Act7-7_英雄は遅れて
/ラグンヒルド・オルセン
8月20日 18:30 ミスティア王国王都冒険者街
「ッ!!重いッ!」
鞭のようにしなる不毛の魔神の触手を、手にしたロングソードで弾き飛ばす。見た目以上に重いその一撃は、膂力強化で上昇した膂力でも往なすのがやっとだ。
しかも厄介この上ないことに、触手の表面にびっしりと生えている人間の歯の様な物体は、こちらの剣にダメージを入れてくる。このまま受け続ければあっという間に剣が折れるだろう。
いま用いているロングソードも鉱人の職人による業物であるのだが、上位魔神の攻撃を防ぐように設計はされていない。
炎によるエンチャントを剣に纏わせている為、触手を弾くたびにその歯の様な物体を削り飛ばす事には成功しているのだが、その触手を完全に斬り落とすまでには至らない。
連続で攻撃が来る。無数の触手が、私の身体を粉砕しようと連撃を仕掛けてくる。
横から振り払われるように触手が迫る。それを屈みながら回避しつつ、膂力の強化された足で地面を蹴り上げる。
その瞬発力に耐えられなかった石畳が割れ、小さなクレーターを作った。
狙うは、枯れ木の様な本体部分。そこに空いた口の更に奥を目掛け、切っ先を向け突撃する。
だが不毛の魔神もすぐさま対応し、上から叩きつけるようにその触手を振り下ろしてきた。突撃を中断し、離脱に思考を切り替える。
右肩部の鎧に備え付けられた魔力具を媒介として、魔力を放出させる。そうすれば一気に身体がコマのように回転し、不毛の魔神の触手の軌道上から脱する事に成功する。
足甲が地面を擦り火花が散った。一瞬だけ魔力を逆噴射し姿勢を制御。再度不毛の魔神へ向かい地面を蹴り上げる。
大上段からの振り下ろし。兜割りの様な要領で、剣を振り下ろす。不毛の魔神の胴体を狙ったその一撃は、しかし触手が合間に割り込んだ事によって直撃には至らない。
だが加速と膂力、炎、そして振り下ろしの重力によって強化されたその一撃は、不毛の魔神の触手の一本を斬り飛ばした。
ほぼ同時に、カウンター気味の追撃が来る。私の股下から振り上げるような触手の一撃。直撃すれば、身体が縦に真っ二つにされるだろう事は明白だ。
回避は間に合わない。直ぐ様魔力障壁を展開し、限界まで出力を高める。魔力放出と合わせてかなりリソースの消耗が激しいが、死んでしまえば意味がない。
「グゥッ!?」
展開した魔力障壁が粉々に砕かれ、身体へと触手が命中する。直前に足で防御姿勢を取ったため、金的への直撃は免れた。代わりに、足甲ごと硬質化で硬化した皮膚がこそぎ落とされる。鋭い痛みで顔を歪める。
魔力障壁で威力を減衰させていなければ今ので即死していただろう。
下方向からの衝撃により、僅かに上空へ弾き飛ばされた身体を魔力放出を持って制御する。そして空中でコマのように身体を一回転させ、不毛の魔神の胴体へ剣を叩き込む。
炎を帯びた刀身が不毛の魔神の胴体へと命中し、柄を通して衝撃が手に響いた。切りつけたこちらの手が痺れるような硬度。だが一刀両断など、始めからできるとは考えていない。そのまま膂力と加速を以て、強引に殴り飛ばす。
巨大な不毛の魔神の身体が宙を浮き、建物へと吹き飛んでいく。だが直後に振り回されるように放たれた触手が私にも命中した。
私の胸部を殴りつけるように触手が命中し、口から血が漏れ出す。言葉にならないほどの激痛と、硬質化した皮膚が砕ける感覚。ついでに骨の何本かが持っていかれた。
空中でまともに一撃を食らった私の身体は、いとも簡単に吹き飛ばされ建物へとぶつかる。全身に襲い来る衝撃と痛み。そのまま建物の外壁を貫通し、内部の民家のソファに衝突したことでようやく停止した。
