複雑じゃなくて、実は簡単なこと
「……やべ、そのまま寝た」
目を覚ますと、もう外が明るい。
テレビは切られていて、真琴は隣の布団で眠っている。
鼻まで布団を上げて。
規則的に続く寝息が音楽のようで、それを聞いているとまた眠くなるので、俺はゆっくりと布団から出た。
時計がないから、時間も分からない。
スマホはどこに置いたかな。
寒い廊下をぬけて隣の部屋に行くと、リズミカルに動く包丁の音がする。
「あら、おはよう」
「おはよう」
お母さんはもう朝ご飯を作っていた。
「丁度良いわ、ストーブでお餅焼いて」
「なるほど、そう使えるのか」
隣の部屋で昨晩俺たちが使ったストーブが台所に運ばれていた。
「災害用にしまってあったけど、使えるのね」
「すげえ温かいぞ、これ。昨日感動した」
俺はストーブの上にホイルを敷いて、その上に餅を並べた。
やばい、少し楽しい。
俺はストーブの前に正座した。
「古い団地の何が良いって、隙間が沢山合ってストーブでも中毒の心配が少ないことかしら」
「それって、良い事かよ」
俺は餅を同間隔に並べながら言った。
「一馬が5個?」
「そうだな、5個くらい食べられるかな」
「真琴さんも5個くらい?」
「食べるだろうね」
「真琴さん、よく食べるのね。気持ちいいわ」
「あんなに細いのに、よく食うよ。基本カレーうどんを愛してるけどな」
「……ねえ一馬って、真琴さんの事、好きなの?」
「へ?! 何だよ、朝から」
俺は驚きすぎて、声がひっくり返った。
「昨日ストーブ取りに部屋に入ったら、一馬と真琴さんが同じ姿勢で寝てるの。こう、お得意の」
そう言ってお母さんは両手を上に上げた。
俺はどうやら眠るときに、両手だけ布団から出して、万歳のポーズで眠るらしい。
真琴もあのポーズで寝ていたのか。
想像すると、少しおかしかった。
「なんか、それをみて、そう思っただけよ」
お母さんは、ザッと水を出して三つ葉を洗った。
この時期だけ三つ葉が高いなんてずるいわよねえ~とブツブツ言いながら。
俺は崩した正座を戻して、ストーブの上の餅に戻った。
少し膨らみ始めているが、まだひっくり返すタイミングではない。
「……複雑なんだよ、色々と」
「何が?」
お母さんは器用に大根の皮をむいていく。
「男子寮だし、アーバンだし、同じ部屋だし……」
「何もエッチしろって言ってないけど」
「おーーーーい」
俺はかぶせるようにお母さんの声を遮った。
包丁がリズミカルに大根を刻み始める。
「好きなのかなって、思っただけよ」
お母さんの言葉は何の迷いもない。
餅が好きとか、せんべいが好きとか、そんな迷いがない好きだった。
俺はそれに連られるように言う。
「……好きだよ」
「何も難しくないじゃない。男の子と女の子が、好き同士。普通のことだわ」
「いやいや、真琴は、どうかな」
「ほら、お餅」
「あああ」
俺が俯いてぶつぶつ言ってる間にお餅は、ぷくーと膨れていた。
「ほらトング」
「ありがと」
受け取ってひっくり返す。
綺麗な薄茶色に焼けている。
よかった、焦げてない。
「一馬が守ってあげなさい」
見上げるとお母さんがにっこりと微笑んで言った。
「……頑張ってる」
「好きになってもらえると良いわね」
「……なんか恥ずかしくて死にそう」
お母さんとこんな話をしたのは初めてだった。
ストーブの熱だけじゃない、顔が火照って、俺はストーブから少し距離を取った。
「あははは、お母さんも何か恥ずかしい~~!」
「話は終わったか」
ドターンとドアがあいて、パジャマなのにギターを斜めにかけた親父が起きてきた。
どこから話を聞いてたんだよ。
そしてパジャマでギターかよ。
俺はじろりと睨む。
「おはよう」
親父は仁王立ちして言う。
「……おはようございます」
「エッチしろなんて言ってないぞ」
「コラーーーー!」
俺は叫ぶ。
正月早々、何なんだ!!
