光田の脳内
『遊星からの物体Xの悲劇』
ジャンル:SF倒叙物。
以前こういう話を思いついたことがある。
南極観測隊が永久凍土のなかに謎の物体を発見する。それは実は異星生命体で、観測隊員は次々と体を乗っとられ、エイリアンになっていく。前半はこうしたサスペンスで引っぱる。
ついに観測隊員が全員エイリアンとなり、いよいよ地球侵略に乗りだそうとする。ところがそのとき、隊員がひとりずつ殺されていくのだ。どうやらひとりだけエイリアンになっていない隊員がいるらしい。後半は誰がエイリアンになっていないかという犯人探しになる。で、タイトルは『物体Xの悲劇』。
なぜ実際に書かなかったかというと、南極観測隊についてリサーチしなければならず、そんな苦労をして書いても誰もほめてくれないからです。
『メキシコ翡翠の秘密』
ジャンル:既に終わった事件の新解釈。
な―ぞ【謎】 《「何ぞ」の意から》
1 「なぞなぞ」に同じ。
2 遠回しに言ってそれとなく悟らせようとすること。
3 内容・正体などがはっきりわからない事柄。
ひ―みつ【秘密】
1 他人に知られないようにすること。隠して人に見せたり教えたりしないこと。また、そのようなさまやそのような事柄。
2 一般に知られていないこと。また、公開されていないこと。
3 人に知らせない奥の手。秘訣。
どちらも『広辞苑』より
* *
「変わり映えのしない空港だ……」
『名探偵』天水周一郎は、飛行機から降り周囲を見回した。高知龍馬空港。乗船通路を出ると、真っ先に飛び込んできたのは、坂本龍馬の等身大人形だった。売店の横には、はりまや橋を象ったミニチュアがあった。高知といえば、何でも坂本龍馬の名前を冠にすることはないのではないかと思うが、県の方針からしてみればそうもいっていられないのだろう。
龍馬暗殺ので有名な近江屋事件の謎にしても、当時は中岡慎太郎の方が有名であった。龍馬はそのお情けに過ぎない、などとここで演説をしてみても、歴史家か幕末マニアにしか受けないだろう。日本が開国と攘夷、勤王と佐幕に二分された戦争の時代は人物たちの動きを記号的に見てみれば、あれほどユニークなものは無かった。天水は戊辰戦争や、その端緒となった鳥羽伏見の戦いも記号としてしか見れなかった。
「しかし……寒い」
季節は秋。十一月四日というと、秋も後半戦なので当たり前なのだが、驚いたことに空港の売店では半袖で働いている店員がいる。いくら暖房が入っているとはいえ、エプロン姿で働く老婆の姿は合理的では無い。
外に出ると、バスターミナルがあり、目の前には高知大学農学部の一面の田園が広がっていた。
埼玉は奥秩父の旧家で起きたある事件。村人が次々に首を切られて殺されていくという事件には参ったが、オマケで久々の旧友に呼び出された事件にも参った。ある新興宗教で起きた馬鹿げた殺人だった。前者は田舎という土地に霹靂し、後者は犯人と名指しした人物の心理があまりにも自分好みではないため、投げ出した――といっても良い。せっかく自分が論理的に解いてやったというのに、加害者、関係者全員が簡単に壊れてしまったのだから。自分には関係無い。後始末はあちら側の仕事だ。
高知市、南国市、香南市、東平市行きのバスが止まっているのを横目に、駐車場へ向かう。午前一時三十分。
「おぅ! 待っちょったぞ。こちとら、仕様書変更であたふたしちゅう時に呼び出しで運転手頼まれたんや。しかもこんな寒い中でなぁ。それなりの報酬はもらうで」
古びた日産マーチ。車の持ち主である、光田寿は不愉快そうな顔でこちらを眺めていた。
車内では大音量でPーMODELの『Speed Tube』が流れていた。平沢進のハイトーンヴォイスは心地よいが、車の外まで聞こえる大音量だと迷惑がかかるだけである。
「君は音量を絞るということが頭から欠落しているのかね?」
「あ? 師匠の声は世間に伝えてなんぼやろが。俺は作業中いっつも聞いちょるぞ。イヤホンやのぉて、スピーカーでなぁ!」
話にならない。天水は頭を抱えた。やはりこの男に迎えを頼んだのは失敗だった。彼は普通免許を持っていても、足、所謂、車を持っていない。『名探偵』たるべきもの、やはり車の一台や二台は持っておくものなのだろうか? ではやはり、スーパーチャージ・モデルJが良い。クイーンの『エジプト十字架の秘密』に登場した。最後、犯人を追い詰めるため、エラリーはアメリカを横断する。あるときは飛行機、あるときは車を使い……。その時に乗っているのが、当時、三二〇馬力でユタ州におき、平均時速二四五キロメートルを達成したのが。デューセンバーグのスーパーチャージ・モデルJなのだ。助手席に乗ってみたものの、中古の日産マーチでは月とスッポン、否、名探偵と館に行く前に忠告する老人Aほど違う。
* *