意識が飛ぶほどではないが、相当なダメージを負った。最も鎧の固い部分で受けていなければ身体が千切れていた。全身が悲鳴を上げている。食道から血が溢れ出し、口から塊となって漏れ出す。
横目で室内を確認する。部屋の隅。そこには、幼い男児とその父親らしき男が、縮こまりって怯えていた。
自嘲気味な笑いが漏れる。第一王女近衛隊として名乗りまでしたのに、情けない所を見せてしまった。
背嚢から真っ赤な液体、最上位のヒーリングポーションを取り出し、それを一気に飲み込む。ベネディクテ様からもしもの時にと賜った貴重な品であるが、今こそが切り時だろう。
口の中に《《鉄の味》》が広がり、直後に感じるのは全身の傷口が熱する感覚。数秒もすれば完全に身体から痛みが引いた。凄い効果だ。ただのヒーリングポーションとは全く違う。
私はそのまま立ち上がり、不毛の魔神を吹き飛ばした方向とは逆の壁を蹴り上げる。膂力の強化されたその蹴りは、いとも容易く壁に大穴を空けた。そして父子に向けて言葉をかける。
「ここは危険です。早く逃げなさい」
父子はこくこくと頷き、空けた穴から別の通りへと脱出していく。無駄な犠牲が出る前に気がつけたのは怪我の功名だろう。文字通りの意味で。
さて。不毛の魔神を吹き飛ばした方向へと顔を向ける。あの程度の一撃で死んでないことは明白だ。
壁が粉砕された際に発生した砂煙が収まっていき、その奥に不毛の魔神の姿を確認できる。その触手は相変わらずうねうねと動き回っており、予想の通り元気そうだ。予想が的中したことは全くもって喜ばしくないが。
数度その場でジャンプし、身体に問題がないことを確認する。防御した足甲は砕けているが、胸甲は少し凹んだだけだ。無駄に大きな胸が圧迫されて苦しいが支障はない。
不毛の魔神から同時に3つの触手が槍のように突き出される。それを猫目で強化された動体視力を以て見切り、回避行動に移る。
床を蹴り上げ右方向へ跳躍。追従するように軌道を変えてきた触手に対してロングソードを振り下ろし、空中で弾き飛ばす。その勢いのまま前宙をするように着地し、続けて不毛の魔神目掛け地面を蹴った。
再びの正面突撃。不毛の魔神はそれの対処法を既に学習しているようで、直ぐ様触手による迎撃を行ってくる。知能のある魔神はこれだから厄介だ。だがこちらもそんな事は想定済み。
「原初の焔。いまその爆炎を以て我が敵を焼き尽くせ。大発火!」
大発火。
霊作魔術という、大地や霊の力を用いて発現させる魔術系統に属する魔術。その中でも炎属性に分類される魔術であり、火山やマグマの力を借り受けて完成させるもの。
大きな炎と爆発を同時に発生させるだけの単純な魔術だが、それ故に高いコストパフォーマンスを誇る。高威力ながらも消費魔力が少なく、明確な欠点が射程の短さ程度しかない。ただしその射程は皆無に等しく、近接武器と同程度しかない。
魔術剣士の切り札的魔術であり、特に触媒となりえる武器での刺突後に、この魔術を相手の体内で直接発動させることは必殺に等しい。
私が最も得意とする魔術系統は、大地や霊の力を用いる霊作魔術。そしてその中でも炎属性の魔術の適正が最も高い。
突撃姿勢を変更し、ロングソードを地面へと向ける。そしてそのままロングソードを触媒とし、その先端から魔術を発動した。瞬間、爆発的な炎がロングソードの先から発せられ、それは衝撃となり私の身体を上方へ加速させる。
爆発を伴った炎は、辺りに爆煙をもたらした。その爆煙に紛れた事により、不毛の魔神がこちらを一瞬見失う。続けて上空で姿勢を制御し、ロングソードの切っ先を不毛の魔神へと向けた。
そしてそのまま放つのは、私の最大火力である魔術!
