ひとりじゃない、それだけで
「……冷たっ!」
「ちょっと飲んだ方がいい」
目を覚ますと、横から真琴が覗き込んでいて、おでこに冷たいスポーツ飲料が乗せられていた。
「……サンキュ」
俺はそれを手に取って布団から体を起こした。
スマホで時間を確認する。12時半。
「昼か」
結構寝ていたようだ。
俺は真琴が持ってきてくれたスポーツ飲料の蓋をあけて飲んだ。
冷たくて気持ちいい。
「少し食べる? 体調崩した時だけ、食堂から持ち込みオッケーだって」
「ああ、ありがとう」
「素うどんでいい?」
「カレーはやめてくれよ」
俺はチラリと真琴を見て言った。
真琴は昼ご飯といえば食堂でカレーうどんばかりで、なぜ飽きないのか分からないレベルだ。
「病人に油取らせないよ。待ってて」
真琴は部屋から出て行った。
枕元に置いてある体温計を脇にさして、もう一度熱をはかる。
38.3度。
……あ……あがってる!! 熱があがってるーー!
自慢じゃないが、俺は39度の熱は出したことがない。
一気に不安になってきて、気分が下がる。
治らなかったら、いつまで寝てればいいんだ。
暇だし頭痛いし、もう半日でイヤになってきた。
明日もここで掃除機の音を聞きながらセンチメンタルジャーニーするのかよ。
いつも皆がいる場所で、一人でいるのは、思ったより堪える。
「うどんだよー」
うどんを持って入ってきた真琴の後ろに、マスクした潤も立っている。
「……なんで半泣きなの」
潤がマスクを口から少しズラして笑った。
「だって熱が上がってるんだ。39度とか出たら、俺死ぬんじゃ……」
「ぎゃははは! 弱気すぎる! 高東くん、でかい体で弱きすぎる!」
潤がケラケラ笑う。
それを真琴が部屋の外に押し出す。
真琴はうどんを俺の机に置いて、ベッドにきた。
「一馬。更に熱が上がるのは悪いことじゃない。体中の悪い菌を、体がやっつけてる証拠だから。それに40度の熱でも死なないよ。でも熱冷ましは保健医から貰ってこよう。弱気になるくらい高熱なら、飲んだほうがいい」
真琴は俺の横で静かに言った。
「……冷静だな」
俺は少し恥ずかしくなって言った。
「ほら、うどん食べろよ。立てるか?」
言われて俺は布団から出て、席に座り、うどんを食べ始めた。
「……うまい」
柔らかいうどんが美味しい。
なにより醤油の汁がしみる。
「熱出したら、水よりうどんの汁とか、味噌汁のほうがいいんだよ。汗には塩分が含まれてるからね」
真琴は自分の椅子に座った。
「詳しいんだな」
俺はうどんを食べながら聞いた。
「僕はお母さんとずっと二人でさ、体調が悪くて寝込むと、家でひとりだったんだ。色々調べて、詳しくなった」
「なんていうか……真琴の過去話は基本的に滅入るな」
「あはは、そう言って貰えると、むしろ救われる。こうやって今、役に立つ知識になったから良いんだ」
俺と真琴は、新聞部の話をした。
そして頭を丸刈りにした樹先輩が教室に謝りにきたことを聞いた。
「なんか、僕も、新聞部に対して大人げなかったな」
真琴が呟く。
「まあ、状況的に仕方なかっただろ」
俺はうどんの汁を全部飲んで言った。
「入学した時は、秘密を守らなきゃ、病気を誰にも知られたくないって……そればかり考えてたけど、思ったより誰も気にしないな」
「そりゃ……男子寮にさあ……」
その後の言葉はわざと控えた。
口にしなくても良いことは、秘密にするくせを付けたい。
「一馬が信じられるから、もう少し気楽に付き合ってみるよ、色々」
「……気を抜きすぎるなよ、朝みたいに」
「アレは失敗だった。やっぱ寝る時もブラはしとくか。ていうか、普通女の人は寝るときにブラするのか? 一馬知ってる?」
真琴はまた自分の胸を掴んだ……が、今はブラをしているので、何も掴めない。
俺はその様子を目を細めて見ていた。
「……なんだよ」
真琴が俺を睨む。
「いいえ? 何でもありません」
俺は布団に戻った。
