表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三題噺

《傘・小説・アイロン》

作者: 雪野 葵



 ザーザー…ぼつん、ぽつん。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ……

 ザーザーザー…


 部屋の中から、雨の音を聞く。

 アパートのガラス窓に当たり、心地の良いリズムを奏でる。

 そんな雨の日が、私は好きだ。

 でも、窓の外を歩いている人たちは、どこか憂鬱そうだ。きっと、雨が嫌いなのだろう。


 「あーあ、今日も雨ね。洗濯物、乾かないじゃない」


 お母さんが、嫌そうにつぶやいた。続けて、お母さんは


 「今日もアイロン掛け、お願いね」


 と、私に言う。


 「うん、わかった。いってらっしゃい」


 いつもと同じように、お母さんを玄関まで見送る。そして、自分の部屋に戻り、お母さんから頼まれたアイロン掛けをする。

 毎日、毎日、同じ事の繰り返し。

 少し退屈だけど、それが日常なんだ。

 この年にもなって、 外に出るのが怖い。だから、外に出るのは極々稀である。

 アイロン掛けをしながら、外を眺めている。すると、ちょうど向かい方の本屋さんの屋根の下に、誰かが立っているのが見えた。

 だれだろう?

 背が高くて、同い年ぐらいの男子だ。髪の毛は短くて、少し癖のある感じだった。

 雨が降る中、屋根下で本を読み続けている。時折、空を見て、嫌そうな顔をして溜息をつく。

 その姿を見て、私は気づいた。

 あの人、傘がないんだって…

 きっと、買ってきたばかりの小説を読みながら、雨が止むのを待っているんだ。

 部屋においてあるテレビから、


「○○市は、今日1日、雨が降る予報です。段々と激しくなるため、注意してください」


 と、アナウンサーの声が聞こえた。

 ……雨は止まない。

 もう一度、視線を外に移す。その人の制服の肩の部分は雨で濡れていえ、寒さのせいか咳き込んでいた。

 風邪をひいちゃう…。でも…

 アイロン掛けしたばかりのタオルをぎゅっと握る。

 外には出たくない…

 絶対にいや…

 でも、このままじゃ…

 外の世界で起きたたくさんの嫌なことが蘇り、気持ちが揺らぐ。頭の中がぐるぐるして、一向に決断を下せない。

 でもでもでも…

 きっと雨は止まない、あの人は風邪を引いてしまう。

 私には、なんとなくだけど、その人には見覚えがあった。見覚えがあったからかは分からないけれど、他人だから関係ない、と決めつけることが出来なかった。


 ゛行こう!゛


 そう決心したときには、もうアパートから駆け出していた。



 外に出ると雨は滝のごとく降り出し、地面のアスファルトには水溜まりがいくつもあった。

 私は傘を差して、左手に折りたたみを持って、ゆっくりと歩き始めた。

 あの人の元へは、たったの5メートルぐらいなのに、自分には遙か遠くに感じられた。

 パーカーのフードを深くかぶり、目立たないようにして歩く。

 目の前にはたくさんの人、人、人…

 立ちすくんでしまいそうな程、怖かった。

 でも、あの人に傘を届けようという気持ちだけが、私を前に進ませていた。

 あと、3メートル、2メートル…。もう、ちょっとだ。

 気がついたときには、真ん前にその人がいて、私のことをきょとんとした顔で見ていた。


 「あ、あの…傘…どうぞっ」


 反応がない…

 フードからチラッと見たが、その人の顔は何故か驚いて、私を凝視していた。目線を離してくれない。

 そのことに、更に自分は焦ってしまい、慌てた。

 私は折りたたみ傘を押し付け、そのまま背中を向け走ってしまった。


 「…待って!」


 と、その人の声が聞こえたけれど、私は気がつかないフリをして走り続けようとした。

 しかし、後ろからギュッと腕を捕まれる。

 その瞬間、後ろに力が入り、濡れた地面で足を滑らせてしまった。


 「……うわっ!?」


 そのまま後ろに倒れそうになる。

 だめだっ、転ぶ!!

 体に力が入る。転ぶのを覚悟して、身構えていた。しかし、思っていた痛さは感じない。

 気がつくと、何かが自分を支えてくれた。暖かくて、思わず安心してしまうような温もりに包まれる。


 「…あ、あの、大丈夫ですか?」

 「だだだだ大丈夫です…。ご、ごめんなさいっ!」

 

 それだけ言うと自分は、


 「あ、ありがとうございます」


 と、だけ言ってすぐさま体勢を整えた。


 「ううん、こちらこそ。ありがとう」

 

 その人は、優しく微笑んだ。

 その人の澄んだ目と声に、耐えきれなく、自分は顔を下に向けた。

 

 「あの…か、風邪を引かないようにしてくださいね」

 「うん、わかった。ありがと」


 他人からこんなに笑顔でお礼を言われたのなんて、いつぶりだろう。

 そして、傘を持ち直し、その場から離れた…


 

 アパートの部屋に戻ると、気持ちを押し沈めるように自分の胸を抑えた。

 段々と恐怖感が湧き上がる。呼吸も苦しい。けれど、外の世界に出れたことが何よりも嬉しかった…

 そして、あの人に出会えたことが、どんなことよりも幸せに感じられた。



 その日から、私は雨の日になると窓から外を眺めるようになった。

 アイロン掛けを済ませると、毎日のように本屋の屋根下を見ていた。


 ゛今日はいないのかな?゛

 ゛また、傘を忘れたりしないのかな?゛


 なんていう意味の分からない期待をして、雨の日になる度、思い出してしまう。

 そんな自分がなんだか少しだけ恥ずかしくて、でも、嫌いじゃなかった。


 ゛また、会いたいな…゛


 そんな想いが届いたのか、視界にあの人の姿が写った。

 困り顔のあなたが、また、小説を片手に空を見上げる。

 でも、同時に少しだけ嬉しそうに見えたのは、私の気のせいだろう。


 ゛また、傘を忘れたんだ゛


 そのとたん、急に頬がゆるみ、胸の奥があたたかくなった。

 あの日のように、折りたたみ傘を片手に大きな青い傘を差し、アパートから駆け出す。

 雨の心地よいリズムを聞きながら、私はあの人に傘を届けるのだ。


  


 あなたと出会えたことが、私の生きる希望になった。



 きっと、

 雨の日に雨音を聞き、

 あなたを思う度、

 あなたに恋をするんだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] うわ・・・・何でしょう、他愛もない事なのにすっごい心にグッときます。 傘を譲る行為が、ここまでのものになるとは・・・お見事。
2013/05/17 20:19 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