「荒々しき大火の大口よ。原初の脈動のまま、全てを飲み込め。意志は炎、身体は嵐!焔の嵐!」
焔の嵐。
霊作魔術という、大地や霊の力を用いて発現させる魔術系統に属する魔術。その中でも炎属性に分類される魔術であり、火山やマグマの力を借り受けて完成させるもの。
魔術の発動起点を指定し、その周囲10mほどに対して極高温の火柱を複数噴出させる。火柱の数は術者の能力に依存し、平均では4本程度。射程は通常30mであり、短距離魔術に分類される。
特に大型の対象や、小集団に対して最大の効果を発揮する。魔力消費量は多いが、それに見合うだけの威力を持つ最上位魔術。
高速詠唱を行い、魔術を完成させる。同時に不毛の魔神の足元が赤熱し、8つの火柱が上がった。極高温の火柱が建物の石材を一瞬にして融解させ、不毛の魔神の身体を包み込む。
不毛の魔神の触手が溶け落ちていき、どろどろとした赤熱の塊となって炎の中に消えていく。
効いている!これで相手の中近距離の物理攻撃は封じた。さらに魔力を込め、威力を増加させていく。追加で2つの火柱が発生し、建物全体が焔に包まれ延焼が広がっていった。大火事になる可能性はあるが、不毛の魔神によってさらなる犠牲者が出るよりは何倍もマシだろう。
それに緊急事態時には水属性の魔術の使い手が王都の各地に配備される。被害が広まるよりも前に消火活動をしてくれるはずだ。
だが。
赤熱した不毛の魔神の胴体部分に存在する口が、カタカタと震えだす。同時に全身に駆け巡る悪寒。何かが来る。
咄嗟に魔術の発動を中断し、全力で魔力障壁を展開させる。しかし魔力を使いすぎたのか、鼻と目から血が溢れ出した。かなりの内出血が起きているようであり、全身がじんじんと痛む。
空中で落下を始める私に対して、不毛の魔神がその口を向けた。そして枯れ木の中央に大きく縦に開かれた口の奥が、紫色に発光する。
次の瞬間、眩い光が私の目を焼いた。強烈な紫の光線が不毛の魔神から放たれ、私の全身を包み込む。魔力障壁が一気に減衰させられ、砕かれた。直後襲ってくるのは、体中が炎に包まれたかのような激痛。
硬質化で硬質化した皮膚が焼けていき、両の目が蒸発する。指が千切れ、足が炭化していく。想像を絶する苦痛に気が狂いそうになる。だが継続して続く痛みがそれを許さない。
永遠にも近いように感じたその苦痛は、私が地面へと落下したと同時に終了した。
「ア、アァアアァ」
喉が焼け切れたのか、言葉がただのノイズとなって漏れ出す。全身が痛い痛い痛い痛い。視界は既になく、真っ暗な世界だけが広がっている。
死の恐怖が込み上げる。体中が悲鳴を上げている。最早無事な部位は残っていないようで、痛みで動く度に何倍もの激痛が込み上げる。
だがそれでも泣き出さず、逃げようという気も一切起きないのは、私の貴族としての矜持だろうか。
恐らく不毛の魔神がいるであろう方向へ身体を向ける。それだけでも叫び声を上げそうになる痛みが全身を襲う。
まだ。まだ。まだだ。背嚢へ向け、指のなくなった腕を伸ばす。あの熱で大概のものは蒸発してしまっただろうが、目的のそれだけは2つ残っていた。
握るという当たり前の動作を既に行えない為、そのうちの1つを叩きつけて壊す。感じるのは猛烈な熱さ。先程の光線にも勝るとも劣らない灼熱が、右手全体に襲いかかる。
炭化した歯を食いしばり、それを耐えた。ボロボロと歯が崩れていき。喉奥に破片が落ちていく。
だが痛みに耐えただけの意味はあった。右手全体に感覚が戻る。喪ったはずの指すらも完全に再生していた。
