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あなたの理想の姿のわたし

 幼い頃から、「魔法の才能がある」と言われていた。ただ、特にその才能を伸ばそうとは思っていなかった。興味がなかったから。そんな事よりも、オシャレの方が好きだった。綺麗な服を着て、豪華な宝石を身に付けて、華麗にお化粧をして、チャーミングな顔でご挨拶。外を歩けばみんなが注目をする。可愛くて綺麗な姿を見て欲しい。みんなにいっぱいいっぱい愛されたい。男の子からはもちろん、女の子からも。大人も子供もぜーんぶっから!

 ……でも、それは無理だった。どんなに着飾ってもみんなが愛してくれる姿にはなれない。そもそもどんな姿になれば、みんなが愛してくれるのかも分からないし。

 

 ――そんな時、姿形を変える魔法の存在を知った。そして、他人の心を感じ取る魔法の存在も。

 

 それで、旅の商人から魔法の本を買って魔法を覚えた。魔法はとても上手くいった。目が大きくくりっとなり、肌は透き通るような白さになって、髪は美しい金色でカールした。でも、上手くいったのは始めのうちだけだった……

 

 「……化け物がこの村に出ると聞いてやって来たのですが」

 

 昼間、不意に酒場に現れたその男は、カウンター席でオレンジジュースを頼むと、料金よりも多いコインをそこに置いた。客はあまりいなかったがそれは日中だからだろう。小さな店だが、村の中に酒場はここしかない。夜になれば賑わうはずだ。その店の店主ならば様々な事情を知っていると考え、男は話を聞こうとしたのだ。少し多いコインは情報料という意味だろう。店主は中年で、人の良さそうな顔立ちをしていたが、警戒心を隠そうともせずに顔をしかめた。

 「あんた、一体何なんだい?」

 狭い村だ。余所者が来れば直ぐに分かる。男が村の外からやって来たと店主は分かっていたのだ。

 男は背が高く痩身で、見た目から人の良さそうな感じがにじみ出ていた。ただ、それでいて、どこか胡散臭そうな雰囲気もあったのだが。

 自分が警戒されていると察したのだろう。彼は「失礼」と言うと懐を探り、名刺を差し出しながら「僕は魔法医をしていまして、名はオリバー・セルフリッジといいます」と名乗った。

 「魔法医? お医者さんなのかい?」

 まだ疑わしそうな顔をしてはいたが、店主の表情には明らかに変化があった。オリバー・セルフリッジと名乗ったその男は、自分の持って来た大きなカバンを開けると聴診器や薬の調合用の器具、そして特殊な呪符などの医療器具の類を見せた。医者である事を証明する為だろう。

 田舎者らしい、いい意味での単純さがある店主はそれだけで彼を信用したのか簡単に警戒を解いてしまった。「お医者さんなら話は別だ」と相好を崩すとにこにこと笑いながらオレンジジュースを出し、「化け物なら、確かにこの村にいますぜ」と彼の問いに答える。

 「村の外れに、あばら家がある。そこに棲みついています。棲みついているってぇか、追い出したんですけどね」

 「追い出した? と言うと?」

 「化け物はこの村の女の子に化けていたんですよ。ナーロッタって名前の。本物の女の子の方は食い殺されたのかどうなったのか。可愛い女の子だったのに。化け物が正体を現して、大騒ぎになりまして……」

 そこまでを店主が語ったところで、横から声が入った。

 「ちょっと待て待て待て」

 それは店主と同じくらいの歳の中年の男だった。店にいた数少ない客の一人だ。「なんだよ?」とそれに店主。中年の客は言った。

 「違うよ。化け物はナーロッタに化けていたんじゃない。ナーロッタに憑いたんだ。だから殺さずに追い出したんだよ。憑いた化け物があの子の身体から出て行けば、ナーロッタは元に戻るんだ」

 「それはマーサや、トンビが言っている話だろう? マーサは母親なんだから、そう信じ込んでいるだけだよ。トンビは、あいつ、ナーロッタに惚れていやがったからな。やっぱり同じだよ。

 殺せなかったのはあいつらが、“どうか殺さないでくれ”って皆に泣きついたからだろう? 気持ちは分かるけどよ……」

 「違うって、化け物が化けていたにしてはおかしいだろう? 誰も食べられていないんだから」

 「肉が盗まれたりはしていただろうが?」

 「そりゃ、いつも通りに野良猫か野良犬だって」

 そのまま二人は着地点の見えない不毛な言い合いを始めた。セルフリッジはその二人の言い合いを何故か神妙な面持ちで聞いている。そしてオレンジジュースを飲むと「なるほど」と独り言を言う。

 「お医者さんは、どうしてそんな話を聞きたいんで?」

 双方ネタが尽きたのか、言い合いが途切れ、思い出したかのように店主が彼にそう尋ねて来た。

 「はい」と彼は言うと、「その化け物の話を小耳に挟みましてね、そんなような“症状”に心当たりがあったもので気になってしまいまして」などと答えた。

 「症状?」

 店主は疑問符を伴った声を上げたが、特に質問はしなかった。そしてセルフリッジがオレンジジュースを飲み終えたのを見ると「ところで、もし良かったお願いがあるんですが」と切り出したのだった。

 

 広場にテーブルが用意され、そこに向けて長蛇の列が出来ていた。小さなこの村のどこにこれだけの人がいたのかと思える程だ。その列の先にはセルフリッジがいて、村人達の診察を行っていた。

 酒場の店主から体調を診て欲しいと頼まれたセルフリッジがそれを快諾すると、その噂は瞬く間に村内に広がって、気が付くと村人達が四方八方から集まって来てしまったのだった。この村は、無医村なので村人達にとって医者に診てもらえる機会は滅多にないのだ。そこで臨時の診察所を設ける事にしたのだが、都合がつく建物が村にはなく、仕方なしに広場にテーブルを置いて代わりとしたのである。

 村人達の中に深刻な病気を抱えた者は特に見当たらなかった。腹痛がするとか、足が痛いとか、そういった程度だ。丸っきり健康体の者も多かった。資金に限りがある為、薬などは出せなかったが、セルフリッジは村人達に簡単なアドバイスをした。栄養が偏っているから野菜を食べた方が良いとか、この傷はハチミツを塗布すれば綺麗に治る、とか。

 彼は診療代は請求しなかった。ただし、代わりに“村外れの化け物”について色々と村人達から話を聞いていた。

 その結果、以下のような事が分かった。

 

 突然、ナーロッタという女の子が村の中、皆が見ている前で化け物に変化してしまった。村中の男が武器を持って追い立て、その化け物を村外れのあばら家に追いやった。そしてその化け物は、それ以降そこで暮らしている。もう一か月ほども過ぎているらしい。出ていかない。

 ナーロッタという女の子が、憑き物の所為で化け物の姿に変化してしまっただけだと信じる彼女の母親のマーサと父親のトーン、そしてトンビという男の子がそのあばら家に食べ物を運んでいる。化け物が出ていかないのは、その為だと思われている。

 そして、一部の村人達はそれに反対していて、「化け物はさっさと殺してしまうべきだ」と主張しているらしい。

 

 ――村人達の診察を終えると、次の日、オリバー・セルフリッジは、村外れにある“あばら家”を訪ねた。

 あばら家は彼が思った以上に大きかった。村人達の話によれば、随分と昔にどこかの都会の金持ちが建てた別荘で、今は誰が持ち主なのかも分からないらしい。だから本当はあばら家と言うよりは廃墟と言ってしまった方が良いのかもしれない。

 入り口の扉は半分破壊されていて、蜘蛛の巣がかかっている。誰でも自由に出入りできるだろうが、ここしばらくこの屋敷に足を踏み入れているのはマーサとトンビのみのはずだ。奥は真っ暗でよく分からない。

 その光景を眺め、セルフリッジは軽く溜息を漏らした。

 空はどんよりと曇っていて、不気味さを演出している。背後に広がる森からは、ざわざわと風が葉を揺らす音が聞こえていた。

 「この歳で、お化け屋敷探検を楽しむ気はないのですがねぇ」

 などと彼は愚痴を言った。

 とにかく、屋敷の中に入らなければ始まらない。足を踏み出した。床が所々腐っていそうだったので慎重に進む。顔を屋敷内に入れて覗き込むと、彼は「ナーロッタさーん、村人達に聞いてやって来ました。話を聞かせてくださーい」と大声を上げた。

 が、何も反応がない。

 仕方なく、玄関の先に足を踏み入れる。そこで彼はまた声を上げた。

 「安心してください。僕は医者です。あなたを治療しにやって来たんです」

 できればそれでナーロッタが顔を見せてくれることを期待したのだが、そう都合良くはいかなかった。ただし、軽い物音がして、その少し後で声が聞こえた。

 「治療? わたしのこれは病気なの?」

 その声は非常に奇妙だった。

 始め、明るい子供の声で始まったかと思ったら、次に野太い男の声になり、それから風が洞穴を通り抜けるような音に変わったと思ったら、最後はひび割れたようなこの世のものとも思えない声になって終わったのだ。

