表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/52

俺たちには、俺たちのルール

「一馬くん、荷物届いてたよ」

 寮の入り口で管理人さんに分厚い箱を渡された。

「ありがとうございます」

 俺はそれを部屋に運んで、ビビビビと開ける。

 今日真琴は、追加のダンスレッスンに参加するらしく帰りが遅い。

 安心して中身を部屋に広げる。

【完全恋愛マニュアル】

【彼女の心はこうして掴め】

【はじめてカノジョが出来たときに読む本】

 これだけ読めば、俺の心も落ち着くに違いない!!

 初めて真琴と手を繋いでから二週間。

 俺は正直落ち着かない。

 一番ってことは、真琴は俺の特別……なんだよな。

 でも付き合うとかじゃないって言ってたし……でも、仲良くないと手は繋がないし。

 俺が真琴の中で大事な存在だというのは間違いない。

 俺はすごく嬉しくて、同じくらい不安になった。

 今までずっと友達だったのに、手を繋いだ瞬間からよく分からなくなってしまった。


 真琴との距離感が。


 俺は何かしたほうがいいの?

 何もしないほうがいいの?


 本を読み始める。

 ふむむふ。

 がっつく男は嫌われる、と。

 納得できる。

 今俺はがっついてるか?

 ……少し。

 真琴が少し近づいただけで、ドキドキして心臓が痛い。

 人生で心臓が打てる回数が決まってるとどこかで読んだ。

 それが本当なら俺は最近数年分の寿命が縮まったと思う。

 違う本を読み始める。

 ふむふむ。

 すぐにキスしろ、逃がすな。

「逆の事を言ってるじゃねーか!」

 俺は二冊の本を投げた。

 三冊買って良かった。

 多数決が可能だぞ?

 俺は本を読み始める。

 ふむふむ。

 結論、自分で決めろ。

「なんだよそれは!!」

 俺は頭を抱える。

 結局状況次第で全て答えが違うって言われても!

 俺はランダムに本を読みながら叫び続けた。

 なんだこの恋愛本の、そんなにうまくいくはずが無い! 的な内容は。

 手を握ったら全てオッケーのサイン?

 本当かよ?! 

【初めてのキスにオススメの場所】

 俺の手が止まった。

「……読んどくか」

 エムニーランドとか、横浜とか、高級レストランとか出てくる。

 金が掛かりすぎだろう。ん? ……地下鉄?

【女は地下鉄に興奮する。それは胎内を思い出すからだ】

「……意味が分からないな」

 俺は本をベッドの下に隠した。

 実家に居た頃から、見られたくない本はベッド下だ。

 やっぱり電子書籍で買うべきだった。

 でも本は手に取って比較できる紙派なんだけど……

「ただいまー……うー、疲れたよー」

 真琴が帰ってきた。

 大きな鞄を部屋の真ん中に転がして、そのまま人間をダメにするソファーに転がる。

「ご飯は食べたのか?」

「菓子パンだけ……」

 真琴はもう寝ようとしている。

「それじゃ足りないだろ、夕食のカツ煮取っといたから、温めてくるよ」

「カツ煮……カツ煮……」

 うわごとのように言うが、もう半分寝ている。

「シャワーあびろよ」

 俺はコートを脱がす。

「全部脱がしてー、もう疲れたー」

 真琴が足をバタバタさせる。

「自分でやれ!」

 俺はコートだけかけて、部屋を出る。

「いじわるーー」

 閉まるドア、背中から真琴の叫び声が響く。

 甘えられて嬉しいから、本当にほどほどにしてほしい。

 マニュアルよ、こういう時はどうしたらいいの?

 よし、俺が全部脱がしてやろう……が正解なの?

 甘えるなビシバシ!!……が正解なの?