すぐに目的のもの、最後の一つの最上位のヒーリングポーションを口に流し込む。身体の全体に灼熱が走り、細胞が再生されていく。
だが幾ら最上位のヒーリングポーションとはいえ、この状態の全身を修復するには至らない。
視界が戻り、顔の全て治癒していく。身体はその半分ほどの修復が完了されていた。左半身はいまだ炭化したままであり、鎧も焼け落ちて既にない。身体の半身が炭化した全裸の女という異様な状態であるが、そんなことを気にしている余裕も無かった。
いまだ赤熱したままの不毛の魔神は、ゆっくりと私にその口を向ける。次にまたあの光線を放たれたら終わりだ。
そもそも私の知識にある不毛の魔神は、あの様な光線での攻撃を行ってくることなど無かった。ならば、こいつは変異種か特異体なのだろう。
最悪な相手を引き受けてしまった。だが、同時に私が相手取っていてよかったとも感じた。他の者達が無為に犠牲にならずに済むのだから。
不毛の魔神がゆっくりとこちらへ移動してくる。その枯れ木の様な身体でどうやって移動しているのか、身体が万全なら小一時間ほど問い詰めたい。
この身体では最早近接戦闘は不可能だ。魔術の詠唱を開始しようと右手を向ける。
だが私が詠唱を開始する寸前、魔神に対して青白い閃光が飛来した。
それらは先程の不毛の魔神の光線にも負けず劣らずの威力を誇っており、枯れ木の様な身体を粉砕していく。
直後、頭上を通過する圧倒的な魔力の奔流。猫目によって強化された動体視力で捉えたそれは、銀髪をたなびかせ、超高速で魔神へと突撃していく女騎士の姿であった。
「よくぞ1人で保たせてくれました」
私の頭上を駆け抜けたその逸脱者の声は、ハッキリと耳に届く。
その逸脱者の左腕に固定された剣から、眩いばかりの青い光波が形成され、不毛の魔神を一刀両断した。
横薙ぎに振り払われた光波に沿って引き裂かれた魔神は、直後黒い粒子となって霧散してく。魔神は死んでも死体が残らない。それが、魔神への理解が遅々として進まない理由の一つでもあった。
銀髪の女騎士は急制動をかけ、地面へと降り立った。英雄、最強。我が国の切り札の一人。私が敗北した魔神を、一撃で殺しきったその圧倒的な力を前にして、思わず笑いがこぼれる。
彼女こそが最優の魔術剣士。逸脱者の一人にして"単騎師団"の異名を持つ、レティシア・ウォルコット侯爵閣下その人だった。
「申し訳ありません。存外時間がかかってしまいました」
ウォルコット侯爵が私に向かって駆け寄ってくる。そしてしゃがみながら、回復魔術を施してくださる。炭化していた左半身が再生され、完全に修復されていく。
通常であれば、欠損した部位を治癒魔術で元に戻す事は不可能だ。だが欠損した部位の組成や現物がその場に残されていれば、話は別である。
幸いな事に、炭化して崩れたとは言え、この場にはその身体の残骸が残っていた。ウォルコット侯爵に施していただいた治癒魔術がそれらに反応し、私の身体は完全に再生する事に成功する。
「感謝の言葉もありません。本当になんと報いれば良いのか……」
私はウォルコット侯爵に対し、深々と頭を下げた。彼女は人形の様な美しい顔を向けたまま、小首を傾げる。
「オルセン近衛隊長。貴女は私が遅れたせいで、危うくその生命を失う寸前だったのです。もっとお怒りになるべきだ」
「え。いやその、怒るなんてとんでもない……寧ろ感謝の念しかいだけません……」
「……不思議な方ですね」
いや、この状況で逆ギレする事ができるなんて、私のことをどれだけ恥知らずだと思われていたのですか?
