第10話 評価されない選択
会議の翌朝、第二王子の居館はいつもと変わらぬ静けさに包まれていた。
拍手も祝辞もない。
勝利を告げる使者が来ることもない。
ただ、いつも通りに書類が届き、いつも通りに一日が始まる。
私は机に向かい、昨日の会議内容を簡潔にまとめていた。
「管轄維持」「規定の有効性確認」「中央による経過観察」――どれも事実だが、成果と呼ぶには地味すぎる。
「……評価されませんね」
思わず、独り言が零れた。
ハロルドが、書類を抱えたまま苦笑する。
「されませんな。むしろ、“面倒なやり方をする”と覚えられたでしょう」
「ええ。最悪、“扱いづらい”」
「それでも、ここは守られた」
その言葉に、私はペンを止めた。
守られた。それは確かだ。だが同時に――私は、あの会議室で一つのことを失った気がしていた。
“評価される未来”という、分かりやすい道を。
昼過ぎ、殿下が執務室に現れた。
昨日の緊張を引きずっている様子はなく、いつも通り穏やかだ。
「お疲れのようですね」
「……少し」
正直に答えると、殿下は椅子に腰掛け、窓の外に視線を向けた。
「昨日の選択は、あなたにとって損だったかもしれません」
私は、顔を上げる。
殿下が、はっきりと“損”という言葉を使うのは珍しい。
「派手な成果を出していれば、あなたは再評価された。中央に戻る道も、開けたでしょう」
胸が、ちくりと痛んだ。
それは、私が心の奥で見ないふりをしていた可能性だ。
「……はい」
否定できなかった。
「それでも、あなたは選ばなかった」
殿下は、こちらを見た。
「区画と、人と、仕組みを守る道を」
私は、ゆっくりと息を吸う。
「……また、切り捨てられるのが怖かったのもあります」
言葉にした瞬間、肩の力が抜けた。
強くあろうとして、ずっと押し殺してきた感情だ。
「評価されれば、奪われる。注目されれば、使い捨てられる。……そう思ってしまいました」
殿下は、否定しなかった。
ただ、静かに頷く。
「それは、あなたが弱いからではありません」
その声は、低く、確かだった。
「一度、正しさを理由に切り捨てられた人間は、“選び方”に慎重になる。それは、責任感です」
胸の奥で、何かがほどける。
私は、初めて自分の選択を“臆病”ではなく“責任”と呼ばれた。
「ただし」
殿下は、少しだけ表情を引き締めた。
「この先、同じ選択が常に許されるとは限りません」
「……分かっています」
「いずれ、派手な決断をしなければならない日が来る。そのとき――」
殿下は、言葉を切る。
「あなたは、再び“評価されない選択”をするかもしれない」
私は、迷わず答えた。
「それでも、選びます」
声が、驚くほど静かだった。
自分でも分かる。これは感情ではない。覚悟だ。
殿下は、少しだけ目を細め、微笑んだ。
「……ならば、私はあなたを選び続けます」
その言葉は、契約でも命令でもない。
ただの宣言だった。
夕方。
区画の報告書をまとめ終え、私は窓辺に立った。
街は相変わらず地味で、目立つ変化はない。
けれど私は知っている。
この静けさは、崩壊ではなく、踏みとどまりだ。
王宮では、今日も誰かが評価され、誰かが切り捨てられているだろう。
けれど、私はもう、その中心に戻りたいとは思わなかった。
評価されない選択。
拍手のない決断。
それでも、ここには――
確かに守ったものがある。
そして、その選択を「正しい」と言ってくれる人が、一人いる。
私は、もう一度机に戻り、次の施策案を書き始めた。
次に来る波は、もっと大きい。
だが、今の私は知っている。
選ばれなかった者が、選び続ける限り。
この物語は、まだ始まったばかりだ。