 わかんねーー。


「おつかれさまー」

 食堂に行くと、蒔田先輩も食事を温めていた。

「これからですか?」

 俺も冷蔵庫から真琴のために取っておいたカツ煮を出す。

「真琴くんの? 今日もかなりヘビーに踊ってたよ、彼。休憩時間に振り付けの城ノ内さんに習ってたから、休憩もなし」

「城ノ内さんって……LINKS専属の?」

 城ノ内紀之じょうのうちのりゆきさんは、アーバンの初代ダンサーで、年齢こそ60才近いが、振り付け師として現役で、ダンサーとしても超一流の人だ。

 今はLINKS専属の振り付け師で、そのセクシーであり優雅なダンスはLINKSを有名にした最大の理由だ。

 なによりテレビ位置を意識したポジションを考えるのが上手いのだ。

 アイドルは新曲をテレビで歌う。

 アイドルはグループなので6人くらい居るのが普通だが、その時サビを歌う人が踊りながら、メインカメラで抜かれるように考えたフォーメンションが必要になる。

 それを一番最初に効果的に始めたのが城ノ内さんだ。

 チーンと軽い音が響いて、中からコンビニのお弁当が出てくる。

「毎回教えてください! って自分から言ってて、すごいよ、真琴くん」

「真琴の最後の夢は振り付け師なんです。だからだと思います」

「そうか、あれだけ踊れるなら、ありかも知れないね。ああー、カツ煮いいな。優しいね、一馬くんは」

 蒔田先輩は俺が冷蔵庫から出した定食を見て言った。

「湊元がそんなことしてくれたこと無いよ、羨ましいな」

「俺も食べたので、ついでですよ」

 俺は電子レンジに定食を入れた。

 サラダ大好きな真琴のために、大盛りサラダも買っていた。

 それも出す。

「……真琴くんさ、マッサージとか嫌いなの?」

 茶筒を開けて、蒔田先輩がお茶の葉を急須に入れた。

「マッサージ、ですか」

 俺は少しドキリとする。

 真琴は体を触られる関係は全て拒否してると思う。

「練習が多いから、終了後に全員マッサージ受けるんだけど、真琴くんはいつも断るんだよ」

「……くすぐったいのが、苦手…、かもしれませんね」

 俺はなんとなく言ってみる。

 本当に事なんて言えない。

「ストレッチを入念にするように言っといて。一馬くん詳しいでしょう?」

「それなりに、ですけど」

 同時にチーンと電子音が鳴って、蒔田先輩は手をヒラヒラさせて部屋に戻っていった。

 そうか……真琴はマッサージ断ってるのか。

 した方がいいよなあ。


「わー、ありがとうー」

 部屋に戻ると、真琴は俺の椅子に座ってドライヤーをかけていた。

「サラダも大盛りだ」

「デザートは?」

「ヨーグルト」

「はちみつかけてある?」

「もちろん」

 俺は定食を俺の机に置いた。

「いただきまーーす」

 真琴はドライヤーを置いて、食事を始める。

 真琴の髪の毛はまだベッタリと濡れている。

「おい、ちゃんと乾かせよ」

「まふまがやってほ(かずまがやってよ)」

 真琴は口に大盛りのカツ煮を入れて、視線だけ俺に送って言う。

「なんだよそれ」

 とは言うものの、部屋はそう暖かくないし、このままでは寒い。

 ここは乾かすのが正解だろう? まあマニュアルよ。

 俺はドライヤーを手に取って、セットモード(すこし風が弱いモード)で、真琴の髪の毛を乾かし始めた。

「カツ煮美味しい……ありがとう一馬」

 真琴はモシャモシャと食べる。

「……なあ、真琴、マッサージ受けてないって、蒔田先輩に聞いたけど」

 俺は髪の毛を乾かしながら言う。

 真琴の細い髪の毛、こんなにサラサラしてたかな……。

 頭皮に触れると少し冷たくて、頭は俺の半分くらいじゃないか? ってくらい小さい。

「気持ちいいー……」

 真琴が少し上を向く。

「やりにくい」

 俺は頭を戻して、髪の毛を乾かし続ける。

「なんだっけ? 一馬何か言わなかった?」