 それを受けてセルフリッジは“いけない。雰囲気に呑まれてしまっていますね”と反省をする。

 ――相手は、可愛い女の子。化け物ではない。

 そう自分に言い聞かせた。

 「そうですよ。だから治療をすれば治るんです。どうか姿を見せてはくれませんか?」

 それからしばらく沈黙の間があった。悩んでいるのだろう。その間から彼はそんな女の子の心情を感じ取った。

 「しかも、その病気の治療には痛い注射や苦い薬は必ずしも必要ではありません。運が良ければ訓練だけで治るのです。だから心配しないで出てきてください」

 あと一歩だと判断した彼はそう言って安心をさせ、女の子がいるだろう二階の部屋を目指そうとした。声はその方角から聞こえたのだ。

 が、その気配を察したのだろう。悲鳴に近い「来ないでー!」という声がそこで響いた。勇み足だったか、と彼は反省すると立ち止まった。

 ただ、その悲鳴は確りと女の子の声に聞こえていた。良かった。自分のナーロッタに対するイメージはコントロールできている。彼は軽く頷くと口を開いた。

 「どうして行ってはいけないのですか?」

 「姿を見られたくないの」

 「どうして、姿を見られたくないのですか?」

 ナーロッタは何も返さない。

 「村の人達から聞きましたよ。あなたはとても可愛い女の子だって。できれば僕にあなたのその可愛らしい姿を見せてください」

 「うそよ! みんな、わたしを醜い化け物だって言っていたわ!」

 「醜い化け物? 醜い化け物はそんなに可愛い声は出さないでしょう?」

 彼女は自分の声の変化には気が付いていたのか少し間があった。やがて「でも……」と小さな声がする。

 「大丈夫です。僕に任せてください。さっきも言いましたが、医者ですので。あなたの姿も、今のその可愛い声に相応しいものにきっと変えてみせますから」

 安心させようと意識しながら優しい声色を使い、オリバー・セルフリッジは階段を昇り始めた。腐ってはいない。足元は意外に確りとしていた。

 「いや、やっぱり来ないで」

 彼女はまだ嫌がっていたが、その声質からは先程よりも恐怖の色が消え、抵抗感もなくなっていた“いける”と判断した彼は更に進んで行く。

 「元の姿に戻りたいでしょう? ならば僕が行かなければどうにもなりません。安心してください。きっと僕が行けば、あなたはその声に相応しい姿になりますよ」

 彼が二階に上がると、ドタドタとした重い大きな足音が響いた。どうやら彼が来たのに気付いて彼女は逃げてしまったようだ。軽く溜息をつくと彼は気配を追った。奥の部屋に逃げたようだった。奥の部屋は行き止まりになっているようだ。逃げ場はない。荒れた部屋には大きな棚が置いてあり、その向こうにはそんな棚では隠しようもない大人の二倍はあるだろう“何か”がいた。

 ナーロッタだ。

 「いやー! 見ないで!」

 セルフリッジは大きく回り込んでその姿を確認した。ナーロッタは、棚の隅に顔を向け、更に不釣り合いに小さな両手で顔を隠そうしていたが、当然隠し切れてはいなかった。彼女の右目は極端に大きくなっており、その為に顔が右側だけ膨らんでいた。その下には小さな口のように思えるものがあったが、口はその下にもう一つあり、しかも異様に巨大だった。牙まで見えている。ジャガイモのような形の顔に、縮れた髪が植物の根のように垂れさがっていた。

 “異形”という形容詞がそのまま当て嵌りそうだ。村人達が化け物と言った理由も分かる。

 「見ないで、見ないで」

 その姿に気圧されてしまったセルフリッジは、思わず彼女の声のイメージを一瞬忘れかけてしまった。その所為で、声は異様な程に高い不気味なものに変わってしまったが、直ぐに“いけない”と自分を取り戻すと、彼は目を瞑って意識を集中した。

 村人達を診察した時に話を聞いてイメージしたナーロッタの姿。それを頭の中に思い浮かべる。元気が良いオシャレが大好きな女の子で、特徴的な金色のくせっ毛をしている。背は小さめで手足は細い。肌は綺麗な白。

 ゆっくりと目を開けた。すると、彼がイメージしたそのままの姿のナーロッタが目の前にいた。棚に隅に顔をうずめて怯えている。

 成功だ。

 やれ、と息を吐き出す。

 「もう怖がらなくて大丈夫ですよ。自分の姿を見てみてください」

 安堵した彼はそう彼女に話しかける。言われて彼女は自分の手の変化にまずは気が付いたらしかった。何度も両手を見て、それから腕やお腹や足に視線を向ける。手でお腹の辺りを摩り、それが人間の女の子のものであると分かると飛び上がって目を輝かせた。

 「凄い! 人間に戻っている!」

 彼女は黒いワンピースを身に纏っていた。ただ、ボロボロで破けている。服というよりはただの襤褸切れだ。セルフリッジは準備して来た女の子用の子供服をカバンから取り出そうとしたのだが、その前に彼女は必死な表情でいきなり走り出してしまった。

 「走ると危ないですよ」

 足は裸足だ。この屋敷なら、釘やガラスの破片が転がっていてもおかしくはない。だが彼女は止まらなかった。隣の部屋に駆け込むと、「本当に、本当に戻っている!」と嬉しそうな声を上げた。

 どうやら隣の部屋には鏡があるらしい。彼が隣の部屋に行くと、大きめの姿見があり、その前に彼女はいた。少し割れていたが姿見は充分に彼女の全身を映し出せていた。

 彼女は自分のその姿を信じられないといった様子で見つめていた。目には涙を浮かべている。

 「どうです? 僕の言った通りだったでしょう?」

 セルフリッジが言うと「うん」とナーロッタは答えた。

 「わたしの本当の姿じゃないけど、人間に戻っている」

 「あー、やっぱりそんな姿ではありませんでしたか。すいません。聞いた話から想像したもので」

 「うん。わたしはもっと可愛いの」

 「はあ、そうですか」

 セルフリッジはちょっと苦笑いを浮かべる。少し性格に問題がありそうな子供だと思っているようだ。

 「おじさん、ありがとー!」

 “おじさん”と呼ばれて、やや彼はショックを受けたようだった。そんな見た目をしているでしょうか?と。それから彼女は彼に抱きつこうとした。感謝を全身で示したかったのだろう。が、途中で止まる。自分の身体の臭いをかいだ。そして、

 「おじさん、大変!」

 と大声を上げた。

 「どうしたんですか?」

 「わたし、ずっとお風呂に入っていないの! 身体が大きくなっちゃって、入れなかったから。入らなくちゃ!」

 それを聞いて彼は困った顔を浮かべる。

 「はあ。でも、ここにはお風呂はありませんし」

 それに元気よく彼女は返す。

 「ううん、大丈夫! この家、お風呂はちゃんとあるのよ!」

 彼女は一階の方を指で示した。

 「沸かして!」

 彼は固まる。

 「あのー…… 沸かすのは良いとして、掃除は?」

 「してない! だって、身体が大きくなっちゃって、できなかったのだもの」

 それを聞いて、彼は今度は顔を引きつらせた。

 「もしかして、掃除も僕がするのですか?」

 ナーロッタはぴょんぴょんと跳ねながら応えた。

 「ちゃんとわたしも手伝うから!」

 一人でするとは言わないらしい。

 彼女の家庭は普通よりもちょっと裕福なくらいと聞いていたのだが、或いは両親が甘やかして彼女を育てたのかもしれない。

 困ったものだと思いながらも、彼は彼女の薄汚れた姿と期待を込めた懇願するような表情を拒絶できなかった。

 “まぁ、今までずっと怖い想いをしてきたのでしょうから”

 と、小さく呟くと、やれやれといった様子で一階に降りていった。

 

 幸い、まだこの屋敷の井戸は生きていて、水を汲むことができた。彼はそれで風呂の掃除をすると、それから水を張り、それから屋敷に残っている薪を探し出して湯を沸かした。かなりの重労働だった。お陰で彼はヘトヘトに疲れてしまった。準備が終わった頃には既に夕刻を過ぎていた。

 沸かした風呂にナーロッタはいそいそと入っていったが、まだ彼の仕事は終わっていない。湯加減を調節する為に、彼は風呂の壁側に待機させられていたのだ。

 「もう少し強くお願いー」

 「はい」と答えると、彼は薪をくべる。かなり人使いが荒い娘ですね、などと思いつつ。しばらくするとナーロッタは何も言わなくなった。ちょうど良いと思った彼は彼女に尋ねる。

 「何があったのか詳しく教えてもらえますか? どうして、あなたは魔法性無秩序変身症に罹ってしまったのでしょう?」

 少しの間があったが、すっかりと彼を信頼してしまったのか、彼女はは「うん。実はね……」と語り始めた。

 

 ――トンビはナーロッタのお母さんが用意してくれた夕食をカゴに入れると、それを彼女に届ける為、足早に村外れのあばら家に向かって歩き出した。彼が急いでいたのは、ナーロッタに食べ物を届けるのに反対している村人達が少なからずいたからだった。

