恋愛小説の貸出票に、婚約者の家名を見つけたので。
ああ…、私のオアシスが…。
王立図書館がかつてないほど人でごった返していて、私は盛大にため息を吐きたくなった。
いつもは本好きの引退された年配の男性方や、仕事で必要な資料を探しに来る現役の男性方しか見かけない図書館の中は、今は私とほぼ同世代の年若い令嬢ばかりで溢れている。
理由は簡単だ。
最近、婚約者候補を探すために夜会に参加し始めたと噂されている第一王子殿下が、どのような女性がいいのかと訊かれて「学に造詣が深い人だと好ましいな。歴史や兵法などを話せる相手だったら、ときめいてしまうかもな」とお答えになったからだ。
本当にもう、余計なことを言ってくださった…!
そんなわけで、普段は閑散としているこの王立図書館は女性の声と香水の匂いでいっぱいである。
だいたい王子の発言があからさますぎるところを見るに、魂胆が透けて見えている。
この国の若き女性たちは、勉学を疎かにしている傾向が強いところを危惧したのだろう。
勉強よりも、たくさん着飾って、流行を捉えていち早くその波に乗り、夜会などの社交に努めるのが偉いと思っている節がある。
それも大切なことではあるし、私の苦手分野だから素直にすごいなとは思うけど、だからって知識が少ないのもいかがなものかという話で。
そこへのテコ入れがされたのだなと、私は感じた。
おかげで、私がいつも入り浸っていり専門書のあたりはご令嬢で埋め尽くされている。
近づけもしない。
なんなら、今まで私が図書館通いばかりしていたことを馬鹿にしていたご令嬢方のうちの何人かは手のひらを返して、「どれが初心者でもわかりやすいか、教えてくださらない?」と言ってきたくらいだ。
……このブームが終わるまで、図書館に来るのは控えようかしらね。
人のいない方へと避難すると、もっと気軽に読める小説や刺繍の図案本の本棚に行くしかなかった。
こちらはガラガラだ。
これを機に小説でも読んでみようかしらねぇ…と、半分現実逃避をした時、一冊の本が目に入った。
手に取ってみると、恋愛小説のようだった。
たまにはこういう小説でも読んでみようかしら。
そう思って本の一番後ろのページを開いて、貸出票を見た。
「えっ…?」
びっくりしてカードを取り出して、じっくり見てしまった。
そこには、婚約者の家名である『ドドイール』と書かれていた。
エビウス様が読書…?しかも、恋愛小説?
気づいたら、私はその本を借りて図書館をあとにしていた。
「すごいベタな王道恋愛小説だった…!」
読み終わった感想がそれだったので、ますます首を傾げてしまった。
実直堅物騎士のエビウス様に恋愛小説というのが、申し訳ないけど似合わなくて違和感を覚える。
そもそもお忙しいのに、本を読む時間などあったのかしら。
かの第一王子の護衛騎士である婚約者は、あまりの忙しさに家督を譲られる余裕すらないというのに。
というのも、第一王子はお出かけ好きの視察大好き人間のため、突発的に出かけていっては、エビウス様はそれについて回っている苦労人でもあるのだ。
どちらかというと、本など読んでいないで休んでほしいくらいだけど…。
それにしても、この小説のヒーローはヒロインのためにたくさんの気配りを見せる男性だったなぁ。
なんか、エビウス様のお父様みたいだったかも…?