ベネディクテ様に仕えてもう10年以上になるが、ウォルコット侯爵とまともに会話したのはこれが初めてであった為面を食らう。
……いや。ウォルコット侯爵のその反応は、今までの経験からなのだろう事を理解してしまう。
ウォルコット侯爵の領土は、深淵の最前線に存在している。そこで魔神と戦い続け、多くの民を救い、その死に目も見てきた侯爵は、恐らく理不尽な怒りにさらされ続けてきたのだろう。
『なぜもっと早く助けてくれなかった!』
『後少し早ければ夫は死ななかったのに!』
『早く深淵を征伐しろ!逸脱者だろう!』
そんな無自覚な悪意と理不尽な怒りを受け続けてきたのだ。
人であれば、そういった八つ当たりをしてしまうのもわからないことではない。だが、それではあまりにもウォルコット侯爵は報われないではないか。
「……私は、ウォルコット侯爵閣下が駆けつけてくださらなければ間違いなく死んでおりました。感謝を覚えはこそ、怒りなど微塵もありません。どうか、ご自愛ください」
ウォルコット侯爵は相変わらずの無表情であるが、何処となく不思議そうな顔を浮かべている。
……これはベネディクテ様に相談したほうが良さそうだ。
「そうですか。では謝意は受け取ります」
ひとまず納得していただいたようで何よりだ。だが今後ご自愛いただくためにも、ベネディクテ様とオイフェミア公爵令妹殿下の協力は必須である。
閑話休題。
話を変え、気になっている事を質問する。
「状況はどうなっておりますか?」
「王都内の各所に、複数の魔神が同時多発的に出現しておりました。それらは全て私が討伐済みです」
なるほど。私の所が最後だったという訳だ。やはり私がここを抑えていて良かった。ウォルコット侯爵が即座に行動をしてくださったお陰で、被害は最小限で済んだだろう。私も全身が消し炭になったかいがあるというものである。
「加えて。王都中央広場に深淵と複数の魔神が出現。そちらの対処は、ベネディクテ殿下とオイフェミア殿下にお願いしております。また、アサカ様と、オイフェミア殿下の近衛隊員、ゼファー騎士補が深淵に取り込まれたとのことです」
……状況は思ったよりも最悪のようだ。早く中央広場へと合流せねば。
身体を起こそうとすれば、ウォルコット侯爵が手を貸してくれる。それをありがたく受け入れ、立ち上がる。
ほぼ全裸の為相当に滑稽な姿になっている事は明白であるが、主が戦っているのに駆けつけないという選択肢は無い。この程度の恥辱は甘んじて受け入れる。
それはそれとして、身体の各所がスースーする。特に、毛が治癒魔術では再生しなかった股の辺りが。ちなみに髪の毛は無事に再生済みである。さすが最上位ヒーリングポーション。
「説明感謝します。私はベネディクテ様の元へ向かいます」
「私も同行します」
私は頷き、地面を蹴って走り出す。乳が揺れて痛い。
/朝霞日夏
8月20日 18:38 不明
――阿呆らしい。
胸中の言葉と共に、ヒップホルスターからP226を引き抜き、魔神の頭部へと目掛け撃鉄を落とす。
魔神のKar98kが火を吹いたのと同時に、俺のP226からも鉛玉が射出され、吸い込まれるように魔神の頭部へと飛翔していく。
魔神から放たれたKar98kの弾丸が、やたらとスローモーションに見えた。だが走馬灯は見えない。それは、その弾丸に明確な殺意がこめられていないからなのか。
舐められたものだ。ゼファーに対しては明確な殺意を持って攻撃していたというのに、俺にはそれを向けるほどの価値もないというのか。
