6 二人の魔女の会話
魔導協会から『星辰の魔女』の称号を戴冠し、魔女になったのはもう30年も昔になる。魔導学園の入学試験である総合選抜に合格して魔導士号を授かったのはそこからさらに20年ほど前。合計50年間も魔導士として働いて、真と偽を見分ける能力も、人を見る目も養ってきたつもりだった。
それを持ってしても世界はわからないものに溢れている。
人と関わろうとも心は読めず、いまだ魔導の真理も見通せず。年齢を重ねるごとに、自信が削られていく。
「お久しぶりね、夜明」
「かんな」
私の工房に転移してきた黒いスーツに黒髪ストレートの女、『血食の魔女』惟神。私の同期の一人で、同じ時期に魔女になった。ライバル、といっても過言ではない関係だったように思う。私たちの代は本当に優秀だった。私自身が類い稀なる才能を持っていると自負していたし、同じように優秀な同期と切磋琢磨することでさらなる成長を感じていた。彼女がいたから頑張れた。とは絶対本人には言ってやらないが。
彼女を私の私室に招き入れ、魔導具で自動で淹れたコーヒーを出す。
「それで、正体不明のワープゲートってなに?」
「ああそうだな。まずねるちゃが私にメルルと合わせてくれと頭を下げてきたところから話そうか」
私はそこからねるちゃがいなくなったこと、ビルを探索中にメルルとりんがいなくなり、数秒後に突然二人とも並んで倒れた状態で現れたこと、そして二人から聞いた奇妙な世界のことを知っている限り全て話した。
かんなは学生が作成してくれた簡単な資料を見ながら頬に手を添える。
「今のところどれぐらいの人間が知ってる?」
「メルルとその友達のりん君、学生は鈴生君と愛洲君以外急にお客さんがくると言って帰ってもらった。二人とも信用できる子だよ。そして私と君だ」
「学園や協会にはまだ報告していないの?」
「念のために、ね。ねるちゃが行方不明になって、うちの子とその友達が変な世界に連れ去られた。さらに私を真似た奴に殺されかけたって話だ。そんなことができそうな存在に疑いの目を向けるのは当然だろう?」
『錬金術の魔女』ねるちゃ。彼女も同期だけど、私やかんなのような外部生ではない、最初から学園都市で生まれ育った根っからの魔導士だ。かなり昔から代々続く錬金術師の家系だという噂も聞いたことがある。実際に彼女はホムンクルスの作成にかなり長けていた。そしてそれ以外にも数多くのスキルを持つ同期で一番優秀な魔導士だった。
彼女を捕まえることができて、メルルとりんを私にバレずに数秒間誘拐することができる魔導士。そんなの『固有術式』の使用を魔導協会から許可されているか、魔導協会のトップにいる『黎明期の魔女たち』の仕業だとしか考えられない。
「それはどうかしら。もしかしたらそれ以外の仕業かもしれないわよ」
かんなはマグカップからコーヒーを啜る。
「それ以外?」
「例えば、悪魔とか」
私は一笑に付した。
「学園都市に悪魔が入り込んでいるのなら、人類はおしまいだよ。運良く追い出せたとしてもまた未知の方法で侵略してくるのだろう?」
「そうね。悪魔は言い過ぎたわ。所詮は根も歯もない憶測ですもの」
「待て、君はなんの話をしている」
彼女はカップを置いて、スマホの画面を見せつけた。そこには『異界への行き方』の検索画面が表示されている。
「なんだいこの安っぽいホラー小説の題材みたいなのは」
「知らない? 最近SNSで流行ってるんだけど」
『宙に浮く黒い渦に触れたら奇妙な世界に迷い込んだ。』
かんなの話を聞いたところ、それは最初ただの実話怪談、ネットロアの一種として扱われていたらしい。しかし「自分も同じような体験をした」という投稿が続々と現れて、実際に異界の写真や動画が共有されだしてからブームが加熱してSNS上ではほぼ事実のように扱われ出しているのだとか。
実際に異界で撮影されたという動画を観る。メルルの話にあったような巨大な夕陽がどこか奇妙な街を赤に染めている。
「この投稿者はすでに4回の異界行きに成功しているんだって。行くごとに異界は水没していたり植物に覆われていたり人の形をしたガラクタが歩いていたりと、異界にもいろんな顔があるらしいけど、戻る条件は一緒。友好的に接してくる異界の住民を倒せば帰りのゲートが開く」
動画の中で太ったクマのような生き物が射撃術式で頭を撃ち抜かれて殺される。するとクマの死体が消えて代わりに黒い渦が出現する。
もしこれが真実なら、私が触れてしまった魔導協会の闇だと思っていたものは割とポピュラーなものだったということになる。そう考えるとなんだか恥ずかしい。
「フーン、これを信じろと?」
自分の感情を整えるためにわざと冷淡に反応する。
「重要な証拠として扱うべきだと、私は思うなぁ」
「君はそう考えるのか」
私はもう一度動画を巻き戻して見直す。これが加工・編集された映像だとしても私には見分けがつかない。だがメルルから聞いた話と一致する要素があることについては無視できない。