 「お前らが食い物をやるから、いつまで経ってもあの化け物は村から出て行かないんだぞ?」

 そんな事を言っている連中がいる。今も彼女に夕食を届けようとしている彼に白い目を向ける者達がいた。

 “……ナーロッタは、化け物じゃないのに”

 どれだけ説得しても、彼らは村外れのあばら家に住んでいるのが、化け物じゃくて、姿が変わってしまったナーロッタなのだと信じてはくれないのだ。

 ただし、それはちゃんと彼が事情を説明していないからなのかもしれなかったのだが。

 

 ――ナーロッタから「内緒のお願いがあるの」と彼女の家に呼ばれた時、彼は少なからず期待していた。もしかしたら、彼女と今よりもっと仲良くなれるかもしれないと。だけど、彼女の用事は彼の期待したようなものではなかった。

 彼女は彼を自分の部屋に招くと、ドアにカギをかけ、それから魔法の本を取り出して来て彼に見せたのだった。

 彼はその本に驚いてしまった。

 「どうやって手に入れたの?」

 彼の驚いた顔に彼女は可笑しそうな顔を見せた。

 「この前、村に旅商人が来ていたでしょう? その旅商人から買ったのよ」

 「でも、魔法の本なんて高かったのじゃないの?」

 「お小遣いでなんとかなったわよ」

 澄ました顔の彼女の言葉に彼は不安を覚えた。それはきっと真っ当なルートで仕入れた物ではないだろう。盗品か偽物か不良品か。その旅商人は良くないことをして、魔法の本を手に入れたのだ。しかし彼女は全く不安には思っていないようだった。

 「ナーロッタ。その魔法の本は危ないよ。信用しない方が良い」

 だからそう忠告をしたのだ。ところがそれを聞くと彼女は口をとがらせて、

 「嫌よ。わたし、この本で変身の魔法を身に付けるのだもの」

 などと言うのだった。

 彼は更に驚いてしまった。

 「えー?! 本気?」

 魔法を無断で使うのは禁止されている。ちゃんとした正規の手段で魔法を身に付け、国の許可を得なければ使ってはいけないのだ。魔法の本を持つ事や知識を身に付ける事は禁止されてはいないけど。

 「シーッ 声が大きいわよ、トンビ」

 叱るように彼女が言うので、声を小さくして彼は続けた。

 「絶対にまずいって。もしバレたら警察に捕まっちゃうよ」

 「バレなければ良いのでしょう?」

 「どうやって、バレないようにするのさ。魔法を使ったらバレちゃうじゃん」

 仮に姿を隠して使ったとしても、魔法を目撃されたと報告されれば、警察が調べにやって来るに決まっている。

 「大丈夫よ。魔法を使ったって思われなければ良いのだもの」

 「そんなの無理だよ」

 「だから、大丈夫だって。だって、わたしが今よりちょっと可愛くなるだけなのだもの。それなら誰も魔法を使ったって気が付かないでしょう?」

 彼はその彼女の説明に首を傾げた。

 「どういう事?」

 彼女は得意げな様子で答える。

 「トンビ、知らないの? 変身の魔法ってのがあるのよ。その魔法を使って、わたしは今よりちょっとだけ可愛く変身するの」

 彼はそれに何か返そうと思ったのだが、何も思い浮かばなかった。確かにそれなら誰も気が付かないかもしれない。

 「でも、それならやっぱり意味がないよ」

 「どうして?」

 「だって、ナーロッタは、今でも充分に可愛いじゃないか。これ以上、可愛くなっても仕方ないよ」

 それを聞くと彼女は、「それはあなたにとっては、の話でしょう?」と照れるでもなく魔法の本を捲り始めた。

 「それじゃ、わたしは満足できないの。もっと色々な人に“これ以上ないくらいに可愛い”って思われたいの」

 言い終えると、彼女は魔法の本のあるページを彼に見せた。どうやらそのページを探していたらしい。

 「なにそれ?」

 「人の気持ちを敏感に感じ取れるようになる魔法。この魔法を使うと、近くにいる人の気持ちが感じ取れるようになるのだって」

 「それがどうかしたの?」

 「分からないの? この魔法と変身の魔法を覚えれば、みんなが可愛いって思う理想の姿になれるでしょう? そうすれば、わたしはみんなから愛してもらえるようになるのよ。どう? 素晴らしいでしょう?」

 その彼女の言葉に彼は顔をしかめた。

 ナーロッタが人気者になるのは自分も嬉しい。けど、同時になんだか寂しかったのだ。自分だけの彼女でいて欲しい。

 「それでね、お願いっていうのは、この魔法のことなの。変身の魔法はまだわたし一人でもなんとか練習できるけど、気持ちを感じ取る魔法はわたし一人じゃどうにもならないわ。だからあなたに協力して欲しいの」

 気乗りしなかった彼は、「う、うん」とそれに生返事をした。敏感に彼の様子を察したのか彼女は少し気を悪くする。

 「なによ? 嫌なの?」

 「い、嫌って訳じゃないよ。ただ、やっぱりもしバレたらまずいのじゃないかって思って。警察に捕まっちゃうよ」

 「だから大丈夫だって言ってるじゃない!」

 そう言うと、彼女は頬を膨らましてそっぽを向いてしまった。

 「別に良いのよ? それなら別の誰かにお願いをするから」

 彼女を怒らせてしまったと彼は慌てる。

 「もちろん、協力はするって。ちょっと心配になっただけだってば!」

 その言葉を聞くと、彼女は一瞬で嬉しそうな顔を見せ、「ふーん」と言った。

 「それじゃ、約束よ。わたし、魔法を身に付けて、今よりずっと可愛くなるんだから!」

 

 その日から、早速、ナーロッタの魔法の訓練は始まった。トンビの気持ちを敏感に感じ取って、自らの身体を変化させる。昔からナーロッタは魔法の才能があると言われていたのだが、確かに異様に覚えが早かった。堪え性のない彼女が珍しく懸命に特訓したお陰もあったのかもしれないが、一週間も経つと、彼女は読み取った彼の気持ちに合わせて自分の姿を変える事ができるようになっていたのだ。

 可愛く大きな瞳は輝き、白い肌はまるで雪のよう。彼女はくせっ毛なのだが、綺麗な金色の髪の毛を、魔法は芸術的にカールさせていた。彼にとって、彼女の姿はこの世のものとは思えず、まるで妖精のようだと感じていた。

 「とても綺麗で可愛いよ、ナーロッタ」

 トンビは素直にそう感想を言った。

 ナーロッタの今の姿は、ほとんど彼の理想の姿だったのだ。

 「フフフ。ありがとう」

 彼女はそれを聞くとその場で軽やかに一回転した。

 「素敵!」

 それを見て、彼は何度も拍手をした。

 「もうこれくらいできれば充分よね。みんなに見せれば、きっとみんなはわたしを愛してくれるわ!」

 満足そうにそう言うと、それからナーロッタは彼と一緒に村に出掛けたのだった。初めの内は、皆はいつもよりも可愛い彼女を「一体、何があったんだい?」と称賛していた。が、それから直ぐに異変が起こったのだった。

 彼女は幸せそうに頬を紅潮させていた。興奮していたようだった。

 「もっと、もっとみんなから可愛く思われたい!」

 そして、そんな彼女がそう事を言った瞬間だった。

 彼女の、ナーロッタの姿が、大きく急速に歪んでいってしまったのは。

 

 トンビはあばら家に着くと、ランプの灯りを点け、中を覗き込んだ。夕暮れ時の屋敷は昼間よりもずっと不気味だ。

 「ナーロッタ。ぼくだよ。夕食を持って来たんだ」

 そう暗闇の中に向って呼びかける。いつも彼女は「そこに置いてって」と言うだけで姿を見せてはくれない。自分の醜く変わってしまった姿を彼に見せたくはないのだろう。だから今日もそうだろうと彼は思っていたのだが、なんとそれから「トンビ! やっと来てくれたのね。こっちに上がって来て!」という声が聞こえて来たのだった。声の質が明らかに弾んでいた。

 「え?」と彼は驚く。

 二階からは灯りがこぼれていた。彼女はランプを持っている。ただ、いつもは彼が訪ねると消してしまう。やはり姿を見られたくないからだろう。

 明らかに態度が違っている。

 “何があったのだろう?”

 不思議に思いつつも、灯りのついた二階に昇っていくと、その途中で楽しそうに話す彼女の声が聞こえて来た。

 「トンビはわたしの友達なの。わたしの言う事をなんでも聞いてくれるのよ。ちょっと抜けているところもあるけど優しいの」

 誰かに自分の事を自慢している。

 灯りの点いた部屋に彼が入ると、驚いたことにナーロッタは人間の姿に戻っていた。以前の彼女の姿とはちょっと違っているけど、それでも人間の姿だ。嬉しそうにしている彼女の隣には、知らない男の人がいた。背が高くて優しそうだった。

 「トンビ! 見て! わたし、人間の姿に戻ったのよ! このお医者さんが治してくれたの!」

 彼が入って来るのを待ち構えていたのだろう。彼が部屋に入るなりナーロッタはそう言った。

 医者?

