俺の家でお姉様
「真琴……お姉様とよんでいいですか……」
「あ、うん」
目をキラキラさせて妹の梨々花が真琴を見ている。
真琴は完全に引き笑い。
口元がピクピクしている。
正月早々、我が家の空気は変態度マックスだ。
真琴は俺の実家に三日滞在するために、俺にお願いをした。
「俺の家族に性転換病になったことを話したい?」
真琴は真顔で静かに頷いた。
「僕さ、正月ずっとホテルにいるのは寂しいなって思ってた」
「だよなあ」
俺は雑巾で机の上を拭きながら聞いた。
真琴も本をどかしながら、机を拭いている。
年末最後の部屋掃除だ。
「でも、お風呂とかあるし、結局嘘をつく回数が増える」
「……嘘、ね」
嘘だと思ってるのか。
もちろん嘘なんだけど。
真琴はアーバンにいるのを当たり前のように生活していたので、そこに罪悪感を感じていると、俺は感じていなかった。
どうやら俺の考えが甘かったようだ。
俺は椅子に座る。
軽い音を響かせて椅子が回転する。
真琴は雑巾で机を拭きながら続ける。
「コンサートでも、舞台裏はみんな上半身裸で歩いてて、僕はずっとTシャツを中に着てたけど、不思議がられた。嘘に嘘を重ねてる」
「そうか」
そんな風に思うなら、いっそアーバンを辞めて……と一瞬思うが、真琴がいない寮なんて、アーバンなんて、考えられない。
俺は目をつぶって小さく首を振った。
「アーバンも、龍蘭も、この寮もすごく気に入ってる。だからそのための嘘はつくけど、これ以上重ねたくないよ。それに一馬の家族なら、大丈夫だ」
「……そうかなあ」
最近の真琴はバレても大丈夫! が多すぎる気がするが、やはり心苦しくて、信頼できる仲間が欲しいのが本音だろう。
「ちゃんと話したい。良い?」
真琴も椅子に座って、俺の方を見た。
ダメだと断ることも出来ず、俺は黙る。
正直俺の両親は大丈夫だと思うけど、梨々花がなあ……あいつミーハーだから……。
ミーハー……。
「真琴、俺にアイデアがある」
俺は雑巾を持って立ち上がった。
「LINKSの大宮颯人さんの直筆サイン……しかも梨々花さんへって……家宝にします」
梨々花はサインを見つめて、瞳を潤ませた。
俺のアイデアは、こうだ。
梨々花はLINKSの大ファンで、特に大宮先輩が大好きだ。
だから真琴から大宮先輩に頼んでサインを書いて貰った。
もちろん名前入りだ。
それを真琴が梨々花に渡す。
梨々花は昔から【自分の利益が減るような暴露をしない人間】なのだ。
LINKSの大宮先輩に気に入られている真琴の素性をばらすような事を、しないと思う。
梨々花は俺の友達にバラされて、幼稚園年中(5才)の時にはサンタの正体を知っていたが、それを逆に利用。
感動的な手紙を毎回書いて、欲しいものをバーションアップさせていった。
中学一年になった今もサンタを信じている演技を続けて、今年は某ランドの年間パスポートを手に入れている。
おかしいだろ、サンタに年間パスポートって。
でも「ミッキーさんにお話を聞いてもらいたいです」なんて感動的な話をするから、両親は信じ切っている。
梨々花は、損が出ることをしない。
「気に入ってもらえて良かったよ」
真琴は俺の家の狭いリビングで椅子に座って言った。
相変らず昼から暗いこの家の電気は、寝る時以外ついたままだ。
「真琴お姉様、ありがとうございます!」
梨々花はサインを抱えてリビングから出て行った。
お姉様という響きに俺も真琴も苦笑する。
「女の子……ねえ」
俺のお母さんが口を開く。
「信じられないかも知れませんが、本当です。一晩で、全てが変りました」
「……実はね、着付けた時に、細すぎるなーって思ってたのよ」
お母さんがお茶を両手で包んで、一口飲む。
「体重は10キロ近く落ちました。薬が合わなかった時期があって」
「薬も飲んでるの? 大変ね」
「でももう、一馬が一緒に動いてくれて、体に合う薬に変えました」
「役にたってるの、うちのバカ息子は」
お母さんが両肩をあげて、俺をバカにする。
「一馬なしでは、女だということを隠して一年も居られなかったかも知れない。本当に、感謝してます」
「あら! まあ! それなら良いのよ~」