今日は餅つきだ。
団地の広場に、餅つきに参加したい人が浸水させた餅米片手に集まる。
俺は昨日、団地の物置から、臼と杵を出して、水につけておいた。
一年に一度しか使わないから、24時間以上まえに水につけておかないと、お餅がくっつく。
「あけましておめでとう。今年もよろしくね」
俺が蒸し器を洗っていると、自治会長の浜田さんが声をかけてきた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
俺も頭を下げた。
「どう? 芸能人学校は?」
浜田さんは80才をこえているが、この団地で何十年も自治会長を務めている明快な人で、俺は好きだ。
奥様もお母さんのところで日舞をやっていて、10年以上の付き合いがある。
「楽しいですよ。少なくとも、普通の学校より」
「あそこ入学金高いんだろ?」
「俺はアーバンライツって事務所に所属してるので、タダなんです」
「おお、芸能人じゃないか」
「芸能人餅つきますよ~!」
「待ってました!」
浜田さんは物置からガスケーブルを伸ばしながら言った。
それはお米を蒸すガス台に使う物だ。
ガス台に蒸し器をセットする。
その上に何個もセイロを乗せて餅米を蒸すのだ。
セイロが二つも三つも積み上がる景色を、俺は好きだった。
立ち上る蒸気も、香りも、勢いも、決まって青い群青色の空も。
物置から何個もセイロを取り出す。
「楽しいねえ、嬉しいよ、餅つきが復活して」
この団地は本当に古く、昔は沢山の人が集まって餅つきをしていたらしい。
今では俺たちしかやっていない。
この大量のセイロも蒸し器も、当時の名残だ。
団地は古すぎて10年以内の取り壊しが決まっている。
現に少し奥にあった同じ団地はもう取り壊されていて、更地になっている。
「新しい人が増えるといいですね」
「その頃には俺は死んでるわ、がはははは!」
毎年聞いてる浜田さんの俺は死んでいるギャグだ。
これをきくと正月がきたなーと思ってしまうほど定例だ。
だから返しも決まっている。
「線香あげに行きますよ!」
「墓掃除もよろしくな!」
ああ正月の定番。
俺と浜田さんが準備をしていると、ビニール袋を抱えた真琴が来た。
「これ、どうすればいい? すごく重い……」
「ああ、机に」
水で浸した餅米だ。
これを今からセイロに開けて、蒸す。
「一馬くんの友達? よろしくね」
「寮で同室の、市ノ瀬真琴と申します」
「綺麗な顔してるねー! さすが芸能人学校!」
「あはは、ありがとうございます」
仕事で沢山の年上の人たちと話すようになった。
コンサート会場に入れば、浜田さんと同じような年齢の人が現役で仕事している。
だから俺も真琴も、キャラが強い人は得意だった。
「このお米、ざるにあけてくれる?」
「はい」
浜田さんに指示されて、真琴はお米を抱えて炊事場の方に消えた。
「あけましておめでとうございますー!」
振向くと、杏奈と美波さんが来ていた。
「お、杏奈ちゃん、あけおめだよー! 今年も生きてるよ俺!」
浜田さんは定例のギャグを始めた。
「知ってる知ってる~!」
杏奈は肩をトンとぶつけて笑う。
「あけましておめでとう」
俺の隣に美波さんが来た。
「あけましておめでとうございます」
俺は小さく頭を下げた。
美波さんの服装は、襟付きのダウンコートに真っ黒なズボンというシンプルな服装だったが、髪の毛が頭の上でまとめられていて、簪がささっていた。
美波さんが動くと簪がシャランと軽い音を立てる。
「いいね、正月っぽくて」
俺は褒めた。
女子はとりあえず褒める。
それで世界が平和に回るなら、俺は幸せだ。
「えへへ」
美波さんはまとめた髪の毛に触れた。