光田が運転する日産マーチは、南国バイパスを高知市内方面まで下り、高知東道路である三十二号線を北上する。高知県は市内から一歩抜け出れば田舎である。団地とホテル街が隣接している風景が見えたと思えば、次の瞬間には田園と畑になっている。天水の目にはその様な風景さえも、単なる描写として映る。全く意味が無い光景だ。
「ほいて、催川の糞野郎は元気やったんか?」
「あぁ、なんとかね」
車内のBGMは平沢進から所ジョージに変わっていた。軽快な音楽だが、天水の耳には不快にしか思えなかった。
「おまけで事件解決しちゃったんやろう? お前の事務所まで送っていく料金上乗せしちょくけんな」
「何故、君がそこで入ってくるのかね!?」
「当たり前やろ。さっきも言うたけどなぁ、こっちはこっちで大変やったんやぞ。元先輩が死んだりしてなぁ……。お前、ネット見てないやろ」
「こちらは事件ばかりだったのだ。当たり前だろう。埼玉県があそこまでの田舎だとは想像もつきまい」
屋久島やトトロの森を有難がる人間は、奥秩父へ行くと良い。温泉はあるが、わけのわからない虫や、秋だというのに、ナメクジがそこら中にいるという、それはもう有難い光景に見舞われる。ネット環境など、あって無しだ。近場のネット喫茶まで行くのに、車で一時間は無いだろう。
「ほいて、催川の方の事件はどうやったんな? あいつ、警視やったか?」
「まだ警視正だった」
「ほうよぇ。警視正になんか奢ってもうたがか? えぇ、何食べたんな! 言うてみぃ!」
「何も食べていない。彼のマンションで少し休ませてもらっただけだ」
「よっしゃ、ほいたら、事件のこと教えろや。教えんとここで車ぶつけてお前を殺す。俺一人だけ脱出して、お前を社会的に殺す」
再び頭を抱え、天水は事件の概要を話した。奇妙な宗教施設、奇妙な信者たち、奇妙な教祖に狂った信教感。
「はい~話したねー。これで共犯やぞ。今、お前から聞いた話題、俺がネット上にバラまいたら即効で炎上するやろな! もちろん、俺は足がつかんように、中国経由でバラまくけんね? しっかもあのカルト教団やんか! 『緑石の会』かぁ~、これはお前死ぬね!」
やはり話さなければ良かった。しかし何故この男はいつも饒舌なのだ。本人は寡黙と称しているが、誰かれ構わず突進していくその姿は常軌を逸している。一度、暴力団員とアラブ人の風俗嬢の仲裁を頼むと、天水の事務所を訪ねてきたときはどうしようかと思ったくらいである。
「まぁ、ぶっちゃけた話、お前の指摘した犯人間違いやけどな」
「……」
今……何と言った?
「どいたんな? ハトがM202ロケットランチャー食らったような顔して?」
「何だと?」
「だから間違いや言うちょるんよ」
「君は僕の推理が間違っていたというのかね?」
「ねぇねぇ、天ちゃん。何度言わすん? こっちは会社で徹夜で小銭欲しさのために運転手としてきちょるんよ? 何度も何度も何度も何度も同じこと言わせんちょいてね。さて、何度と何度言ったでしょう!」
『光田寿の戯言シリーズ』シリーズ。
ジャンル:パスティーシュ物。パロディ。
神様ありがとう。運命の悪戯でも巡り合えた事が幸せなのというが、一体何が幸せなのか。野球中継を見ていて偶然ホームランを打つと、実況のアナウンサーが神の悪戯か、とハイテンションで叫んでいるが、ただの偶然である。
偶然ホームラン。ぼくはあぁいうのが嫌いだ。ヒットを打つと宣言しておき、きちんとヒットを打った人間が評価されず、たまたまバットに当たりホームランになった人間が評価される。
ボーリングだと、何ピンと何ピンを残すと宣言しておき、そのピンだけを残し後のピンを倒した人間が評価されず、偶然ストライクになった人間が評価される。ここまで語っておいて、野球とボーリングのストライクは全く正反対の意味で使われているなということに今気づいた。戯言だけどね。
「おぅ! ゐーちゃんよぉ、何をブツブツ呟いとんじゃぁ」
「なにもないよ」
ぼくの横にはいるのは草凪友子。名前が某少佐に似ているが、別に公安9課では無い。髪の毛は青色(何故青いのかは不明)、十九歳だというのに背は小学生並みだ。
「なにも無い言うことないやろがー。おどれ、ずっとブツブツ呟いとったんやからさ、ほら、私に何でも話してみぃ」
「だから何も無いって。黙っててよ、草凪メンバー」
「ちょっとぉ! 何、草薙メンバーって! それやめて、なんかアウトやん。別に全裸ちゃうし! ナギの字は「凪」であって、あの変換難しいほうちゃうし。髪の毛青色やけど、青いイナズマは私を責めてないし、駆けてもないわ。やめてよぉ~」
以下、過去に2ちゃんねる(現在5ちゃんねる)のミステリ板に書き込んだ物。
「クビシメロマンチスト」