俺は嬉しくて少し口元が緩む。
真琴に真っ直ぐに感謝されたのは、初めてかも知れない。
「俺の女の子センサーがビシバシきちゃってるから、真琴ちゃんはきっと良い女だね!」
どうしたら良いのか分からない……という表情で抱えたギターをいじっていた親父が突然言う。
「死ねよ、親父」
「ゆっくりしてくれよ~~我が家でええ~~~」
お約束の親父リサイタルが始まった。
「まじうるさい……」
「あ、でもねえ、お隣さん出て行ったの」
お母さんは振向けばすぐに手が届く棚からせんべいを出した。
「え、親父の歌がうるさくて?」
俺は片耳を押さえながら聞く。
「やっぱりここ、五階じゃない? おばあちゃんの膝が辛いって、一階に引っ越したの」
「階段、キツいよな」
確かに隣の部屋は80才のおばあちゃんが同居していた。
「で、隣の部屋も借りたのよ」
「えーーー? うちのどこにそんな金が」
「最近日舞のお弟子さんが増えて、利益がかなり。龍蘭の花魁の評判も最高だったのよ」
お母さんはせんべいを一袋真琴に投げた。
それを真琴が両手で受け取る。
「ナイスキャッチ! ……で、隣の部屋に日舞の衣装とか全部うつして、そこでレッスンもしてるし、部屋に余裕もあるの」
「おおお、すごいじゃん」
「ほい、一馬にはこれ」
ポイと投げられたせんべいは俺の大好きな梅昆布味の商品だ。
きっと俺が正月に来るから、買っておいたのだろう。
「……サンキュ」
パリッと開くと、大好きな梅の香りがして、実家に帰ってきたのだと思った。
「男と女なら、部屋は別のが良くないの?」
お母さんはせんべいを一口食べて言った。
「へ?!」
俺の脳天から声が出る。
「だって、女の子でしょ? 真琴さん」
「え……ええ、まあ……」
真琴も口にせんべいを咥えて微妙な表情だ。
「寮は仕方ないけど、女の子だと知ってて、同じ部屋でどうぞって……母親として言えないわ」
「まあ、うん、その通りなんだけど」
俺は何か恥ずかしくてバリバリとせんべいを食べた。
「え? 女の子じゃないの?」
お母さんは、何度か瞬きして言う。
「いえ、女になりました、けど。やっぱりアーバン所属ですし、寮にいるので、極力意識しないようにしてます」
真琴は慎重に言葉を選んで言う。
意識しないようにしてるって、俺が? 真琴が?
女としての自分を? それとも男の俺を?
俺の心臓が無駄に早く動く。
「じゃあ梨々花と寝ましょう。お姉様」
振向くと梨々花が立っていた。
「ああ、それが良いわね。一馬は隣の部屋で寝なさい」
「えーー……」
俺と真琴は同時に言う。
そんなこと言われると、なんだか真琴を女の子だと意識しすぎてしまう。
「私、ずっとお姉ちゃんが欲しかったの。筋肉お兄ちゃんじゃなくて」
梨々花がチラリと俺を見て言う。
「僕は一馬みたいなお兄ちゃんがいて、羨ましいけど?」
真琴の言葉に俺は唇を噛んだ。
やべえ、嬉しいぞ。
「あ、真琴お姉様、【僕】はどうしょうか」
「へ?! 何が?!」
今度は真琴が脳天から声を出す。
「女の子が、自分の事を僕というのは、私は良く無いと思います」
「いやいや、バレたらアーバン首になっちゃうから」
「私、ですよ」
梨々花は真琴にグイと顔を近づけた。
ツインテールがふわりと揺れる。
「……だが断る」
「真琴お姉様!」
「お姉様もやめてくれ!」
「ああ~~時の電車に乗ってえええ~~君と出かけたい~~」
梨々花と真琴が叫ぶ部屋で、更に親父が歌い出す。
やっぱりこの家は狂ってる。
お母さんは何も気にせずに正月用の分厚いチラシを見ている。
「こっちの部屋、すごく広いじゃないか」
真琴は新しく借りた部屋に入って言う。
同じ2DKの間取りだが、荷物量が違う。
お弟子さんと踊る部屋には新しい畳が引かれていて、まだ井草の匂いがする。
真琴はゴロリと横になった。
「おー……やっぱり畳はいいなあ」
俺も横になる。
真冬の畳は、ほんの少し温かい。
「断熱だ、断熱」
俺は呟く。
「畳もふすまも障子も、優秀だよな」
真琴は目を閉じて言う。
「……ごめんな、何か、大騒ぎで」
俺は小さな声で言った。
隣の部屋で歌ってる親父の歌とギターのほうが聞こえるほどの声の大きさで。
