39 目覚め
待ち合わせにこなかったねるちゃを探して、私の育ての親である夜明と餅伽りんと私は彼女が最後にいたと思われるビルに向かった。そこで黒い渦に飲み込まれた私とりんは夕焼けの世界で夜明に化けた謎の人形と戦闘を行い、拘束することに成功する。拘束した人形は黒い渦となり、私たちは元の世界に戻り夜明に保護された。
無機質な照明が私を呼び起こす。視神経に光が入り、前頭葉がズキズキと悲鳴をあげる。
「おはようございます」
「……おはようございます」
知らない声の方を向くと、前下がりボブの黒髪の子がベッドの横の椅子に座っていた。身を起こすとズキズキ頭痛が響き、喉がガラガラになっている。
「気分はどうですか? 戸川先輩ずっと眠ってたんですよ?」
「最悪」
ベッドの上から見える月と合体させたおもちゃのような置時計はもう夜中を指している。あの時計があると言うことは私の部屋ではなく仮眠室。ここで数時間眠りこけていたらしい。
「餅伽先輩と違って戸川先輩は軽い溺水の症状がありました。夜明先生が治療していましたけど、後遺症があるかもしれません」
溺水……溺れたということか。なんで、っていうかこの子誰。
「あなたは誰?」
私の問いに彼女は軽く敬礼する。
「春より天文部に入りました。中等部一年の愛洲千恵子です。はじめまして戸川メルルさん……それともやっぱり戸川先輩の方がいいですか?」
「どうでもいい」
「……ですよね、すみません」
千恵子はペコペコ頭を下げる。
天文部、夜明が顧問をしている中等部の部活だ。一応私も天文部に所属しているけど、活動には参加していない。もう新入部員が入ってくる時期なんだ。
りんを探して部屋を見回す。
「餅伽先輩ならさっきまで一緒にいたんですけど、今は多分お手洗いじゃないでしょうか」
心中を言い当てられたみたいで少し不快になる。
「あなたはどこまで聞いているの? 私が倒れた経緯とか、私のこととか」
「まあ、大まかには。最近話題の異界に行ったんですよね」
彼女は自分の髪を撫でそう答えた。
「話題って?」
「ネットで流行していますよ。ほら」
彼女のスマホで動画を見せられる。夕焼けの世界で、複数人の魔導士が杖を構えて映っていた。動画の再生回数は10万を越えており、幾つものコメントがついている。投稿者は『オカルト研究会記録室』……か。
「……知らなかった」
「でも流行りはじめたの最近ですし、公式ニュースではあまり取り上げられていなかったので知らない人にたくさんいますから。陰謀を感じませんか?」
「ノーコメント」
テレビのニュースで報道されていないと言うことは、魔導協会からの圧力があったに違いないだろう。夜明は魔導協会に対してあまりいい感情を持っていなかったようで、協会の不審な動きや怪しい噂、他の魔女の不祥事などを聞かされていたが、結局それらがニュースで報道されることはなかった。
「じゃあ、あなたは私のことも知ってるのかな」
「……まあ、先輩有名ですし、危ない団体とかG級とか調べてたら絶対名前乗ってますから。……それに、夜明先生から色々とお聞きしましたので」
少し伏せ目がちになりながらも、なるべく目を合わせられる。まるで目の前の女と自分は対等だと言わんばかりに。
そんな仕草が少し愛おしく思えた。
「驚いた? G級の戸川メルルが『星辰の魔女』夜明の娘だって知って」
「はい、それは本当に。ホムンクルスじゃない子供を持つ魔女って珍しいですし」
「ふふん、そうだね」
千恵子はそわそわと、好きな人に告白する決意が出ない乙女のように、もしくはお化け屋敷を前にして入るのを躊躇うませた子供のように、怖がっていることを隠しきれずに服をつねる。
「何か聞きたいことでもあるの」
「え!? いやいや、しょーもないんでっ!」
「言ってみて。答えるから」
「ええ〜」
彼女は暫しの逡巡のあと、もじもじと指を絡ませ上目遣いで私の見上げる。
「人を殺したって本当ですか?」
思っていたよりも直球だった。でも素直な子は好きだ。
「……本当だよ。怖い?」
「いえ……まあ、ちょっとは」
「ふふん、もっと怖がっていいよ」
