Act7-5_深淵到来
/ラグンヒルド・オルセン
8月20日 18:15 ミスティア王国王都冒険者街
「ええ。身柄は王城に?畏まりました」
通辞のピアスと呼ばれる魔道具を用いて、ベネディクテ様に報告を行う。そして通信が終了した後に、いまだ絶叫を続ける女へと視線を向けた。
「貴女も哀れな人だ」
蔑みも侮蔑も、憎しみさえも無く、ただ平坦に声が出た。
主であるベネディクテ様が侮辱されたというのに、胸中にあるのはただただ憐れみのみである。
地面に転がるその女、アサカ様を殺そうとした若年貴族は、痛みに悶えながら、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしていた。
本当に、哀れなものだ。地方の弱小貴族の次女として生まれ、まともな教育も受けていない。地方貴族にとって高等教育は安くない。優秀な長女がいれば、そちらに投資するのが当然だ。
本来なら姉の補佐としてほそぼそと暮らすか、出奔して傭兵か冒険者になるはずだった。
だが不運にも親と姉が同時に戦死し、家を継がざるを得なかった。
まともな教育を受けていないこの女は、領土が貧しいのは王家や親が無能だからと考えていたのかもしれない。
同じ境遇の若手貴族で馴れ合い、無能さを指摘する者もいなかった。つけ上がり、神輿として担がれた結果がこれだ。
馬鹿にとっては妥当な末路。だが、その境遇には少しばかりの同情がある。哀れなものだ。
泣きわめく若年貴族から視線を切る。そして、転がっている死体のうちの一つに目をやった。
その死体の外傷は、ほかのものとは異なっている。アサカ様の銃でも、ゼファー騎士補のナイフでもない。
苦悶の表情のまま、全身の穴という穴から血が流れ出ている。大火傷のように爛れた肌に、複数の水疱。随分と酷い状態だ。
私はベネディクテ様の命で、アサカ様とゼファー騎士補の様子を観察していた。そのため、あの戦闘の一部始終は見ていたのだ。
故に理解ができる。こいつの死に方は明らかにおかしい。
あの時、アサカ様から感じた異常な魔力の発露。彼が何か魔術を行使したのか?
だが様子を見る限り、アサカ様自身も困惑していた。魔術とは認識と認知が重要だ。
魔術を行使した結果を理解していなければ、魔術の発現はできない。死体を見て困惑していた様子とは矛盾する。
それに普段のアサカ様の魔力量は、精々が一般者程度だ。偽装の可能性はあるが、それならオイフェミア様が看破できるはずだ。
……やめた。考えても答えは出ない。この事をベネディクテ様に報告するだけだ。
転がっている女貴族へと視線を向ける。
「先に話を聞かせなさい。その方が、後で《《楽》》になりますよ」
泣き喚いていた女は、私の顔をようやく認識したのか、涙声のまま口を開く。
「は、ハハハ!こりゃ傑作、傑作だ!王女の犬が……」
呆れた。あれだけ無様な姿を晒しておきながら、まだそんな口がきけるのか。ここまでやれば、その虚勢も大したものである。
言葉の続きを遮るように、金属甲冑の足裏で女の右手を踏みつける。
全体重に加えて、魔力で強化したその一撃は、容易に女貴族の骨を砕いた。
「アアアアアァッ!?」
どこまでいっても阿呆だ。耳障りな絶叫を、みぞおちを蹴り上げることによって停止させる。
「これは命令だ。黙って知っていることを言え。貴様とおしゃべりする時間はない」
