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たった一つの真実と「好き」

 俺たちが登ってきた道より、こっちのほうが傾斜がキツい。

 下りは勢いが出過ぎると膝を痛めるので、大腿四頭筋だいたいしとうきんを意識しながら下りる。

 毎日スクワットしてるから、負荷が気持ちいい……じゃなくて!

 気持ちを落ち着けようと思って考えることが筋肉ばかりで我ながら笑う。

 真琴は大丈夫なのか? 筋肉のことを考えないと、そればかり思ってしまう。

 水音が聞こえてきて、せせらぎの滝という看板が見えた。

 見つけた。

 俺は細道に入っていく。

 遠くで響いていた雷鳴が近くなっている。そして一瞬世界が光る。雷光だ。

 1.2.3.4……数えると10秒以内に雷鳴。

 これはこっちに来るな。

 滝が見渡せる場所に来たが、真琴の姿が見えない。

「真琴!」

 俺は叫ぶ。

 どこで滑ったのか、もっと詳しく聞くべきだった。

 滝まで来たらすぐに姿が見えると思っていた。

 崖のほうに近寄ってみる。

 泥濘み始めている場所より、下。

「一馬ーーー!」

 下を見ると、4mくらい崖下に真琴が見えた。

 ズボンは濡れていて、諦めたように大きな石の上に座っている。

 手にはスマホを持っている。

「こりゃまた、派手に落ちたな」

 見ると、土がズルズルと崩れている。

 ここから落ちたのか。

「スマホ取ろうと思ったら、一気に転がり落ちたよーー……うおおおおお!!」

 ドスンとお腹に響く雷鳴に真琴が頭を抱える。

 太鼓を乱れ打ちするような音が響く。

「待ってろ」

 俺は周りの木を掴んで、足場を選びながら下におりた。

 水場から離れたほうが濡れてないから、いいな。

 上れそうな場所を確認しながら行く。

 何度か滑り落ちそうになりながら、真琴の場所までたどり着いた。

「あはは……」

 真琴が力なく言う。

「あははじゃないよ」

 俺は呆れる。

 真琴は、ズボンは腰まで濡れていてドロドロで、何故か左足だけ靴がない。

 上半身のTシャツは黒だから汚れがよく分からないけど、濡れてるのは分かる。

「大丈夫か?」

「だいじょうホワーーーああああ!!」

 立ち上がりかけた真琴がまた石の上に丸まる。

 上空を白く光る稲光が走り抜けて、同時に空気を裂くような雷鳴が響く。

「大丈夫じゃないだろ、雷」

 俺は真琴の目の前に座った。

「……覚えてた?」

 真琴が抱えた膝から顔を少しだけ出して言う。

 その表情は、完全に半泣きだ。

 俺がアーバン専門誌に答えた苦手なものは、ジェットコースター。

 真琴が答えた苦手なものは、雷だと、さっき思い出した。

「雷やばい。山だよ、山。ちょっと雷に近いじゃないか。雷やばい……雷に近づいててやばい……」

 真琴は膝を抱えて、口だけくるみ割り人形のようにカタカタ動かしながら言う。

 その様子が面白くて、俺は口元に浮かんだ笑いを唇を噛むことで誤魔化した。

「……笑うなよ」

 真琴が俺を睨む。

「さ、行こう。あ、靴は?」

「もっと下に落ちた」

 真琴は頭を小さく動かして、崖下を指示する。

 1mくらい下に真琴の靴が落ちている。

「なんでここまで落ちるんだよ」

 俺は半分笑いながら、木を掴んで下りて、靴を持ってきた。

 靴は水に濡れて、重い。

 俺はビニール袋を取り出して、靴を入れて、そのまま自分の鞄に入れた。

「ここから離れよう。水がしみ出してて、泥濘んでる。歩けるのか?」

「右足を挫いたし、左足は靴もないし、石で擦った」

 真琴は口を尖らせて子供のような表情で言う。

「ほら、掴まれよ」

 俺は真琴の腕を掴んで、俺の首にかけた。

 首にかかった真琴の腕は冷たくて、体中が濡れていることに気が付く。

