6. I used to be a stooge.
負傷した腕の治療後、騎士団客室に戻ったミュゼッタはすぐベッドに横たわった。薬のおかげで痛みはないけれど、疲労までとり除いてくれるわけではない。
すうっとまぶたは落ちる。意識も暗闇へと沈んだ。
気づけば蔦の彫刻の柱に挟まれて立っている。かかとはヒールで底上げされていて、これで優雅に歩けるまで修行をしたものだ。
ということはジリルメリー国の王宮だ。ミュゼッタではない、オデッサの時代ーー百年も前を夢に見ている。遠くはぼやけているのに、妙にところどころが鮮明だ。ホコリのひとつもないランプをはじめ、薔薇の茂みの前に立つ男女しかり。
とっさに隠れてしまった。張り巡らされた針葉樹の下でしゃがんでしまえばあちらからは姿が見えなくなる。
抱えた膝には生地を重ねた分厚いドレスがのっかっている。ひきずる長さの裾など市井生まれのオデッサにはもったいなくて、着られている感が強い。
妙な姿を誰かに見られる前に移動しなければ。
膝立ちで頭を低くして、そろりそろりと進む。
下を向いていればはらり、と髪が落ちてきた。手をやると横髪を留めていた髪飾りが失くなっている。親友からもらった大切なお揃いの品が。
「オデッサ」
呼吸が止まった。勇者の声は重厚な毛布のように耳朶を撫でる。
「きみの気配だったのか」
ほっと微笑まれて、すみませんと謝る。続いて一声でとりこになる妙音の大聖女さまの声がかかった。その髪はオデッサとともに選んだ髪飾りでまとめられている。
「オデッサじゃない。そんなところに座って……まぁ、髪を下ろしているのね。いつもの髪飾りはどうしたの?」
彼らの逢瀬を邪魔したくなくて隠れたのに。夢の中でも素通りさせてくれない。
オデッサが膝をついていれば、二人も地面に座り込んだ。
「失くしたから探しているのね? わたくしも手伝うわ」
「じゃあ俺も」
「あの……コルネリアさま、アーガスさま、ごめんなさい」
「どうして? オデッサはいつもわたくしたちを助けてくれるのに、これくらいのことも手伝わせてくれないの?」
「そうそう。あ、ーーあっちにあるあれかな」
やはり針葉樹に絡み取られていた。
目立ったところに汚れはなかったけれどもアーガスが絹のハンカチで全体を拭ってくれた。オデッサの手に置かれた髪飾りはさらに輝きを増したような気がする。コルネリアの細い指がオデッサの髪を元通りに編み直した。
「ありがとうございます」
「困ったらなんでも言って」
「そうよ。アーガスだって魔物倒す以外でも頼りになるんだから」
彼らの微笑みに、オデッサも頬を緩めた。
これは、懐かしくわたくしを苦しめる夢。
ミュゼッタに生まれ変わる前の、あわれな二番手聖女が一番幸せだったころ。大切な人たちがいた。彼らからも優しく大切にされていた。
この頃、一国の勇者と大聖女は魔王討伐に出ることになっている。出立前日には笑い合って別れて、彼らの強さに不安はないはずだった。
大聖女の留守を任されたオデッサは国を守るため、この後献身的に働くことになる。
「平民が大聖女の代理なんて」
貴族出身の聖女たちにはそう睨まれていた。大聖女になるには身分は考慮されないが、世間の見栄えは重要視される。賞賛されるコルネリアは高位貴族の出だった。
請願魔法を使うたびに彼女と比べられる。
「大聖女さまならこのくらいのこと簡単におできになった」
聖女のトップ、大聖女ともなれば国の脅威となるくらい強い。怪我人の治療でも、傷を塞ぐ治癒魔法ではなく、四肢欠損を補う上級の聖願魔法を使えた。しょせんオデッサは平凡な聖女止まり。己の魔力を使うだけの一般的な治癒魔法と、神へ祈り奇跡をたまわる聖願魔法の一部、浄化しか扱えない。それは明らかな能力の隔たりだ。
「見劣りするわよねぇ」
美貌においてはなおさら、二番目どころかより下がる。成り代わろうだなんておこがましい。しかし、教会枢機卿がオデッサを代役に据えろと聞かなかった。それも実力を伴わない、お飾りにしかすぎなかったけれど。しょせんは身分による差別などしてませんよ、と世間へアピールするためだけであって、もっとふさわしい人物が選抜されるまでの間に合わせでしかない。
霧に飲まれるようにして再び場面は切り替わる。もう終わってほしいのに、まだ夢の中だ。
魔王討伐の旅へ出ていた勇者はその身ひとつで王宮へ帰還してきた。
「アーガスさま……?」
どんよりと濁った瞳はオデッサに向いていない。
勇者アーガスと大聖女コルネリアは魔王を倒したら結婚する約束を交わしていた。本人たちだけでなく誰もが心待ちにしていた華やかな予定は、果たされることはなく。オデッサの親友は、戦いの最中に命を落としてしまった。
結婚式当日、コルネリアのために仕立てられていたウェディングドレスを着せられていた。サイズだけを調節しても、オデッサにはデザインが似合わないのに。
国は勇者と大聖女が結婚するという面目が立つのであれば、それでよかったのだ。
主役不在のお祝いの席では、大聖女のお通夜の雰囲気を吹き飛ばすように楽団や招待客が盛り上げている。
手抜きの挨拶だけをそそくさと終えたアーガスは真っ先に逃げ出してしまった。居場所をなくしたオデッサはすぐに庭で勇者を見つけてしまう。彼は見つけてほしくなかっただろうけれど。
