雷鳴と消えた真琴
「さて。こっちかな」
美波さんがスマホのマップを見る。
「出てきた神社が、こっちかな」
しかし、完全に向きが逆だ。
「それって、進行方向向く設定になってますか?」
俺は言う。
「GPSってやつでしょ? 大丈夫、バッチリだよ」
美波さんは自信満々に言う。
合ってるような、全然違うような……。
「ちょっといいですか?」
美波さんのスマホを借りてみると、位置情報がOFFになっている。
「これじゃたどり着けませんよ」
俺は小さく笑った。
「え? なんで? そうなんだ? どうすればいいの? 電波が足りない感じ?」
美波さんはスマホを高く持ち上げた。
手首につけたアクセサリーがカシャンと小さく揺れた。
よし、理解した。美波さんは機械音痴だ。
「分かりました。俺が見ます」
「頼んだ!」
俺は自分のスマホで位置を確認して歩き出した。
「山道は、どれくらい厳しいんですかね?」
俺はマップをいじりながら言う。
マップで見ると八割が山道だ。
真ん中に見えるバス用の道が輝いて見える。
でも、バスは一番上の神社にしか行かなくて、御朱印周りをする場合、徒歩しかないらしい。
「昨日杏奈とブログとか見てたけど、結構すごいよ。だってこの山も高尾山くらいあるし」
マップで山の情報を見る。
「500m……ああでも、登りは80分、下りは60分か」
バスの時刻も出るが、一時間に一本も無い。
こりゃ帰りのバスを逃すと大変だ。
今は昼の1時。6時のバスには余裕がありそうだ。
「でもさあ、80分登るって、結構大変だよね」
杏奈さんが笑う。
「コンサートだと思いましょう」
俺は自分を納得させるために言った。
これも体力つくり……すなわち筋肉へ続く道。
山を登るということは、膝の屈曲や伸びあがりの連続だ。
主に使うのは、大腿四頭筋にハムストリングスに下腿三頭筋……石や根っこを避ける動きはインナーマッスルに続く道……。
「今、筋肉のこと考えてたでしょう」
美波さんが俺の背中をツンと突く。
「え? なんで分かったんですか?」
俺は驚いて振向いた。
「意味なく肩がピクピク動いてたから。なんか運動モードかなって」
「……正解です」
「あははは! 山上りは良い筋肉トレーニングになりそう?」
俺は話題を探すのが苦手だけど、こうして俺の得意ジャンルに話を持って行ってくれるのが嬉しい。
でも俺はこういう時に調子に乗って筋肉トークして女子に引かれてきた。
前もお腹周りを痩せたいの、と相談されて、じゃあスクワット始めましょうか。まずは大腿四頭筋を鍛えることで全体の代謝が上がるので……と説明を始めたら、それを聞いてきた女の子がもう居なかったことがある。あれは何だったんだ、今も分からない。
だが、あまりヘビーな筋肉話が女の子に受けないことを、俺はさすがに学んでいる。
「足元が悪いじゃないですか」
「そうだね、根っことか多いね」
「バランス能力は、鍛えられそうですね」
「平均台みたいな?」
超納得した! みたいな表情で美波さんが言う。
よし、上手にオタク話を一般的な感じに落としたぞ? どうだ真琴!
俺は横にいない真琴に、心の中で話しかけた。
きっと真琴は、結局筋肉の話しかできないの? って笑うんだ。
苦笑する笑顔を思い出すと、少し胸がチクリと痛む。
「……あっちの二人は大丈夫かな」
俺は小さな声で言った。
言うというより、口から漏れた……が正解だった。
「杏奈、二人で回るんだ! って、すごく頑張って調べてたから」
美波さんがその場でクルリと回って言った。
「……杏奈は、マジメに、真琴と付き合いたい……的な感じなんですか?」
俺は何となく目をみて言えず、足元に注意してる風に、下をみて言った。
「うーん、サッカー忙しいし、彼氏が欲しいって感じじゃないけど、ちょっと特別だと嬉しい……みたいな感じかな」
「ああ……」
少し分かる。
ほんの少し特別になりたいんだ。
俺が真琴に対して向ける気持ちと、同じだと思う。
でもそれは……何かの始まりだという事も、俺は気が付いている。
「ふー……」
小さくため息をつく。
俺は気が付いた。
真琴と杏奈が一緒にいるのを見ると、心の奥でチクリと何かが痛む。
それはきっと、普通に男女として一緒に居られる二人が羨ましいんだ。
俺は、真琴を女の子として意識し始めてる。
「おおお、もうゴールが見えてるよ!」
美波さんは足取りも軽く上っていく。
森の奥。
上のほうに小さくゴールとなる寺が見えていた。
やはりダンスをメインにするアイドルグループ。
80分かかる山上りは、60分も掛からず登り切りそうだ。
きっともう少し体力がない人で時間を計算してるのだろう。
俺も心地の良い疲れに、テンションが上がった。
真夏なのに山を登れば登るほど、気温が下がっていくのが分かり、遊園地でアトラクションに揺られているより気分が良かった。
乗り気じゃなかったけど、正直こっちのが楽しいくらいだ。
14カ所あった小さな寺には全てお坊さんが居て、丁寧に御朱印を書いてくれた。
これがみんな特徴があって面白いのだ。
悪くないな……と思いながら、御朱印帳が入ったリュックを背負い直した。
「滝! ねえ、滝があるよ!」
美波さんは水音がするほうに走って行った。
空気が更に涼しくなる。
足場が泥濘みはじめて、水場が近いのが分かる。
奥に入って行くと結構大きめな滝があった。
高さ3mほどだろうか、水が一本下りてきている。
そのまま小さな川になって落ちていく。
何カ所か橋と川があったが、ここから流れているのか。
「マイナスイオンだ~~~」
美波さんは近寄っていく。
小さな水しぶきが俺のほうにも飛んでいる。
歩いてきて汗をかいた体に、気持ちが良い。
「触りたいー。汗かいちゃったよー……って、うっわあああ!!」
美波さんの叫び声。
足元が濡れていて、滑ったらしい。
完全にブリッジの状態でなんとか耐えている。
「……一馬くん、助けてーーー」
「あははは!」
俺は笑いながら、美波さんに近づいた。
そして背中に手を入れて、体を起こした。
Tシャツは汗で濡れていて、それが腕に触れて少しドキリとする。
美波さんの足元がまた滑って、ズルルッと滑る。
「あわわわ」
「危ないですよ」
俺は美波さんの手を握って、腰を抱いた。
フワリと香る花のような匂いのシャンプー。
俺の頬に細い髪の毛が触れた。
柔らかい体。
そして腰が……細い!