自分で自分の首を絞めつつ完全犯罪を行う事に美学を持った犯人が格好良すぎる。殺害現場に指紋をベタベタ残したり、ダイイングメッセージとしてわざと自分の名前を書き残したりしつつも天才的頭脳で他の容疑者を犯人に仕立て上げ、容疑から外れる様は見事、と言うしかない。最終章で探偵役に向かって「オレが犯人だ!」と言い出してしまった時はどうなるかと思ったがそれでも犯行がバレずに完全犯罪を成し遂げるとは予想だにしなかった。
「サイコロジカル」
毎度おなじみお昼の番組「ごきげんよう」が本作の舞台。殺人事件の容疑者三名をゲストに迎え小堺一機の司会で事件を解決してゆく。サイコロの目に出た内容の証言を必ずしなければならないという絶対ルールを厳守した上でいかに真犯人が自分の犯行を隠しとおせるか、という緊迫した展開が大変評価できる。
「あの日のアリバイ」略して「アノアリ~(観客)」
「クビツリハイスクール」
20XX年 自殺大国ニッポン。樹海が死体で溢れ、山手線は5分に一度人身事故で停車する、そんな時代「正しい自殺」を学ばせよう、という意図で創設された都立首吊高校が舞台。あまりにも突飛な設定にリアル鬼ごっこを連想してしまうがこちらは本格派。ある日、主人公が登校すると教室でクラスメイトが全員首を吊っていたという出だしからして衝撃的。死んだ生徒は38人、しかし残された遺書は37通… 一人は殺されたのだ!という論理展開は無理が感じられるかもしれないがこれも伏線だった事には驚いた。
『不可霊犯罪』
ジャンル:ハウダニット。ガリレオシリーズみたいな作品。
鷲見崎英二。神奈川科学大学物理学部准教授。
中学時代に神戸で、ある猟奇殺人を犯す。少年Aとして、その被害者の「霊」が視えている。
アメイジンググレイスが好き。理由は許しの歌だからだ。
信じる人は信じれば良いという言葉を使うやつは本当に頭が悪い
織田の言う信じるはただの無関心 信じる為には情報がいる その確認の為に様々な質問をする
それが当たり前 ろくに説明も出来ないアホ(もしくは嘘つき)が一丁前に嘆くな
「『本当にあった怖い話』を聞いていつも思うのは、仮に死んだら幽霊になるとして、その場にたまたま来た他人を殺したり呪ったり不幸にしたいと思うか? そういう人は生きてるうちから問題があったと思うがね」
「『幽霊が脳内映像であると定義するなら幽霊は存在します』そりゃそうだ。だが無意味だよな」
近代科学と心霊主義は相反するものだという事を、鷲見崎が一番よく知っている。
「幽霊を否定するために、この仕事を続けているようなものだ」
あきらかに幽霊の仕業としか思えない。
屈折と乱反射
人魂の謎。
坊主がそれだけ写真を撮ることに何の意味があるのか、と鷲見崎は言い返したくなった。
星の話。すでに消えた光。
一般の霊能者が行う除霊なんていうものはただの、パフォーマンスである。
「いやぁ、先生ねぇ。幽霊に足が無いんはなんでや思うちょりますか?」
星空を見上げつつ、唐突に光田は語ってきた。
「今の現代人が昔のベタな幽霊を想像する時、大抵は柳の木の下で、三角頭巾、頭に巻いちゅぅ、足が無い幽霊像を想像するでしょう? 幽霊に足が無いちゅぅ謎。これ何でかなぁ、と考えちゅぅがですわ」
鷲見崎はユニークな質問だと感じた。この男はやはり、どこか創造者気質なのかもしれない。
「俺はこう思ぅちょるがです。あれは足が無いのやなくて、地面に埋まっちゅぅがやないかと。例えば、十五年くらい前、ジャパニズムホラーブームあったでしょう? 鈴木光司先生の『リング』や、清水崇監督の『呪怨』。今やと、実話怪談なんてジャンルまで出来ちゅぅ。ベータとテレビゲームが衰退した、一昔前はVHSが流行って、ほの後はとDVD、インターネット言う予測不可能な存在が台頭して、更にほの後は動画サイトとブルーレイが頭角を現しよった。あ、すいません、先生。話がそれましたね。まぁ、脱線が本線が俺の話なので勘弁しちゃってくださいね。んで、まぁ、現代人のクリエイターが描く、現代人の幽霊って――例えば貞子や俊雄君には足があるでしょう? でも昔、例えば落ち武者の幽霊では足が無いんです。これは何ででしょうがかね?」
「その謎――光田さん、貴方が言うホワイダニットに、合理的かつ科学的解答を期待しているのか? それとも、貴方の脱線話を前提とした上での想像に、私の想像話を上乗せしろと?」
「いんや、ただ単なる法螺なアホ話なんですけんどもね」
「では解答は簡単だ。少なくともそれは物理学専攻の私より、地質学者のほうが答えやすいだろう。足が無いのではない――足は埋まっているのだろう?」
答えを聞いた光田はニヤリと笑った。
「ビンゴッ! さすが大学の先生は頭のデキが違いますね。俺の法螺にきちんと合理的解釈を与えてくれる。知り合いの馬鹿探偵には出来ん解答ですわ。そうです。足が無いんやのぉて、埋まっちゅぅんですわ」
一体自分は何をやっているのだろう。だが、どこか心地よい。心霊スポットと噂されるうら寂しい、四国の中心部。高知県の山にあるトンネルの前で。少々、肌寒く、鷲見崎は袖を下ろした。星空を見上げ、光田を見た。この男の法螺話に付き合うのもまた一興だ。
