人気ナンバーワンという世界
水音で目を覚ました。
手元のスマホを確認すると6時半。
もう朝か……うー、まだ体が疲れてる。
一晩眠れば、すぐに回復するのが当たり前だったのに、昨日のはさすがに無理か。
俺はもっそりと体を起こした。
「おはよう」
もう制服に着替えた真琴が、ユニットバスから出てきた。
キッチリ着られた服に、一番上のボタンまで締められたシャツ。
昨日のことなんて全て忘れたような、いつもの表情。
共犯になってくれ。
そういった真琴の言葉を思い出す。
俺だって真琴と踊り続けることができるなら、それが一番いい。
「おはよ。真琴は朝に強いな……俺は眠くてダメだ」
布団のぬくもりを求めて、再びごろごろする。
「朝走るのが趣味で、一時期は朝刊の配達してたからね」
「えーーー?!」
俺は布団の中で叫んだ。
真琴はストイックすぎる……。
「どうせ走るならお金になったほうがいいかなと思ってさ」
「……俺さあ、気になってたんだけど。真琴のお父さんって、お金持ちだよね? なんであんな平屋に住んでたの?」
真琴は俺の椅子に座って、ドライヤーをかけはじめた。
「お母さんは、あればあるだけお金を使うから、基本的に生活費だけ貰ってる。頼めば頼むだけお金が出てくる生活なんて、狂ってるよ」
「だからってあの平屋じゃ……お母さんも納得しないだろ」
「残ったお金で好きな物買ってたよ。今は僕も居ないから、お父さんが持ってるタワマンに住んでるし、満足でしょ」
「……要するに、貧乏なのは真琴の性格なんだな」
俺はベッドに寝転がったまま納得する。
「謙虚と呼べ」
「人間が貧相」
「節約家と呼べ」
「俺だけかよ、ガチの貧乏はーー」
「良い家族じゃないか。いつも羨ましかったよ」
「……そっか」
髪の毛を乾かす姿をぼんやり見る。
性転換病って言っても、のど仏はある。
全体的に体が細くなった感じはするけど……分からないな。
もっと色々聞きたかったけど、俺は黙った。
昨日あんな話をした割りに、真琴は何も変わらなかったから、俺がこれ以上何か言ったら、ほんの少し開いた扉が閉じるような気がした。
真琴は自分の家の事を、今まで全く話さなかった。
でも、今は違う。
今はそれだけでいい。
「よ、人気ナンバーワン!」
朝、食堂で食べていると湊元先輩が朝ご飯のプレートを抱えて寄ってきた。
「おはようございます」
シャワーを浴びたら疲れはスッキリ取れた。
「人気って……なんですか?」
真琴が聞く。
「昨日のコンサートの最終人気投票。一年ダントツ人気は市ノ瀬真琴、イエーーイ」
湊元先輩がスマホ画面を見える。
……が、その画面は曇っていて見えにくい。
「スマホの画面、めっちゃ汚いですね」
真琴が言う。
「ピッカピカだろーがよーー!」
湊元先輩が服で画面を拭く。
画面についてた油がビヨーンと伸びたが、なんとか見えるようになった。
そこには最終人気投票という文字と、一位の所に【市ノ瀬真琴】、二位に【神崎潤】とあった。
センターは潤だったけど、一位は真琴が取ったか。
まああれだけハデにダンス決めたら……なあ。
練習では上手に手を抜いて、本番であれじゃーなー。
俺はパンをモシャモシャと食べる。
真琴の名前をクリックすると、無数の写真が出てきた。
踊ってる所はもちろん、打ち上げで歌ってる写真から、ポッキーをくわえている写真まで。
「これ、昨日なのに、もうアップされてるんですか?」
「写真部だよ。あいつらガチだからな」
「ガチですいませんね」
後ろから声がして、振向くと一眼レフを抱えた男が立っていた。
カシャリとシャッターを押して、カメラを顔から外す。
「おはようございます、市ノ瀬さん。僕は二年の樹洋介。龍蘭写真部の部長です」
樹先輩は微笑んだ。
「……おはようございます」
真琴は明らかに不機嫌そうな顔で睨んだ。
「真琴くん、キレイな顔してるねー……、写真にすごくはえるんだよ。これからバシバシ写真撮らせて貰うから」
真琴は湊元先輩の方を向いた。
「これって、拒否権とかないんですか」
「え、撮られるのイヤなの? 珍しいなあ」
湊元先輩はオレンジジュースを飲み干した。
「なんだよ、拒否って」
後ろで樹先輩が言う。
「僕は写真を勝手に撮られるのは、好きじゃない」
「アーバン所属だろ? 芸能人になろうって人間を売ってやるんだよ? 何がイヤなの?」
「プライバシーも無視して?」
「どこからどこまでがプライバシーなんだよ?」
「はーい、ストップ。アーバンの規定には寮内と学校内での写真は撮られてオッケー。サイトアップも許可されてる」
湊元先輩が話し始める。
「ほらな。拒否権なんて無いんだよ」
「それは今まで写真撮られるのがイヤだったヤツが居なかったからだ」
湊元先輩が食パンにかぶりつく。
大きく食パンがえぐれる。
湊元先輩は、それを穴に見立てて、そこから真琴を覗く。
「本人がイヤなら、同意を取れ」
「拒否します」
真琴は言い切った。
「後悔するぞ」
樹先輩は、席から離れていった。
「……ありがとうございます」