まあそれは当然か。こちらはどんなに過大評価したとしても、ただの現代歩兵。対してゼファーはこの世界でも上位層の実力者。
だが気に食わない。何よりも、一瞬でも反撃が遅れた自分が許せない。
拳銃弾とライフル弾では、その飛翔速度に差がある。故に、俺の放ったP226の拳銃弾よりも、魔神のKar98kのライフル弾の方が、先にこちらへと到達した。
鉛玉が抉りこみ、全身の肉が裂ける。骨が砕け、灼熱の痛みが意識を蝕む。そのほとんどの命中弾は腕や足だが、一発だけが腹部へと命中した。
食道を通り、口に熱いものが込み上がる。ゴボゴボと、自分では意図しない音を立てながら口から黒い血が零れた。これは胃かどこかに命中したか。
最早霞みだした視界の中で、こちらの放った拳銃弾が魔神の頭部に命中した事を確認する。鼻筋とヘルメットの間に見事命中したそれは、魔神の脳漿を炸裂させ、赤い花を咲かせた。
瞬間、魔神の膝が崩れ落ち、同時にKar98kも落下していく。なるほど。頭部への致命傷であれば、一時的にせよ無力化できるのか。
だがそれが今わかった所で何になるというのだ。最早こちらは、意識を手放す寸前である。
震える右手を無理やり動かして、連続で拳銃弾を放つ。既に反動を吸収する力も残されていない上に、照準もいい加減なものだ。それでも。放った4発の弾丸のうち、2発が魔神へと命中する。
魔神の右肩口と左足に命中したその弾丸は、P226の仕様通りの威力を十全に発揮してくれた。だが。これでは全く足りない。
魔神の傷口が、逆再生のように血を吸収し始める。数瞬もすれば元通りだ。落下していったKar98kも再度浮遊を始め、無情なコッキング音が鳴り響く。
本当の詰み。朦朧とする意識でも、それだけははっきりと理解できる。まるで貧血に襲われた時のように、視界が真っ白に染まり、右手に握っていたP226が地面に落ちる音が聞こえた。
「……良い兵士だ。お前は、《《それ》》が無ければ迎え入れたかった」
ドイツ語訛りの英語が耳に入る。理解できるはずの言語であるのに、思考がまとまらない。ただのノイズに聞こえる。
「いまは眠れ。元の場所へ帰れ。次は再び友として……」
全身が熱い。飛びかけた意識でも、それが十分に理解できる。だが先程までの、嫌悪感のある熱さではなかった。
まるで、冬の日の冷えた身体を、湯船に浸からせる様な、心地の良い温かさ。死ぬ寸前とは、こういうものなのか?
《――まだ、終わりではないでしょう》
いや――違う。暗闇の中に堕ちていた意識が急速に浮上していく。朦朧としていた脳が覚醒し、全身の熱さが加速する。
目を開いた。視界に入るのは霞んだ世界ではない。
眼前に写るのは、いつから持っていたかも覚えていない《《古びたお守り》》。それが淡い緑の光を放ちながら、ゆっくりと浮かんでいる。
いや、お守りだけではない。その淡い緑の光は、俺の全身を包みこんでいる。光が傷口にどんどんと収束していき、まるで早送りのように傷口の修復が始まっていた。
同時に感じるのは、全力で疾走している時のような肺が張り裂けそうになる感覚。自分の限界を超える運動をしているときの圧迫感。
ただの蛇口から、一斉にプールの水を排水している様な感覚と形容するのが正しいだろうか。この場合の蛇口というのは俺の身体だ。まるでどこかから大量の何かが流し込まれ、それが傷口に収束されていくように感じる。
数秒続いたそれは、全身の傷口が完全に修復されたと同時に終了する。
痛みが完全に消えた。思考が完全にクリアになり、千切れかけていた左腕さえも完全に感覚が戻っている。
