第17話 名前のない連絡網
それは、組織と呼ぶにはあまりにも曖昧だった。
名簿はない。
規約もない。
責任者という肩書きすら存在しない。
――だからこそ、生き残れる。
私は、夜の執務室で一枚の紙を前にしていた。
そこには、正式な文言ではなく、ただの名前が並んでいる。
辞めた元役人。
距離を取った商人。
現場で判断を迫られる下級騎士。
制度からこぼれ落ちた人間たち。
「……繋ぐだけ」
呟く。
命令もしない。統率もしない。
ただ、繋げる。
翌日。
私は、最初の一人を訪ねた。
以前、辞表を出した若い役人だ。
今は、商人の手伝いをしていると聞いた。
「……なぜ、私を?」
彼は、困惑した表情で言った。
「戻ってほしい、とは言いません」
私は、正直に答える。
「ただ、知っていることを、教えてほしい。現場で何が起きているか」
彼は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……責任は、誰が取るんですか」
その問いに、私は即答できなかった。
だが、逃げなかった。
「今は、誰も取れません」
彼は、驚いたように私を見る。
「だからこそ、記録を残しません。命令もしません」
私は、言葉を続ける。
「あなたの話は、“判断材料”として共有されるだけです。使うかどうかは、それぞれが決める」
彼は、ゆっくりと頷いた。
「……それなら」
短い答えだったが、それで十分だった。
その日のうちに、もう二人と会った。
一人は、商人。
もう一人は、詰所の古参騎士。
共通していたのは、同じ言葉。
「公式には、言えない」
だからこそ、必要だった。
数日後。
区画のどこかで、小さな火種が起きる。
酒場での口論。
荷の横流しの噂。
治安詰所の報告書には、載らない話。
それらが、静かに集まってくる。
私は、それを一つにまとめない。
まとめれば、“組織”になる。
ただ、必要な人に、必要な形で、渡す。
「……今夜、詰所を増やした方がいい」
誰かが言えば、別の誰かが動く。
命令はない。
責任者もいない。
だが、動きは生まれる。
数日後。
小規模な暴動が、未然に防がれた。
記録は残らない。
報告書にも書かれない。
数字は、動かない。
けれど、街は静かだった。
「……気づかれませんね」
ハロルドが、小声で言う。
「それでいいんです」
私は、答える。
「これは、“制度の成果”ではありませんから」
夜。
レオンハルト殿下と、短い報告を交わす。
「記録は?」
「残していません」
殿下は、少しだけ眉を寄せる。
「……危ういですね」
「はい」
私は、正直に頷いた。
「ですが、今はこれしかありません」
殿下は、しばらく考え込んでから、言った。
「では、私も“聞く側”に回りましょう」
その言葉に、胸が強く打たれる。
「公式には関与しません。ただ……」
殿下は、静かに続ける。
「判断が必要なとき、あなたと同じ情報を見る」
それは、責任の共有だった。
名のない連絡網に、王族が一人、静かに加わる。
数日後。
区画の治安指標が、わずかに改善する。
数字は、まだ動かない。
だが、空気が違う。
誰かが、決めていいと分かった。
誰かが、聞いていると分かった。
それだけで、人は動ける。
私は、夜の街を見下ろしながら思う。
これは、正しくない。
だが、間違ってもいない。
名前のない連絡網は、静かに広がっている。
制度の外側で、制度を支えるために。
――次に揺れるとき、これが鍵になる。
その予感だけが、胸の奥で、確かな重みを持ち始めていた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