 それで彼は思い出した。昨日村にやって来たお医者さんが、無料で皆を診察してくれたという話を。ナーロッタについて色々と訊いていたというから、きっとこの人がそのお医者さんなのだろう。

 「オリバー・セルフリッジといいます」

 トンビを見ると、男の人はにっこりと笑って丁寧に挨拶をした。安心させようとしているのだと直ぐに分かる。見た目通り、優しい人なのかもしれない。

 「魔法医をしています。近くの町を通りかかった時に彼女の噂を耳にしまして。それで気になって寄ってみたのです。来てみて良かった」

 「ナーロッタを治してくれたのですか?」

 チラリとナーロッタを見てから、彼は「でも、」と小さな声で続ける。セルフリッジというその魔法医は首を横に振った。

 「いいえ、違います。まだ対症療法を施したに過ぎません。しかもそれだって完全ではありませんし。

 この今の彼女の姿は、あなたの知っている姿とは違っているでしょう?」

 どうやら魔法医はトンビの疑問を察しているらしかった。彼は自分の知っているのとは違ったナーロッタの姿に戸惑っていたのだ。今の彼女は可愛いけれど、少しばかり意地悪そうに見える。彼の知っている彼女は、もっと純粋そうな顔立ちをしていた。

 そこで彼は気が付いた。

 “あれ? なんか変なネックレスをしている”

 彼女の着ている服はいかにも女の子っぽいナーロッタに相応しいデザインなのに、そのネックレスだけ違っていたのだ。まるで何かのお守りのような。

 その彼の疑問に答えるように魔法医は口を開いた。

 「彼女の罹っている病気の特性を知ってもらう意味でも、少し試してみたい事があるのです。上手くいけば、今よりもっと良い対症療法になります。それであなたに協力していただきたいのですが、お願いできますか?」

 ナーロッタの為になるのなら彼が断わるはずがなかった。「はい」と返す。すると魔法医は彼女の背後に回り、彼女のかけているネックレスに手をやった。外してはいないが、彼女のネックレスを外す準備をしているようだ。何故か目を瞑ると言った。

 「これからこのネックレスを外すので、あなたは以前のあなたが記憶しているナーロッタさんの姿を強く思い描いてください。できる限り鮮明に」

 その指示の意図は分からなかったが、彼は「分かりました」と答える。彼は彼女の姿ならばいつでも鮮明にイメージできるのだ。

 「いきますよ」と魔法医が言ったので、「大丈夫です」と答える。そのタイミングで、魔法医はネックレスを外した。

 その瞬間、ナーロッタの姿が歪んだように思えた。一瞬怯んだが、直ぐに彼は彼女が変身の魔法の訓練をしている時に似ていると思い出して安心をする。きっとあの時と同じ様にすれば良いんだ。

 気持ちを落ち着けて、自分が一番可愛いと思う彼女の姿を思い浮かべる。すると、みるみる彼女の姿は彼の理想の彼女の姿に変わっていったのだった。

 「ナーロッタ!」とトンビ。近くにあった姿見で、ナーロッタは自分の姿を確認したようだった。

 「凄い! さすが、トンビね! わたしの本当の姿だわ!」

 彼女は歓喜している。

 魔法医は「上手くいきましたか」と言うと、ネックレスを再び彼女にかけて目を開いた。

 「ナーロッタさんは、あなたが思い浮かべた姿に変わったのですよ。今、僕は出来る限り何もイメージしないように努めていました。だから、僕のイメージに邪魔されず、あなたのイメージした通りの姿になったのです」

 トンビはなんとなく何が起こったのかは察していたが、それでも「もう少し詳しく教えてくれませんか?」とお願いした。確証を持っておきたかったのだ。魔法医は「分かりました」と頷くと語り始める。

 「魔法性無秩序変身症という病気があるのを知っていますか? 変身の魔法が制御できなくなり、無秩序に変身してしまうという病気ですが、原因は様々です。心因性だったり、或いは、単に制御する方法を学ばないまま変身の魔法を覚えてしまったりだとか」

 「彼女の姿が変わってしまったのはその病気の所為だったんですか?」

 魔法医は大きく頷く。

 「はい。あなたは何か悪い憑き物が憑いて、彼女の魔法の力を暴走させたと考えていたようですが違いますね。いえ、それが症状の原因の一つになる場合もあるのですが、話を聞く限りでは今回は考え難いかと」

 魔法医が言い終える。ナーロッタは珍しくしおらしい様子を見せていた。多分、もうどうしてこうなってしまったのかを魔法医に話しているのだろう。

 「今はその症状を抑える為に、魔力を抑える呪具を首にかけているので比較的安定しています」

 それを聞いて、“なるほど”と彼は思う。お守りのようなネックレスは呪具だったのだ。

 「あの、この病気って……」

 彼が尋ねると魔法医は「そうですね」と言って耳を塞ぐような仕草をした。

 「このように自分で耳を塞げれば、周囲の音を聴かなくて済みます。見たくないのなら、目を閉じれば良い。それは当り前に分かりますよね? しかし、ナーロッタさんは魔法をコントロールできない。その所為で、周囲の人々の“気持ち”が無秩序に流れ込んで来てしまう。

 そして、同時に彼女は変身の魔法も覚えてしまっていた。彼女は他の人間が望む姿に自分の姿を変えるという魔法を訓練していたのでしょう? しかもそれも制御できていない。

 これは非常に珍しい症例です。普通の魔法性無秩序変身症は、単に変身能力をコントロールできずに様々な姿に変わってしまうというものですが、彼女の場合はトリガーが、“他人が自分をどう見ているか”なのです」

 それを聞いて彼は腑に落ちないといった顔になった。

 「あの…… どうしてそれで醜い姿になってしまうんですか? 他の人間が望む姿に変わるっていうのなら、みんなが可愛いって思っている姿になるはずでしょう?」

 魔法医は頭をぽりぽりと掻く。

 「それがそんなに単純な話でもないのですよ。何故なら、人によって“可愛い姿”の理想はまるで違っているからです。ある人は大きな丸い瞳を可愛いと思うかもしれない。だけどある人にとっては切れ長の瞳こそが可愛いかもしれない。この二つは同時には成り立ちません。ですが彼女はそれをやろうとしてしまう。結果、彼女の瞳は丸くも切れ長にもならず、歪んでいってしまうのですよ。

 そして、そんな姿を見れば、人は彼女を“醜い化け物だ”と思うでしょう。そして、今度は各人の理想的な“醜い化け物”の姿を思い浮かべるのです。それを受けて、彼女は今度は醜い化け物の姿になろうとしてしまう……」

 言い終えると、魔法医はナーロッタをゆっくりと見やった。

 「自業自得とはいえ、このままではあまりに可哀想です。だから僕はなんとかしてあげようと、この村までやって来たのですよ。ですが、まだ難しいです。僕が用意した呪具の効果は完全ではありません。ここにいるのは僕ら二人だけなので姿が安定していますが、たくさんの人達の近くにいったらまた暴走してしまうでしょう」

 「どうすれば良いんですか?」

 「ナーロッタさんの魔力特性を調べ、かつどのような魔法を身に付けたのかを知る必要があります。

 彼女が学んだという魔法の本を持って来てはくれませんか? 恐らくは素人が書いた信頼のおけないまがい物ではないかと思われますが、どんな内容なのか知らないと対処方法が定まりません」

 トンビは魔法医の言葉に確りと頷く。それでナーロッタが治るのなら。

 「分かりました。では、早速、取りに行ってきます」

 夕食を入れたかごをナーロッタの前に置く。それで気が付いたのか、「夕食をもう一人分、作ってもらいます。待っていてください」と彼は続けた。

 すると魔法医は、「それはありがたいです」とお礼を言い、それからにこにこと笑いながら「ただ、夕食は済ませているので、できれば明日の朝食にしてはくれませんか?」と彼に頼んだ。彼は「分かりました」と大きく頷くと、それから急ぎ足で部屋を出て行った。魔法医は心配して、「足元に気を付けてください」と声をかけたが届いてはいないだろう。階段を勢いよく下る足音が聞こえた。幸い転びはしなかったようだ。彼は一刻も早く完全にナーロッタを治してあげたいと思っているのだろう。

 トンビが出て行くと「いい少年ですね」と独り言を呟くように魔法医が言った。ナーロッタは「うん」と素直に頷く。ランプに照らされていたので、彼女の顔がどんな色をしていたのかは分からかったが、それでも魔法医は彼女が頬を紅潮させている姿を想像していた。

 

 トンビはナーロッタの家に行くと母親のマーサに事情を説明した。すると彼女は目を大きく見開き、「あの娘、治るの?」と感動した表情を浮かべ、涙をこぼして喜んだ。父親のトーンはまだ帰っていないが、家にいたらやはり同じ様に喜んでいただろう。

 「お医者さんが村に来ているって話は聞いていたんだよ。無料で診てくれるって皆が騒いでいたからね。わたしゃ、ナーロッタの件で会いたくない連中がたくさんいるから行かなかったけれど、まさかあの娘を治しに来てくれていただなんて……」

