第1話 社畜、死して辺境へ。そして誓うはスローライフ
チカ、チカ、と、
不規則に瞬く、
冷たい蛍光灯の光。
モニターの、
青白い残像が、
乾ききった目に、突き刺さる。
鼻をつくのは、
澱んだ空気と、
冷めきったコーヒーの、酸っぱい香り。
鳴り止まない、電話。
積み上がる、資料の山。
終わらない、単純作業。
俺、紡イツキの意識は、
そこで、
ぷつり、と、
まるで、古い糸のように、
静かに、途切れた。
享年29。
死因は、過労死だった。
(あぁ……)
(やっと、眠れるんだ……)
それが、
俺の、あまりにも短い人生の、
最後の、そして、
唯一の、安らかな感情だった。
◆ ◆ ◆
(……土の、匂い?)
(…木の葉の、擦れる音?)
(…頬を撫でる、優しい風?)
五感が、
ゆっくりと、覚醒していく。
俺は、
恐る恐る、
その、重い瞼を、開いた。
目に、飛び込んできたのは、
どこまでも、深い、森の緑。
そして、
指の隙間から、差し込む、
どこまでも、青い、空の色。
「……あれ?」
「……デスクじゃ、ない?」
俺は、
ゆっくりと、
自分の体を、起こした。
汗で、肌に張り付いていた、
安っぽいスーツじゃない。
ラフで、動きやすい、
麻のような、素材の服。
自分の、手を見る。
仕事で、出来てしまった、
ペンだこや、ささくれが、
綺麗に、消えている。
それどころか、
少しだけ、若返っているような、
そんな、気さえした。
混乱する頭で、
必死に、記憶をたぐる。
そうだ。
俺は、死んだはずだ。
あの、地獄のようなオフィスで、
椅子に、座ったまま…。
では、ここは、どこだ?
天国か?
それとも、地獄の続きか?
その、瞬間だった。
《……万物再編》
《……鑑定眼》
《……上記二つの、ユニークスキルの付与、完了しました》
頭の中に、
直接、
無機質な声が、響き渡った。
「スキル……?」
まるで、
どこかの、ゲームのようだ、と、
他人事のように、思う。
だが、
それ以上に、
もっと、もっと、強い感情が、
俺の、心の奥底から、
まるで、マグマのように、
激しく、噴き上げてきた。
(もう…)
(あの、会社に、行かなくていいんだ…)
その、事実に、
気づいた、瞬間。
俺の、目から、
熱い涙が、
とめどなく、溢れてきた。
悲しみの涙じゃない。
喜びの、
そして、完全な解放の、涙が。
「はは…」
「ははははははっ!」
もう、あの地獄に、
戻らなくて、いいんだ。
もう、誰かに、
理不尽に、頭を下げて、
終わりのない、ノルマに、
追われることも、ないんだ。
「最高だッ……!」
異世界転生?
そんなことは、どうだっていい。
俺は、自由だ。
やっと、自由になれたんだ。
もし、
第二の人生が、
本当に、あるというのなら。
「今度こそ……」
「絶対に、のんびり、暮らしてやるッ!」
好きなことだけをして、
誰にも、何にも、縛られずに、
静かに、生きていく。
もう二度と、
あの、社畜の日々には、
戻らない。
俺は、
どこまでも青い、異世界の空に向かって、
固く、
固く、
そう、誓った。
◆ ◆ ◆
しばらく、感情のままに泣き続けた後。
俺は、ようやく落ち着きを取り戻し、
自分の、新たな力を、
確認してみることにした。
「鑑定眼」
そう、心の中で、強く意識して、
足元に、転がっている、
何の変哲もない、石を、見つめる。
すると、
俺の、視界の隅に、
半透明の、美しいウィンドウが、
ふわり、と浮かび上がった。
【石ころ】
ただの石。特に価値はない。
構成物質:二酸化ケイ素(SiO2)が主成分。
その他、鉄、アルミニウムなどの、微量な金属元素を含む。
「へぇ……面白い」
次に、
その、石ころを、
ゆっくりと、拾い上げてみる。
その、指先が触れた、瞬間だった。
(……ッ!? なんだ、この、情報の奔流は……!)
頭の中に、
膨大な知識が、
まるで、嵐のように、
流れ込んでくる!
この石の、成り立ち。
その、分子構造。
正確な、融点と、硬度。
そして、
どうすれば、これを、
ガラスに、変えることが、できるか。
どうすれば、不純物を取り除き、
シリコンウェハーとして、
精製できるか、まで…。
前世で、俺が、
寝る間も惜しんで、必死に学んだ、
素材工学の、全ての知識が、
目の前の、ただの石ころと、
完全に、直結して、
脳内で、再構築されていくような、
不思議な、そして、
どこまでも、心地よい感覚。
これが、
「万物再編」…!
