第23話 正しさがぶつかる場所
衝突は、怒鳴り合いでは始まらなかった。
むしろ、静かな会話からだった。
神殿の臨時窓口。人の列が一段落した午後、私はリリア・アルフェンと向かい合っていた。
周囲には神官が数名いるが、距離を取り、会話には介入しない。
「状況は、把握しました」
リリアは、資料に目を落としたまま言った。
「滞留が起きていることも。窓口に来られなかった人がいることも」
私は、黙って頷く。
「ですが」
彼女は、顔を上げた。
「制度そのものが誤っているとは思いません」
その言葉は、予想していた。
そして、覚悟もしていた。
「公平性は、守られています」
リリアの声は、揺れない。
「順番を守り、基準に従い、誰も特別扱いしない。――それが、救済制度の最低条件です」
「ええ」
私は、否定しなかった。
「その通りです」
リリアは、わずかに意外そうな表情を見せる。
「……では、なぜ」
「守るものが、違うからです」
私は、静かに答えた。
「あなたは、制度を守っている。私は、人が“動けなくなる瞬間”を守ろうとしている」
リリアは、眉をひそめる。
「それは、感情論では?」
「いいえ。選択の問題です」
私は、言葉を続ける。
「制度は、最後まで立っている者を救います。でも、人は――立てなくなった時にこそ、救いが必要です」
沈黙が落ちる。
神官たちの視線が、わずかに動く。
「……その考え方では」
リリアは、慎重に言った。
「判断する側が、恣意的になります」
「はい」
私は、即答した。
「だからこそ、責任が生まれます」
リリアは、息を呑んだ。
「責任?」
「誰かが判断し、誰かが責任を負う」
私は、彼女を見つめる。
「制度は、責任を分散します。だから、安全です。――でも、安全な制度は、時に人を見捨てる」
リリアの手が、資料の上で止まった。
「……あなたは、危険なことを言っています」
「承知しています」
私は、視線を逸らさない。
「それでも、今の滞留は、制度が見捨てた結果です」
彼女は、しばらく黙り込んだ。
善意と信念が、内部でせめぎ合っているのが分かる。
「もし」
リリアが、低く言った。
「あなたの言う通りにすれば、不公平が生じます」
「ええ」
「順番を守った人が、損をする」
「それでも」
私は、静かに言った。
「誰も“動けなくなる”よりは、ましです」
沈黙。
長い沈黙。
「……私は」
リリアは、ゆっくりと口を開く。
「制度を信じています」
「知っています」
「神殿は、善意を形にするために存在する」
「ええ」
「だから」
彼女は、視線を強くする。
「感情で制度を歪めることは、できません」
その言葉で、すべてが分かった。
彼女は、退かない。
私も、退けない。
「……分かりました」
私は、一歩引いた。
「では、ここから先は“結果”で話しましょう」
「結果?」
「はい」
私は、資料を閉じる。
「このまま進めば、数字は改善します。中央も満足するでしょう」
リリアは、頷いた。
「ですが」
私は、言葉を切る。
「近いうちに、必ず“基準に収まらない事態”が起きます」
彼女の目が、揺れる。
「そのとき」
私は、静かに続けた。
「あなたは、制度を守りますか。それとも、人を選びますか」
リリアは、答えなかった。
話し合いは、決裂ではない。
合意でもない。
ただ、正しさと正しさが、同じ場所に立った。
神殿を出たあと、私は空を見上げた。
雲は低く、重たい。
夜。
非公式の連絡網に、不穏な報せが入る。
「川沿いで、言い争い」
「支援を巡って、小競り合い」
まだ、暴動ではない。
だが、滞留が動き始めている。
私は、レオンハルト殿下に短く伝えた。
「……正面衝突は、避けられません」
殿下の返事は、短かった。
「覚悟は、できています」
正しさがぶつかる場所は、近い。
善意と責任。
制度と人。
そのどちらを選ぶのかを、
もはや先延ばしにはできない。
夜の底で、私は静かに確信していた。
――次に起きる出来事が、
この区画だけでなく、
王宮全体を揺らすことになると。
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