「真琴、体、冷たいぞ、大丈夫か」

「ずっと座ってたからかな。動けるよ、大丈夫」

 ポツリと首元に水を感じる。

 雨が降り出した。

 ここは滝の下だ。

「早く上がろう」

「了解」

 真琴は靴がない左足の靴下を抜いて、ズボンに入れて、裸足で歩き始めた。

「体重は俺にかけろ。左足だけで登れるか?」

 コンサートも近いし、真琴はメインに近いダンスも任されている。

 ここでケガをこじらせるわけにいかない。

 だから俺を呼んだのだろう。

「左は足首すっただけだから」

 真琴が俺に体重を乗せたら、俺が真琴を引っ張り上げる。

 そして負傷した右足を少し着地させる。

 それを繰り返して、ゆっくりと登った。

 途中で雨が本降りになってきて、完全に俺たちは濡れ始めた。

 こうなると少し面白くなってきた。

「これが本当のアトラクションだな」

「遊園地も顔負けだ」

 真琴も笑った。

「ほら、もう少し。体重こっちに」

「もう疲れた……」

 真琴が完全に体の力を抜く。

「アホか!」

 俺は叫びながら、真琴の腰を抱えて一気に上に上げた。

 抱えた腰が、さっき掴んだ美波さんより細くて、心の中で驚く。

「到着」

 真琴を平らな場所に座らせた。

「登ったーー。あそこに居たのか。ほんと、結構落ちたな」

 真琴は崖の下を見て苦笑する。

 雨が激しくなってきて、雷光が森を支配する。

「ギャーーーーー!」

 真琴が叫ぶ。

「もう面倒くさい。乗れ!」

 俺はしゃがんだ。真琴をおんぶして走ったほうが早い。

 真琴は俺を睨む。

「イヤだよ、一馬におんぶされるなんて、ヤダ」

「ケガして! 靴もなくて! 雷でぴーぴー叫んで! 選択肢なんてねーだろ」

 俺が叫ぶと当時に雷鳴が地震のように森を揺らす。

 どこかに落ちたようだ。

「うおおおおおおお落ちたぞおおおおお」

 両方の指を開いて、真琴が大きな口を開ける。

 その顔を雷光が照らして、直後に雨が叩いて、安いホラー映画のようだ。

「あははははは!!」

 俺は水たまりが出来はじめた地面に膝をついて笑う。

「笑うなよ!」

「もう乗れって!」

「重いからヤダ」

 真琴が言う。

 重くないことは知っている。

 でも、それを言ったら更にヘソを曲げる気がした。

「分かったから! 早く戻ろうぜ、みんな心配してる。絶対俺がおんぶで走ったほうが速いから」

 俺はしゃがんだまま待つ。

「……お願いします……」

 真琴は俺の背中に乗った。

 一瞬氷のように冷たくて驚いたが、くっつくと体温が温かくて安心する。

「……温かいな」

 真琴が言う。

「行くぞ」

 俺は立ち上がる。

 ……すげえ軽い。正直さっき抱えた美波さんより全然軽い。

「重くない?」

 真琴が耳元で言う。

 同時に送りこまれる空気に背筋がゾクリとする。

「大丈夫。行くぞ」

 俺は歩き出した。


 雨はどんどん酷くなるが、雷はかなり遠ざかった。

 背負って山道を歩く。

 山道は当然舗装されてない。

 泥水が滝のように流れてきて、足元は最悪だ。

 でも俺には筋肉がある。

 やっぱり筋肉最高だな。

 真琴を背負ったまま登る。

「……重くない?」

 真琴が耳元で言う。

「だから、大丈夫だって」

「……一馬は、本当に力があるな、体育祭の時も思ったけど」

「真琴も鍛えろ。もう少し力があったほうがいい」

 遠ざかる雷鳴が泣き声のように聞こえる。

「……僕さあ、杏奈さんを支えれると思ったんだ、当たり前に」

 真琴が俺にギュッとしがみつく。

 俺は何も言えない。

「でも、ダメだった。ぜんぜんダメだった」

「……そっか」

 俺は小さな声で答える。

「……僕さあ、杏奈さんに、告白されたんだ」