 そう言い終えると「ああ、神様」と彼女はお祈りを始めた。

 そんなマーサの様子を見て彼は思う。

 “ちょっと我儘なところはあるけど、ナーロッタは良い子なんだ”

 だからこそ、こんなに愛されている。彼女を勘違いで殺してしまうだなんて、絶対にあってはならないことだ。

 「お祈りは後だよ、おばさん。今は早く魔法の本をお医者さんに届けないと。それと明日の朝食の準備をお願い。魔法の本を届けるついでに持っていくから。お医者さんの分も」

 マーサは涙を拭くと、「ああ、分かったよ」と応えて朝食を作り始めた。

 

 幸いにも魔法の本は直ぐに見つかった。ナーロッタの部屋で訓練を手伝っていたトンビは、彼女のいつもの本の置き場所を覚えていたのだ。マーサは一緒に来たがったが、人数が増えると再びナーロッタがおかしな姿になってしまうかもしれないので堪えてもらった。彼があばら家に戻ると、魔法医はナーロッタの診察をしていた。彼女の魔法特性を知る為だろう。

 「やぁ、戻りましたか。ちょうど診察が終わったところです」

 彼を見ると魔法医はそう言った。

 「何か分かったのですか?」

 「はい」と頷くと、魔法医は魔法の本を彼から受け取りながら、「ナーロッタさんは、魔力がとても強いです」と言って本を捲り始めた。

 「だから、余計にコントロールが難しいのでしょう。やはりこの呪具では、症状を抑え切れそうにないです」

 それを聞いて、ナーロッタは嬉しそうな声を上げる。

 「ふふん。大したもんでしょう?」

 この期に及んで、まだ強気でいられる彼女にトンビはやや呆れた。もっとも、そういうところも魅力的だと彼は思っていたのだが。魔法医は叱るでもなく「そうですね。大したものです」とそれを認めてしまった。が、それからこのように続ける。

 「ただし、だから、その能力をコントロールできるようにする為には、その魔力をなんとかしなくてはなりません。魔力を抑えた状態でコントロール能力を身に付けて、徐々に解放していくんです」

 そして魔法医は、捲っていた本を見せながら言った。

 「どんな訓練方法が良いかは、この本がヒントになります。読んだ上で、僕がカリキュラムを考えます。ただ、まずは魔力を抑えなくては始まりません」

 「どうやって魔力を抑えるの?」

 声を弾ませてナーロッタが尋ねる。多分、気分的には既に解決した気になっているのだろう。楽観的な彼女らしい。

 「魔力を抑える薬を調合するので、それを飲んでください。ただ、生憎材料が足りません。明日、近くの街にまで調達しに出かけます。ナーロッタさんは僕が帰って来て薬ができるまでは、この屋敷で大人しくしておいてください。お辛いでしょうが、もう少しの辛抱ですから」

 それに元気よく彼女は「分かったわ」と返事をした。良い返事なのが、却ってトンビには心配だった。

 “絶対に軽く考えている……”

 

 オリバー・セルフリッジという魔法医は本当に好い人らしく、それから「できる限り早く、コントロールできるようになった方が良いでしょうから」と魔法の本を読み始めた。しかもメモまで取っている。カリキュラムを作る為だろう。

 魔法の本はやはり問題がある代物だったらしく、「これでは魔法を制御できなくて当然です。訓練の順番が違うし、抜けているものもたくさんあります」などと魔法医は文句を言っていた。

 「あの…… どうしてそんなに熱心にナーロッタの為にしてくれるのですか?」

 トンビは不思議に思い、そう尋ねる。するとなんでもないような感じで魔法医は答えた。

 「僕にとってもメリットがあるからですよ。僕は別に無償で働く博愛主義者という訳ではありません」

 「メリット?」

 「はい」と言うと、魔法医は読んでいた本から顔を起こし、ちょっと彼を見た。

 「珍しい症例ですからね。これで上手く治療できれば、医学全体の発展に寄与します。当然、他の患者の為にもなるでしょう。つまり、僕にとっては彼女の治療に当たれることはチャンスでもあるのですよ」

 それを聞いて彼は、

 “それって結局、無償で人の為に働く博愛主義者なのじゃないの?”

 などと思ったが、口に出しはしなかった。

 

 翌朝、トンビが起きると、既に魔法医オリバー・セルフリッジは出発の準備を済ましていた。“夜遅くまで、魔法の本を読んでいたはずなのに”と彼は感心する。

 昨晩、彼は一度家に帰ると、両親に事情を話し、「今晩はナーロッタと一緒にいてあげたいから」と言ってあばら家に戻って来たのだ。もちろん、それはナーロッタが彼にお願いをしたからでもあったのだが。

 「では、早速、行ってきます。繰り返し忠告をしておきますが、村に行ったりはしないでくださいよ、ナーロッタさん。そのネックレスでは、あなたの症状は抑え切れないのですから」

 「分かってるって」と、それにナーロッタ。明るい声だ。明るい光の下で元の姿に戻っている自分を再確認して、また興奮しているようだった。

 それから魔法医が屋敷から出て行くと、彼女は窓から手を振って見送っていた。彼女なりに精一杯に感謝を示しているのだ。

 「さて。ぼくも行くよ、ナーロッタ」

 彼女が手を振り終えると、彼はそう言って出かけようとした。それを聞いて、信じられないような物を見るかのような目つきで彼女は彼を見る。

 「何を言っているの? ようやくわたしが元の姿に戻れたっていうのに! しかも、わたしはまだ村には戻れないのよ? ここに一緒にいてよ」

 多分、我儘を言うだろうと思っていた彼は“やっぱりか”と心の中で呟いてから口を開いた。

 「ぼくだって君と一緒にいたいよ、ナーロッタ。でも、仕事があるし、塾にだって行かなくちゃいけない」

 この村にはかつて都会で教師をやっていた人物が格安で開いている塾がある。日に数時間といった程度だが、そのお陰でこの村の子供達は読み書きができるのだ。

 「そんなの休んじゃえば良いじゃない!」

 「無理だって! 生活ができなくなっちゃうよ」

 トンビの家は裕福ではない。はっきり言って貧乏だ。彼が働かなくては、生活は成り立たない。

 「なによ? わたしが大切じゃないの?」

 「大切だよ。でも、働かなかったら、その大切な君と一緒にいられなくなっちゃうんだ。だから仕方がない」

 それにナーロッタは何も返さなかったが、その代わりに頬を膨らました。不満なようだ。

 「終わったら、ご飯を持って、真っ先にここに戻って来るから怒らないでよ。また一緒に泊まってあげるから」

 「本当に?」

 「本当だよ」

 そう言うと、彼は部屋を出て行った。彼はナーロッタのことが大好きだけれど、我儘過ぎるところには時々辟易してしまう事がある。時々だけど。

 「直ぐに戻って来てよー」

 屋敷を出て歩いていると、そんな声が聞こえた。振り返ると、彼女が手を振っている。彼にも感謝を示している。

 それを見て、“やっぱり、可愛いなぁ”とトンビは思ってしまった。そしてそれから、本当に彼女が屋敷でじっとしていられるのかちょっと心配になったのだった。

 

 今日のトンビの仕事は、近くの家の大工仕事の手伝いだった。彼の実家は農家だが、この時期は特に大きな作業はない。だから近所の手伝いをしている。ナーロッタが化け物だと思われるようになってから、少しだけその仕事は減ってしまっていた。もちろん、彼がナーロッタに食べ物を運んでいることがあまりよく思われていないからだ。母親はそんな彼に理解を示してくれているが、父親は多少不満を覚えているようだった。

 昼休み。だからという訳でもないのだが、彼は一人で昼食を食べていた。ナーロッタが少し心配になる。昼食はいつも届けていないのだ。その代わり、朝は多めに持って行っているのだけど。

 昼食を食べ終えると、彼は仕事に戻ろうと立ち上がった。今日の仕事は残りわずかだ。さっさと片付けて、それから塾に行って宿題を先生に見てもらったらナーロッタに会いに行ける。

 “さあ、がんばろう”

 ところが、彼がそう思った瞬間だった。突然、声がかかったのだ。

 「トンビー!」

 聞き覚えがあり過ぎる声。心配が本当になった。辺りを探すと、目の前の繁みの中からナーロッタが顔を出していた。

 「ナーロッタ! あんなに村には来ちゃ駄目だって言われていたじゃないか!」

 彼女は周りに誰もいないのを確認すると、悪びれもせずに繁みの中から出て来た。服に着いた葉っぱや枝を掃い落としながら言う。

 「大丈夫よ」

 「大丈夫じゃないよ! また、あんな姿になりたいの?」

 「大丈夫だって。わたし、考えたのよ。他の村の人達に見つからなければわたしの姿は変わらないわけでしょう? なら、ずっと隠れていけば良いのだって」

 確かに理屈で言えばその通りだ。だが、それでも危険過ぎる。見つからないでいられるとは限らない。

 「それでも危ないよ。今、もしまた化け物の姿になっちゃったら、下手したら殺されるかもしれないんだよ?」

 村の中にいる彼女を化け物だと信じる“反ナーロッタ派”は、ここ最近より過激になっていて強力な武器の準備まで始めてしまっている。“防衛の為”だと言ってはいるが、いつ“攻撃しよう”と言い出すかは分からない。もし仮にナーロッタが村の真ん中で化け物に変身してしまったなら、きっと殺そうと考えるだろう。