「楽しいよ、本当に」
真琴は目を閉じたまま言う。
「うるさいだけだろ……」
特に親父の歌は、隣が居なくなってからバーションアップしてる。
ここまではっきり聞こえるとか、恐ろしい。
「嘘をついてないのが、こんなに気楽だと思わなかった」
「まあ、それは、なあ」
「寮でも潤とか湊元先輩とか、入って来すぎだよ」
真琴はフッと吹き出して笑う。
年末も掃除してたら、湊元先輩がモップ片手に乱入してきて大変だった。
あの人はいつまでも帰らない。
そして湊元先輩がくると、潤も来て、結局掃除にならない。
「楽しいけど、気が抜けないから」
「イヤじゃないなら、良いけど」
真琴は目を閉じたまま続ける。
「正月は、家にいても、正直居場所がなくて」
「従兄姉っていうのか? 沢山いるんだろ」
「家が極端に大きいから、部屋から出ないと誰にも会わないよ」
「へー……」
真琴の家は俺が想像してるよりお金持ちのようだ。
まあ愛人を何人も抱えられる財力……想像できない。
「皆仲がいいけど、なんか落ち着かない。仲良くしないとダメだから、仲良くしてる感じ」
「まあ暮らしていくのに必要だしなあ」
俺は想像で言う。
「何より、お父さんの寝室に、毎日入っていく人が違うんだ」
「わーー、正月早々話が重いなーー」
「ゴメン、吐き出したいのは、僕だ」
「まあ、うん、ゆっくり聞くわ。三日間、誰も邪魔しないぞ?」
俺が体を起こすと、目を開いて俺を見ている真琴を目が合った。
「……うん」
真琴が俺から目をそらして言う。
あれ、なんか、ちょっと言葉の受け取り方が微妙じゃないか。
「いや、邪魔しないっていうか、湊元先輩とか居ないから」
「分かってるよ!」
あはは、と笑って真琴が笑って体を起こす。
「僕は女の人をバカにしてる所があってさ」
「前に言ってたな」
「それはちゃんとした夫婦を見てないからだと思う」
まあ、寝室に毎日違う人が入っていく家では、難しいよな。
「でも、一馬の家族見てると、悪くないって思えるよ。それだけでここに来て良かった」
また親父の歌が聞こえてくる。
君だけをみていた、君だけを信じてー……。
「あ、これ」
真琴が俺を見る。
「叶う恋の歌、だな」
俺がアーバンのオーディションで歌って、真琴が俺より上手に歌った歌。
「……これが元祖か」
真琴が少し笑いながら言う。
ジャカジャカとギターが鳴る。
「でたらめにも限度があるだろ」
俺も笑う。
「バラードだろ、この曲」
「俺たちが知ってる元曲はな」
すう……と真琴が息を吸う。
「何も変らないよー……君と出会ったあの日からー……」
真琴が歌い出す。
その声は細く高く、広い部屋に響く。
「真琴も歌えばいいのに」
俺は呟く。
「一馬はもっと曲を作りなよ」
真琴は歌うのを止めて言った。
「曲なー……」
作るのは嫌いじゃないと、この前魔法少女の曲を作って知った。
同時に曲は一人じゃなくて、たくさんの人間が編曲を重ねて、売っているような曲になるとも知った。
「僕は好きだよ、一馬の曲」
真琴は畳から立ち上がって言った。
好きという言葉に俺の心臓がドキリと動く。
「……まあやってみるわ」
とりあえず口に出す。
「ダンスには僕に勝てないから、他のこと考えないと」
「あー、言ったな」
俺も立ち上がる。
「……僕に勝てないと、一緒にデビューできないよ」
目の前に立った真琴は、思ったより真剣な表情で言った。
「……そうだな、その通りだわ」
俺もそれは思っていた。
真琴はデビューに近い場所にいる。
俺も、真琴と同じ場所で物を見たい。
「一馬が僕に勝ってるのは、筋肉と作詞能力だけだ」
「うわ、酷い」
「全力で褒めてるけど?」
「その言い方で?」
「一馬ー。真琴さーん、夕ご飯よーー!」
隣の部屋からお母さんの声がする。
「夕ご飯はすき焼きよーー!」
「おおおおお」
俺と真琴は先を争って部屋を出た。
「すき焼き! 生卵!!」
俺は叫ぶ。
「生卵って苦手だなあ」
「はーーー?!」
俺たちは肩をぶつけながら玄関を出る。
素の真琴と二人は確かに楽しい。
でも寮で俺の目の前の真琴と同じだとも思う。
だったら俺の前ではいつも変らないってことだ。
それは少し嬉しい。