「まずビッグバンが始まってから、地球が出来よったでしょう? ほっから、魚が陸へ這い上がってきて、まぁなんやかんやあって進化があった。ほいて、恐竜が生まれた。前提として、ほの恐竜の幽霊が何で存在せんか考えたんです。隕石衝突説や火山爆発説や色々な説がありますけんども、いっきなりの不条理な死ですよ! 絶対、この世に怨み持っちゅぅはずでしょう? 今やと、猫や犬、果ては狐や烏の幽霊まで動物霊として出てきちゅぅでしょう。でも、恐竜の幽霊話は全く無い。でもここで、俺はこの法螺をもう少々推し進めてみた。ジュラ紀、白亜紀の世界ですよ。おそらくこいつはね、地層が関係しちゅぅがやないかと! ジュラ紀にはジュラ紀の地層があるように、江戸時代には江戸時代の地層があるがですよね。先生も地面パッカー割ったら、幾層にも重なった土が見えるんは知っちょりますわね。だから、江戸時代に死んだ人は江戸時代の地層に立っているんです。戦国時代に死んだ人は戦国時代の地層に。だから、落ち武者の幽霊なんかは地面に足が埋まっちゅぅイコール足が無い。ほんで、先の謎の解決編に戻りますけんども、恐竜の幽霊が存在せんのは、既にその地層から『化石』として発掘されちゅうがやからです。ね? 昔の幽霊にはなんで足が無いかの解答。現代人が昔の幽霊を描く時の解答。んでもって恐竜の幽霊が存在せん解答。ごっつ合理的ですよ」
「貴方は実に空想的な考えをする方だ」
――犯罪者に向いているのかもしれない。
という言葉を鷲見崎は飲み込む。
「……光田さん、君の言っている事は詭弁だ」
「えぇ、先生、確かに詭弁かもしれませんけんどもね、重い詭弁や」
「天文学、一般地質学ときて、最後は哲学的人間学か」
「つまり先生。アンタの謎をここで解決しちゃいましょうか? 過去にアンタがバラしたように。俺は別にあんま興味は無いんですが、単語だけ言ってやるよ」
目の前の男は道化では無く、敵だった。
「一九九七年。神戸。猟奇殺人。タンク山。犯行声明。当時一四歳。少年犯罪。学校の前に――」
鷲見崎は過去から目を逸らした。だが、脳内ではあの時が巡らっている。彼と彼女はあの時のまま、現在の自分を視ている。光田の横で。
「なぁ、先生ぇ。もっと言うちゃろか? 女児。金槌。ナイフ。通り魔」
あの時から、ずっと視えている。自身の手で葬ったあの子たちの幽霊が。
極めて冷静を勤める。光田の口から次に登場する、自身の過去の名前を。
「そこまで分かっているのなら、私の過去の名前も調べ上げたんだろう?」
「本名■■■■■■君」
住所も、名前も変え――全て生まれ変わったつもりだった。更正したつもりだった。少年院ではいくつもの苦渋を飲んだ。化け物から――人に戻れたつもりだった。あくまでも、つもりだったか。
しかし、過去に自分がその手で殺めた人は許してはくれない。ずっと自分を視ている。自分も視えている。だからこそ、視えているものを否定したかった。その幽霊をも否定する材料は論理と科学だ。この道に進んだのは、そうだ、過去の過ちの否定だった。
「知り合いに名探偵を名乗る馬鹿がいましてね。俺は大嫌いなんですけんども、ネットの馬鹿情報よりは詳しく調べてくれたわ。まぁ――今のアンタを知る情報くらいにはな」
もはや光田の言葉は耳に入ってくるだけだった。少女の霊がこちらを、自分だけをきっちりと視ている。あの時、自分はどの様な感情だったのだろうか。贖罪を抱え込んでいる今現代の鷲見崎という男を。
「それで――今の私を見て、君はどう思ったのかね? 光田君」
「んーまぁ、別に。ただ、単純に興味本位なだけの下種やけんね俺は。マスコミ思考、集団心理、どんな言葉で罵ってくれてもかまいません」
過去の幽霊は永遠に消えてくれない。これは自身の贖罪であり、永遠の業である。
「そーんじゃね、■■■■■■君」
『上手なクローズド・サークルの作り方』
ジャンル:クローズド・サークル物。ミステリパロディ。電車男パロ。
「嵐が来るぜ。きっと嵐が来る。わしにはわかるんだ。祈るがいい。祈るんだよ。審判の時間が近づいている」
――――アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』
* *
【虚構】
二〇XX年。とあるミステリマニアたちが集まる匿名掲示板にこの様な書き込みがされた。
【緊急】クローズド・サークルの作り方教えてください【お願い!】
1.名無しの犯人:すみません、緊急です。今回、クローズド・サークルで殺人を行いたいと思って実行しました。殺す相手は三人。ジワジワと追い詰めて殺す方法を模索したのですが、計画が全く巧く進みません!
だって、スマホは繋がるし、吹雪が弱くて雪が降り積もらない! 困っています。助けてください!
