俺と僕の出会い
「ちょっと、筋肉触らせて」
「なんだ、変態か?」
これが俺、高東一馬と、親友、市ノ瀬真琴がした、最初の会話だ。
場所は少年をメインにした芸能事務所、アーバンライツの二次審査会場。
真琴はひとりだけダンスのレベルが違った。
真っ黒でサラサラした髪の毛をピタリと止めて、真琴は片手で空間に静止した。
バランス感覚がすごい。
大きな黒い瞳が床を睨み、即座に動き出す瞬発能力と長い手足。
そして体のラインに驚いた。
細いのだ。
筋肉があまり無さそうなのに、どうして簡単に体を支えられるんだ?
「どんなトレーニングしてるの? すごいね、君」
休み時間に真琴を見つけて、俺は我慢できなくなり、質問攻めにした。
「いつからダンスしてるの? いつからクラブ入ってた? 俺、鉄棒が好きでさー、ダンスはまだ数年しかやってないの。鉄棒でくるくる回るのが好きだったのに、レッスンが無料になるからアーバンライツ受けろって言われてさあ、受かるわけねーよ、芸能事務所なんて」
真琴は黙ったままだ。
「あの曲なんだっけ、君が踊った曲、アローンの曲だよね、すごくダンスに合ってて、頭の入りが最高じゃん」
ここまで勝手に話して気が付いた。
俺、引かれてね?
「……俺、ひとりで話してるな」
「……ホントそうだよ」
それまで無表情だった真琴が大きな黒い瞳を細めて笑った。
「ごめん、思ったより緊張してたのかな」
「あはは、僕も」
今は休み時間だが、さっきまで俺たちは大人数十人の前でダンスしていた。
年齢が近そうな誰かと話したかったのかも知れない。
「はー、疲れたな」
俺は床にズルズルと座り込んだ。
「すごいな、芸能事務所は」
真琴も、俺の隣に座った。
会場には前が見えないほど、人が居た。
二次審査を合格するためには、休憩時間内に事務所の先輩を見つけて、話しかける……らしいが、俺も真琴も疲れて動けない。
それにこの人数。
受かる気がしない。
「……質問なんだっけ?」
真琴はペットボトルの蓋を開けた。キュコッと軽い音が響く。
「何才なの?」
俺は聞いた。
「……それさっきの質問にあった?」
真琴は水を一口飲んで笑った。
「俺は、高東一馬、11才。小6」
俺は無視して自己紹介した。
「まあいいや、俺は市ノ瀬真琴、11才」
「同い年か。もうちょっと上かと思ってた」
「え、僕、老けてるかな」
「いや、ダンスが上手すぎるんだよ。真琴くんは体細いのにスゴイわ。ちょっと感動した」
「真琴でいいよ。一馬くんは華があるね、あとアコースティック・ギターも良かった」
「俺も一馬でいいよ。ギターは……親父が弾けっていうからさあ」
二次審査には、一芸披露の時間もあり、俺はギターを弾いた。
といっても、親父の趣味で古いラブソングだけど。
「あの曲のタイトルなんだっけ、叶う恋と君……だっけ」
「昔のドラマの主題歌なんだよ」
親父が好きなドラマで、何度も聞かされて、結果覚えてしまった。
「僕、歌えるよ」
すう……と真琴が息を吸いこんだ。
「……ずっとずっと君だけをみていたから、君だけを信じてー……」
突然歌い出した真琴くんの顔を、俺はまじまじと見た。
ダンスの練習していた子も、動きを止めて真琴の方を見る。
周辺の空気が一瞬変わり、真琴を中心に、一瞬会場が静まった。
「何? 間違ってた?」
真琴がキョトンとした表情で俺を見る。
「……真琴、歌も上手いのかよ。受かるわ、アーバン受かるわーー」
俺は床に転がった。
「こんな所でダラダラしてたら受からないだろ」
「受かるわーー」
真琴は軽く歌っただけなのに音程が安定していて、俺は心底驚いた。