このスキルは、
ただ、モノを、
魔法で、自動で、作り変えるだけじゃない。
触れた、素材の、その『本質』を、
俺に、完璧に、理解させ、
その、最適な加工方法の、
『究極の設計図』を、
現代科学の、知識ベースで、
導き出してくれる、
とんでもない力だ。
(……これなら、いける)
俺の、口元が、
自然と、笑みの形に、なっていく。
前世での、俺の、
唯一の、そして、最高の趣味。
誰もが、ゴミだと言うような、
ガラクタを、集めては、
全く別の、便利なものに、
作り変える、DIY。
あの、ささやかな楽しみを、
この、新しい世界でなら、
もっと、ずっと、
凄いスケールで、
実現することが、できる。
俺は、歩き出した。
辺境と呼ばれる、
この、人気のない森の、
どこかに、
俺だけの、拠点を見つけるんだ。
しばらく歩くと、
森の中に、
打ち捨てられたような、
一軒の、廃屋を、見つけた。
その近くで、
俺は、
別の、『宝物』を、発見する。
黒ずんだ、骨。
硬そうな、皮の切れ端。
おそらく、
冒険者の誰かが、討伐した、
ゴブリンの、残骸だろう。
鑑定結果は、
やはり、辛辣だった。
【ゴブリンの骨】
低級魔物の残骸。硬いが脆い。用途:ゴミ。
「……違う」
俺は、
静かに、首を振った。
「素材は…」
「素材は、ゴミじゃないッ!!」
それは、
俺の、新しい人生の、
最初の、そして、
最も重要な、信念の叫びだった。
俺は、ゴブリンの、
一番太い骨を、一本、拾い上げる。
スキルが、
俺の頭の中に、
完璧な、カップの設計図を、描き出す。
(まずは、表面の、不純物を、削り落とす)
(道具は……これだ)
近くにあった、
鋭く、尖った、黒曜石のかけらを、
即席の、ナイフにする。
俺の手が、
まるで、何十年も修行を積んだ、
熟練の職人のように、
滑らかに、そして、正確に、動いた。
カリ、カリ、カリ、と、
小気味よい、
心地よい音を、立てて、
骨の、汚れた表面が、
薄皮のように、削られていく。
次に、
カップの、内側を、
丁寧に、くり抜いていく。
最後に、
手のひらで、
そっと、包み込むようにして、
ごく、微量の魔力を、込める。
骨の表面が、
わずかに、熱を帯び、
分子構造が、再結合し、
驚くほど、滑らかな、
美しい艶が、生まれていくのが、
手のひらの感触で、分かった。
そして、
全ての工程が終わった、その瞬間。
俺の手の中にあった、ただの骨が、
淡い、浄化の光を放ち、
カラン、と、
涼やかで、心地よい音を、立てた。
キラーン! ✨
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
【ゴブリンボーン・カップ】
Rank:D+
分類: 食器
解説:
ゴブリンの骨から不純物を極限まで取り除き、高密度で再構築したカップ。驚くほど軽く、落としても滅多に割れない。滑らかな口当たりは、飲み物の味を一段階引き上げる。
付与効果:
軽量化(小)
抗菌作用(微弱)
水質浄化(ごく僅か)
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
(キタッ――(゜∀゜)――!!)
脳内に、表示された、
輝かしい鑑定結果に、
俺は、思わず、
天に向かって、ガッツポーズをした。
ただの、カップじゃない。
ちゃんと、特殊効果まで、付与されている!
「よしっ、大成功だ!」٩( 'ω' )و
これだ。
これこそが、
俺の、やりたかったことなんだ。
世界を救う?
そんな、大それたことには、興味ない。
大金持ちになる?
面倒な人間関係は、もう、ごめんだ。
俺は、
この、辺境の地で、
誰もが、見向きもしない、「ガラクタ」を、
拾い集め、
最高の、逸品を、生み出す。
そんな、
静かで、
自由で、
そして、どこまでも創造的な、
工房の、主として、
第二の、人生を、謳歌してやるんだ。
胸いっぱいに、
異世界の、新鮮な空気を、
深く、深く、吸い込み、
俺は、
目の前の、
自分の城となるべき、廃屋を、
愛おしそうに、見据えた。
鑑定眼で、見れば、
あの、崩れた壁の石材も、
腐りかけの木材も、
錆びついた鉄の蝶番も、
すべてが、
未知の可能性を秘めた、
最高の、「素材」にしか、見えなかった。
やることは、山積みだ。
だけど、
その、やるべきことの、全てが、
最高に、
最高に、楽しかった。