しばらく咳き込んでいた女貴族は、涙を流しながら口を開く。
「ゴホッ、ガ、だめだ!い、言えない!言えば殺される!」
この後に及んで自分の命の心配とは。どこまでも男々しい奴だ。
「心配するな。どのみち話さなければ、お前は死罪だ。逆に話しさえすれば、減刑もありえるがな?」
女貴族は肩を震わせて、引きつった声を漏らす。
そして嗚咽の様な声を漏らし始めた。……いや、これは嗚咽ではない。
「ヒヒヒ匕、アーッはっはハハは!」
女貴族は狂ったように笑い始める。眼前にまで突きつけられた死の恐怖に耐えられず、とうとう壊れたか。
せめてもの慈悲として、普段ならばその首を刎ねる所だが、情報を聞き出す前に殺すわけにもいかない。
しばし女貴族は狂気のまま笑った後に、引きつる様な声で何かをブツブツと言い始めた。これはだめだ。精神抑制の魔術、或いは魅了の魔術で精神操作した方が早いだろう。
その時、複数の甲冑の足音が聞こえてきた。
衛視が来たようだ。視線を向けてみれば、魔石灯ランタンを持った3名ほどの衛視が、こちらに向かって走ってきている。
彼女らは、私の姿を見て驚いている様子であった。
「ラグンヒルド・オルセン第一王女近衛隊長殿!?なぜこちらに……いやそれよりもなにがあったのですか?」
「気にする必要はありません。この者たちは、重大な政治犯の可能性があります。通常の留置所ではなく、王城の地下牢へと移送するのが良いでしょう」
嘘はいっていない。嘘は。ここで説明するには、事態がややこしすぎる。
「え!?いやしかし、調書などもありますので……」
「そういえば、留置所で政治犯の暗殺が起きた場合、誰が責任を取るのでしょうね?」
私が言葉を返すと、釈然としない様子だった衛視の顔が、みるみるうちに変わっていく。
「し、失礼しました!」
「構いません。そちらも仕事でしょう。それに、貴殿らにも付き合っていただきますから」
「……え?」
このまま王城で身柄を拘束してしまえば、王家派閥のマッチポンプだとやっかみをかけられない。
衛視隊の公式な調書は残しておく必要があるだろう。
「心配しないでください。残業代は出るように、衛視隊長に進言しておきます」
衛視たちが死体の回収と、唯一生き残っている女貴族の拘束を行い始めた時、全身に悪寒が奔った。
とてつもなく嫌な気配を感じ、中央市場の方へと視線を向ける。その方角からは、複数の悲鳴が響いていた。
「……まさか、アサカ様!?」
すぐに向かって確認を取りたいが、この場を離れては重要な情報源を殺されかねない。
通辞のピアスを起動し、自分の主へと連絡を行おうとした時、女貴族が叫びだした。
「終わりだ貴様らッ!あいつに、あの《《男》》に全員殺される!」
あの《《男》》?
私は女貴族の胸ぐらを掴み上げ、低い声で詰め寄る。
「誰だその《《男》》とはッ!答えろ!」
「アハハハはハハは!」
血走った目を裏返しながら、女貴族は笑い続ける。
時間がないというのに。
その後もいくつかの詰問をするが、相変わらず女貴族は狂気の笑いを続けるのみだ。
埒があかない。そう判断し、女貴族を地面へと倒そうとした時だった。
「アはハアハ!ア?アァああアァぁああッ!?」
女貴族が突然もがき苦しみだし、地面にのたうち回る。同時に、この女の魔力が収束していくのを感じた。
……魔力暴走?自爆かッ!?