 ところが彼の心配の言葉を聞くと、彼女は首を傾げたのだった。

 「何を言っているの? どうしてわたしが殺されるのよ?」

 それで彼は思い出した。彼女が傷つくだろうと慮って、彼も彼女の母親も、村人の中に彼女が化け物だと信じていて、できるのなら殺してしまった方が良いと考えている者達がいる事は伝えていなかったのだ。彼女には何かの憑き物に身体を乗っ取られていると村人達が信じていると伝えてある。

 「いや、それは……」と、口ごもる。

 彼女は疑わしそうな目つきで彼をしばらく見ていたが、「ま、良いわ」と言ってまた藪の中に入っていった。どうやら大人しくあばら屋に戻ってくれる気になったようだ。

 藪の中に入ると彼女は「用事が済んだら、早く屋敷に来てよね」と念を押すように言った。

 「うん。分かっているよ」と彼は返す。とにかく、魔法医が戻って来るまでは彼女を説得し続けるしかない。本当の事を話しても我の強い彼女の場合、むしろ逆に村人達の前に出ようとしてしまうかもしれないし。

 

 「やっと来てくれた」

 あばら屋に顔を見せたトンビを見て、ナーロッタは嬉しそうに言った。彼女の性格からいって、元に戻った可愛い自分の姿を早く皆に見てもらいたがっているのを必死に我慢していたのだろう。

 トンビはかごを見せながら言った。

 「夕食も持って来たよ。ぼくの分もあるから、あとで一緒に食べよう」

 「うん。ありがとう」

 彼女はそれを受け取ると、嬉しそうに笑う。それから彼はカードゲームを取り出した。まだ夕食には少しばかり早い。それまで遊ぶつもりで持って来たのだ。それを見て彼女は目を輝かせた。

 「やりましょう! そーいうのを待ってたのよ!」

 ゲームをやり始めると彼女はすぐに熱中した。

 「このゲーム、もう飽きたと思っていたけど、久しぶりにやると面白いわね」

 その日は、それで彼女は充分に満足してくれたようだった。

 翌朝、「やっぱりまた行っちゃうの?」と彼女は彼に訊いて来た。「うん。だって、仕事だもの」と彼は返す。彼女は残念そうな顔になったが、彼はそれを予想していた。

 「その代わり、一人でも遊べるようにお絵描きの道具を持って来たんだ」

 言いながら、鉛筆やクレヨンや紙を見せる。ぬいぐるみや人形を持って来ようかとも少し悩んだのだが、汚れてしまうと思って結局はお絵描きセットを彼は選んだのだ。

 「お絵描き~?」

 彼女は少しばかり不満そうだった。

 「わたし、お絵描きの趣味なんてないわ」

 「そうだね。でも、やってみると案外面白いものだよ」

 トンビはじっとナーロッタを見る。

 昨日のように、村に出て来たら本当に危ない。彼の心配がなんとなく彼女に伝わったのか、彼女は「分かったわよ。遊んでみる」などと応えた。彼の心配する気持ちが充分に届いたのか、それともお絵描きが楽しかったのか、その日は彼女は村に出ては来なかったようだった。

 

 ――三日目の朝、

 「ねぇ? まだセルフリッジさんは戻って来ないわよ。街に行ったっていうなら、そろそろ戻って来てもおかしくないのに」

 朝食を食べ終えると、窓の外を眺めながらナーロッタはそう愚痴を言うような口調で心配した。

 「そうだね。でも、お医者さんは薬の材料を調達するって言っていたから、それに手間取っているだけかもしれないよ」

 トンビは困ったような顔でそう宥める。

 恐らく、そろそろ彼女は早く村に戻りたい気持ちを抑えられなくなっているのだろうと彼は思っていた。

 「かもしれないけど、もしかしたら、何かあったのかもしれないじゃない。街に迎えに行った方が良くない?」

 それを聞いて彼は慌てた。

 「“街に”って、村にすら出たら駄目だって言われているのにそんなの絶対に駄目だよ」

 「でもー」と、彼女は不満そうだった。トンビは軽く溜息をつくと言った。

 「何か事件がなかったか皆に聞いてみるから、お願いだから辛抱してよ」

 彼女は頬を膨らませると「分かったわよ」と応える。確かに魔法医が戻って来るのは多少は遅いかもしれないが、まだ心配をするのには早すぎる。本当は彼女は早く人がいる場所に行きたいだけなのだろう。

 “お願いだから、今日くらい堪えてね”

 彼は小さくそう呟いた。

 

 トンビが屋敷から出て行ってしまうと、ナーロッタは仕方なくお絵描きを始めた。昨日は意外に楽しめた。きっと長らくやる事がなかったからだろう。

 ただ、今日はもう昨日ほどには楽しくなかった。もう飽きてしまったのだ。

 「やっぱり、また村に行きたいなぁ」

 独り言を漏らす。

 そして、誰かとお話がしたい。

 今日はトンビは夕方まで仕事だ。それまで暇をしていなくてはならない。話し相手もいない。なにより寂しい。

 昼頃になってお腹が空いて来た。化け物の姿になってしまっていた時は、昼になってもお腹なんか空かなかったのに、元の姿に戻ったら空くようになった。それだけ気持ちが健康的になっているという事なのだろう。

 “もしかしたら、今なら村に戻っても、この姿ままでいられるのじゃない?”

 そんな事を彼女は想像してしまう。トンビはまた心配するだろうし、セルフリッジさんは怒るかもしれないけど、少なくとも試してみる価値はあるのではないかと彼女は思っていた。

 ふと、思い付く。

 「考えてみれば、もしまた変な姿になっちゃっても、もう一度トンビに元に戻してもらえば良いのじゃないかしら?」

 声に出してアイデアを言ってみると、なんだかそれが正しいような気がして来る。セルフリッジさんはきっとこのアイデアに気が付いていなかったのだ。

 「念のため、また誰にも見つからないようにもするし、きっと大丈夫よね」

 人気のない道や藪の中を選べば、誰にも見つからないで進める自信が彼女にはあった。やがて描きかけの絵を完成させると、彼女は「よし!」と気合いを入れて屋敷を出て行った。

 

 先日、村に行った時は、トンビは人気が少ない場所にある家で働いていた。しかし今日は商店で飾り付けの手伝いをしている。人は多い。もっとも、多いと言っても田舎の村だから高が知れているのだけど。

 “藪の中から、遠目に見るくらいなら別に平気よね”

 林の中を遠回りして村に向かうと、彼女は藪の中から顔を出して村の方を眺めた。人が数人歩いている。やっぱり人がいても自分がいると認識されなければ、姿は変わらないようだった。微塵も変化する様子がない。

 “よし! これならいける”

 彼女は常に藪の中に身を隠すように努めて移動しながら、村の様子を眺めた。友達を見かける度に顔を出したい衝動に駆られたがなんとか堪える。しばらく村を観察すると、やがて彼女はトンビが働いている商店を目指すことにした。今日は彼を見つけても話しかけられないが、様子くらいは見ておきたかったのだ。

 藪の中をゆっくりと進んで、商店が見えるだろう位置を探す。商店は村の中央付近にあるので藪の中から見える位置を探すのは少々難しかった。油断すると誰かに見つかってしまいそうだ。やがて辛うじて商店が藪の中から見える場所を見つける。灌木の隙間から、「さて。トンビはいるかしら?」とゆっくり見やった。店の中にいるかもしれないから、彼を見つけられるとは思っていなかったのだが彼は直ぐに見つかった。店の外にいる。

 ただ、少しばかり様子がおかしい。彼は何故か数人の大人達から責められているようなのだった。奇妙に思い、ナーロッタは首を傾げる。

 “……なんか、仕事で失敗でもしたのかしら?”

