5 夜明?
ちょっと痛い表現があります。注意。
「よかった。来てくれたんだ!」
自分の喉から出る声の高さに驚く。りんには見せていない不安と助けに来てくれたことへの喜びが丸わかりなことが恥ずかしかったけど、それ以上に夜明に再び出会えて嬉しかった。
「おいで、メルル。私の子供」
夜明が手を広げて私を迎える。私は抑えきれなくなってその胸に飛び込んだ。布越しに感じる彼女の体温の暖かさに泣きそうになる。
「よかったッ、夜明、わたし怖かった」
「もう大丈夫だよ。メルル。私がずっといるから」
夜明の胸の中で私は安らぎを得る。こくこくと刻まれる母の心音がどんな魔法よりも優しく私を慰める。胎内回帰への憧れがゆっくりとほぐれ、当たり前のように認められる。
母の腕が私を守ってくれる。母の愛が私を癒してくれる。等身大の私を受け入れてくれる。どこよりも安心できる場所で、私の魂は抱擁によって解放される。
「夜明。大好きだよ」
「私も。メルルを愛してる」
抱かれたまま夜明と見つめ合う。いつもなら言わないようなことも、今なら何故か言葉にできた。それに対する疑念以上に、夜明からの愛が嬉しかった。堪えきれずに涙が零れ落ちる。
これが私の欲しかったもの。私の夢だったんだ。ここが永遠に満ち足りた本当の楽園。煩わしい人間関係も過負荷なストレスもない。迷いの苦しみのない私の世界。
「気持ち悪い」
夜明の右のこめかみに杖が突き刺さる。杖を掴む手の先にはりんの顔があった。
「こんなのお姉さまじゃない。お姉さまを誑かす悪魔が。お姉さまから離れろッ!!」
射撃術式が励起して、反対側のこめかみからエネルギー弾が細かい血飛沫と一緒に飛び出てくる。夜明の頭から血が垂れて、私の顔に落ちる。
私にはりんの行動が理解できなかった。うざい人間、もしくは楽園を奪おうとする敵にしか見えなかったし、その存在が煩わしかった。
それでも心のどこか冷静な部分で「りん程度に殺されるのであればこれは夜明じゃないな」という残酷な結論を導き出していた。
温もりが、離れる。寒い。
「メルル……」
夜明が、夜明のようなものが私を抱き締める力を強める。りんはこいつの頭から杖を引き抜いてもう一度射撃術式を励起させる。今度は少しそれて鼻を抉った。
「お前は夜明じゃない」
ぼたぼたと落ちる血を浴びながら、私はそう言い切った。
こいつは少し寂しそうな目をして、血が止まった。
絵の具が熱にさらされて溶けるように、こいつの顔が溶けていく。溶けた上皮は波のように移動して関節部へ飲み込まれる。
私を包み込む腕も表面が芋虫みたいにうぞうぞ動いて悪寒が走る。過去一番と言っていいほど滝のように汗が滲み出てきてキャミソールの中が気持ち悪い。
皮膚の下から金属でできたデッサン人形のような芯が露出して、もともと口があった部分がおもちゃみたいにパカっと開く。昔見た拷問器具のような棘がその開いた面に等間隔に生えている。
「お姉さまっ!!」
三度目のりんの射撃でこいつの頭が揺れる。その隙に私は杖を取り出してこいつの肘に鋒を突きつけエネルギー弾を撃った。片方の肘から先が力を失い宙吊りになる。傷口から血の代わりに何かが溢れている。
するともう片方の腕の力が強くなった。キリキリと締め付けられ、胸が圧迫されて息をするのも苦しくなる。杖はもう一方の腕には届かない。せめてもの抵抗で鋒をこいつの横腹に当てて筋弛緩術式と疲労術式を励起させたが、特に効果は見られない。
「りんっ! 早くしろ!」
「はい!」
ひたすらに頭を狙っていたりんが私の意図に気付いて、もう一方の腕を落とし、私はようやくこいつから解放された。りんに引きずられながらぜーぜーと息を整える。
離れたところで見ると、それは本当に金属でできたデッサン人形のような見た目をしていた。関節は球状になっており、破壊された肘からはコポコポと粘性のある泥のような黒ずんだ液体が溢れていた。
人形はその腕を私の方へ伸ばし、一歩ずつ近づいてくる。
「私が拘束するから足止めしてて」
「了解いたしました!」
りんがエネルギー弾を放つ。人形は弾が当たると軽く怯むのだが、それでも少しずつ近寄ってくる。この杖にある射撃術式は一発ごとに5秒のインターバルがあるのだ。連射を防ぐための機構だけど、今はそれが煩わしい。
私は地面にサークルを作り、そこに魔導樹脂の魔導具を投げ込む。このようなサークルの正式名称を『拡張術式:魔法陣』と呼び、サークルに接触した術式を励起させその効果をサークル全体まで拡張する。これに投げ込んで使うタイプの魔導具を『赤札』と呼ぶのだ。私がいつも転移に使う魔導具も赤札だけど今投げた物には別の術式が刻まれている。
赤札はサークルの中の地面に沈むとサークル内部を赤く発光させる。光を隠す隠蔽はこの際行わない。
人形は罠であることが明らかなサークルの中に迷いなく足を踏み入れる。途端に緑色に発光する触手がサークルから飛び出て人形に絡まる。拘束術式の中でもマニアに人気のミュータント触手タイプだ。ネットでセールしていたときに買ったやつだけど、効果は確からしい。
触手は人形の四肢に絡まり動きを止めると、足を持ち上げて空中で拘束する。人形はもぞもぞともがくけど、触手からは逃れられない。ただ腕からドロドロと落ちる液体だけが変わらずに溢れ続けている。
「はぁ」
人形が完全に拘束されたのを確認すると、私はその場にへたり込んだ。袖で額の汗と血を拭う。