「ああ、マッサージ、受けてないだって? 蒔田先輩から聞いたよ」

「だって、無理だよ」

「そうだよ、なあ……」

 髪の毛はすべて乾いた。

 俺はドライヤーを置いて、後ろのベッドに座る。

「痛まないのか、体は」

「痛いけど、誰かに体を触れるより100倍マシ」

 真琴は口にヨーグルトスプーンを入れて、椅子を回転させて俺の方を見る。

「そうだよなあ……」

「女になってからだけど、特に思う、人に触られるのは苦手だよ。本能みたいのがバージョンアップしたのかな」

 ふとさっき読んだ恋愛マニュアル本を思い出す。

【がっつくのは嫌われる】

 ……真琴に触れるには危険だ、すごく嫌われる気がする。

「ストレッチは、しろよ」

「毎日してるよー。ごちそうさま。洗ってくる」

 真琴はお盆を持って部屋から出て行った。

 俺はベッドの下にある恋愛マニュアルを取り出す。

 これを読んでおいて良かった。

 真琴とは清い付き合いを続けよう。

 もやもやするけど、嫌われるのの100倍良い。


「一馬はギター持って撮影? 湊元先輩か、面白そう」

「真琴はダンスか。ページ数がすごいな」

 今日は雑誌の撮影だ。

 龍蘭にいるアーバンの生徒特集号で、メインはほぼデビューが決まっている蒔田先輩と、大手をかけてる真琴らしい。

 発表されているページ数が多い。

「僕も頑張らないと」

 潤も香盤表(写真を撮る順番が書かれた表)を見て言う。

 一年生では、やはり真琴が飛び抜けすぎていて、NO.2の潤は、あまり注目されずに居た。

 来年のツートップは間違いなく真琴と潤だ。

「頑張れよ」

 俺は潤の背中を軽く叩く。

「チャンスだから、頑張る!」

 期待されている潤は、蒔田先輩と真琴の次のページが貰えていた。

 勉強が出来て御曹司の潤は、アーバン的にも欲しい人材なのだろう。

 潤に手を振って、音楽室に向かった。

「おはよおおおお、一馬くん!!」

 音楽室は防音だ。

 龍蘭の中でも、かなり防音性が高い部屋だと思う。

 まだ廊下に居るのに、部屋の中で湊元先輩がギターをかき鳴らしているのが見えるし、声が全部聞こえる。

 扉を開けたら、どれくらいうるさいんだろう。

「……おはようございます」

 俺は廊下で言う。

「入ってこいよおおおおお」

 ジャカジャカかき鳴らしながら湊元先輩が言う。

 正直お断りしたい。

「すごいですね」

 振向くと撮影の人たちが居た。

 カメラマンに照明さんに制作さん。

 みんな苦笑いしている。

「俺が入り口に立って、中で湊元先輩が叫んでるって写真じゃダメですか」

 俺は半ば本気で言う。

「あははは! それも一枚貰おうかな。面白いね、君」

 笑いながらカメラマンさんはカメラを構えた。

 俺は心底うんざりした表情で、扉の前に立つ。

 完全に演技じゃない素の表情だ。

 シャッター音が響いて、中で湊元先輩が更にシャウトする。

 本当に入りたくないが、魔法少女の曲が結構評価されていて、無料で開かれているアーバンのブログで、再生回数はトップらしい。

 最近は、売っていない曲の著作権はフリーにして、アレンジを許可することで、原曲の評価を上げる。

 この曲も著作権はフリーになっていて、ネット上には俺が作った曲が多数アレンジされてアップされている。

 コメントを見ると扱いやすい曲らしく、それをみると嬉しく思うし、俺と湊元先輩のグラビアのページ数も多いけど……。

「さ、中に入ろうか」

 げんなりした俺の表情を撮りきったカメラマンさんがドアを開けた。

「俺たちいいいい魔法の国でええええ」

 中から音楽というか騒音があふれ出す。

「湊元先輩まじうるさいですーーー!」

 俺は叫ぶ。

 カメラマンさんは笑いながらシャッターきってるけど、本当にこれでいいのかよ!


