Act7-8_絶対者たち
/オイフェミア・アルムクヴィスト
8月20日 18:35 ミスティア王国―王都―中央広場
「状況はッ!?」
視界を包んでいた魔力の奔流が収まり、私の身体が現実に再構成される。
写る視界の先にあるのは、白髪の後ろ姿。そしてその先に存在する50mほどの巨大な漆黒の塊――深淵。
「オイフェミア!」
ベネディクテがこちらに駆け寄ってくる。その表情はいつにも増して張り詰めたものだった。
「見ての通りだ。ゼファーとアサカはあの深淵に取り込まれたらしい。加えて、王都各所に魔神が出現している」
「……魔神の対処はレティシアに任せたんですよね?」
「ああ。だからそちらの対処はさしたる問題もないだろう。我々が対処すべきはあの深淵だ」
ベネディクテがこちらから視線を切り、巨大な深淵へとその目を向ける。
深淵はその脅威度、発生期間によって、現実に存在する入口――あの漆黒の塊――の大きさが変化する。脅威度の低い深淵であれば、生まれたての大きさは精々が1mほど。つまり発生直後で50mほどにまで巨大なあの深淵の脅威度は――恐らく逸脱者級。
中央広場と貴賓街の境目付近に存在するその深淵の周りは、現在王都即応大隊によって完全に包囲されていた。
住民の避難は完了しているようであり、視界に入る人員は全てが甲冑姿の兵士。
「突入部隊の編成は?生半可な部隊では即時壊滅もありえます」
「わかっている。通常戦力の投入は考えていない。私とオイフェミアのみで突入することになるだろう。レティシアの方が適任だが、後を任せられる人員は残したい」
ベネディクテの言葉に頷く。正直な話、英傑者以下の人員がいた所で足手まといになるのは明白だ。恐らくは肉壁にすらならない。
「わかりました。すぐにでも突入を?」
「そのつもりだ」
私たちは深淵へと向かって歩き出す。深淵の内部に突入するのは非常に簡単だ。その入口である漆黒の塊に触れるだけでいい。
問題なのは脱出である。深淵から脱出するためには、内部に存在する深淵の核を砕くか、深淵内部を守護する魔神を討伐するほかない。
ゼファーとアサカ、そしてその中にいる《《何か》》であれば自力で脱出してくる可能性もある―だが待っている時間はない。
深淵は時間経過とともにその範囲を広げていく。入口の外縁に触れたものは容赦無く飲み込まれ、脱出できなければ同化される。
生物であれば魔神として。無機物であれば深淵を構築する一助として。
漆黒の塊の眼の前にたどり着く。手を伸ばせば触れられる距離。
ベネディクテに視線を向ければ、彼女はただ頷いた。
私たちは深淵の入口に手を触れ――
「魔神ッ!?」
その前に誰かの驚愕の声が上がった。
同時、強烈な魔力反応を感じ振り返る。眼前で魔力から構築されていくのは無数の枯れ木の姿。枝には幾つもの人の歯のようなものが生えている異形―不毛の魔神。
6体の不毛の魔神が、突如として中央広場に出現したのだ。
「面倒な……総員抜剣!魔術師部隊は前衛に強化魔術をかけろ!後に援護射撃!前衛は可能な限り被弾を避けつつ魔神をかこめ!釘付けにしろ!」
即座にベネディクテが怒号のように指示を飛ばす。
一刻も早く深淵へ突入したいというのに、上位魔神の出現とは。
間違いなく内部からの足止めだ。
不毛の魔神の脅威度は上位者級。
数で勝る即応大隊とはいえ、通常戦力では対処は厳しい。
私は攻撃魔術を発動しようとする。
だがそれはベネディクテの怒号によって中断された。
「オイフェミア何をしている!早く行け!ここは任せろ!」
一瞬の逡巡。
彼女の判断は正しい。このまま私が足止めの相手をすれば、向こうの思う壺だ。
「……承知しました」
サンクチュアリに白炎を纏わせ、構造強化を行使し始めるベネディクテから視線を切る。
不毛の魔神は上位者級の脅威度だが、ベネディクテはその上位者の中でも最上位の存在だ。
それにしばしすればレティシアもこちらへ駆けつけるだろう。ここは彼女たちを信じる。
「死なないでくださいね」
「生意気な。華形は譲ってやるんだ、さっさと行けッ!」
彼女の怒号に押されるようにして、私は深淵の入口に手を触れる。
そして視界が白濁に飲まれた。
数瞬の後、視界が戻ってくる。
そこに広がっているのは、夕暮れの廃墟の街。
王都どころか、私たちの世界とは意匠の異なる瓦礫が散乱し、ほぼ全てが破壊尽くされている戦場。
これは――アサカの世界にある街か?