「お姉さま〜!!」
りんが上から私に覆い被さる。抵抗する気力もない。
「やめて」
「お姉さまぁ……、お姉さまは私のお姉さまですよね」
「知らないよ。私は私、りんのお姉ちゃんじゃない」
「ああ、それでこそお姉さまです」
相変わらずりんは何を考えているのかわからない。特に興味もないのでわからないままにしている。
しばらく休んでいたいけど、人形がどこから来たのかもわからない今休まる時間もない。早くねるちゃを探して帰らなくちゃ。
りんを振り解いて立ち上がり、人形の様子を見てみると、そこに人形はいなかった。触手は獲物がいなくなったのを感知して効果が切れたのかサークルごと消失し、そこにサークルがあったことを知らせる魔力の熾が漂っている。そして人形があったはずの場所には、あのブラックホールのようなものが静かに浮かんでいた。
「なんでよ」
「お姉さま! あれ出口じゃないですか!?」
うっかり触らないように慎重に近づいて観察する。このブラックホールはおそらくここに来る原因となったあれとは逆の反時計回りに渦巻いている。物質生成術式で作った石を放り込むと、輪郭が渦に沿って細く引き伸ばされ吸い込まれ消えた。
「ねるちゃさんは見つけられなかったですけど、ここは危険すぎます。早く戻って、今回のことはお母さまや魔導協会にお任せしましょう」
「でもなんであの偽夜明の謎人形があった場所にこれができるの。怪しすぎだよ」
「むむ、たしかに」
これに飛び込んで吸い込まれても、元の世界に戻れるとは限らない。本物のブラックホールみたいにスパゲッティになったまま事象の地平線内部に閉じ込められるかもしれない。これが本物のブラックホールならほんの数メートルしか離れていない私たちも引力に引っ張られているはずだし、この小ささなら熱放射ですぐに消滅してしまうはずだ。
(メルルー!)
その時夜明の声が聞こえた。とっさに聴覚拡張術式を励起させる。
(メルル、りん君!)
「夜明の声だ」
「え?」
「もしかしたら、本当に出口かもしれない。行こう」
「ちょっ、ちょっと待ってください。心の準備を!」
私とりんはお互いに手を繋ぎ、ブラックホールの前に立つ。
「お姉さまがやるならやりますよ。一か八か!」
「まあ、死んでも塞翁が馬って事で」
「死にませんよ。お姉さまは世界で一番自由なんですから」
躊躇いも、戸惑いも、全部切り捨てて夜明の声が聞こえる方に向かう。それだけあの温もりから離された傷心は深かったのだと思う。ついさっき偽夜明に騙されたことなんかすっかり忘れて、私はブラックホールへ飛び込んだ。
救いを求めて。
世界が歪み、時間がずれる。だからこれは過去の光景。
「泣き止みたまえ。テッシュも空になってしまうよ」
今と変わらない姿の夜明が座っている。泣きやめと言われて止まる涙も鼻水もない。私だってやめたいのだ。それでも感情が勝手に暴れて体外へ溢れてしまうのだ。もう何十分も、何時間も、この感情の波は止まらない。それでも、夜明はずっとそばにいてくれた。
「そうだな、わかった。君の新しい名前を思いついた」
夜明は私の頭を撫でてくれる。冷めたホットレモネードは取り上げられることなく目の前にあった。きっと、これが彼女の愛なのだ。
「メルル。私の夜明という名前から一文字とって明月瑠はどうだい? 君は偉大な魔女である私、夜明の子どもになるんだ。どうだいメルル、メルル、メルル」
「メルル!」
夜明の声がした。目を開けば彼女の顔が目の前にある。
「大丈夫、か。もう、……よかった」
「よるめ……」
夜明は私の頭を撫でる。
「私の判断ミスだ。ごめんね」
しかしすぐに立ち上がるとサークルを作って転移術式を発動した。転移の酔いが今は辛い。
そしてそれ以上に、温もりが離れていくのが嫌だった。寒い。寒くて死んでしまいそう。
嫌だ。もっと私をあやしてよ。もっと私に構ってよ。寂しくて泣いちゃうよ。何もできなくなっちゃうよ。
もう私は可愛くないの? 子供にとって母親は神様なんだよ。だから無償の愛を与えてよ。もっと私を愛してよ。
酔いから覚めると、私とりんは夜明の工房のロビーにいた。私は床に倒れ、左手は起き上がり周囲を見渡しているりんと繋がっている。たまたま通りかかった夜明のゼミの学生が私たちを怪訝な表情で見ていた。夜明は彼女に近づくと何かを話している。
「お姉さま、私、夢を見ていました」
りんの頬には涙の跡があった。目元も泣き腫らした時みたいに腫れているが今は涙を流していない。
「どんな?」
私は何故かそう呟いていた。
「私がお姉さまの死を見届ける夢です。夢なのに、現実的で、私もう嫌になって」
「そっか」
りんの下瞼からまた涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。私は慌ただしくなり始めた夜明の工房を眺めていた。
あの世界は幻ではなかった。だって、私の袖が血に濡れている。だから、あの世界で感じたものも偽物ではない。
久しぶりに触れてしまった。自分が一番求めているもの。もう手に入らないもの。
もし、りんの言う通り、私が何をしても許されると言うのなら。ずっとやりたいと思っていたことがある。
だって、この世界に私はただ一人。世界は私を中心に回っているのなら。何をしても自由なら。
やっぱり私はこの世界を滅ぼしたい。
続く?