「皆離れろッ!」
咄嗟に声を上げ、距離を取るために地面を蹴る。同時に魔力障壁を限界まで展開させる。
一般市民は離れてこちらの様子を見ていたため、巻き込まれる心配はないだろう。だが衛視たちを守るためには詠唱時間が足りない。
「対ショックッ!」
そう叫んだ瞬間に、身体が浮かび上がった。同時に感じるのは、猛烈な衝撃。魔力障壁でかなり減衰させているとはいえ、内臓が揺れ喉元まで胃の内容物が迫ってくる。
5mほど吹き飛ばされ、身体を回転させながら地面へと着地した。……大丈夫。ダメージは大したことはない。
――爆発の方向へ顔を向けた瞬間、唖然とした。
そこに存在したのは、《《不定形の枝》》だった。一本の黒い枯れ木と、そこから生える無数の枝。だがそれが只の枯れ枝で無いことはすぐに理解できた。
「やめっ!助け!」
枯れ木から生えた枝の一つが、爆発を辛うじて生き延びていた衛視の腹に突き刺さる。
そのまま衛視の身体が枯れ木の元へと運ばれ、《《食われた》》。
比喩でもなんでもない。文字通り食われたのだ。枯れ木の正中線を割るように、無数の歯を備えた口が出現し、衛視の上半身を食いちぎったのだ。
よく見れば、枝の様な触手にもびっしりと人間の歯のようなものがこびりついている。
名状しがたい化物。間違いない。こいつは《《魔神》》だ。
数いる魔神の中でも、こいつとは若い頃に一度だけ対峙したことがある。
まだ駆け出しの騎士武官だった頃、深淵征伐に赴いていた私の部隊を全滅させた魔神。
いくら触手を切り落としても、魔術を命中させても、核を破壊しない限り無尽蔵に再生する悪夢。名前は不毛の魔神。
その脅威度は、上位者と同等。逸脱者には至らないものの、ミスティア国内に10人程度しかいない、常識の枠組みを食い破る超人と同等の魔神である。
私では時間稼ぎが精々だ。私では、上位者相当のこいつを殺す刃は放て無い。
だがそれでも。私は青い血の流れる貴族である。自身の役目を投げ捨て逃げ出すなど、できるはずもない。何よりも、ベネディクテ様に仕える身としての誇りが、それを許さない。
「聞けるものは聞け!この場はラグンヒルド・オルセンが引き受ける!動けるものは即応大隊に知らせよ!行けッ!」
叫びながらすぐさま抜剣し、構造強化を自分へと行使する。
硬質化、膂力強化、猫目。近接戦闘能力を向上させる3つの業を使う。
それが終われば、すぐさま魔術の詠唱を開始する。
「荒々しくも爆ぜる原初の焔よ。今こそ、その力を持って邪悪を滅ぼさん。我が血を火に、我が意志を刃に!炎の剣」
詠唱が完成した瞬間、私が正眼に構えていたロングソードの刀身が、炎で包まれる。
炎の剣。
霊作魔術という系統に分類される、武器に炎の力を与える強化魔術。
炎は神聖なものであり、特に神の加護から外れたアンデッドや魔神に対して効果が高い。
上位の魔神相手では焼け石に水程度の効果しかないだろうが、無いよりはマシのはずだ。
不毛の魔神は、その触手を水草のようにうねらせながら、こちらの様子を伺っている。こいつの厄介なところは、それなり以上の知能があることだ。
しかし何故、上位の魔神が突然現れた? あの女貴族が成り代わられていた? いや、その可能性は低い。もとより魔神なら、アサカ様を狙う時に変化していれば良かった。今この瞬間に変化する意味はない。
……契約か? 何かの条件を満たした時、魔神の贄に捧げられる契約を結んでいたのか? だがあの女貴族一人の命で、上位魔神を招来できるとは思えない。
その時気がつく。アサカ様とゼファー騎士補が殺した連中の死体が一つもない。
――全員が贄になったのか!
仮にもミスティア王家の血を拝領した貴族だ。無能どもとはいえ、8人分あれば上位魔神の招来も不思議ではない。
それが分かっても事態は好転しない。今は一刻も多く時を稼ぐのみだ。
恐れはない。ただ、娘と旦那に会っておけばよかったという後悔だけが、胸中に広がる。
上位魔神に独りで挑むとなれば、死ななかったとしても無事ではすまないだろう。
だが現在、この王都には逸脱者が2人もいるのだ。
"単騎師団"レティシア・ウォルコット侯爵閣下と、"黄金の魔女姫"オイフェミア・アルムクヴィスト公爵令妹殿下のお二人であれば、この程度の魔神など鎧袖一触である。
時間さえ稼げば、お二人の到着が間に合う。私が死ねば、無為の犠牲が広がる。格好いい母親、そして格好いい妻というのを貫き通すためにも、ここで引くわけにも死ぬわけにはいかない。
