君の未来を守りたい
土曜日。
待ち合わせ場所の公園奥のコンビニ前には、黒い大きな車が止っていた。
近づくと運転席から若い男の人が下りてきた。
黒いスーツは太陽の光に丁寧に光っていて、高い品だと一目で分かる。
「こんにちわ。市ノ瀬真琴さんと、高東一馬さんですね」
「はい」
真琴は静かな声で答えた。
「僕は執事の長谷川旬です。どうぞ、乗って下さい」
長谷川と名乗った人は、年齢は40代くらい? ダンディーで真っ黒な髪の毛が長くて格好いい。
執事というより、ホストに見える。
というか、俺はマンガや小説以外で執事を見たのは初めてだ。
俺たちは車に乗り込んだ。
おおお……中が広い。
俺の家に車はなくて、乗ったのは杏奈家の軽自動車くらいだ。
東京に居て車なんて贅沢品だぜ!
バスに乗れバスに。
電車が走り回ってるぞ!
落ち着かなくて、周りをキョロキョロ見てしまう。
横をみると真琴は落ち着いて座っている。
高級車が似合うなんて……このニセ貧乏!
でもそうだよなあ、真琴がこの前会ってたお父さんの車も、高級車だった。
きっと実家はお金持ちなんだよな。
愛人枠がよく分からないけど。
ぼんやりしていると、車は森の中に入っていく。
あれ、さっきまでビル街を走ってた気がするけど、こんな森が都内にあるんだな。
森を抜けると屋敷が見えて、大きな門が見える。
車が近づくと大きな門が自動的に開いて、中に車は入った。
家というか屋敷というか、城というか、でけえええ!!
「これって……小早川製薬……じゃないですよね」
俺は言う。
「小早川の私邸です」
「ええー……」
俺は緊張してきた。
どこか会社の小さな会議室で話す的なイメージだった。
真琴は開けられたドアから優雅に下りていく。
ああ、俺をひとりにしないでくれ。
真琴を追って下りようとしたら、俺側のドアも開いた。
「高東さま、こちらからどうぞ」
メメ……メイド服!
この現代2000年代も後半になってきて、メイド服。
アンドロイド型のお手伝いさんがメイド服を着てるのは見たことあるけど、それじゃじゃなくて生身?
俺は初めてみた生メイドにドキドキしてしまった。
もうこうなったらお上り状態で楽しもう。
真琴は長谷川さんの後ろを付いていく。
俺も慌てて追う。
「……真琴、余裕じゃん。なんか俺、こういう状況慣れないわ」
「僕は市ノ瀬の家がこんな感じだからなあ。金持ちはみんな同じだね。無駄に成金」
「ひー……」
俺も行くからな! と格好つけたが、完全に立場逆転。
俺は真琴の後ろをトコトコ付いていくことにした。
「こちらの部屋でお待ちください」
通された部屋は二階で、大きな窓がある日当たりの良い部屋。
真ん中にケーキが数種類置いてある。
「おお……ビル街が見える。ちょっとまてよ、俺現在地、超気になるんだけど、ここマップで見ても空白の地帯だよ。うわー、この現代において真っ白ってすごいなー」
俺はマップアプリを見るのが大好きだ。
新しい場所にいくとまず立ち上げて現在地を確認。
そしてマップを見ながら周りの景色を見る。
楽しい~。
「お、これ美味しい」
振向くと真琴は置いてあったケーキをムシャムシャ食べていた。
「えー、こういうのって食べていいの?」
「食べて良いから置いてあるんでしょ」
「マジかー」
俺は人間が完全に貧乏で、三年に一度くらいしか行けない旅行で、旅館に置いてあるお茶菓子を持ち帰る男だ。
そして食べるのを忘れる。アホだ。
「食べてみなよ」
真琴に渡されて、小さく切られたシフォンケーキを食べてみる。
「おおお。旨いなコレ」
本体は卵の味が濃厚に感じる味で、上にカリカリになった砂糖みたいのが乗ってて、それがアクセントになっている。
「こっちも美味い」
真琴はクッキーも食べ始めた。
サクサク美味しそうな音が響く。
「俺にもよこせ」
一口食べ始めたら、我慢できなくなってきた。
「一馬はクッキーより生クリーム派だろ。そこにシュークリームあるぞ」
「マジか」
俺たちは完全に目的を忘れて、スイーツバイキング状態になった。
コンコンとノックする音が聞こえないくらい。
「ちょっと、一馬、クッキー全部持って行くなよ」
「1枚くらい良いだろ」
「シフォンケーキ全部食べたじゃないか」
「2つしか無かったんだから、全部じゃないだろ」
「シュークリーム2つ食べたくせに」
「真琴が俺は生クリーム派とか言うから!」
「……あはははは!!」
突然響いた笑い声に、俺と真琴は手にスイーツを持ったまま、動けない。
そこに小早川製薬の社長、小早川奏が立っていた。
ベージュのスーツに真っ直ぐに整えたられた美しい髪の毛。
濃すぎ無いメイクにオレンジ色の口紅が美しい。
「……すいません……」
俺と真琴はスイーツを置いて、椅子に座った。
「いいよ、食べて食べて? コーヒー飲んでないの? ハセくんが入れるコーヒー美味しいよ?」
「すいません、私が準備すべきでした」
ハセくんと呼ばれたさっきの執事、長谷川さんが部屋に入ってきてコーヒーカップとコーヒーの準備を始めた。
「あ、別邸の資料持ってきてくれた? ありがとう」
小早川さんはにっこり微笑んで、長谷川さんから紙の束を受け取った。
その表情があまりに美しくて、丁寧で、俺は見とれた。
たしか年齢は……うちのお母さんと同じくらいだろ?
