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1 再会

 

 人が何かをしているのを眺めるのが好きだ。


 道路工事現場は、1つの目的を果たすためにいろいろな人がきびきびと働いていて、眺めるのが大好きな光景の一つである。使用される道具や重機が道端に並んでいるのを見ると、もう1日中その現場に張り付いていたくなる。蓋が開いたマンホールの前に看板が置いてあるだけの現場でも、地下で何が行われているのだろうと考えるとわくわくする。アスファルトを剥がし人の背丈ほどの穴を ―― しかも綺麗に長方体の形にくりぬいたかのように ―― 掘り、新築の物件へ水道管等をつなぐ現場など堪らない。


「最近のときめきはバルーン照明機を見たときでした。まあそういうわけなんですよ。先生」

 座り心地のよい椅子に深く腰掛けながら、私の道路工事に対する熱い思いを語ってみた。

「…小学生みたいだね」

 返ってきたのは、冷たい答え。先輩が聞いたから語ったのに。

「どうしてこんなに工事現場が好きなのか、私も疑問に思ったんです。重機を見て胸が騒ぐ女子高生ってものあまり一般的でないだろうし」

 高校時代、道路工事現場を見ても友人が食いつかないのを見て、もしかして少数派なのかと気づいた。

「結論は出た?」

「はい。ありふれた日常に未知の世界が広がっているのがいいのではと結論付けました。工事期間だけ見慣れた通りが、非日常的な風景になるんです。用途の知れない道具を使い、私の世界を使いやすく変えてくれるんです。魔法みたいでわくわくしませんか?」

「わくわくねぇ。そう言われるとそんな気もしないでもないかな。で?」

「で?とは?」

「まだ僕の質問に答えてないでしょう」

「あぁ、なんでここでそんなに楽しそうなのかでしたね。ここも一緒ですよ。私の知らない機械や道具でいっぱいです。この年で工事現場に張り付くわけにはいきませんが、ここでは説明つきの冷暖房完備快適空間にずっといられますからね。先生はさしずめ魔法使いです」

「ふーん。そんな風に言う人は珍しいね。大方の人はここ嫌いだからね」

「まあ、歯医者が好きって言うと変わり者扱いされますね」

「春日さんの場合は、それだけで変わり者扱いされてるんじゃないと思うよ。じゃあ、椅子を倒します」

 モーターの音と共に椅子が傾き、タオルがかけられた。治療が始まる。


 歯医者が好きなのは本当だけど、先輩にもう1度会えたことが嬉しかったんですと心の中だけで付け加える。




 生まれてからずっと住んでいる町で、自宅に近い歯科医院。腕はよいし、幼いころからずっと診てもらってきたかかりつけだ。奥歯に痛みを感じて駆け込んだ今回も、馴染みの先生が治療してくれるものだと思っていた。しかし、診療室で待っていたのはいつもの先生ではなかった。

 大学で所属していたオーケストラ部の先輩がそこにいた。演奏している姿しか見たことがないのでなぜここにと疑問を持ったが、先輩は歯学部の学生だったことを思い出す。昨年の3月に卒業した先輩がこんな近所に勤めていたとは知らなかったので、初回治療時に顔合わせして本当に驚いた。

 それと同時に再会できた幸運に感謝した。なぜなら、私は先輩のことが好きだったからだ。


 先輩は目立たないけどいざというときに頼れるタイプで、1学年差ということもあり慣れないサークルイベントの度にお世話になった。それだけだったら、親切な先輩でおしまいだったかもしれない。そうならなかったのは、2人とも同じ楽器を使っていて練習でよく一緒に過ごしていたからだと思う。

 そこまで狭くもない練習棟内でお互いの音を聞きつけては、どこで練習しているか見つけるかくれんぼのようなことをしたりもした。そんな子供じみた些細なことでも楽しいと感じる時間が積み重なれば、親切な先輩から気になる先輩へとなるのは当然と言える。