俺はこの日のために毎日練習したのに、全く勝てない。
審査が再開した。
受かりたい人は、最前列に出てアピールするのだが、俺と真琴は一番後ろでアレンジして好き勝手に踊った。
隣で真琴があまりに楽しそうに踊るので、俺も真似てみた。
真琴に合わせると不思議と自分も上手くなった気がする。
ジャンプのタイミングを合わせて飛び、着地する足をみて、それも合わせてみる。
同時に飛んで、同時に回って。
「あはは、一馬、やるじゃん」
俺より遙かに早いターンを決めた真琴が笑う。
「すげえな、真琴」
審査だってことを忘れて、俺たちはダンスを楽しんだ。
その結果、俺も真琴も合格した。
「マジで?」
「ラッキーじゃん?」
俺たちは名前を呼ばれて、キョトンとした。
会場に残された合格者は、俺と真琴を合わせて6人。
受験者は100人近く居たように見えたけど……。
「おめでとう」
分厚い封筒を渡してくれた、全身ピンクのスーツを着た人と握手をする。
「なんで俺なんですか?」
俺は思わず聞いた。
「一馬くんは、楽しそうだったから~~」
キラキラ光るピンクのネイルに太い指。
ああ、この人オカマだ……と俺は瞬時に理解しつつ、まあ受かったならいいや……と思った。
アーバンライツは男子専門の芸能事務所で、ここの試験に受かると中学校の間のダンスや体操レッスンは無料、更に希望者は龍蘭高校という芸能コースがある高校に無料で入れる。
俺の目当ては、レッスン代金と龍蘭の入学資格だった。
龍蘭高校の学費はアホみたいに高く、貧乏は我が家には手が届かない。
「一馬の家も貧乏なの? 僕もだよ」
真琴が言う。
「俺なんて団地だけど?」
「僕なんて平屋だけど?」
二人で貧乏自慢しながら地下鉄に乗った。
「来週からさっそくレッスンだって。楽しみだな」
真琴は車内で封筒の中を見る。
「ヤバい、先輩と対面式もあるぞ。マジで芸能人ばっかりだ」
「芸能事務所なんだから、当たり前だろ」
真琴が静かに言う。
「芸能事務所かー。実感無いな。とりあえずレッスン無料になって良かった」
「僕も無料でダンス出来れば、それでいい」
「あれ、真琴も?」
真琴はダンスも歌も飛び抜けてるから、絶対にデビューが目標だと思ってた。
この審査を受ける人は、2パターン居る。
アーバンから芸能人デビューを目指す組と、学費が無料になるから来る組。
建前は、デビューしたい! ……であって、おおっぴらに「タダだから来ました」は、許されない。
でも龍蘭を出てアーバンからデビューするのは数人。
ガツガツしても、結果は偉い人が決める。
龍蘭は偏差値が高い高校で、成績優秀者は付属の龍蘭大学への道もある。
俺は芸能人なんて大それた物になれると思ってない。
とにかく家から出られて、学費が無料になれば、それでいい。
「芸能人なんて浮き沈みが激しくて、一生の仕事に出来ない。僕は振り付け師になりたい」
真琴が書類を仕舞ながら言う。
すげえ将来をしっかり見据えてるんだなあ。
「……俺はとりえあずモテたい」
「マジか。それが目的か」
真琴が笑う。
「みろよ、女子生徒一覧」
俺は龍蘭高校出身者の書類を出す。
龍蘭の芸能コースには、女優志望や、アイドルの卵も沢山いる。
これがまた可愛い子が多くて、正直楽しみだ。
「美人は怖いぞ」
真琴は言う。
「何その、美人玄人みたいな発言」
「いや、僕の母が美人なんだけど、基本的に壊れてる」
「かーちゃんなんて基本的に壊れてるだろ」
「美人は、基本観念がお姫様で、年をとっても変わらないから面倒なんだ」
真琴が真顔で言う。
なんだトラウマ持ちか?
