ブラ、それでいいのか?
「あー、くそ暑い……」
真琴がユニットバスから出てきて、いつも通り俺の椅子に座り、ドライヤーをかけ始めた。
体育祭が終わり、そのまま打ち上げに突入。
また三時間も食堂でバカ騒ぎして、俺は心底疲れていた。
「風呂めんどくさい……でも臭い……入る……」
俺はずるずるとベッドから抜け出した。
体が鉛のように重い。
ホント龍蘭の人たちの体力は、半端じゃない。
真琴がカチリとドライヤーを止める。
「いつも思うけどさあ、一馬って風呂に入る前に、よくベッドに入るよね。汚くない?」
「真琴がいつも先に風呂入るからだろ!」
床に転がるわけにもいかず、必然的にベッドに転がる。
そういや、そろそろシーツも洗濯しないとな……。
こういう時、実家は楽だったなーと思う。
俺はベッドの下にある衣装ケースから下着とTシャツを出して、ユニットバスに入った。
真琴が出たばかりで、もわりと湯気がまだ残っている。
その目の前。
真琴がいつも着ている【カチカチの下着】が転がっていた。
俺は慌ててドアを開けた。
「おいこら真琴、お前大事なもの……つ、つけ忘れてるぞ!」
表現が【つける】で正解なのか分からず、言葉が空回りした。
真琴は俺の椅子に座ったまま回転椅子をクルリと回して
「あー、ごめん。でももう、部屋では付けなくていいかな、と」
「はあああ?」
俺は叫んだ。
「だって僕が女になったって、一馬は知ってるし」
「そんなの、前から知ってたわ」
「一馬はさ、僕が女でも、女扱いしないだろ?」
「……え……あ……まあ……」
言葉に困って口を開けたまま、目を泳がせる。
正直、体育祭の一件で、真琴のことを女としか思えなくなってきてて……。
「一馬の前でなら、僕は僕のままでいい」
真琴はにっこり微笑んで宣言した。
「いやいや、でもさあ、この部屋って、結構みんな勝手に入ってくるぞ? その時その、何もしてないってのは」
「なあ一馬。Tシャツ脱いで」
「なんで!?」
「脱いでよ」
真琴は真顔で俺のほうを見ている。
本気か? 何なんだ?
「正直ね、女になって膨らんできた僕の胸より、一馬の胸のが大きいよ」
真琴は自分の胸に服の上から触れた。
俺は目をそらす。
「なんだそれ!」
俺は思わずTシャツを脱いだ。
筋肉で胸はガッチリと盛り上がっている。
真琴がそれをじーーっと見る。
「……一馬、Bカップくらいあるわ」
「しらねーーーよ」
女の子の胸サイズが、どこからAでどこからBかなんて、俺の人生データバンクに必要ない。
「僕、Bも無いから」
「しらねーーーーよ。てか真琴、突然油断しすぎじゃね? 何なのこれ」
俺は突然女子トークを始めた真琴についていけない。
「一馬さ、騎馬戦で。樹先輩を片手で持ち上げたじゃん」
「ああ……」
正直、メチャクチャ軽かった。
「僕、樹先輩の力に、全然勝てなくて。思い知ったよ、女になったんだって」
真琴は椅子の上に足を上げて、背もたれに頭を乗せて言った。
「力じゃ、勝てない。そこは自覚しないとダメだ」
「……本当だよ」
俺は持っていたTシャツを洗濯カゴに投げ入れた。
「学校ではこれからもガッツリ男で頑張るけど、一馬の前では……良いだろ? もう疲れちゃったよ」
真琴は背もたれに頭を乗せたまま、俺の方をみた。
まだ濡れてる髪の毛が、細い首に張り付いている。
あんなに細くて男とか言い続けてるんだもんな、無理がある。
「……とにかく、これ、なんとかしてくれよ!」
俺は置きっぱなしの下着を指さした。
「はーい」
真琴がユニットバスに来て、下着を自分の洗濯カゴに入れた。
すると、ドスンと音がした。
「……これ、そんなに重いのか?」
「色々改造して自己流で作ったんだけど、1キロくらいあるかな。持ってみる?」
「持たない、持たない」
俺は首を振って断った。
真琴のとはいえ、女の子の下着を触るのは勘弁してくれ。
「一馬って妹居るから、そういうの慣れてないの?」
「梨々花はまだ小学生で、下着といっても、スポブラみたいなもんだ」
「スポブラ?」
真琴は心底不思議そうに聞いた。
「知らないのか? 布だけで出来てる下着だよ。ワイヤーなしの」
「へー……、一馬のほうが詳しいかも。オススメあったら教えて?」
「しらねーよ!」
俺はバタンとユニットバスの扉を閉めた。
2つ並んでおいてある洗濯カゴ。
真琴側に入っている下着を俺はチラリと見る。
ていうか、これ寮の洗濯機で洗濯してるのか?