どういうことだ?一切の理解が及ばないが、超常的な何かによって、俺の傷が治療されたことだけは理解できる。
「……やはり《《お前達》》はここにいてはいけない」
魔神が口を開く。相変わらず意図が明瞭ではない言葉だ。
「意味わかんねえぞコンチクショウ!」
落としたP226を拾い直し、すぐさま射撃を行う。既に5発を撃っている為、マガジン内部の残弾は10発。
魔神は向けられた銃口に対し、僅かに重心を落とすことによって回避した。銃口を向けたタイミングで避けられてしまっては、当たるものも当たらない。
Kar98kの銃口が完全にこちらを向く前に、アハト・アハトの裏へと隠れる。
先程までのKar98kの威力とは比べ物にならないほどの銃撃が一斉射され、アハト・アハトの砲身が消し飛んだ。だが金属製のパーツに対する貫徹力は無かったのか、ギリギリの所でその銃撃を回避する。
どうやらこちらに対しても明確な殺意を持って攻撃をする事にしたようだ。認められたのは男の意地として光栄だが、状況としては最悪である。
すぐさま駆け出し、瓦礫から瓦礫を渡るように廃墟の街を進む。
魔神もすぐに行動し、異常な瞬発力でその距離を詰めてきた。そのまま飛び蹴りの要領で、俺の胴体目掛け突撃してくる。
当たれば即死。上半身が消し飛ぶだろう事は容易に理解できる。
魔神の攻撃を察知した瞬間、前転するように地面へと飛び込む。そして数瞬前まで俺が立っていた瓦礫へと魔神が衝突した。衝撃と砂煙が上がり、魔神の姿を一瞬見失う。
だが次にくる攻撃は理解していた。すぐさま身体を起こし、全力でその場から走り出す。すれば、Kar98kの銃撃が一斉に、砂煙を切り裂いて飛来した。
砲撃のように地面が抉れ、瓦礫が飛び散る。当たれば即死。緊迫した状況の中でも、頭は冷静でいてくれる。
どうすればあの魔神を止めることができる?こちらの火力ではあれを殺し切ることは不可能だ。少なくともあの再生能力がある以上は、全身を一瞬で消滅させでもしないとどうにもならない。
瓦礫から瓦礫に走り、使えるものがないかを探す。運よく道中にソ連兵の死体を発見する事ができ、その手に握っていたPPSh-41を拝借する。まるで死体漁りだが、そんなことで罪悪感を感じるほど真っ当な感性はしていない。
再び背後から殺気を感じる。咄嗟に地面へと身体を伏せた。直後、頭上を音速を超える鉛玉が通過していき、着弾地点の瓦礫を粉砕する。
うつ伏せの状態から身体を転がし仰向けへ。そのまま魔神へと照準を合わせ、短連射を行う。
鉛玉が複数魔神へと命中し、頭部を弾き飛ばした。
――今しかない!《《何度でも蘇るならば、何度でも殺し続ければいい》》。
ネックスプリング(仰向けの状態から、首を使って跳ね起きること)で飛び起き上がり、魔神の頭部へ継続射撃を行う。
例え弾がなくなろうとも、ナイフで再生した瞬間から殺せばいい。それがいつまで続けられるかは問題だが、長時間の拘束は可能だ。
その間に何か打開策を思いつけばいい。まあ何も思いつかなければ、一生この魔神の面倒を見ることになるかもしれないが。
うつ伏せで倒れている魔神に対し接近し、頭部に銃撃を浴びせ続ける。数十秒もすれば、チャージングハンドルが後退したまま停止した。弾切れだ。
すぐさまナイフを引き抜き、魔神の後頭部へと突き立てる。肉と骨が砕ける気持ちの悪い感覚が、ナイフの柄を通して伝わってきた。
その時にふと思いつく。このままナイフを突き立てたままにしておけば、再生ができないのではないか?