「すごく気持ち良かった。カ・イ・カ・ン!」

「色んな人に怒られますよ、湊元先輩」

「ババババババ!」

 湊元先輩はギターを銃に見立てて廊下で踊る。

「だから怒られますって」

 俺たちの撮影は2回魔法少女の曲を演奏して終わった。

 湊元先輩は、撮影が始まったら、すぐに普通に戻った。

 礼儀正しく、カメラマンさんの要求にもすぐ答える。

「真面目にできるじゃないですか」

 俺は湊元先輩を睨む。

「演出だよ、演出」

 まだギターを銃状態で持ったままの湊元先輩がドヤ顔で言う。

 ぜったい素だと思う……。

「城ノ内さんだって?」

 俺たちをアーバンの生徒が何人も追い越して言う。

 城ノ内さんって、昨日真琴が話してた……?

 俺と湊元先輩は生徒たちが走って行ったダンス室へ向かう。

 そこは、真琴と蒔田先輩が撮影中だった。

 中で指導をしているのは、城ノ内さんだった。

「……あんな人なんだ」

 俺は呟く。

 60才とは思えないスッキリとした立ち姿に、GパンにTシャツ。

 服装も若いし、横顔を見ても、俺の親父より若いように見える。

「俺も初めてみたわ」

 俺の横で湊元先輩が言う。

 カメラマンさんは、城ノ内さんが写真の画面に入らないように意識しながら、それでも凄い枚数の写真を連写で撮っている。

 俺たちを撮っていたカメラマンさんとは違う人で、カメラの台数も桁違いに多い。

「城ノ内さんって、写真NGですよね」

 俺はレッスンを見ながら言う。引退して振り付け師になってから、メディアには一切出ていないはずだ。

 だから俺も顔を知らなかったけど。

「なんで城ノ内さんが居るの?」

 湊元先輩は、近くに居た二年生の他の生徒に聞いた。

「撮影でヘタに踊らせるより、俺に付けさせろって城ノ内さんが言い出したらしいよ」

「マジかよ」

 ダンス室が見える廊下はアーバンの生徒で埋まっていた。

 三年生まで集まり始めて、廊下は立っているのも難しい空間になっていた。

 それほどに、この状況はレアだった。

「おはようございます!」

「おはようございます!!」

 廊下の奥から、アーバンの生徒たちが大きな声で挨拶して、道をあける。

 俺は身長が高いほうなので、遠くまで見える。

 空間を作ったので、廊下が更に狭くなって、俺はぐええ……と思うが、その視線の奥、アーバン社長、浅井恭司さんが見えた。

 ピンクのスーツに、金色のネックレス。

 どっからどう見ても、社長だ。

「おおおお……夢の共演だ……」

 アーバンの生徒たちが響めく。

 浅井さんが龍蘭に来るなんて、初めて見た。

 俺なんて浅井さん見たの、オーディション後はじめてだよ……。

 すげえ、何だ今日は?

