で一位が当然選ばれるだろう。
「だから腕相撲でも負けたくないです」
俺が何か言うより早く、司会者がかけ声をかけた。
「よーい。スタート!!」
グッとジェシー君が力を入れる。
ジェシー君は身長こそ高いが、体の線は真琴並に細くて、あまり力があるようには見えないが……今日一番の重さだ。
腕ごと、一気に持って行かれる。
力があるんじゃない、体の使い方が美味いんだな。
足を使って上手に体重を乗せている。
今日一番最後の勝負だから……手がかなり疲れている。
肘が痛い。
手も痺れてる……。
ジェシー君が俺に一歩近づいて小さな声で言う。
「真琴先輩って、付き合ってる人、いるんですか?」
「えっ?!」
驚いて力が抜けた瞬間に、一気に持って行かれそうになる。
ジェシー君が体重をかけてくる。
「おおっと!! 人は見かけによらない! ジェシー君大健闘だ!!」
司会者が叫ぶ。
「彼女がいないなら、立候補したいなあ」
……ふざけるな!
俺は力が抜けかけていた指先に、再び力を集中させた。
一気に腕をひっくり返し、机に叩きつけた。
「Oh my god!! くっそ……」
ジェシー君はその場にひっくり返った。
正直俺も疲れた。
ドスンと音を立てて椅子に座った。
「おおお、一馬くん、本日も20人抜き成功!!」
司会者が踊る後ろで、俺はジェシー君を見た。
言ってやりたい。
真琴は俺の……恋……いや……同室……幼馴染み、は違う……やっぱり、恋する相手……。
言えるわけがない。
その前にお前ホモか?! と言いたいけど、真琴は女の子なので、正確にはそうじゃないし……。
脳内に言葉がグルグル回る。
俺は唇をプルプル震わせて、言葉を選ぶ。
「……アーロン、がんばれよ」
「ありがとうございます!!」
出てきた言葉は応援だった。
何してるんだ俺は……。
「すごい、山盛りだ!!」
「すごくない? 15分炒め続けたら、総菜屋みたいな量が出来たよ。一馬も食べてよ!」
「おお……」
優馬がひたすら炒めたきんぴらは、大きなタッパーに山盛りあった。
「こっちが塩味。こっちが醤油」
真琴が塩味を食べる。
「ん、美味しいよ。赤唐辛子が……あれ、辛い。辛い、辛いなこれ」
「そんなはずないよー」
優馬も一口食べる。
「うん、辛いねこれ」
「油で最初に赤唐辛子炒めすぎたんじゃない? すごい、すごいご飯が進むけど……これは一馬にあげる!!」
「そうだね、一馬食べなよ!!」
渡されたきんぴらを俺は無言で食べる。
辛い……辛いけど……食べられる……。
「ちょっと、一馬大丈夫? ぼんやりしたまま、ずっと食べてるけど?」
真琴が俺の顔を覗き込む。
その細い首も、丸い瞳も、俺は正直可愛くて仕方ない。
「……大丈夫だ」
もくもくと食べ続ける。
「辛くない? 大丈夫なの?」
作った優馬さえ不安げだ。
俺はもくもくと食べ続けた。
ずっと脳裏にジェシー君の言葉が回っている。
俺は、真琴の彼氏、なのかな。
昼休み。
俺はツリーハウスに来ている。
小松さんは散らばっている竹を器用に組み上げていく。
俺はバラバラになっている竹を力仕事でまとめて縛る。
たまにツリーハウスに呼ばれて、小松さんの仕事を手伝っている。
主に力仕事だけど、良い気分転換になって俺は好きだ。
耳を澄ますと、声が聞こえる。
なんだ?
こんな奥地に誰かいるのか?
「……ジェシー君」
「Stop. もうお話禁止だよ?」
ジェシー君と、女の子の声?
「ん、その指やだ」
「なんで? してほしいんでしょ?」
「そうじゃなくて……ん」
「細い腰」
「ジェシー君の手が大きいんだよ?」
「手が大きい人の秘密、知ってる?」
「何? ……やだー……」
「指も、ほら」
おいおいおい、全部聞こえてるぞ!!
俺は膝でスススと移動して、小松さんの所に行った。
「(小松さん!! あの人たちって……!)」
「ああ、二週間くらい前から、たまに来てるよ」
小松さんは全く気にしていない表情で言う。
「(毎回、あの調子なんですか?!)」
「毎回違う子だけど、先週は男の子としてたよ。いやー、最先端は違うねえ」
「えっ?!」
俺は手に持っていた竹の束を落とす。
女の子だけじゃなくて男の子も……?