どうせ他の選択肢は思いつかない。この廃墟の中で、当てもなくこの魔神を消滅させるほどの兵器を探し回る余裕もない。
ナイフの柄に力を込め、貫通するほどに突き立てる。すれば直後に感じるのは、ナイフが押しのけられるような感覚。恐らくは再生が始まっており、その血肉がナイフを押しのけようとしているのだろう。
だがその圧力は微々たるもの。本気で力を込めれば、突き立てたままにすることができる。だが一生このままという訳にもいかない。
俺は右手でナイフを突き立てたまま、ズボンのベルトを取り外す。そしてそのベルトを魔神の頭部を囲うように回し、ナイフを固定しようとした。だが――。
「ッ!?」
乾いた破裂音が辺りに鳴り響く。同時に感じるのは、右肩口へと猛烈な痛み。その衝撃で少し身体が後方へ吹き飛ばされる。
銃声の方向へ視線を向ければ、そこには血塗れで白い顔をした、第二次世界大戦期のドイツ下士官の姿。
この廃墟の街に無数に存在する死体の一つが、Kar98kを腰だめに構えて立っていた。
後少し射線がずれていれば、俺の首筋に命中していただろう。やはり俺の悪運は強いようだ。
だが不味い。固定していたナイフから手を放してしまった。それはつまり……
「……お前、本当にただの人間か?或いは、もう1人の力か?」
魔神の頭部に突き立てたナイフが、完全に押し出される。カランカランと、地面へとナイフが転がる無情な音が辺りに広がる。
ゆっくりとした動作のまま、魔神が起き上がり、無数のKar98kの銃口がこちらへと向く。
さらに。それ以上に絶望するような光景が、眼前には広がっていた。
「笑えねえ……」
この廃墟の街に存在するあらゆる《《死体》》達が、一斉に起き上がっていた。その手にはそれぞれの得物を構え、俺へと無感情な殺意を向けている。
冗談ではない。この魔神は、ここに存在するあらゆる死体すらも操作する能力を持っているというのか!?
完全に勝機を逃した。この数の兵士が相手では、何をどうやっても勝ち目がない。
そもそも、この廃墟の世界は、あの魔神の庭だったのだ。
「……気に食わねぇ。そんなの使えるなら、最初から使えっての」
負け惜しみの悪態をつく。魔神の無感情な瞳と視線がぶつかる。
「……。《《お前》》は、やはり本気で戦うべき存在だった。非礼は詫びよう」
ムカつくことこの上ない賛辞が、魔神から送られる。
武士道精神だか騎士道精神だか知らないが、無駄に礼儀ただしいのがより腹立たしい。
「ああそうかい。認められたようで何よりだ」
「……歳を取るといかんな。リスクを怖がる様になる」
「最後まで意味わかねえぞコンチクショウ」
俺は立ち上がる。そして、ヒップホルスターからP226を引き抜き、肩を負傷した右手から左手へとスイッチング。魔神の眉間へと照準を向けた。
「最後は西部劇みたいに早撃ちでどうだ?」
冗談交じりでそう告げる。どうせ死ぬのなら、格好つけておきたいという小さな小さなプライドだ。
「……すまんな。Scheiß Amiの映画は見たことがない」
最後まで気に食わない奴だ。何よりも、行動と矛盾する腰の低さが気に食わない。
「冗談だわ。面白くもねえ」
言葉と同時にP226の撃鉄を落とす。
それに対応するように、視界内の無数の銃口が火を吹いた。
数瞬後に来る衝撃と痛みを想像し、思わず笑みがこぼれる。人間どうしようもない状態になると笑いがでるというのは本当のようだ。
ああ。どうせならこれで、地球に戻れるといいんだが。最愛だった女の顔と、妹の顔が脳裏によぎる。
「……」
「……は?」
だが。放たれた銃弾は、お互いに命中することは無かった。
その原因はすぐに理解する。俺から2mほど前方で、それら無数の鉛玉が一斉に爆ぜたのだ。それらは衝突エネルギーで変形し、ぽとりぽとりと地面へと落下していく。
弾丸を止めたのは、青い半透明の壁のようなものだった。俺の周囲を囲むように展開され、さながらバリアのように見える。
「……私の友人への無礼、万死に値します」
背後から聞こえる声。その声に、心底安堵してしまった。最早耳に馴染む、美しい鈴の音の様な声。
振り向けば、そこには金色の髪をたなびかせ、身体から青白い閃光を放っている少女の姿があった。その姿に、思わず圧倒される。
同時に抱くのは、生物としての本能的な畏怖。圧倒的に格の違う存在を眼の前にした時の羨望。見るだけで理解する、その支配的な強者としての在り方。
「オイフェミア!」
そこにあったのは、オイフェミア・アルムクヴィストの姿。
普段の可憐な少女然とした姿からは想像もつかない、絶対者としての彼女が悠然と立っていた。