マジで?
大丈夫なのかよ……はー……。
【それは困りましたね】
ラインで話す相手は、先日連絡先を教えてもらったメイドの華村さんだ。
【自作で一キロの下着なんて、ありえなくないですか?】
【無駄に締め付けても、苦しいだけですから。奏さまに相談してみます】
そんな話をして二週間後。
寮に真琴宛に荷物が届いた。
差出人は華村さん。
「なんだコレ?」
真琴は華村さんの名前さえ知らない。
俺は事情を話した。
突然人が入ってこないように部屋の入り口の鍵を閉めて、荷物を開く。
中には、お母さんがよく着ている補正下着のようなものが三枚入っていた。
引っ張ると、メチャ伸びる。
「ネット素材的な?」
「なんだろ、待てよ。手紙が入ってる」
本当は試着させたいけど、変なので体を締め付けるより良いから、当分これを使うように……と達筆な文字で書いてあった。
最後に小早川奏の名前。
「……すごく軽い。着てみる」
真琴は下着を持って目を輝かせた。そしてユニットバスに入った。
手紙の下に……あった! クッキーだ。
入ってるんじゃないかなーって期待してたんだー。
俺はそれを開けて食べ始めた。
甘さ控えめなのに、美味しいってスゴイよな。
あー、うまい。
バタンとドアが開いた。
「すごい、これ、すごく楽だ。それにほら、ぺったんこ!!」
真琴が興奮して胸を指さした。
……うーん、なんだろう。
俺がBカップなんだろ?
真琴がそれ以下ってことは、Aカップとかだろ?
Aカップって、最初から、ぺったんこじゃね……?
俺の微妙な表情を見て感じ取ったのか、真琴が俺を睨む。
「……なんだよ、その顔。元々必要無い的な」
「いやいや、クッキー美味いなって顔」
「あーー、僕の分は?」
「あるある」
真琴もクッキーを食べながら、小早川さんの手紙を見つめた。
「……この人も、僕と同じ病気なんだよね」
「ああ、そうだってな」
「僕さ、小早川さんの、もう一つの家に一泊したんだ。旦那さんも子供も居てさ、普通のお母さんだったよ」
「まあ、女の人が結婚したら、そうなるわな」
「……考えられないよ、そんなこと」
真琴は手紙を床に置いた。
「僕が結婚して、家庭を持つ? ……ありえない」
その横顔は、自分が何を言っているのかさえ理解が出来ない、遠い異国の戦争を話すような、ファンタジー映画を語るような表情で。
「最近は結婚しない女の人も多いし。まあ、男もだけど。好きにすりゃー良いんじゃね?」
俺は袋に残ったクッキーの粉さえ食べた。
「……そうだよな。僕は固定観念が、過ぎる」
「頭固いんだよ、真琴は!」
俺は真琴が持っていた最後のクッキーを奪い取って、自分の口に入れた。
「あーーーー!!」
真琴が叫ぶ。
「何? 何があったの? あ、鍵締めてる、なんか美味しいもの食べてるでしょ!」
ドアノブがガチャガチャ回される。
潤だ。
真琴は届いた下着を鍵付きの引き出しに入れた。
俺はそれを確認して、空になった袋だけ床に置いて、部屋の鍵を開けた。
潤が飛び込んでくる。
「……あーー。やっぱりクッキー!」
「もう無いもんね」
俺は紅茶のティーバッグにお湯を入れた。
「じゃあジェンガだ」
潤が言う。
「またかーーー」
真琴はひっくり返って笑う。
その笑顔に、俺は心底安心する。
俺がよく知っていた頃の真琴に戻ってきている。
それが本当に嬉しい。