これで50才なら俺のお母さんは95才くらいだな。
いや130才くらい。そうだ、妖怪なのかも知れない。
「お菓子、美味しい?」
小早川さんはコーヒーを一口飲んだ。
オレンジ色の口紅は全く落ちない。
なんでそんなことが気になるかというと、うちのお母さんが使っている口紅は安物で、カップで飲むとべったり落ちる。
皿洗いは俺の仕事で、いつも洗うんだけど、それを見るたび人間の魂みたいなのが乗り移ってるみたいで、怖いのだ。
口紅がべったり……苦手だ。
特殊な飲み方なのか、うちのお母さんが安物すぎるのか、分からない。
「お菓子、どれも美味しいです」
ぼんやりと小早川さんを観察する俺より、真琴はしっかり答えた。
「そっか。旦那さんが喜ぶ」
うふふ、と小早川さんが微笑む。
「え。これ、小早川さんの旦那さんが作ってるんですか?」
俺は思わず言う。
財閥の旦那さんがお菓子職人?!
「地元で小さなお店もやってるの。私の手伝いもしてくれるけど、基本的にお菓子作ってれば幸せな人だから」
小早川さんも置いてあったクッキーを1つ食べた。
「……うん、いつもの味だね」
そう言って微笑んだ。
「超美味しい。すごいです。なあ?」
俺は食べても良いと言われて、再びクッキーに手を伸ばした。
甘すぎなくて美味しいなあ……。
「一馬食べ過ぎ」
「最初に食べ始めたのは真琴だろ?」
またやり始めた俺たちを、小早川さんは目を細めて見ていた。
昔を懐かしむように、また自分の子供を見るように。
「ずっと見ていたいけど……そろそろ本題に入ろうかな。市ノ瀬くん、報告は嘘だらけって本当?」
そう言った小早川さんの表情が、一瞬で厳しくなった。
俺と真琴は騒ぐのを止めた。
真琴は一口コーヒーを飲んで、小さく息を吐き出した。
「……すいません。どうしても、この薬を使い続ける必要があったので」
「それを決めるのはこっちだよ」
小早川さんは静かに言い切った。
「……はい」
真琴は少し目を伏せた。
「私は医師免許も持ってるし、君の主治医の一人でもある。信頼関係が揺らぐと、今後治験に参加することは許可できない」
「すいませんでした」
真琴は頭を下げる。
「……本当はどんな状況なの?」
少し優しい声になって小早川さんは聞いた。
「アーバンに所属しているので、毎日練習で激しいダンスをしています。薬を飲む前は全く無かったんですが……あの薬を飲むようになってから、動悸がすごくて、何度も気絶しました」
「よくないね」
小早川さんは少し表情をゆがめて、手を上げる。
すると話を聞いていた長谷川さんが部屋から出て行く。
真琴は声を大きくして続ける。
「でもあの薬のおかげで、膨らんできた僕の胸の成長は止りました。消えかけたのど仏も戻ってきたし、合ってると思うんです」
「君は第二次性徴期を終えてこの病気になったの。これからもっと女らしくなる体を無理に押さえてるんだよ? どれだけキツイ薬か、分かるよね」
小早川さんはまっすぐに真琴をみて言う。
「これ以上……女になりたくないです」
真琴は俯いたまま言った。
「君は性転換病をもう発病しているの。完全に戻ることは不可能よ。今開発してる性転換病を発症しないために薬。それを使える状態なら良かったけど、君にはもう無理なの」
「どうしても……アーバンを首になりたくないんです」
「それが夢、なのね?」
真琴が顔を上げる。
「何度倒れもいい、完全に女にならなきゃ、なんでもいい。僕はアーバンで一馬とずっと踊っていたい、振り付け師になりたい。夢なんです」
「市ノ瀬くん。治験の意味、わかるかな」
「……薬のテスト……ですか」
「今、君に使って貰ってデータを取る。それを元に次に病気になった人が問題無く使えるようにしていく。それが治験だ。だから君が嘘をつくと、今後その薬を使って同じように倒れる人が出てくるって事だ」
「……はい」
俺の隣で真琴が手をぐっと握るのが見える。
「私たちは、今だけじゃない。未来も作りたい。それはまだ居ない患者、それに市ノ瀬君、君の未来も」
「……すいません」
真琴が消えそうな声で言う。
「君が龍蘭高校の男子寮で暮らして、病気を隠してアーバンでデビューするのはかまわない。それが君の夢なら。君が100%の力を出せるような薬を作るのが、私たちの仕事なんだよ」
「100%で、踊れません。苦しくて……悲しいです……」
真琴の言葉に、俺は少し泣きそうになった。
やっぱりそうだよな。
100%で踊れないなんて、イヤだよな。
気が付かれないなら良いとか言って笑っていた真琴が理解出来なかった。
でも、今、横にいる真琴は、俺が知っている実は誰より負けず嫌いで、ダンスが大好きな真琴だ。
「詳しく検査をし直す必要があるね。ハセくん、準備出来た?」
小早川さんが言うと、後ろの扉が開いて、長谷川さんが立っていた。
「準備出来てます」
「月曜日が祭日で良かった。今日から三日間、入院してもらうよ」
「え、何の準備もしてないんですけど」
真琴が言う。
「君が居ればいいよ。ヘリで飛ぶから。来て」
「え? あ? はい」
真琴はキョトンとした表情で答えた。
「小早川のメイン病院は東京じゃないから。じゃあ、ちょっと市ノ瀬くん借りるね」
「あ、はい」
俺はそれを言うことしか出来なかった。
小早川さんについて立ち上がった真琴が、俺の方を振向く。
「……ありがとう一馬。一馬と一緒じゃないと、ここに来られなかった」
「……おう」
俺は小さく手をふった。
真琴はニッコリと最高の笑顔で、部屋から出て行った。