エビウス様がお忙しい分、ご両親が私とよく会ってくださって交流の場をたくさん設けてくれるのだが、ドドイール家のご当主であるエビウス様のお父様は、いつだって奥様を一番に考えているように見える。
それが微笑ましくて素敵だなぁと思っているのだけれど。
「なんか、このヒーローに似ていたなぁ」
そんなことを思いながら、本を閉じたのだった。
「最近、図書館にご令嬢がいっぱいだそうね」
「ええ、そうなんです」
今日はドドイール家にお呼ばれしていたので、図書館には行かずに、エビウス様のご両親とお茶をしていた。
「サニーラは退屈じゃないかい?」
エビウス様のお父様が首を傾げたので、私は曖昧に笑うしかなかった。
こうやって、私にまで気を遣ってくださるので本当に優しい方だなと思う。
エビウス様のお母様も、困ったような声音で続けた。
「なんでもエビウスが、王子殿下にあなたのことを喋ったらしいのよ」
「私、ですか…?」
「そう。自分の婚約者が専門書を好んで読むという話をしたら、殿下が『それはいいな!しばらく女性除けに使えそうだ!』と仰ったらしくて」
「えっ」
「まだ公務だけしていたいから、婚約者を選ぶのは先延ばしにしたいのですって」
なんと、あの発言は私のせいだったのか…。
「まったく、困ったものよね」
「まあ、たくさんの方が本に興味を示されたのはよかったのではないでしょうか」
「とはいえ、普段利用している人は窮屈ではないかい?」
「おかげであまり読んだことのない小説を読めたので、面白かったですよ」
私がそう答えると、お母様の方が目を輝かせた。
エビウス様のお母様も本好きなので、私とは何を読んだのか互いに教え合う仲なのだ。
「あら、何を読んだの?」
「恋愛小説を読みました。あ、これなのですけれど」
今日帰りに時間があったら返しに行こうと思っていた本を取り出すと、2人とも微かに目を見開いた。
「おや、懐かしいものを読んでいるね」
先にそう言ったのは、エビウス様のお父様の方だった。
「僕も、昔それを読んだことあるよ」
「えっ!?」
「貸出票に、名前がなかったかい?」
「ありました…!」
びっくりして、思わず本を握り締めていた。
貸出票の『ドドイール』のお名前って、エビウス様ではなくて、お父様の方だったの!?
「僕は女性に疎かったからね、よく彼女に怒られていたんだよ」
そう言って、懐かしそうに目を細めて、奥様の方を見つめていた。
「そうなの。だから、私がこの本でも読んで勉強してくださいって言ったことがあってね」
「ははは、それでその本を借りて必死に読み込んだっけね」
「……いつでも、私にも優しくしてくださるので、女性の扱いに長けていらっしゃるのかと思っていました」
「あはは、天然物ではないよ。なんとか努力して身につけたものなんだ」
頭を掻いて笑っているエビウス様のお父様を、隣で愛おしそうに見ているお母様を見て、きゅーんとした。
素敵だなぁ…、やっぱり早くここに嫁いできたいな。
そう思ったら、最近顔も見れていないエビウス様が恋しくなった。
「エビウス様、お元気ですかね?」
私がそう呟くと、お母様の方がわざとらしく顔を顰めた。
「そうだわ、あの子にもこの本がピッタリじゃない!エビウスにも読ませましょう、そうしましょう!」
「えっ、そんなお時間ありますかね」
「あの子はサニーラに甘えすぎなのよ!この本を見習わせましょう」
「エビウス様は、もうよくしてくれてますよ…?」
「全然足りてないわ!」
エビウス様のお母様がぷりぷり怒り始めてしまったので、私はお父様の方を目を合わせて、バレないように小さく笑い合ったのだった。
結局、この小説の次の貸出先は、エビウス様となるのだった。
お母様がしつこく読めと言って、お父様の方も「僕も昔読んだんだ」と背中を押したらしい。
カードに書かれた私の名前が、『ドドイール』に挟まれて、くすぐったかった。
しばらくして小説を読み終わったエビウス様から「全然時間が取れなくてごめん…」と犬が耳を垂らすかのように謝られたのは、結婚してからも思い出し笑いをしてしまう出来事になるのだった。
あの時、あの恋愛小説を読めてよかったな。
了
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(追記)誤字報告ありがとうございました!修正いたしました!(2026.7.2)