掲示板の住人は、一丸となって救助に乗り出した。
「おk」
これはインターネット掲示板で繰り広げられた、一人の犯人とその犯人を支え続けた者たちの戦いの記録である。
1
【現実】
「おぉぅ危ない、危ないぞぉ~今のは」
私は車のハンドルを切った。タイヤとコンクリートが擦れる音がする。冬木立となった木々が目の横に表れては消えてゆく。日産マーチは小回りが利くから山道でも安心である。さすが我が愛車、と誉めたいところだが、私が向かっている行き先、左側がガードレールの無い崖であるという、現在の状況をかんがみれば命の心配をしてしまう。
――よりにもよってこんな場所で。
つい一ヶ月ほど前までの残暑が信じられないほど、空気が冷え、空からは白い粉雪が降り始めていた。ニュースの天気予報によると五十三年ぶりらしい。積もってはいないが、車の窓ガラスには前方から降りかかる雪が拡散し、ワイパーに押し流されていく。そこにまた降りかかるわけなので視界が良いはずも無い。
しかしこれこそが私の狙いなのだ。天気予報も欠かさず見て、この計画を練ってきた。クローズド・サークル計画。私は今日、初めて殺人者になる。
そう、今日の集まりは、高知は制南大学のミステリ研究会の会合なのだ。かくいう私もそのうちの一人である。毎年この時期に開いている会合なのだが、ゲストを呼ぶのがしきたりになっている。
今までもミステリ作家、文芸評論家、記号論理学の教授など様々なゲストを呼んできたが、ついに現実に存在する名探偵という事で、天水という男に白羽の矢がたったらしい。何せ天水は地元、東平市で『本格論理研究所』という看板を出す名探偵である。名刺の肩書きも『名探偵』という、正直、私にとってみればお笑い草の屋号だった。
しかし今回の会合はリアルを保つため山奥の山荘でやるという、馬鹿馬鹿しいにも程がある趣向だ。大学の部室でやるのかと思えば、ある会員の一人の父が資産家で、別荘を持っているらしいという事実から私は悩まされる事になった。
私の住む東平市から県道三〇一号線に入り山を登る。山の中に入ってから二時間。おまけに先ほどからのこの大雪だ。それにしてもよくこんな山奥に家を建物だ。建築会社のトラックの運転手はたまらないだろう。
運転に集中しながらも頭をボリボリ掻いた、私は今まで読んできたミステリを想像した。宗谷岬の先にある斜めに傾いた屋敷や、岡山の山奥にある巨大な三列水車がついた館など。虚構の中で登場する、変人建築家共は、設計だけをデザインしている。
――固定資産税が大変だ……。
いや、その前に、現場というものを知っているのか? いいや、全く分かっていないどころか、知らないだろう。現場の人間がいかに苦労するか。上のわがままを聞き、損をするのはいつも下請けばかりなのだ。
怪奇幻想ミステリ特集なら、それこそ「魚の尾のように垂れた、曇天から湿った空気と同時に粉雪が、淡い日の火照りを求めるように降りてくる」などと気取った文章で言い表せるが、現実に考えればただ寒いだけであり、道路が凍結すれば、仕事にも影響が出る。迷惑も良いところである。
そんな中やっと県道沿いに明かりが見えてきた。対向車であってくれるなよという私の思いはなんとか外れてくれ、立派なカナダ風創りのロッジが見えた。外観は巨大なログハウスという出で立ちで、きちんとした駐車場もある。何台か車が止まっているのは先客の仲間たちだろう。車を駐車し、外に出る。魚の尾のように垂れた、曇天から湿った空気と同時に、ベトベトと肌に貼り付く糞生意気なお盆に帰省した甥っ子たちの様な粉雪が落ちてきやがった。
* *
【仮想】
2.名無しの犯人.>>1なにこれ?
3.名無しの犯人.>>1容疑者一覧表キボンヌ。
4.名無しの犯人.>>キボンヌとか前時代の人間かよ。
5.1です.>>すみません。容疑者一覧をミステリ的に書いておきます。
五十嵐――山荘の主人。
十文字真里――制南大学ミステリ研究会部長。豪太の娘。
江戸賀淳――制南大学ミステリ研究会会員。
辺見宗次――制南大学ミステリ研究会会員。
天水周一郎――自称名探偵。招かれた客。
光田寿――招かれなかった客。
6.名無しの犯人.>>5自称名探偵受けるwww個人情報漏出www
7.名無しの犯人.>>6いや、それより招かれなかった客の方が気になる。ミステリだと最後に何かやらかすタイプだな。
8.1です.招かれなかった客の人は、最初何か変な名刺を出して、変な事ばかり喋る人でした。自称名探偵さんの助手という感じではありません。ところで、クローズド・サークルの作り方を教えてください。雪は降り積もらないし、スマホも繋がるんです!
9.名無しの犯人.名探偵×助手か、助手×名探偵か。話はそれからだ。
10.名無しの犯人.>>9腐ってたのかよ。まぁ、私は名探偵受けで助手攻めの方が萌えるけどね。
11.名無しの犯人.>>10、お前、女だったのかよぉ! 性別誤認はもうやめちくり。
12.名無しの犯人.誰か可哀想な>>1にクローズド・サークルの作り方を教えてやれよw ところで、もう一人殺したってあるけど、それは残り二人を怖がらすため? 誰を殺したの? まだバレて無いってあるけどどうして殺人がバレないの?