 ただ、仕事で失敗したような雰囲気でもなかった。そもそも彼を責めている大人達は商店とは何の関係もない人達ばかりだ。しばらく見続けていると、やがて怒鳴り声が聞こえて来た。

 

 「お前が飯を届けている所為で、あばら家の化け物がいつまでも村にいるんだろうが!」

 

 トンビは大いに困っていた。彼が店で働いていると、それを快く思わない反ナーロッタ派の大人達が文句を言いに入って来たからだ。店主は彼を庇ってくれたが、店に迷惑をかける訳にはいかない。彼は一度店の外に出ることにした。彼らがいなくなってから、仕事に復帰すれば良い。この所為で仕事ができなかったら今日はお金を貰えないかもしれない。

 反ナーロッタ派の大人達は彼が店の外に出ても追ってきた。どうにもかなり興奮してしまっているように思える。

 「あばら屋にいるのは、ナーロッタですよ。化け物じゃありません」

 仕方なく、なんとか説得しようとそう言ってみたのだが、それが却って火に油を注いでしまったようだった。

 「お前が飯を届けている所為で、あばら家の化け物がいつまでも村にいるんだろうが!」

 「誰かが食われたらどうするつもりだ?」

 「犠牲者が出る前に、追っ払った方が良いんだよ!」

 口々に文句を言って来る。

 いよいよ困った彼は魔法医の名前を出してみた。

 「少し前に村にお医者さんが来てくれたでしょう? オリバー・セルフリッジっていう。あのお医者さんが、ナーロッタを治してくれるって言うんです。今は薬の材料を探しに街に出ていますけど、帰ってきたら彼女は治るんですよ」

 魔法医の名前を出せば彼らが治まると期待したのだ。が、無駄だった。

 「このガキ、口から出まかせを言ってるんじゃねぇ! 人間が化け物に変わる病気なんか聞いた事がねぇぞ!」

 「珍しい病気なんですよ。だから、お医者さんはこの村にやって来たんです」

 「うそこけ!」

 彼らの様子にトンビは頭を抱える。“あーもう、今のナーロッタの姿を見せられさえすれば、簡単に誤解が解けるのに”と悔しく思う。もちろん彼女がここに来てしまったら、彼女はまた化け物の姿になって最悪の事態になるのは目に見えているのだが。

 ところがだ。彼がそう思った瞬間だった。こんな声が聞こえて来たのだ。

 

 「誰が化け物よ! こんなに可愛いわたしの姿が目に入らないの?」

 

 トンビは全身から血の気が引く思いがした。

 

 ナーロッタは憤慨していた。まず勘違いでトンビが責められていることが許せなかった。話もちゃんと聞かないで、いくら何でも理不尽過ぎる。しかし何より、連中が自分を化け物扱いしていることが許せなかった。

 “わたしは可愛いもん!”

 そう。自分は誰からも愛されるような可愛い姿をしているはずだ。それを化け物ですって?

 気が付くと、彼女は藪の中から出てしまっていた。もっとも、彼女としてもまったくの考えなしで飛び出した訳ではない。距離は充分に取っている。これだけ離れていれば、変身しないでいられるだろうと彼女は判断していたのだ。

 「誰が化け物よ! こんなに可愛いわたしの姿が目に入らないの?」

 その声を聞いて、一斉に村の皆の視線が彼女に集中する。遠くからでもトンビが顔を青くしているのが分かった。

 「ナーロッタだ!」

 「本当だ。元の姿に戻っている」

 そんな声が聞こえて来る。皆は驚いているようだった。“ふふん。どうよ?”と彼女は少し得意な気分になる。

 

 “みんな、もっと見て! 可愛いわたしをもっと見て!”

 

 ――がしかし、上手くいったのはそこまでだった。

 

 藪の中から躍り出てきたナーロッタは、仁王立ちで自分の存在を村の皆に向けてアピールしていた。

 トンビは“どうか、彼女の姿が変わりませんように”と祈った。

 村の皆との距離が離れているからだろう。彼女の姿が変わる様子はなかった。しかし、その状態がいつまで保てるのかは分からない。いきなりのナーロッタの登場に驚いた村人達は、彼女に近寄ろうとしていてからだ。そして、案の定、村人達が近付いていくと、彼女の姿は歪んでいってしまったのだった。

 

 ……もっと、大きな瞳の女の子が好き。

 近くのおじさんの、そんな気持ちが流れ込んで来た。だから瞳が大きくなった。

 目の前のおばさんは、もっと足が細い方が好みのようだった。だから足が細くなった。その隣の男の子は、小さい顔が好みのようだった。だから顔が小さくなった。

 もっと、もっと、みんなから良く思われたい。だから、もっともっと、みんなの理想的な姿を教えて。

 みんなから愛されるのが嬉しくて堪らないの!

 そんなみんなのたくさんの気持ちの中に、ちょっと変わった気持ちもあった。“心配”が混ざり込んでいる。ちょっとだけ気になったけれど、気にしていなんかいられない。だって、もっともっと可愛くならなくちゃいけないから!

 だけど、おかしかった。

 途中から、みんなの理想的な姿が変わった気がした。そして、その違和感はみるみるうちに大きくなっていった。

 どうやら、みんなは不気味なものを思い描いているようだった。そんな思いをぶつけているようだった。

 そこで気が付く。

 みんなの好みに合わせて変わった姿は、とってもアンバランスなのだ。その姿を、どうやらみんなは不気味に思っているようだった。

 もっと顔が大きかったら、もっと不気味に見えるのに。

 だから顔が大きくなった。

 もっと口が大きかったら、もっと不気味に見えるのに。

 だから口が大きくなった。

 牙が生えていたら、目玉がギョロっとしていたら、髪の毛が縮れていたら……

 姿はどんどん変わっていった。そこには矛盾する“理想”もあった。それを同時に叶えようとすると、ますます姿は歪んでいった。やがて眼が三つになった。極端におでこだけ大きくなった。みんなの嫌悪が入って来た。

 嫌。

 違う。

 こんなの、こんなの違う。

 愛されたかったはずなのに、ちっともまったく愛されない。みんなの嫌悪が入って来る。

 嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。

 いやー!

 

 「誰か助けてー!」

 

 魔法医オリバー・セルフリッジは、村の老婆を診察していた。彼女は熱がある。資金には限りがあるので、薬まで分けるつもりはなかったのだが、その家は老婆と男の子の二人暮らしで、老婆を早く治療しなければ男の子が飢えてしまうかもしれず、それを見捨てることは彼にはできなかった。薬を用意し、ついでに軽く料理を作った。男の子がお腹を空かせていたからだ。

 それから彼は近所の家を訪ねると、事情を説明し、老婆の健康が回復するまで世話をしてくれないかとお願いをした。近所の家の母親だろう女性は「病気になっていたのなら言えばいいのに」と大仰に言った。どんな仲なのかは知らないが、取り敢えずはこれで安心だろう。

 実は少し前に彼は村に戻っていたのだ。本当は真っ先にナーロッタのいるあばら屋に行きたかったのだが、道の途中で男の子に「おばあちゃんが病気なの」とお願いをされて断り切れなかったのだった。

 もう一度老婆の家に戻り、近所の家に世話をお願いをして来た旨を告げると、彼はナーロッタの所へ向かおうとした。しかし、そこで騒ぎ声が聞こえて来た。

 「ナーロッタが、また化け物になったぞぉ!」

 彼は“まさか”と思うと、自然と駆け出していた。

 

 トンビが狼狽えていた。ナーロッタが異形の姿になってしまい、彼にはそれをどうする事もできなかったからだ。

 反ナーロッタ派の大人達が集まって来ていいて「武器を集めろ! 化け物を殺すんだ!」と大声を上げている。

 ナーロッタのおでこは異様な程に膨らんでいて、その重みで彼女は前傾姿勢になっていた。大きな目玉が顔の脇につき、その下には鮫のような大きな顎があった。身体が不釣り合いに小さく、その所為で彼女は自由に動けないようだった。

 つまり、逃げられない。

 彼女の足元に、彼女の魔力を抑えていたネックレスが転がっているのが見えた。身体が膨張した所為で切れてしまったのだろう。これでは彼女の“病気”がもっと暴走してしまう。

 「見ないでぇ! 見ないでぇ!」

 ひび割れるような怪音で、彼女はそう訴えていた。醜い姿を見られるのに恐怖しているのか、それとも見られるともっと姿が歪んでいってしまうからなのか。いずれにしろ彼の耳にはとても悲痛にその声は響いていた。

 “なんとか助けてあげたい”

 自分が彼女の本当の姿を強く思い浮かべれば、彼女は元に戻るはずだ。そう考えて強く念じたが、ほとんど彼女の姿は変わらない。

 やがて大人達が武器を手に集まって来た。“いけない”と彼は思う。このままでは、ナーロッタが殺されてしまう。

 「やめてください! 化け物じゃないんです! 病気で化け物の姿にかわってしまっているだけで、本当にナーロッタなんです!」

 彼はナーロッタの前に駆けていって両手を広げて彼女を庇うようにした。鍬を構えている男の一人が言った。

 「トンビ、そこをどけ! その化け物を退治しなくちゃならん」

 「だから! 化け物じゃなくて、ナーロッタなんです!」

 その間、ずっとナーロッタは「見ないでぇ、見ないでぇ」と悲痛な声を上げていた。やがて誰かがナーロッタに向けて石を投げた。膨張したおでこに当たる。血が少し出た。

 「痛い~!」と叫び声が上がる。「何するのよ~」と怒りの声。皆がナーロッタを化け物だと思っているからだろう。それはすっかり不気味な化け物の声になっていた。

 「やっぱり、化け物だぁ!」

 誰かの叫び声。反ナーロッタ派ではない者達まで石を拾い始めた。彼女にぶつけようとしている。

 “もうダメだ”

 トンビはその光景に絶望しかけた。が、そのタイミングだった。声が響いた

 「皆さん、やめてください!」

 見ると、魔法医のオリバー・セルフリッジがこっちに向けて駆けて来ている。

 “良かった! 間に合ったんだ!”