「怖がってませんっ」
彼女はピント背筋を伸ばし、少し上にあった私と目線を合わせる。
「京都に比べたら……あっ私京都出身なんですけど、京都に比べたら学園都市は平和です。ちょっとタバコの煙が多くて香水が強いだけで、大きな傷害事件もめったにないし、売春に身を落とす女の人もいない。……男性区はしりませんけど。
だから人を殺したってことはよっぽどの理由があったんだと思うんです。だから戸川さんは保護区じゃなくてここにいるんじゃないですか」
早口で弁解する千恵子は必死に生きる小動物のようで──可愛かった。
「ねえ、じゃあ私はなんで人を殺したと思う?」
困り顔の彼女をさらに困らせるような質問を投げかける。
「えっ、それは……いじめとか、レイプ……はありえないし、復讐……」
まだ思案中の彼女の言葉を遮って、彼女の肩に手を伸ばした。ビクッと一瞬震えるが、ここで手を避けたら怖がっていると思われるから懸命に耐えているのだろう。
「どれも違うよ。正解は“かわいかったから殺した”でした〜」
揶揄うように、嘲笑うように、伸びた言葉を彼女の耳元に置く。怯える女を支配する仄暗い悦びが、徐々に、私の内から滲み出る。
「どんなふうだったっけな。例えばこう、近づいてきたから、手を払って首を絞めて」
千恵子の首にもう片方の手をかける。肉の熱が、私の熱と接する。皮膚によって分けられた境界を少しずつ押し込んでいく。ドクンドクンと、血の振動が力強く伝わる。
「ギュッて、ね」
千恵子は怯えながらも必死に息を殺し、顔は赤くなり、大粒の涙を溢しながらあたしの目を見つめる。
私の大好きな顔だ。子供の苦しみ、恐怖、屈辱、怒り、そして勇気、その全てが詰まった宝箱のような瞳。穢れた大人には出せない美しさ。
この顔が絶望に染まる時は、いったいどれほど美しいのだろうか。
──やってみたい。
「お姉さまっ! お目覚めになられたのですね!」
りんが部屋に入ってきたので千恵子から手を離す。この女は頭がおかしいから本気で千恵子を殺しかねない。
「ごはっ、ぁ、はっ」
千恵子は咳き込みながら私とりんを一瞥すると、早足に部屋を出て行った。
「すみません、邪魔をしてしまいました。追いかけましょうか?」
「ほっといて」
どこかわくわくしているりんを放っておいて、動画が流れたまま置いてかれた千恵子のスマホを手に取った。
異界……か。
あの夜明に化けていた人形に抱かれた時、私は確かに安らぎを感じた。たとえ偽りでも、あの温もりは本物だった。本当にお母さんを求めているのなら……
失敗しただろうか。間違ったのだろうか。まだ私は社会性という鎖に囚われているのだろうか。私は支配されていない、はず。
コンコンとドアがノックされ、誰かが中に入ってくる。夜明だと思って顔を向けたら、想像していなかった人物だった。
「お久しぶりね、メルルちゃん」
「……惟神。なんで」
黒いスーツに重い黒髪の女。見た目からして得体の知れないこいつは『血食の魔女』惟神。
夜明とは友人らしく、夜明や親しい人は彼女のことをかんなと呼ぶ。けど私は彼女が嫌いなのでかんながらと呼んだ。
「あなたの様子を見にきたのよ。心配したわぁ」
ねるちゃと同じく、彼女も自分勝手な人間だからだ。
子供は好き。無力だから。大人は嫌い。勝手だから。
こういうイメージを昔から持っていた。
でも子供同士の関係は思ったよりも息苦しいし、大人にはもっと勝手な奴がいる。この世界は想像以上に辛いものだって気づいてしまった。
惟神も勝手な大人の一人だ。社会性ではなく安いアルコール飲料を押し付け、嫌がってもなお大人になるための試練だと言って無理やり飲ませられた。タバコもこの女に無理やり吸わせられたのが最初だ。
今もほのかにアルコールの匂いが漂ってくる。その口で心配したなどという女なのだ。本当に嫌い。
「こっちにおいで。私と夜明にお話を聞かせてちょうだい」
それでもお母さんがいるなら、私は前を向ける。お母さんがいるのなら。
お母さんがいないと、怖くて、不安で、死んでしまいそうになる。
私とりんは惟神の後を追った。
続く?