「うええ?!」

 俺は振り返ろうとするが、真琴は俺の首の横に頭を埋めているので、首が動かなかった。

 真琴が小さな声で続ける。

「友達より、ほんの少し、女の子として見て欲しいって」

「…………へえ」

 控えめな言葉が、杏奈らしいと思った。

「僕さあ……答えられなかった」

「……そうか」

「女の子だよ、杏奈さんは、間違いなく可愛い女の子だ」

「え? 女として見られないって事じゃなくて?」

 真琴は俺の首に頭を挟み込んで、小さく首を振る。

「僕は、杏奈さんに嘘をつきたくないって思ったんだ」

「嘘?」

 思わぬ言葉に驚く。

「女の子として見て欲しいのは、男の僕に、だよな」

 そういうことか、と納得する。

 そりゃ女の子相手に、女として見てほしい……とは言わないよな。

「杏奈さんが夢に向かって真っ直ぐで正直で……そんな杏奈さんに、嘘つきたくないって、思ったんだ」

 雨が俺たちと叩いて、小さな塊にする。

 真琴とくっついている背中だけが、お風呂の中にいるように温かい。

 もう一度真琴が俺の首にしがみつく。

「嘘って……女なのに恋愛対象として見られるのがダメってことか?」

「そういうこと、だよなあ……認めたくないけど、認めてないけど、女になったんだな。本当に女になっちゃったよ、一馬……」

 俺は何も言えない。

 真琴は俺の背中でコテンと頭を預けた。

 背中に冷たい物が流れる。

 それが涙なのか、汗なのか、雨なのか、俺には分からない。

「僕は、男じゃない。女の子なんだ。もう頭では分かってる。でも理解できてないんだな……」

「……俺はさあ、男でも女でも真琴が好きだよ」

 俺は言った。

「……好き?」

 真琴の言葉のトーンが変わる。

「いやいや、人間としてって、話だ」

 俺は慌てて否定する。

「好きというより、尊敬してるし、一番のライバルだと思ってる」

「うん……」

 真琴が手を動かして、目をこすっているのが分かる。

 泣くなよ。

 俺は心底思う。

「男も女も関係なく、俺はお前のダンスや、歌も好きだし、そこに嘘は無いぞ」

「うん……」

 何度も俺の首の上で真琴が頷く。

「悲観的になるなよ。真琴は笑ってろよ。踊ってろよ、歌ってろよ」

 ふふ……と背中で真琴が笑う。

「一馬は、僕を好きだなあ」

「はあああ?!」

 俺は思わず叫ぶ。

 顔が燃えるように熱くなる。

「……一馬ならいいよ」

「は?」

 俺はなんとなく振向く。

 微笑んだ真琴と目が合う。

「一馬なら、僕を女の子として好きになってもいいよ」

「何言ってるんだ、お前は!!!!」

 俺は思わず叫ぶ。

「一回キスしたら10年奴隷な」

「何を言ってるんだ!!」

「我慢できなくなったら言えよ」

「ホモじゃねーーー!!」

 雨がやんで、神社が見えてきた。

 ベンチに二人が見える。

「ホモじゃない。僕は女の子だ。もう無茶は止める」

 無茶を止めてくれるのはありがたいが……。

 真琴はトンと俺の肩を叩いた。

「歩くよ、大丈夫」

「……おっけ」

 俺は真琴を下ろした。

 真琴が俺を見て言った。

「ありがとう、一馬」

「……気をつけろよ」

「ありがとう」

「……いいって」

 真琴が俺をまっすぐな目で見ている。

 そしてニッコリと微笑んだ。

「二回目のありがとうは、違うありがとうだ。分かる?」

 目尻をさげて笑う。

「分かるから、行こう」

 杏奈と美波さんが走ってくる。

 真琴が歩き出す。

 その背中を見て俺は思う。

 真琴が好きだ。

 どうしようもなくマジメで悪魔みたいに可愛くて、それでも弱くて、でも必死に生きてる真琴が好きなんだ。

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