真琴は湊元先輩に言った。
「イヤなら同意は当たり前だろ」
湊元先輩は、三口で薄い食パン1枚食べてしまった。
「……口が大きすぎますね」
俺は思わず言った。
「高東、お前、軽音部入れ」
「入りません」
「じゃあ、市ノ瀬」
「お断りします」
「お前ら、先輩をなんだと思ってるーーー!!」
「じゃあ、演劇部に入ろう」
湊元先輩の横に、蒔田先輩が座った。
「おはようございます!」
俺と真琴は大声で挨拶した。
「昨日のショーは、最高だったね。君たち演技の才能もきっとあるよ。秋の文化祭で僕と伝説のロミオとジュリエットを演じないか」
「お断りします」
珍しく真琴と俺で声がかぶった。
「気が変わったらいつでも来てね」
あはは……。
俺と真琴は、顔を見合わせてため息をついた。
まだ五月。
なのに毎日が濃厚すぎる。
「……なんだこれ」
龍が踊る門の近く。
大きな掲示板に、新聞が貼られている。
そこに大きな写真があり、食堂で怒った表情を浮かべた真琴が写っている。
【アーバン所属の市ノ瀬真琴はプロ意識の欠片もない素人】
真琴は俺の横から一歩出て、その新聞を一気に破った。
その横顔たるや……完全に般若。
超キレてる。
新聞をグチャグチャと丸めて、一般棟に入って行く。
「真琴!」
俺は呼ぶが、真琴は無視して進んでいく。
「え、市ノ瀬くんだ!」
「キャーー!」
一般棟に入ると多くの生徒が真琴の方をみて騒ぎ出す。
そうだよな、一位になったばかりだもんな。
真琴はそんな声を無視して二年の階に向かい、教室のドアを開けた。
教室にいた生徒、全員が振向く。
その中の一人が立ち上がる。
「お、わざわざお出ましですか」
樹先輩だ。
真琴は教室の中を真っ直ぐに進んでいき、丸めた新聞を投げつけた。
「これから僕の写真を撮るのを、一切禁じる。部員にも伝えて」
「そんなのでこれから芸能人なんて目指せるの~?」
樹先輩は、椅子にふんぞり返った。
教室中が静まりかえって二人を見ている。
俺は入り口から入れず、隙間から見ていた。
真琴は樹先輩の机にドスンと手をついた。
「お前に関係無い」
そう言い残して教室から出てきた。
「腹が立つ」
真琴はぶつぶつ言いながら廊下を歩く。
「キャーー、真琴くん!」
廊下を歩くと、スマホを持った生徒たちが真琴に向かってスマホを向ける。
それは一人や二人じゃない。
廊下の先に人の山が出来ていて、そこにいる人は皆スマホを構えている。
真琴はその山の中に突っ込んでいく。
眩しいフラッシュと奇声の中、早足で歩く。
これがアーバンの力。
そして1万人が来たコンサートで一番人気を取った効果。
「おはよー、負けちゃったよー」
教室では潤が机に両肘をついて、顔をのせた状態でむくれていた。
「…………それで?」
真琴は鬼のような表情で潤を見下ろした。
「わお……顔にグラデーションがかかって、頭皮から角が見えそうだ」
「潤、ごめん、今真琴、超絶機嫌悪い」
何故か俺が謝った。
真琴はズンズンと席に向かって、ドスンと座った。
さすがプロパティー・コース。
真琴が一位を取ろうが、誰も騒がない。
「何があったの?」
前席の潤が、目をキラキラさせて俺に聞く。
「門にあった新聞、見なかった?」
「いや、全然知らないや」
「真琴は勝手に写真撮るなって、写真部の部長に言ったんだけど、その一時間後に門に新聞貼られてさあ……」
俺たちはこそこそ話す。
「えー、写真撮られるの嫌いで、よくアーバン入ったね」
それは正直、病気のことが関係してるんじゃないかと俺は思う。
人目に触れることが増えて、女だってことがバレたら……真琴はそれを恐れてるんじゃないか。
だって前は普通に写真に写ってたし。
「おはよう、まーこーとくん!」
真琴の席は一番前の窓際。
その隣は杏奈だ。
大きなスポーツバッグを鞄にかけて座った。
「人気投票一位だったね。ダンス良かったもん」
あーあー……だから真琴いま、機嫌悪いから、その話題は……。
「……良かった?」
真琴はチラリと杏奈を見た。
その表情は鬼ではなく、不機嫌なネコ程度に戻っている。
あれ? 機嫌、悪くなかった?
「見てて体が動くくらい。だって真琴くんのダンスみて興奮しちゃって、私自主練行ったもん。体の動きがいいね、感動したよ!」
「そっか。良かった」
真琴と杏奈はにこにこと話している。
「鬼さんお出かけ中かな~~~?」
潤が引きつった笑顔で言う。
杏奈は昔からあんな感じで、イヤミも嘘もない。あるのはサッカーのことのみで、俺も何度かその単純さに救われた。
本当に真琴に杏奈はいいかも知れないな……と思って、自分の膝をポンと叩いた。
両方女だわ。
……いや、真琴は薬飲んで保ってるし、男なのかな?
ていうか、性転換病って、どこまで体変化してるの?
「今度私にもダンス教えて。こう、グルンとするの、やりたい!」
「ターンにはコツがあるんだよ。今度練習しよう。僕もサッカーやりたい」
「え? 本当に? いつでもいいよー!」
楽しそうに話してる二人を見ながら俺は頭をひねった。




