第18話 規定に書かれていないこと
異変に気づいたのは、中央だった。
王都外縁区画の治安報告。
数字は、依然として「問題なし」の範囲にある。だが、細部が違う。
夜間巡回の要請が減り、小規模な揉め事が表に出てこない。
「……静かすぎる」
その違和感を、イザーク・ヴェルナーは見逃さなかった。
数日後。
再び、第二王子の居館に彼の姿があった。
「最近、区画の動きが変わりましたね」
応接室で向かい合い、イザークは穏やかに切り出す。
「治安指数は改善傾向。だが、施策に変更はないはずだ」
私は、言葉を選びながら答えた。
「制度は、変えていません」
それは、事実だった。
「人員配置も、規定どおり」
「ええ」
イザークは、眼鏡の奥から私を見つめる。
「では、なぜ“空白”が増えた?」
空白。
報告されない出来事。
記録に残らない判断。
私は、視線を逸らさずに言った。
「規定に、禁止されていないからです」
その一言で、空気が変わった。
「……ほう」
イザークは、わずかに口角を上げる。
「何をしているか、ではなく、“していない”ことを理由にする」
「中央が定めた規定です」
私は、静かに続ける。
「違反していない。命令もしていない。ただ……相談しているだけです」
イザークは、しばらく黙り込んだ。
怒りはない。だが、愉快そうでもない。
「相談は、制度外です」
「ええ。でも、違反ではありません」
私は、はっきりと言った。
「判断を共有しているだけです。最終的な決定は、現場にあります」
イザークは、椅子に深く腰掛け、腕を組む。
「それは、責任の所在を曖昧にする行為だ」
「いいえ」
私は、首を振った。
「責任を、奪わないための行為です」
短い沈黙。
「……危険ですね」
イザークが、静かに言った。
「中央は、こうした動きを嫌う」
「承知しています」
私は、即答した。
「だから、公式には何もしていません」
イザークは、小さく笑った。
「実に、厄介だ」
それは、褒め言葉でもあり、警告でもあった。
「記録がなければ、是正もできない」
彼は、立ち上がる。
「だが、記録がない以上、違反とも言えない」
扉に向かいながら、振り返った。
「覚えておいてください。中央は、“見えないもの”を最も恐れる」
その言葉を残し、イザークは去った。
応接室に残された空気は、張り詰めていた。
「……綱渡りですね」
ハロルドが、小さく言う。
「はい」
私は、頷いた。
「でも、橋はまだ落ちていません」
夜。
非公式の連絡網に、小さな報せが入る。
倉庫街での衝突が、事前に回避されたこと。
誰かが、誰かに話を聞いた結果だ。
私は、その情報を別の二人に伝える。
命令ではない。
ただの共有。
街は、今日も静かだった。
数字は、まだ動かない。
だが、イザークは気づいた。
――規定に書かれていない何かが、確かに動いている。
それは、中央にとって不安定で、
現場にとって、ようやく息ができる空間だった。
私は、灯りの落ちた執務室で思う。
この道は、正しくない。
だが、間違いだと証明するには、もう遅い。
規定に書かれていないことが、
今、この区画を支えているのだから。
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