 俺の周りの生徒たちがざわめく。

 俺だってオーディションの時見たのが最後だ。

 三年生もざわついてるから、レア中のレアなのだろう。

「同期……なんでよね?」

 俺は更に近くにきた湊元先輩に聞く。

「社長と城ノ内さん? そうだよ。いや、セットで見られるなんて……盆と正月とクリスマスと花火大会だな」

 湊元先輩は真顔で言う。

 周りにいた生徒たちが冷たい目で湊元先輩を見る。

 いや、正しい評価だ。

「来てるって聞いたから、来ちゃった」

 浅井さんが城ノ内さんに近づく。

「浅井じゃないか。久しぶりだな」

「見てていい?」

「もちろん」

 浅井社長に椅子が出された。

 城ノ内さんが振り付けを開始する。

 城ノ内さんの振り付け方は、独自で、その場で主張が変っていく。

 でも真琴も蒔田先輩も、見事についていく。

 さっきと違うことを要求されても、すぐに修正して、新しい動きに繋げていく。

 動きのクセを城ノ内さんは瞬時に見抜く。

「蒔田くんは、右肩が下がりすぎる。回転時の動きに注意して。ここは直角」

「はい」

「市ノ瀬くんは、腰が弱いね。この動きで止まれないとダメだ」

「はい」

 二人とも大量の汗を流しながら踊り続ける。

 俺たちは何も言えずに廊下からそれを見続けた。

 それだけで一本の映画を見ているような、優雅な空間で目が離せない。

 真琴は、どう考えても特別な人間だ。

 ダンスに選ばれている、とさえ思う。

 夕日がさしこみ始めたダンス室で、俺は迷い無く思った。


「超つかれたー」

 撮影を終えた真琴は、またシャワーも浴びずにソファーに転がった。

「真琴、ストレッチしないと明日がキツいぞ」

 俺はまた真琴のコートを脱がしながら言う。

 蒔田先輩はマッサージ室に消えたけど、真琴は撮影終了後、まっすぐに部屋に戻っていた。

 俺はずっと見ていたから知っている。

「城ノ内さんが来るなんて聞いてないよ」

 真琴は俺のされるがまま、コートを脱がされて、再び転がる。

「凄かったよ、ダンス」

「いいよね、城ノ内さんの振り付け。あのセンス、凄いよ」

 真琴は目を閉じたまま言う。

「ついていけてる真琴が凄かったって話し」

「え? 本当? 今日は昨日の疲れもあって、かなりダメだったけどなあ……」

 真琴はうーん……と転がったまま背伸びをして、目を閉じた。

 昨日の疲れって……。

「やっぱりマッサージしないと、ダメじゃないか?」

「言っただろ、苦手だし、無理だろ」

 真琴は目を閉じたまま言う。

「じゃあ、俺がする」

 そんなこと考えて無かったが、口から出ていた。

 だって、あんなに凄いダンスが出来るのに、それが生かせないなんて、勿体ないじゃないか。

「…………え?」

 真琴はパチリと目を開けて、口元をゆがませた。

「俺は筋肉には詳しいぞ」

 俺は真琴の足に触れた。

 恥ずかしいとか触っちゃいけないとか言ってる場合じゃない。

 マッサージが受けられないのは女の体になったからだ。

 それを知ってるのが俺だけなら、やっぱり真琴の体は、できる限り俺が……

「いやいや、要らないよ! ストレッチする、ストレッチ」

 真琴はソファーから跳ね起きる。

 そんなに早く動けるのかよ! と思いつつ、脹ら脛を掴む。

「うわ!!」

 真琴が叫んで、転がっていたクッションを掴む。

 もう俺の脳内には筋肉のことしかない。

 掴んだ脹ら脛……下腿三頭筋はパンパンに張っていた。

「真琴、こんな足じゃダメだ」

「えーー……」

 真琴はクッションに顔を埋めて呟いた。

「脹ら脛だけでもやるぞ」

「うー……」

 真琴は呟いて、静かになった。

 俺は筋肉に触れながら思う。

 もう少しマッサージについて詳しくならないとダメだ。

 マッサージ室の先生に相談したい。

 軽いコツでも教えてほしい。

 なんて固い筋肉なんだ!

 俺は夢中で揉んだ。

 真琴が女の子とか、すべて脳裏から消え失せて、もう筋肉のことしか考えられない。



「基本的に疲れを流す動きだね」

「はい」

 俺は龍蘭にあるマッサージ室に居た。

 龍蘭はダンスや競技をする人にマッサージをする資格を取るクラスもある。

 突き詰める人は国家資格まで取るらしい。

 壁一面に筋肉の名前やツボの名前が書いてあって、俺的には落ち着く空間だ。

「そうか、真琴くんの筋肉興味あったけど、苦手だから来ないのか」

 話を聞いてくれた教室の人が言う。

「何か、出来たらと思って」

 俺は言う。

 そう思わせるのに、十分ダンスを真琴はしていた。

 単純に勿体ないと思った。

「本当は動きによって変えるといいけど、基本的に使う場所は変らないから」

「はい」

 俺は基礎マッサージの本を何冊か借りた。

「そうかー、真琴くん来ないのかー。筋肉触りたかったなー」

 同じ部屋の男の人が言う。

「わかります」

 俺は親指を立てる。

 俺も最初に真琴に話しかけた言葉は、筋肉触らせて? だからな!