13.1です.まだ何とかバレていないです。ところで、クローズド・サークルにするにはどうすれば良いですか。場所は山奥のコテージで、今晩にかけて大雪になりそうと天気予報ではいっていたのですが、全然積もるどころか晴れ間が少し覗いています。
14.名無しの犯人.まず問題は道が通れてしまうことだな。雪崩か何か起こせばイインジャネ?
15.名無しの犯人.>>15簡単にいうけど、雪は小降りになってきているんだから無理なんだろ。こうなったら崖だ、崖を壊して道を塞いじまうんだ。
16.名無しの犯人.>>1なんか固定ハンドルつけて。分かりにくい。
17.山荘男.>>これでいいですか?
18.>>17十年前に流行ったアレのまんまだなw まぁ良いけど。
石持浅海のあの作品やあの作品の方法はどう? 心理的クローズド・サークル。私はアレ好きだよ。
駄目駄目。大体、俺嫌いなんだよ。変則的クローズド、男だったら、物理的にクローズドしてなんぼだろう。
心理的クローズド・サークルを馬鹿にしないでくれよ!
大体あの手は無理だろう。政治的な理由や、宗教的な理由でクローズドにするのは山荘男がいる状況では無理無理。
だから山荘男の性別もはっきりしてないんだからそれはどうかと。
密室
ダイイング・メッセージ
見立て
スマフォは全部壊しました。これで安全ですか?
最近は、自分用、仕事用と二つ携帯を持っている奴もいるから注意が必要だよ。
大学生なら大丈夫だろ。
クローズドサークルと密室の関係性。
『ユダの窓』は最小限のクローズドで、『白い僧院の殺人』は最大限の密室だ!
物理的クローズドと心理的クローズド
男はやっぱり物理だろう!
山荘男ってのどうにかしたほうがいいぞ。
「男」ってつけとけば実は女だったてのは典型的性別誤認だろ。
あるあるw
クローズド・サークルの歴史と解説はじまた。
クイーンの『シャム双子の謎』の方が『そし誰』より早いんだぜ。
出たよクイーン厨。「シャム」全然面白くねーだろうが。読者への挑戦状入っていないし。
てめぇは黙ってろ。
お願いします。喧嘩しないでください。こちらは必死なんです!
『中途の殺人者』
ジャンル:変格フーダニット。犯人はどの人格で殺人を犯したか?
* *
「そうだとも。論理的に考えなけりゃいけない。さらに論理的に考えるとだね。現実と小説とはちがうんだから、あまり多人数を買収することは、不可能だよ」
――都筑道夫『やぶにらみの時計』より
* *
【主な登場人物&登場人格】
羽根山英明――精神科医局長。故人。
小林イワオ(こばやしいわお)――入院患者。解離性同一性障害。
サエコ――岩男の人格。
ミチル――岩男の人格。
船橋孝也――精神科医。
天水周一郎――船橋の知人。
* *
「警察にはただの自殺として判断されたよ。まぁ、当たり前か……。表立った現象としては、一人の人間が喉を切って死んだのだからな」
「今分かっている事はこうなんだ」
私はメモ用紙を取り出し、ボールペンを走らせた。
・イワオ=主人格(男性)。
・サエコ=別人格(女性)。
・ミチル=別人格(女性)。
「こう書くと、一人の男性の中に二人の女性がいるという事になるのか。例えばこう言うのはどうかね。サエコとミチルは、主人格であるイワオに好意を持っていた。しかし、恋敵同士、どちらかが邪魔になり、その人格を殺すためにイワオの体を殺した」
「駄目だよ。解離性同一性障害の場合、それぞれの人格に共通の意志は存在しない。アメリカなどではよく人格同士に日記や手記を書かせて、それぞれの人格の統一性を図る治療をやっているけどね。日本ではまだまだ進んでいないし、それにこの精神病棟でもその様な治療は行っていない」
そう、先ほど天水が推理した様に、人格同士の共有は何かがあるとまずいので、治療はほとんど我々、精神科医が対話を行う事によって成り立っている。それは去年、この世を去った羽根山医局長の時からも変わっていない。
タバコの問題
「ライターはどうだった?」
「どうもこうも、その辺のコンビニや百円ショップで売っている、使い捨てのガスライターだよ」
「イワオは喫煙者だったのかね?」
「いや、彼は吸わない。おそらくサエコかミチルが喫煙者だったのだと思う」
「ライターか……火を着けるために回す部分があるだろ。あそこはフリントと言うんだが、そこに指紋がついていなかったんだ」
「ほう、なのに犯人である、犯人格――今はこう呼ばしてもらうが――はタバコを吸っていたというのかね」
「そうだ、君好みの謎だろう」
私がそういうと天水はニヤリとこちらを見てきた。
「タバコねぇ、女性もタバコを吸う時代になった。名探偵もやりにくくなったものだよ」
どこか遠くを見つめる目を一瞬だけしたが、天水はすぐにこちらに顔を向けてきた。
「どの人格が犯人で、どの人格が被害者なのか?」