「貴様の前に立つのは、オルセン伯爵家の当主にして、第一王女近衛隊隊長、ラグンヒルド・オルセンだ!殺せるものなら、殺してみろ!」
/オイフェミア・アルムクヴィスト
8月20日 18:25 ミスティア王国貴賓街アルムクヴィスト屋敷
天上には星が輝き始めていた。黄昏に焼かれた空の中で、星星と月はその仄かな明かりで街を照らしている。
私は、自身の屋敷で、アサカとゼファーの帰りを待っていた。既にラグンヒルドからの報告は、ベネディクテ経由で入っている。
もう少しすれば、アサカとゼファーはこちらにたどり着くだろう。
アサカが私の私室においていったライフルへと目をやる。
心臓が逸る。彼への不義理を謝罪したくて、たまらない。恩人にこの様な報いを返すのは、あまりにも人でなしだ。
ベネディクテは、アサカたちの思考が覗き見られ、情報が漏洩する懸念があったために、彼らに襲撃の事を伝えなかった。
だが私は少し違う。《《アサカの思考を覗けない》》事は、私が一番に理解していたからだ。
確かにゼファーであれば、私ほどとは言わないが、上位者の魔術師ならば魔術をかける事も可能だろう。彼女は英傑者と呼ばれる実力者ではあるが、本職の魔術師と比べれば、その精神防壁は脆い。
私が懸念したのは、アサカの中にいる《《何か》》に情報を渡すことだった。
私の魔術を抵抗した《《何か》》。あの存在がアサカを守ろうとしていることは理解している。同時に、私をある程度認めていることも。
ではなぜ《《何か》》に情報を渡さなかったのか。それがどう反応するか想定できなかったからだ。
私はアサカを信用している。断片的にとはいえ思考を見た。
『オイフェミアに死んでほしくない』というあの時の思考は本物だった。
《《何か》》が思考を偽造していた可能性もあるが、それならアサカの過去と思われるあの情景を私に見せた意味がわからない。
だが《《何か》》を信用することはまだできていなかった。限りなく低い可能性だが、今回の黒幕と繋がっているという線も捨てきれなかった。
とはいえ、結果論だが、そんなことはなかったと理解している。
実際にアサカとゼファーは襲撃された。もし《《何か》》が黒幕と繋がりがあるなら、あまりに整合性が取れない。
結局、一番疑心暗鬼になっていたのは私だった、というオチであればいいのだが。
「早く、帰ってきませんかね……」
窓辺で夜空を見上げながら、独り呟く。既に夕食の支度は使用人たちがしてくれている。ベネディクテとヴェスパー兄さまも、しばしすればこちらに来るだろう。
その時であった。私の耳に装着された魔道具を通じて、声が頭に響き渡る。この魔道具は通辞のピアスと呼ばれるものであり、遠隔での連絡を取ることのできる便利な道具だ。
『オイフェミア!?』
ベネディクテの声であった。その声色から、ただ事でないことを理解する。一体何があったのだろうか。
「聞こえています。どうしましたか?」
魔道具を通じて流れ込んで来るベネディクテの感情は、焦り。
『アサカとゼファーが深淵に飲まれた!』
一瞬思考が停止する。
ここ王都の内部で深淵?なんの冗談かと、普段ならそう思う所だが、ベネディクテの声色は真剣そのものであった。
「はい!?」
『既にこちらの近衛と即応大隊には深淵の包囲を命じてある!更に冒険者街に魔神が出現した!ラグンヒルドが対応中だが、増援としてレティシアにそっちは任せてある!お前もすぐに来い!場所は中央広場だ!』
ベネディクテからの通信が途切れた。
一体どういうことだ?深淵に加えて魔神とは。本格的な緊急事態、早急に対処せねば《《国が滅びかねない》》。
だが、ひとまず思考は後回しで良い。急いで装具を身に着け、魔術を行使する。
私の足元に複数の魔法陣が形成され、青白い光が部屋を照らした。
行使する魔術は瞬間転移――任意の座標に対して瞬時に移動できる魔術――。
距離によってかなりの魔力を消費をする為、戦闘が想定される現状は控えたい魔術である。だがいまはそんな事を言っている場合ではない。
「オイフェミア様!?」
その時ちょうど、使用人のエインヒルが扉を開けて入ってきた。恐らくは私の魔術の発動を感じ取って、飛んできたのだろう。
「しばし空けます!お屋敷の事は任せます!」
そう叫びながら、私は魔力の奔流へと身を投じた。