 ある日、初恋の比ではないほど、先輩を見ればどきどきすることに気がついた。

 サークルに先輩が来るか来ないかで一喜一憂し、会話をするだけで満面の笑みになるのを止められなかった。自分がおかしくなっていることに気がついたが、その時点で戸惑うほどの感情に振り回されていた私はそれ以上の変化を恐れ、先輩への気持ちを認めたくなかった。受験が終わり抑圧された環境からの変化や優しい異性に浮かれている一時的なものだと思おうとしたけど、それは無駄だった。


 他の人はどうだか知らないが、私は好きすぎると幻を見るらしい。

 落ち着くまで先輩と距離を置こうと決めてから2日もしないうちに、大学構内で先輩と似ている髪形や体格の人を何度も見間違えてしまった。世の中に似ている人は3人いると言われるように本当にそっくりなら仕方がないが、驚いてよくよく見直した相手は、メガネをかけている等の共通点しかないほど似ていなかった。

 そんな人と見間違うなんてどれだけ好きなんだと自分の単純さに呆れつつ、やっと先輩への恋心を認めた。気持ちに気づいてからというもの、週2の全体練習日には先輩に会える日という別の意味が加わった。おかげで、私は皆勤賞並みのサークル出席率を誇った。恋をしていることを認めた結果、先輩と会える時間は恐れるものではなくなり、ただただ楽しくて仕方がなかった。


 その楽しい時間をもっと特別な時間へと変えたいと思わないでもなかったけど、告白した結果を考えるとそんな危険は冒せない。後向きな私は、自分の卒業という節目も無視した。6学年制の先輩は、私より卒業が1年あとになる。その時に言おうと先延ばしにしたが、都合よく物事が進むはずがない。

 最終学年を迎えた先輩は国試や卒試といった試験関連で忙しくなり、私が現役生並みにサークルに顔を出しても会えなくなった。そんな先輩にわざわざ連絡をするのは敷居が高く、確実にサークルに挨拶に来るはずの卒業式を狙ってとった休みは、親戚に起こった突然の不幸で消えていった。

 先輩の動向は、後輩から聞きだした県内に就職予定という曖昧な情報のみでそれ以後聞こえなくなってしまった。


 そして、診療室での再会でわかったことがある。先輩と連絡が取れなくなっても、全然諦めていなかった。私は現在形で先輩のことが好きだ。ブランクがあっても、顔を見た途端に、恋し始めた頃のように地に足が着かないフワフワする心地になったことで、身をもって思い知らされた。




「はい。終わりましたよ。起きてください」

 先輩に揺すられ意識が覚醒していく。顔を覆っていたタオルを取ると口内を照らしていた灯りが消えるところだった。治療されながら、昔のことを思い出していたら眠ってしまったようだ。

 ゆっくり椅子が起き上がっていく。

「お疲れ様です、先生」

「随分眠っていたね。お疲れ様。今日は、奥歯の治療をしました。レントゲンで他に小さい虫歯が見つかったから、それは次回しましょう。その治療もすぐに済むと思うけど、ここで続けるかい?職場の近くがいいなら紹介状を出すようにするけど」

「先生に診てもらえますか?せっかくまたお会いできたので、先生に診てもらいたいです」


 本当は知り合いに、しかも、好きな人に治療行為とはいえ口内をいじられるのは嫌だ。それでも、先輩と会えない期間、どうして告白しなかったんだとずっと自分を責めていた。絶好の機会をもらったと思って、ただの後輩から卒業する。そう決めた。

 その為には、先輩と会えるわずかなチャンスを逃すわけには行かない。


「僕でいいの?実は、まだ研修医なんだけど」

「はい」

 先輩はレントゲンを見て考えていたけど、こちらに向き直って言ってくれた。

「よし。じゃあ、僕が診ましょう」

「大丈夫ですか?」

 何か考えていた様子が気になって、無理を言ってしまったのではと気にかかる。

「ああ、ここ、僕の叔父が経営してるんだ。多少の無理なら通るし、これは全然無理には入らないよ。大丈夫。受付に伝えておくから、都合のいい日時を選んでおいて」


 そうして、私の歯科医院通いが始まった。



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