「(男の子も、あの金髪くんと一緒に?)」
「同じ感じで、キスしたり、何したり、何したり、うん」
「(おおおお……もういいです……)」
俺は手で制した。
「ここは結構多いんだよ。龍蘭の奥地だけど、電気が付いてるし、もっと奥にいくと小さいバンガローもあるんだよね」
「(え? まさかそこで不純異性行為が……!)」
「あははは!! 一馬くん、古いなあ!」
小松さんが大きな声で笑ったので、近くに居たジェシー君と女の子の声が止まった。
「(ちょっと! 盗みぎきしてると思われるじゃないですか)」
俺はなんとなく竹の影に隠れる。
「隠れるべきは、あっちだから大丈夫だよ」
その通り。
二人が遠ざかって行く足音がする。
俺は竹の影に隠れながら思う。
ジェシー君は世に言うバイ、か。
脳裏にあの言葉がよぎる。
「彼女がいないなら、立候補したいなあ」
……相手が男でも女でも関係なかったのか。
同時に思うんだ。
男でも女でも好きなら、あの病気なんて、ジェシー君には関係ないのだろうか。
俺は、女だから真琴を好きになったのかな。
男のままだったら、好きには、きっとならなかった。
それは良いことなのか、悪いことなのか。
「ねえ一馬。これ後ろでジェシー君と何話してるの?」
真琴は部屋に転がって、先日撮った腕相撲番組を見ながら言う。
司会者にカメラは寄っているが、奥で俺とジェシー君が話しているのは、分かる。
俺は手元にあったペットボトルの水を掴んで、一口飲んだ。
真琴には何も言えずにいた。
ジェシー君が真琴のことを気に入っていること。
バンガロー裏でのこと。
なにより……
俺はなんとなく正座して口を開いた。
「真琴はさあ、俺が真琴を……特別だと思うことについて、どう思う?」
「へっ?!」
真琴はうさぎのような速度で振向いた。
「いや、病気になって……俺が真琴を女として……特別だと思うことについて」
「え?! 何、突然」
「俺は、真琴が男のままだったら、好きになったかなあ……と思って」
「……また何か面倒な脳内になってない? 変な本でも読んだ?」
真琴はベッドの下を覗きながら俺の方に向かってきた。
そして俺の目の前に座る。
「あのね、○○だったら、○○ならば……は、言うだけ無駄」
「お……おう」
「僕だって何万回も思ったよ、こんな病気にならなかったら、もし治ったら、治る見込みがあるなら。……無駄だから!」
真琴はハッキリと言う。
「もう僕は、そんな場所には立ってない。僕は進む。だから一馬も進め」
ハッキリと宣言する真琴に、俺は圧倒されて言葉もない。
「僕は女の子になった。その僕に一馬は惚れた。僕も一馬のことを特別だと思ってる。はい、一緒にお風呂入る?」
「そうだ、惚れた。風呂……はーーー?!」
「冗談だよ、変態」
真琴は俺の頭を小突いて、風呂に消えた。
「真琴!」
いつも俺をオモチャにして……!
「パジャマ持ってきてね」
バタンとドアが締められた。
小悪魔……悪魔……なんでもごされ……ガクリ。
「ここから1.2でワンターン、2.3で体制変わって……」
俺と真琴はダンスレッスン室で復習をしていた。
真琴には及ばないが、俺もまだ二年生で10番目くらいにダンスが上手い……はず。
だからたまに二人でレッスン室で練習でしている。
「なんだろうね、潤のほうが上手いんだけど、一馬と踊るほうが頭に入ってくる感じ」
真琴は、踊りながら言う。
「やっぱり一番楽しいよ」
真琴が微笑む。
正直最近は真琴に付いていくのが精一杯なんだけど。
そう言ってもらえるなら、がんばり甲斐もある。
俺たちは並んで踊る。
夕日が斜めにはいるレッスン室で二人。
並んで踊ると、どうしても思い出す。
二人で受けたアーバンの試験。
それに真琴がよく倒れていた一年生の春の日。
チラリと鏡越しに真琴を見ると、真琴も俺を見た。
そして微笑む。
真琴と踊ってる時間が、俺は一番好きだ。
「真琴先輩見つけた! あの、アーロン一緒に踊ってもらえませんか?! 去年とちょっと違うんで見て欲しいです!」
ガラッと扉が開いて、そこにジェシー君が立っていた。
真琴はダンスを止めて、入り口まで歩いて言った。
床に真琴の影が伸びる。
どこまで長く、そして細く。
そしてその影、手の部分がスッと伸びる。
「ダメ。君とは踊らないよ」
そして開いたドアを静かに締めた。
俺はうなだれて去って行くジェシー君の後ろ姿を見て、ほんの少し嬉しかった……なんて人間が小さいだろうか。
「さ、続きやろう?」
真琴は続きから踊り出す。
そして鏡越しに微笑んだ。
人間が小さくてもいい。
俺は俺が特別で、嬉しい。