アサカの記憶を見た時の街並みと比べ、少し古めかしい意匠の瓦礫が多い。
『●■▲』
声が頭に響いた。この声はアサカの中にいる《《何か》》のもの。
陽だまりのような温かさのある女性の声。
「呼んでいる……?」
声の方向に対し、魔力探査を行使する。
感じ取れるのは無数の魔力反応。少なく見積もっても1000は超える反応のが扇状に広がり、何かを囲んでいる。その中心にあるのは特大の魔力反応。
だが《《何か》》の魔力とは異なる性質も感じた。恐らくはこの深淵の主たる魔神だろう。
認識した座標から推測し、瞬間転移を行使する。
魔力の奔流が身体を包み、視界が揺らいだ。
転移した後に目に入るのは、血塗れのアサカの後ろ姿。
そして彼と対峙するように立っている魔神。アースカラーのロングコートに顔を隠す黒布と丸みを帯びた兜。何よりも目を引くのは、その頭上に浮かぶ6つの銃。
その魔神の背後。そこには無数の屍が、大量の銃をアサカへと向けていた。
咄嗟に聖なる盾と呼ばれる防御魔術を行使する。
移動させることのできない起点発動型の魔術だが、その防御性能は折り紙付き。
それを最大出力で展開させる。青白い魔力の壁が形成され、アサカの前面を覆うように配置。
直後、鼓膜を劈く様な大量の破裂音が廃墟の街に鳴り響く。
聖なる盾に大量の弾丸が飛来し、一気に臨界寸前まで耐久を削られた。
「……私の友人への無礼、万死に値します」
意識せず言葉が漏れ出た。普段よりも自分の声が低い事を自覚する。どうやら存外、私の腸は煮えくり返っているようだ。
それは何も眼前の魔神に対する怒りだけではない。むしろアサカとゼファーをこの様な事態に巻き込んだ自身の判断に対してだ。
「オイフェミア!」
アサカが振り返ってこちらに視線を向けた。
ひとまずの安堵を覚える。彼が無事で本当に良かった。これでアサカが死ぬ様な状態に陥っていれば、決して自分を許すことはできなかっただろう。
彼は右肩に負傷を負っているが、動きに支障は無さそうだ。
しかし服の至る所は破れ、血にまみれている。それに加え、残滓としてこの場に残る異常な魔力――この魔力は、アサカの中にいる《何か》のものだ。
恐らくは、《何か》がアサカの傷を修復したのだろう。服の具合からみて、最上位の治癒魔術でもない限り完治は難しいだろう損傷であったろうに。
私が言うのもなんだが、尋常じゃない化物魔術師だ。しかしそのおかげでアサカは生きている。今は何よりも《何か》に対しての謝意の念が先行した。
「アサカ、随分と遅くなってしまいました。お怪我は大丈夫ですか?」
「俺は問題ないがゼファーが不味い!」
この場にゼファーの姿がないことから察していたが、やはりそうか。
背嚢の中からとある品を取り出し、それをアサカに手渡す。
「アサカ、これを」
困惑した様子で受け取るアサカに対し、さらに続けて口を開いた。
「それはユニコーンの角です。ありとあらゆる傷や病を治療する効果を持っています。……どうか、ゼファーを頼みます」
「……任せろ」
彼の心底感情の籠もった言葉に対して頼もしさを覚える。
アサカの口ぶりからして一刻を争うのは明白だ。
彼は走り出す前に、こちらへ向かい口を開く。
「奴は異常な再生能力を持っている。一度上半身を消し飛ばしたが、数秒で再生された。だが頭部を破壊すれば、しばらくの間無効化できる。ただ気をつけろ、身体能力はかなり高い」