「どの人格がどの人格を殺したかったのか? 本格ミステリ風に言うとだな、どの人格が犯人で、またどの人格が被害者なのか? この謎を解いてみてくれないか?」
イワオ(男性――主人格)
【羽根山英明の日記】
二〇一二年二月三日。
小林岩男、いや、主人格であるイワオとカタカナで書かしてもらう。閉鎖病棟で彼と出会ったのは今日の午後二時頃だった。私が担当していた社会復帰病棟の患者がついに、障がい者雇用で、ある会社へと羽ばたいていったという。その様な嬉しい知らせを聞いた、障がい者A型就労支援施設『くすのき』への訪問から、この病院に帰ってきた時の事であった。
駐車場に車を止め、東病棟にある閉鎖病棟には一度エレベーターで地下に降り、次に別のエレベーターで二階へと上がりたどり着く。もちろん精神の患者を外に出させないためだが、医師となって数年。まだ慣れていない。そのエレベーターを昇り、患者が開放治療場へと向かう時の、大量の名札が掛けられている廊下を通ると、ロビーに到着する。そこにイワオがいた。彼は落ち着いた素振りで、
そしてミチル、彼女にはもう一つある【判読不明】
日記を見たからこそ、男性である
タバコを吸う人格。
日記を読み、ミチルが性同一性障害だという事を知りえた人格=サエコ。
嫌悪感しかない。
「そうだ、岩男の人格の一人、ミチルは性同一性障がいだったのだ」
「なっ!」
私が声を発するが、天水はお構いなく推理をつづける。
「こう言ってしまえばなんだがね、障がい者であるイワオはある種、二つの障がいに悩まされていた。一つは解離性同一性障がい、そしてもう一つはその中の一人の人格が性同一性障がいだったという事だよ」
性同一性障がい。出生時に割り当てられた、性別とは異なる性の自己意識、即ち、性同一性を持ち、自らの身体的性別に持続的な違和感を覚える状態の事だ。近年ではドラマや映画などのメディアでも当たり前の要素として登場している。
「マルカム・ブラッドベリも言っているぜ。性のアイデンティティはロールプレイングに過ぎない事が、今明らかにされた。人と人との間の唯一、真の差異は、男か女かではなく、大きいか小さいかなのだ――とね」
相変わらずこの男の引用癖は、学生時代から治っていない様だ。
「イワオの父親が暴行ふるっていた事は覚えているね。そこから人格の障がいに転じたのだから。だけどね、もう一つ、最低な父がした事を教えてやろうか。自分の子供を無理やり女性だと思い込ませ、犯していたんだ」
嫌悪感しかない。しかし私は自身の患者のために、いや、私自身の事件のために声を振り絞らなければならない。
「それで、ミチルが誕生したというわけか……」
「あぁ、
日記の問題
新しい人格の排除。
なんかロボットに乗り込んで操作してるみたいな感覚になる
「ミチルにとって彼の存在は、永遠の片想いだったのだよ」
『とある越境者のブルース』
ジャンル:ハードボイルド。パスティーシュ。
「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」
森村誠一『人間の証明』
* *
「おっしゃるとおりですよ、お父さん。こんな帽子なんかなんの意味もない。だが、ぼくにはなんだか妙な気持ちがしているんです……」
エラリー・クイーン『ローマ帽子の謎』
* *
【主な登場人物】
松平良作――東平署警部補。松田優作フリーク。
新頭谷雅人――刑事、松平の部下。
外田裕也――刑事、松平の部下。
石叩連司――バー『一発』のマスター。
安岡力――やくざ、安岡組組長。
志賀負――やくざ、志賀会会長。
鈴木蛾二郎――ホームレス。通称、ガジロー。
深田光代――御年九十ニ歳。
岩白光一――東平署暴力犯係警部補。被害者。
甲ノ浦文雄――東平署警部。松平の上司。
* *
東平署暴力犯係の岩白光一警部補が、刺殺死体となって発見された。
安岡組と志賀会という地元暴力団が激しい抗争を繰り広げる中、月俣は安岡組との癒着を疑われ、実際に何者かに脅迫されていたというのだが……。
死体に帽子を被らせる=ダイイング・メッセージを隠すため。
頭の傷自体がダイイング・メッセージ
胸ポケットから出したココアシガレットを一本加えた。ハッカの強烈な刺激が鼻を劈く。その後、徐々にココアの甘味と砂糖臭さが口に広がり、フッと息を吐くと、風にハッカ独特の匂いが流されていく。
今日一日の出来事が、まるで古くなって焼き切れた映画フィルムのように脳髄の奥で回想される。俺はもう一度、ハッカの匂いを空中に放出した。
厚さ十センチのシークレットブーツを履く。これで身長はちょうど、百八十センチである。
黒い中折れハット
赤いYシャツに白いネクタイ。おっとと、ズボンを穿くのを忘れていた。パンツだけではどうしようもない。
スマートフォンがけたたましく鳴る。
