静香の恋
「煙草は吸うものではなく、煙を吐くもの。六本木ヒルズではのぅ、メンソールの細煙草をこう持ってな、灰皿には、こま~めに灰を落とすもんじゃけ」
静香は、そう言って舞妓たちの前で、手に持っていた線香をガラスの灰皿に落とす仕草をして見せた。
舞妓たちの教育は、蛍に任せてあったが、静香が時々、こうして与太話をする。
ほとんど京都から出たことのない舞妓たちは、興味深げに聞いていた。
「おかみは、東京人だったじゃけ?」
舞妓の一人が聞いた。
「そうじゃけ」
静香が言うと、蛍が来て、「南座から連絡がきて、今夜の演目は別な人になったじゃけ」と静香に言った。
「どういうことじゃけ?」
静香は、怪訝そうに聞いた。
舞妓のトップが、舞妓たちに散るように指示している。
「何でも、台湾省からのお達しで、林黄が出ると」
蛍が答えた。
「新人さんじゃけ?」
静香の声は冷静であったが、その手では、先ほどの煙草に見立てた線香を折っている。
「有名人じゃけ。台湾省のトップじゃが、気楽が売りじゃけ」
「なんと!!」
静香が、蛍の口真似でとうとう切れたように言った。
「うちの舞台を奪っておいて、挨拶にも来ない?おまけに気楽?!」
静香が立ち上がりかけた。
「何でも、結川将暉さんが客としてくるそうな」
蛍はそう言って、横にあったゴミ箱を静香に差し出した。
「なんと!なんと!」
静香が興奮しだしたのを横目に、蛍は立ち上がり、「打ち合わせじゃけ」と言った。
「はぅ・・・今宵、うちは南座へ観劇じゃけ」
静香はそう言って、手に持っていた線香をゴミ箱に捨て、自分の手の匂いをかいだ。
蛍は、あきれたように静香を見ると、「先に行くじゃけ」と、座敷を出て行った。
「近々じゃが、咲坂から集まるように言われとる」
黒澤が言った。
花は、パソコンの画面を慎重に見て、この会話が抜かれていないか確認していた。
ふと、黒澤と目が合ったが、次の瞬間、部屋の扉がノックされ、まかないの長が、「そろそろ始めます」と顔を出した。
「お偉いさんたちが集まるサミットは、伊勢志摩と決まった」
皆伐が、何やら書類をまとめながら言った。
「どうやって行くじゃけ?」
蛍が、驚きを隠せず皆伐を見た。伊勢志摩とは、尋常ではない。
「何でも、なかなか入れずに迷うじゃけ?」
蛍は続けた。
花の見ていたパソコンの画面には、Gメールが届いた。
これは、改ざんが必要かと焦っていると、静香がいきなり、「もう、いいじゃけか?時間じゃけ」と、時計を見た。
南座での開幕時間は、午後六時、時刻は、午後五時五十分を示していた。
蛍が、「今日は、静香の出番はないじゃけ」と、少ししらけた目をした。
全員が静香を見る中、静香は、「んっんん」と、咳ばらいをした。
「何やら深刻そうなのはわかるじゃけ?じゃけんど、今宵南座に来るのは、台湾省じゃなか、結川将暉様じゃけ」
そこで、黒澤のスマホが鳴った。
花が、「警笛じゃけ」と、小さい声で言った。
そこで、ジャーという雨の音が響いた。
春に足を踏み入れたばかりの祇園では、めずらしいことである。
「行くだけ行ってみる」という静香を、誰も止めなかった。
花だけが、「傘は番傘を持って行き」と、静香に言った。
「おおきに」
静香が言った。
通り雨ならすぐに止む。
静香の恋が、成就しますように。
皆伐が、「のりよくいかにゃあ」と言った。