「あ、君、筋肉で有名な一馬くんじゃないか。触らせて?」

「え?!」

 俺はあっという間に数人に掴まれて、マッサージ専用の転がされた。

 そして同時に俺に触れる。

「おお、やっぱり鍛えてるからいい筋肉してるね」

「肩甲挙筋がかなり張ってるね。ストレスかな」

「僧帽筋がやっぱりいいねー。この形はなかなか無いよ」

「大円筋も綺麗ー」

 複数の生徒が俺に触れる。

「あああ……くすぐったいですーー」

 俺の叫び声は無視される。

「やだ、下腿三頭筋すごい」

「腓腹筋も綺麗だなー」

「ああああ……」


 マッサージが苦手な真琴の気持ちが、ほんの少し理解できた。


 俺は部屋に転がった。

 真琴はまだ戻ってこない。

 たしか今日もレッスンで遅くなると言ってた。

 俺は借りたマッサージの本を見ながら、自分の足を揉む。

 男がなんだ、女がなんだ、まず俺たちは龍蘭の、アーバンの生徒じゃないか。

 勉強、勉強!

 ドアがノックされて、蒔田先輩が立っていた。

「あれ、真琴くん、居ない?」

「はい、まだですけど」

 蒔田先輩は、真琴の鞄を俺に渡した。

「今日レッスン早く終わったんだけど、鞄忘れて行ったよ。まだ帰ってないの?」

「あ、はい……」

 俺は真琴の鞄を受け取って言った。

「連絡しとくね。じゃあ、おつかれさま」

 蒔田先輩はドアを締めた。

 俺は真琴の鞄を持ったまま立ち尽くす。

 レッスンが終わってるのに、真琴はどこに行ったんだろう。

 財布とスマホは持って行ってるのかな。

 俺は鞄を真琴の机に置く。

 どこに行ったんだろう。

 一気に不安になった。

 スマホを取り出しても、何の連絡も入ってない。

 何か用事があるなんて聞いてない。

 俺の机に上にはマッサージ本がある。


 ……マッサージが、俺に触れられるのが、イヤ、だった、とか?


「まさか、なあ……」

 それで帰ってこないとか、ありえないだろう。

 いや、でも、真琴を女だと知っても問題ないマッサージの場所に行ったとか?

 遠くのマッサージ店とか?

 帰ると俺に揉まれるから、遅く帰るとか?

 マイナスな事ばかりが頭に浮かぶ。

 前なら真琴が少し帰らなくても気にしなかったのに、なんでこんなに不安なんだろう。

 もう一度スマホを見る。

 何の連絡も入ってない。

 カエルの写真があるだけだ。

 これは、この前の正月、真琴と二人で行った神社に置いてあったカエルの置物だ。

 芸能の神様で待ち受けにすると良いことがある……と書いてあった。

 本当かよ? なんて笑いながら、二人で写真に撮った。

 あの時、繋いだ手の感覚を思い出す。

 真琴の指先と、揺れるウィッグと簪。

 手を繋いで入った鳥居、お互いに濡らした手と、25円投げた真琴の指先、ふりむいた笑顔。

 真琴は女の子なのに、押さえつけてマッサージとか……無いよなあ。

 やっぱり無神経すぎた。

 俺はスマホを見たまま、ベッドに転がった。


「ただいまー」

 

