第20話 善意の制度
神殿からの正式な提案書が届いたのは、三日後だった。
厚みのある紙束。丁寧な文言。慈善と公平を謳う言葉が、隙間なく並んでいる。
それは、拒むことを想定していない書き方だった。
「……中央も、後押ししていますね」
ハロルドが、書面に目を走らせながら言う。
「ええ」
私は、頷いた。
「神殿が窓口になれば、中央は“責任を果たした”と言える。数字も、説明も、すべて整う」
整いすぎている。
それが、最大の違和感だった。
レオンハルト殿下は、提案書を閉じ、静かに言った。
「断れば、どうなる」
「神殿は、別の区画で同様の制度を始めます」
私は、即答した。
「その場合、こちらが“協力しなかった”という評価が残るでしょう」
殿下は、短く息を吐く。
「……受け入れるしかない、ということか」
「はい。ただし」
私は、言葉を続けた。
「条件を付けます。制度の導入は段階的に。現場の運用は、当面併存させる」
殿下は、私を見る。
「認められると思いますか」
「リリアは、善意で動いています。拒めば、“民のためにならない側”になります」
その立場は、第二王子にとって致命的だ。
結局、提案は受け入れられた。
神殿主導の相談窓口が設けられ、無償支援が始まる。
初日は、成功だった。
列をなす人々。
神官たちの丁寧な対応。
施しを受け、安堵の表情を浮かべる民。
「助かりました……」
その声が、いくつも響く。
数字は、すぐに動いた。
相談件数は増え、未解決案件は減る。
中央の報告書には、久々に“改善”の文字が並んだ。
――完璧に見えた。
だが、その裏側で。
静かに、何かが止まり始めていた。
非公式の連絡網に、情報が流れなくなる。
「神殿に行けばいい」
「もう、こちらに話す必要はない」
善意が、動線を一本に集約する。
それは、効率化であり、同時に遮断だった。
ある夜。
倉庫街で、小さな揉め事が起きた。
以前なら、事前に噂が流れ、詰所が動いていた案件だ。
だが今回は、報せが届かなかった。
「……遅れました」
騎士が駆けつけた時には、事態は収束していたが、
負傷者が一人、出ていた。
「なぜ、知らせなかった」
私が問うと、周囲の者は口を噤む。
「……神殿に相談しました」
誰かが、そう答えた。
「返事を待っていたら、遅れました」
私は、胸の奥が冷えるのを感じた。
神殿は悪くない。
基準どおりに対応しただけだ。
だが、基準は“今、この瞬間”に追いつけない。
数日後。
同じような事例が、いくつか重なった。
どれも小さい。
数字には、まだ表れない。
それでも、確実に歪みは広がっている。
リリアは、状況を把握していた。
「想定内です」
彼女は、穏やかに言った。
「新しい制度には、必ず混乱が伴います。いずれ、落ち着きます」
その言葉は、かつてイザークが使ったものと、よく似ていた。
「……現場の声は」
「記録上、大きな問題はありません」
私は、言葉を失った。
善意の制度は、正しい。
だからこそ、疑われない。
その夜。
非公式連絡網に、久々に短い報せが入った。
「……神殿に行けない人が、出始めている」
私は、目を閉じた。
善意は、平等を目指す。
だが、平等は、取りこぼしを生む。
そして、その取りこぼしは――
声を上げない。
私は、机の上に並ぶ二つの報告書を見比べた。
公式の数字は、改善。
非公式のメモは、悪化。
どちらが真実か。
答えは、分かっている。
だが、それを示す手段がない。
このままでは。
善意によって、また人が切り捨てられる。
私は、静かに覚悟した。
――次は、隠れて守るだけでは足りない。
いつか、この“善意の制度”そのものを、
表に引きずり出さなければならない。
たとえ、その代償が、
自分の立場であったとしても。
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