的確な情報共有だ。それに対して頷きを持って返す。
アサカはそのままゼファーの元へと駆け出していった。
さて。これで存分に暴れられる。胸中の後悔も懺悔も後で良い。
――今はこの魔神を殺す事が先決だ。
再生能力持ちの魔神。それ自体は珍しいことではない。
しかし人型の上半身を吹き飛ばしてもなお再生するのは異常だ。
魔神は身体に核を持っている。その場所は様々だが、おおよそは身体の中心に存在している。それを砕けば魔神はたちまちに消滅するのが常だ。
だが上半身を消し飛ばしてもなお消滅しないということは、核が別の場所に存在しているのか。
「ミスティアの"魔女姫"か。丁度いい」
不意に魔神から声が聞こえた。
無機物的な抑揚のない不気味な男の声だ。
魔神が用いた言語は、流暢なミスティア語。
明らかに普通の魔神では無いことは明白。
「あら、それは随分と自信がお有りのようですね。自分で言うのもなんですが――私は強いですよ?」
魔神は無感情にその場に立っていた。その内心は一切読み取ることはできない。
認知開削で思考を覗きたい所だが、魔神に対して十全な効果を発揮しない。それは魔神の思考形態があまりにも人と違いすぎるからだ。
「認知している」
「あらそうですか。では始める前に一つだけ――今回の黒幕はあなたですか?」
全身の魔術回路に魔力を回す。
魔力の奔流が身体を包み込み、髪をたなびかせた。
魔神との交渉は意味をなさない。交渉とは、自身の何かを対価として、相手からの対価と交換するものだ。
魔神相手にそんなことをすれば、何を要求されるかわからない。
故に――魔神相手にするのは、圧倒的な力での恫喝。
「――だとしたら?」
魔神の言葉と同時に魔術を完成させる。
瞬間、温かな眩い光が、この廃墟の街を席巻した。
その光が触れた瞬間、魔神の後ろに並ぶ無数の屍たちが、まっさらな灰となって崩壊していく。
聖なる光。
神聖魔術に属する、アンデッドを浄化する神の奇跡の再現。
1000を超える屍は全て灰と化し、手にしていた無数の銃が地面へと落下していく。
これで一体一だ。
「流石だ。稀代の逸脱者」
その言葉と同時に、魔神の上に浮遊する銃が光を吐き出す。
耐久限界を迎えていた聖なる盾が粉砕され、その弾丸が私の眉間へと飛来する。
「ほう」
その瞬間に視界が歪んだ。
私の身体が魔力として飽和し、一瞬の後に50cmほど離れた場所に再構築される。
私が用いたのは瞬間回避―一度だけ自動的に攻撃を回避する防御魔術。
即座に瞬間回避をかけ直し、続けて攻撃魔術を発動させる。
発動させるのは雷の魔術。
魔神の周囲に電流が奔り、直後にその身体を焼き尽くす。
膨大な稲妻が弾け、轟音が平衡感覚を乱し、閃光が視界を侵食していく。
連鎖する稲妻が直撃した魔神は、その胴体が完全に弾け飛んでいた。
しかしアサカの言っていた通り、即座にその損傷が修復されていく。
魔神が地面を蹴り上げる。足元の瓦礫が砕け、同時に音をも超える速度でこちらへと突撃をしてくる。
だが避けることはしない。魔神の手刀が顔面に命中したと同時に、瞬間回避の効果が発動し、魔神の背後に身体が再構築される。
その魔神の背中へ目掛け魔力の槍を発動させた。
純粋な魔力の塊が槍となって編まれ、魔神の頭部を粉砕する。