「……ありがとう」
美波さんはうつむいて小さな声で言った。
「……いえ……」
目の前でみる美波さんの頬は真っ赤で、俺は心臓が苦しくなる。
許されるなら、おおおおお女の子を抱きしめてるぞおおおと叫びたいが、ここは冷静に。
なぜなら足元がかなり泥濘んでて、調子に乗ると俺も転ぶ。
手を繋いで、足下が濡れてない場所まで一緒に行き、やっと手を離した。
「……助かったよ」
美波さんは俯いて両手で髪の毛を直した。
「いえ、危ないですね、あそこ」
俺は冷静さを保ちながら言った。
よく考えたら、今俺、アイドル枠の女の子と二人きりなんだな……。
いや、今更なんだけど!
急に手汗を感じて、ズボンで拭いた。
「到着~~」
俺たちはゴールの寺についた。
さすがバスも来る寺。
今で回ってきた寺のどこよりも大きくて、赤い鳥居が深い森の中で美しい。
寺の前のベンチが待ち合わせ場所だが誰も居ない。
中の寺は、見渡せる広さなので、軽く中を確認したが、人気もない。
「先に着いたかな」
俺はベンチに座った。
スマホを確認してもラインも入ってない。
両方のルートであまり距離に差はない。
少し杏奈の方が長いかな。
「一馬!!」
反対側の斜面、杏奈が見えた。
「ういーっす」
ほぼ同時か。
そう思ったけど、心にザワリと音がする。
一緒にいるはずの真琴が居ない。
「おい、真琴は?」
俺はスマホをポケットにしまった。
「実はケガしちゃって。少し下の滝の場所にいる。せせらぎの滝って場所」
「……ひょっとして」
俺はさっきのことを思い出していた。
美波さんが足を滑らしたこと。
あれと同じことが……?
「私が悪いの。調子にのって滝に近づいたから……」
やっぱり。
暑さで触りたくなる気持ちは理解できるけど……。
杏奈をよく見ると、ズボンが濡れて、少し破れ、血も見えている。
美波さんより派手に転んだようだ。
だから杏奈を真琴は支えきれなかった……?
「真琴くん、石場で足をくじいて。何が悪いって、スマホも落としちゃったんだよー。私のも水没しちゃったの」
杏奈はスマホを取り出した。
「電源入れるなよ。自然乾燥で直る可能性もあるから。真琴のスマホは?」
「滝から少し下に落ちちゃって。それを取ろうとしたら、更に落ちちゃって。ああ……私が悪いよー。とにかく知らせようと思って先に上がってきたの」
杏奈が少しパニックぎみになって話す。
俺は杏奈の両肩を掴んで優しく撫でた。
「大丈夫、俺が行くから」
「私も行くよ!」
杏奈が言う。
「いや、お前、膝すりむいてるよ。ズボンも破れてるし。座ってな」
「うえーん、ごめん!」
「気をつけて、待ってるね!」
美波さんは杏奈をベンチに座らせて傷の確認を始めた。
俺は手をふって、杏奈が上ってきた道を下り始めた。
遠くでゴロゴロ……と雷の音がする。
やばい、ゲリラ豪雨か?
真琴が落ちた場所は、小さいけど滝だ。
増水したら危ない。
「杏奈! 雨がくるかも。寺の中に入れてもらえ!」
俺は振向いて叫んだ。
「一馬、傘持って行って!」
杏奈が傘を投げる。
俺はそれを受け取った。
「行ってくるわ」
「お願いね!」
俺は傘を鞄に入れて歩き出した。
雷の音が近くなってきている。
こっちにくる? 間に合うか?
俺は傘を握りしめた。