「餅つきだから、動ける服装のが良いかなーって思ったんだけど、正月っぽくしたくて」
美波さんが簪を取ると、サラサラと髪の毛が泳いだ。
「簡単に取れて」
言いながら髪の毛をまとめて、クルクルと頭に巻き付けて、最後に簪を指す。
「簡単につけられる」
美波さんが髪の毛を動かすと、ふわりと嗅いだことがある匂いがした。
「……イチゴのシャンプーだ」
俺は思わず言う。
「え、一馬くん、シャンプーとか詳しいの?」
美波さんの表情が輝く。
「いや、俺、妹がいるんだ、言ってたっけ」
「知ってる、梨々花ちゃんでしょ?」
「梨々花がシャンプーマニアで、昨日もこれが一番オススメだって、騒いでたから」
「すごーい、まだ中学生だよね? このシャンプーまだ出たばかりでマニアックなんだよ?」
「いや、本当にシャンプーが好きみたいで」
「へえ……。どうこの香り、好き?」
スッと美波さんが近づいてくる。
フワリとイチゴの匂いと……これは美波さん自身の香り。
でもやっぱり……
「梨々花を思い出しますね」
「タイミング悪い!」
美波さんは大きな口を開けて笑った。
餅つきが始まって、会場には過去最多の20家族以上が集まった。
俺は同じ作業を繰り返すのが、とにかく好きで、そこに体力仕事が加わるとテンションが上がるほどだ。
餅つきはその最たる物。
餅をかえすのはお母さんと何十年もやってきたので、あうんの呼吸とは正にこの事。
それも気持ちが良い。
何升でも持って来いやーー!
俺はどんどん餅をついた。
蒸し器からは蒸気があがり、それを見つけた通行人や、お正月番組に飽きた子供達が集まってくる。
「僕もやりたい!」
「よし、手を洗って」
俺は小さな炊事場を指さした。
通りすがりの子供に杵を持たせるのも、俺は大好きだ。
人生で一度や二度、杵を持ってもいいだろう?
「うわあああ、重たい!!」
「よし、良いわよ!」
お母さんも小さな子供に声をかけた。
奥を見ると、すでにつき終えた餅をボウルに入れて、真琴と杏奈と美波さんが小さくちぎって味をつけている。
きな粉に海苔に餡子。
つきたての餅は、すぐ食べても、持ち帰っても美味しい。
休憩している俺に気が付いたのか、真琴が持ち場を離れて、俺の方に来た。
手には、きな粉餅を持っている。
「美味しいよ」
そう言って、俺の口に餅を入れた。
ふかふかできな粉が沢山ついていて、俺はそれを味わって食べた。
「うん、いいな」
上手につけている。
餅は毎回水加減が難しくて、俺はそこも気に入っていた。
「僕もやりたい!」
真琴は杵を見て言った。
子供はすでに疲れて場を離れていた。
「やってみれば?」
俺は真琴に杵を渡した。
実は杵は重さ4キロほどあり、かなり重く、大きく振りかぶると……
「おおお、ひっくり返る!!」
真琴が叫ぶ。
「小さくトントン……で良いんだぜ」
俺は背中を支える。
「ぺったん、ぺったんしたい!」
振向いた真琴が叫ぶ。
ぺったん……ぺったん……?
俺は真琴の言い方に思わず吹き出す。
「ぺったん……ぺったん……?」
お母さんも笑う。
いや、言いたいことは分かるけど。
「こう、持ちあげて……」
真琴が杵を大きく振り上げると、やはりひっくり返りそうになる。
「待て待て、何のイメージだ、それは」
「薪割り」
「これは餅つきだ!」
「ぺったん……ぺったん……」
お母さんはどうやらツボに入ったらしく、ずっと笑っている。
「ぺったんですよね?」
真琴が叫ぶ。
「ぺったんね!」
お母さんも開き直って、叫んだ。
俺たち、ぺったん部隊! 俺たちは作業を再開した。
真琴は少し慣れてきて、リズミカルに杵で餅をつく。
「おお、楽しいな」
「だろ?」
俺たちは交代で、餅をつき続けた。
もちろん、ぺったんぺったんと叫びながら。