 彼はそれに歓喜した。

 「彼女は本当にナーロッタさんなんです! 病気に罹っているだけで!」

 魔法医の言葉に皆は顔を見合わせた。先日、世話になったばかりなので、彼の事を皆は信頼しているようだ。石を投げようとしていた手を止める。ただし、それでも俄かには信じ難かったらしく、半信半疑といった様子だった。皆の手が止まったことが気に食わなかったのか、反ナーロッタ派の一人が言った。

 「皆! 何をしている? あんな化け物がナーロッタな訳がねぇ! お医者さんは、きっとトンビ達に嘘を吹き込まれたんだ! さっさと殺しちまえ!」

 それを聞いて、化け物の姿になったナーロッタは再び怒りの声を上げた。

 「なんですってぇぇぇぇ!」

 泣き叫んでいる。

 「わたしは、本当は可愛いのに! こんな姿になってしまったのは、あなた達の所為じゃないのぉ!

 それなのに、それなのにぃぃぃ!」

 “いけない”と、トンビは思う。

 ここでもし彼女が暴れでもしたら、もう皆の説得は不可能になる。きっと皆は恐ろしい化け物だと彼女を思い、もしかしたら、本物の化け物に彼女はなってしまうかもしれない。

 “どうすれば、彼女を止められる?”

 分からなかったが、考えている暇はなかった。トンビはナーロッタの傍に近寄ると、「ナーロッタ! 止まって!」と彼女を止めようとした。しかし、彼女は止まらなかった。近づいてきた彼を、彼女は大きな頭で突き飛ばしてしまう。

 近くに転がった。

 「トンビがやられたぞぉ!」

 そんな声が響く。

 村人達が石や武器を強く握った。だが、そこで魔法医の声が響いたのだった。

 「落ち着きなさい、ナーロッタさん!」

 そして彼は村人達が石や武器を投げるより早く、彼女に向って何かを投げつけた。眩い光が弾ける。一瞬、爆弾かとトンビは思ったのだが、どうやらそれは爆弾ではなく、閃光弾のようなものであったらしい。強い光のみで威力はない。ただナーロッタを止めるのには充分のようだった。彼女は動きを止め「まぶしい!」と言って、両目を手で押さえようとした。もっとも、両手とも目には届かなかったが。

 眩い光に目をやられて動けないでいる彼女に向けて、魔法医は淡々とした口調で語り始めた。

 「……ナーロッタさん。よっく反省しなさい。これだけあなたの為を思って色々と助けてくれているトンビさんを、あなたは傷つけてしまったのですよ?」

 

 ……魔法医が自分を叱っている。

 ナーロッタは眩い光にやられ、両目を閉じていた。だから何も見えない。その何も見えない世界で、彼の言葉が響いて来る。

 魔法医はどんなに我儘を言っても一度も怒らなかったのに、今は怒っている。それが彼女には不思議だった。そして、なんだか自分がとっても悪いことをしてしまった気分になっていた。

 「綺麗になりたい。可愛くなりたい。それは人間の根源的な欲求の一つなのでしょう。皆に愛されれば、生存に有利になりますし、子孫だって残しやすくなりますからね。

 でも、必ずしも多くの人から愛される必要はないのです。極少数の人だけで充分なのですよ。いえ、充分に愛されているのであれば、たった一人でも構わないはずです。

 トンビさんは、あなたがどんな姿に変わろうともあなたを愛し続けてくれました。いえ、それどころか、これだけ大勢を目の前にしても、ただ一人で対抗してあなたを守ろうとすらしたのですよ? トンビさんは、あなたにとって、その“たった一人”の人間なのではないですか?

 皆から可愛く思われる必要などないのです。あなたにとって誰が大切なのか、それをよく考えてください」

 トンビ?

 と、彼女は思う。

 わたしはトンビを傷つけてしまったの?

 見えない世界で「ナーロッタ」と声が聞こえた。

 そうだ。覚えている。わたしは彼を突き飛ばしてしまったんだ。

 「ごめんなさい。大丈夫? わたし、あなたのことを……」

 一呼吸の間の後、ホッとしたような彼のやさしい声が聞こえた。

 「ううん。大丈夫だよ、ナーロッタ」

 その瞬間、彼女の見えない世界の中にいるのは彼だけになった。

 

 トンビは、ナーロッタの自分を心配する声を聞くと、魔法医が何を狙っているのか直ぐに察した。多分、今、彼女は自分しか感じてはいない。彼は彼が思う彼女の一番理想的な姿をイメージした。すると、みるみる彼女の姿は化け物から本来の可愛い少女の姿に戻っていった。すっかり元に戻ると、彼は彼女の傍に寄り、「よかった」と言ってしっかりと抱きしめた。

 魔法医が近付いてきて、ナーロッタの首にネックレスをかける。彼女の魔力を抑える呪具だ。

 「これでひとまず安心ですかね」

 と、魔法医が言った。

 その光景に、目を大きくして村人達は顔を見合わせる。そして、手にしていた石や武器を下した。まさか本当にあの化け物がナーロッタだったなんて。何人かは“危うく彼女を殺すところだった”と、反ナーロッタ派の連中をにらんだ。彼らはバツの悪そうな顔をして目を逸らした。

 

 「ギリギリでしたが、なんとかなりましたね」

 

 魔法医オリバー・セルフリッジがそう言った。今、彼らは村外れのあばら屋にいる。

 なんとか元の姿に戻れたといっても、まだまだナーロッタは不安定だ。たくさんの人の近くにはいられない。だから、再び人気のないあばら屋に戻って来たのだ。魔力を抑える薬を飲むまでは、ここを動かない方が良い。

 「薬を調合するんで、しばらく待っていてください」

 しばらく休むと魔法医は井戸で水を汲んで来て、台所で色々と材料を取り出し、魔力を抑える為の薬を調合し始めた。

 なんとなく落ち着かなったトンビとナーロッタは、そんな彼の様子を近くで眺めていた。彼にはそんな二人がやや不安そうに見えたのか、「心配しなくても、もう大丈夫ですよ」と声をかけた。

 「以前にも言いましたが、これから少しずつ魔法のコントロール能力を身に付けていきましょう。それできっとナーロッタさんの症状は良くなっていくはずです。それまでは、できる限りナーロッタさんはトンビさんの事を思い浮かべるようにしてください。

 多分、人が“可愛い”と思われたがる大きな理由の一つは、魅力的な異性を惹きつけることにあると思いますから容易だと思います」

 それを聞いて、ナーロッタは頬を少しばかり赤らめた。薬を調合しながら、彼は穏やかな口調で語り続ける。

 「薬が出来上がるまでには少しばかり時間がかかります。お二人とも暇でしょう。ですから、それまでの間、暇つぶしにとある小説家の話でもしましょうか」

 二人を見る。何も返答がないのを確かめると語り始めた。

 「ある所に小説家がいました。

 彼は小説家でしたから、もちろん小説を書いていました。

 さて。

 小説とは、本来は“個人的な説”の意味です。訴えたい何かがあり、そのメッセージを込めた物語を言うのですね。

 しかし彼は何か訴えたいメッセージがある訳ではありませんでした。ただただ皆からの人気を得たいと思っていただけだったのです。人気を得たいと思ったのなら、普通に考えれば、皆が望む内容を書くのが一番でしょう。ですから、彼は読者達の意見を聞いて話を書くようにしていったのです。

 誰かが“綺麗な女の子が出てきて欲しい”と言えば綺麗な女の子を登場させ、誰かが“強くかっこいい主人公が良い”と言えば、その通りにする。人の好みは様々ですから、色々なタイプの女性が登場し、そしてそれら女性は強くてかっこいい主人公の活躍を見て好きになります。一部の読者層はそれを大変に喜びました。

 しかし、そうして色々な人の意見を反映させていったら、いつの間にか物語は矛盾のある設定やおかしな言動を取る登場人物ばかりの歪なものへと変化していってしまったのでした。そして、そこには醜い欲望が如実に表れてもいたのです。

 たくさんの読者の要望を聞くうちに、物語は芯を失い、欲望を満たす為にだけあるような、醜いエゴをさらす不快なものになってしまったのですね。当然、読書力のある人達はそれに気付き、嫌悪します……」

 話を聞き終えると、トンビが訊いた。

 「それが、あの醜くなってしまったナーロッタの姿だってことですか?」

 「そうなのかもしれない、と少なくとも僕は思っています」と、それに彼は返す。それからナーロッタを見やりながら言った。

 「皆に好かれたいと思うのは、きっと自然な感情なのでしょう。ですけれど、“好かれる”というのは結果であって、目的にするべきではないと思うのです。

 仮に努力が実を結び、皆から自分が好かれるようになったとして、果たしてそこに本当に“自分”は存在しているのでしょうか? そして、“自分”が失われた状態で、果たして人は仕合せになれるのでしょうか?

 もしかしたら、それは、ただただ正体の存在しない、不定形の怪物に変わるという事なのかもしれませんよ?」

 

 そう言われたナーロッタは、ふと視線を近くにあった鏡に向けた。

 そこには、とても可愛い自分の姿が映っていた。

 とても可愛い自分の姿が。

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