俺はハードボイルドという概念を崩した人間を、二人知っている。一人がロス・マクドナルド、もう一人が松田優作だ。作家と俳優という違いはあれど、俺は小学生時代にリュー・アーチャーシリーズを愛読し、中学時代に再放送されていた『探偵物語』の工藤俊作に憧れた。
「なんで帽子がかぶせられているんですかねぇ?」
「ほれが分からんのやないかぁ、ボケカスアホンダラァ!」
甲ノ浦のハゲが噛みついてくる。どうやら俺に対抗意識があるようだ。
「何かの見立てか?」
大学時代、
そういえば、地元の東平市に住んでいるはずだ。
「帽子というと、森村誠一よりも、僕は別の作家のデビュー作が思い浮かんだがね」
「同じ探偵役としても、君はハードボイルドの刑事、僕は本格派の名探偵。それは僕もロスマクは好きだよ、でもね、君が憧れているのはリチャード・S・プラザーや、ヘンリイ・ケインが生み出すような探偵像だろう? そちら側は残念ながら未読なのだよ」
「馬鹿いっちゃいかんよ。俺の中じゃ優作一択なんだから」
「だからそれが――」
「もう切るぞ」
そのミステリマニアの自称名探偵が言う、とある推理作家のデビュー作という小説を借りて読んだ事があった。論理学を習っているだけあって、薦められた本も非常に高度な論理の分析に基づく推理が展開されていた。
だが俺はつまらんと思った。理由は犯人の動機だ。あまりにも唐突すぎ、かつそれが差別を誘発するものだったからなのである。だがここまでは良い、時代性を鑑みれば、仕方のない事かもしれん。ただ作者は主人公の探偵役に密着した、三人称一元視点で、その差別的な動機を作中内で肯定していた。許せなかった。
後にその推理作家が二人組のコンビであったと知る。ユダヤ系移民の子供の彼らが、何故、差別的動機を肯定したのか、今だに謎であり、思い出すと怒りが胸の奥底に巣くう。
やはり俺はあんな記号だけのパズルよりも、ロス・マクドナルドの人物描写の方が好きなようだ。
俺は警部補だが、甲ノ浦は警部だ。
「ほやきにのぉ、小、中学生のガキんちょ共が皆、川の上流の橋ん上から、麦わら帽子をポイポイ、ポイポイ投げようがよ。ほいたら、お前、下流でどっさり帽子が溜まってのぉ、最初は水死体でも浮いちょるがや言うて大騒ぎになったもんよぇ!」
「おんシもなぁ、松田優作目指しちょるがやったら、工藤ちゃんやジーパンばっかりやったらあかんぞぇ。七十年代、八十年代の角川映画、観てみぃだぁ。棟居刑事や朝倉哲也も取り入れんとなぁ。がっがっがっが!」
大藪春彦や小鷹信光、赤川次郎の原作でも、優作の手に掛かれば、優作の映画になってしまう。
「グッドバイする朝倉哲也とはいかんきにのぉ」
「そりゃ伊達邦彦だ、馬鹿野郎。大藪春彦読み直せ」
と言いたいところだが、
「いいか? ハンフリー・ボガートなんてハードボイルドでも何でもない。『マルタの鷹』の時の奴を見たか? あんなもんハチマキを閉めりゃぁね、ただのたこ焼きやのおっさん。分かった、マスター?」
「はんっ、お前さんも
「ほいたら、俺は成田三樹夫になりきっちゃろか? それとも原田芳雄がええか?」
「ねぇねぇ、青キジのおんちゃんが来たよーー。」
「青キジって誰だ?」
どうやらこのガキんちょに言わすと、俺は人気少年海賊漫画の海軍大将をやっているらしい。
「おい、凛いいか?」
「日本のハードボイルドの夜明けはいつ来るんでしょうかね、小鷹信光さん」
酒は大学時代、優作に憧れ、シャリー酒を一気飲みして急性アルコール中毒で死にかけてやめた。
タバコはキャメルを吸おうとして、たった一本で咳き込み、気絶してやめた。アルコールとニコチンはどうやら俺には合わんらしい。
烏龍茶とココアシガレットが俺が優作に近づく、唯一の武器だ。
『野獣死すべし』でバターをコーヒーに解かして優作が飲むシーンがあるが、あれも一度真似をしたが、カロリー爆弾の固まりを口に入れたような、そんな嫌な思い出がある。
「あたしゃ、な~んも知らないの」
じゃぁ、
大都会パート3じゃないんだから。
シークレットブーツ脱ぎなさいよ!
親知らずを抜いたばっかで歯が痛てぇんだ!
悩殺ボインのお姉ちゃんを
今晩どう?
「セクハラで訴えるぞ!」
出んからな。
「おんシゃぁ、素が出ると、土佐弁が出るのぉ。優作フリークがきいて呆れらぁ」
「大丈夫ですよ、警部。『竜馬暗殺』で右太を演じていた時、優作のヤツぁ、土佐弁を喋ってた」
そうよ! 私は差別される側に周りたかったの! だってそうでしょう、可哀そうがられるじゃない……。小学校の道徳の時間習って知ったのよ? 差別される側の方が楽に生きれるってね! だから、在日韓国籍
生活保護も楽に受けられるんでしょう!
馬鹿な女だ。そんなでたらめをどこで習ったのか。おそらく、インターネットの情報からだろう。
なんで玉が当たるんだ! 『蘇える金狼』でも敵側が撃つ玉は優作には当たらんのに、優作が撃つ玉はヤクザに当たっていたぞ。