「コルネリアがいなくなったから次にオデッサを、なんて道理が通るわけないじゃないか。聖女であればいいって話じゃないんだ」
その意見には同意する。
「アーガスさま……コルネリアさまの代わりなどとは申しません。それでも、わたくしはおそばを許されませんの……?」
「ごめん。離婚できればいいんだけど」
こちらとしてもそれは望むところ。しかしながら数時間前に結婚は成立したばかり。
いくら勇者といえど、王の命令を覆せましょうか。そしてオデッサは、権力のない一介の聖女。
言葉を飲み込んで、心を隠す笑顔を作る。
「おつらいでしょう。あとのことはわたくしに任せて、癒えるまで領地の別荘でご静養なさっては」
「オデッサ、……そうさせてもらいたい。ありがとう。大切な友人のきみにこんなことをさせてしまうなんて」
ではせめて、外で妻を気遣う演技だけでもしてくださいーー、とは長い吐息に変換された。
周囲や世間を気にする余裕もなく、夜会も省いて領地を統治して気づけば五年が経っていた。
名ばかりであっても、既婚者となったからには一度も不貞を働くことはなかった。それでおいて、夫のアーガスが領地の中心にあるオデッサのいる本邸を訪ねたのは常識破りの理由からだった。
いわく、「とある女性と人生をともにしたい」と。
本人ではありえないが、コルネリアの髪色と瞳を持つ女性が、夫の隣に立っている。言葉による説明がなくとも、男女の関係は窺い知れた。
「第二夫人になさりたいという相談であれば、」
被せ気味に否定が入った。
「そんなことはできない。俺は彼女を愛してしまったんだ。彼女だけを。……オデッサ、きみだって俺を愛してないだろう?」
ギリ、と口内の肉を噛む。
ふざけないで、変な形だろうと結婚してもいいくらいには情を持っていた、と叫ぶことができたらどれだけ楽になることか。
夫婦にあったのは男女の情ではない。けれど、コルネリアの思いを引き継いで彼の隣にいるのは彼女の親友の役目だと思ったのだ。共通の大切な人を亡くした痛みを理解し、慰め合うこともできるだろうと。コルネリア以外の女を愛することはない男だから、妙な策に落とされたり騙されたりする前にオデッサが防波堤になればいいと。せめてアーガスが穏やかな日々が過ごせるように気を配ってきた。それがオデッサに返ってくることもなかったけれど。
彼が愛する人、ひいては生きる目的を失って人形のように日々を過ごしていた勇者が「きみはいつでも優しいよな」、と寂し気にでも、ようやく微笑む姿を見れたのが嬉しかった。これから二人そろって前を向いていけるかもと舞い上がった。週一の様子見を心の中だけで逢瀬と呼んでいた己の哀れさ。
オデッサの胸を締め付けた甘い思い出はちっとも、アーガスにとって意味のない時間だった。そして気づく。コルネリアを大事にしているアーガスに理想を重ねていた。二人の関係性に憧れていただけ。オデッサは彼を男性として好んでいたわけではない。だからといって今さら何も取り返しがつくものなどないが。
「申し訳ありませんが、離婚はわたくしにはどうともできかねます。この婚姻は陛下のご意思ですもの」
どうにかしてくれと懇願する男女の視線は不愉快だった。
この場では、オデッサが悪者なのだ。
「お二人が愛し合うことは止めません。ただしお子ができても、わたくしはオダルナット家の子だと認めてさしあげることはできません。ご承知おきくださいませ」
別荘に見たくないものたちを押し込めて、オデッサは二度と彼らに会いに行くこともしなかった。同情はあったのかもしれないが使用人たちはオデッサを遠巻きにする。勇者と愛人をないがしろにすることはなくとも、切り分けられた平穏をそれ以上悪化させないように努めてくれていた。
それからは下された領地の維持に手いっぱい。
勇者の爵位など一代限りでよい。最初からアーガスはコルネリアがいれば名誉など欲しがっていなかった。仮のコルネリアを仕立て上げることで彼が幸せになれるのならそれでーー、もういい、放っておこう。
決めてからは仕事、仕事、仕事と打ち込む日々。
四十歳のある日、執務室で胸の苦しみを訴えて、オデッサは倒れた。
オデッサとしては才能があって聖女になれても「孤児が」「しょせんは二番手」と詰られる。仕事でそれ。恋愛においても本当に好きな人すら見つけられず。
なんとみじめな前世よ。
夢ならせめて、幸せな嘘をついてくれればいいのに。
ミュゼッタとして生まれ変わり、六歳ではじめて治癒魔法を発動するまで、オデッサはミュゼッタの内で眠っていたのだ。
だから泣いたのは、治癒魔法の禍々しさを呪いだと罵倒されたからでも、治癒を受けた実の親から反射のように殴られ転ばされたからでもない。ひとりの女に凝縮された大きな悲しみに心を飲みこまれたからだ。
恋愛の酸いと苦みばかりで甘みを知らない女の妬みに息苦しかった。「どうして私たちからこんな醜い子が」と動転した両親から家を叩き出されて親族ともそれきり縁切りだ。野宿した先でストゥと出会い、体を寄せ合い寝てからひとりと一匹で支え合って生きてきた。
I used to be a stooge.
(わたしは引き立て役でした。)
June 26th, 2025
誤字報告ありがとうございました!