「今、うちの子とりん君は仮眠室で休んでもらっている。二人が起きたらこの動画を見せてみるよ」
「いいと思う。信憑性が増すわ」
かんなは私の前から自分のスマホをとると、動画のURLを送ってくる。
「この黒い渦、そして異界が一体なんなのかはネット上ですでにたくさんの考察がなされているの。魔導協会の陰謀説も有力だけど、私は悪魔が関わっている説を推すわ」
「推すわじゃないんだが。もっと危機感を持ってくれ」
「まあまあ、悪魔説は私の好きな説だけど、夜明が好きそうな説もあるのよ。例えば術式による過度な揺らぎへの介入は多元世界における量子論の波動関数の無限解釈を招き次元間に存在するエーテル粒子がヒッグス機構における真空の相転移を模倣して揺らぎから空間の泡を作ることによって純粋なエーテルで構築された異界が生まれるって説もあるわ」
「SF小説の設定ならいいのだがね」
「んふふ、いろんな意見があって面白いじゃない。固まった思考は研究者にとってガンと同じなんでしょ」
その言葉はかつて私がかんなへ向けて言ったものだった。まさか覚えられていたとは思わず、不意に嬉しくなってしまう。
「というわけで、固まった脳を解すにはこれよね!」
かんなは空間に裂け目を入れ、中から大量にアルコール類の缶とつまみ類の袋を取り出した。直前までの軽い高揚が失われる。
相変わらず高度な転送術式の腕前を下らないことに使う。
「冷やしてあるわ。飲みなさい」
私と同じように魔法で美しさを保っているかんなの肌は10代の学生を見比べても遜色ない。学園で共に卓を囲んで勉強していた頃と何も変わらない顔で、私にお酒を勧めてくる。
「君の強引なところは変わらないね」
頭の中に人選ミスの四文字が浮かぶ。仕方ない子だ。
私は観念してレモンサワーの缶を手に取った。
「私が愛が薄いのかなぁ?! 薄情なのかなぁ!? メルルが消えたと思った時は死ぬほど悲しかったのに、生きて動いていると執着が薄れるんだ。愛していないわけじゃないのに、危険なところに出しても大丈夫だって無責任に思ってる。もう自分がわからないよおおぉぉぉ!!!!!」
私は目の前の机に項垂れて叫ぶ。もう酔いが回っているらしい。大声を出しているはずなのに何も恥ずかしくない。
「自分以上にメルルが何を考えているのかわからないの。急に一人暮らししたいって言い出したり、夜中に通話をかけてきたかと思えば半年近く未読無視されたり。喧嘩した次の瞬間に何事もなかったように甘えてきたり。もうわかんない」
「そんなの当たり前じゃない。例え親子でも所詮は他人だもん。他人の心なんて『固有術式』レベルの術式をでも使わない限り無理だって」
『固有術式』は優れた魔導士が持っているとされる、学ばなくても頭の中にある術式のことだ。十人十色の固有術式が存在し、ごく稀に現在の魔導技術では再現不可能どころか解析不可能な術式すら存在する。俗に言う固有術式レベルというのはこの現在の魔導技術を超越したタイプのものを指す。基本的に固有術式の励起は魔導協会によって固く禁じられている。
「いっそかんながメルルの親になるべきだったんじゃないかな。君の方がなんだかんだで親としてうまく行くんじゃないか? 君のようなあっけらかんとした性格の方が」
「そんなわけないじゃない! 私には無理よ子供の世話なんて。それにマリアだって夜明が一番まともに子育てしそうだからあなたに託したんでしょ?」
『慈愛の魔女』マリア。私に小さいメルルを託して蒸発した女。もう今となってはメルルが彼女の子供なのかどうなのかも知ることはできない。名前すら教えずに消えたから私がメルルという新しい名前をつけたのだ。魔女は慣習で苗字を持たないから、忘れかけていた旧姓の戸川って名前を急遽持ち出して、名前も知らない子供は戸川明月瑠という名前になった。
「マリアよ……なぜ私なのだ」
「だって夜明は自信家だったしー、人間関係の好き嫌いがないしー、何よりなんだかんだ言いながら最後までお世話してくれるし!」
「やめてくれよ。私には人を見る目がないだけなんだ。ましてや子供の考えていることなんて」
「それでも立派に育ててるじゃない」
缶を真上まで傾けて呷り飲む。胃の底に熱が溜まり、体が熱くなる。
「人は勝手に育つのさ。メルルが立派に見えたならそれはメルルの努力の成果で私の手柄ではないよ」
「ならきっとあなたを見て育ったのよ。ほら、まずあなたがしっかりしなきゃ」
「言ってくれるじゃないか。かんなあぁ」
勢いのままに机に倒れる。酔いがその衝撃で脳を揺らして、私はそのまま眠ってしまった。
「夜明はかわいいわね」
惟神は夜明の前髪を横撫で、その頬を何度か指でつまむ。
「ねるちゃは夜明が思っているほどいい子じゃないしやわい子でもないよ。きっと今頃はいつでも帰られる癖にせっかくだからって異界を歩き回っているのよ。やっぱり夜明、人を見る目がないのね」
惟神はくすくす笑い立ち上がる。しかし夜明の寝息に後ろ髪を引かれてすぐに座り直した。
「夜明はかわいいわ」
続く?