自身の突撃の加速とこちらの魔術の一撃により、魔神の身体は大きく吹き飛びそうになる。
逃さない。魔神の身体を捕まえるように聖なる盾を展開。吹き飛ぶはずだった魔神の身体が青白い壁に衝突し、宙空に血の花が咲いた。
そのまま聖なる盾を解除しつつ、地面から魔力の剣を無数に生やし串刺しにする。
潰された虫の様な姿で串刺しにされた魔神は、心底醜かった。
「この程度ですか」
自分でも驚くほどに無感情な声が漏れ出た。
鮮血を滴らせる魔神の身体は痙攣を続けている。だが数瞬の後に、それは黒い粒子となって霧散していく。
――終わり?いやそんな訳がない。アサカの話では、上半身を消し飛ばしても蘇ったというではないか。この程度で滅ぼせるなら、ゼファーとアサカなら問題はなかったはずだ。
「想像以上だ。やはり噂は当てにならんな」
背後から魔神の声が聞こえた。
振り返れば、無数に存在している死体の一つが、大凡人とは思えない不気味とした動きで起き上がろうとしている。
関節が逆に曲がり、どす黒い血が地面を汚した。
私はそれに対して魔力の槍を放ち頭部を消し飛ばす。
死体は後方へ大きく吹き飛び、その気味の悪い動きを止めた。
「私では相性が悪いか」
再び魔神の声が聞こえた。その方向に視線を向ければまた別の死体が同じ様に気味の悪い動きで起き上がっていた。
これは――この深淵に存在する死体に自由に乗り移れるのか。
であれば現状この魔神を殺し切る術はこちらにはない。
厳密にはできるが、それをした場合間違いなくアサカとゼファーを巻き込むことになる。
それを理解した瞬間に冷や汗が背中をつたった。
この魔神は遊んでいただけだ。
そんな能力があるのならば、私とアサカが別れた時点で、アサカを殺しに行けばよかったのだから。
状況を理解し、死体へ魔術を放つのを止める。どうせ殺しても殺しても現状きりが無い。
やるならばこの深淵に存在している死体を全て燃やし尽くすしかないだろう。
聖なる光はアンデッドを浄化するが、ただの死体には効果がない。
死体が完全に起き上がり、黒い粒子がそれを取り巻く。
次の瞬間には、アースカラーのロングコート姿の魔神へと変化していた。
「やはり、どんなに強くても、両の手から零れ落ちるものはあるだろう?」
こちらが薄氷の上に立っていた事を理解したとたんの痛烈な煽り。苛立ちを感じる自分を抑える。
「それが逸脱した《《個》》の限界だ。守るべきものがあっては、《《外なる》》脅威を退けられない」
「何をいっているのです……?」
外なる脅威だと?それは私たちからすれば、まさに世界に侵食する深淵と魔神のことではないか。
――いや或いは
「いずれわかる。ひとまず今日は私の負けだ。帰って、祝杯を上げるといい」
「待ちなさい!まだ話は――」
魔神の姿が揺らいで消えた。同時に不出来な粘土細工のように世界が歪んでいく。
――深淵の崩壊が始まった。
即座に魔力探知を発動させ、アサカとゼファーの安否を確認しようとする。深淵が崩壊する影響で魔力が入り乱れており判断つきづらいが、2人の魔力反応を拾うことはできた。
瞬間転移を発動させ、彼らの元へ転移を開始する。深淵が崩壊すれば、内部の異物は外へとはじき出される――理屈ではわかっている。
――ただ今は、アサカとゼファーの顔を一刻も早く確認したかった。