「そういう態度だと、帰りにみかんの缶詰買ってこないぞ」
真琴が俺のベッドの横に立って言う。
「……!! なんで俺が風邪をひくとみかんの缶詰食べたくなること知ってるんだ」
俺は布団から顔を出した。
「杏奈さんに聞いた」
真琴はにんまりと笑った。
「ホントにお前ら……仲良くなったな……みかんの缶詰買ってきてください」
俺は両手を合わせた。
「杏奈さんに、一馬が熱出したって言ったら、ああ~じゃあ、みかんの缶詰食べたい~って言い出すよーって。さすが幼馴染みだね」
杏奈に個人情報をバラされて、俺もひとつバラすことにした。
「杏奈はモルフィーって、おっさんバンドの追っかけしてたんだぜ。歌ってやれ、愛の奇跡」
「え、僕、モルフィー好きだよ」
モルフィーは男60才三人衆が背中に天使の羽をつけて、派手なギターをかき鳴らすバンドだ。
あんな奇妙なバンドを好きな人が、杏奈の他にいるなんて。
「……解熱剤貰ってきてくれ」
俺は気力を失って言った。
「了解!」
真琴は部屋から出て行った。
頭の中でモルフィーの代表曲、愛の奇跡が流れてる。
ああー君と出会えた銀河でえええ……。
……頭痛い。
何か枕元に置かれてるのは分かる。
でも解熱剤は睡眠薬的な仕事もしているのか。
頭が重くて、瞼も重くて、動けない。
俺はクスクス笑う声は聞こえるけど、無視して眠り続けた……。
廊下を誰かが笑いながら歩く声で目を覚ました。
「……痛っ!!」
俺の頭にゴロリと何かがぶつかった。
見るとみかんの缶詰……が枕の周りに沢山並んでる。
なんだこれお供え物みたいだぞ。
その数、1.2.3.4.5.6……15個くらいある。
好きだと言ったけど
「ありすぎだろー!」
俺は暗闇で叫んだ。
隣の部屋で物音がして、廊下を歩く音がする。
そしてドアが開いて、部屋の電気がついた。
「あ、一馬起きた」
パジャマの真琴が入ってきた。
その後ろにマスクをした潤と、優馬。
「なんだこの量の缶詰は」
俺は両手に缶詰を持った。
「一馬が病気になるとみかんの缶詰食べたがるって言ってたら、みんな買ってきてくれたよ。良かったね」
真琴が微笑む。
「僕も買ったから」
潤がマスクを少しズラしてピースサイン。
「ちょっと遠いスーパーまで行ったよ?」
優馬もドヤ顔。
「いや……嬉しいけど……うん……」
多すぎるけど、熱がなくても、みかんの缶詰美味しいし……。
さっきまで一人で寝てたのに、その淋しさが吹き飛んで、嬉しさが買った。
「食堂終わっちゃったけど、おにぎりだけ作っておいて貰ったよ。あとほら、インスタントだけど味噌汁でどう?」
真琴は俺の机の上を指さした。
「……ありがとう」
枕元に落ちていた体温計で熱をはかると、36.2度。
真琴が横にやってきて、それを覗き込む。
「熱下がったね。良かった、良かった」
そういって真琴は微笑んだ。
「なんだ変なウイルスじゃなかったのか、残念」
潤は部屋に消えて行った。
「さすが筋肉。復活が早いね」
優馬は軽く手をふって、ドアを締めた。
俺はふー……とため息をついて、ベッドから出て椅子に座り、インスタント味噌汁にお湯を入れた。
真琴は机で明日の準備をしている。
「潤の部屋で、俺が起きるの待ってたの?」
「寝てたから電気つけるのも、悪いじゃん? 結局ジェンガしてたけど」
真琴は教科書を集めて、鞄に入れた。
「あ、あと。杏奈さんが、私のラインを見ろって怒ってたけど?」
「スマホ自体見てないわ」
俺はベッドに戻ってスマホを見た。
杏奈からラインが入っている。
【どうせもう熱下がってるんでしょ? 明日昼休み付き合ってよ!】
俺は【了解】とクマが踊る絵を送った。
杏奈なりに俺を気にしてくれたのだろう。
真琴が俺の枕元に置いてあるみかんの缶詰を集めて、積み木……ならぬ、積み缶詰を始めた。
「あはは! みて、6個積めた!」
くだらない。
くだらないけど、なんだか嬉しい。
熱を出しても一人じゃないのは、良いことだなあと思った。