「俺なんてプラモデル全部捨てられたぞ」
俺は茶化す。
「プラモデルなんて作るの?」
「超楽しいんだぞ、知らないの?」
俺たちはラインのIDを交換して、別れた。
俺たちは同じ都内在住だけど、中学校は違う。
でもレッスンの時はいつも一緒で、長期の休みは、一緒に遊んだ。
真琴のバランスが良い筋肉の理由は、水泳にあった。
小学校六年間ずっと水泳をしていて、そこで体に美しい筋肉をつけたようだ。
一緒にいったプールで、真琴は俺を置き去りにする速度で泳いだ。
「はええええ!!」
「一馬はほぼ、溺れてるよね?」
「いやいや、進んでますからゴボボボボ……」
「足の使い方がおかしいんだよ」
真琴は教え上手で、俺はその夏、ほんの少し泳ぐのが上手になった。
「泳ぐのって、楽しいな」
はしゃぐ俺を見て、真琴は笑う。
「一馬って、本当の単純だな。ダンスもそうだけど」
「はーー? 俺は華があるダンスで有名ですけどー? 根暗な真琴さんは、どうですかー?」
「はーー? 僕の筋肉なで回す変態に言われたくないですけどーー?」
俺は暇さえあれば、真琴の筋肉にふれて「いいなあ、いいなあ」と呟いていた。
真琴の筋肉はしなやかで強い。
まあ、うん、変態だ。
「この変態」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
俺たちはプールバッグで殴り合いながら駅へ向かう。
夏の夕方で、影が長く伸びて、俺たちを笑う。
「アーバン受かったら、モテるって聞いてたのになあ……」
俺は小学校の間、鉄棒にハマって、とにかくグルグル回っていた。
朝も鉄棒、昼休みも鉄棒、帰ってからも体操教室で鉄棒。
いっそ体操選手でも目指そうと、毎日体操教室に通い始めてたらレッスン代金が高額になり、親にやめさせられた。
代わりに入れられたのが、学校で1回500円でやってたダンス教室だ。
ダンスもやってみると楽しくて、ずっとバク転してた。
クラスメイトから俺は「ずっと回ってる一馬くん」と呼ばれていたが、気にしない。
側転でも前方宙返りでも、何でも良い。
とにかく回っているのが好きだった。
なんか格好いいじゃん?!
モテるよね?! と思ったら、見向きもされず小学生生活を終えた。
中学校に進学して、アーバンライツという有名な事務所に受かった。
噂を聞いて俺のことを教室に見に来る人まで居るようになった。
これは初の彼女出来るんじゃね? とワクワクしたが、告白の「こ」の字も無い。
「何でかな?」
家の狭い台所。
油で汚れた電気が、濁った光を放つ。
時間はまだ夕方なのに、家の中は深夜のように暗い。
俺は宿題をしながら聞いた。
「アーバン受かったのに、なんてモテないのかな」
「お兄ちゃんさあ、休み時間、また鉄棒でグルグルしてたんでしょー? 杏奈お姉ちゃんに聞いたよ?」
6つ離れた妹の、梨々花が言う。
「やっと自慢できると思ったのに、もう鉄棒やめて窓際でポーズ取ってたら?」
梨々花は、長い髪の毛をツインテールにして縛っていて、それを指先でいじりながら言う。
「鉄棒の何が悪い!」
俺はシャーペンを握ったまま叫ぶ。
この家に俺の勉強机はない。
いや、正確にはあるのだが、親父のギター置き場にされている。
団地の2DKに四人。部屋のほとんどは荷物で埋まっている状態だ。
「モテたいなら、鉄棒やめたほうがいいよ?」
梨々花はもう片方の髪の毛を触りながら言う。
「なんで鉄棒してたらモテないんだ」
「梨々花ね、何回もお兄ちゃんが鉄棒してるの見たけど、気持ち悪いよ、グリングリン」
梨々花は俺の目の前で指をクルクル回す。
「ねーー、壊れたオモチャみたいよねー?」
お母さんが食事を運びながら言う。
「はいご飯よー、全部片付けてーー」
「は? オモチャじゃねーし、壊れてねーし」
俺は教科書を床に置いた。
「なんか回りすぎなのよねえ、ああいうオモチャあるわよね」
「梨々花も見たことあるーー」
「ふりかえるとーーいつも君がーーみていた夕日いいいいーー」
「親父の歌がうるせーー」
ジャカジャカかき鳴らされるギターに頭を抱える。
「うるせーぞーーー!」
隣の家からも叫び声がする。
壁が薄くて全てが筒抜けだ。
イヤだイヤだ。
もう少しでこんなうるさい家ともオサラバだ。
俺はもうすぐ龍蘭高校の寮に入る。