 真琴が帰ってきた。

 気が付くと、俺は転がったまま少し眠っていたようだ。

 スマホを確認すると、もう深夜11:58分。

「おい、遅いじゃないか、どこ行ってたんだよ」

「ごめん、色々あって」

「連絡したか、蒔田先輩に」

「鞄のことでメール来てた。鞄忘れるとか、初めてだよ、急ぎすぎた」

 急ぐって、何だよ、何の用事だったんだよ。

「あ、丁度12時じゃん。はい、誕生日おめでとう」

 真琴は手に持った紙袋を、俺に渡した。

「……へ?」 

 受け取った包みから、ふわりと良い匂いがした。

「色々あったんだよ、本当に。まさかオーブンが壊れるなんて」

 真琴は笑いながらコートを脱いだ。

「……え? 誕生日?」

「忘れてるの? 今日1月10日、一馬の誕生日じゃん」

 枕元に転がっていたスマホを確認すると、表示が1月10日になっている。

「あ……そうみたいだな」

そんなの、すっかり忘れていた。

「本当は今日の夕方行くつもりだったんだけど、急遽行けそうだったから。やっぱり一番に渡したいじゃん?」

 真琴は俺の椅子に座ってクルリと回転して言った。

「ありがとう……」

 俺は中を見る。

 紙袋の中にはクッキーが入っていた。

「人生で初めて作った。梨々花ちゃんが頑張ってくれたよ」

「梨々花?!」

 脳天から声が出た。

「そう。一馬の家で作られて貰った」

「えーーー」

 開いた口が塞がらない。

「一馬が何が好きですかね? って聞いたら、じゃあ一緒に作りましょうよ!って正月に誘われた」

「えー……」

 俺は包みを見る。

 そこには真琴の文字が見える。

【誕生日おめでとう・これからもずっとよろしく】

 このメッセージカード、一生捨てない……。

「食べてみてよ、もう大騒ぎだったんだから」

 真琴に促さされて、俺は袋を開ける。

 中からクッキーが出てきた。

 それをつまんで食べると、サクリとほどけて、それでも甘すぎないクッキーが俺の口の中に広がった。

「すげえ美味い」

「えへへ。レシピ調べて作ったんだけど、大変だったよ。バターは全部溶けて! でも溶けたらダメなんだって。買い直しに行ったらカルピスバターでレアなんだね、売ってなくて」

 真琴は笑いながら続ける。

「結局団地の中で一番お菓子つくる人の家まで一馬のお母さんが走って、なんと有ったんだなー、もう面白くて」

 俺はもう一つクッキーを食べる。

 甘いクッキーのはずなのに、なんだか塩っ辛い。

 ほんの少し、泣けてきていた。

「極めつけは、オーブンが壊れたことだよ。僕はじめて見たよ、オーブンから黒い煙がもうもうと!」

 あはははと真琴は大声で笑う。

 真琴が大きな声で笑うのは、珍しい。

 俺は目元を指先で触れて、涙を隠した。

「……怒ったのかと思った」

「え? 何を?」

 真琴は俺の椅子の背もたれに頭を乗せた状態で言う。

「マッサージ、イヤだって言ってたのに、やったから」

「なにそれ。怒るわけないじゃん。あ、本まで借りてくれたの?」

 真琴は俺の机の上の教本をパラパラをめくる。

 それを掴んだまま、ソファーに転がった。

「よし、勉強の成果を見せてよ」

「え?」

 真琴は本を見ながら、ソファーに転がったまま言う。

「一馬に触られるのがイヤなわけ無いだろ。ただ……」

 真琴は本をパタンを閉じて、ソファーに顔を埋めた。

「恥ずかしいだけだよ、一馬に触れると」

 その言葉を聞いて、俺はクッキーの包みを落としそうになる。

「結局団地を3往復くらいしたんだよ、疲れたー」

 真琴は転がったまま、足をバタバタさせた。

 俺はクッキーの包みをおいて、真琴の横に座った。

「触っても、イヤじゃないのか?」

「今日のレッスンで調子良かったよ。やっぱり揉んで貰うといいな」

 真琴はソファーからチラリと顔を上げた。

 俺は安心して力が抜けて、真琴の背中にゴスンとアゴを乗せた。

「いたたたっ!!」

「……ありがとう、クッキー」

「うん」

「……うれしい」

 俺は真琴の背中にアゴを乗せたまま続けた。

 真琴の心臓の音が聞こえる。

 真琴が息を吸い込んだ。

「一馬に、触れられるのは、本当にイヤじゃないよ。もう少し自信もってください。恋愛マニュアルさん」

「は?!」

 俺は真琴の背中から離れる。

 真琴は転がったまま、俺のベッドの方を指さす。

 すると隙間から、俺が隠した本が見えた。

 この角度からだと、丸見えだ!

「うおおおお……恥ずかしい」

 俺は頭を抱える。

「はい、揉んでくださいー」

 真琴は転がっていたクッキーを勝手に食べた。

「あ、こら俺の」

「やっぱり上手に焼けたわー」

 俺たちには、俺たちのルール。

 一緒に考えよう、そう決めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