戻ってきた真琴
「小早川家で働くメイドの華村です。学校までお送りします」
車を出してくれたのは、さっきのメイドさんだった。
運転するのは、さっきと同じ大きな黒い車。
女の人が大きな車を運転するのって……かっこいいなあ。
俺はドキドキしながら車に乗り込んだ。
「市ノ瀬さんと高東さんは、幼馴染みなのですか?」
運転しながら華村さんが話しかけてきた。
「幼馴染み…というより、ずっと同じダンスをしてきた仲間という感覚です」
幼馴染みというと、杏奈が浮かぶ。
「私、病院で市ノ瀬さんを何度かお見かけしたのですが、いつも固い表情で」
「……真琴は、場所見知りしますから」
俺は固い表情で病院の椅子に座ってる真琴を想像する。
そして今も、緊張した顔でヘリに乗ってるんだろう。
俺がまだ室内で残りのお菓子を食べているときに、もうヘリが飛ぶ音が聞こえたもんな。
部屋から出て20分も経ってない。
まさに金持ち暇なし。
ちょっと感心したくらいだ。
「だから今回は安心しました。市ノ瀬さんが、とても楽しそうで。笑顔、初めて見ました」
ミラーに見える華村さんは、小さく微笑んでいる。
「俺……余計なことをしてるのは分かってます。でも、俺は真琴のダンスが好きだから」
勝手にやりとりしたり、本当なら許されないと思う。
でも、我慢が出来なかった。
これ以上、辛そうな真琴なんて、見ていられなかった。
「芸能事務所に所属されてるということは……お二人ともプロになられるのですか?」
プロ……デビュー……。
俺はキュッと手を握った。
「……したい、ですね」
俺は言った。
真琴も言った。
俺とずっと踊りたい。
それは、俺とデビューしたい、ということだ。
龍蘭に入って、気持ちが加速しているのを感じる。
俺は、もっとダンスが上手になりたい。
「楽しみにしてます」
メイドさんは、車を丁寧に走らせた。
小さな手でガクンと入れるギアが、かっこいい。
俺は久しぶりの外の景色を楽しんだ。
もう桜は完全に終わり、五月、初夏の空気だ。
「これ、ありがとうございます」
「奏さまが、最初から準備されていたものですから」
俺は大きな紙袋を抱えて、車からおりた。
紙袋の中にはケーキが沢山入っている。
食事になるようなパンも入っていて、俺はそれを抱えて頭を下げた。
学生ならどれだけあっても困らないでしょう? と小早川さんは、沢山持たせてくれた。
「うちの子供も君たちと同じ年齢だから、気になって仕方ないわ。ちゃんと食べて大きくなるのよ?」
俺に向かって最後に言った言葉は完全にお母さんでソレで。
その表情だけは50代の人だった。
お母さんという生物は、子供に久しぶりに会うと、とにかく食べものを渡す。
この前コンサートに来た俺のお母さんも、そこらで買える缶詰やお菓子を大量に持ってきていた。
こんなのそこのコンビニで買えるよ……と言いかけたが、これが愛情なんだろうと飲み込んだ。
中には地元の小さな肉屋でしか買えないキムチとか入ってて。
それを買いに行ったお母さんの姿を想像して、少し感動した。
離れるまで、お母さんの姿を想像することもなかった。
それだけで、寮に入って良かったかも知れない。
「これ、私のIDです」
別れ際、華村さんは俺に連絡先をくれた。
「えええ! ありがとうございます」
年上の女性から連絡先を貰ったのは初めてで、俺は声が震えるほど動揺してしまった。
「市ノ瀬さんが女性だということを、高東さんしか知りません。でも高東さんは女性ではない。もし女性として困った時に、お役に立てたら、と思いまして」
「……ありがとうございます」
素直に嬉しかった。
真琴は一人じゃない。
俺も、一人じゃない。
「おかえり」
部屋に入ると、潤がすぐに来た。
そして紙袋に気が付いて、鼻をくんくんさせる。
「……食べ物の匂い。しかも甘い」
「いいえ、ぬいぐるみです」
俺は紙袋を布団に隠した。
これは俺が一人で食べたい。
土日月曜日で、味わいたい!
「見せてみなさい、さあ見せてみなさい」
潤がじりじりとやってくる。
「だが断る」
「じゃあジェンガで勝ったら」
潤がベッドにした置いていったジェンガを引っ張り出す。
「またやるのかーー」
俺は叫ぶ。
昨日の夜、結局潤と同室の中田優馬まで呼んで、夜の2時までジェンガした。
最後には騒ぎを聞きつけた湊元先輩まで来てギターまで弾き始めて、もううるさくて眠くて、限界だった。
「寝たい……今すぐ昼寝したい」
俺は床に転がった。
「もう夕方でーす」
潤は俺の布団をめくって、紙袋の中を見た。
「おおおおケーキ! パン! おーい、優馬ーーーケーキあるぞーーー」
潤は壁に向かって叫ぶ。
「おい止めろ!」
俺が叫ぶより早く、ドアがバターンと開いて優馬と反対側の部屋の浅野くんが立っていた。
俺のケーキ……終わった……。
「そういや、市ノ瀬は大丈夫なのか?」
モッシャモッシャとケーキを食べているのは湊元先輩だ。
あの後すぐに参戦してきて、全勝。
俺たちはげっそり疲れてベッドに転がっている。
だから止めとこうって言ったのに!
湊元先輩のジェンガ好きは半端じゃない。
なんで湊元先輩が持つと、ジェンガの揺れが止るんだ?
湊元先輩はジェンガの神なのか?!
「……真琴は、月曜まで検査です」
俺は力なく答える。
寮の人間は外泊するとき、寮長と副寮長にメールしなければならない。
だから湊元先輩は知ってるのだろう。
「薬が体に合わないみたいで。検査が必要だそうで」
間違ってはいない。
「そっかー、やっぱり体調が悪かったのか。本番の時の真琴はすごかったなあ」
潤は言う。
大丈夫だ、きっと。
いつもの真琴になって戻ってくる。
その予感は本物になった。
月曜日、いつもの朝6時半。
真琴は制服をきた状態で俺の椅子に座っていた。
「おはよう」
「……おかえり」
俺は布団に転がったまま、言った。
その日のダンスの授業。
久しぶりに本気で踊る真琴を見た。
審査の時と同じアーロン。
いや、あの時よりもっとキレがあって華があって。
ターンの速度も誰よりも速くて美しい。
指先まで完全に決まってる、真琴のダンスだ。
俺たちはその姿に見とれた。
「……どうしたの、急に」
コーチが絶句するほどだ。
「体調が悪かったんですが、かなり良くなりました」
真琴は汗ばんだ髪の毛を、耳にかけた。
俺は一番後ろで泣きそうだった。
いや、正直泣いていた。
真琴が戻ってきた。
いつもの真琴が。
「気持ち悪い」
半泣きの俺をみて、真琴が言う。
「良かったなあ……良かったよお……」
俺の頭を真琴がつかんで、グシャグシャする。
「ありがとう。一馬」
真琴は小さな声で言った。




